出雲の国譲り神々のその後~大国主神の御子神はヤマト葛城、鴨氏の神として復活した!

Ойын-сауық

後編では「出雲国譲り神々のその後~大国主神の御子神はヤマト葛城、鴨氏の神として復活した!」として、大国主が国譲りをした後、大国主の御子神たちが出雲からヤマトに移り住んだ経緯や痕跡などを出雲大社の客座五神や荒神谷遺跡などから考察します。
葛城、鴨氏はやはり、出雲の流れを引いていた!江戸時代まで出雲大社には葛城の鴨三社に祭られている大国主神の御子神が勢ぞろいで祭られていた!
8/19にアップした前編では、「二つの天孫降臨」として、天孫族がヤマトで一つになるお話を中心に、地元に残る長髄彦のその後や、富雄丸山古墳にも触れています。ぜひ前編もご覧ください。
葛木御歳神社HPには、オンライン、アーカイブ講座の動画もご案内しています。ぜひご覧くださいね^^
www.mitoshijinja.jp/
www.mitoshijinja.jp/%E7%A5%9E...

Пікірлер: 49

  • @eueda7612
    @eueda76128 ай бұрын

    とても分かりやすく、聞きやすい説明をありがとうございます。楽しませていただいています。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    8 ай бұрын

    嬉しいコメントをありがとうございます❣アップするタイミングが遅いですが、気長にお付き合いくださいませ^^

  • @user-qo1vo5tj3w
    @user-qo1vo5tj3w5 ай бұрын

    桜井市にも出雲という地名があり、色々と裏付けができそうですね。でも、個人で掘り起こす作業は大変。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    5 ай бұрын

    はい。それはとても謎ですよね。どっちが先だったのか??それがわかれば色々紐解けそうです~

  • @1632takahashi
    @1632takahashi9 ай бұрын

    動画ありがとうございます。出雲にもあじしき神社というたかひこねを祭った神社はあります。出雲口伝では大国主(主王)事代主(副王)となってます。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    9 ай бұрын

    コメントありがとうございます^^阿須伎神社ですよね^^葛木御歳神社HPに貼っている有料講座「三輪山と三種の神器」では、「阿須伎神社(昔は同名の神社が38社あった!)祭神:阿遅須枳高日子根神、高比賣命、御年神」と紹介しているのですが、こちらでは割愛していました^^昔は出雲にもたくさん祭られていると言うことで、色々繋がりました。出雲風土記にも出ている神、出雲にもちゃんと祭られていたのですね♪

  • @user-rc2bg3po5g
    @user-rc2bg3po5g2 ай бұрын

    出雲口伝を記され冨家の本が出版されています。説得力があります。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    2 ай бұрын

    本、持ってます。なるほど〜と思うことが多いですが、かなり強引だなぁと思うこともあります。

  • @kazuomoriya348
    @kazuomoriya3488 ай бұрын

    大変興味あるお話をありがとうございます。 なかなか、神話と歴史的な話が混じっていて混乱し面白いと思います。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    8 ай бұрын

    こちらこそありがとうございます❣

  • @user-ok4iy7tl3u
    @user-ok4iy7tl3u10 ай бұрын

    素晴らしいお話伺って♥ありがとうございます

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    10 ай бұрын

    こちらこそご視聴ありがとうございます❤

  • @user-gk8mk5fs9s
    @user-gk8mk5fs9s7 ай бұрын

    神話の真実 思いですよね! 5、6年ハマってます^ - ^

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    6 ай бұрын

    興味が尽きないですよね~ロマンです~!

