幕末、浜松藩の米津浜に大砲の台場が築かれた 今でも面影を保っている米津台場跡に潜入!
Ойын-сауық
米津台場跡、またの名を米津浜台場跡。
幕末、黒船を迎え撃つ大砲が3基設置された。
昭和10年にこの米津浜台場跡の製作に携わったと言う老人のインタビューが残っている。
その老人の証言では米津浜の大砲は、
砲弾が波打ち際までしか届かなかったらしい。刻銘な証言とともに考察!
また米津浜台場で使用されたと思われる砲弾が近所の校長室に保管されている。今回その砲弾の撮影の許可を得た。
関係者の皆様ありがとうございました。
#浜松市南区新橋町#浜松市米津#米津台場跡#米津台場跡砲弾
Пікірлер: 32
今回も興味深いですねぇ😊 確か徳川家康が名古屋城を築城する際、大筒で武装する為に考えられていた大筒の射程距離が2~3km。 大阪の陣の時の大砲が砲弾のサイズにもよりますが、最大射程距離が5kmくらいだったと思います。 それより200年以上下った時代で射程距離が1kmは謎ですね笑 幕末の静岡県には江川太郎左衛門の様に、韮山反射炉作ってパンや大砲作ったりしてるのに残念😂 余湖くんのホームページの余湖さんのコメントでは、高さ27mは誤記ではないかとされてますね。 またまた次回が楽しみです。
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
かなゴンさん 毎度ご視聴、コメントありがとうございます。 江戸初期には最大射程が5kmもあったとは・・なぜこんな事になってしまったのか?「あくまで砂浜の的を狙ったから」なのか?何か使い方を間違えていたのか?不思議っちゃあ不思議。
今回も勉強になりました 砲弾が飛ばなかった話は初めて聞きました 次回も楽しみにしています 有り難うございました
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
annーjamさん ご視聴、コメントありがとうございます。 本当にそんな性能が低い大砲ってあるんですかね? 是非次回もお願いいたします!
あんなところに砲台があったんですね。もう少し遠州灘に近いとファッションホテル街でした。
@user-fs8cr1xn5p
Ай бұрын
山本昌和さん ご視聴、コメントありがとうございます。 ファッションホテル・・ありますね。
加藤さんカッコいい😊
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
加藤です 御視聴コメント有り難うございます いや、なんか照れますなぁ! 今後ともよろしくお願いします(^-^)v
配信、楽しみに待っておりました。 さて大坂冬の陣で投入されたカルバリン砲でも射程は6キロメートル(有効射程1.8キロ)あったのに、幕末期において射程1キロにも満たない大砲って、そこが気になります。
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
カッパのカータンさん ご視聴、コメントありがとうございます。 「米津台場の大砲は全く飛ばなかった」といろんな所に書かれていますね。 それは事実なのか?あまりにもお粗末な性能・・太平の世がそうさせたのか? 何かが間違っている様な?発射試験を見ていた証言が間違っているのか? 大砲の作り方を間違えたのか?使い方を間違えたのか・・?
台場と言えば「東京のお台場」をイメージしますが、浜松にも台場があったのですね(知りませんでした)。 海上の黒船を狙って砲撃するも玉は海にも届かず、またそれを拾いに行って繰り返し打つ…。 笑ってはいけないのでしょうが、どこか滑稽なような…。 市内のトーチカ等もそうですが、浜松に50年近く住んでいても知らなかった史跡の存在を知ることができて大変ありがたいです。
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
HARA M.さん ご視聴、コメントありがとうございます。 いや完全に滑稽です!(笑)まだまだありますよ、実話不思議的スポット!
