「最後まで涙が止まらない」特攻隊の存在を知らないアメリカの若者に当時の遺書を見せ歴史の真実を知った結果…【海外の反応】【ゆっくり解説】

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Пікірлер: 146

  • @user-sf6wt3jq1w
    @user-sf6wt3jq1w5 ай бұрын

    地元の知覧の特攻記念館に隊員達の手紙が展示されてる。 生んでくれた両親への感謝と年の離れた弟妹に両親を大切にって 手紙に綴られているのを読んだ。ただただ悲しい気持ちになったもんです。

  • @user-kx4dv6yl5v
    @user-kx4dv6yl5v5 ай бұрын

    当時の特攻隊と米兵が対面してる動画がKZreadにあがってるけど、死にたくなかったって当時の人の口から聞けるのほんと貴重だと思う 一回みんなに見てほしい

  • @Pig-dc1jv

    @Pig-dc1jv

    4 ай бұрын

    リンクを張って頂けると幸いです

  • @user-co4uy9zu1s
    @user-co4uy9zu1s5 ай бұрын

    特攻隊の遺書にあった 「日本は負けるでしょう、しかし負けたあとどうなります? 我々の命は講和の条件にもなっているのです」と 今の日本があるのはまさにそれなのです

  • @user-ro2rs6sg1x

    @user-ro2rs6sg1x

    5 ай бұрын

    でも実際マリアナ沖海戦あたりで敗戦を認めてればソ連の参戦はなく(千島全島は間違いなく日本のまま。樺太は日露戦争の戦利品だから厳しいが)、原爆投下もなく、東京大空襲もその他の空襲もなく沖縄戦もなく遥かにダメージが少なかった。徹底抗戦が日本の被害を遥かに大きくしたのも事実。

  • @user-tx3ms8bp3f

    @user-tx3ms8bp3f

    5 ай бұрын

    ​@@user-ro2rs6sg1xその辺りは人間万事塞翁が馬と言うか、GHQの占領とかアメリカ資本の流入とかが日本を一新したのも事実で、特に日本国憲法なんかは敗戦後の流れ次第では帝国憲法のままだった可能性すら微レ存 だからといって徹底抗戦して良かったなんて口が裂けても言うつもりはないけど…何が良い未来、悪い未来に繋がってるかなんて誰にも分からないよね…

  • @menmentantan5591

    @menmentantan5591

    5 ай бұрын

    @@user-ro2rs6sg1x 徹底抗戦したのは、天皇制維持が保証されていなかったからです。 みんな 天皇陛下に命を捧げたのです。 そこのところ重要なのに、なんで隠蔽するの? みんな 天皇のために死ぬ ということで納得して散ったんですよ

  • @JerryMouse5

    @JerryMouse5

    5 ай бұрын

    @@user-ro2rs6sg1x 日本は1945年の早い段階から講和しようとしてたけど、仲介してくれる国もなく、苦労してアメリカと講和ついての話し合いをしても、アメリカは日本が提示した降伏の条件を拒否して日本は無条件降伏しろって言ってくるし八方塞がりの状態でズルズルと8月15日を迎えてしまったんやけどな… 簡単に講和って言うけど、劣勢とは言えまだ戦える戦力があるのに無条件降伏をする様な国はないで。 無条件降伏したら軍部の解体は必至で、最低限の防衛力すらも喪失する可能性あるのに、当時の国際状況でそんな事を簡単に呑める訳がない。 それに無条件降伏したら、下手したらアメリカの植民地か属国にされる可能性もあるわけで、植民地にされる位なら徹底抗戦しようって話になるでしょう。 戦後に生まれた我々は、GHQの占領政策は穏便で、軍部は解体されたが日米安保のお陰で日本は自衛力をアメリカに頼る事が出来た事を知ってるが、戦争中の日本はそんな事を知ってる訳ないので、講和が上手くいかずアメリカから無条件降伏しろだなんて言われたら、徹底抗戦しか選択肢がないと思うでしょう。 別に好きで徹底抗戦してた訳やないよ。 後知恵でそう言う事を言うのはやめた方がエエで。

  • @JerryMouse5

    @JerryMouse5

    5 ай бұрын

    @@user-ro2rs6sg1x 日本は1945年の早い段階から講和しようとしてたけど、仲介してくれる国もなく、苦労してアメリカと講和ついての話し合いをしても、アメリカは日本が提示した降伏の条件を拒否して日本は無条件降伏しろって言ってくるし八方塞がりの状態でズルズルと8月15日を迎えてしまったんやけどな… 簡単に講和って言うけど、劣勢とは言えまだ戦える戦力があるのに無条件降伏をする様な国はないで。 無条件降伏したら軍部の解体は必至で、最低限の防衛力すらも喪失する可能性あるのに、当時の国際状況でそんな事を簡単に呑める訳がない。 それに無条件降伏したら、下手したらアメリカの植民地か属国にされる可能性もあるわけで、植民地にされる位なら徹底抗戦しようって話になるでしょう。 戦後に生まれた我々は、GHQの占領政策は穏便で、軍部は解体されたが日米安保のお陰で日本は自衛力をアメリカに頼る事が出来た事を知ってるが、戦争中の日本はそんな事を知ってる訳ないので、講和が上手くいかずアメリカから無条件降伏しろだなんて言われたら、徹底抗戦しか選択肢がないと思うでしょう。 別に好きで徹底抗戦してた訳やないよ。 後知恵でそう言う事を言うのはやめた方がエエで。

