【自宅を売ってレースを続けた】ナイジェル・マンセルのレースキャリアを解説【1992F1チャンピオン】
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1992年のF1ワールドチャンピオン、ナイジェル・マンセルがとてつもない苦労人だったということをご存知でしょうか?
ウイリアムズ、ロータス、フェラーリ、マクラーレン、名門チームを渡り歩き、セナ、プロスト、ピケらと争ったマンセルのレースキャリアを解説します。
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オートポリス,岡山国際サーキット,パシフィックGP,アイルトンセナ,ミハエルシューマッハ,日本GP
Пікірлер: 163
なんだいこのかっこいい漢は
セナ、プロスト、ピケ、マンセルが同時に競ってた時代って なんて贅沢なんだ
@jeena7207
Жыл бұрын
特に1991年は四強に加えて次世代のチャンピオン2名、ミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネンのデビュー年でした。 1992年になるとプロストとピケがシートから降りますので、1991年は豪華過ぎるメンバーでした^^
見応えのある12分だった。この偉人伝を現役で見ていたのは誇りに思う。
今の時代こんな愛されるドライバーはいないのでは? 92年はとにかく強すぎて現代のハミルトンみたいに嫌われてもおかしくなかったのに、やっぱり嫌いになれない、そんな魅力あるドライバーでした。 87年の地元イギリス初優勝時の、シルバーストーンのハンガーストレートでピケをかわしたシーンが今でも大変印象に残ってます。
マンセルの人間味溢れるキャラクターいいよね。日本ではセナばかりが持て囃されてたけど、92年にそれまでの苦労が報われてチャンピオンになった時は感動して泣きそうになった。
@redhide8881
Жыл бұрын
自分泣きました。
@user-sl7zf5xu8h
9 ай бұрын
セナはホンダがゴリ押していた側面がありますね。もっともだからと言ってセナの功績を否定しませんが。 そしてセナの存在があったからこそマンセルが人間味あるキャラとして未だに人気がありますからね。
この頃のF1が大好きでβテープで深夜放送でCMカットしてまで録画してた身としては人間味として一番記憶に残り過ぎるぐらいのヒーローです!😭
@5red90
2 жыл бұрын
ワイは、ソニーのS-VHSのデッキでS-VテープにマニュアルCMカット録画。
マンセルって本人も苦労人やけど、もっと凄いのは苦労続きの旦那とキャリアを共にした嫁さんよね。まさに内助の功
@user-mh6ws9if7i
Жыл бұрын
チャンピオンを獲得したとき、インタビューに応じた奥さんが"long way" と語ったのが印象的だった。
@Type-Y
Жыл бұрын
内助の功 と聞き 思い出すのは ラウダの元嫁さんかね。 アレも泣いた。
鼻先突っ込んで引かせたりと言う抜き方でなく、抜く時はドンとアウトに振って抜き去る。 そう言う正々堂々の男らしさが大好きだった。 未来永劫一番好きなF1ドライバー。 ※因に2番はイヴァン・カペリ。
87年イギリスGPでウィニングラン中に観客に囲まれるのは映画みたいで凄かった、91年セナとのタクシーも最高のシーンだった。
思い出すのが、スピンしても体勢立て直して何事もなかったかのように走る姿。あの危機回避能力は尋常じゃなかった。
@m13zz
2 жыл бұрын
「そうだね、まずは スロットルから足を離す 。そしてギアを適当に落とす 。 それからマシンが前を向くまで待つ。 前を向いたらアクセルオンだ 。」 このわかりやすい説明 けど誰もできない これこそが我がマンチャン((C)舘内端)
@user-xo6bb4nb8m
2 жыл бұрын
@@m13zz 様 そのようなスロットル、ギア捌きをやってたんですね。知りませんでした。 スピンした瞬間それができるって凄い。 まさにこれこそ我がマンちゃん 笑
@fumiou6161
2 жыл бұрын
です
@user-hs8xy5vy4z
2 жыл бұрын
あったあった。あれはまさに「何事もなかったかのように」だった
モナコでの、セナとマンセルのバトルは最高でした。あの時は他のピットのメカニック達まで2人に喝采を送ってました。もうあれを越えるバトルはありません