  • @user-kg6ih2mf7w
    @user-kg6ih2mf7w2 ай бұрын

    2024.4.12.初聴.初登録 葛木御歳神社の宮司様いろいろ詳しい話ありがとうございます、子供の頃は彼処の山の何処かに大国主命の宝が眠ってるって言われてた、景初三

  • @nihontaro9
    @nihontaro98 ай бұрын

    出雲の口伝では、出雲から事代主のお后の、摂津三島溝杭耳の娘、玉櫛姫が実家三島に里帰りし、 ほど近いヤマト葛城に事代主の息子アメヒカタクシヒカタと、五十鈴姫姉妹が移住し、 そして後からクシヒカタを頼って大国主の息子アジスキタカ彦が家族と多くの家来達を連れて移住し、 カモ氏となり高鴨家と呼ばれた。と書かれています。 葛城御歳神社も、大国主系の子孫の多岐都彦が建てた。と書かれていますので、神社の社伝との 食い違いなどがありましたら、教えて頂けると幸いです。 また、出雲大社杵築大社の作りは、大社造りと呼ばれて、参拝者に対して主祭神が横を向いた 構造ですが、良く西の方角に向かってどうのというお話もあるようですが、 これは、出雲大社のモデルとなった神魂神社の造りと左右対称に反転して作られたものの様で、 神魂神社は、元々東王家富家の宮殿であり、入口の階段のある玄関から正面は、通路で、 王家の寝室の部屋は通路を回った先にあり、そこに祖先神を祀る神社があったことから、 杵築大社を作った出雲国造・果安がそれを参考にして作られた出雲大社の作りが、 神座が参拝者の方を向いていないのも、作られた経緯からすると、ある意味当然かもしれません。 そうでなければわざわざ参拝者の横を向く意味がわかりません。 出雲口伝も一見ぶっ飛びすぎている感じもしますが、この様な記述を見ると、成る程と 納得させられる事も多いです。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    8 ай бұрын

    八咫烏のコメントにも書きましたが、「出雲口伝」はぶっ飛びすぎていて何が何だか~です(^^; 多岐都彦が建てたという説は初耳です。うーん。さすがに記紀神話との整合性がなく、よくわかりません。ごめんなさいm(__)m 大社造りは、主祭神が横を向いていますが、壁があって仕切りがあり、回り込んでいるので、特に違和感は感じていません。むしろ、客座の神が大国主神の子神だとしたら、なるほど~と思えます^^

  • @nihontaro9

    @nihontaro9

    8 ай бұрын

    @@mitoshijinja 様、 返信ありがとうございました。

  • @nihontaro9

    @nihontaro9

    5 ай бұрын

    後半の方の荒神谷遺跡から急いで出て行った先が大和の葛城であったのは、生意気な様ですが、その通りでであった様な気がします。 荒神谷遺跡は、大国主の西王家ではなく、少名彦事代主の東王家富家の墓所の近くの遺跡で、当時はまだ荒神を祭る地名では無く、荒神信仰は遺跡とは直接関係が無いものなので、神庭斎谷と呼ばれた地域で、急いで埋納した経緯は、渡来したヒボコ軍と、親戚と思っていた吉備国に挟み撃ちで攻められ出雲王家が滅亡した際に、所有していた青銅を全て供出する様に迫られたための様で、埋めたのはいつか復興した後に掘り出してまた使う目的であったようで、そのため中でも富家所有の物には、✖️印の王家所有を示す目印のバッテン印が付けられているため、全て富家所有の物ではなかった。と書かれています。 大和への移住は、実際は物部東征であった神武天皇の東征を追って出雲を捨てたわけではなく、出雲王家が滅亡したのは、少名彦事代主枯死事件の折に、その事を嫌い、出雲から半数近くの人々が事代主の息子クシヒカタと娘五十鈴姫姉妹と共に母上の玉櫛姫の実家三島から大和に移住した、神武東征のかなり前の出来事のようですが、荒神谷遺跡が作られた時代は、出雲王国が滅んだ頃のため、出雲王国は17代続いた様なので、神武天皇のかなり後の時代の様です。 事代主は、大和に移住した事代主の子孫達が三輪山の神として祖先神事代主を祭り、それが後に大物主として畏れられた様ですが、事代主が大国主の息子で、大物主でもある。というお話は、出雲が滅んだ経緯を明らかにしたくない勢力が記紀に神話として書いたものであると思います。

