このシーン実はやってはいけないアニメのタブーだった。もう本当にアニメの限界です【ガンダム41話光る宇宙その4】【岡田斗司夫】
Ойын-сауық
★続きのガンダム解説★↓
• 【ガンダム】アニメ史上一番良いMV。ララァが...
0:00 ハイライト
0:41 アムロとララァの元へ向かうシャア
1:48 アムロとララァの繋がり
4:20 富野由悠季カミングアウト
6:02 ララァの能力 理解してないアムロ
10:06 ララァは最後まで....
11:32 やってはいけない禁じ手
13:21 テレビアニメの限界
16:34 シャア乱入 究極の融合
19:23 シャアとアムロの戦いにセイラが介入
26:01 ララァを闘いに引き摺り込んだシャア
28:21 凄い演出の連続 作画の限界
ご視聴ありがとうございます。チャンネル登録と高評価していただけると凄く励みになります😭
切り抜き元
kzread.info5GyujfN4...
#ガンダム #富野由悠季 #岡田斗司夫
Пікірлер: 132
0:00 ハイライト 0:41 アムロとララァの元へ向かうシャア 1:48 アムロとララァの繋がり 4:20 富野由悠季カミングアウト 6:02 ララァの能力 理解してないアムロ 10:06 ララァは最後まで.... 11:32 やってはいけない禁じ手 13:21 テレビアニメの限界 16:34 シャア乱入 究極の融合 19:23 シャアとアムロの戦いにセイラが介入 26:01 ララァを闘いに引き摺り込んだシャア 28:21 凄い演出の連続 作画の限界
私は引き裂かれるイメージだと思ってました
幼心に変な性癖の芽生えを感じてしまったけど、やっぱりそういう意図ですよね・・・小さい頃は理屈は分からなかったけど、なんか本能的にヤバいシーンだって思いました。
アムロとララァは共感してたと思ってたが、アムロはララァが何を感じたのかを分かってなかったのか…
最後のシャアの薙刀をジャンプで避けるのは、弁慶と牛若丸のアナロジーですね。
シャアの心情を正確に示されると、後のアムロが言った 「なぜララァを巻き込んだんだ?ララァは戦いをする人ではなかった!」の言葉により色が乗るし、 それに対して、シャアがまともに答えなかったのも、すごく腑に落ちる
すげー、、、 想像すらしてなかった、、、 大人すごい
期待したより解説が濃厚で満足した
シャアとララァの関係、劇場版だと書き換えられてるので、その間監督はなにか考えなおしたのかな?
ピース又吉の文章解説の動画と同じように、私ども凡人には見えていないものを見せてくれるお二人の才能に感服します。
あの叫びは数分後の未来を見たからだったのか。 そりゃ見返さないとわからん。 見返してもわからんかったけど。
@SM21338
Ай бұрын
いや、普通に違うと思うぞ。 ララァの叫びは、完全に心を通わせる唯一無二の二人が、敵味方に別れる運命の残酷さに気付いたのだろう。
1980年代までの漫画やアニメの中には大人向けのストーリーや表現が結構含まれていたんですよね… 子供向けアニメだし夕方からの放映でしたから、この回はさすがにえっ?てなりました(笑)
岡田さんのように深読みするかどうかは別として、哲学的とも思えるセリフのやり取りをストーリーや作画その他をやりつつ超多忙の中で毎週生み出していた富野さんは天才だと思う。
フランスの不倫映画にある三角関係と、ロボットをからめた実にうまい表現。これは子供にはまったくわからない。でも大人になって改めてみてみるとよくわかる。やはり作品というのは人生の何回かの年代ごとにみなおす必要あるなと思った。
後日、と謂うか20年近くものインターバルを経て富野氏自身が上梓した短編小説「密会」で紡がれた物語が、今回の"メタ表現"の真骨頂であり本来コレで映像化したかったと云う"原作者"自身の本音吐露となっていた訳なんですねぇ・・・
シャアがずっといいとこなしな件。笑
アムロとララァの精神融合はセッ〇ス表現だったんだね なんとなくわかってはいたけど言語化されると強烈w
@user-fg3pj6xy9f
2 ай бұрын
まさに『禁じられた遊び』ですね
富野も寝耳に水、水野晴郎もビックリな深掘り解説(笑)
@soze616
Ай бұрын
富野「えっ!そうだったの!?」
@akaidom1