初めて見た1987年イギリスGPからずっと、今もジル・ヴィルヌーヴと並んで一番好きなドライバー あの当時、間違いなく最も多くの見せ場、印象的な場面を残してくれたドライバーだと思う 86年は最終戦で全くマンセルの責任じゃなかったのにチャンピオンを逃したけど あの全開のブラバムストレートでタイヤバーストしたのに壁にぶつけずにエスケープゾーンまで マシンをコントロールしたのは超A級のドライビングだったと思う パッシングでは87年イギリスでのハンガーストレートエンドでピケを抜いたのとか 89年ハンガリーで周回遅れを利用してセナを抜いたのとか 90年メキシコの超高速最終コーナーでアウトからべルガーを抜いたのをはじめ 数々のエキサイティングなパッシングを見せてくれたと思う マンセル以後にはこんなエンターティナー的なF1ドライバーはいませんね 時代的に難しいだろうけどね。
コーリン・チャップマン「確か君は大怪我をしたのではなかったのかね?」 マンセル「いえ、違います。怪我をしたのはきっと同姓同名の他人でしょう」 マンセルがロータス初テスト時のエピソード。
@user-sl7zf5xu8h
9 ай бұрын
チャップマン時代の体制は申し分ありませんでした。 が、チャップマンの天逝。 ピーター・ウォーとの不和(セナとウォーも不和となりましたが…。ピーター・ウォーがロータスに引導を渡した?)、セナの台頭もあり、ウイリアムズに移籍する事に。
マンセルは暴れん坊と言われるがウィリアムズに移籍してきた時ロズベルクに慣れてるメカニックからなんて丁寧なドライビングをするドライバーなんだと言われた。
マンセルは豪快なオーバーテイクが得意だったけど、その中でも圧巻は1990年メキシコGPで当時まだあった高速の最終コーナーペラルタでベルガーをアウトから交わしたシーンだな。
とても面白かったです。 セナはサーキット上での 「マンセルの動きだけはわからない」 と生前言っていました。 マンセルとパトレーゼをあんな形で放出したのは当時驚きました。
@ma_sa_no_re
2 жыл бұрын
フランクウィリアムズがクソだったという事ですね。
@user-ix4hb6ft4n
2 жыл бұрын
@@ma_sa_no_re ヒル放出もありましたね・・・
とにかく魅力のあるドライバーでした。もうこんなドライバーは出てこないだろなと思います。 古館さんの実況と相まって最高に楽しませてもらいました。
やっぱり640〜642は何度見てもカッコいい。
憎めない人なんですよね。苦労人マンセル大好きでした。
87年のオーストリア 2度目のスタートで加速がつかずに後続が大クラッシュの原因に 再々スタートでちゃっかり優勝 表彰台に向かう車で立ち上がったら橋桁に頭を強打 これぞマンセル劇場の真骨頂?!
もっとも「記憶に残る」F1ドライバー。
色々ポカもやらかしてきたけどそれもまたマンセルの魅力なんですよね(笑)。
記録よりインパクトのある攻めのドライビングスタイルが大好きなドライバーでした。F-1界のMrマリオことマンセル最高です
荒法師のイメージが強いみたいだけど、F2のRalt-Hondaのデビュー前のテストに参加した時、HONDAの川本さんから「走ったラップのすべてのコーナーの挙動を覚えていて、的確にメカニックに伝えてくれる、最高のインテリジェント・ドライバー」と評価を受けています。その辺のドライバーとは一線を画す知性と才能という下地があっての“あのドライビング”だったのです。
暴れん坊将軍で胸ぐらを掴むほどの喧嘩をしても、ケロッと抱き合う無邪気さも魅力だった。 ヨーロッパ戦線では奥さんをゴールドウイングのリアシートに乗せて会場入りするとか、オフでもマンセルなところもカッコ良かった。 ウイリアムズ時代はパトレーゼと無冠の帝王とスーパーサブとかいうコンビも面白かった。
Nマンセルは92年にチャンピオンシップを取り念願のチャンピオンになりましたがフランクリンウィイアムズ・パトリックヘッドとの交渉が決裂して93年からCARTへ参戦しニューマンハースへチームメイトはマリオアンドレッティー。 93年ルーキーオブザイヤーとチャンピオンを獲得をしました。94年はアルアンサージュニアに負けてしまいましたが CARTでの2年間はとても良かったと思います。F-1の政治的な事が無くて笑顔ででしたね。
@user-sj5fi4jz6o
2 жыл бұрын
ウィリアムズを追い出されたマンセルは、フジテレビのカメラマンを見つけるとこちらに来てと呼んだ。車椅子のフランクウィリアムズの前で、来年はアメリカのCARTチーム、ニューマンハースチームと契約したよとニコニコ顔。フランクはこの野郎と思っただろう。が、苦い顔していたのが笑えました。
良くも悪くも人間味のあるドライバーだった。そこが最高に好きだ!
