世界一悲しい王座獲得 2人のドライバーがキャリアを絶たれた1982年のフェラーリ【F1解説】【フェラーリ 126C2】
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今回はジル・ヴィルヌーヴ、ディディエ・ピローニらがドライブした1982年のフェラーリについて解説します。
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Пікірлер: 61
タンベイはフェラーリ在籍時のみ優勝は2回してた。 速さは無かったけど、着実に入賞するのでコンストラクターズ二度制覇に貢献した。 パーキンソン病を患い、2022年12月4日73歳で亡くなった。合掌。
@user-jb2gf4ux1i
5 ай бұрын
1983年のイモラでタンベイが優勝した時は、サーキット中が地響きが起こる程の、ティフォッシ歓喜の大喝采でしたね。
ピローニはヴィルヌーヴの遺族から葬儀の出席を拒否されてましたね
この動画では割愛されてしまいましたが、最終戦ラスベガスで代役タンベイも背骨を傷めて欠場する憂き目に遭っているはず。 グラウンドエフェクトカー特有の固い足回りが影響したようです。 翌83年もコンストラクタータイトルは防衛したものの、アルヌーとタンベイのフランス人コンビで揉め事を起こしてます。 この2年は優れたマシンを手にしながら、人事でドライバーズタイトルを逃すという非常に勿体ない時期で当時のディレクターのマルコ・ピッチニーニの手腕が疑われるところです。 例の確執の件ですが、オールドマン(エンツォ)の寵愛を受けたジルに対して、ピッチニーニら現場の首脳陣と関係はピローニの方が良好だったそうです。 クラッシュやスピンの多いジルの放出を検討し、マールボロ繋がりで復帰直後のラウダ獲得に動いていたとか。 ジルの方もマクラーレンやウィリアムズと契約の話を進めていたという話もあり、ジルとチームとの関係も冷ややかなもの、孤立化しつつあった様です。 そんなチーム内部の雰囲気が、2ndドライバーであったとされるピローニをチームオーダー無視へ向かわせたのかもしれません。 ピローニ自身への怒りもさることながら、彼の背後にいる首脳陣への怒り(レース終了後にチームオーダーの存在を否定しお咎めなしという判断を下した)も含まれており、その冷静さの欠如がゾルダーの事故に向かわせたと考えております。 仮にジルがゾルダーで落命しなかったとしても、同年のルノーや前年の81年ウィリアムズのようにチームが内部分裂し、ポイントを奪い合うような形になるのでドライバーズタイトル獲得は難しかったでしょう。
ピローニはラルースと88年に向け本格的にF1復帰の交渉をしていましたが その矢先のパワーボート事故は不幸としか言いようがないですね また彼の死後に生まれた双子の子供にはジルとディディエの名が付けられました
@MrNori4649
Жыл бұрын
因果応報と言ってしまえばそれまでですが、82年イモラでのジルとピロー二の確執から 82年ベルギーGPでジルが悲運の事故死してしまい、ピローニ自身も82年ドイツGPにて 視界の悪い豪雨の中、プロストのルノーのマシンに追突し、両足複雑骨折の重傷で、F1ドライバー としての生命を絶たれ、その数年後にパワーボートレースで事故死してしまうとは・・・(>__
@user-eg1yw2ke7x
Жыл бұрын
ピローニの息子とジャックがオンラインで対談する時代が来るとは思わなかったな…
すごく切ない話ですね…ジャックがチャンピオンになれたのは、天国からジルが力を貸してくれたのかも知れませんね😢謹んでご冥福をお祈りします🙏レギュラードライバーでないタンベイとアンドレッティがチャンピオン奪還に貢献したのもすごいです✨