  • @user-gk8mk5fs9s
    @user-gk8mk5fs9s7 ай бұрын

    大和と出雲は古くからかなり仲が良かった様に感じます^ - ^

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    6 ай бұрын

    そうなんです。私は戦争したというより、仲良く交易をしたのではないかと思っています。

  • @kenichiyamaguchi6761
    @kenichiyamaguchi67613 ай бұрын

    見事に素戔嗚尊様が隠されていますね。

  • @user-kj3dq8rr1p
    @user-kj3dq8rr1p10 ай бұрын

    出雲大社になぜ天孫系の神様がまつられているのか?疑問がありました。実は大国主系の神様だったんですね!謎が解けました。ありがとうございます。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    10 ай бұрын

    ご視聴ありがとうございます! そうなんです。出雲大社の客座の神様が大国主命と無関係だと変ですものね。 ちゃんとファミリーで祭られていたんですね^^

  • @seiji5431

    @seiji5431

    9 ай бұрын

    ​@@mitoshijinja出雲大社は716年杵築大社は丹波出雲大神宮より勧請されて創建されてます。出雲大社は明治に改名。出雲国は695年に名前になってます。阿波の国の高志(たかし)に沼奈川姫の神社があり、阿波の諏訪には建御名刀祢神社(延喜式式内社、諏訪大社元宮、祭神建御名方神)があり、持って逃げた大きな岩が鎮座されてます。この神社の前は昔、海があり住所は諏訪です。諏訪の海に逃げたのはここです。また、この一帯は神話の伊津面(いずも)神話で伊津面族の延喜式式内社の神社がごろごろ存在してます。古事記の伊那沙の小濱は近くにあります。稲佐の浜ではありません。アジスキたかひこねの神社も阿波伊津面にあります。

  • @user-fm5uq9nh4j
    @user-fm5uq9nh4j3 ай бұрын

    先日、出雲大社に三度目の参拝をいたしました。その際に三歳社に初めて参拝させて頂きました。社名が変わったのか、立札には「大穴持御子神社(おおなもちみこのかみやしろ)」「三歳社(みとせのやしろ)」となっていました。道中は少し心細くなりますが、美しい所でした。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    3 ай бұрын

    三歳社、行かれたのですね^^私も行きたかったのですが、時間切れで次回参拝のお楽しみです。出雲には鴨氏との関わりをひそかに感じるところがたくさんあります。またゆっくり参拝したいです。

  • @user-fm5uq9nh4j

    @user-fm5uq9nh4j

    3 ай бұрын

    先月に葛木御歳神社さまを参拝させていただいたおかげで興味の幅が広がりました。ありがとうございます。阿須伎社にも参拝しました。出雲大社にある十九社(東西あわせて38社)は元は阿須伎社だったというお話しがあるそうです。

  • @kusunokikotaro
    @kusunokikotaro8 ай бұрын

    事実関係からお調べになってのご考察を、大変興味深く聴かせていただきました。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    8 ай бұрын

    嬉しいコメントをありがとうございます❣励みになります❣

  • @1-3-5-7
    @1-3-5-722 күн бұрын

    昔から 全部を完璧にしないで、何かかけたものをわざといれる とかあるのでは?

  • @Simainokke
    @Simainokke4 ай бұрын

    視聴させていただきました

  • @user-pi1wq3ki3u
    @user-pi1wq3ki3u2 ай бұрын

    大歳とウカノミタマが たくさんの別名にされている 出雲大社東西の十九社は大歳(阿遅須伎高日子根命(あじすきたかひこねのみこと))関係です 阿須伎神社に元はありました 松尾大社 日吉大社が この兄妹がつづきます

  • @gorilla_in_IQexperiment
    @gorilla_in_IQexperiment20 күн бұрын

    荒神谷遺跡の銅剣の数=神社の数=一族の数... 衝撃です! 出雲口伝によるとこのタイミングで銅鐸祭祀が終了した、とのことですが... そもそも祭祀のスタイルがガラッと変わるほどの外部要因は何か?って話ですよね。

  • @user-ho6lv4ld8c
    @user-ho6lv4ld8c8 ай бұрын

    とても興味深く拝見しました。院友です。ですが記紀はあくまで「中央官庁」の仕事「国譲り」をさせた側の成果だと思っていますので、各神社の伝承との照合こそが国津神を鎮める事だと考えます。HPも拝見します。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    8 ай бұрын

