Kyomaru Village - Unexplored region with legends that have been told since the Edo period

The previous video is here: • 【限界集落】石切集落 - まもなく限界から消...
This is the second installment of the Shizuoka series, continuing from the previous one.
We finally arrived at Kyomaru village, which is located even deeper in the mountains than Ishikiri, a hidden village that truly deserves the name "unexplored region.
Despite being in such an unexplored region, the village is surprisingly well kept, probably still managed by the people concerned.
However, I wonder how the head of the family must have felt as he watched the land that his family had been protecting for hundreds of years gradually come to an end.
I wondered how the head of the family must have felt as he watched his family's land gradually come to an end.
And then there is the legend of Kyomaru Peony.
It is unknown where the legend originated, but it is surprising that the tradition of this small village is still being passed down today.
There is still so much in this country that we don't know.
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Chapters
0:00 Following the folklore of Kyomaru Peony
1:03 Hearing about Kyomaru from the residents of Ishikiri
5:03 Now we go to Kyomaru
5:40 The Legend of Kyomaru Peony
7:50 Departure for the village
11:37 Clouds are getting darker and darker
13:40 We finally find the village...?
15:51 Learn about Kyomaru Peony
18:00 Exploring the village
20:15 About Kyomaru village
22:46 Explore the settlement further
24:01 About the origin of Kyomaru village
26:54 Seeing the places of interest
29:40 The end of a long journey
#exploring #abandoned villages #abandoned villages #marginalized villages
#abandoned #japan_ruins

Пікірлер: 96

  • @fookoo2362
    @fookoo2362 Жыл бұрын

    京丸藤原家の遠縁の者です。遠州を離れて数代になりますので京丸にはまだ訪れた事はありませんが、こうして拝見させて頂き嬉しく思いました。 今もご当主が手入れに行っておられると思います。

  • @user-du7bq3li8x
    @user-du7bq3li8x Жыл бұрын

    京丸も久しぶり(15年程)に拝見させてもらいました。ありがとうございます。 京丸も初めて石切に行ったその年約30年程前に初めて訪れました。京丸については子供の頃母から聞いていて非常に興味を持っていたのですが大人になり忘れかけていたのが石切の和田のおばちゃんと話していて思い出し後日訪れました。 林道から山道に入っていますがあの道は石切から京丸への杣道で唯一残っている所です。国土地理院地形図に徒歩道(破線)で記載されていますが30年前でもそこ以外の道は消滅していました。初めて行った頃のその道は今よりもっと寂れて荒れていましたが京丸山への最短ルートと言うことで歩く人が多くなりコースマークや道もしっかりしてきました。その道は地形図では林道に出る前もっと下で京丸に向うのですがその道は30年前でも消滅していました。京丸に行くだけならそのまま林道を歩く方が楽ですし距離もたいして変わらず歩き易い分時間も早いのでは。 京丸手前の道が流されている所はの沢は京丸の水源地で昔は給水用のホースが上から京丸に向って伸びていました。15年前は崩れていなかったので崩れたのは比較的最近、9月の大雨かもしれませんね。 初めて訪れた当時は周りの木は低く明るく展望がある所でした。谷向いも良く見えボタン谷も良く見えていました。ですのであの杉の巨木は目立っていましたね。 お墓が2つ立ってたと思いますが1つは京丸本家藤原家先祖の墓、もう1つが最後の住人藤原家18代当主の墓だったと思います。この人が最後に京丸ボタンを見た人で昔京丸に訪れた深田久弥やその他著名人の書籍に必ず書かれたことで有名な方でした。 神社ではないか言われていた建物はその通り神社です。京丸にはお寺はありません。書物によれば京丸本家が神主やお寺の仕事を兼ねてと言うか代行して執り行っていたようです。 本家が今でも綺麗に手入れされているのは本家で毎年京丸藤原親族で行事があると言うことで現在の19代当主の方が手入れに訪れていると言うことを和田のおばちゃんから聞きました。私も林道でお会いしたことがあります。 それから山やっている者からの忠告ですが、事前に京丸の位置やルートを国土地理院の地理院地図などで確認していないのですか?見ているとあの登山道に地図アプリや地形図・コンパスも無く安易にその場の思い付きで入っているように見られます。地図アプリは使っていたのかもしれませんが入口には京丸山と書かれていて京丸とはなっていないのでもっと慎重にと言うか林道の方が確かに京丸に行くので登山道に入るのが?でした。装備も登山装備ではないので安易に登山道に入るのは危険ですよ。その道で事故って行動不能になった場合、京丸に行くのが分っていたら初期捜索は普通林道周辺で行われます。発見が遅れてしまいますので注意してください。