6 күн бұрын
いや、昔から雑誌ではセックスシーンて考察されてましたよ。多分富野も記録全集か、なんかの雑誌で認めてた。
@akaidom1
6 күн бұрын
@@soze616 むかしからある考察ですよ
5:39 「チャコ」ではなく「チョキ」です。
白い描写、私も何となく感じていましたが、まさか
実はこのシーン,『禁じられた遊び』をかけながら観たらマッチしてました(笑)
アムロ、貴方はNTRよ シャア、貴様はNTのなり損ないだ 寝取る、寝取られの略でもしっくりくる
@terrahapis
Ай бұрын
天才か
だってその頃カッコいいロボットで喜ぶガキだったもん。
賢者タイムに突進してくるゲルググは想像したら笑ってしまった。
ここには出ていませんが、ゲルググとガンダムが切り結ぶシーンの中で ビームサーベルをナギナタの柄で受け止めるカットがあります。ビームサーベルでも切れないほど固いんだと驚いた記憶 ^^v
@なんかまるくてゆるい
Ай бұрын
それで今気づいたけど、まさかシャアって「二刀流」だったって暗示なんじゃねえのけ?。ナギナタの二つの刃みたいに。 ガンダムも二刀流できなくもないけどさ。
ララァと大佐は関係してると年頃の人は分かる
戯言じゃなくて戯れ事なんだよなぁ
12:28 岡田さんはイマジナリーラインをまたがっていると仰ってますけど、カメラを切り返しただけで、イマジナリーラインはまたいでないと思いますよ。 アムロとララァの上手下手の位置関係はシーンを通して変わってないですし。
ララァの戦う理由だってそこそこ浅いもんな……
@user-vb6ti2qn5i
24 күн бұрын
でもブラックホークダウンでも最後は「仲間の為に戦うんだ」って言ってたからなぁ
凄いな❗️ そんな解釈あったのか… 確かにFIRSTやΖは結構男女の話も多いけどこんな事考えてガンダム見た事なかったから凄い新鮮だった❗️
15:21 ピンクレディーのUFOの歌詞のイメージの元ネタってコレかぁ
確か漫画ではララァは娼婦って設定でしたね。さすがにその設定は子供向けテレビアニメでは使えなかったのだろうなぁ。 このシーンは分かりにくいシーンでした。子供心にララァはアムロとシャアの間で迷ってるんだろうとは思っていましたが。 岡田さんの解説でちょっとスッキリした気がする。
ララアの藩さんの声が好き
子供の頃だったので、射精表現に”そんなはずは無い”と思ってましたが、友達が大騒ぎしてました、まさか作品の品性を落とすような事はしないだろうと思ってました。w
安彦さんが倒れた時期は湖川先生がやってたからクオリティーが下がることはない。だからなのかララアのハイライト無しの目はバッフクラン人の目とそっくり。
@meromaro7464
2 ай бұрын
ララァ
@user-sg4mo7bm6y
2 ай бұрын
湖川 友謙さん は 第6話『 ガルマ出撃す 』で 駅間我子 名義で参加されているのが 有名ですね。 安彦さんが 倒れた後に参加されていたのは 初耳です(ノンクレジットのようですね)。 第41話『 光る宇宙 』は 作画監督 不在の回で、青鉢 芳信さんが作画されているのは 知っていましたが、湖川さんは 関わっているのでしょうか?
大昔女性は、絶頂に達すると「ピンクの象さんが見える」と表現していましたが、ララァの場合は「ピンクのブタ鼻」でした・・・。
刻を見たララァはアムロとシャアの最期まで見てしまったんですかね。シャアの恥ずかしい告白を。
@なんかまるくてゆるい
Ай бұрын
ありえるんじゃないですかね、それ。まあそこまで先の脚本を作ってたかはしりませんが。
2:00 エルメスの目(コックピット付近だからまだわかる)とガンダムのメインカメラ付近が繋がるのおかしいw
@user-nv1wo4ir6r
Ай бұрын
一応ガンダムのツノはアンテナやし、ミノ粉が通信や脳波に干渉してるのでハード的にはリアルなのかも
深掘りするたびに ファーストガンダムすげーなと思う
本来なら粘膜の擦り合いでしかない行為 そこに表現者としての憧れに似た何かをどう具現化するかなんだよねきっと
アムロはいわばこっちにきてと言いたいわけですね
セルホコリなんて、わざわざ説明しなきゃ私みたいなトーシロにはわ分かりゃしないのにバラしちゃったよ(笑)!