ジャックのお父さん。 熱い走りは今でも伝説。 ジルの走りは憧れです。 まだまだレースを見たかった。🥺😞
ヴィルヌーヴの事故を最初見た時は目を疑った。そして悲しい…
フランス系のヴィルヌーブとフランス人のピローニ、プロストは、シーズンオフに3人でつるんでよく遊ぶくらい親しかったみたいですね。 とくにヴィルヌーブとピローニは仲が良く、古い車でブドウ畑に突っ込んでクラッシュさせる危険な遊びをよくやって盛り上がってたそうです。 2人の事故後プロストは「サーキットで死にたくない」という考えに至り、危険な走行を極端に嫌うようになったと語っています。
@user-my6lu2rk7q
10 ай бұрын
だいたいピローニが足がぐちゃぐちゃになった雨の追突事故だけど、あれはプロストに突っ込んだんじゃなかったっけ?この年はモナコでトップ独走中に濡れ始めた路面でスピンクラッシュもありましたが、プロストの雨嫌いはピローニとの事故が契機だったと思います。
タイトルに貢献したタンベイもジルとピローニのいる天国に行ってしまった。
@yuudai831
3 ай бұрын
一方のマリオ・アンドレッティはF1チーム参戦に燃えてるのと82歳でF1マシン走らせたり情熱が尽きない
1982年以降、一時的(5年程度)にF1への関心を失ったのは、自分の進学・転居とともに、1.チャップマンの死去 2.グラウンドエフェクトカーの禁止 3.ビルヌーヴの死去 が理由でした。ピローニの事故等にはなにか感じるものがありました。個人的には、126Cより126CKの方がFerrariらしくて好きでしたね。
@user-zh4hu4bz3s
Жыл бұрын
私も、1983年以降のF-1に感心できず、以後10年近く見ていませんでした。コーリンの突然の逝去です。88、88Bが、認めてもらえたら?その後のF-1は?違った進化を遂げていたでしょう⁉️
2人のドライバーを失いながらもコンストラクタータイトル獲得、ある意味奇跡に近いリザルトでしたね。 このようなケースが今後起こるようなことは無いでしょうね。 (というより、ドライバーを事故などで失うような事が起きて欲しくない、ですね)
ジルはイモラでのピローニがチームオーダーを無視して優勝を奪った件について「正直者は馬鹿を見る」と親しいジャーナリストに揶揄していた記憶があります。解釈の違いがあったとはいえ信頼していた同僚ピローニのまさかの裏切り行為にショックを隠せなかったのだと思います。 あくまで個人的見解ですが、ホッケンハイムでのピローニの事故はジルとジル·ヴィルヌーヴサーキットと改名されたカナダGPでスタート直後にピローニがエンストして動けなくなりそこへオゼッラのパレッティが追突して事故死してしまったパレッティの怨念のようにも思えました。
82年のフェラーリならカナダGPでのピローニがスタート時にエンジンストールした事で起きた多重クラッシュでオゼッラの新人リカルド⋅パレッティが死亡した事も触れて欲しかった、フェラーリにしてみりゃ自分たちのマシンが原因で死亡事故が起きたから後味の悪いレースだったと思うよ。
ジルはフェラーリ入り間もないピローニが不調に苦しむのを心配して「慣れるには時間がかかる。様子をみてやってほしい」と擁護。マスコミに向けてそのような発言をするドライバーは当時珍しかったため、事件後にピローニを批判するマスコミ関係者が多かった。 プロストを含めた3人は親友のような関係。事件の後にジルは毎日のようにプロストに電話。「あいつの裏切りが許せない」と不満をぶつける。 だが、ピローニ本人は曖昧なオーダーに従ったため、裏切りの意図はなかった模様。 その曖昧なオーダーを意図的に仕掛けたのはマルコ・ピッチニーニと言われている。あまりに大きな存在となりつつあるジルを警戒しての行動だったのか?