  • @user-wl3wc3ui7y
    @user-wl3wc3ui7y Жыл бұрын

    こんなロマンなる石切に住んでいた事があるなんて・・・と、今更ながらこの動画を拝しとてちょっと不思議な感覚です。3年前に母から京丸牡丹伝説、藤原家にまつわる話を聞いた事があり、藤原家はおろか、京丸の地にも訪れなかった事を今になって後悔してます。近くにいるといつでも行けるからと結局行かずじまいで、近くにある宝に目を向けなかったなんて・・・。 両親とも元気だった頃は石切で民宿を営んでおり、京丸へいらっしゃるお客様が少なからずおりました。あの頃が懐かしく思います。 貴重な映像、ありがとうございました。

  • @pajamadog2671
    @pajamadog2671 Жыл бұрын

    京丸牡丹の伝説は1974年頃、テレビのドキュメント番組で視て記憶の隅に残ってました、魅力的な番組構成で絵巻物に描かれた巨大な牡丹と幻想的な土地柄だったのを子供ながらに覚えてましたが、この動画でふたたび京丸牡丹の名前が聞けて何だかビックリです、ありがとうございました。

  • @user-zp9ez8ie2k
    @user-zp9ez8ie2k Жыл бұрын

    久しぶりに拝見させていただきました、なんせいい歳して貧乏暇なしなもので、相変わらずお二人のお話の掛け合いに心が和みます。順番通りに見ることができずもうし訳ない、この歳になっても知らないことばかりで、ほんとうにありがとうございます、これからもとにかく道程には注意しながら、この愚かものにいろんな知識を与えてください。ほんとうにありがとう、感謝。

  • @user-hb4dt5rx1c
    @user-hb4dt5rx1c Жыл бұрын

    貴方方の動画には本当にロマンがありますね。何回も見る時があります。 孫の様なお2人の動画、これからも楽しみにしております。

  • @user-bj1xw4fr9u
    @user-bj1xw4fr9u Жыл бұрын

    春野町出身です。小学生の頃、母から京丸の話を良く聞きました。懐かしく拝見させて頂きました。ありがとうございました。

  • @user-jd1zb5xs1j
    @user-jd1zb5xs1j Жыл бұрын

    感動しました 京丸牡丹はしってましたが あんな隠れ里に在るとはびっくりです 出掛ける前の取材も良かったです 私の住む長崎県は本土が小さいので廃村は余り無いです が、離島が成りしろ多いので かくれキリシタンと結び付いた悲しい歴史に埋もれた無人島なら沢山在ります しかし世界遺産との関係もあるので上陸出来るかは知れません 是非長崎の隠れキリシタンの取材にもお越し下さい 高速を使うと時間は掛かりません 夜のフェリーとか使うと格安に寝て来ることも出来るでしょう 貴方が苦労して映像に納めた廃村が平気で心霊スポットに されている事に怒って居ます 廃村にも長い歴史があり人々の暮しが有ったはずと思うと 尚更です 怪我とヤマヒルに気を付けて 映像化 頑張って下さい 喧嘩しないでネ!

