【検証第20弾】F1史上最強エンジンはたった1.5Lの4気筒だった!?【ベネトン B186】
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F1マシンが直列4気筒の1500ccエンジン!?
しかしそれはBMWが作り出した怪物だった・・・
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#ゲルハルトベルガー
あくまでもシミュレーター上の検証になります
シミュレーターのバージョンや操作する人によって結果が異なることがあります
Пікірлер: 319
その1500馬力の車を、パワステ、トラクションコントールなどの電子デバイスも無く、セミATも無く普通のMTで操るドライバー達もクレイジーだよな。
@user-vu1vj4cr7q
Жыл бұрын
だから、ミスによるクラッシュが多発してたんですよ。 人間がコントロール出来る限界と言われてました。
@tokoname19790803
Жыл бұрын
@@user-vu1vj4cr7q レースに勝つ為にひたすらマシン性能を優先して行った結果乗って操るF1パイロットへの負担や安全性が軽視されがちになりクラッシュが頻発する事態に陥ってましたからね。
@user-mr6ot5il3y
Жыл бұрын
@@user-vu1vj4cr7q らわ
この動画を見るとハミルトンがターボ全盛期のドライバーを心から尊敬すると言った意味がよく分かる
1cc1馬力というふざけた時代の産物
@user-iu5ut8fr7l
Жыл бұрын
1日一条のノリで草 WWW
@user-mu3dz3iv6q
Жыл бұрын
狂気のリッター1000馬力
@user-ok6de2zn7q
Жыл бұрын
そのエンジン今でも欲しいね。 そもそも、その技術、今は何処で使われているのかな。
@toriaezunoakanto
Жыл бұрын
原付きなんて5馬力とかだし、5㏄なっちまう
@headphone3165
Жыл бұрын
???「軽自動車って660馬力じゃないですか」
津川さんが書いた本読んだことありますけど予選で5.5barかけてエンジンブローしたらタービンが粉々に砕けて破片がエキゾーストから吹き飛んでいったって 凄いエピソードですね。
@rojKrnDRc9nwJmy
4 ай бұрын
自然排気量と比べてざっと6倍くらいですかね?8Lから9L?恐ろしいですね
この頃のベネトンには津川哲夫さんがいらして、ベストカー誌で連載されてましたね。毎回読んでたこともあり、ベネトン初優勝の時は嬉しかったです。
まさに、車をねじ伏せて走る、ベルガーの真骨頂のようなマシン!
ドッカンターボ+軽量な車体・・・ よく操縦出来たもんだ。
選ばれしF1ドライバーの時代。下から上がってきていきなり乗りこなせるほど簡単なマシンではなかった時代。本来はこれでこそF1のような気がする。
@user-ot5dl4bt8f
Жыл бұрын
「こんなマシン運転できるの!?」というマシンを乗りこなすF1ドライバーをまたみたいですね。
@Carrozzeria285
Жыл бұрын
ですねー
大好きなゲルハルト・ベルガーのマシン!!テオ・ファビとの凸凹コンビが印象的でした。まさかB186をメインに動画を作ってくれる人がいるとは、ありがとうございます。今のF1にもう一度BMWが戻ってきてほしいです...
