今回は大阪府吹田市の明治から昭和を中心に、その歴史を深堀りしてみたいと思います。#吹田#歴史#明治大正昭和
「ちさときゅうりよう」とか「ちさとさん」はアカンな 読みが無茶苦茶で高評価は押せないです
もともとは千里山と書いて「ちさとやま」です
万博記念公園の近くに住んでいたので懐かしいなと思って見ていました。 生まれる前の写真ばかりだし、うちの近所全く出なかったんですけどねw 千里の読みを「ちさと」と連呼するものだからどこだろうと思った…w
吹田市は、北部と南部とでかなり雰囲気が違う。そして、ガンバ大阪のホームタウン。住むには、最高の街。
63年のほとんどを吹田市民として生きてきた自分にとって、大変貴重な動画です。 ずっと保管され、より多くの方がアクセスされることを祈ります。
御同輩ですね。片山です。
Oldman阪急です。 6:15 以降、阪急千里線開通までの経緯と説明内容ですが、結構間違っていますね。☝️ 阪急千里線関連の主な歴史を、年表形式で挙げておきますので、ご興味のある方はご参考になさって下さい。 ・大正5年(1916)9月 「北大阪電気鉄道」、大阪府西成郡豊崎町の天神橋筋六丁目〜三島郡千里村(ちさとむら)間の軽便鉄道敷設免許を得る。 ・大正6年(1917)2月 第一次世界大戦の影響による鉄道建設諸資材の高騰で、淀川橋梁の架橋を断念し、営業区間の始点を「阪神急行電鉄」十三駅に変更する。なお、南方〜吹田間は、官鉄東海道線の線路付け替えによる廃線敷を利用し、建設費の削減を目論む。 ・大正10年(1921)4月 「北大阪電気鉄道」、十三〜豊津間7.58kmの運輸営業を開始する。 駅は、十三、南方、崇禅寺、淡路、下新庄、西吹田(後に吹田と統合)、東吹田(現、吹田)、豊津の8駅。 ・大正10年(1921)10月 「北大阪電気鉄道」、豊津〜千里山間の運輸営業を開始。 駅は花壇前(後の関大前に統合)、千里山の2駅。 ・大正11年(1922)3月 「北大阪電気鉄道」、花壇前〜千里山間に大学前駅開業。後に花壇前駅と統合の上、現在は関大前駅となる。 なお、花壇前、大学前の両駅は、歴史上、幾多の改名を繰り返しており、阪急各駅の中でも、その駅名変遷の複雑さは飛び抜けている。 ・大正12年(1923)4月 「北大阪電気鉄道」、大阪〜京都間の新線開業を目論む「新京阪鉄道」により、買収される。 ・大正14年(1925)10月 「新京阪鉄道」、淀川橋梁建設の上、天神橋(現、天神橋筋六丁目)〜淡路間、3.32kmを開業。駅は天神橋、長柄(昭和18年(1943)2月戦災により廃止)、柴島の3駅。十三〜淡路間は十三支線とされ、天神橋〜千里山間が本線となる。 ・昭和3年(1928)1月 「新京阪鉄道」、淡路〜高槻町(現、高槻市)間、開通。 天神橋〜高槻町(同年11月に西院仮駅まで延長。)間を本線とし、淡路〜千里山間は千里山線とされる。 ・昭和9年(1934)9月 「新京阪鉄道」、親会社の「京阪電気鉄道」に吸収合併される。 ・昭和18年(1943)10月 戦時統合の国策により「阪神急行電鉄」と「京阪電気鉄道」合併。社名を「京阪神急行電鉄」に変更する。 ・昭和24年(1949)12月 「京阪電気鉄道」分離独立。京阪線、大津線が京阪電鉄の路線となる。 千里山線、新京阪線(現、京都本線)、嵐山線は「京阪神急行電鉄」所属路線となる。 ・昭和38年(1963)8月 「京阪神急行電鉄」、千里山〜新千里山(現、南千里)間、1.6kmを開業。駅は新千里山の1駅。 ・昭和42年(1967)3月 「京阪神急行電鉄」、新千里山(現、南千里)〜北千里間、3.4kmを開業。駅は北千里の1駅。 この時、新千里山駅を南千里に、千里山線を千里線に改称する。 ・昭和44年(1969)12月 「京阪神急行電鉄」、大阪市営地下鉄(現、大阪地下鉄)6号線(堺筋線)との相互直通運転開始により、天神橋駅が廃止され、共同使用駅の天神橋筋六丁目駅が開業する。 ・昭和45年(1970) 「京阪神急行電鉄」により、大阪万博開催期間中の臨時駅として、南千里〜北千里間に万国博西口駅が開業する。 ・昭和48年(1973)11月 「阪急電鉄」(同年4月、「京阪神急行電鉄」より社名変更)により、南千里〜北千里間に山田駅開業。 現在の千里線は、天神橋筋六丁目〜北千里間の13.6kmです。🍀
