最後はブチギレてチーム離脱した元王者 崩壊した「ヴィルヌーブ専用チーム」【F1歴史解説】【BARホンダ】
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Пікірлер: 135
いきなり参戦して入賞(それも6位)する琢磨って凄いね テストドライブしてたってのもあるけど
無限ホンダの本を読むとエンジン側も問題があった
チームが低迷、不安定な時期に加入したパニスが気の毒
002は「POWERD BY HONDA」のロゴが入ってて大好き。
たしかグレイグ・ポロックはもともとビルヌーブの学生時代の教師をしていたんだっけ。そんなド素人が ビルヌーブの後押しもあったとはいえ、よくもF1のチームマネージャーにまでなれたのはすごいよなあ。
チャンピオンを獲ったとはいえヴィルヌーヴはF1に合ってなかった。
@Railton-bb
8 ай бұрын
高木虎之介やアレックス・ザナルディと似たタイプですよね。スチールブレーキの突っ込みが速さの秘訣だったから、カーボンブレーキや電子制御技術の進化に対応できなかったイメージ。
@yosss0930mjk
2 ай бұрын
@@Railton-bb ビルヌーブは96~97年はウイリアムズでトップクラスの速さで最速マシンでならF1に順応できたけど CARTで成功してF1に戻ったザナルディは全くF1に対応できず散々だったね。 落ち目とはいえ当時のウイリアムズでチームメイトのラルフ・シューマッハはそこそこポイントを獲れたのに 彼の方は入賞ゼロでノーポイントでシーズンが終わったからな。
1999年、ビルヌーブがタイトル獲得できるようなチームをつくります(BAR) 2004年、誰もいなくなった
サイズ的にはこの大きさでイイ 今のマシンデカすぎる😮
BAR立ち上げからの不振にはポロックが乗っ取ったティレルのスタッフを全員解雇した事も大きいと思います。 彼らが持っていたレースでのノウハウを吸収する事なく、乗っ取り屋が金に物を言わせて作った「僕の作った最強チーム」が結果は惨めな惨敗の連続。 散っていったティレルのスタッフの中には後に全盛期のフェラーリからタイトルを奪取する名車を作ったスタッフ達もいました。 ジャックについてはデビュー当時から開発能力に疑問を持っていましたが、ウィリアムズを離れた事(車両規定が変わりデイモンのイニシャルセットが使えなくなった)でより鮮明に能力不足を露呈しましたね。ドライバーとしては速いドライバーの一人だとは思いますが、デイモンほどの開発能力も、ミハエルほどのカリスマも、ミカほどの天性のスピードも無かった。
@yosss0930mjk
2 ай бұрын
デビュー時最強マシンだったウイリアムズ・ルノーに乗ってた時は凄く速くてパフォーマンスは新人離れだったが、それ以降は大した事が無かった。
@evoevo3308
9 күн бұрын
@@yosss0930mjk 99年以降にF1見始めた人は、ヴィルヌーブが元王者には見えないでしょうね。ウィリアムズ時代が、偶然輝けただけ。何時、どのようなマシンに乗っても早かったシューマッハやアロンソとは違いますね。
個人的にはビルヌーブはシューマッハみたいチームをまとめ上げる力はなかったと思いますね
BAR時代からの没落ぶりがあまりに激しかったとはいえ、1年目でいきなりヒルと最終戦までチャンピオン争いをして、2年目にシューマッハとの激闘を制してチャンピオンになったジャックはマシンのおかげとかは関係なく普通に凄いドライバーだと思う。
@robertjohnson-ip3xe
8 ай бұрын
しかもCARTチャンピオンでインディ500の優勝者ですしね。
@netaka111
8 ай бұрын
はい 96〜97年辺りのF-1特性と ドライビングスタイルが マッチしていたのは間違いないと思いますね。。 本当にキレキレの走りしてましたし…
@user-vd7nx8ev5q
8 ай бұрын
同じく ただ適応能力はあまりなかったのかな?とは思う その辺が後年成績がどんどん落ちていった要因だったんじゃないかな
@user-sj5fi4jz6o
8 ай бұрын
ヴィルヌーヴは全日本F3では敵無しだった。しかし1年目はガタガタ。帰国する予定がトムスから声がかかり、2シーズン目を走ることに。頭角を表す。F1のサポートレースでは、ジルの息子として、F1関係者が釘付け。鈴鹿ではリタイアに終わるも、パフォーマンスを見せた。
@user-ix4hb6ft4n
8 ай бұрын
速いマシンを速く走らせる能力とセンスはヒル以上 ルーキーながらヒルと互角に戦ったのは忘れません でも遅いマシンだとチームメイトに劣ることも多かったですね…… バトン、ハイドフェルド、マッサなど
1年目より2年目、2年目より3年目と躍進を期待していたから失望はそれ以上だった、それはトヨタにも当てはまった。ヴィルヌーヴのモチベーションが下がったのか年々『並のドライバー』に成り下がったイメージ、インディアナポリスの予選でルーキーのアロンソ(3~4年落ちのエンジン)に負けたんだし。
セカンドドライバーのリカルド・ゾンタが悲惨だったな。マクラーレン育成で結構期待されてたのに2000年スパのミカシューに両サイドから抜かれた人のイメージだけになってしまった。
@yokomax11
8 ай бұрын
次戦モンツァのドライバー会見で3名がオーバーテイク時と同じレイアウトで着席してもらうという計らいがありましたね
@user-ix4hb6ft4n
8 ай бұрын
あいつらクレイジーだ!
