【エネミーゼロ】飯野賢治とエネミーゼロ事件の真相【第163回-ゲーム夜話】
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🔽第163回「エネミーゼロ」
・エネミーゼロ事件の真相
・賛否両論となったエネミーゼロの考察
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🔽ゲーム夜話ツイッター / gameyawa
🔽参考資料
「ゲーム: Super27years life」飯野 賢治 (著)
他各種インタビューや、飯野さんのブログ・ラジオなど
Пікірлер: 545
太く短くを体現した方でしたね…とはいえ早世が残念 動画を流すキーを押したときはめちゃめちゃアドレナリンが出ただろうなぁ 本当に熱い時代でしたね
あの事件にはこんな裏側があったんですね…28年ごしに知りました。 動画にしていただきありがとうございます。😊
当時、雑誌で騒動を読んで ようやるわ、って思った サターンでリアルサウンドを販売したときのユーザーの感想の多くが「音が小さい」で 飯野氏の「TVのボリュームあげろ」と激怒してるのも雑誌に掲載されたし 「リアルサウンドの開発でセガサターン媒体でCDの再生時間を限界まであげる技術を確立した」 と、とにかく音でプレイするゲームにこだわりがあった感じ
飯野さん生きてたらどんな作品作ってくれたんだろう
この人のエピソード聞くたびに Netflixとかでドラマ作ってくれたらめっちゃ面白そうだなぁって思うわ
@Kabin_or_Tsubo
5 ай бұрын
それ凄い良い案ですね。 熱い思いを持った奇抜な男がいたと言うストーリー是非観てみたいです。
@user-lj2xm8hg1v
5 ай бұрын
Winnieを作った金子勇さんみたいな感じなんですかね?😢
@ai-ng9zx
5 ай бұрын
@@user-lj2xm8hg1v winnyな、体型も亡くなり方も似てるね…
@user-wl2ci5vy8v
5 ай бұрын
NIGHT HEAD好きやったわー
@naoyax76
4 ай бұрын
@@user-wl2ci5vy8vそれって飯田譲治のことでは?
あの当時のゲーム業界の熱はもの凄かったよ
飯野さんは後年はゲーム業界から離れてましたが、もっと色んなゲームを見てみたかったなと今でも思います。 発売はされなかったけれど霧のオルゴールや300万本RPGも楽しみにしてました。 風のリグレットにはハーブの種が付属していたり、パッケージもスリーブ仕様だったり、DCのD2も複数バージョンのパッケージが用意されていたりと、力が入っていたのは飯野さんの強いこだわりがあったんでしょうね。
当時高校生の私は熱狂した10万人の内の1人だったのかな。 E0のHARDモード(セーブが1回しかできない、敵の動きも早い、ぶっ続けでやってもクリアまで4時間かかる)を1週間失敗し続けてたな。 あのヒリヒリするくらいの緊張感のあるゲームは当時は唯一無二だった。 学校の同じクラスでHARDをクリアした奴は自分以外いなかった。 そりゃ賛否両論だわなw
@gion142
5 ай бұрын
ハードモードはバッテリー残量が16 (ノーマルは64) セーブは4消費、ロードが2消費 ロードを複数回することを考えたら実質1回みたいなものですね
@user-yb2oy8yz9w
5 ай бұрын
私も当時高校生でハードモードクリアしました。 友達に超オススメしましたが全く理解されませんでしたわら😂
当時友人の家でプレイして、敵が見えない事がこんなにも怖い物なのだと思い知らされた作品でした。ご存命ならばもっと沢山の名作を残してくれたはずだと思った人物の一人ですね。
飯野さんはユーザーに対してもフランクな人で Twitterでツッコミ入れるとちゃんとボケや罵倒で返してくれた。 飯野さんのアカウントを確認したらまだ残っていて自分へのリプも全部残ってたわ