ある装置を設置に行ってた時、 あのHONDAがエンジンテストしていて、磯崎さんにちょっと見てくれと言われた。 行くと白っぽいF1が唸って、明電舎の600HPシャーシダイナモに乗ってた。 針が600を超え振り切って当たってそれ以上測れなかった。 もっと上まで測れないかというので、これは無理だと言った記憶がある。 このエンジンは窓越しに見たので何気筒かはわからない、おそらくRA163Eだったらしい。 その栃木研究所のエントランスに飾ってあったのは1500ccの黒い変哲もないエンジンだったのを覚えている。 よたってると思うかもしれないが、ほんとうの話なんだぜ。
このイカれた時代のエンジン狂おしいほど好き
ベルガーが当時、このBMWのターボエンジンの印象を聞かれて「象に背中蹴飛ばされた感じ」って答えてたの思い出したよ、懐かしいね。
この頃のシンプルなデザインが好きだ
もうこんな面白い時代は来ないな。
@hirtac6819
Жыл бұрын
過給も燃料までもイカれてるが、小排気量ならではの軽量。 ターボによるイカれた加速力と音は最高♪
鋳鉄製のエンジンブロックは非常に頑丈で 当時はシリンダーヘッドが消耗品扱いで 予選後はヘッド交換を行っていたそうですね HONDAのRA166エンジンも 1,200馬力以上計る事が出来なかったので 本当の出力は不明だったそうですね 燃料もトルエン84%ノーマルヘプタン16%で 冷却水で燃料温度を80℃ 吸気温度は70℃の組み合わせにして燃費を改善したそう
制限無かったので予選時はウエストゲートバルブ無しで走って1500HPって言われてますね。 ゲルハルト・ベルガーがブーストがかかると象に蹴られる様だけど表現してました。
@1candk
Жыл бұрын
細かいようだけどウエストじゃなくウェイストな。 言い間違えた人が多くいつの間にか通称ウエストになったけど ウエストは西、ウェイストは廃棄物だからね。
@user-rd4cd3it7p
Жыл бұрын
公表されてるのだと予選時でBMW M12/13の出した1340馬力が最高だったはず。 ホンダが出したって話もあるけど、力つけたときにはすでに段階的規制してNA移行が決まったあとなんで、ベンチでの話だとおもう。 ホンダが本当に凄かったのは規制あわせたエンジンマネジメントで、MP4/4は決勝150Lの燃料規制なかでNAエンジンたいして150馬力ちかいパワーのアドバンテージをもってた。(事前予想では、燃料搭載量が厳しすぎてターボエンジンよりNAが有利だろうとみられていた。)
@130taisho
Жыл бұрын
鈴鹿サーキット・モーターファン感謝day2012にて HONDAモビリティが 『1000/liter』と 宣伝したのを 本田技研が否定しなかった だから たぶんホントに 予選エンジン 1500馬力出ていた😱☀️と
たった1500ccで4気筒。 気筒数と排気量がカローラアクシオと同程度しかないエンジンを、1500馬力を誇る凄まじい性能まで磨きあげてるって考えると開いた口が塞がらない。
@sinkumi815
Жыл бұрын
ターボだからだよ。
唯一、日本人初のメカニックとしてベネトンの活躍を後押しした津川哲夫さんを思い出してしまった。 ファッションメーカーとは言え見事なカラーリングで楽しませてもらったし、1989年の日本GPでは見事に優勝も飾りグランプリボーイズの名にふさわしく素敵な時代でしたねー!
@maruhiroya417
Жыл бұрын
日本人初はロータスやフィッティパルディに在籍と常にエマーソンと共にいた伊藤さん(下の名失念)では?
@yukiba2809
Жыл бұрын
@@maruhiroya417 失礼しました。伊藤義敦さんという方のようですね。
@aresama5942
11 ай бұрын
@@maruhiroya417 そのあとは、AS誌でコラム書いてたウィリアムズのメカニックの『中矢龍二』さんかな。
当時燃料を扱うピットクルーは解毒作用があるって信じられてた牛乳飲んでから作業してた・・・なんで噂話もありましたな。
「軽自動車って660馬力じゃないですか」 この一言がこの化け物を生み出した