地名はちさと、駅名は読み易いせんり。 ニュータウン開発時に開発公社がせんりと統一した様です。 昭和四十年台半ばまで千里山に在った産婦人科医院もチサト産婦人科でしたし。 私もそこでうまれました。 あと、佐竹台小学校建設工事の時に蝮が大量に出て大変だったと開校当初から居た先生から聞いた記憶がある。
私の母校である千里第一小学校の校歌では「ちさと」と読んでました 「ちさとのだいいちまなびや」 かなり歴史の古い学校だったので校歌も昔の読みだったのですね 朝日ヶ丘町の「あさひ」は、たまたま近くにアサヒビールがあっただけで関係ないと思ってました もと住民ですが、アサヒビールゆかりの地名だったのは、この動画ではじめて知りました。
私も千里第一小学校だよ!
あおぐみそらも みわたーすのやまーも ひとつみどりーのおかべにたてるでしょ?
は
何と懐かしい。豊津にあった幼稚園、小学校、千里山の(山の上にあった)中学校、茨木市の高等学校に通っていたのは半世紀以上前のこと。古くからの歴史のある町だったのが伺え、本当に懐かしく思います。
古来はちさとでっせ。 阪急豊津駅近くの吹田市図書館分館、「ちさと図書館」
千里村と書いて「ちさとむら」ですしね 今の片山から佐井寺にかけてのあたりです
大学生の時分から10年ほど吹田に住んでたが 超巨大な吹田駅にメチャクチャ驚いた そんなでっけえ駅だったとは思わなんだ
「アワおこし」大阪府民はまず間違えない。またのお越しを待ってますー
実際、アサヒビールの残りで作ってるエビオス錠は滋養強壮に効果があるのは確か 飲む錠剤の数が多すぎて最近挫折してるけど‥😅
千里をチサトと言う時点でガッカリ😮💨
もっともっと活気のある大阪に発展しますように
7:33 「かんだいいちたか」・・・、「かんだいいちこう」ですね。吹田市で2校ある甲子園出場校の1つです(選抜第70回準優勝、選手権第80回ベスト8(共に1998(平成10)年))。ちなみに、もう1校は大阪学院大高(選抜第68回ベスト8(1996(平成8)年))です。
101年の歴史がある関大千里山キャンパスが無視されています⁉️
ちなみに2024年は司法書士試験会場です。
@@user-zc5ys6ve6r 昔は天六キャンパスが各種試験会場としてよく使用されていました。
@@user-yy9yl9rw3j 最近は関大→大阪経済大学→大商大→関大って感じです。
「チサト」ではなく「センリ」です(笑)。朝日町の近所に長いこと住んでました。吹田は産業道路(正式名:十三高槻京都線)をはさんで北と南で大きく変わります。南側はアサヒビール工場があり吹田操車場があり昔からの下町です。北側は新しい街で面白いのは産業道路の北側には銭湯が無く北側に住んでいる人(高校時の同級生)は銭湯を知りませんでした。これはニュータウンが建設された際風呂付の部屋が全てだったことに由来すると思います。また北側は学習塾が多く、南側では食材に金を掛ける(肉体労働者が多い)に対し北側は教育費に金を掛ける(サラリーマン世帯が多い)ので高い肉が売れないと肉屋の友人が嘆いてました(笑)。吹田には昔から山崎パン工場があります。そこも動画に加えていただくと嬉しいです。楽しい動画ありがとうございました。
吹田市原町、昭和23年生まれの77歳です。昔は千里(ちさと)と呼んでいました(父親の代)。父親は私が生まれた時は国鉄に勤務しそのあと銀行に代わりました。家の裏側に千里第一小学校がありました。私も父親も千里第一小学校、千里尋常小学校でした。
@@user-te1rf9ly7j それは知りませんでした。失礼をして申し訳ございませんでした。
4:46 むこうちょうじゃなくて向日まちな!