飯野さんもスチームのある今の時代に生まれてたらまた変わったんだろうな
@SecaRentahero
5 ай бұрын
ああ本当だ、今の小島監督のように世界的評価を集めたかもしれません
実は繊細で神経質な人が社長業をしていたのは本当に大変だったと思う
この時代は、クリエイターへのリスペクトがあり、ユーザーは提示される創造性に食らい付いていく風潮がまだあった。
飯野氏自身がエネミー0を制作前に実体験してたのかな巨大すぎる相手にギリギリまでボタンを押さない緊張感
飯野さんを取り上げてくれた事に感謝です。いい動画でした。
投稿お疲れ様です、運よくクリアできましたが本当に怖いゲームでしたね。
風のリグレットの、開発経緯が泣かせてくれる 目の見えない少年は、どんな大人になったのだろう
90年代、ソニー、セガ、任天堂のハード戦争。 家庭用ゲーム機が最も熱かった時代かも。 当時のゲーム業界の熱量を象徴するような人だった。
@user-ye1xp9js2e
5 ай бұрын
パナソニック…
@rickmack422
5 ай бұрын
@@user-ye1xp9js2e プレステ・サターンに先んじて3DO出したのになあ… 松下電器は良いハードは作れてもソフトも含めたグランドデザインは描けない感じだったのがアカンかったんだろうな。 MSX turboRもSD AudioもSD Videoも、ガワだけ作っても育て方が下手でぽしゃった感じだし…
@user-ot5ed7qg8r
5 ай бұрын
ピピンアットマークも忘れないで(´・ω・`)
@kanamol5912
5 ай бұрын
夢のような(コピーにも鷹揚だった)80年代、明暗が分かれだした90年代。 ほんとに時代が燃えていましたね
セーブどころかロード回数も含めて回数制限があったのはめちゃくちゃ斬新すぎる仕様だった
大企業相手にここまで自分を通せるの凄いわ。 Dの食卓もエネミーゼロも当時はなんとなくでしか遊んでなかったけど、こういった制作者の背景を知った上でプレイしたら、また違った感想が出るんだろうな
この人は一生賛否両論と言う言葉が付き纏ったまま生涯を閉じるしそういう生き様を選んでるんだろと思ってたけど こんなに早くに亡くなるとは思わなかった
初めてカリスマ性を感じたクリエーターでした。自分にとってホラーゲームの原点はエネミーゼロです。 もっと多くの作品を世に残して欲しかった。
ありがとうございます!
エネミーゼロにそんな話しが有ったとは全く知りませんでした。 とても面白かったです
もし今もご存命だったら、steamなんかで大企業の顔色を伺うことなく発想力を生かした尖ったゲームを作ってくれてたのかもなぁ…と寂しく思う とにかく去るのが早過ぎた方でした もっと飯野さんのゲームを遊んでいたかった
@user-cu5vs3em8u
5 ай бұрын
@@678kakaka5 激太りしちゃったもんなぁ…
@user-uj7yz6gx6h
5 ай бұрын
ゲーム制作って寿命かなり削ってそうな激務だもんな 当時なんか特に
@user-ib9ku5yo9p
5 ай бұрын
そうだったんですね😢情報ありがとうございます。
亡くなったと聞いた時は泣いたよ
@THE.Everestlist
5 ай бұрын
今年で10回忌です。
@takashimiyamoto3427
5 ай бұрын
そうなのか。しらなかった。
この時、25歳ぐらいだからね スゴイよね
@user-iv3vi1fq9p
5 ай бұрын
まじか!すごいですね。その若さでこの行動力。尊敬できますね
ファミ通のレビューにぶち切れて、10か0にしろってエピソード有ったよね。 鈴木みそさんがマンガで書いたはず。
話を聞いていると、飯野賢治さんは、まさにプロレスの大仁田厚のような生き様ですね。一緒に歩める人はほんの一握りでしょうが、そこまで能力があれば人生何回分の経験が得られるか。