この頃の低迷っぷりもあってか日本でのジャックの評価って余り高くないんだろうなと思ってしまいます ただヘルメットのデザインが「母親が着ていたポロシャツがモチーフ」って所は他の二世ドライバーには無い感性で好きです
BARは皮肉にもヴィルヌーヴが離脱してから飛躍することに…それまでは表彰台はあってもチーム内が空中分解しそうなぐらい揉め、チームヴィルヌーヴ自体は2003年に消滅してチームは新しい体制に完全に生まれ変わりました。 結局、チームの癌はチームヴィルヌーヴと呼ばれたところじゃないのかと思ってしまいますね。
@yosss0930mjk
2 ай бұрын
ビルヌーブが去った後のBARの癌はニック・フライ・・・・
BAR、99年サンマリノとか予選で好位置に付けていて、入賞もすぐだと思ったらまさか完走すらまともに出来ないのは驚きました… 「踏んだり蹴ったりのジャック・ヴィルヌーヴ」という実況がやたら頭に残っています。
@user-ry6vv9kw2n
8 ай бұрын
スペインGPも凄かったけどな
結果的にはディビッドリチャーズとホンダがBARを乗っ取ったんですね
@thanksforgiving
8 ай бұрын
そのリチャーズも追放されますけどね。
ポロック、レイナード、そしてジャック・ヴィルヌーブ。 BARF1チームの立ち上げに参加した面々が揃って追われた結果、2004年のBARホンダの大躍進に繋がります。 2004年シーズンはフェラーリが独走するなかで、このBARホンダがメキメキと頭角を現していくのが楽しかったですね。
ウィリスが加入する迄の所謂レイナード製BARマシンは往年の迷車ローラ・フェラーリを彷彿とさせるモッサリマシンばかりだった印象。
F1は他のカテゴリー以上にマシン性能の優劣が影響する故、1度のチャンピオンはマシンが良ければ取れる。本当の評価はチャンピオンを取ってからの活躍が大事なんだと、デイモン・ヒルとジャック・ビルヌーブの二人を見ると余計に感じます。 チーム・ビルヌーブだからこそ、ビルヌーブ本人がチームを引っ張り、良いマシン開発に貢献していれば後の評価も全然違っただろうに💦
@yosss0930mjk
2 ай бұрын
ヒルは最強チームだったウイリアムズを去った後もアロウズで優勝目前までトップを快走したレースがあったしそのあとのジョーダンで1勝をあげた。 ビルヌーブはルノー撤退後のウイリアムズでは目立ったパフォーマンスも見せられずBAR以降もパッとしなかった。 やはり開発能力やチームを引っ張ってまとめ上げていく力もドライバーには必要なんだなとこの2人を見て感じるね。
002のノーズ下の膨らみが結構好きだったけど他チームが採用しなかったのはメリット無かったんやろうな
たしか2台を違うカラーリングにすることが条件でBATからのスポンサーフィーを多く獲得する目論見だったような。しかしそれはそれで「どっちのカラーリングはいつも後ろだ」なんてクレームが来そうですよね。 この当時はスチュワートを買収したジャガー共々内紛のニュースをよく耳にしました。そんな時代だからこそシューマッハのもとに統率されたフェラーリの強さが際立っていました。 話は脱線しますがドライバーとしてのシューマッハは危険だったとしてもフェラーリに黄金時代をもたらしたことは評価されるべきだと思います。 話は戻り、最終戦で初のダブル入賞を果たしたことで、ヴィルヌーブ離脱の正しさが証明されるとは。。。
@yosss0930mjk
2 ай бұрын
あの頃のフェラーリの鉄壁の組織力は異常 イタリアチームらしくない強さであの強さは二度と来ないかも
バトンと琢磨がベストドライバーだったと思います。速さよりも確実が良いですね。
ホンダとしても、果たしてBARと組むのが本当に良かったのかどうか…