なんせ「サスティナブル・スマート・タウン」(通称SST)なんてもんも今はありますしねw←市外の人には全くわからんでしょうねw まぁ、明治の人に「戦後すんごい街になるで〜」とゆうたところで 信じてもらえんかったでせうな汗 「すいたん」はかわええですよ〜🥰 (あ!バブルの頃ね、市役所の職員の給料が日本一になってね、市民が怒ったんですよw)
千里中央セルシーのゲーセンで育った私にとって、「ちさと」の連呼はねぇって感じ。
♪かいざ~かいざ~ひか~りあれ~
校区的に千里丘小学校の卒業生は千里丘中学校に通えない 山田(第二)小学校や(東)山田小学校の卒業生は山田中学校に通えない 北千里駅と南千里駅の間にある駅は千里中央駅ではなく山田駅 太陽の塔が見守りし千里と山田が交錯する不思議地帯
旧亀岡街道を挟んだ先は摂津市なので摂津市立千里丘小学校の生徒が吹田市立の千里丘中学校によっぽどでないと通えるはずもありません。 産業道路が市境に思いがちですが市場池を越えた辺りから山田第二小学校(通称やまに)辺りの旧亀岡街道が吹田市と摂津市の市境です。
むこうちょう→むこうまち
森高が好きなんですね
いつしか朝日町の「とり信」もリフレッシュしていたぜ
せんりを「ちさと」と言ってしまってるので、なんか別の土地に感じてしまった。万博記念公園近くで育ちました。 初めて吹田の歴史知りました。
JR吹田駅前に古い商店街が並んでいますが、あれは大阪万博のころにはとてもにぎわっていたんだろうなと思います。今ではシャッター街となってさみしい雰囲気ですが。
せんりやま だろ!
吹田市の小学校ぜんぶ社会とかで習うと思う
かんだいいちたかは関大一高(笑)
吹田に移り住んで40年になるが、「千里」を「ちさと」と呼ぶのに出くわしたのは初めてだ。この動画、これからも訂正されずに残るのか? そうであるなら恥ずかしいよな。
昔の地名は「ちさと」だったらしい。電車が開通して駅名が「センリ」となったので、それに統一したらしい。
千里丘陵やJRの千里丘の呼び名も「ちさと」だったのかな?毎日放送は千里にあったが当該放送局は「せんり」って自称していたけどね。
「ちさと」ではなく「せんり」ですよ。
wikiによれば千里山駅は開業時(1920年)から”せんりやま”の呼称を使っていたそうだけれど、この動画でも紹介されている大正期の宅地開発~戦中期あたりはまだ”ちさとむら””ちさとやま”が地名の呼称としては通りが良かったのかも。
森高千里の影響でしょ
写真の出所元が気になります 考えすぎでしょうか
誰も知らないのになんでわかったの?😸
研究者やマニア、関係者など、興味がある人たち以外はまあ、一般的にほとんどの人が知らない というような状態のことを略して「誰も知らない」と表現したりします 正しいとは言いませんが、現状普通にどこでも行われている簡略化した表現です 大袈裟な印象を受ける書き方に少々イラっとするお気持ちは察しますが、、 それを言ったらKZread動画のほとんどが、が、がが、、😅😅😅
@@takabon1085 丁寧なお返事ありがとう😽
「ちさと」が正しい読み? 「ちさとさん」→「せんりやま」では?
せんりやま やで おい こら!適当にすな
カンダイイチダカって何?読み方の修正できないの?残念。
いい街だと思いますが、道路整備がまだまだですね~😅
ニュータウンとJR沿いの格差たるや。とはいえ、日本一の循環器科である国立循環器病研究センターは南部に行ってしまった
チサトって言ってる時点で見る気なくした
まず、ちさと これから何とかしようや!
