【講座】青銅器からみた島根の弥生時代
荒神谷遺跡から大量の銅剣・銅鐸などが発見されてから、まもなく40年…
あの青銅器の発見はどのようなインパクトを持つものだったのか
その後青銅器をめぐる研究はどのように進展していったのか
最新の研究成果を踏まえて議論します
講 師:吉田 広 氏(国立大学法人 愛媛大学ミュージアム 教授)
登壇者:平野芳英氏(元 荒神谷博物館副館長)
※2022年11月27日に島根県松江市で開催された、「島根の歴史文化講座+オンライン 第3講」の模様です。
※当日の配布資料はこちらからご覧いただけます。
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Пікірлер: 7
46:15 タケミナカタが長野へ逃げた神話が考古学で証明されましたね。 荒神谷しかり大社の巨大柱しかり纏向に宮の跡しかり、考古学が進めば進むほどドンドン神話=史実だった事が明らかに。 なのに何故かシュリーマンの時の様な騒ぎにならない不思議🤔
@roja1753
8 ай бұрын
学会では関西の一部、一般では阿波と飛騨地方に出雲勢力を抹殺したい連中がいますね。
@110nari8
5 ай бұрын
@@dagmptw67k さま 後年ですが、ミナカタは島根に里帰りしていて、神社もありますよ? あと、島根は古事記制作の舞台です。忌部子首は8年ほど国司として滞在し、古事記の冒頭部分に千家と共に深くかかわっています。 故に、王朝のあった松江の裏山側が忌部町になっています。
銅剣が出た場所は、繰り返し高温であぶられた形跡があり、銅剣以外にも環境に価値があると思われる遺跡。あの場所は、中世まで神門臣家と書かれた郷戸家の所有地で、×の付いてない物が神門臣家の所有の青銅器であったそうです。 地元では比較的古くから知られている事でしたが、不思議な事に研究者の方々はそれを知っても不自然に放置したままにしています。 高社山のあたりでしたら、おそらくは大彦の系統。布施氏の先祖が埋納した可能性が高いかと思われますね。大彦などの安倍系の一族は最後まで銅鐸祭祀を行った一族なのだそうです。 青銅器の鋳型には来待石が使われたらしく、ガス抜けがよく、再現実験はそこそこはかどったとされますが、ちょうどあの遺跡から松江にかけてが来待石の鉱脈になっていたはずです。
荒神谷の大発見の衝撃と戸惑いを松本清張が「粛として声なし」と表現しましたが、 それが青銅器研究を進めたことは間違いありません。新たな科学的分析手法が開発され 劇的な進展がなされることを夢見ています。
古墳時代以前に日本内に幾つかの大きな勢力があったと考えるのは自然なこと。