トータルパッケージが合わなかった部分があちこちにあったのは確かだし内紛は何処でも起こり得る事だからな…。
大体、特定のドライバーのためにF1参戦したチームは長続きしない印象… フィッティパルディやらフォルティやら。さて、アストンマーティンはどうなるか…
@hehohotransport
8 ай бұрын
スーパーアグリも半分佐藤琢磨のチームでしたからね…
ビルヌーブとBARとフィッティパルディとこーcopersucarの話し凄く似てると思うんだよな😀
2004の佐藤琢磨の走りは良かったですね ただ、経験不足で上手く結果に結び付ける事が出来なかったのが残念です でもアメリカGP表彰台は、嬉しかったです。
@yosss0930mjk
2 ай бұрын
2004年のBARホンダはフェラーリに次ぐ速さだったので取りこぼしが無かったら 佐藤琢磨もトップドライバーの成績を残せたかもしれない。 チームメイトのバトンはそれなりの数字を残したからね。 惜しいシーズン。
ヴィルヌーヴは良くも悪くも早熟だったという印象
ハッキネンとシューマッハばかり注目されて目立ちませんでしたが、98年のヴィルヌーブは本当に凄かったです。ウィリアムズのマシンが良かったら最強だったと思います。 翌年マクラーレン入り、という噂もあったくらい実際パドックの評価も良かったらしいですね。クルサードの代わりにマクラーレンにいたら、あの時代はもっと面白かったはず。と個人的に思いますがピークはBARの立ち上げくらいだったんじゃないでしょうか。
@user-ds5zx2lu2j
8 ай бұрын
1997年な
@user-dj1te5lg9c
8 ай бұрын
@@user-ds5zx2lu2j いや、98年で合ってるかと。
@mgsssgnmj
8 ай бұрын
@@user-ds5zx2lu2j これは98年の話ってわかるだろ^^
@robertjohnson-ip3xe
8 ай бұрын
98年です^ ^古い話だし、それだけ目立たなかったのでメカクロームウィリアムズの存在が忘れられても仕方ありませんね
@user-dj1te5lg9c
8 ай бұрын
@@robertjohnson-ip3xe それまでの、カッコ良かったロスマンズカラーからウィンフィールドカラーに変わったのはインパクトがありました。
半分づつスポンサーカラーリングマシンやらブレブレだった感は否めない、、、
@hawhawathena
8 ай бұрын
半分づつのカラーリングは、チームが半分になる、つまりバラバラになるという暗示だった説
今のメルセデスAMGですよね、このチーム
@user-cq2pj7pd5b
8 ай бұрын
ティレル→BAR→ホンダ→ブラウン→メルセデス ですね。
@hehohotransport
8 ай бұрын
90年代のティレルから00年代後半までのホンダが悲惨過ぎた…そして、ブラウンとメルセデスが来て化けた…
@user-ln3vy6ju1s
8 ай бұрын
ホンダが癌だったのか…
@user-ix4hb6ft4n
8 ай бұрын
@@user-ln3vy6ju1s白煙あげまくってましたから笑 真のGP2はB・A・R時代
@feliperaikkonen4773
6 ай бұрын
2004年、2006年とかトップチーム〜準トップチームの活躍もあったけどな。
BARはラッキーストライクの日の丸🇯🇵を思わせるカラーと共に好きなチームだったなあ。 思えばHONDAのケチの付け始めは、このチームから始まったと言えるね。 潤沢な資金とインディ・F1のWチャンピオンが看板でHONDAのワークスエンジン搭載と良い事ずくめなはずなのに、ここまで上手く回らないのも面白いよね。