Пікірлер: 63
「ちさときゅうりよう」とか「ちさとさん」はアカンな 読みが無茶苦茶で高評価は押せないです
@user-lz1br2he9y
2 ай бұрын
もともとは千里山と書いて「ちさとやま」です
万博記念公園の近くに住んでいたので懐かしいなと思って見ていました。 生まれる前の写真ばかりだし、うちの近所全く出なかったんですけどねw 千里の読みを「ちさと」と連呼するものだからどこだろうと思った…w
吹田市は、北部と南部とでかなり雰囲気が違う。そして、ガンバ大阪のホームタウン。住むには、最高の街。
63年のほとんどを吹田市民として生きてきた自分にとって、大変貴重な動画です。 ずっと保管され、より多くの方がアクセスされることを祈ります。
@shingoiio6177
5 ай бұрын
御同輩ですね。片山です。
Oldman阪急です。 6:15 以降、阪急千里線開通までの経緯と説明内容ですが、結構間違っていますね。☝️ 阪急千里線関連の主な歴史を、年表形式で挙げておきますので、ご興味のある方はご参考になさって下さい。 ・大正5年(1916)9月 「北大阪電気鉄道」、大阪府西成郡豊崎町の天神橋筋六丁目〜三島郡千里村(ちさとむら)間の軽便鉄道敷設免許を得る。 ・大正6年(1917)2月 第一次世界大戦の影響による鉄道建設諸資材の高騰で、淀川橋梁の架橋を断念し、営業区間の始点を「阪神急行電鉄」十三駅に変更する。なお、南方〜吹田間は、官鉄東海道線の線路付け替えによる廃線敷を利用し、建設費の削減を目論む。 ・大正10年(1921)4月 「北大阪電気鉄道」、十三〜豊津間7.58kmの運輸営業を開始する。 駅は、十三、南方、崇禅寺、淡路、下新庄、西吹田(後に吹田と統合)、東吹田(現、吹田)、豊津の8駅。 ・大正10年(1921)10月 「北大阪電気鉄道」、豊津〜千里山間の運輸営業を開始。 駅は花壇前(後の関大前に統合)、千里山の2駅。 ・大正11年(1922)3月 「北大阪電気鉄道」、花壇前〜千里山間に大学前駅開業。後に花壇前駅と統合の上、現在は関大前駅となる。 なお、花壇前、大学前の両駅は、歴史上、幾多の改名を繰り返しており、阪急各駅の中でも、その駅名変遷の複雑さは飛び抜けている。 ・大正12年(1923)4月 「北大阪電気鉄道」、大阪〜京都間の新線開業を目論む「新京阪鉄道」により、買収される。 ・大正14年(1925)10月 「新京阪鉄道」、淀川橋梁建設の上、天神橋(現、天神橋筋六丁目)〜淡路間、3.32kmを開業。駅は天神橋、長柄(昭和18年(1943)2月戦災により廃止)、柴島の3駅。十三〜淡路間は十三支線とされ、天神橋〜千里山間が本線となる。 ・昭和3年(1928)1月 「新京阪鉄道」、淡路〜高槻町(現、高槻市)間、開通。 天神橋〜高槻町(同年11月に西院仮駅まで延長。)間を本線とし、淡路〜千里山間は千里山線とされる。 ・昭和9年(1934)9月 「新京阪鉄道」、親会社の「京阪電気鉄道」に吸収合併される。 ・昭和18年(1943)10月 戦時統合の国策により「阪神急行電鉄」と「京阪電気鉄道」合併。社名を「京阪神急行電鉄」に変更する。 ・昭和24年(1949)12月 「京阪電気鉄道」分離独立。京阪線、大津線が京阪電鉄の路線となる。 千里山線、新京阪線(現、京都本線)、嵐山線は「京阪神急行電鉄」所属路線となる。 ・昭和38年(1963)8月 「京阪神急行電鉄」、千里山〜新千里山(現、南千里)間、1.6kmを開業。駅は新千里山の1駅。 ・昭和42年(1967)3月 「京阪神急行電鉄」、新千里山(現、南千里)〜北千里間、3.4kmを開業。駅は北千里の1駅。 この時、新千里山駅を南千里に、千里山線を千里線に改称する。 ・昭和44年(1969)12月 「京阪神急行電鉄」、大阪市営地下鉄(現、大阪地下鉄)6号線(堺筋線)との相互直通運転開始により、天神橋駅が廃止され、共同使用駅の天神橋筋六丁目駅が開業する。 ・昭和45年(1970) 「京阪神急行電鉄」により、大阪万博開催期間中の臨時駅として、南千里〜北千里間に万国博西口駅が開業する。 ・昭和48年(1973)11月 「阪急電鉄」(同年4月、「京阪神急行電鉄」より社名変更)により、南千里〜北千里間に山田駅開業。 現在の千里線は、天神橋筋六丁目〜北千里間の13.6kmです。🍀
地名はちさと、駅名は読み易いせんり。 ニュータウン開発時に開発公社がせんりと統一した様です。 昭和四十年台半ばまで千里山に在った産婦人科医院もチサト産婦人科でしたし。 私もそこでうまれました。 あと、佐竹台小学校建設工事の時に蝮が大量に出て大変だったと開校当初から居た先生から聞いた記憶がある。
私の母校である千里第一小学校の校歌では「ちさと」と読んでました 「ちさとのだいいちまなびや」 かなり歴史の古い学校だったので校歌も昔の読みだったのですね 朝日ヶ丘町の「あさひ」は、たまたま近くにアサヒビールがあっただけで関係ないと思ってました もと住民ですが、アサヒビールゆかりの地名だったのは、この動画ではじめて知りました。
@user-ff5zj8es4r
2 ай бұрын
私も千里第一小学校だよ!