ロリー・バーン!懐かしい!彼の車体デザインは独特でしたね! エアインテークがポッド上でなく両サイドにあったり、フロントウイングの造形も独特だったり。 当時、彼を「空力の奇才」と呼ぶ人もいて・・・てかそれ、おそらく津川さんではないかとw 当時ベネトンのメカニックでも結構上の人だったはずなので、直接バーンとも話したりして、肌でそれを感じてたのかもしれないですね。 翌年からは鈴鹿グランプリ開催、フジテレビF1全戦中継開始、中嶋悟ロータスからフル参戦と、日本中が一気にF1バブル熱狂の渦に突入・・・でも今思えばいい時代だったかも。 もう一人の「奇才」エイドリアン・ニューウェイは2年後の1988年(レイトンハウスマーチ!)に登場し、この2人を中心にエアロダイナミクスの開発競争も一気に激化していきましたね。
@user-vr2yr1qx5t
Жыл бұрын
ニューウェイを数年に渡ってやっつけたバーンは有能でしょう! 二人共製図板を使うのは共通点
この頃は特殊ガソリン全盛期でHONDAが完全な燃調制御を成しえる迄はポルシェの独断場でしたが そのポルシェでさえボッシュのインジェクションでも完全な制御は難しかったという。 当時のマシンデザイナーだったロリーバーンはグライダーなんかのデザインも手掛けていて 空力のコンセプトが独特で他のチームのデザイナーが空気を左右に割る(流す)に対して 空気を上下に割る(流す)でしたね。
B186好き過ぎて、当時のベルガー着用ヘルメットとスーツのレプリカを大枚はたいて作ったよwスーツに付けるワッペン集めるのに二年位掛かったよ。
そう言えばベースとなったBMWのM10エンジン、シングルカムエンジンとF3の組み合わせでもかなり優れたマシンに仕上がったのだとか。
予選は速くてもレース周回出来ずにリタイアしてたイメージが強いです。 テオ・ファビのファンで応援してたのになぁ。
この頃辺りのF1が、一番面白い… ドライバーもマシンもチームも、個性豊かな上に下位チームも、下剋上成すべく試行錯誤が、ちゃんと伺えるので👍
86年のエステルライヒリンクでの速さまさに、ロケットでした ボトミング時の火花の凄かったこと、凄かったこと BMWはその後、メガトロン直4タ-ボとして参戦してましたね リジェやアロウズに提供してましたね。
@user-kv7sw2nm6d
Жыл бұрын
メガトロンと言うと別のモノを思い出す私なんだけど、しかしエンジンブローした時は凄かったと聞きますね。壊れた部品がそのままマフラーから飛んできたと聞きますよ
@user-dt2oh9nz8l
Жыл бұрын
メガトロンエンジンは87年のBMWのF1エンジンの活動縮小のため(供給はワークス契約のブラバム用横倒しM12/13/1のみとなる)ハイニ・マーダーがメンテナンスしていたカスタマー仕様のBMWエンジンがメガトロンと改称した。そういう経緯です(ちなみにメガトロンとはスポンサーの名前でコンピューターレンタルの会社)
コメ欄40代後半以上だろうな。F1のみならず、活気のあるいい時代でしたよね!
この年のメキシコGPで、動画のベルガーが優勝しました。 超ハードタイヤで、タイヤ無交換作戦を決行しての事です。
BMW 4発ターボなら、ブラバムBT 52とピケのコンビがすぐに思い浮かびますが、ベネトンもカッコいいカラーリングで好きなマシンでした。
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
ブラバム…なんだかんだ6年ぐらいBMWと長年組んで参戦をしてましたね。 2000年代のV10時代のウィリアムズも5年ぐらいのコンビですが、活躍を見せましたがピケほどの功績まではいきませんでしたね。
メガトロンエンジン素晴らしい。当時はF1だけではなく、グループCやグループBとかの他のカテゴリーでも過激なパワーが話題になりましたね
ベルガーが地元オーストリアでポールポジションを取ったのを現地で観ていました。懐かしいです。前座のF2でF1参戦が決まった中嶋悟が走ってましたね。圧倒的なパワーとスピード、そして飛び散る火花。今のF1では味わえない大迫力でした。
@5red90
Жыл бұрын
別名F1花火大会サーキットと言われていたオステルライヒリンク、現レッドブルリンク。 87年もテレビで見るだけでもスパークシャワーが凄かったが、このターボ無過給スーパーハイパワーF1時代に、大迫力な超高速バトルが堪能できるオーストリアGPを現地で見られたというのは凄く羨ましいです。 マンセルは、オステルライヒリンクと旧シルバーストンがダイナミックなサーキットでお気に入りと言ってますね。
@yoshinari1974
Жыл бұрын
当時AS紙か、ダイジェスト放送しかなかったと思いますが、ベルガーの勝利を生で見れたとは羨ましい限りです。しかもF-3000の中嶋さんも見れたとは。