  • @TOMMYMOM
    @TOMMYMOM5 ай бұрын

    103歳の誕生日を目前に亡くなった明治生まれの祖父。父が何度も、「親父は太平洋戦争の間何してたんだ?」という質問に長年ずっとだんまりを貫いてきたそうなのですが、いよいよ死期が近いことを悟ったのか祖父が急に、「言っとかんといけん事がある」と父に話した話が、出撃前の特攻隊員のお世話をする仕事をしていたということでした。 「もう思い出したくなかとよ…あまりにかわいそかけんね…」と涙を流し、二十歳にも満たない若い男の子達の寝食をお世話してきたそうで、出撃が決まればお酒を振る舞い、帰って来ない飛行機に「おめでとう」と手を振って見送る。当時は誰にも言えなかったけど、めでたいなんて微塵にも思っておらず、出撃の日に雨が降ってくれないかと天気の神様にお祈りしていたとも話していたそうです。 「何で若いあん子らが死なんといけんかったんか…あん子ら笑って行くとよ…今から死にに行くのに……」を何度も繰り返し、父も一緒に病室で泣いてしまったと言っていました。

  • @ikuji-cyuusin

    @ikuji-cyuusin

    5 ай бұрын

    故郷を家族を守る為に、捨てがまりに成ったんだよなぁ その爺さんもそれに入ってるのに解らんかったのか… 俺の爺さんも満州ビルマなど各地を転戦し、最後はシベリア抑留されて 自分が帰国した時には墓が建ってたらしい 味方は潜水艦で全て爆破され、マラリアで1ヶ月生死をさ迷い、手には刺された後、隣で何人も友軍は死に、抑留でバタバタ死んで行った それでも相手の捕虜を助け、その相手が裁判官で戦後裁判で無罪になったり 自決の手榴弾を部下にはやらせなかった 洗脳や強制など短絡的な事だけで戦争していた者ばかりではないよね 皆、死の前線で戦ってた者は 日本国よりもその先にある家族を護る為に戦ってたみたい。 戦前の日本人には一所懸命、個より集団を生かす為の捨てがまりの様な事を 名誉だったり平気でやってたしね

  • @user-ok9ll8zf5x
    @user-ok9ll8zf5x5 ай бұрын

    血の涙を飲んで言ったバンザイ そう言わざるを得なかった 特攻だって、誰が本当に喜んでするのか 日本あってこそ 大切な人を守れると信じて ただただ悲しい ご先祖様に感謝です。

  • @user-tx3ms8bp3f

    @user-tx3ms8bp3f

    5 ай бұрын

    十代で「御先祖」になる人生 余りにも、余りにも…

  • @Fuku-123
    @Fuku-1235 ай бұрын

    亡くなりし伯父が、特攻の兵士でしたが次の日というときに戦争が終わり恥じていたそうです。恥じなくていい。生きていてくれてありがとう。そう思いましたが、やはりそれだけの思いがあったのだと思います。分からない人には教えればいい。わかってくれたら、嬉しいですよね。

  • @user-qv4zu2jb4q

    @user-qv4zu2jb4q

    5 ай бұрын

    只の推測でしかありませんが、その伯父様は同じ釜の飯を食った先輩達が先に飛んだのに、自分だけが・・・と思われたのかと🥹

  • @Fuku-123

    @Fuku-123

    5 ай бұрын

    @@user-qv4zu2jb4q そうかもしれません… ですが、お国のために生命を捨てる覚悟でいたものですので、特攻に出られなかったことは自己の生き恥だと思っていたようです

  • @user-tl7hz1lu1g

    @user-tl7hz1lu1g

    2 ай бұрын

    祖父弟が同じく特攻の生き残りでした。 終戦の日当日の午後出撃予定だったのが、玉音放送で取りやめになり生還しました。 後年(私が小学校の頃)祖父と酒の席で「お盆が近付くと、あいつらが笑顔で夢に出るんだよ。お前はまだ来るなよ、って笑顔で手を振るんだ」ここしか覚えてないけども、泣きそうな笑顔で祖父と盃を交わしていたシーンは40年経った今も忘れられません。 やはり、同期がみな死んで行ったのにという後悔の念があったのかもしれませんね。

