凋落止まらずチーム史上最低成績..ベネトンに起こっていた異変【F1歴史解説】【ベネトン B198/B199】
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今回は90年代後半のベネトンの歴史、エピソードについて解説していきます。
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結局はシューマッハの求心力だけが頼みのチームだったのかなぁ…
辛い時期でもルノーひと筋で裏切らなかったから、その後のワークス化で報われた。そう考えれば意味のある苦労だったのかな。ワースさんやリチャーズさんは貧乏くじだが...
転んでもただは起きぬブリアトーレ、なんだかんだで策士ですね。
なんだかんだでミハエルがチャンピオンに就いたベネトンルノー以降、ルノー専属チームのようになったベネトン。 期せずしてマイルドセブン・ブルーがフレンチブルーに見えてくるというオマケ付きで🤔
この時のドライバーであるフィジケラとヴルツって、けっこう仲良しだったみたいですね。微笑ましい反面、チームメイト同士の競争+切磋琢磨という面で物足りなさもあったそうなので、仲の良さも良し悪しですね。
ベネトンは独特の原色チックな派手めなカラーリングで印象に強く残っています ハイノーズも画期的で非常に思い出深いチームです、まあまぁ強くてゲームでも重宝した記憶がある。
やっぱナニーニだよ
ニックワースって元シムテックの代表やってた人か!! 94年シーズンは色々と辛かったろうに...。 当時確か30歳にも満たない年齢で代表やってたんだっけ?? でも一線身を引いてからの復帰やから彼もモータースポーツ好きなんやろな。
プレイライフやスーパーテックという名前は、メカクロームから来ていたんですね。無限ホンダだったら、ワンチャン成績は上がったかも?でもミハエルが移籍してからは、体制は不安定でフィジケラの孤軍奮闘みたいな感じだったのですな。ブルツも頑張ったけど、この混乱ぶりでは可哀想とも思えます。私的には、ナンニーニやピケがいた頃が懐かしいです。
2000年には光貞さんがテストドライバーに起用されたが、スポンサー絡みの問題でドライブする機会がほとんど(全く)無かったような。 結局ベネトンはロリー・バーンで保っていたと言っても過言ではなかった。
90年頃からのベネトンを見ているとフラビオ・ブリアトーレって人は辣腕を振るう仕事人だったんだなぁ、って思いましたね。 あと無限ホンダを積んだベネトンがどんな走りを見せたのか、みてみたかったなぁ・・・
フィジコのキャリア最盛期をもってしても、ここまでしか上げれなかったと、言うべきか… ブルツは思ったより、パフォーマンス不足でしたが…開発の腕は後に証明されているので、ベネトンの開発がかなりダメだったのだろう…まぁ…あんなドタバタと予算の使い方してるとねぇ…JTは辛抱強くサポートしてたな…
ブリアトーレって良し悪し問わず必ず話題を提供してましたね。F1以外でも何をやっても成功する優秀な「ビジネスマン」なんでしょうね。
オープニングのB199をみて、こんなのっぺりした特徴のないような形だったんだって 思っちゃいました。白いホイルの時代は、色にもこだわるベネトンらしさというか 王者の風格のようなものも感じました。強者の時代を続けるのは難しい。
この後に、フェルナンド・アロンソが加入して、ルノーとしてチャンピオンを獲得するのですよね。
チーム名がルノーになっても、無意識にベネトンイメージで見ていた。
懐かしいですね~
プロストもベネトンもウィリアムズも 共倒れ
まさかの中野信治さん登場 無限➕ベネトンで見てみたかった
見た目めちゃくちゃかっこいいのに……
98年 幻の無限エンジン搭載 そしてルノーカスタマーなメカクロームの 採用… だが これがジョーダンが 無限エンジンでの栄光が見れたわけでもある。 ブリアトーレ氏の スーパーテック… ウィリアムズのイメージがあって信頼性の方はよりあまり期待できなそう😅 99年のB199かっこいいマシンですが 手応えなしか💦
マイルドセブンカラーも懐かしい。 →今は「メビウス」
去年津川さんのチャンネルのライブ配信で「RA099の参戦が中止になってこの車がベネトンのベースになった」って発言がありましたが詳細はどうなんでしょうね?タイミング的にB200かな?とは思いますが。
シューでタイトル獲った時の布陣は結局ブリアトーレが嫌いだったんだと思う。アロンソでタイトル獲った時のルノーは会社組織の中で運営されてて、ブリアトーレの存在もベネトン時とは違ってたので影響はなかったのかと。
晩年のベネトンはブリアトーレのイメージもあってかあまり良い印象を持ってなかったんですが無限ホンダとのタッグは見てみたかったですね。もしかしたらそっちの方が成績良かったかも🙄 あと、ベネトンのマシンはいつの時代もカラーリングがカッコいいですね! 遠くからでもすぐにベネトンだってわかるぐらいの色の使い分けも素晴らしいと思います😁
マイルドセブンカラー好きだった! ただプレイライフ酷かったな! 特に最終年はミナルディやプロストと下位グリッド争ってたな!
