Пікірлер

  • @Professor_Mori_DIY
    @Professor_Mori_DIY7 сағат бұрын

    懐かしいですね!2ドライブを交互に使って高速化してますよね😄 でも確か2GBとかの大容量には対応してなかったような。

  • @lettuce270
    @lettuce2702 күн бұрын

    間違いがあるので訂正を。 この蟻の種類はトゲアリ(Polyrhachis lamellidens)ですね。主にオオアリ属のアリの巣に帰省して巣を乗っ取る、一時的社会寄生という生態を持つ蟻です。胸部に棘があるのが特徴ですかね

  • @hiroy151
    @hiroy15116 күн бұрын

    NECのディスク安っぽい厚紙製のわけわからんホルダーに入ってましたね~ 5インチは深緑色だったような。。。 フロッピー挿入してロックかかる音とかモーター音とかも聴きたい 9801Fの2DDはピーピーガーガーとすごくうるさいドライブでした

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w15 күн бұрын

    5インチのN88日本語BASIC(86)は、深緑の紙バインダーです。 コレクションのFD → www.crimson-systems.com/media/fd5/sft05.htm

  • @cheezdl
    @cheezdl25 күн бұрын

    Uhm, what does that ocsilloscope cost? And where can you buy that?

  • @user-tw7je1xl2u
    @user-tw7je1xl2uАй бұрын

    サーバー用

  • @user-ds9gm1jg4p
    @user-ds9gm1jg4pАй бұрын

    そういえば、ルネサスで組み込みMPUをどうするかになってるな。ゆっくりやればいいんだよね。

  • @user-jb7ok1hn3n
    @user-jb7ok1hn3nАй бұрын

    歴史を感じる音ですね。

  • @user-dz7eb8hr7z
    @user-dz7eb8hr7zАй бұрын

    なつかしい。金が無くて6001mkⅡしか買えなかった。

  • @tn0c164
    @tn0c164Ай бұрын

    PC98でN88BASICがあって、しかも8インチFDDとは驚きました。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8wАй бұрын

    処理スピードを上げる為に、BASICコンパイラがあります。 また、メモリ操作・イメージファイルの入出力・GP-IB通信等で高速化をする場合はアセンブラでサブルーチン化し、画面関連はBASICで作成します。

  • @user-ll8st1ml1j
    @user-ll8st1ml1jАй бұрын

    すごい懐かしいな。大切に使って下さい。ドクター中松も喜んでると思います

  • @user-sq4lu1iu9t
    @user-sq4lu1iu9tАй бұрын

    いかにも読み書きしている感じが良いですね。今のSSDにはわくわくしない

  • @Yokoya_Nokku
    @Yokoya_NokkuАй бұрын

    SACDプレーヤーでリレーがカチッと鳴る音は気になって仕方ないが 8インチドライブの駆動音は心地いいんだよ 心地いい周波数と不快な周波数が有るのだろうね

  • @g3nero299
    @g3nero299Ай бұрын

    メッチャ懐かしい。 職場の休み時間にソリティアとマインスイーパーで良く遊んでた。 CPU100m/hz位でメモリーとHDDの容量も今とは単位が・・・

  • @The12thBrightestStar
    @The12thBrightestStarАй бұрын

    初代PC-9801で使ってました。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8wАй бұрын

    初代PC-9801は使っていません。 当時は、メインフレームでシステムを開発をしていました。 個人的には、PC-8801、 NEC PC-6082(カセット)、EPSON TF-20(5インチ FDドライブ) 、EPSON MP-80(プリンタ) で遊んでいました。 98は、PC-9801UVからで、開発言語は Lattice Cでした。

  • @TsucaPon40
    @TsucaPon40Ай бұрын

    DVD-RWディスクは4.7GBだが、実際の容量は4.3GB程度になるのと同じで、5.2GBのMOディスクで実際に使える容量は4.8GB程度になると…。

  • @user-ss5mn2ip3h
    @user-ss5mn2ip3hАй бұрын

    え?プロダクトキーの入力がいらないだと・・・!やりたい放題じゃんw

  • @user-ds9gm1jg4p
    @user-ds9gm1jg4pАй бұрын

    CP/Mからやってるもんで、2000買っちゃったよ。フロッピーディスクに入れてインストールするのね。凄く懐かしいわ。

  • @tomopiru
    @tomopiruАй бұрын

    なんかわからないけど、ロマンを感じる。 当時、なんか不思議な事(音)してるなぁと思って、果てしない未来を感じてた、、

  • @bitbehind
    @bitbehind2 ай бұрын

    FM-7でDBASE2を使っていました

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w2 ай бұрын

    FM-7は使ったことがありません。 DBASEですが、 PC-98で dBASE3、dBASE3+を使いました。 DBASEは、アプリのプロトタイプ用で、実際のアプリは CとBtrieveで開発していました。

