なぜ嫌いな人の供養をするのかを考えてみた

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#供養 #お葬式 #曹洞宗 #仏教 #お坊さん #禅活
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Пікірлер: 3

  • @user-zv7sw8oz5u
    @user-zv7sw8oz5u Жыл бұрын

    ー供養をしないと怨念が、祟りが 良くないことが起きるかもしれない、嫌われていたから許して貰えるように。 そして、昔から関連したテレビもよく見ていた気がする。 恐怖、見えない掴めない実体が無い、後悔 そういった心をざわざわさせる、ある種囚われやもどかしさであったのかー お話を聞きまして非常に穏やかな感情で納得できました。複雑な感情の中で御供養をしていたのは、故人と向き合い自己の中に存在する課題を見つけ出すということから目を背けたかったからかもしれません。 非常に自己中心的だと思います。 何が己に欠けていたのか、何故そういった感情になるのか。ここが欠けていました。 御供養は、故人と向き合い、己と向き合い、互いの道を見つけていくものなのかな と、勝手な解釈と思いに至りました。 ありがとうございました。

  • @zenkatsu

    @zenkatsu

    Жыл бұрын

    ゆっくり返信しようと思っていたら時間が経ちすぎてしまいました。 時代を遡るほど、故人に対して十分な世話ができた、幸せな人生を歩ませてあげられたというケースは少なくなります。 子供や老人といった弱い人から亡くなる時代には、申し訳なさや負い目に、飢饉や疫病が重なれば当然祟りや怨念を想起していたことでしょう。 そうした時代は死者を鎮め、遠ざける供養が中心だったと思います。 一方現代は、死者を受け止める供養に変わってきた、生きている人間に託された時代になってきたのかなと思います。 そういった点で、仰る通り主体性を持って、一人称での供養や信仰をいていくことが大切なのかなと思ってこの動画を撮影しました。 貴重なコメントありがとうございました。 しんこう

  • @user-zv7sw8oz5u

    @user-zv7sw8oz5u

    Жыл бұрын

    有り難い御返事、感謝申し上げます。仏教や禅の教えは、故人さんだけではなく、今ここを生きる我々にとってある種の道標だと思っています。時代や在り方は変われど、仏教や禅の教えが続いていくといいな。とか思っていたりします。それ故、禅活を応援いたします。

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