@user-ff5zj8es4r
2 ай бұрын
あおぐみそらも みわたーすのやまーも ひとつみどりーのおかべにたてるでしょ?
@user-kg4oo5wj8h
2 ай бұрын
は
何と懐かしい。豊津にあった幼稚園、小学校、千里山の(山の上にあった)中学校、茨木市の高等学校に通っていたのは半世紀以上前のこと。古くからの歴史のある町だったのが伺え、本当に懐かしく思います。
古来はちさとでっせ。 阪急豊津駅近くの吹田市図書館分館、「ちさと図書館」
@user-lz1br2he9y
2 ай бұрын
千里村と書いて「ちさとむら」ですしね 今の片山から佐井寺にかけてのあたりです
大学生の時分から10年ほど吹田に住んでたが 超巨大な吹田駅にメチャクチャ驚いた そんなでっけえ駅だったとは思わなんだ
「アワおこし」大阪府民はまず間違えない。またのお越しを待ってますー
実際、アサヒビールの残りで作ってるエビオス錠は滋養強壮に効果があるのは確か 飲む錠剤の数が多すぎて最近挫折してるけど‥😅
千里をチサトと言う時点でガッカリ😮💨
もっともっと活気のある大阪に発展しますように
7:33 「かんだいいちたか」・・・、「かんだいいちこう」ですね。吹田市で2校ある甲子園出場校の1つです(選抜第70回準優勝、選手権第80回ベスト8(共に1998(平成10)年))。ちなみに、もう1校は大阪学院大高(選抜第68回ベスト8(1996(平成8)年))です。
101年の歴史がある関大千里山キャンパスが無視されています⁉️
@user-zc5ys6ve6r
29 күн бұрын
ちなみに2024年は司法書士試験会場です。
@user-yy9yl9rw3j
29 күн бұрын
@@user-zc5ys6ve6r 昔は天六キャンパスが各種試験会場としてよく使用されていました。
@user-zc5ys6ve6r
29 күн бұрын
@@user-yy9yl9rw3j 最近は関大→大阪経済大学→大商大→関大って感じです。
「チサト」ではなく「センリ」です(笑)。朝日町の近所に長いこと住んでました。吹田は産業道路(正式名:十三高槻京都線)をはさんで北と南で大きく変わります。南側はアサヒビール工場があり吹田操車場があり昔からの下町です。北側は新しい街で面白いのは産業道路の北側には銭湯が無く北側に住んでいる人(高校時の同級生)は銭湯を知りませんでした。これはニュータウンが建設された際風呂付の部屋が全てだったことに由来すると思います。また北側は学習塾が多く、南側では食材に金を掛ける(肉体労働者が多い)に対し北側は教育費に金を掛ける(サラリーマン世帯が多い)ので高い肉が売れないと肉屋の友人が嘆いてました(笑)。吹田には昔から山崎パン工場があります。そこも動画に加えていただくと嬉しいです。楽しい動画ありがとうございました。
@user-te1rf9ly7j
2 ай бұрын
吹田市原町、昭和23年生まれの77歳です。昔は千里(ちさと)と呼んでいました(父親の代)。父親は私が生まれた時は国鉄に勤務しそのあと銀行に代わりました。家の裏側に千里第一小学校がありました。私も父親も千里第一小学校、千里尋常小学校でした。
@user-nv7sj1ys8d
2 ай бұрын
@@user-te1rf9ly7j それは知りませんでした。失礼をして申し訳ございませんでした。
4:46 むこうちょうじゃなくて向日まちな!