  • @kaz82
    @kaz822 ай бұрын

    windows3.1懐かしいです。自分は3.0から使っていました。今のwindowsとくらべるとデバイス追加とかメモリの管理とか面倒くさいOSでしね。でも、windows3.1までのUI結構すきでした。今も実家の押し入れに3.1時代のPC-98とDOS/V機とソフトウェアが眠っています。多分、フロッピーのソフトウェアはカビはえたり磁力で壊れていると思いますが。この時代はネットとかなくても、PCを使っている事自体が楽しく感じていた記憶があります。MS-DOS+Windows3x時代に戻りたい感じもします。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w2 ай бұрын

    当時はメモリも高額で、少ないメモリでどうするか試行錯誤の連続でした。 PC98からDOS/Vへ移り、さらにWindowsへといろんな技術が現れ進化・発展していました。 NetWareやOS/2の敗退など、ある意味良い時代でした。

  • @mobiler100
    @mobiler1002 ай бұрын

    このころはFEPをメモリのどの位置に配置するか、いろいろ試しましたよね。 メモリは64KBまでしか利用できず、それ以降のメモリはページング・メモリとしはて使用していたと記憶しています。 懐かしい。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w2 ай бұрын

    本当に懐かしいですね。 当時は情報源も乏しく、いろいろ苦労しましたが良い思い出です。

  • @u-jiro7728
    @u-jiro77282 ай бұрын

    懐かしい。四半世紀ぶりに見た画面。

  • @Yoshidx
    @Yoshidx2 ай бұрын

    そういえば、いつの間にかインストール時の背景ってなくなったな

  • @1019ha
    @1019ha2 ай бұрын

    この頃のパソコンは現在のパソコンと別物ですね。

  • @under2back
    @under2back2 ай бұрын

    あの電話帳、辞書みたいにブ厚い説明書が懐かしく感じます。

  • @DiaconescuAlexandru2024
    @DiaconescuAlexandru20242 ай бұрын

    What time base and persistence settings did you use? On my Rigol DS1054Z it's pretty hard to get a non-grainy image that updates every 1 or 2 seconds

  • @user-hi7jh1fd5u
    @user-hi7jh1fd5u2 ай бұрын

    初めまして。CP/Mの懐かしい動画を有難う御座います。CP/MはMS-DOSと標準パソコンOSの座を競っていましたね。私は富士通9450の流れをくむFMR-50ラムダを使っていたので富士通独自CPUのMN1610AデュアルCPU構成で動くAPCS OSを利用していました。開発環境はアセンブラしかなかったですが、統合EPOCなど使いやすいオフィスソフトが用意されていました。windowsも初期にはIBM OS/2と競っていましたね。私は富士通がSUNのOEMを始めたのでSPARC Station ELCを購入しSUN OS4.1.2で使い始めました。SUNはその後Open SolarisをリリースしましたがSVR系は使いにくいです。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w2 ай бұрын

    この時代は、仕事でいろいろ苦労しましたが懐かしく思っています。 FMR-50ラムダ、SPARC Station、SUN、Open Solarisは使いませんでしたが、書籍等で大変興味がありました。 UNIX USER、LINUX JAPANなど定期購読していました。 Windows では 、乗り遅れないようOS/2もしばらく使いましたが NovellのNetWare、PC98とDOS/V機、ロータス123とEXCEL等 ・・・ 栄枯盛衰は世の習いですね。 私は、第1次オンラインシステムの開発に携わりました。 FACOM 230-25のROSを凝縮したMARBLE-25です。言語はFASP(アセンブラ)でした。 マイコンPC-8801を買い遊んでいましたが、振興PCソフト会社に誘われ移りました。