アムロ どぴゅっとったんかぁーーーーッ!!
ほんまシャアははしゃげばはしゃぐ程ピエロやな石田三成と同じ人種 つまり大好き
性表現は学生当時なんとなく察したけど、賢者タイムと『1人で生きられない女』はわからなかったな・・・
ララアも奇跡の子も 地上でニュータイプだったよ。
高畑勲のかぐや姫にもあったよね
交わりのお話は、スタートレックエンタープライズでもあったね。 まぁ 他種族との交わりであって好奇心によるモノだったのだけど地球人の男性が妊娠するとゆー…
え!!ファムにはそんな意味あったんだ!!なら競馬漫画マキバオーの2作目のファムファタールって、憧れのフィール先輩を死ぬ運命に導いた悪運の魔女って意味が隠されてるのか?
27:00
カミーユとハマーンみたいだな。
ガイアギアのコックピットでもシャアがやっていた。
アムロがなんのために戦っているのか、なんで結ばれるのかわからないので、この接近は違和感があった。
初めて分かりあえて 射○した相手が即死 哀しすぎる(泣)
Zガンダムのラストシーンでも同じことを感じたが、やはり同じニュータイプといってもそれぞれ大学でいう「偏差値」みたいなものが存在して、自分なりに分析して例えるなら、 ララァ→東大 アムロ→京大 シャア→慶応 クエス→上智 ぽいかなと。
アムロ、イキますっ!
6:16
サムネ見るとさぁ、気付いた俺天才って自慢してるようにしかみえない
バーバレラのS〇Xはピアノみたいな機械あったww ララアとアムロのシーン当時小学生だった自分も「これはどうなん?」と思った
ごめんそこまで考えてみてなかったわ
ここらへんが冨野の悪癖なんだよなぁ・・・ イデオンでもダンバインでも結局こんな陳腐でワンパターンな展開で、 折角作り上げた世界観を下らん自己満足でオカルト劇に貶める。
ララァってインド人じゃないの?
賢者タイム(笑)
誇りの埃😅
面白かったけど女子としては直接的表現はちょっと…。でも当時高校生の私はこのアムロとララァの精神的融合を本能的にすごい「愛」だと感じて、ガンダムをやはり一番印象深い作品と思って生きて来ました。「進撃の巨人」のミカサの最後の決断を見るまでは。
@user-yi7ml4sv7t
Ай бұрын
進撃に上書きされてて草
@user-ly5ix1oi9u
Ай бұрын
比べるのは違う。やっぱり抽象的な表現の絵で魅せてるのとミカサの決断や行動で魅せてるのは全く違う。 時代も相まってか 今の時代はエロス的な要素は当たり前。だとして 物語の長いフリがあってオチがあるわけで、その中に死人が出るからより思いも乗るわけで。 どちらもララァやミカサ達も張り切れそうな辛い思いなのは変わりがない、 あるとするなら愛に対する視聴者のコンプレックスが優劣をつけるだけじゃないのかな
@OrangeCamus
27 күн бұрын
自分は小学1年生だったし性的な行為なんて全く知らなかったけど性的な繋がりははっきり分かったよ シャアが怒る意味も含めて、、、アムロに成りきってたw ただララァはアムロに着いてくると思ったから色んな意味でショックを受けた
不倫しちゃったアムロ
確かに劇中の表現はご講釈通り奥深いものがあるが 暗黒の宇宙空間で地球上でも敵とは交信しないのに 会話が出来たり相手が見えたりとか 無重力空間で飛んだり跳ねたりとか 光学兵器が線で見えたりとか表現が滅茶苦茶ですよね という身も蓋もない感想で恐縮です
どうなんだろうな。斗司夫氏の経歴で異性に対する接し方の話もいろいろあったし、そういう人だからこういう見方ができるのか、それとも徹底分析の賜物か、自分にはわからない。まあ、ここまで語れるのは正直尊敬はする。 ファムファタルの名前を出すなら俺はマイトレーヤの名前がなぜか浮かぶ。いや、詳しくないけど。FSS一巻で作者がマイトレーヤに触れてたのが印象にあって。 あのさあ。動画サムネイル見た時に、「アニメのタブーってなんだ?もしかして進撃の巨人みたいに時間軸を超えて記憶共有してるメタフィクション的な物の見方が当時の日本人にはトンデモだったのか?」とか考えたが。