この頃のF1のカーナンバーは今のような個々のドライバーによる任意選択制ではなく チャンピオンチームが翌シーズンの1-2を纏い、逆に王座を奪われたチームは 新チャンプとの入れ替わりに空いたナンバーをつけるという規定でした。 フェラーリの当時のカーナンバー27-28もまだ新興勢力だったウィリアムズに 1980に王座を奪われた結果割り当てられたナンバーで、F1最古参のフェラーリが 1桁ナンバーではないこんな二桁の重い番号になったことに何か違和感がありました。 今となってみるとジル・ヴィルヌーヴといえば27が代名詞でこれ以外はあり得ないほど 彼のイメージが強いナンバーだは思いますが、ただそれでもこの1982は 彼がチャンプを獲れる可能性が高いシーズンで、たらればになるけど順当ならば ゼッケン1のジルが1983には見られたかもなあなんてことを考えてしまいました。
ホントにシビア過ぎた一年でしたね。
ヴィルヌーヴが亡くなった時のオールドマンはかなり悲しんでいたのは容易に想像出来る。
このシーズンはレース毎に優勝者の顔ぶれが違い、誰が個人チャンピオンを獲得出来るか分からないという、ある意味面白い展開ではあったと思う。(最終的にニコの父親が獲得したが) しかし、まだまだマシンの安全性のレベルは低かったわけで、ヴィルヌーブ、ピロー二の他に、新人のリカルド・パレッティも命を落としている。 もしフェラーリの2人が何事もなくシーズンを戦い抜けたなら、間違いなくどちらかがチャンピオンを獲得してたでしょう。
流れ星の伝説を読みました🤗1979年のディジョンでのアルヌーとのバトルが凄かったですね🤗
亡くなる ドライバーが多く出 始めたのが82年 悲劇ばかりの時だったね アンジェリスまで フランス人ドライバーが特に多く逝ってしまった 推しのJラフィーの事故時も「ああっまたか」って あの時はほんま ラフィーまでって まあっ助かって良かったNo1がラフィーだったな あの時はほんま安堵したよ
今回のストーリーと重なるかもしれませんが、82年の混戦すぎるチャンピオン争いも動画にしてもらえたら、と思うところです。2020年のMotoGPでたった1勝のジョアン・ミルがチャンピオンを獲った時、同じく1勝でチャンピオンになったケケ・ロズベルグと重なるものがありました。
82年はマクラーレンがF1初のカーポンモノコック採用。もしもフェラーリがカーポンモノコックだったら2人とも無事だったのかな。
@user-bn2iz6qh8d
Жыл бұрын
アルミモノコックをリベットとエポキシ接着剤で固めてターボエンジンを受け止めていましたね❗😁
ジルのエピソードで印象深いのは終盤にクラッシュして前輪が一個明後日の方向に向いたまま走って3位に入賞したという物。 とにかく今じゃ考えられないカウンターやテールスライド、ドリフトといったテクニックで文字通り車を縦横無尽に振り回して走るドライバーでした。
ジルの焦りとディディエの解釈違い、そしてマシンの重大欠陥が悲劇を招いた。
グランドエフェクトカー時代が終焉、ちょっと遅れてWRCのグループBも終わり、さらに市販車の衝突安全基準も上がって行った。社会全体の意識が変わったってことかも。
何故かサンマリノ(イモラ)は時代を象徴するドライバーに関する事件事故が色々発生するところだね。 この動画のチームオーダー事件、セナプロ確執のきっかけ、ベルガーの大炎上事故、とどめがセナ、ラッツェンバーガーのあの悲しい事故
自分の記憶ではルマン優勝、F2チャンピオン、F1チャンピオンになったドライバーは今までいなかったと思いますが、唯一ピロー二が可能性があったのですがこの事故の為、不可能になった様な… 間違っていたらすみません。
今も危険だがよりまだまだより危険な時代でしたね💦 126KCのエンジンの配色がすごい💦👍
この当時はクラッシュしたら即、死亡か選手生命絶たれる大怪我か・・・、危ない時代でしたね。