今でも1番好きなパイロット 大英帝国の息子
昔のF1は大人のスポーツであり、とても人間臭い戦いがあった。今は今で楽しめるけど、マンセルがいた頃のF1をリアルタイムで見られて幸せだと思う。
見ていて1番楽しいドライバー チーム監督からしたら 1番使いたくないドライバー 完全な追い込み型 薬でもやってるんじゃないかと思われる走り アクセルとブレーキペダルをスイッチのように踏むドライバー まさにスポーツ 見てる方には 1番お客さんが呼べるドライバー 今の時代だからこそ 欲しいキャラクターかも しれない ただ キャラクター的に隠れてるけど 抜群のテクニックがあります
マンセル、セナ・プロ、アレジ、ピケ、そして中嶋悟。 ウィリアムズ、フェラーリ、マクラーレン、そしてホンダ。 あの頃のF1は本当に激アツで、日曜日の深夜はテレビに釘付けだった。面白かったよな〜。 そしてハンドルの後ろについたセミオートマのギアをチェンジするのが当時画期的で、積載カメラでその様子が映し出されるのがめちゃくちゃカッコよかったんだよ。
好きだったな…FW14B時代のマンセル。レッド5も印象深かったです。
今のF1だと完全にアウトなことをしてたけど、それがまたマンセルの魅力w
@Magical-Sky
Жыл бұрын
マンセルだから仕方ないか…みたいなところはありましたねw
@kathuyaaa-1115
Жыл бұрын
わかりますわ 大体スピンしても立て直したり、攻めすぎて、昔ピットレーンのガードレールにぶつかるとかw
NIGEL MY HERO (鈴鹿でファンが掲げてた応援幕) 自分のベストシーンは1992シルバーストーンで 観客席に時速300kmのウェーブが発生した時 FW14Bとサーキット全体が共鳴していた ファンを熱狂させてくれた点では F1の長い歴史で今でもジルと両横綱と思います
モナコでの煽り運転 伝説です。
いかにF1のワールドチャンピオンになるのが難しいかという事ですよね。昔NHKテレビでF1の特集をやってた時、関係者の方が「アメリカの大統領になるより難しい」とおっしゃってました。
’91年にF1を見始めて、初めてファンになったのがマンセルでした。セナと真逆の荒々しいドライビングに惚れ込んで夢中で見てた覚えがあります。 今でもあの年のヨーロッパラウンドの快進撃は忘れられません。
同じ開催地(ポルトガル)で 黒旗→優勝→黒旗→優勝 という今じゃ考えられない事を隔年でやってしまうのがマンセルの魅力でもある
@sanrioch
2 жыл бұрын
ポルトガルグランプリの詳細 →1989年はピットインの際にチームのピット(フェラーリ)を行き過ぎ慌ててリバースギアに入れバックしタイヤ交換した重大な違反で審査委員が黒旗を提示しているのにもかかわらず3回も無視して2位を走っていたセナを1コーナーでぶつけて弾き飛ばす。1990年はスタート時にチームメイトのアランプロストに幅寄せし迷惑を掛けるが他の車両が事故を起こしたため赤旗で61周目にレースが終了し優勝。1991年はタイヤ交換をして発進した直後右後輪のタイヤが外れてしまいピットロードでタイヤ交換したことによるレギュレーション違反で失格。1992年は何事もトラブルがなくポルトガルグランプリ最後の優勝。
改めてマンセルが、好きになりました❗
圧倒的な強さを魅せるも、たまにポカをやらかすところがある。1991年カナダGP…。
今のドライバーは恵まれてる、外国では死ぬか生きるかでレーサーになる、レースに出る事や優勝する事の重みが違うよね
レッド5の強いイメージしか、なかったです❗️ ロータス時代を知らなかったので、勉強に、なりました😃
大英帝国の愛すべき息子、イギリス国民から真に敬愛されるナショナルヒーロー。 今インチキしまくりの真っ黒なダーティーチーターとは大違い、記録よりも記憶。
ピーター・ウォーさんの便秘発言にいいね👍
乱暴だったけど最高のドライバーだったよな、それが今も尚多くの人々に愛される理由の1つでもあると思う