  • @user-hi7jh1fd5u
    @user-hi7jh1fd5u2 ай бұрын

    @@user-jd1eq3yp8wお返事を有難う御座います。仰る様に計算機には栄枯盛衰があり優れた機種でも使われな普及できなかった例も少なくないです。80年代に強力な独自ネットワークを実現したApollo機はSUNすら脅かしましたが、標準化に失敗し消えました。チョムスキー理論で先導的人工知能研究に貢献したLISP専用機のSymbolicsや科学技術用途グラフィックス機のSGI irisなど枚挙に暇が無いほどです。半世紀ほど前の私の大学院時代に初めて東大・東工大間のネットワークが開通し、それがJUNETに拡大して、現在のネットの第一歩となりました。当時は電電公社が回線の利用を認めず、東京電力も電柱を利用させてくれなかったので、物理ケーブルは東京都下水道局の配管トンネルを利用させて貰いました。10BASE2ケーブルには中継器が必要なので、物理層の実現には建築系の博士課程学生が本当に大変な苦労をしました。そして両大学の回線末端から校内の各計算機への接続ハードと通信ソフトウェア各層のプログラムと標準化に両学の理学部、工学部の博士課程学生が総力を集結集しました。何でもそうですが一番初めに立ち上げる者達が一番厳しい苦労を強いられます。私は生命科学専攻でしたがプログラミングできる以上は容赦が有りません。一週間連続徹夜で、遅れていたトランスファー層の各機種用通信モジュールのプログラミングを頑張り、最適化、性能試験を実施したこともあります。かつての主要大とその付属研究所、国立研究所の博士達は、研究で困っている人を、皆で助けようと言う善意のJUNETのユーザ達でしたが、最近の研究者たちはモラルが壊滅した一般のネットを誰も利用せず、かつてのメーリングリストが復権してきました。現在のネットは物理層が光回線化し、データリンク層も富士通DIPS OSとD-80/120交換機をNTTが移動端末の地上局リレーと接続数改善のため刷新したので大きく変わりました。またブラウザなどHTMLの進歩でアプリケーション層とプレゼン層も全く変わってしまいました。でも私が担当した中間部のトランスファー層は殆ど昔のままだそうです。スケーラブルかつ機能モジュール化して堅牢なプログラミングをしておいてよかったです。私は企業医薬研究部所属なので、計算機と言えばスパコンを用いた化合物の分子軌道計算とゴニオメータ測定によるたんぱく質の構造解析が主用途です。 この様に東工大には自分達が必要な研究環境は自分たちで作ると言う精神が根付いているので、スパコンもCPUから全回路設計、それらの実装まで博士課程の全学生の力で全て自力で完成し、NECに実機を製造して貰い、OSと開発環境も自分達でフルスクラッチして独自のTUBAMEシリーズ機を構築しました。私は良く業務の問題解決にTUBAME2を時間借りしています。FORTORANでソースを書きクロスコンパイラでオブジェクトを制作、16進数ダンプをプリントアウトして体育館に敷き詰め、漏れのないようにバイナリ直接デバックしてTUBAME2にかけています。ところで私はIBM system360から計算機と付き合っています。カードデッキの完全バッチ処理システムがTSSに移行する時代でした。私はこのTSSシステムを利用し複数の端末で遊ぶトランプゲームを冗談で書きました。多分世界初のネットゲームだと思います。そのプログラムを米IBM社のコンテストに送りました。「大型汎用機360でゲームをする発想は斬新で、計算機の可能性を広げる。」と特別賞とバッカス先生の書かれた米IBM社内専用の詳細なFortranマニュアルを頂きました。プログラムが大規模になるにつれ、後のオブジェクト指向に繋がる構造化がダイクストラ先生らによって提唱され、Fortranの構造化FEPとしてカーニハン先生がRatforを完成しました。これは大変優れた計算機科学的成果だったのですが、先進的過ぎて時代に理解されませんでした。私はRatforを高く評価しています。計算機に便利な命令セットが次々追加され、アキュムレータのデコーダが複雑化し、そのオーバーヘッド問題が顕在化してRISC型計算機アーキテクチャの誕生につながっていきます。スタンフォードのアンディ・ベクトルシャイムが今日も生き続けるSPARC完全スケーラブルCPUアーキテクチャを生み、同時期にバークレーでビル・ジョイがBSDを完成したのは本当に運命に恵まれたと思います。 私はパソコンとしてSUN SPARC station ELC (SUN OS 4.1.2 自作Ratfor+SUN Studio12FORTRAN)を購入し、CPUを富士通製の高クロック内部3倍速品に苦労して交換し、現在は自作A64FXの16SMP型計算エンジンを外付けして使用しています。KZreadだけはブラウザが必要なので先年頂戴したノートパソコンで閲覧しています。ところでOSが必要なロールバックのようなフェイルセーフ機能、並走するジョブの相互保護、トレース、パフォーマンス評価機能などを初めて完備したのはIBM OS3901Kではないかと思います。もちろん最近の計算機科学研究の進歩により各モジュールのアルゴリズムは主記憶管理、分岐命令の先行実行など劇的に進化していますが、最近の1台の業務用計算機にVMウェアを搭載し複数の仮想サーバとして運用するスタイルはOS本来の必要要件を忘れている気がしてなりません。ちなみに3901Kを書き換えて富士通Mシリーズ大型汎用機の最上位機種の完全互換にして、勝手にOSを入れ替え弊社システム部から大目玉を喰らった事もあります。それからLinuxの普及にも危険性を感じます。普及したのは計算機科学的にOSの機能からボトムアップ設計したのではなく、完成されたunixから機能を削って単純化したので覚える事が少なく誰にも分かりやすいので人気が出たからです。(続く)