  • @user-nt8gj7ox5v
    @user-nt8gj7ox5v5 ай бұрын

    何故こんなバカなことをしてたんだと日本人でも思う。だがそれで死んでいった若者達を馬鹿にして笑うような行為は許したくない。僕は当時を知る訳でも家族に特攻隊員がいる訳でも無いけど命を軽く見て散った命を笑うなんてことは戦争以前に許せないことだと思う。

  • @user-gc6xk3nv1r

    @user-gc6xk3nv1r

    5 ай бұрын

    俺は本当に特攻はバカな事をさせたんだってマジでわかる。 でもそれを許し、若者を潰した上層部たちがホントに許せない

  • @user-fb6ip4bf4u

    @user-fb6ip4bf4u

    5 ай бұрын

    上層部が薩摩藩出身なら😢

  • @Harpoon-

    @Harpoon-

    5 ай бұрын

    特攻がバカだと言うなら如何やってそれ以外で戦果を出せるか考えてから言って欲しくはあるがね。 昭和20年に入ってからは特に通常攻撃のみで戦果を挙げる事は事実上不可能だったとさえ思う。 それ以前から対応が出来るのであれば話しは違うが、その時の状況を切り取って見た時に他に方法があったとは思えない。と言うのが私が今までに戦史を学んで感じた事だ。 作戦内容をバカだと言うなら少しはそれを知る努力はするべきだな。

  • @JerryMouse5

    @JerryMouse5

    5 ай бұрын

    ホンマそれ。 特攻の立案者ですら特攻の事を「統率の外道」と呼んでた位やから、特攻なんてロクなもんやないけど、特攻で散っていった若者達を馬鹿にするのは心の底から許せない。 特攻については賛否両論、色んな意見があるとは思うけど、特攻で命を落とした若者達を愚弄するのだけはやめてくれ。

  • @user-xw7yv5hb5p

    @user-xw7yv5hb5p

    5 ай бұрын

    そこまで追い込まれてたって事だ アメリカと戦争したのが無謀とか言うアホも居るが、日本が白人達に植民地にされない為にで死に物狂いでやって来たことを無条件で放棄要求されたらするしか無くなるだろ

  • @Yashichi847
    @Yashichi8475 ай бұрын

    知覧は覚悟して行かないと泣き崩れる あの時代のクニは「国家」ではなく「故郷」の意味なんだよな。 生まれ育った故郷を護りたいには今の時代も一緒なんじゃないかな?

  • @user-ok9ll8zf5x

    @user-ok9ll8zf5x

    5 ай бұрын

    泣き崩れました

  • @user-cd8oi2qx9j
    @user-cd8oi2qx9j5 ай бұрын

    私の祖父も特攻隊員でしたが出立数日前に終戦し先輩方は亡くなったそうです。祖父は長らく思い出したく無いと言っていましたが晩年『特攻前夜になると啜り泣きが聞こえた、特攻は怖かった。』と呟いていました。無口な祖父がずっと心の中にしまっておいた想いに胸が痛くなりました。

  • @yuzibumu831

    @yuzibumu831

    5 ай бұрын

    特攻の字がチガウ… せっかく貴重なコメですので直して😢

  • @tututututu130
    @tututututu1305 ай бұрын

    喜入の特攻隊の記念館に行って遺書を読みました。 皆さんとても綺麗な字で、お母さん宛の手紙が多かったです。 1番衝撃を受けたのは、恋愛も知らずに死ぬ事が嫌だという心に残りました。

  • @rampagedjango3419

    @rampagedjango3419

    5 ай бұрын

    靖国神社の遊就館にも特攻隊の遺書が展示されているが、遺書よりも遺族が寄贈した花嫁人形で涙腺崩壊した。

  • @DK-ue3se
    @DK-ue3se5 ай бұрын

    継母への手紙は何度読んでも泣ける。できれば読んで見てもらいたい。

  • @nakanatsu3668

    @nakanatsu3668

    5 ай бұрын

    素直になれず、お母さんって呼べなかった方のお手紙でしょうか ハンカチぐっしょりなるほど泣きました

  • @DK-ue3se

    @DK-ue3se

    5 ай бұрын

    そうです、それです。泣けますよね。

  • @user-sv3ne9ru4m

    @user-sv3ne9ru4m

    5 ай бұрын

    お母さん、お母さん。ってやつだよね

  • @nadiar6680

    @nadiar6680

    5 ай бұрын

    あらすじ聞いただけでもうキツイ 見てきました 最後の「お母さん お母さん お母さん」がキツすぎる

  • @Sugar-vj9lw

    @Sugar-vj9lw

    5 ай бұрын

    気になって調べてきました。 人間って、たったあれだけの文字数でも、こんなに泣いてしまうものなんですね…。

  • @user-gk2rw9gp1y
    @user-gk2rw9gp1y4 ай бұрын

    祖父の10歳上の兄が沖縄~フィリピン間で神風特攻隊で戦没しています。 出兵の紙すら来なかったほど秀才で優しかったと聞いています。遺書は無く、手紙でしたが最後の最後まで気にかけていたのは家族の事、日本人(特に被害が大きかった沖縄)や日本国が残るかどうかという事。 手紙にも戦うという言葉は一つも無く護る為に行ってくると書いてありました。 戦争は国会同士の問題なのにいつも上のものは見ているだけで犠牲になるのはいつも国民。 二度と日本国で戦争など起きないように祈ります。