未だに史上最高のドライバーと云う人々が多いヴィルニューブ…。私もその一人です。どんなマシン、どんなサーキットでも全力全開の走りに魅了されました。けどステディでクレバーな側面もありましたね。79年は当にそんなシーズン。シェクターをしっかりサポートしてベストNo2ドライバーでした。ピローニとも良好なのは自然な流れで、ヴィルニューブはフランス系のカナダ人なのでサンマリノグランプリまでは親近感があったのでしょう…。リジェで頭角を現したピローニ…フランスチームのフレンチマンをギ.リジェは何故手放したか…??そしてエンツォフェラーリは何故ピローニを自らのマシンに乗せたのか…??私的には不明ですが……。マシンが良ければドライバーは誰でもいい……ヴィルニューブ以外は……。もしかしたらエンツォフェラーリには、そんな感覚があったかもしれませんね…。 80年代初頭のフェラーリはルノーに次ぐターボエンジンを採用したチームで当時強かったウイリアムズ、ブラバムに先んじてターボエンジンを採用しましたね。しかしながらシャシーの剛性不足は保守的なマシン作りをする悪しき伝統が如実に出てしまったな…と思いますね。81年の126CKはポスルスウェイト氏を以てしても、最悪……と言った始末……テクニカルなモナコ、スペインと勝ったヴィルニューブのドライビングが、ある意味 本物と証明されたレースではなかったかな……と思いますね。で、82年の126C2…良いマシンでしたね。ブラジルグランプリではピケの絶妙な突っ込みにスピンアウト…みたいな…ヴィルニューブらしさを曝け出しましたが明らかにマシンのポテンシャルは上がり、期待を感じさせた出出しでした。サンマリノの一件は……色々と憶測があり…正直分かりません……。ヴィルニューブとピローニとチームにしかホントの所は分からないでしょう……。それでいい…と思います…現実に次戦のベルギー…ゾルターでヴィルニューブはクラッシュし逝ってしまった…そして雨のドイツ…ホッケンハイムリンクでピローニは再起不能のクラッシュをした……。けれど……パトリックタンベイ、マリオアンドレッティ…両方の活躍で82年のコンストラクターズチャンピオンを奪還した……。伝説のドライバー、ウィミーユに似てる…と言われたタンベイ氏…イタリア系アメリカ人のアンドレッティ氏…タンベイ氏はフランス系カナダ人のヴィルニューブと仲良かったしフランス人のピローニとも交流はあったのでしょう…アンドレッティ氏はイタリア系というのもありフェラーリとは縁深いレーサーですね。確かフェラーリでエフワンデビューしたのがアメリカグランプリで、デビュー戦ポールポジションではなかったでしたっけ……?? しかも失意のアルファロメオから電撃復帰したイタリアグランプリでポールポジションなんて…自身思い入れ深きモンツァ…しかも、かつてヴィルニューブが操ったマシンで…ポールポジション!!!再びヒーローが現れた瞬間ですね。 今の時代なら…レギュラードライバーを両方失ったチームが通年参戦し、チャンピオンを穫る……。まず、あり得ないな…と思います。 当時でも奇跡的な出来事だったでしょう。それをやるフェラーリは、やはり何時の時代もレーサーの永遠の憧れなのかもしれませんね……。長くなり、すみません……しかしこの時代は一番魅力的なチームではなかったかな……??と思いますね。
@user-gb4es1xh8l
Жыл бұрын
有る意味❗、今現在のアルピーヌF1チームのフランス人ドライバー🗼🗽🎾オコンはアルピーヌでモナコGP で3位表彰台で頭角を表して!? もう一人のフランス人ガスリーは,割りを食った状態でしたねぇ😂👌~🙅👎💦‼
@user-zh4hu4bz3s
Жыл бұрын
ピローニの放出は?ナンバーワンのラフィーとの?確執だったと?記憶してます⁉️
@kokutetufan
Жыл бұрын
@@user-zh4hu4bz3s そうそう。ピローニの速さに自分の立場が危うくなったラフィーがナンバー1を主張したため居場所が無くなった。しかしピローニはリジェのツナギの方が似合ってたね。赤が似合わん。もう1年リジェで辛抱してたら、チャンプ取ってたかも。