この頃のF1エンジンはとにかく大量に燃料を吹いてブーストも高くしてパワーを出していたけど、現行のF1エンジンは燃料リストリクターがついていて過去の様に無闇にパワーが出せないのに、800馬力程も出ているのは本当に技術の進歩はすごい
@rstetsuro
Жыл бұрын
しかもたかが150Lの燃料で無給油で走り切るなんて当時では考えられないような熱効率と燃費ですね
@kimiaki1965
Жыл бұрын
@@rstetsuro 現在のレギュレーションではレースで消費できる燃料は105㎏なので、だいたい140Ⅼくらいですね。
@rstetsuro
Жыл бұрын
@@kimiaki1965 そうですね。まぁ大体ということで笑
@maiya7112
Жыл бұрын
嘘か本当か、ルマンで走るトヨタのGR010にいたっては、火力発電所並みの熱効率だとか。
@user-sq4lu1iu9t
Жыл бұрын
予選時の過給圧を無限大にセットて言ってた事もあった怖い時代😅
1987年鈴鹿F1元年に木曜のフリー走行から観戦し生で観たベネトンのマシンは色鮮やかで本当キレイだった。シーズンでも予選では常に上位に着けていたベネトンも決勝になるとリタイアが多くポイントを稼げなかった印象… 以前ベネトンのメカニックだった津川哲夫さんの執筆本だったと思うが(間違えてたらスミマセン)「ベネトンを速くしたのはT.ファビだよ」って書いてましたね。とても優秀なドライバーでしたので地味ながらわたしは好きなドライバーでした。
@5red90
Жыл бұрын
前のメキシコGPではブーツェンがトップを走行して、2勝目は鈴鹿で達成できるかもという気運は当時あったでしょう。 実際は、同じくメキシコでトップに立ったフェラーリのベルガー圧勝でしたが…
ウチが初めて鈴鹿いって、、、BENETTONフォードの音圧に感動した記憶が蘇りました。 良い動画、アップしていただいてありがと アップされた動画を随時みさせていただいています そろそろ、ティレル6輪の解説をみたいなぁwww
0:30 からのフリー走行のシーンが好きです 1986年当時のマクラーレンとかフェラーリの走行シーンが見れて良かったです この中にブラバムも見たかったな
初めて、観たレースが、鈴鹿のF-1。中嶋さんロータスの最高の時代。非現実な音と匂いと雰囲気に以降、すっかり填まって、現在も。 V-8 V-10 V-12も生で聞いた、素晴らしき、あの時代!
6:40 おぉ〜、懐かしい!80年代バブルの頃、BMW 318i のマニュアル車に乗ってたゾウ🦣
この鮮やかなグリーンに、白地にカラフルなハケ塗りのカラーリング。 だけど原色の暴力にはならずに、オシャレでカッコイイ✨✨✨ 歴代のF1マシンでダントツに好きなマシンカラーリング😘
素晴らしい動画をありがとうございます!
大変面白く、また興味深かったです! 日本のフジテレビで本格的にF1中継が全戦始まったのが1987年からだったので、我々大半の日本のF1レースファンにとっては、その前年の1986年シーズンのレースと言うのは雑誌の記事から知る情報が主で、実際のレースの展開は殆ど観る事さえ出来ない、言わば未だ遠い海の向こうの出来事でしかなかったわけですよ。 86年も熾烈なチャンピオン争いを演じていたマクラーレン・ポルシェと、ウィリアムズ・ホンダこそが最強マシンだとばかり信じていましたから、まさかその裏でこんな凄まじいマシンが暴れまくっていたとは・・。
ベネトンが出たのは、びっくり‼最初のF1シーズンは、いろんなことがあったですね。
この頃の速さが正義のレース面白かったな車もだけどドライバーも個性的でロマンに溢れてた
@gyooooza
Жыл бұрын
ティエリーブーツェンとかマウリシオグージェルミンとか なんでフルネームで憶えなきゃいけない義務があったんだろう?
@user-tc6zu7oc8w
Жыл бұрын
アレッサンドロナニーニ
@user-yn2zz1hy7c
Жыл бұрын
アンドレア・デ・チェザリス、 リカルド・パトレーゼ、
懐かしいな ベルガーはずば抜けて背が高かったからマクラーレンでも苦労してたよね。
@5red90
Жыл бұрын
185センチですな。 江口洋介と同じ。
テオ・ファビ懐かしい! あとBMW直4ターボはパワーも異常だがトラブル率も異常
@user-je6nt4nn3d
Жыл бұрын
りゃ
5~6年前のJAF会報誌の通販コーナーで 「ベネトン・フォーミュラ1」ブランドの安全靴が売ってて、まじびっくりした
ラリー界でもグループB、クローズド・サーキットでもプロトタイプのグループC… この時代の安全性を担保しないマシンはドライバーもエンジニアも、まさに狂気の時代でしたね。