  • @user-tq2xh7nx1u
    @user-tq2xh7nx1u Жыл бұрын

    京丸牡丹の悲しいお話 40年位前に静岡のローカルラジオ局で聞きました。 浜松生まれの私には現地の風景が寂しく感じました。 遠州はかなりの不思議な伝説、行事があります。 桜が池のお櫃納めは見てきましたが、不思議な感じでした。 遠州の七不思議 シリーズ化リクエストします。                          北海道在住

  • @FutiKuti2011
    @FutiKuti2011 Жыл бұрын

    静岡県のK市で育った者です。 60年前の中学時代に級友が、夏休みに伝説の『京丸牡丹』を探してその地を訪ねたことを話してくれましたが、二俣線の駅から途中までバスで行き、そこから随分長距離の山道を徒歩で往復したということでした。途中で何度も『山蛭』が身体について大変だったという話を覚えています。

  • @user-pw7lx1nh6h
    @user-pw7lx1nh6h Жыл бұрын

    京丸牡丹の付近はヒルがすごいと聞いたけど、この辺はまだ大丈夫みたいですね。京丸牡丹はホオノキの花びら(結構大きい)が川の上流から流れ着き、ホオノキを知らない人が巨大な牡丹を想像した、とも言われていますね。

  • @ichi6868
    @ichi6868 Жыл бұрын

    84年に本で京丸牡丹を知りました。ちょうど60年辺りで捜索隊が結成され(ていうことは74年頃?)京丸山の険しさとヒルに悩まされ、見つけられず戻ってきたとありました。 それ以来たまに見かける京丸牡丹という言葉を見つけると、つい見入ってしまいます

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    捜査隊が結成されていたことは知りませんでした。 教えて頂きありがとうございます。

  • @user-Thunderbird2
    @user-Thunderbird2 Жыл бұрын

    実に宜しき動画でした。他に散見される“廃墟凸ちぃーばー”とは違い、予め下調べをし、現場で謙虚に行動する姿は、とても好感がもてます。次回にも期待しています。

  • @user-ft3bv4hh5p
    @user-ft3bv4hh5p Жыл бұрын

    ロマンですよね。こういうの大好きです。

  • @user-sr1kd3yr3f
    @user-sr1kd3yr3f3 ай бұрын

    善く調べましたね。此処まで調査してくれると、TV 番組と遜色ない。秘境の隠里廃村、ロマンがあって、面白い!🤫

  • @KF-dl1wm
    @KF-dl1wm Жыл бұрын

    集落に着けてよかったですね。 お疲れさまでした。 今回も素敵な動画をありがとうございました。

  • @user-ws9qf1wj6f
    @user-ws9qf1wj6f Жыл бұрын

    historicaのおかやすさん・あんどうさんこんばんは。 京丸牡丹の伝承は掟に縛られて悲しい結末を迎えたんですね。 牡丹の花には言い伝えがあったんですね。 ほんと隠れ里のようでしたね。 山登りたいへんだったようですね。お疲れ様でした。

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! 今回は久々に大変でした・・・。

  • @user-ws9qf1wj6f

    @user-ws9qf1wj6f

    Жыл бұрын

    historicaのおかやすさん・あんどうさんおはようございます。 京丸牡丹の伝説拝見して私のお育った村(今は町)に旗返し城とい城が あったこと思い出しました。城主は毛利元就に攻め滅ぼされたのですが・・・ この時姫様にも悲しい出来事があり私の実家の近くにその石仏が立ててあったこと など思い出させてくれる取材でした。

  • @gavadon3246
    @gavadon3246 Жыл бұрын

    興味深く拝見いたしました。特にね、2年前に「京丸山」に登った時に使った登山道が出てきて「笑っちゃいました」。アレを登らずに林道を行けば楽に京丸集落跡に行けたんですよね。お疲れ様でした。アレを登ると、「ほぼ」獣道を登ること40分で林道出合、そこを左に進むと『京丸山』に至ります。道標が皆無の山なので、頻繁に遭難が起こっている山域です。危なかったですね。