Dの食卓は衝撃だったなぁ みんな言ってるように尖ってるとしか言えない人だったw 長生きしてたらどんなゲームを作ってくれてたんだろうか
一次創作者(漫画家)が蔑ろにされていることが問題となっている中でのこの動画、 一次創作者(ゲームクリエイター)に対するうぷ主の敬意がよく伝わりました。
@zaitaku
5 ай бұрын
まあ、イノケンはイノケンで エイリアンを観たことないとか言う人ではあったが
@user-vo3xq7mk6c
5 ай бұрын
ゲームの開発兼発売元は自分で金出して作ってるので理不尽さは漫画家とは段違いですよ 漫画家はやってる事はゲームでいえば発売元が別の開発元だけど権利が大幅に認められている形
@akaidom1
5 ай бұрын
良くわからん理屈。プラットフォーム作ったのはソニー。それも大企業が傾くかもしれない程莫大な資金とリスクを投じてクリエイターが活躍する場所を与えたんだから文句言うのは筋違い。自分でプラットフォーム作るか、他に行けば良い。そもそもソニーはサードパーティや流通の為に革命を起こしたから任天堂に勝てたんだから。
@user-jl3lg5kd7w
5 ай бұрын
@@akaidom1 動画投稿主がゲーム制作者をリスペクトしていることを称賛しているコメントなんですが・・・
@monakaTV1558
5 ай бұрын
@@akaidom1 プラットフォーマーのあるべき姿は殿様商売に徹さないことなのですがね。 今はDL販売もあるので、出荷枚数調整は意識せずとも売れるモノは売れる時代になりましたが。
リグレットの話もあったら聞いてみたい…
高校生の頃めっちゃハマったなぁ 見えない敵に追われる恐怖と緊張感も見えない敵を倒した時の爽快感も最高に楽しかった D食もめちゃくちゃ大好きだったよ
その後ソニーに移った上田がICO作るのが皮肉な
飯野さんの情熱には毎回涙腺が緩んでしまう、、、
音で敵を見つけて倒す、すごいアイデアだよね。面白かったなあサイレントデバッガーズ。
@neutraldesign3903
5 ай бұрын
皮肉たっぷりワロタ
何年もかかってしまいましたが、誤解が解けたことに感謝します
いつもいつも高クオリティーな動画をありがとうございます。最後の締めの言葉、ゲーム夜話さんの熱量を感じました。これからも応援しています。
少ない予算で開発、DL販売出来る今の時代ならなぁ…
エネミーゼロをプレイした時は 6歳くらいだった。もちろん、 怖かったけど、見えない敵を音だけで 把握して倒すというゲームは 緊張感があり、画期的だった。 そして、作った方がこんなにも 魅力的でさすがです。
@mikotomikoto9107
5 ай бұрын
あの緊張感はすごかった。
当時中学生でしたが買いました! かなり難しいゲームでしたが、今までにない斬新なつくりでした。
めちゃくちゃ面白かったです感謝
当時クリアした面白いゲームが紹介されて嬉しい。 あの緊張感は恐怖しかなく、ドキドキして凄い体験だった
ナイトワープ毎週聴いてました。懐かしいなあ。
飯野さんは小島監督の少し下の世代。もしまだご存命であれば今のゲーム業界の流れにも真向から立ち向かう世界的なクリエイターとしてバリバリ活躍していたに違いない
エネミーゼロに紆余曲折があったとは… 自分でプレイしたことは無く、 近所のお兄ちゃんがプレイしていたのを横で見ていて、 すごいゲームだ!って思っていただけだったので… 今はコンテンツが飽和状態な為、売り上げれるが求められている時代 熱い時代の話は胸に刺さりますね
このゲーム程のドキドキは他のゲームで味わった事がない あの時代にプレイする事が出来て 本当に良かった
飯野さんが今の時代にゲームを作ったら、どんなゲームを作っただろうか。
飯野さんの自伝めっちゃカッコ良くて何冊も買ったなぁ 作品を超えてクリエイター個人に憧れた最初の経験だった
9:36これは当時の映像でしょうか? 初めて見れたのでとても興味深いです!