  • @user-tq5hu2us6p
    @user-tq5hu2us6p5 ай бұрын

    27:02 で日本に行きましたじゃなくて「帰りました」になってるのが日本に馴染んでる証拠 好き

  • @user-pz7rg7ey1f
    @user-pz7rg7ey1f5 ай бұрын

    彼らの遺書を読んだら涙が止まらなくなる。 彼らは武士道を習っていて死に対する概念が違うような気がするけど家族の未来を守るために特攻したのかなとも思う ちなみに首都圏なら靖国とか予科練平和記念館かな

  • @user-qc8xp8nq5u
    @user-qc8xp8nq5u5 ай бұрын

    広島県呉市江田島に海上自衛隊第1術科学校の参考館が有るが人間魚雷回天の特攻隊員の遺書を見た時涙が止まらなかった。

  • @user-uk3rl9dj1b
    @user-uk3rl9dj1b5 ай бұрын

    自分の祖父は元々戦闘機乗りだった。 負けが続き、祖父も特攻隊になったけど出撃前に戦争が終わったから良かった。 もし、出撃してたら自分は生まれてなかった。

  • @SweetootH0225
    @SweetootH02255 ай бұрын

    靖国神社の遊就館に遺書あるから読んだけどボロ泣きしたわ 特に母親に送った手紙は読んでて泣かずにはいられなかった

  • @ijnfurutaka

    @ijnfurutaka

    5 ай бұрын

    レコードに録音した遺書とかもありましたね… これ録音するときどんな心境だったんだろうとか考えてたら涙止まらなくなった

  • @7nanahoshi380
    @7nanahoshi3805 ай бұрын

    遺書で泣いたのは、家族がすでに空爆で亡くなってる特攻兵の遺書だったな…。今から死ぬことより向こうでの再会を楽しみにしてるって内容だったが…、なんかなぁ…見てるだけで辛かった。

  • @user-ly8yq8nf7z
    @user-ly8yq8nf7z5 ай бұрын

    自分の父親や伯父達は陸軍・海軍に出征していたけど、全員戦死することなく生還出来た。 家族全員大喜びしたと伯父の日記に書かれていた。 本当は誰だって死にたくなかった、生きたかったと思う😢

  • @sallysallysarah

    @sallysallysarah

    5 ай бұрын

    私の祖父と大伯父はビルマやシベリアから帰ったら、妻が死んでたというパターンです。 2人ともそれなりに暴走したようです。

  • @user-fp8nw4hh6d
    @user-fp8nw4hh6d5 ай бұрын

    2チャンネラーが大学生に反論するな! にお茶吹いた😂

  • @NieR_kuroneko
    @NieR_kuroneko5 ай бұрын

    地震の話聞いて涙腺崩壊してたけど、唐突な天下一品で涙引っ込んだww

  • @user-cw1ex1zc4k
    @user-cw1ex1zc4k5 ай бұрын

    遺書は検閲されるから国批判は書けなかったんだよな

  • @RAIA885
    @RAIA8854 ай бұрын

    特攻隊の遺書読んだことある。。。アメリカでも報道されてる

  • @H036
    @H0365 ай бұрын

    亡くなった家の爺様の少年飛行兵の同期は、約半数が17〜18歳で戦死しているからなぁ〜。 通信兵で、基幹要員として内地で、多くの同期・先輩達の「決別電」?(通信機のツーの長音で、途切れた時が突入戦死時だそうです。)を、受けて居たそうです。

  • @08chin
    @08chin5 ай бұрын

    23:52 避難所で物資が少ないだろうに食事を分けてくれる女学生が居てマットが驚いているけど、 キリストの「パンを割っていったら全員に行き渡った」って奇跡もパンが増えていったんじゃなくて こういう譲り合い・分け合いの話だったりしたのかな?なんて思ってる。