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃる通り大人しく林道を行けばかなり楽でしたね・・・。

  • @r100rsruru
    @r100rsruru Жыл бұрын

    民族研究の面白さが伝わります。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke Жыл бұрын

    1980年に最後の方が、、と自分が小学生の頃にはこの集落がまだ残っていたことに驚きです。後醍醐天皇の皇子が各地に散らばっており、遠州にも派遣されてた皇子がいたので、その皇胤に関わる人物がいたのかもしれませんね。その人物だとしたら、文明年間のご位牌にも納得する部分があります。それにしても、今もどこかにいらっしゃる藤原さんの側から何らかの証言集みたいのがあるといいですね。。

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! もとが隠里だったからか古い記録はあまり残っていないようですね・・・。

  • @user-nl4df1fd3h
    @user-nl4df1fd3h Жыл бұрын

    楽しく拝見しました。なかなか訪れることができない場所を見せていただき感謝します。住人がいない古民家を強引にのぞきこまなかったのは大変よかったです。ところで、家屋を「こっちに一軒、もう一軒」と数えていらっしゃいましたが、昔の家は母屋(おもや)の外に水屋があったり、トイレや風呂が別棟に分かれていたりしたのをご存じでしょうか。水道が引かれていない場合(時代もありますし、へき地の場合もあります)井戸や川から水を運んでくるしかないので、屋外からのアクセスが簡単な造りにできていると思います。あるいは井戸を取り囲むように炊事場や風呂が建っていたり。なので、2棟に見えても2軒分(2家族分)の建物とはカウントできない場合がありますよ。後半に出てくるお宅のように家の外から風呂のたき口が確認できる場合もありますね。・・・またおばちゃんがでしゃばってコメントしてしまいました。

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! 確かにあれは2軒かどうかは定かではないですね。 ご指摘感謝いたします。

  • @09030030183
    @09030030183 Жыл бұрын

    お疲れ様です♪

  • @MachizohJP
    @MachizohJP Жыл бұрын

    最新の京丸の状態が知れました。藤原本家が未だ綺麗に保たれていることで安心しました。京丸集落は1300年頃から1600年頃まで300年も人知れず存在した集落ということで京丸牡丹の伝説とともにとても気になっている集落でした。動画を見る限りそれほど険しい道ではなさそうなので何時かは訪れてみたいと思います。 本家の奥にあるお社の天井にはとても素晴らしい天井画が描かれているそうです。(過去の訪問記で見ました) 次回の小俣集落の動画も楽しみにしています。

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! あの神社も貴重な遺物かと思いますがこの先どうなるか不安ですね。

  • @MachizohJP

    @MachizohJP

    Жыл бұрын

    @@neu_historica あのお社は神社というより祭事場だったと思われます。神職が居なかったからです。お社も含めて藤原本家が管理しているようなので藤原本家が存続する限り大丈夫だと思っています。それより心配なのは石切集落が無人になってしまうことです。最悪、石切への車道も通行止にされてしまうかも知れません。早いうちに訪問することを検討しています。

  • @user-gi9op4io5o
    @user-gi9op4io5o Жыл бұрын

    集落最後の住人藤原氏(本家かな?)は現在気田に出てお住まいだそうです訪ねてみるのもいいかも

  • @tman4tman
    @tman4tman Жыл бұрын

    historicaチャンネルすきで、いろんな思いを巡らせながら 毎回感心してみております。ご探訪お疲れ様です!