F1の王者になり最後は自分のチーム立ち上げ参戦する。亡き父ジルも夢想したものを成し遂げたジャックは偉大な父を超えた、しかし、僅か4年でソレを達成した結果、その後の彼のレース人生は行き当たりばったりなモノに…今回は父の足跡の先を歩き出した元王者とチームの物語です。
歴史的にいってレイナードみたいな量産コンストラクターがF1で成功したためしはないし、そこから派生したマシンにポテンシャルがあるとは思えないんだが、レースを知り尽くしたホンダはどう考えていたのだろう。
@thanksforgiving
8 ай бұрын
レイナードのノウハウを吸収しつつオリジナルシャシーを製作する構想だったんじゃないですかね。
ビルヌーブって、見た目の劣化が激しかったな・・・
@feliperaikkonen4773
6 ай бұрын
頭髪に関してはもはやF1デビューした頃から既に、、って感じやもんな。カート時代の美青年っぷりは確かに凄い。
本題とは違いますが、後にBARからホンダとなり、また2008年最後にホンダが撤退(第3期)し、当時のチーム代表ロス・ブラウンに1ポンドでチーム譲渡し、ブラウンGPとなり(2009年にコンストラーズ・ドライバーズチャンピオン獲得)、その後、2009年オフ、メルセデスに買収されて現在に至ると思うとチーム系譜的に現状(メルセデスVSレッドブル(ホンダ))が皮肉な感じに…。
BARといいマクラーレンといい、ビルヌーブ以上にバトンの人たらしぶりが凄まじい。あんな騒動があったウィリアムズにもカムバックしているし、アロンソも爪の垢を煎じて飲んでほしい。
@user-gu7tr5ep1q
8 ай бұрын
有る意味❗、 ワァークス・ルノォーも!? よろしくどうぞ~😖👍😤🙆🗼🇲🇫❗❗
F1界のフレディ・スペンサーだったと思う ハマれば早いけど、一つ歯車が狂い出すと全く駄目
ジャックが王者になった年って勝つかリタイアだった印象。たしか2位は一度もなかったよね
ホンダもチーム選択ミス😦
@user-np7ni2ky7k
8 ай бұрын
無限ホンダのデータを無視して別のエンジンを作っていたり ホンダ本社側もクズなんだよ
デイモン・ヒルは過小評価 ジャック・ビルヌーブは過大評価 両者ともウィリアムズから向けたあとに明暗クッキリだったね
@user-qe6py8tk3k
8 ай бұрын
しかも二人とも父親が偉大なドライバーなのも共通
@hidematumoto6657
8 ай бұрын
ビルヌーヴは実力は確かだと思う、でなきゃF1でチャンピオン取れないし、ルーキーでヒルをあそこまで苦しめることもできないと思う、なんと言っても94年のインディカーのルーキーイヤーでそこそこ活躍して、その後の95年は完全にビルヌーヴの年だったから、何故かF1ではチャンピオン以降はツキがないイメージ
@user-lz2zo1vj8p
8 ай бұрын
ヒルはウィリアムズじゃなくても 勝てた!
@user-jx4ou3ij1s
8 ай бұрын
ヴィルヌーブはウィリアムズでないと勝てなかった。
@shimazutaichi3403
8 ай бұрын
ジャックはF1に来る前にアメリカでCARTチャンピオン&INDY500制覇して新興チームのチームグリーンを名門チームにしてるんだが…F1しか観てないとジャックは過大評価という感想になるんだろうけど😠
ビルヌーブがスピンしまくってチームクルーが爆笑してる画像があったな〜。
ジャックは遅いマシンでも表彰台まで持っていったり才能は確かだったと思う シューマッハも犬猿の仲だったけどジャックの力は認めてたし あと引退後は何故か和解して仲良くなったようで シューマッハがメルセデスで復帰した際、ロズベルグと比較して遅いと叩かれるシューマッハを ひたすらジャックは擁護してたのも面白い
ビルヌーブはウィリアムズだったからタイトルを獲れたがそれがなければ普通のドライバー!