幼少時、セナが圧倒的に好きで マンセルは好きじゃなかったけど この動画で下積みなどを含めて人間味あふれる男と知り マンセルが好きになりました。 ありがとう。
こういう無頼の徒というか豪傑みたいなドライバーが活躍出来てた最後の時代かな 今のF1じゃこの才能があってもオミットされてしまうだろうね
初優勝も遅かったワールドチャンピオンになるのも遅かったけどそれなりの記憶に残るレースもあります
マンセルプロストセナシューマッハ 古舘アナ実況 F1が一番たのしかった時期
マンちゃんと言うとミスする時は派手にやらかすんだけど決まる時は本当にズバッと決まるまさにレーシング・ドライバーを地で行く格好良さとファンを大切にする姿は本当に凄い人だったと言う印象を個人には感じます。 トップからいきなりのリタイアを演じたキャナダ、セナとランバダを踊ったブラジル、女神に嫌われたポルトガルと言う物がある一方で大外刈りのベルギー、タクシーを運転したキャナダ、シケインは存在しないと叫ばれた鈴鹿の走りとやはり思い出が多いドライバーなのはやはり「ドライバー・マンセル」を印象付ける感じがしますね。
@m13zz
2 жыл бұрын
「大外刈り」マンセルファンの言葉で久々に感動した ご本人の著書やインタビュー(関係者含む)を見ると 物凄く繊細なセンスと マシンの挙動をメカニックに的確に伝える能力も持っていたスーパードライバー しかし そんなの全然見せない「荒法師」っぷりが今でも愛される不世出のチャンプだったと思います
レースではあんなに荒々しかったのに、レースの日では無いときには良き父親なのが人情味がありますね。オーバーテイクするときなんかマシンを左右に揺らして、物凄いプレッシャーをかけていました。94年の鈴鹿でのアレジとのバトルも好バトルでした。自分としては94年のアデレードでいい感じに終わったかのように見られたのに、懲りずに95年も参戦してひっそり消えていったのが残念でしたが、そこがマンセルらしいというか…😂
レースを始めるきっかけが公道を爆走する母親は草
@user-sj5fi4jz6o
2 жыл бұрын
母親のDNAはしっかりと引き継いだ良い見本。エディアーバインの母親も飛ばし屋らしいです。
@rayzeeeekeeee8233
2 жыл бұрын
爆走するDNA
まさにlong way の一言ですね🤣 92年のワールドチャンピオンになって 川井さんが婦人にインタビューして一言発した言葉😭 一番好きなF1ドライバーです😁
マシン挙動がオーバーステアだろうとアンダーステアだろうとマシンの行きたい方にコントールして走る天才ドライバー アグレッシブに走るのとは訳が違う
LION HEART、暴れん坊、無冠の帝王、色んな呼ばれ方したドライバーだけど、自分にとっては世界中で最も好きなドライバーでした。ロータスのテストでチャップマンに怪我の事を聞かれ、人違いと答えたとか。 red fiveのウィリアムズ・ホンダが世界一格好イイマシン‼️
マンセルの転機はラルトホンダF2に起用されたこともひとつあると思います。当初ラルトホンダにはトムグロイというとてつもなく速いアメリカ人が 乗ってたんですけど、ボスのトーラナックと衝突して飛び出していったので、代役でシーズン中なのにほとんどフリーだったマンセルが起用された んですが、堅実で開発も含めていい仕事をしたのでチャップマンの評価も上がったのではと思っています。
94年鈴鹿、初めて生でF1観に行き大雨の中寒かったけどそんな中 復帰した「レッド2」マンちゃんの走りはめちゃ熱かった(*´ω`*)今でも焼きついてます。
@user-cy8nu4ve8r
2 жыл бұрын
2ヒートでしたね
愛妻家で苦労人だった 偉大なイギリス人F1ワールドチャンピオン
セナもヤバいけど、マンセルも同じくらいヤバいと思うスゲェードライバーだよな~あんな可愛いヒゲのおじさんだけど
スピード狂のオカンから産まれた暴れん坊とかいうパワーバックボーン