なんせ「サスティナブル・スマート・タウン」(通称SST)なんてもんも今はありますしねw←市外の人には全くわからんでしょうねw まぁ、明治の人に「戦後すんごい街になるで〜」とゆうたところで 信じてもらえんかったでせうな汗 「すいたん」はかわええですよ〜🥰 (あ!バブルの頃ね、市役所の職員の給料が日本一になってね、市民が怒ったんですよw)
千里中央セルシーのゲーセンで育った私にとって、「ちさと」の連呼はねぇって感じ。
♪かいざ~かいざ~ひか~りあれ~
校区的に千里丘小学校の卒業生は千里丘中学校に通えない 山田(第二)小学校や(東)山田小学校の卒業生は山田中学校に通えない 北千里駅と南千里駅の間にある駅は千里中央駅ではなく山田駅 太陽の塔が見守りし千里と山田が交錯する不思議地帯
@user-qc9ex5oj6d
2 ай бұрын
旧亀岡街道を挟んだ先は摂津市なので摂津市立千里丘小学校の生徒が吹田市立の千里丘中学校によっぽどでないと通えるはずもありません。 産業道路が市境に思いがちですが市場池を越えた辺りから山田第二小学校(通称やまに)辺りの旧亀岡街道が吹田市と摂津市の市境です。
むこうちょう→むこうまち
森高が好きなんですね
いつしか朝日町の「とり信」もリフレッシュしていたぜ
せんりを「ちさと」と言ってしまってるので、なんか別の土地に感じてしまった。万博記念公園近くで育ちました。 初めて吹田の歴史知りました。
JR吹田駅前に古い商店街が並んでいますが、あれは大阪万博のころにはとてもにぎわっていたんだろうなと思います。今ではシャッター街となってさみしい雰囲気ですが。
せんりやま だろ!
吹田市の小学校ぜんぶ社会とかで習うと思う
かんだいいちたかは関大一高(笑)
吹田に移り住んで40年になるが、「千里」を「ちさと」と呼ぶのに出くわしたのは初めてだ。この動画、これからも訂正されずに残るのか? そうであるなら恥ずかしいよな。
@rin8502
Ай бұрын
昔の地名は「ちさと」だったらしい。電車が開通して駅名が「センリ」となったので、それに統一したらしい。
@user-zy5wv7ck3i
Ай бұрын
千里丘陵やJRの千里丘の呼び名も「ちさと」だったのかな?毎日放送は千里にあったが当該放送局は「せんり」って自称していたけどね。
「ちさと」ではなく「せんり」ですよ。
@semi6611
5 ай бұрын
wikiによれば千里山駅は開業時(1920年)から”せんりやま”の呼称を使っていたそうだけれど、この動画でも紹介されている大正期の宅地開発~戦中期あたりはまだ”ちさとむら””ちさとやま”が地名の呼称としては通りが良かったのかも。
@taya2362
3 ай бұрын
森高千里の影響でしょ
写真の出所元が気になります 考えすぎでしょうか
誰も知らないのになんでわかったの?😸
@takabon1085
2 ай бұрын
研究者やマニア、関係者など、興味がある人たち以外はまあ、一般的にほとんどの人が知らない というような状態のことを略して「誰も知らない」と表現したりします 正しいとは言いませんが、現状普通にどこでも行われている簡略化した表現です 大袈裟な印象を受ける書き方に少々イラっとするお気持ちは察しますが、、 それを言ったらKZread動画のほとんどが、が、がが、、😅😅😅
@koneko_chan_w
2 ай бұрын
@@takabon1085 丁寧なお返事ありがとう😽
「ちさと」が正しい読み? 「ちさとさん」→「せんりやま」では?
せんりやま やで おい こら!適当にすな
カンダイイチダカって何?読み方の修正できないの?残念。
いい街だと思いますが、道路整備がまだまだですね~😅
ニュータウンとJR沿いの格差たるや。とはいえ、日本一の循環器科である国立循環器病研究センターは南部に行ってしまった
チサトって言ってる時点で見る気なくした
まず、ちさと これから何とかしようや!