盛者必衰の理を地で行ったベネトン
ベルガーアレジが移籍してきて シューマッハのセッティングで走りたいと頼みテストするもあまりのオーバーステアで2人ともまともに走れ無かったそうです。
光貞さんはレーシングスーツもらい開幕前写真撮っただけでしたね。
B198・B199のコミカルな形状に見えるバージボードは空力的に有効だったのか?w
@scuderia4187
4 ай бұрын
あれサイドインパクトの構造物
この時期のベネトン、ほんまに印象薄い、、、ちゃんとしっかりF1見て追っかけてたのに、ほとんど印象がない、、、
「ベネトン・ホンダ」見てみたかったな(笑) それにしても中野は何でそんなにF1界では嫌われるのか・・・
@kazutoharada727
4 ай бұрын
こんな事を゙言うと怒られるかもですが、やっぱりF1界では中野は遅いドライバー(と見られてた)だからじゃ無いですか?
@kazuo6979
4 ай бұрын
プロスト時代は実際は冷遇されててまともなセッティングをさせてもらえなかったから遅かった面もあるけど、端から見たら「パニスが表彰台に何度も立つほどのマシンでまともに入賞出来ないドライバー」としか認識されなかったのでしょうね。
シャーシは改良してもルノーだからといって1年落ちエンジンだとフェラーリとマクラーレンには歯が立たない。無限を選べばまだ上位で入れた可能性はあったはず。そして中野さんも表彰台に上がれたかも?
日産のエンジニアがとても優れたローンチコントロールシステムを開発して引き抜かれたと思うけどどうなったんでしょうね。
初期の直線番長のイメージ
94年からブリアトーレはマイルドセブンのパッケージの中にマルボロ詰めて吸っていたらしいですよ。あんなの不味くて吸えんと言って居たそうな
そしてまたドタバタするルノー
Kの法則はF1でも裏切らんなw 右京も酷い目にあったし
アロンソがチャンピオンを獲っているでは無いか!
シモンズだけが残った
@user-ez1gr1wl5f
4 ай бұрын
そのシモンズもクラッシュゲートで…。
@LASREPLASMA
4 ай бұрын
@@user-ez1gr1wl5f 今ではF1本体で規則関連の仕事に従事してたとか
@user-lp6ln3rl8y
4 ай бұрын
フィジケラの初優勝レースはグレートレースでしたね。
ホンマ、ブリアトーレさあ
あの無限ホンダと交渉を進めていて使用料も半額以下だったのに何故中野信治をレギュラーとして乗せるのがネックだったのでしょうかね、そうしていたらイタリアホンダと組んだり童夢からF1プロジェクトメンバーを引き抜いたりしてシャーシ等にもメス入れを施す事が出来たし、日本スポンサーも多く付いて更には中野のチームメイトとしてティレルから高木虎之介を迎えて日本人コンビによる幻となった童夢F1のDNAが色濃く受け継いだベネトン無限ホンダとして参戦しWタイトルも夢ではなかったでしょうにね。><