浜松不思議話様。 楽しく視聴させて頂いたます。 さて西区篠原町に不思議な歩道があります。 行って頂ければ不思議に思われると思います。 場所ですが旧静岡銀行篠原支店の南に20メートルほど進むと現場です。 「篠原村役場跡」の石標が目印です。
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
谷山嘉一さん ご視聴、コメントありがとうございます。 早速ググってみました。何やら新しく舗装された歩道らしきものがありますね。 その事でしょうか?篠原村役場跡と何か関係があるのでしょうか? 不思議な話があれば見に行きたいと思いますが・・情報提供ありがとうございます。
戦前の写真では遠州浜に砂の斜面があって、そこで砂スキーをしている写真を見たことがあるので、江戸末期くらいは砂浜がもっと沖まであったのかもしれませんね〜 と、言うことは、想像以上に大砲の玉が飛ばなかったことになりますねぇ〜
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
杉yooさん 毎度ご視聴、コメントありがとうございます。 今、グーグルで見ても米津の砂浜は昔はもっと沖まであったようですね。 それにしても米津台場の大砲の性能が低すぎる。 何かが間違っている様な?大砲の作り方なのか?使い方なのか?証言なのか?
中学校の社会の授業で、外国船打払令(異国船打払令)を習っている時に、先生が詳しく説明してくれました。 海まで飛ばなければいけないのに、実際は海まで飛ばず、練習で撃ったら拾いに行くというのを繰り返していた と聞いて、クラスみんな大笑いでした!
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
サークルチェンジさん ご視聴、コメントありがとうございます。 米津台場跡を授業で習ったんですか?ご近所さんでしょうか? 我ら浜北民で知っている人は少ないはずです。 飛ばせない大砲・・それも不思議です・・
@circle-change
7 ай бұрын
@@user-fs8cr1xn5p 近所ではありませんが、同じ浜松ということで米津台場について先生が教えてくれました!いつか実際に行ってみたいです。
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
そうでしたか!コメントありがとうございます。
追記 薩英戦争時に英国戦艦に搭載されたアームストロング砲の射程は約3キロメートル。当時の日本の国防が如何に貧弱だったかって事ですね。
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
カッパのカータンさん ご視聴、コメントありがとうございます。 200年で大砲の性能は全く進化しなかったという事でしょうか? 平穏がそうさせたのか・・大砲も種類ごとに戦略意図が違ってくるだろうから比較は出来ないが、あまり性能が変わっていない雰囲気が・・ それにしても米津台場の大砲は性能が低すぎる?
ちなみにガンタンクの射程距離は260km。
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
カッパのカータンさん ご視聴、コメントありがとうございます。 マジすか!今の大砲の射程距離はどの位なんだろう?
砲弾を小学校に寄贈したのは、昭和10年頃だと、ほぼ全員が行く学校は小学校くらいだったからではないでしょうか?より多くの人が知ることができます。でもまた戻って来たのは?です。因みに昭和→西暦はプラス25、西暦→昭和はマイナス25ですね。
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
猫に声帯なし犬に声帯あり ご視聴、コメントありがとうございます。 学校に寄贈されたのは解りますが、一度博物館に渡っているのになぜ学校に戻されたのか?今では博物館の方が色んな方の目に付くのに。 編集をやっていて思ったのは、当初の寄贈者の意思を尊重して学校に戻されたのかな?とも考えました。
@junantohong
7 ай бұрын
なるほど、思いやりのある推察ですね。私は展示物を見直した結果、見栄えがしない、ただの石の玉だし(失礼!資料的価値は勿論高いと思います)、掃除するとき重いし、返そうか?で、元に戻ったのかと思ってしまいました。
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
いや、今の浜松市博物館にも結構見栄えがしないのもありますよ・・これも失礼か(笑)
急に更新来てたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
まさとんさん ご視聴、コメントありがとうございます。次回も是非!
加藤さん車変えました?
@user-fs8cr1xn5p
7 ай бұрын
車換えました 一年位経ちますかね お披露目は、巨大狛犬の回だったと思います そちらも是非御視聴下さい 先代”アポロ”の名を引継ぎ“アポロ2号”と名付けましたwww