@user-sq4lu1iu9t
Жыл бұрын
ルマンでもユノディエールを、テレビ中継のジェットヘリでも追いつかないスピードで走ってましたからね😅
タイヤがむき出しの車で最高速は尋常じゃないよね~。ナイジェルマンセルが80年代のマシンは絶えず車が殺しにくると表現してたからコントロールが難しかったんだろうね~。
@5red90
Жыл бұрын
ウィリアムズ・ホンダFW11、11Bですな。 だが歴代F1マシンで一番好きだとも。 6速でもホイールスピンするとコメントしてたな。
ベルガーはこの頃、レース毎にクルマの出力が100馬力づつ向上してたので、出走が凄く楽しかったそう(引き換えに燃費や信頼性がアレなワケだが)www
B186のBMWエンジンはスイスのハイニ・マーダー社がメンテナンスやチューニングしてて 本家BMWワークスはブラバムBT55に搭載された傾斜エンジンに付きっきりで従来型のエンジンまで面倒見きれなかったようです 結局翌年にはこの従来型エンジンはアロウズとUSF&Gに権利を買い取られメガトロンと名称を変えることになるわけですけど
単気筒の軽自動車みたいなエンジンだったと記憶している🤔 典型的などっかんターボで、アクセルを踏むのに覚悟がいる…というコメだったね😅
ベルガーは351km/hは速いと感じるのは最初だけだったらしい。 ベルガーはファビを影者扱いして居た。 ベルガー曰く165cmのドライバーしか欲しがらないコンストラクターが居る、ベルガー初勝利の86年メキシコGPはインフルエンザだったそうで。
まあ市販車のエンジンブロックが簡単に壊れたら困るから、ある意味すごい頑丈に作られているはずだもんな。トップカテゴリでもグループCのベンツや13J、3S-GTEと市販エンジンがベースになっている事例は多い。 STIの辰己監督曰わく、「お客様の一台一台が何万キロも走って耐久性を証明した部品だから絶対壊れない」とのこと。
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
プロトタイプカークラスにもマーチの車体にBMWの市販改造のような直4エンジンを搭載したやつがありましたね。
@mazdaRX7typeR
Жыл бұрын
ホンダマリーンにもレジェンドのV6ブロックを流用してたのがあったらしく 船のエンジンは自動車以上に過酷な使い方するので市販車のブロックは相当 強かったんでしょうね。普通に全開で回したりするんで。
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
@@mazdaRX7typeR そして船は全開の時間も長いはずです。 いかにも過酷である👍
@LASREPLASMA
Жыл бұрын
@@user-td2nr4ni3 マリーンでもCBR1100XXのエンジンをストローク伸ばしてターボ化した
@user-td2nr4ni3
Жыл бұрын
@@LASREPLASMA 地味にすごくない〜? そのエンジン~👍
翌年(87年)RAMチームのオーナーだったジョン・マクドナルドがミドルブリッジレーシングというチームを結成してベネトンB186の払い下げを受け、ドライバーはエマニエル・ピッロ、スポンサーはトラサルディ、エンジンはBMWかメガトロンのどちらかのネームという体制でエントリーする話がありましたが、他チーム(特にノンターボのDFZ使用チームから)の反対で無くなったそうです。
BMWもHARTもF2で使ってたエンジンをベースに開発したようなエンジンでしたが、元を辿ると公道用市販エンジンのブロック採用……でこれだけのパフォーマンスとは💦 近代の日本のSFやGTでも直4は怪物級と言われているのにこの時代からすでに💦 ホッケンハイム~2001年頃はまだフルコースのレースがまだあったかも。
燃焼室にどれだけの空気と燃料を圧縮出来るかだね。コンプレッサーで強制的に加給しピストン軽量化して短ストロークで回転数を稼ぐ。足回りが良ければ更にタイム出てたよね。
エンジンのパワーもさることながら、実は当時としては珍しいメス型モノコックを使っているんですよね。ロリー・バーンの美学かも知れませんがトールマン時代からメス型モノコックを採用していたのは相当珍しいと思います(当時はオス型モノコックが主流だった)
コーナーの途中でアクセル全開にすると出口でようやく加速するようなタイムラグ。
まさかベネトンB186のCGと解説をアップしてくれるとは、ありがたい!! 是非ともタイレルP34を2年とも見せて下さい!