それ言ったらマクロスの外伝的なオーガスのラストはあれ見てもわけわかんねえけど。それ言ったらボトムズの異能生存体もあれだろし。 ◇ 一人では生きられないっていうとめぐりあい宇宙の曲を浮かべるな。 スペースオペラなんだし、なんでそこで(隠喩経由とはいえ)物理的な性交をイメージさせるのか、と。 これ言うとあれだけど、かなりエリートなほうの知識人的左翼的文脈にそういう性的なものを暗示させる文化ってあるんじゃないですかね。それ言ったら右派的な文学もそうかもしれない。三島由紀夫は右派かといわれるとやや違う気はするが。 ◇ シャアとハマーンではなくカミーユとハマーン、ジュドーとハマーンの関係性の描写の謎はオネショタ路線とも違って考察に値すると思うのだが、岡田氏は初代以降作品を参考外にしてるんだったな……うーん。 ◇ ララァはアムロとシャアをBL(ボーイズラブ)で結びつける腐女子路線やれば助かってた説。いやむしろ自身を犠牲にして二人が一時的に和解する未来をとったのか?それとも呪いの束縛となったのか?。 ◇ ガンダムのパクリとされる黒騎士のあれ、黒いシャアが兜を脱いだらアムロだったりするの、パクリだとかベタとかよりなんか暗喩的で妙なんだよな。 これ言ったらあれだろけど、シャアとララァの組み合わせってのも何か感じなくもない。たとえば白人と黒人のバディ物があったとして、それはそういうジャンルのものかもしれないが、日本だと逆にその手のは余計に隠喩に思える時がある。 たとえばシャアはララァを母のように思おうとしてるのだって、ある意味ではそうなのかもしれない。半身かもしれない。血筋、みたいなのを言ったらそれはあれだろしそういう匂わせはあったかは不明だが。それを言えば少女革命ウテナなんかはどうなんだとなる(あれはあれで良いと思うが)。水星の魔女もそうではないかな。 ◇ これトンデモに思われるだろけど、俺はさ、ある種の物語のはじまりの根幹の人物であるダイクンを若返らせるなりクローンなりやって、そいつに宇宙の歴史の事の顛末まで体験する物語やってほしいって思っちまうんだよな。 ダイクンが聖人とは限らないってのはそうだろし、むしろそのほうが人間臭いドラマができていいじゃないか。 ユニコーンで財団の創始者が出てきた時点で俺はそれを強く思った。こいつがダイクンとかだったらな……って。はよ責任とれやって話でもあるんだろけどな。
@なんかまるくてゆるい
Ай бұрын
(追記) 小説版ガンダムではアムロとセイラが寝るってのを聞くが、これはご都合主義展開なのか、それともシャアが義理の兄になるかもしれないジレンマを描きたいからなのか。ロミオとジュリエットは聞いた事はあるけど、そのまんまよりは縁戚的にややこしくしたほうがドラマ性があると考えたのか。 まあ小説版ってアムロ死亡するって話らしいからたぶんシャーとアムロって構図すらどうでもよくなったのかもしれないけど。だってニュータイプの革新は主要キャラ以外にも共有されてるもんだろから。二番手三番手だってやるときゃやりやすんぜ!
@GGill
Ай бұрын
おっしゃるとおり、アムロとララァの交わり合いを単に『メロドラマ』性的な表現として片付けてしまうのは自分にとっても解釈違いですね…。 ここまで視聴者向けに詳しく解説されていて尊敬していますが、もっと奥にあるメッセージ性を読み逃してる気がするというか…。 視聴者を意識してるからこそ大衆ウケが良いからそうまとめているのかもしれないですけどね。 岡田斗司夫氏はここでは解説されてないですが、このあとに続く大事なシーンであるララァの最期のシーンで『私たちは分かり合えた』という台詞がありますが、 富野監督は、ララァとアムロ新人類の在り方で人の意志の可能性を性的表現も交えて表現したかったんじゃないかな、と… 人の意思の表現についてはその後のZのあらゆる所に散りばめられてますからね。 拡大解釈されてしまったファーストガンダムで出来なかった事をやろうと作った作品のZが自分は一番富野監督のメッセージ性を感じて惹かれます。
本当にそこまで考えて作ってるのかな?