元旦にエネニーゼロを遊んだらロード画面が元旦モードだった思い出があります。
最後のBGMなんだっけ…ど忘れして辛い
この動画をきっかけに風のリグレットクリア→ドキュメンタリー視聴→奥さんのインタビュー記事など読み漁りました
エネミー・ゼロ!懐かしい!クリアできなかったけど、すごく面白かった! こんな経緯があったのは知らなかった。
いつも楽しく拝見しています。 A C6ネタにニヤリでした。
当時、E0のためにPS買うしかないなと思っていたサターンユーザーでしたから大歓迎でした。 ただ、インタビューでいつも経営の厳しさを言っていただけに大丈夫かな?とも。 ゲームそのものは楽しくて、僕は大賛成でしたね。 ついでに言うと。 飯野さんは地元が同じで歳は1つ違い、ビートルズとYMOが大好きな小学生だったという、自分との共通点が多くて当時から不思議と親近感が湧く人でした。 音楽が大好きだったからこそ、ゲーム内容だけでなくジャケットアートへの拘りや話題になること、賛否両論になることの重要性を知っていたんでしょうね。 クリエイター・アーティスト・プロデューサーを兼ねていた凄い人だった。
当時難しすぎてクリアは出来なかったけれど、後になってプレイ動画の形で見ると演出面でも非常に考えられていた事が分かって感心した。 文句のつけられない名作とまでは言えないけど、確かに印象に残った作品。
お仕事忙しいと呟いてましたが、少しは落ち着きましたか? ご無理のないペースで動画アップしてくださいね。 いつも楽しみにしてますので!
42歳だったのか...若すぎるな
発売日に購入して攻略本なしでクリアしたけどホントーに最後まで一定以上の恐怖と緊張感でいっぱいいっぱいなゲームだった。 お陰様で未だに鮮明に思い出せる特別なゲームになってますわ。 飯野さんありがとうでした。
飯野の最大のヒット作は付録についてた親父ハンター麻雀のミニゲーム
エネミーゼロは、あの頃 一番 衝撃を受けた作品でしたね。 「見えない敵」という奇抜なアイディアで、最高に面白 過ぎて 何回もプレイしました!
@user-wn4kc8we6o
5 ай бұрын
実は今も持ってます。 あの緊張感は他のゲームには無かったですよね。
@mansonsinja
5 ай бұрын
何回もとはすごい。自分には怖さと緊張感が強烈すぎるゲームで、ものすごく楽しんだ一方でもう二度と遊びたくないと思いましたよ
@luckytk5273
Ай бұрын
まあぶっちゃけストーリーはエイリアンのパクリでしたけどね
リアルに今人生の決断を迫られてる所でしたが、めっちゃ勇気出ました ありがとう飯野さん、ありがとうゲーム夜話
ロゴが変わる当時の映像初めて見た。
なにも分からずエネミーゼロ買って難しくて挫折したのが懐かしい
プレステエキスポ行きましたねー。それから渋谷のPARCOでエネミーゼロ展。飯野さんのCD買いました。有楽町の東京国際フォーラムでDの食卓2のイベント。ゲストに西城秀樹で傷だらけのローラを1曲だけ歌ってくれました。全てが懐かしいです。
今のsteamでゲームがダウンロード販売ができるような世の中だったらどうなっただろうか。 マンガのドラマ化の事件が昨今話題になっているけど、クリエイターが魂をかけて作ったものの扱いは慎重にならないといけないね。
エネミーゼロの恐怖と緊張感は好きだったな。ミニゲーム感覚で、よく練習モードを遊んだっけ。
ぼる塾田辺さん見るたびに飯野賢治を連想する。
懐かしい🥺
漫画の東京トイボックスを思い出した 飯野さんの尖ったゲーム好きでした
この数年後にゲームはコンビニで買う時代になったよな コンビニのカウンターの後ろに最新ゲームソフトがズラッと並んでたね、懐かしいな…