この頃のF1のエンジンは物量脳筋ローテク。 エンジニアはオクタン価の高い燃料使って圧縮した混合気ガンガンぶち込んでの、 ハイパワーに耐えられるエンジンを作るだけ。 素材や各精度を詰める単純作業で何とかなる。 運用=乗りこなすのはドライバーに丸投げ。 今は乗り易さや燃費、熱交換率、環境性能などをクリアしないといけないからエンジニアとしてはチャレンジングではある。 多角的な知識や経験が無いと速さに繋がらないから大変だろうけど。
今年のモナコGPかで津川さんがベネトンのメカニック時代の話してたんだけど、走り終わって真っ赤っ赤になってるタービン今すぐ替えてくれって言われて替えさせられたみたいなこと言ってた ドライバーも壮絶だけどメカニックも中々大変だった時代
エンジンの進化もすごいけどサスペンションもすごいですよね。 この当時の車載カメラとかずっとブレブレでドライバーはシフトチェンジしながら 走ってましたが、最近はカメラも良くなったのかもだけど、ゲームの画面みたい。
0:21 マシンが速過ぎて音が遅れてくる表現好きww
プリンスのG系エンジンが懐かしい記憶〜1484㏄直列4気筒スカイライン
夢のような時代😁 1500馬力を電子デバイス無しで操るドライバーは下位カテゴリーで実績を積み上げた者たちだった。 今の少年ドライバーたちでは適応するのは難しいだろうな。
トルエン80%ってそれガソリンちゃう、トルエンそのものだよ。
一瞬、ヴィッツターボが映ってたなw(元愛車。3年で廃車したw)
ベルガー、ファビという高速コース特化コンビ好き
エンディングのTHAT'S WHAT IT TAKESがカッコよかった
F1は70.80.90の3つの年代が好きですね。 特に80年代は車・ドライバー共に バケモン揃いですからねぇ。 見た目もすごくカッコいいし、 やっぱF1はこうあるべきだねぇ。
ベネトンB186・BMWは ゲルハルト・ベルガーとテオ・ファビが ドライブしたマシン 翌年のベネトンは、フォードワークスを 搭載したB187で出走
字幕を読もうと一瞬目を離した隙に一気に80キロくらいスピード上がってて草生えた
500kg代の車重に1500馬力か…。一般的なコンパクトカーの約半分の車重に、約20倍の馬力…。やんべ
技術は進歩していますからね。昔の1.5ターボ時代は良かったけど今の技術で当時のレギュレーションのマシンを見たい。
この凸凹コンビのため(Tカーは二人で1台)に、津川哲夫さんは苦労してカセット式ペダルセットを生み出すことになる
まさか直4でそこまで馬力を絞り出していたエンジンが有ったとは! V6より燃費が悪いとの事ですが、燃料で冷却するためにとんでもなく濃い空燃比にしていたんですかね?
ベネトンB186と言えば直線番長、予選番長、って言うイメージ強かったですね。 エンジンの命を削ってパワーを得ているBMWエンジン、耐久性と燃費がネックとなり、 ターボエンジン最終盤は牙を抜かれた感じでしたね。
ティエリー・ブーツェンの名も出て、嬉しいです。
@user-oj8dr9yp1l
Жыл бұрын
NAでターボを追い回して いぶし銀で好きでした
最強出力のBMWエンジンにロードラッグ設計のB186。 超高速サーキットのエステルライヒリンク、モンツァで速かったのも納得です。 メキシコではタイヤの違いに加えて、空気が薄い高所にあるサーキットでロードラッグ設計がプラスに働いたのも大きかった思います。 ベルガー離脱の件はBMWとセットですので致し方無いかと…。
市販車でリッター100馬力で大騒ぎしてた頃に F1ターボエンジンはリッター1000馬力だった
ザクスピードも4気筒ターボ。
モナコ仕様みたいなハイダウンフォースのウイングで350kmってのが凄い
毎回素晴らしい動画をありがとう 衛星放送もインターネッツも無かったこの時代、小遣いを遣り繰りして雑誌を買い漁ってたことを思い出した フォーミュラーにしろ、Cカーにしろ、一番モータースポーツが輝いていた時代。。。 次の動画も楽しみに待っています
@mansai7969
Жыл бұрын
私は、ベストカー誌の津川さんのコラムが好きでした。
@user-dt2oh9nz8l
Жыл бұрын
4輪のモータースポーツ雑誌というとAutosportとRon(レーシングオン)を思い出しました。
@maruhiroya417
Жыл бұрын
@@user-dt2oh9nz8l 乗り遅れたauto technic(オーテク)は静かに廃刊
あの時は燃料も特殊で、排ガスがヤバいって話だったような。無茶してましたね。
@tmotchy93
Жыл бұрын
基本、トルエンですものね。
4気筒で1000馬力以上ってやばい時代だ💦
このエンジンの物理法則だと50ccで50馬力出るのか………おったまげ。
18:37逆に言えばここには無いFerrariのマシンを置き去りにしていたって事だよな...