  • @kaibou1
    @kaibou15 ай бұрын

    信念ないと自爆できんやろ

  • @ハルル123
    @ハルル1235 ай бұрын

    やるしかなかったのだろうか 例えピンチであっても軍が減るとより辛くなるのではないだろうか 現代にはない心があったのだろう

  • @user-qj4me4eq2k
    @user-qj4me4eq2k5 ай бұрын

    当時勿論検閲があるから 手紙の内容はプラスな事しか書かれて居ないから 特攻=美徳と感じるかもだけど 誰も特攻する事を喜んでは居なかったでしょ 選ばれた(一応希望制でも拒否権はほぼない)以上故郷にも大切な人の元にも帰れない でも選ばれた以上逃れられない 自分を奮い立たせる為にもあの手紙だったんでしょうね

  • @user-rs9xy6ky1x
    @user-rs9xy6ky1x5 ай бұрын

    遺書見たら、まず字が上手すぎてビビるw 現在の日本人のメンタリティは、GHQの影響が大きいからね。 私も最近、〇んだもんとか、しょーもない動画見て、戦争のことは いろいろ知りました。 そういう楽な方法でいいので、戦争のことは 知っておくべきですね。

  • @mt9460
    @mt94605 ай бұрын

    亡くなった親父が中島の技士で知覧に出張していた事があったらしい。 親父は身体に欠陥があり兵隊になれなかったのだが、当人と同世代やあきらかに歳下の兵隊が笑顔を作って飛んで行ったそうだ。 残り見送る者は将校も含め皆ボロボロ涙を流して帽を振っていたそうだ。 総てがそうだとは言わないが私の聴いた特攻出撃はそうだったようだ。 あんな戦争が有って良い訳がない。 しかもあの戦争は開戦時と途中と終わってから世界の情勢や論理が変わっている。 日本人ですら、日中戦争にしても日本が「侵略した」と言葉にしてしまう。 現代現在の価値観で歴史を語る事ほど愚かなことはない。 当時は侵略略奪が当然の時代だ。「植民地」が当然の時代だったのだ。 その中にあって唯々日本だけが立ち向かったのだ。正確に言えば自衛をしていたのだよ。 戦争を美化なんてする気もないが、日本人を平気で「虐殺」(非戦闘員を対象にした空襲や原爆投下だ)するアメリカと戦っていたのだよ。 同じ白人のドイツやイタリアは端から負けても植民地になんてならない。ドイツが着手した原爆開発に危機感を持ったアメリカもドイツに落とさなかったじゃないか。 東南アジアやアフリカ大陸の惨状を見ている日本は単純な降伏が出来ない時代だったのだよ。 日本は後のない戦いを強いられていたんだよ。 「特攻」なんて追い詰められた者しかやらない。 誰だってやりたくもない。 でも、「ここまで追い詰められていたのだ」という証拠にはなったんだよ。 だから彼らは犬死にじゃない。 今でさえ、白人共に特攻について語ってほしくもない。 広島長崎にすら行ってほしくない。 学生時代に交換留学で来たアメリカ人の友人が「浅草に行きたい」と言ったので案内した時に、「この辺でB29から落とされた焼夷弾で生きながら焼け死んだ一般市民がゴロゴロ転がっていた」とか「隅田川に死体がうようよ浮かんでいた」と説明したら何とも言えない嫌な顔をされたよ。 あの戦争はそういった戦争だったんだ。 平和ボケした現代人が今の価値観で当時を考えるのなら、むしろ只々平和ボケしてくれていたほうがマシだと思うよ。

  • @Harpoon-
    @Harpoon-5 ай бұрын

    特攻隊の遺書はどれもこれも悲しくて切なくて如何してそうなってしまったのだと思う事ばかりだが、もはや何と言って良いかわからないが、藤井 一中尉(特攻による戦死認定後少佐に二階級特進)の遺書とその家族の出来事だね。 もう悲しいとか切ないとかそんな言葉では言い表せない程のことだね。

  • @user-ug5os9ko1w
    @user-ug5os9ko1w5 ай бұрын

    ①を聞いて感涙;; トムのヨウツベ見たい^^ 日本語版あるのかなー^^? ②も感涙;; 日本(外国)で震災を受けるなんて辛かっただろうに;; それでも日本を好きになってくれて俺からも感謝感激だよ;; ③マットの奥さんも幸せそうでなにより^^

  • @6nind815
    @6nind8155 ай бұрын

    彼らの遺書はみんな一度は読むべきだよね。中三の義務教育にしていいと思うわ

  • @user-xd3my1pm1p
    @user-xd3my1pm1p5 ай бұрын

    駄目だぁ…敷島ーーーッ!!