  • @user-kj2pv4yi3f
    @user-kj2pv4yi3f Жыл бұрын

    有難う!!、【京丸牡丹とその集落】の美しい「伝説・伝承」の存在、、、それだけで我が国の”美空間・超時間”の敬愛する我が異世界ですが、俺には、ただただ頭を垂れて藤原家の亡き皆さんに祈りを捧げるしかありません。

  • @user-ec2mf1ks3o
    @user-ec2mf1ks3o Жыл бұрын

    配信お疲れ様です。 京丸は三軒からなる集落だったのですね。たった三軒でも存在感のある本屋。伝説の南朝方の藤原氏の末裔というのも頷けるような集落の佇まい。京丸牡丹にまつわる村の掟も後醍醐天皇を守ってきたという一族の結束や誇りが感じられます。 京丸集落を訪ねるのに進んだ道は登山道ぽかったですね。多分最初の道をずっと行っても京丸には着けたかも、かな。苦行好きな(❓)アンドウさんの趣味全開。わざわざ険しい道を行く、お2人の珍道中も楽しみですが😅 いつか幻の京丸牡丹が見られるといいですね。 これからもご安全に。 追伸:一軒の家は母家と離れ風の建て物でワンセットで、多分お風呂やトイレが離れというか別棟になってるかな。田舎だとお風呂から火事になるのを恐れたり、水回りの湿気が母家の木を腐らせるのを疎んで、別棟にすることが多いです。あと単純に外の作業からすぐトイレやお風呂に行けるというのも利点です。 米を作っていたウチの水回りも(40年くらい前に建てた)鉄筋の別棟です😅

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    いつもありがとうございます! 今回もいつもの悪い癖が出てしまいました・・・笑 本家の方は立ち入れなかったのであまり細部までは見られませんでしたが、おっしゃる通りお風呂などが別棟になっていそうな造りでした。

  • @user-eh2sq6fz1m
    @user-eh2sq6fz1m29 күн бұрын

    伝説や 言い伝えは、大事に伝え残して 行きたいと思います 口伝での伝えには 誇張 や 誇張はつきものですが 大事にしてゆきたいですね。

  • @user-hr5iz5je8i
    @user-hr5iz5je8i Жыл бұрын

    小俣は、地滑りで村自体埋まっちゃってるはずだけど。分校とかあったはず。 京丸については井伊家との繋がりもあったと思いますよ。

  • @user-cv4kb5kp1v
    @user-cv4kb5kp1v Жыл бұрын

    伝承にある里人以外との婚姻を禁じる掟というのも、里の藤原の血を薄めないためだったり外から来た人が里の事を知って故郷に戻ったりすることで秘密が漏れることを防ぐためだったりという何らかの理由があるはずなので、なにか訳ありだったのは事実だったように思いますね。 今回もボリュームある見ごたえ十分な動画でした。次も楽しみにしております!

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! 正確なことは言えませんが何かあったのだろうということは感じますよね。

  • @tabasko614
    @tabasko614 Жыл бұрын

    DCジェネレーターと書いてあるので、直流発電機ですね。名古屋在住ですが、港区に現在もある製作所と思います。

  • @nari-tech5052
    @nari-tech5052 Жыл бұрын

    伝説が史実的でとても切ないですね😢

  • @morris.hanmiru
    @morris.hanmiru Жыл бұрын

    話し方が、静岡の人だなぁ〜。

  • @user-qi5cz7bm1g
    @user-qi5cz7bm1g Жыл бұрын

    小俣も楽しみにしてます

  • @skihi4691
    @skihi4691 Жыл бұрын

    前から行って見たかった所です、隣接する町の出身ですがいかずじまいでした、大変な取材ご苦労様でした

  • @user-od2dz7gj8b
    @user-od2dz7gj8b Жыл бұрын

    600年前の南北朝時代からの歴史なので、真実の解明は難しいですね。伝説はそのままの方が浪漫がありますから。 牡丹は春に咲く花ですが、秋牡丹や冬牡丹など、春以外にも咲く種類があるみたいなので、私なりの仮説として、秋にキノコがいっぱい採れますが、誤って幻覚を見るキノコを食べてしまったとした場合、大きな牡丹の花を見る事もあるかも知れません。土地の人なので見間違える事はないとの事でしたが、幻覚なら、、。伝説は伝説のままが浪漫があって良いですね。

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! なるほどキノコですか。伝説である以上はそうでないとは言い切れませんね。