  • @user-hi7jh1fd5u
    @user-hi7jh1fd5u2 ай бұрын

    @@user-jd1eq3yp8w私は古い富士通S-4EC(SUN SPARC station ELCのOEM品)のOSにSUN OS 4.1.2改造(主にリュージョン域からドライブまでのダイレクトマッピング記憶域制御アルゴリズムなど)品を搭載し、プログラム環境に自作Ratfor+SUN Studio12FORTRA(開発環境(SUN Solarisからの自力移植版)を使用しています。SVR系は使いにくいと感じます。科学技術計算速度をかせぐためELCには自作計算エンジン(富士通A64FX 16CPU/SMP 4ノード構成。OSは富士通APCSカーネルを参考に富士通MSL数学ライブラリを加え最小構成でフルスクラッチした自作品。)を接続しています。A64FXは通常のデータバスとは別に物理的に別CPU間でレジスタのグルーピングを行う専用スイッチングバスを備えているので、コントローラLSIもコリジョン防止実装ペリフェラル回路設計が本当に大変です。本機はキャダムを使ってノード分割した回路設計から多層基盤パターン起こしまでを実施し、printec社にマイクロウェーブ対応高TMAポリイミド特殊基盤を使って製作とチップ部品実装して貰ったものです。通常のパソコンと異なり表面実装素子がムラタ、東金、日通工製のスパコン専用品なので特殊マシンを使わないとはんだ付けできません。メインメモリも全て富士通が富岳用に開発した高速CMOSを実装しノーウエイト追従を可能にしました。ブートストラップやBIOS類は自作SPARC RISCアセンブラで書きました。ちなみにA64FXは富士通スパコン富岳用のCPUです。 計算エンジンは足回り、つまり電源設計が十分でないと安定動作は出来ません。計算エンジンには冷却システムを除き低電圧大電流が2500W以上必要です。そこで電源はパソコン用のように昇圧せず100V 25Aから整流後、直接ダーリントントリガーを利用した高周波用トライアック式のスイッチングレギュレタ式を採用しました。計算エンジン起動時に一気に通電するとサージアブソーバで抑えられない突入電流でブレーカーが落ちるので、SMPをノードごとに順に時間差通電するよう、プログラマブル1チップのマイコン制御回路を電源制御に組み込みました。最近の組み込みマイコンは性能が高いので出力電圧と供給電流の監視プログラムも追加しました。冷却システムは水冷では全く役に立たないので工業用小型冷凍機から4系統の配管でブラインを循環させています。A64FXは富士通が民生用に開発、製造したCPUです。米中のスパコンが軍事用なのに対し、このCPUや周辺LSIはSA契約だけで供給を受けられます。それでクレイ社などにもスパコン用に供給されています。私の計算エンジンはCPUが16個と小規模で効率が良いため、ノード当たりの計算能力は、ほんの少し富岳を上回っています。最近やっと計算エンジンに富岳とのクロス開発環境が完成したので、富岳で実行するプログラムの開発と富岳実行時の計算必用時間、リソース占有の見積もりができるようになりました。それにしても計算エンジンを調子に乗って長時間駆動すると電気代が4万円位になるので、家庭用スパコンの実現にはまだ時間がかかりそうです。