詳しいまとめありがとうございます! 当時とは違う見えた所もそのまま動画になさっていて見習いたいです。 飯野さんの奥様が引き継いだフロムトゥーイエロー主催の飯野賢治没10周年記念企画が昨年あったのですが、 Memories of Kenji Enoという動画がKZreadにあるので是非。 10年経って飯野さんと関わった色んなクリエイターの方々(小島監督とか飯田和敏さんとか)が当時を振り返ったお話をしてくれています。
やったことの是非はともかく、凄い話だった…
この人は割と吹かすところがあるんであまりいい印象が無い Dの食卓も最初は3DOのローンチタイトルとして猛プッシュされてたのに一年延期した上に全ハード同年以内のマルチプラットホームになったし この人のいう事が本当ならコンシューマーの1.5倍以上PC版が売れてるはずなのに据え置きにしがみついてたしどのまでが本当なのやら
晩年はだいぶ痩せていて、 イケメンになったな~とか呑気に思ってたら ご病気のせいだったんですよね。
@ai-ng9zx
5 ай бұрын
違うよ、もともと肥満でこのままだと高血圧その他生活習慣病でやばいと悟ってダイエットしたけど間に合わず高血圧性の心不全で亡くなりました… 20代(多分10代?)の頃から20年以上あの体型でしたから40歳過ぎて急いでダイエットしても時すでに遅しだったんだと思います、ご存命ならゲーム業界にどんな影響を与えてくれたんだろうと思わずにはいられないですね
E0難しくて苦労しました。ローラのシャワーシーン見るために頑張ってクリアしたな。エロは偉大
入交さんとの話、ワープのプレゼン、当時のことは何もかもわかりませんが、感動しました
E0発売日に店何件も回って買ったなぁ😂ホログラムのパッケージのエピソードは知りませんでした。 風のリグレットでのファミ通のクロスレビューの評価で浜村さんと対談してたから、その辺りも踏まえたエピソードも見てみたいです😊
飯野さん本人が届けにくる+モデルガン付きってのは覚えてる。
色んなホラーゲーム、アクションゲームをプレイしましたがこのエネミー・ゼロに勝る恐怖や緊張感は無く、本当に手に汗を握りながらプレイしました。 実際にプレデターと対峙したらこうなるのか…と。
Enemy 0は、とうとうクリアできなかったなー… WindowsXP版持ってるから、久々に古いノーパソ引っ張り出してきてやってみるかなー…
当時プレステで楽しみにしてた作品で、友人のサターンを借りて楽しんだのを思い出しました。 とても緊張感があり凄く楽しかったです。 あのゲーム性は今でも記憶に残っていて名作だと思っています。
95年度のThe...スーパーファミコン自身のコラムで下請け時代に手掛けたゲームをカップ麺に例えていましたね キャラゲーは○ンちゃんラーメン 監修に著名人の名前が入るゲームは有名シェフ監修と記載されたラーメン
当時、リアルタイムで遊んでました。 どっちのゲームも最高だったな
ただ何となく聞き流してたけど、ほんの少し目頭が熱くなった。
当時、衝撃的なゲーム内容だなあと雑誌を見て思いました。 敵の姿が見えない!なんて。 そしたらその後の「風のリグレット」ではグラフィックが見えないという斬新さでさらに驚きました。
@user-jg8jt5je3j
5 ай бұрын
ハーブの種や触れて読む点字のメッセージも入ってました リアルサウンドの名前通り音質も音の位置にも拘った眼を閉じたままプレイできる心地良いゲームでした
昔プレイしたけどエネミーゼロは怖いと言うより緊張感との戦いだった記憶がある こまめなセーブで慎重なプレイを許してくれない難しいゲームだった イヤホンでやると臨場感が凄く伝わってきたよ