14:37プチ・プロストと呼ばれたピエルルイジ・マルティニなんかは、身長は実際には158センチほどしかなかった。
やはりエンジン重量って重要なんですね。
投影がマシカクな後輪が作る空気抵抗を、文字通り力技で押し切る。それでこそF1エンジンです。
直4は軽さ小ささ製造コストでは理想的なエンジンだよね、大好き。 でもやっぱりF1に向いてるとは思えない
1986年メキシコGPは記念すべきベネトンとゲルハルト・ベルガーに初勝利をもたらした。
究極のドッカンターボ。
エコですねぇ⤴ー
因みに普通のガソリンでは無くてトルエン+添加剤で(猛毒だが高エネルギー)の燃料で走ってました トルエンと添加剤が燃えると凄い匂いで・・ピットレーンは特に物凄く臭かった模様w フルブーストの5.5Bar時は圧縮4~2.5 極低圧縮なので、低速トルクは全然ありません(笑
@user-mf3zg4dv3p
Жыл бұрын
トルエン、キシレン、他有機溶剤てんこ盛りでしたね 自分もいじったエンジンで試したことありますが始動性わるかったですけどめっちゃパワー出てました😱
@TheKaerupyokopyoko
Жыл бұрын
@@user-mf3zg4dv3p ホンダもターボF1時代はトルエン燃焼を使っていましたが、着火性が悪いので燃料ヒーターで暖めていたそうです
@RotarySnow
Жыл бұрын
トルエンは高エネルギーなのではなく、異常燃焼を起こしにくいんだと思います。 要はハイオクの上位互換です。 異常燃焼の大きな原因になるのは、燃料分子と酸素分子が結びついて後は反応を待つだけという ラジカルと呼ばれる状態の燃料が、筒内圧力が上がり切る前に大量に発生してしまうことですが、 トルエンを構成するベンゼン環にはラジカルを分解する作用があるので 異常燃焼を起こし辛く、過給圧を上げやすかったんだと考えています。
@user-dn6ub6ie4c
Жыл бұрын
猛毒だからガスマスクしてたみたいですね。
@tyouicbm
Жыл бұрын
パフォーマンスナンバーどのくらいになるんだろう? 無鉛なだけでやってることが航空機用高オクタン燃料と同じだもんね… ブースト上げるにはこんくらいやらんと無理なんだろうけど。
BMWの直4ターボ1.5Lエンジンは確かに最高出力は強大でしたが、信頼性が低くて決勝ではあまりいいとこ無いんですよね。このエンジンでチャンピオンを獲得したのは1983年ブラバムのネルソン・ピケだけですが、それもかなりギリギリの争いでした。翌1984年、ピケは16戦中9戦でPPを獲得しましたが優勝は2回だけでした。リタイアがかなりありました。翌1985年はさらに戦闘力が低下して、ピケは自分の家族のようなブラバムチームに見切りをつけてしまいました。
直4やV6とかいろんな形式のエンジンが戦ってた時代ですね
多くのチームにエンジン供給するには市販ブロック使用も仕方無し。勿論浸炭処理やベアリング保持部分の肉盛りなんかはシッカリ。シングルターボとは言え改良型はツインスクロールタイプ。しかし所詮シングルターボだから「ドッカンっ!」ホンダやルノーは特殊鋳鉄を使用したりプシュテマティックなんかの特殊機構を使ってでの性能だったが、BMWはエンジンの基本をしっかり造こんでの性能だったのは凄いことです!敢えて搭載バランスの悪い直4を使用したのも経験と実績の成せる技かな?まあ信頼性とかはBMWらしかぬ事もあったが・・・。しかし1986年って年は謂わゆる「モータースポーツの異常時」だったと思います。たかが1.5ℓターボが15,000PS、WRCでは600PS、0〜200km/hをたった1.9secで加速する(F1より速い!)化け物が公道を爆走していた。GP500では2スト500ccのマシーンがℓ当たり300psを超えていた。人間が操るには過酷な状況だっただろう。けど、今の各レースよりは本当に命を懸けたギリギリの勝負に心躍った(チョット不謹慎でした)。
ブースト5.5kってやばすぎる…
ベルガーはニーパッドとエルボーパッドの他にサッカー選手が使うレガースも使用してたよね。