  • @hemuhemuful
    @hemuhemuful Жыл бұрын

    久しぶりの強行軍でしたね。お疲れ様でした。その先に廃村が現れるのは確かにそこに人の営みがあったのだと不思議な感覚です。 今もご神木が静かに見守っているという場所なのですね。

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! 確かにあれほどの山奥に集落が現れた時は不思議な感覚になりました。

  • @user-gi9op4io5o
    @user-gi9op4io5o Жыл бұрын

    浜松在住です自力で行けないのですが。京丸、小俣はとても興味ある集落です詳しく調査していただきありがとうございます

  • @user-nl3ir9ze5b
    @user-nl3ir9ze5b Жыл бұрын

    私道の先のお宅周辺が綺麗だったのは何方かが管理されてるのかな?と思いました。山の中の我が家にも家系図が有ったけど台風で家が倒壊した際に無くなったそうで‥ どこぞの落武者?と親が言ってました(笑) 残るのは銅鏡のみで卓球して遊んでました😂 次回も楽しみにしています🍀

  • @JOHN5GINGER6
    @JOHN5GINGER6 Жыл бұрын

    京丸牡丹伝説は、「駆け落ちしたが生活苦に耐え切れず、やむなく実家を頼ったが、一度は村の掟を破っているので戸も開けてもらえなかった」というのが生々しい。名主も一度は黙認してくれたが、もう一度村の掟を破れというのでは示しがつかない。娘夫婦を見捨てざるを得なかっただろう。

  • @tsukune0103
    @tsukune0103 Жыл бұрын

    19:51 森電機というメーカが現存するかは分かりませんが、「D.C GENERATOR」とあるので、直流発電機ですね。直流発電機だと家電が動かせず用途が限られますので…電灯ぐらいしか使えないかも。 見た感じ電柱もなく抜柱をしたようでもない所に加えて、最後が1戸で1980年廃村化という状況だと、電気が来ていなかった可能性があります。 (私事ですが私の祖母の生家に電気が来たのが昭和55年、1980年でした) やはり電灯かなあ…

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! 確かに、あまり気にしてみていなかったですが電柱はありませんでした。 1980年頃まで電気無しの生活とは・・・恐れ入ります。

  • @tsukune0103

    @tsukune0103

    Жыл бұрын

    @@neu_historica 祖母宅もそうでしたが、この京丸集落も「車道がある(あった)」ことが大きいと思います。車道があれば発電機の燃料やプロパンガスを運び込んだり配達してもらうことが可能で、水さえ確保できれば案外どうにかなります。徒歩道しかないところは本当に大変だったと思います。

  • @user-dy2ei6gh9o
    @user-dy2ei6gh9o Жыл бұрын

    2世帯ではなく、母屋と厠(トイレ)では? もう一棟は崩れたか、少し離れた場所にあったか。

  • @jynsawai1631
    @jynsawai1631 Жыл бұрын

    いつも 楽しみに 拝見しています。 お二人の 旅は 私たちが行くことの出来ない 集落を 回ってくださり、いつも 興味深く 見ています、ナレーションの方が詳しく 説明して下さるので分かりやすく、とても 勉強に成ります。集落とか 廃村等を 1人で 行かれる方達が 多い中 御二人で、どんな 山中にもかかわらず、徒歩で 行かれることは 見ていて 安心感が 有ります。時には最後に ご馳走食べて 帰ることが有りますけど! こちらも ほっとして 見ています。 これからも 無理せず 頑張って いろんな所に 連れて行って下さい🙇

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! 今後も全国各地を紹介していきます。

  • @user-ht5xl7vq5t
    @user-ht5xl7vq5t7 ай бұрын

    岡安、安藤、さん、コンビ、爽やかで、とても、いいです、そのうち、島、孤島等、探検してほしいです。

  • @user-dj8zm5je6p
    @user-dj8zm5je6p Жыл бұрын

    京丸牡丹……あと60年近く待たないと見れないかぁ

  • @user-rn9iv1mc4y
    @user-rn9iv1mc4y Жыл бұрын

    小俣集落の探訪も見てみたいです!