好き嫌いはたぶんあるだろうけど 飯野氏はゲーム業界に必要だった人だったと思う ゲームが面白いか面白くないかの個人的な感想は置いといても
@BC-vl4rn
5 ай бұрын
最後の部分が無ければ、良いコメントだった。 そういう部分を入れなければ、自分の考えも言えないのか。 そういう人が、長いものにまかれるしか無い人生を送ってるのだろう
@user-cu5vs3em8u
5 ай бұрын
@@BC-vl4rn 飯野さんのゲーム、正直めちゃくちゃ肌に合わなくて面白いと思った事なかったけど(EOとリアルサウンドプレイ済み)これだけ尖りまくった信念貫き通すクリエイターの作品なのだから、むしろ必然的じゃないかなぁと スタンスや人物像は評価するけど作品は評価しないってだけでしょ
@nlt8310
5 ай бұрын
@@BC-vl4rn > そういう部分を入れなければ、自分の考えも言えないのか。 無意味な拡大解釈がもはや毒親構文に近いものがある。生きにくそうだね
@user-om5jd2hn9s
5 ай бұрын
評価と好みは別ですよね。 それが同じなんてミーハーと同じようなもんだし。 評価と好みをきちんと分けられる人は長いものには巻かれてません。
@valentinenoel5564
3 ай бұрын
いや自分は、この方の書き方で正しいと思う。
今年50歳になるお爺です。 PS EXPO 96の業界日に伝説のプレゼンを現地で見ました。 当時プレゼンを見た直後、状況理解に頭が追い付かず「ポカーン」となったのを今でも覚えています。
エネミーゼロ事件の映像残ってたのか
飯野さんのゲームもっとやりたかったな…
エネミーゼロの当時緊張感のすごさと言ってらないよ!クリア後は拍手喝さい!達成感すごかった...! 飯野さんすごかったなあ!
殆どの人間が家族や 社長なら社員の顔が嫌でも思い浮かんで言いたいことも言わず愛想笑いを浮かべおべっかを使わざるを得ない中で、信念に基づいて否は否であると自分の道を邁進できることの凄さは本当によくわかる
これ当時、唯一本気で怖いと思えるゲームでしたね ほんとに緊張感が半端ない
あの時はかなり注目されてたしエネミー0を楽しみにしてた事をよく覚えています。サターンを持ってなかったので買えなかったけど。
エネミーゼロの恐怖感は衝撃的だった。その後にプレイした多くの人が絶賛したバイオハザードの恐怖感では物足りなさを感じるほどに。 だから当時プレイした数々のゲームの中でも一番脳裏に焼き付いている。
いぜん「天才の中には破滅思考があって、飯野さんにはその典型が見える」といったコメントを書き込んだことがあります。本件はまさにその典型といえます。 現代に目を向けるとインディース市場も活発で当時よりは中小が生き残る道が増えた一方、よほどの大手でないと大作は作れないという形で問題は残っている。 飯野さんが生きておられたらどう行動するか気になるところです。おそらく自らの信念に従ったでしょうが。
Dの食卓2は更に良いゲームになってたね。
飯野賢治サン彼が存命なら斬新なアイデアで斬新なゲームを作られただろう。残念です。
@mitukan11
5 ай бұрын
いつの時代も尖ったクリエイターが居ないとCS機は厳しいね
@yukawamasafumi6443
5 ай бұрын
確かにアイディアは凄かったけど、ヒットしたかと言えば数字的には微妙なんだよね
@luckytk5273
Ай бұрын
D2以降ゲーム業界から足を洗ったってイメージしかない リアルサウンド2とか300万本RPGとか来世辺りに作ってくれるんだろうか