2001年のコンストラクター名が長すぎて好き ラッキーストライク・レイナード・ブリティッシュ・アメリカン・レーシング・ホンダ
PBブランドチ-ムは内ゲバを起こして崩れるパタ-ンがほとんど 二世ドライバーの明暗の差もくっきり
BARホンダの参戦当初、ホンダのテストカーをデビューさせていたら、また違った成績を残したと思う。
ヴィルNoob(言ってみたかっただけ)
第3期はBARと組むのではなく、最初からオールホンダで参戦してほしかったです。
@thanksforgiving
8 ай бұрын
そうですね。 それにより第3期の参戦理由がボヤけてしまいましたね。
ちょうどこの頃にF1見始めたから、正直言って大したことないドライバーだと思ってた あとでチャンピオン取ってて、しかもお父さんも伝説的なドライバーって知ってビックリしたけど
ヴィルヌーヴ、ポロック、レイナード、リチャーズ、みんなF1から居なくなった
ジャックはドライバーとしては速いかも知れないけど チームからしたら疫病神なんだよな
ホンダのせいで追い出された!という気持ちだろうけど、多少慰めになるのは佐藤琢磨がガチガチのペイドライバーじゃなかったこと。 CART出身だからインディ500・2勝の重みはよくわかるはず。
97年のワールドチャンピオンもフレンツェンが居なければ成せなかった。 フレンツェンへの感謝が無かった点もこうなる予兆と言えただろう。
@user-ry6vv9kw2n
8 ай бұрын
それならハミルトンもロズベルグに感謝ないしてないねw
@deepmarinesky
8 ай бұрын
@@user-ry6vv9kw2n あの確執も近年の伝説となってますね。
@user-ix4hb6ft4n
8 ай бұрын
@@user-ry6vv9kw2nあれはチームメイト同士のバチバチの対決だから別問題
親の七光り
セナ亡き後にミハエルに対抗できる新しいヒーローとなるドライバーを求めていたのだろうけどジャックはあまりにも担ぎ上げられすぎたように思います。普通は参戦一年目で雑誌の表紙になんかなりませんよ。
こんなんだからバイコレスから解雇されたんか?
この頃のイメージもあって、自分の中でヴィルヌーヴは今でもシューマッハやハッキネンとは違う「下駄を履かせたチャンピオン」の方にカウントされてます😒
@user-ix4hb6ft4n
8 ай бұрын
残念ながら、自分も同じです 歴代チャンピオンの中でもトップクラスに弱いドライバーだと思う 他にあまり強いイメージがないのは、近年だとケケ・ロズベルグやライコネンくらいかな?
@thanksforgiving
8 ай бұрын
個人的にメンタルの強さは評価してました。 当時ミハエルに恐れを抱いていなかったのはハッキネンと彼だけだったと思います。
@t.t9596
8 ай бұрын
@@user-ix4hb6ft4n近年でケケが出てくるのか ケケがチャンピオンなったのなんか随分と前だけど
@feliperaikkonen4773
6 ай бұрын
確かにもしマッサが2008のチャンピオンになるようなことがあっても、最弱チャンピオンのお株は奪われないかも、、ってくらいの印象やもんな。
@user-ix4hb6ft4n
6 ай бұрын
@@t.t9596確かにケケは随分と昔ですね笑
良く「チーム選びを間違えたチャンピオン」でアロンソを上げる人が多いケド・・・、ジャック・ヴィルヌーブを忘れて居ませんかぁ❓(爆笑)
@user-gu7tr5ep1q
8 ай бұрын
有る意味❗、 ジェンソン・バトンも!? 同じくどうぞ~😖👍😤🙆💂🇬🇧❗❗
@thanksforgiving
8 ай бұрын
当時チャンピオンを狙えるチームはフェラーリとマクラーレンで席が空いていなかった。 それ以外のチームに行くなら自分が王様になれるチームを作った方が可能性があると思ったんでしょう。
@thanksforgiving
8 ай бұрын
@@user-gu7tr5ep1q バトンはウィリアムズに復帰せず残留したのが結果的に成功したと思いますけど…?