  • @kaji1493
    @kaji14935 ай бұрын

    古来、決し隊は珍しいものではありません 後方の家族や恋人が蹂躙されるとなれば、どの国どの民族でも命を捨てて戦うでしょう 大事なのは、ご先祖様に感謝することです

  • @Re-qe5nq
    @Re-qe5nq5 ай бұрын

    俺も歴史好きやぁ

  • @Re-qe5nq

    @Re-qe5nq

    5 ай бұрын

    俺は2年生やで

  • @user-od6vs6zt2i
    @user-od6vs6zt2i5 ай бұрын

    老人「俺の時代だって幼馴染みの純愛してる奴はいたよ」 『その人達はどうなったの?』 「そいつは終戦(1945昭和20)の前に戦士。彼女はそいつの弟と結婚したよ」 その友人は特攻隊だったかも知れない

  • @user-od6vs6zt2i

    @user-od6vs6zt2i

    5 ай бұрын

    ハート♥️マークありがとう❤️

  • @user-ft7gf5cv7s
    @user-ft7gf5cv7s5 ай бұрын

    女子が連れ立ってトイレ行くのは昔小学校に侵入した男に女子が暴行された挙げ句に殺されたから。風化させてはいけない事件。

  • @user-il4dn7my6m
    @user-il4dn7my6m5 ай бұрын

    大刀洗 知覧 両方行った。もう展示してある遺書を読んだ時膝から崩れた。 国のトップが間違うとこうなるのかと

  • @user-pn5nu7wp7t
    @user-pn5nu7wp7t5 ай бұрын

    きけわだつみの声

  • @JerryMouse5
    @JerryMouse55 ай бұрын

    2話目 自分の子供の名前に「タスケ」は草w 奥さんがマトモな人で良かった😅

  • @admiral_akiyama
    @admiral_akiyama5 ай бұрын

    特攻隊員が本当に護りたかったのは家族と故郷で、国家の為ではなかっただろうと思う 手紙は検閲もあるから本当の事でも下手な事は書けん訳だが、それでも何を言いたかったかは十二分に伝わるものだった しかも、まだ十代から二十代前半の年齢ながら、原文は達筆で筆に迷いも無く、清々しさすら感じるものだった 彼らは焦土化された街や、動くものは犬や子供も撃った無差別攻撃など連合軍の理不尽な攻撃も知っている訳で、戦争が負けに向かっている事も感じていた筈だ だから、出来る事で何とか家族や故郷を護ろうとした上での特攻を連合軍側は理解できないだろうが、そうさせたのは連合軍側の非道さに起因するものでもあるのだと言う事は理解して欲しい 決して、当時の日本人が異常だった訳でもないし、ハリウッド映画で言えば、自分が残って爆弾を操作するから、お前らは逃げろと言うのと同じだよ

  • @user-co4uy9zu1s

    @user-co4uy9zu1s

    5 ай бұрын

    検閲を通らずに手紙を残す方法もあった 休暇で帰省した時に家で書き残した特攻隊の遺書とかもある そういうのは当然検閲は通らないから割と本音が書かれてたりするよ

  • @user-iy9jr6vu8j
    @user-iy9jr6vu8j4 ай бұрын

    特攻隊の美化や賛美じゃなくて 特攻隊を嘲笑したり馬鹿にしたりする奴等は許せないんよ

  • @KANARI-OSSAN
    @KANARI-OSSAN5 ай бұрын

    特攻隊‥「ゴジラ」が出てこなかったね。w   米国人には、「空気を読む」事は難しいでしょうね。

  • @user-hm6zn1qu5s
    @user-hm6zn1qu5s4 ай бұрын

    どこかで聞いたことあったんだけど、敵船に特攻しようとしている機体から混線していた状況もあったと思うけど、大本営の特攻という作戦に対してめちゃくちゃ怨嗟迸る言葉を叫びながら突っ込んだって…。 そりゃ遺書とかは添削が入るからマイナスな文言はかけないけど、自信の死の間際に言うくらいなら言うわなって思った

  • @user-tv6ge7kw2o
    @user-tv6ge7kw2o5 ай бұрын

    2chのヤツらがこんなに素直なわけない

  • @user-jq4go1rm6w
    @user-jq4go1rm6w5 ай бұрын

    でもその特攻が好きになったのが相手国のアメリカなのよね アルマゲドンしかりID4しかり…ディープインパクトもそうかな?

  • @user-lp5qf9nj1g

    @user-lp5qf9nj1g

    5 ай бұрын

    アルマゲドンは泣けた。

  • @user-dw6se5ww2p
    @user-dw6se5ww2p4 ай бұрын

    宛名がほぼ母親だったと聞いた事があります

  • @user-mm9xo8ch1n
    @user-mm9xo8ch1n5 ай бұрын

    また、イスラムの自爆テロの様なオツムがイカれた訳で特攻した訳で無いことがこの遺書を読むとアリアリと分かるって言うっ! 今の同世代にこれ位しっかりした文章を書けるのかといいたいっ!!w

  • @SUZUtoHANAmi
    @SUZUtoHANAmi5 ай бұрын

    戦争関連の展示施設で有名なところで近寄れない人とかいるって聞いたことがある。 だからかな?子供の頃の修学旅行か行事かで近寄れない人はムリにいかなくていいから言ってね。って、なんでそんなこと言うのか印象的だった。

  • @user-re5id7rl8z
    @user-re5id7rl8z5 ай бұрын

    脳天気なアメリカ人は、是非とも火垂るの墓・ザ コックピット・はだしのゲンを視聴すべし。 他人の心を察する気持ちが育つだろう?