@akaidom1
6 күн бұрын
アニメは設計図があって、わざわざ指定して画面を作っているので何かしらの演出意図があります。 今回の考察は昔からアニメ雑誌ではメジャーな説ですよ。
イマジナリーラインって何?言葉の説明がないとわからない。
間男のシャア
学生運動が社会とか正義なんてのは、あくまで口実に過ぎず、単なる暴力の行使でしかないんじゃないかな。
手塚治虫がジュンのコマ割りを否定したというのは、違います。 手塚治虫が否定したのは、セリフがないところです。
@kuroneko-qu2uw
6 күн бұрын
あながち違って無いと思います。手塚治虫が否定(嫉妬)したのは最低限のセリフのみで、あとは絵やコマ割りで詩情的表現に成功していたからですので。
@user-kk9sl5vs3z
6 күн бұрын
@@kuroneko-qu2uw 石ノ森章太郎の「風のように」に、詳しい顛末か書いてあります。ジュンのファンが手塚治虫に「ジュンの実験的手法がとてもよい」と書いたところ、手塚治虫が「ジュンなんかマンガじゃない」と書いた返事をよこして、石ノ森がショックを受けたのです。また、COMの編集者がジュンはモーツァルトの音楽のようだと手塚治虫の前で褒めたところ、「なにがモーツァルトですか! セリフのないマンガなんてマンガじゃありません!」と怒ったという話も「手塚番 神の伴走者」という本に証言があります。コマ割りを全否定したなんて、当事者は誰も言ってません。それは想像であって根拠はないのです。岡田氏の発言は往々にしてこの手の誤謬(思い込みで話を発展させたり、歪めたりする)がありますので注意が必要です。
@kuroneko-qu2uw
6 күн бұрын
@@user-kk9sl5vs3z 同じ事の解釈の違いだと思います。「セリフがない」→「絵と印象的なコマ割りで表現した」という解釈で、岡田さんもいたマンガ夜話で夏目房之介さんも言ってたし、山田玲司さんときたがわ翔さんも石ノ森章太郎のコマの割り方(画面構成やレイアウト)、作画手法でも解説してましたよ。セリフで語る部分を全て絵で表現したという事を言いたかったんだと思います。
@user-kk9sl5vs3z
6 күн бұрын
@@kuroneko-qu2uw ですから、あくまでそれは解釈であって、ジュン騒動での当事者本人の意図とは明らかに異なっています。石ノ森章太郎の「風のように」は本人が書いたものです。そこではコマ割りの工夫は、ジュン以前にさんざんやっていることが書かれています。それについて手塚治虫が批判したことはありません。ジュンについて石ノ森章太郎は、手塚先生のだすCOMに「セリフもストーリーもない漫画」を描くんだよ! と藤子不二雄Aに意気込んでみせてます。「セリフもストーリーもない」、これが手塚治虫が批判した点だというのは明らかです。とにかく拡大解釈が多すぎますね。まずは事実を当たるべき。
@user-kk9sl5vs3z
6 күн бұрын
@@kuroneko-qu2uw 解釈と当事者本人の意図とは異なります。石ノ森章太郎の「風のように」は、石ノ森本人が書いてますが、コマ割りの工夫はジュン以前にさんざんやっていますが、その多くは編集者に否定されています。手塚治虫は別に否定してません。ジュンについては石ノ森章太郎は「セリフもストーリーもない漫画」を手塚先生のだすCOMに描くんだよ! と意気込みを語っています。ですから、「セリフもストーリーもない」のは「マンガではない」と手塚治虫から批判されたということです。手塚治虫がジュンのコマ割りを全否定した!…なんて、拡大解釈すぎる暴論です。事実と想像をごっちゃにしてはダメでしょう。
岡田さんはまだ甘いですね。43話でシャアとアムロはキスをします。 子供向けなのでBLは表現できないけど、ヘルメットごしにキスをします。 剣で互いを刺しあうのはオスVSオスの儀式です。サオありのNHヘルスに行けば常識です。 この程度の解説は子供だましです。私の解説、岡田先生は気が付いていましたかね?