  • @hachiwaresama
    @hachiwaresama3 ай бұрын

    日本メモレックスじゃないだと…

  • @user-tr9yq6yn5e
    @user-tr9yq6yn5e3 ай бұрын

    今どきのPCはUSB起動できるのでPC-DOS 2000をUSBにインストールしたことがあります。ちょっとコツが必要ですが。

  • @user-xu3kl8jk2sx7dp5jy
    @user-xu3kl8jk2sx7dp5jy3 ай бұрын

    ふわぁー、懐かしいー。 私はもう捨てちゃいました。

  • @user-dc1pj1mz3t
    @user-dc1pj1mz3t3 ай бұрын

    懐かしいですね。私もまだ所有しています。 IBMのエンジニアだったので、IBM-PC、PC-AT時代はずっとPC-DOSでした。 それ以前はフロッピーは8インチ。 更に以前は、Z80で自作してスイッチで機械語入力&LED表示でした。 特にPC-ATの80286(16ビット)のスピードには驚きました(PC-ATのキーボードは最高傑作でした)。 今でもISAバスが使えるマザボを探しています。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w3 ай бұрын

    IBM製品では S/36、S/38、 AS/400でシステム開発をしました。  小型機でしたが、言語はRPGでした。 S/38からRDBが使えRPGⅢは大変楽になりました。 IBM JXは BASICで、 5550シリーズはCでの開発です。 ------------------------------------ Z80での開発は凄いですね。 また、ISAバスのマザーボードは難しいかもしれません。 第1次オンラインシステムの開発に携わりました。 FACOM 230-25のアセンブラ(FASP)です。 その後、230-45、M-360時代までCOBOLでの開発でした。 巷ではマイコンが流行していたので、PC系に移りました。 www.crimson-systems.com/blog01/blog0102.htm

  • @user-dc1pj1mz3t
    @user-dc1pj1mz3t3 ай бұрын

    IBM入社前は、PDP-11でアセンブラを使ってゲームを作って遊んでいました。 UNIX(当時、PDP-11で動作するUNIXは国内に2台しかありませんでした)のソースとコンパイラを解析してCの偉大さに感激しました。 同時にLISPの面白さにもハマりました。 IBM入社時は、パソコンはZ80かマックしかない時代でしたので、社内にパソコンはありませんでした。 プログラマーとしてPL/Iで工場内のオンラインシステムを開発しました。 IBM-PCが発売された以降は、Cを使い倒して、15年間PC-ATとトランスピュータ16個を内蔵した画像処理ボードを自作してOCCAMという並列処理言語を通して英国人の創造性に感服しました。 大学院で出ておりませんでしたが、旧帝大で工学博士と情報科学博士を取得し、日立中央研究所に転職、すぐに辞めて、40歳で国立大学の情報工学科の教授に赴任しました。 使用言語はずっとCです。ハードウェアを駆使することと処理速度の面で最高の言語だと思っています。 ディープラーニングや機械学習もPysonでは遅すぎて、やはりCで書きます。 Cとの付き合いは45年以上、UNIX(LINUX)も同じです。 元々は電子工学が専門なので、PCに内蔵する数多くの画像処理ボードを開発してきました。 仕事が情報科学(これも趣味と同じですが)、趣味が電子通信工学です。 Windowsでハードを操作するのは困難で、やはりPC-DOSが最適なんですね。

  • @user-ih5gb8ss6s
    @user-ih5gb8ss6s3 ай бұрын

    凄いな、まだ現役か?

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w3 ай бұрын

    8インチFDは、1S,2D,2DD等と幾つか種類があり、IBMフォーマットになっています。 しかし、非IBMフォーマットも存在します。 同様に、5インチ、3.5インチもトラック単位(表・裏)に読込み、セクター情報がわかれば、イメージ・ファイルとして出力でき イメージファイルを解析すれば、フロッピーの内容がわかります。

  • @DoReMiLight
    @DoReMiLight3 ай бұрын

    フロッピーディスクの音、懐かしい。

  • @user-uk7yx6ji9u
    @user-uk7yx6ji9u3 ай бұрын

    8分30秒辺り、コマンドラインを使わなくても、DOSシェル上からコピー出来ます。

  • @user-uk7yx6ji9u
    @user-uk7yx6ji9u3 ай бұрын

    最初のコメントで失礼。  キーボード は チコニー ですか?。私はこのキーボードの前型のWindowsキー と Applicationキー が無いキーボードを使っています。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w3 ай бұрын

    チコニーです。  これと同様なデザインのPS2キーボードは4個有り、内2個はIBMになっています。

  • @user-uk7yx6ji9u
    @user-uk7yx6ji9u3 ай бұрын

    @@user-jd1eq3yp8w 様  返信有り難うございます。  チコニー のキーボードは IBM に OEM 供給していたもので、中身は同じです。  私は 日本語と英語の PS/2 用を 2個づつしか持っていません。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w3 ай бұрын