  • @user-gz4bg9uv2w
    @user-gz4bg9uv2w5 ай бұрын

    もし日本がどっかの国と戦争することになったら俺は戦うのだろうか

  • @user-pz9os5vf9x
    @user-pz9os5vf9x5 ай бұрын

    パラオの最終決戦のっ話が一番泣けて好き、そんな日本を侮辱する韓国に嫌韓になって15年、歴史知ると結局最後はDSに行き着く んだよな・・・三角山が神の手で懲らしめられる日を待つ。

  • @user-qf4xy2ej1o
    @user-qf4xy2ej1o5 ай бұрын

    靖国神社奥右側にある。 全ての遺書に最後『…でも本当は死にたくありません!……』と、付け加えると、また涙が出てくる。

  • @おつかれちゃん
    @おつかれちゃん5 ай бұрын

    戦争に前向きなのはアメリカも一緒じゃないんだな。ウォルト・ディズニーとかのせいでアメリカも戦争万歳なのかと思ったわ

  • @user-qy5db6ss1q
    @user-qy5db6ss1qАй бұрын

    ならもう一ヶ所行って欲しい所が有ります。靖国神社の遊就館にも行って欲しいです。花嫁人形が奉納されています。是非見て欲しいです。

  • @user-ot6uw8kk6n
    @user-ot6uw8kk6n5 ай бұрын

    喜んで特攻したって何???どゆこと?自分の家族とかを守るために覚悟を決めたっていうのが美談じゃないの?

  • @mn.2157
    @mn.21575 ай бұрын

    引用スレ書いてね

  • @user-sv3ne9ru4m
    @user-sv3ne9ru4m5 ай бұрын

    特攻隊員の日の丸鉢巻って自分の血で日の丸描くんだよ

  • @user-qv4zu2jb4q
    @user-qv4zu2jb4q5 ай бұрын

    多分、戦闘機の性能も(金属不足で寺の鐘すら溶かして弾作ったとか聞いたし)段違いだっただろうし機体を量産出来る資源も無い、ベテランパイロットも何も碌に無い状態で、特攻を蔑むなら【じゃあ、どうやって戦う??】と聞きたい💦引き籠もるとかは(赤紙が来るし)不可能だと思う。←行きたいか行きたくないかは選べなかったらしい!!(行きたくなきゃ非国民扱いだしなw)上層部には怒りを覚えるが、特攻隊を○鹿にするのは日本人としては、もう少し勉強した方が良さそうだなw(日本人以外が理解出来ないのは仕方ないけどなw)戦わないで負ける=占領されるに等しい。天皇陛下が護って下された。

  • @user-lp5qf9nj1g

    @user-lp5qf9nj1g

    5 ай бұрын

    若者に無駄死にを強要した異常国家を批判すべき。

  • @user-re5id7rl8z

    @user-re5id7rl8z

    5 ай бұрын

    教育勅語に書かれていることではありませんか?  実践あるのみです。      天皇陛下万歳!

  • @user-lj7zz7mf9t
    @user-lj7zz7mf9t5 ай бұрын

    ヤンキー生徒って、、、 アメリカ人のお前こそヤンキーやんけꉂ🤣𐤔

  • @user-cu3wx3qm4v
    @user-cu3wx3qm4v5 ай бұрын

    戦略は勝ってた。真っ当にやったら日本の勝ちだったというアメリカの分析があったはず。開戦当初はアメリカに手を出さないということで始めたのに裏切ってハワイに攻撃を仕掛けたやつがいたから負けた。

  • @user-ts1kp3tb5o
    @user-ts1kp3tb5o5 ай бұрын

    うちの高校だとパヨ系なので、近現代史はまともに勉強させて貰えんかった。 それはそうと、幾らイッチが大学生とは言え。 100歳に届くのだから、祖父ではなく曽祖父では?

  • @user-jd5eu1fe4e

    @user-jd5eu1fe4e

    5 ай бұрын

    いつのスレか分からん

  • @user-en9ll6ev8n
    @user-en9ll6ev8n5 ай бұрын

    指導者が馬鹿だっただけで、特攻隊員に罪はないと思う。牟田口みたいな人間が生き残っているんだから、日本のお察し組織だったと思う。。

  • @user-jc6zf8fh8i

    @user-jc6zf8fh8i

    5 ай бұрын

    ムチャ口な

  • @user-hx4ue6dd4z
    @user-hx4ue6dd4z5 ай бұрын

    信念ない国家がいうことじゃない

  • @user-et2rn8tn5y
    @user-et2rn8tn5y5 ай бұрын

    馬鹿なことをしてたって言うのは最もだね あと大和魂は言わされてたのも多いと思う。

  • @SuperHentaiShichowshar
    @SuperHentaiShichowshar5 ай бұрын

    イッチ勘違いしてるな。 大和魂でもクソでもなんでもねえぞ。 そうせざるを得ないからそうなんだよ。 当時かなりカルト的に教育され、気づいている人間も同調圧力でだれも反論的なことを言わない、そんな時代だった。 せめて誇りを持って逝った人間が多かったイメージだ。