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    次回は小俣を探訪するので是非見てください!

  • @user-uj8wq8hj2x
    @user-uj8wq8hj2x Жыл бұрын

    3時は山道では夏でも撤退かどうか考える時間。秋冬ならキャンプする気無いなら、すぐ撤退考える時間。

  • @zyko8623
    @zyko8623 Жыл бұрын

    アスファルト舗装されているから、廃村になる前は車で行けてたのかもね。

  • @Moonprismpower-makeup
    @Moonprismpower-makeup Жыл бұрын

    興味深い動画でした。いつもありがとうございます。 今の世だったら駆け落ちしても普通に生きられるよね。時代に恵まれなかった可哀想な恋人達よ。

  • @user-ht5xl7vq5t
    @user-ht5xl7vq5t Жыл бұрын

    言い伝え,とか、を、解説、記して、くれたのは、とても、いいです、

  • @user-oi1lh8co6k
    @user-oi1lh8co6k Жыл бұрын

    二人とも可愛いね。 もっと顔出して欲しいです。

  • @user-uj3lg7gm6h
    @user-uj3lg7gm6h7 ай бұрын

    山で遭難したら、こういう集落にたどり着き、人がいなかったら絶望感がすごいですが、道があるなら、下山できますね。

  • @user-cv5jl1mw8i
    @user-cv5jl1mw8i4 ай бұрын

    四半世紀ほど前に訪問したことが有る者です。地元の伝承とかが好きな性分で、自家用車で行けるところまで車でつけて後は歩いて行きました。確かに立派なお宅が三軒建っていて、確かいずれも「藤原」さんの表札が出ていました。(このシチュエーションで表札要る?とは思いましたが)表札を確認して、何か妙に満足しました。帰り道、猛烈なにわか雨に降られて営林署の職員の方に助けてもらいました。自車を停めていたところまで初期型のジムニーで送っていただいたのをよく覚えています。(あのクルマ面白かったな~ 今でも手に入るなら是非オーナーになりたい)

  • @user-bg6hj8ki6h
    @user-bg6hj8ki6h Жыл бұрын

    しっかりした石垣。モーターがあるから電気も通じていたのかな?車は通れたであろうか?子孫はどうしてるだろうか?

  • @user-rm6gr8ry4i
    @user-rm6gr8ry4i Жыл бұрын

    「丸」がつくのは鰐氏ではないでしょうか? 鰐=亀=蛇=龍=海神ではないでしょうか? 補陀落渡海とかと同様に、逃れてきた方がひっそり暮らしたのでは? だから、外部との結婚により逃れた一族の存在の情報が拡がるのを恐れたのではないでしょうか?

  • @user-writer1918
    @user-writer1918 Жыл бұрын

    山間の僻地の耕作地の概念がズレております。そもそも広い耕作地を求めるなら山裾まで下らないといけません。この辺りのような地形の場合は、畳一枚、二枚ほどの平地があればそこを耕作地とし、大人数の家族の口を養うのであれば、その畳二枚ほどの耕作地を数十箇所持っていたことになります。耕作地には順路が有り、メンテ漏れすることはありません。後年、登山者が入るようになったりすると、それら耕作地には、総てたどり着けないようなトラップがしかけられます。中には谷に落ちるとか遭難するとかなどの危険なトラップも存在します。

  • @user-qp6rk8rq1o
    @user-qp6rk8rq1o Жыл бұрын

    左衛門佐は、「さえもんざ」ではなく、「さえもんのすけ」と読むのが正しいのでは?