😅そして次の2004年ではBARホンダは常に フェラーリやルノーを追いかけ回したり 走ってたりとJバトン氏や佐藤琢磨さんも 以前よりは好調という 皮肉が💦👍
@user-gw7km6tq9y
8 ай бұрын
2004年なんかフェラーリぶっちぎりのシーズンじゃん(笑)
ク◯ダ◯いカラーリングしか覚えてない。(一部省略)
日本資本の後押しがないとドライバーになれない日本人。。。
@kazutoharada727
8 ай бұрын
それは別に日本人に限らないでしょう。 どんなドライバーも大なり小なりメーカーやスポンサー企業の後押しが無けりゃ、F1に乗れて無いだろうし…。あのミハエルもメルセデスがバックに居なければだし。 まぁ日本人ドライバーの殆どは、その後の成績がアレだが…😗
まあ彼ばかりでは無く、遅い車に長年乗っている間に速さ失うドライバーなんていくらでも居るからね、一概には言えないけど彼の様に出来る事と出来ない事が極端なタイプはやっぱり器用なタイプやシューマッハのような政治力に長けたタイプに比べると見劣りする成績に終わる事が多い気がする。 後、父親が過大評価されていて比較されているのは可哀想だよね、父のジルも器用とは言えないタイプだったしたとえ事故死してなかったとしても精々1回チャンピオンになれたら御の字位のモンだったと思う。 ただ通算勝ち星はそれなりに挙げてチャンピオン争いは複数回した可能性は高いだろうけどね。 同じタイプのマンセルがそうだった様に。 ジャックは後のモントーヤもそうだけどアメリカの走りが抜け切らなかったのも痛かった。
@crankyfranky9801
8 ай бұрын
後年遅くなったドライバーといえばなんたって妖怪通せんぼジジイことルネ・アルヌーが浮かぶ😃💡
@user-ix4hb6ft4n
8 ай бұрын
ライコネンも第2期フェラーリではパッとしなかった マッサも事故以降は微妙だったな
ザウバー時代(BMW含む)もパッとしなかったもんな。 ルノーからスポット参戦した数戦も全くやったし。 腕が完全に錆び付いたとは言わないが目を悪くしたのが全てと言っても過言じゃない。 結局他のカテゴリーでもその後結果出てないしね。
@user-ry6vv9kw2n
8 ай бұрын
目が悪いのにインディ500とかCARTチャンピオンF1チャンピオンなっているけどな ジャックに対しての知識ないだろ? wikipediaで勉強してきな あとルノースポット参戦するのブラジルGPではベストタイムはアロンソとそこまで変わらなかったからな
正直マシンカラーの事でケチがつき、ポスルスウェイト氏の急逝と言うバタバタを演じてホンダ自体もグダグダな運営を続け佐藤琢磨の放出と何をしたいのかが全く纏まらないままチーム運営していて、どうにもならなくなって亜久里さんに泣き付いてスーパーアグリを作ったらスーパーアグリのほうが結果を出して最後はニック・フライに『カラードは黙ってろ!。』と言う様な体制を晒したこの時のF1ホンダ関係者は親父さんや藤澤さんのの墓の前で切腹してもらわないと責を負えないくらいホンダをコケにしてくれたことを俺は一生忘れないけどね。 ホンダの社史ではこの事はなかった事になっているみたいだけど、自社の失敗に向き合えない企業が世界を取れないのは明白ですよ。 失敗を糧にせず自らの行動に責任を取れていないんだから。
デビュー前にテスト走行とはいえ約二年分相当のレース距離を走行。だが、デビューイヤーのモナコGPで予選10位の大失態。フリーウォームアップ走行も今一。ドライバーの腕前はモナコが全てではないが、こんな程度のレベルでも翌年チャンピオンになれる当時のウィリアムズの車両の素晴らしさ(笑)私の評価はお膳立てされたチャンピオン。シューマッハに最終戦幅寄せアタックされたが生き残りヴィルヌーヴはチャンピオンになったが、チャンピオンに相応しかったのはシューマッハ。
@feliperaikkonen4773
6 ай бұрын
流石にあの最終戦を見てもミハエルが相応しかったとは言えんやろ笑、言うならばチャンピオンに相応しいドライバーは97年居なかったくらいかな。
ジャックなんて所詮他力本願のあの程度のへぼドライバーよ
@user-ix4hb6ft4n
8 ай бұрын
中堅〜下位のチームでは新人のチームメイトに敗れることもザラでしたよね バトン、ハイドフェルド、マッサ……
@user-jl3oi3dm9d
8 ай бұрын
デビューイヤーのモナコGPの予選結果、フリーウォームアップ走行も今一。デビュー前のテスト走行距離と最強マシンであの順位は有り得ない。
所詮ラッキーチャンピオン。
@user-np7ni2ky7k
8 ай бұрын
ケケが一番当てはまる