    チコニーは、IBMのOEMだったのですね。 IBMと同様なデザインなので、パクリの中国製かな?と思っていました。 IBMのキーボードですが、 IBMの S/36、S/38、 AS/400でシステム開発時に使っていました。  www.crimson-systems.com/blog04/blog0401.htm

  • @okiuto
    @okiuto3 ай бұрын

    90年代半ばでもみどりの窓口とかで目撃する事があった記憶がある

  • @baba-gl6rz
    @baba-gl6rz3 ай бұрын

    あの頃 はMULTI16でCP/M86を使っていました。NEC版のCP/M86を始めてみましたがメッセージが親切ですね

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w3 ай бұрын

    MULTI16は、使ったことがないので、メッセージ関連はわかりません。 当時は、CP/Mが主流になると思っていましたが・・・

  • @nekoronia
    @nekoroniaАй бұрын

    >MULTI16でCP/M-86 学校で使ってた・・・98でDOS使いたかったけどw 課題のCOBOLのコーディングして汎用機で動かすとかそんな感じの時代・・・

  • @tdinm2341
    @tdinm23413 ай бұрын

    DOSをセットアップした後からが闘いでしたね。ハイメモリの取り合いやブートストラップの順番だとかconfig.sysとの格闘でした。LAN設定とかもう。。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w3 ай бұрын

    本当にそうですね。 メモリが高価なので、いろいろ苦労した思いがあります。 LANはNetWareでしたが、こんな時代が来るとは・・・ ですね。

  • @kazunarihiramatsu1542
    @kazunarihiramatsu15423 ай бұрын

    dos-shellというGUIみたいなのがあったのを覚えています。Vzエディター、FD、LSI-Cコンパイラ試食版。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w3 ай бұрын

    MS-DOS 5.0、PC-DOS J6.3 で、セットアップで DOS Shell が表示されます。 (実際には DOS 4.0 から搭載) しかし使いやすさでは、FD、FILMTN、Vzディター等ですね。 CONFIG.SYSで SHELL行をコメント又は削除していました。

  • @user-ec1zj2yg2b
    @user-ec1zj2yg2b3 ай бұрын

    嗚呼、懐かしの青春時代 親父に頼み込んで中古のPC-9801RX2を買って貰ったあの頃を思い出す…

  • @shinobuujiie3371
    @shinobuujiie33713 ай бұрын

    懐かしい。学生の頃、これとwin3.1と中古インクジェットプリンタを電気街で買って、電車乗って持って帰ったな。当時は説明書だけでも電話帳くらいの分厚さやったし、win3.1なんか、フロッピーディスクも30くらいあった。最寄り駅から家まで、雨が降る中、金もないから手で持って帰った。手が千切れそうになった。

  • @user-jd1eq3yp8w
    @user-jd1eq3yp8w3 ай бұрын

    Windows 3.1の FD、マニュアル等が箱付きで有ります。 重いですね。(^^)

  • @heihoo2000
    @heihoo20003 ай бұрын

    Windows3.1を体験したくて、Canbeを購入したけど、MS-DOSばかり起動してました。。

  • @wt2179
    @wt21793 ай бұрын

    イギリスで今MSDOS使える人大募集してるらしいからワンチャンいける!w

  • @takayukitanaka4123
    @takayukitanaka41233 ай бұрын

    ミイソのMSDOS6.2 FD 6枚組手元に残ってます。ある意味良くできたOSです。

  • @yusin9499
    @yusin94993 ай бұрын

    懐かしいですね。仕事で毎日毎日PCにMS-DOSを組み込んで、製品を組み上げて いった思い出が........きつかった。😭

  • @adminofficetokyo
    @adminofficetokyo3 ай бұрын

    DOSのセットアップってこれだけじゃ終わらない。CDのドライバとNE2000当たりのドライバをConfig編集して導入しないと動かない。 そんなこんなでメモリが圧迫されるから、普通はQEMMとか買ってきてインストールするしかなくなる・・・

  • @FUGA032729
    @FUGA0327293 ай бұрын

    これの市販前のテスターしました。 開発したのは"ミイソ"のシステムプログラマーして居た。今は亡き友人です。バージョン6.0/6.1は、開発者の友人に無断で同職のシステムプログラマーが改編してトラブルが発生。それで友人に修正依頼が来てましたよ。ちなみに、私も友人も先天性の重度身体障碍者です。

  • @user-ke8cz4lg2v
    @user-ke8cz4lg2v3 ай бұрын

    過去に行った時使えそうな知識

  • @anic0806
    @anic08063 ай бұрын

    インストール中にフロッピーを交換していかないといけないのすごい