  • @user-tb8nz2ir9j

    @user-tb8nz2ir9j

    2 ай бұрын

    真田左衛門佐信繁(さなださえもんのすけのぶしげ)なので、そうですね。

  • @user-uj3lg7gm6h
    @user-uj3lg7gm6h Жыл бұрын

    京丸って戦国時代と関連ありそうですね。

  • @yoakao4707
    @yoakao4707 Жыл бұрын

    石切という地名は、採掘できる石があったのでしょうか。石を利用する知恵と需要は、若者たちと住民の興味や、資源とはなり得ないのでしょうか。

  • @user-vf9co6kv1c
    @user-vf9co6kv1c Жыл бұрын

    1首… 昔日の営み偲ぶ家(や)並みかな 伝えに聞こゆ牡丹、咲くや

  • @F.Bomber
    @F.Bomber Жыл бұрын

    ピンク字の女性の声聞いてると室井佑月を思い出す。

  • @KUSANAGI_Teppei
    @KUSANAGI_Teppei Жыл бұрын

    左衛門佐は「さえもんのすけ」じゃないですかね。

  • @everydaysleepy2880
    @everydaysleepy2880 Жыл бұрын

    道路に接する石垣だけが新しくコンクリきなってたりするので在住してた1980年代に工事したのかな?

  • @user-sh8zo5dn4q
    @user-sh8zo5dn4q Жыл бұрын

    京丸の鰻、美味しい❣️

  • @user-gi9op4io5o
    @user-gi9op4io5o Жыл бұрын

    以前見たさいとには隠里なので外部と接触しないように藤原同士で結婚していた歴史が有るため藤原姓が多いそうです。

  • @ECIAO2001
    @ECIAO2001 Жыл бұрын

    ナレーションの女性の声に癒やされています。何かのソフトですか?

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! ナレーションは声優さんに依頼しております。

  • @ECIAO2001

    @ECIAO2001

    Жыл бұрын

    @@neu_historica 返信ありがとうございます。それでは、声優さんに、「毎回、素敵なお声に癒やされてます。」とお伝えください。

  • @hope515
    @hope515 Жыл бұрын

    GPS使って下さい!スマホでも電波なくても使えるんで位置関係は掴めます。 アプリによってはウェイポイント(ルート)も設定でき、ルートから逸れてくると警告してくれるアプリもあります。

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! アドバイス感謝します。GPS導入してみようと思います。

  • @hope515

    @hope515

    Жыл бұрын

    @@neu_historica 毎回投稿を楽しみにしています。 お気をつけて!あと本格的なGPS機器よりスマホはバッテリー持ちは悪いので予備バッテリーも忘れずに! 私自身、山は登らず山奥の道や林道が好きなだけのですが、登山系のアプリがこんなに使えると思ってませんでした。

  • @user-vd9uq4tr1h
    @user-vd9uq4tr1h2 ай бұрын

    本当の隠れ里…失礼ですがロマンがありますね

  • @user-zm9ef1xd3n
    @user-zm9ef1xd3n Жыл бұрын

    藤原家、永い永い年月を脈々と血を受け継ぐなんて今や天皇家くらいじゃないですか?昔の書物を書く方が気品がありと言うように、おそらく事実なのでしょう。今の時代はすぐ証拠根拠を求める傾向がありますが、血はものを言いますよね。静かに守る!なんかカッコいいな。という軽率な言葉しか…語彙力ゼロ。お疲れさまでした(^-^ゞ

  • @neu_historica

    @neu_historica

    Жыл бұрын

    コメントありがとうございます! 京丸の歴史を見ると多くは語らぬ美学のようなものを感じますね。

  • @conanrockwell4254
    @conanrockwell4254 Жыл бұрын

    この伝説はそんなに古くないんじゃないかな? 人里離れた集落では、近親婚ばかりでは血が濃くなるからと言って、旅人を歓迎する習わしなのが実際は普通でしょ。

  • @youchany
    @youchany Жыл бұрын

    ご苦労さまです 今は車だめですか、

  • @youchany

    @youchany

    Жыл бұрын

    大学時代 藤原君の出身地て事で行きました。

  • @lusciniafreivalds9220
    @lusciniafreivalds9220 Жыл бұрын

    地形図持ってないのか

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