  • @whitej9526
    @whitej95265 ай бұрын

    遺書にも検閲が入ったから本心は書けなかった。 百田尚樹氏の「永遠の0」を読ませた方が良いのでは?と、個人的には思う。

  • @user-vv3cr3ho3y

    @user-vv3cr3ho3y

    5 ай бұрын

    映画やなんかだと「でも映画だし」ってなるからね だから間違いなく本人の遺書なら効き目100%よ

  • @ijnfurutaka

    @ijnfurutaka

    5 ай бұрын

    実際の特攻隊員数人をモデルにしているフィクションだけどきっかけとしては十分 俺も永遠の0読んで特攻隊とか興味持って色んな戦史資料館行ってるし

  • @kent4486
    @kent44865 ай бұрын

    当時はトップが良くなかったからな やりたくなくてもトップに命令されればやらざるをえない あの時代を経て今の民主制度が作られたんだとしみじみ思う

  • @Ruby-ok7mt
    @Ruby-ok7mt5 ай бұрын

    日本軍人だからと言う訳では無く、侍の時代からの大和魂なんだろうな。 君主の為に喜んで我が命を差し出す・・・ 世界に島国なんて多々あるのに、何故日本だけこの境地になったのか不思議やね。

  • @kloverstudio6508
    @kloverstudio65085 ай бұрын

    遺書や手紙の内容なんて全く当てにならないだろ。 親や国に対する感謝とか上層部が気持ちよくなる内容以外受け付けないんだから。 現存してるってことは本心とは真逆の内容だから残ってるんだろ。

  • @nusu-nuppori

    @nusu-nuppori

    5 ай бұрын

    結局のところ、故郷に家族がいる限りは《人質に取られている》のと同じことですからね…… もし 敵前逃亡とも取られるような言動をとったら、その代償を払わされるのは……と考えると、自分ひとりが死んで 家族の名誉をたもつしか 選択肢がなかったのでしょう。 こういう話を 愛国心だの、大和魂だのと美化できる人間の神経が理解できません。。。

  • @user-co4uy9zu1s

    @user-co4uy9zu1s

    5 ай бұрын

    別に手紙や遺書が全て検閲を受けていたわけではない 特攻隊が実家に帰省した時とかメモ的に書き残した遺書なんかは 当然検閲は通ってないから本心が書かれてたりするものがある

  • @kloverstudio6508

    @kloverstudio6508

    5 ай бұрын

    @@user-co4uy9zu1s なるほど、確かにそういったコッソリ書き残していたケースも考えられますね。

  • @galaxy1615ify
    @galaxy1615ify5 ай бұрын

    命を使い捨てることを強いたことを美談にして良いわけない

  • @user-ot7rh3cc7l
    @user-ot7rh3cc7l5 ай бұрын

    遺書は噓やで。 当時は遺書を家族に送るにも検閲が入ったから本心なんて書けなかったよ。 坂井三郎の大空の侍とか読んでみるといいよ。 特攻隊に選ばれて喜んだ奴なんて一人もいなかった、日本の為に戦う人なんていなかった。 皆身近な戦友や家族の為に戦ってた。 日本万歳なんて無かったって書いてあるよ。

  • @tarouyomogida2370

    @tarouyomogida2370

    5 ай бұрын

    海外の反応系の動画は企業が下請け雇って作ってるようですよ。😅 ゆっくり解説の闇とか、ずんだもん解説の闇とかで検索すれば解説動画が出てきますよ。 近頃はこんなどこの馬ともわからん動画ごときを信じるデジタル原始人がわんさかいて特攻隊も草葉の陰で泣いとりますわ😅

  • @KM-rz7ix

    @KM-rz7ix

    5 ай бұрын

    親への感謝には嘘はないんちゃうか。遺書見たことあるんか?

  • @channel_5388
    @channel_53885 ай бұрын

    犬死には違いないけどな

  • @ikuji-cyuusin

    @ikuji-cyuusin

    5 ай бұрын

    君は誰の為にもならず無駄に生きてるから、それ以下じゃん

  • @channel_5388

    @channel_5388

    5 ай бұрын

    @@ikuji-cyuusin 自己紹介乙😁

  • @ikuji-cyuusin

    @ikuji-cyuusin

    5 ай бұрын

    @@channel_5388 効いてる効いてる😁

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