    院友なんですね。私は皇學館の短期講習で資格取得です^^今、大手の神社ツアーのガイドをしていて全国の神社に行っています。そこで知ったこともこれからアップしたいと思っています。素晴らしい神社の紹介もしたいと思っています。

  • @user-ho6lv4ld8c

    @user-ho6lv4ld8c

    8 ай бұрын

    大変失礼しました。國學院に神道学科があり神職を養成しているのてっきり院友と勘違いしました。佐藤洋太『神武天皇と卑弥呼の時代 神社伝承で読み解く古代史』を読んで神社伝承の重さに気がつき動画を拝見させていただきました。動画のアップを楽しみにしております。 @@mitoshijinja

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    8 ай бұрын

    あら!佐藤洋太さんの書籍からなんですね^^実は佐藤さん、Facebookのお友だちで、私も御本を持っています!各地の神社で神職さんから神社伝承を聞くと、驚くことが色々あります!

  • @user-ho6lv4ld8c

    @user-ho6lv4ld8c

    8 ай бұрын

    @@mitoshijinja そうですか! 東川さんもぜひ本を書いて御社(やしろ)の名を世間に知らしめてください。 前にも書きましたが、神社伝承はだいじですね。

  • @starfire531
    @starfire5315 ай бұрын

    剣の数に並べ方……「ここに集めてお祀りした」のではなく「各地に配る分をここで製造してた」のかな、とちょっと思いました

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    5 ай бұрын

    ここは谷でタタラの場所では無いようなんです。謎ですよね。

  • @user-rk1cd4ob6e
    @user-rk1cd4ob6e2 ай бұрын

    先月、出雲大社初めて行って来ました!三歳社スルーしちゃいました!すいません!! あー、本殿の中の神様の名前変えた説?!天皇家に対して逆族系を消すためですね。 千葉に住んでるんで、そんな神社いっぱいありますよ! 御祭神変えたり、神社の名前まで変えちゃったりとか。天皇家と揉めた所全部やったんじゃないですかね?誰がやったんですかね?八咫烏一族かかな? 現代でも墓荒らしされてる一族いますよ。 出雲の5神は大国主ファミリーの方がしっくりしますよね。感動です。 拝殿で拝むと、うっかり布津主神拝んでる形になってるんですよねw あー、258本。現代も日本全国に氏神様いるのこの頃からだったんですね。感動です。 凄い考察分かりやすいし、その通りだと思いました。 神武東征で、くっついて行ったの物部系ですね。 役職名だから、事代主さんが出世して大国主さんになったんじゃないですかね? 動画面白くて寝不足です。これからも頑張ってください!!

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    2 ай бұрын

    めちゃ嬉しいコメントありがとうございます^^ アップがゆっくりですが、今後ともよろしくお願いいたします💛

  • @revolutionno.8591
    @revolutionno.85918 ай бұрын

    大淀の方にある芦原中という所で国譲りのお話がありますよね。あの辺りが元出雲ってところなんですかね?

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    8 ай бұрын

    そんな説があるんですね!確かに奈良にも出雲という場所があります。でも地元ではそのような話はあまり聞かないです。

  • @sunsetjan.2545
    @sunsetjan.25459 ай бұрын

    驚きと興味深いお話しありがとうございます。 説明資料に神武天皇の在位期間としてDC2~AC1と記載ありましたが、広く受け入れられている見解と考えてよろしいですか。ごく最近古代史に興味を持ち始めた者です、よろしくお願いします。

  • @mitoshijinja

    @mitoshijinja

    9 ай бұрын

    コメントありがとうございます^^ 神武天皇については、神武天皇を始め、歴代の天皇が長寿すぎるのをどう解釈するかで年代が変わります。 一般的には一年を二回カウントしていた説、辛酉の年に即位したとしたいからとか。 もう少し後の時代とする説もありますし、そもそも崇神天皇と同一という説もありますが、私は違う気がしています。 もちろん諸説ありますが、この頃で良いのではと思っています^^実際は1世紀かもう少し後か~

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