ビルヌーブは81年までセカンドドライバーの地位で、しっかりとチームに滅私し役目を果たした… 漸く82年から自分がエースドライバーになれた…ピローニもセカンドドライバーの立ち位置を把握していたハズ… サンマリノGPで余計なチームオーダーを出さ無ければ… ピローニの事故も、何処となくビルヌーブの事故とソックリな気がする… 126C2の赤いカラーはビルヌーブとピローニ…2人の血の色なんですね。
ディディエ・ピローニの没後(これも悲しい話ですが)に生まれた双子の息子さん ディディエとジルと名付けれれているんですよね そしてジル・ピローニ氏はAMGメルセデスに在籍し2020年のブリティッシュGPではポディウムにも立たれてますね
フロントサスがプルロッドになったのは知ってたけどカーボン補強の画像は初めて見た ポスルスウェイト曰く126C2は126CKから強度剛性とも2倍になったという触れ込みだったけど あらためて126CKどんだけヤワなんだ笑と感じた
このころには、カーボン,ケブラーのシャシになってたのに、フェラーリの保守的な姿勢が、もたらした悲劇です。
悲しい思い出が多いマシンですね。 ドライバーを対立させて競わせるというフェラーリ伝統のやり方が裏目に出たシーズンでした。 そんな中でターボの先駆者、ルノーを差し置いてターボカー初のコンストラクターズタイトル獲得は二人のドライバーへのせめてものはなむけとなったんでしょうか。
リアルタイムでは見たことのない時代ですが、フェラーリってどこか悲しい物語がありますね。カラッとしたイメージはライコネンですか(笑) フェラーリ贔屓の自分の上司だった方は「ビルヌーブじゃねー、ヴィル「ニューブ」だと言い張ってました(笑) あ、ミニカー数台持ってます。
@user-zh4hu4bz3s
Жыл бұрын
ソノトウリ‼️ティレルじゃねぇ~‼️タイレルだ‼️
悲しいけど、犠牲が技術進歩
ピローニが無茶しなければ二人とも生きてたのかなって思うと切ない…
ピローニか...
死ぬ直前のピローニのF1マシンはAGSのものでしょうか。
@crankyfranky9801
Жыл бұрын
さらに辿れば元ルノー
わかってたら改良しようよ😂 っていつも思うし、もっと考えて欲しい結果だと思う。
ハーベイ・ポスルスウェイト博士が作った 非運の名馬
当時、高1だった私…ピローニを恨んで恨んで彼のドイツの事故「ざまあみろ!」って思っていました。これはダメダメですね。 ただ還暦近くなったジジイになって… 大人げ無く未だにピローニが大嫌いです。
人としてヤッテは駄目な事をすると、報いを受けますね。
う〜ん… ジル・ヴィルヌーブ好きなんで複雑😢 当然当時は全戦中継も無いし、後々になり知りましたが 「あの予選中にそこまでする必要が有ったのか?」って歳を取る程思ってしまう😢… ジム・クラーク ジル・ヴィルヌーブ アイルトン・セナ (全員載せたらキリがないので割愛) 好きなんだけど☺️ クラークは違うけど、ジルとアイルトンは「そこまでしなくても」って思う走りの時が有ったりして、それが魅了された部分でもあるけど😅 ジルはピローニの裏切りが有ったにせよねっ… 生きててもチャンピオンにはなれたかどうか😅… 上手く伝わりますかねっ😅? ジルが乗ったフェラーリなら 79年の312T4 81年の126CK が好きです☺️
@user-zh4hu4bz3s
Жыл бұрын
ロニー、リントも、想いで深いドライバーでした。
@user-bg3ch3wv1i
Жыл бұрын
@@user-zh4hu4bz3s 自分もヨッヘン・リント、ロニー・ピーターソンとか好きですよっ☺️ F1ドライバーに限らず若くして亡くなったりすると気になりますよねっ😭
あのフランス人ドライバーはヴィルヌーヴの没後に2人は親友だったとしてたがヴィルヌーヴの親族に嫌われ恨まれ葬儀の出席も拒まれた。 にも関わらず産まれた自身の息子にジルと名付けたりした。自分がフランス人ドライバー嫌いになったきっかけをつくったドライバーです。
モータースポーツに興味を持ったキッカケが、ビルヌーヴ選手の事故なので、ピローニ選手は僕にとってはヒールです。プロスト選手の日本嫌いもあって、フランス人には抵抗を感じます。今でもその通りですよね、フランスは親チャイナですし、この国の人ってどうなんかな?