ナイジェルマンセル懐かしいねー あの頃はいろんなゴタゴタが楽しかった。彼は日本に対してはあんまり好意的ではなかったような(笑 1986年アデレードの不運の映像は確か当時カーグラで見た記憶が……そしていよいよ来シーズンからは全戦フジテレビで生中継始まるわけで、テンションが一気に上がったのを昨日の事のように覚えています。 とにかくHONDA、HONDAでしたね〜
ナイジェル マンセル この男の名は一生忘れ無いでしょう👍
未だにマンセルの大ファンです( ´艸`)何故か日本GPでは勝利出来ないジンクスが出来上がってしまいました😓あのアグレッシブな走りが魅力ですね。
フランクウィリアムズさんが亡くなられたました。今までお疲れ様でした。御冥福をお祈りします。
マンセル,セナ,プロストとF1黄金時代のドライバーですね。 鈴鹿では予選でクラッシュで帰国したのは残念でしたが、どれだけ脊椎を怪我すればイイんだろうね‼️
ソックリな人が近所のパチンコ屋によく来てるけど「イチパチのマンセル」と呼ばれている
生まれた時には引退していたドライバーだけど、一番好きです!マンセル最高〜♡
ナイジェル アーネスト ジェームス マンセル大好きです!!
マンセルがワールドチャンピオン取った直後の夫人がドリームズカムトゥルーとコメントしてたの思い出した。
私の友人が、昔に鈴鹿でマンセルさんの運転するシビックに横乗りさせてもらったそうです。 『あいつ、1コーナーブレーキ踏みよらへん』って、言うてました。
エフワンが楽しく テレビで大援していた ころ やはり ナイジェルがいたからです ナイジェルおじさん 最高 の最高ドライバーはナイジェルです
メキシコでしたっけ? ベルガーをアウトから豪快に抜き去ってったやつ テレビ見ながら大声出しちゃいました! 今のF1でもあんなバトルが見たいですよね!
@ut3153
2 жыл бұрын
90年メキシコですね。 終盤2位走行中にコースアウト、コースに復帰もペースダウンしてたところに1コーナーでベルガーに強引なオーバーテイクされた途端にリミッター吹っ飛んだような走りでしたね。 ふつう高速コーナーでアウトから捲り切るか?
セナプロピケマンセルの時代は懐かしく面白かった
マンセルで一番好きだったのはフェラーリ時代。 それもベルガーではなくプロストとのコンビ時代が好きかな。 プロフェッサープロストと荒法師マンセルのコンビって少年ジャンプの漫画みたいで燃えたな〜! イタリアで『イル・レオーネ』と呼ばれてたエピソードも含めてね。 赤いフェラーリとイギリス🇬🇧国旗の組み合わせがまたクールだった👍
この方が今も御存命である事は正に生きる伝説そのものです。 どうかこれからもご健康になさって下さい。
喜怒哀楽激しいし 子供ぽいけど 人間味あり 憎めないですよね それが 世界中で愛されてる理由でも… いい場面でリタイアすると ハンドル叩きつけて 悔しがるのサイコーです!
俺の中ではナンバーワン、インディもとったし。荒法師マンセル
おじさん希望の星です。
私は古舘一郎さんの実況していた頃のマンセルさんしか知りません。また古舘さんがマンセルおじさんとか、ライオン丸とか言っていたのがよかったです
荒武者・暴君・破天荒、こう言う言葉が似合うのが、マンセル❗ただひたすら熱血漢としてサーキットを走る事に情熱をここまで注ぐドライバーがこれまで居なかっただけ、大好きなレッド5は永遠です。
今の子達にすればやはり、昭和ってやべーな。になるのかな。今はこういうロマンがない
王貞治氏の名言「努力は必ず報われる。 もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」 マンセルは、「努力の人」だったんだな。
エンジンで構造的に理想なのは、直6です。クランクの1周を6で割って60°。排気上死点では燃焼しないから、120°毎の燃焼。これを両バンクに持つ事で、60°毎の燃焼となる。 重量や全長を考えずにエンジン単体で考えると、高回転で回しやすい12気筒は理想的。 当時の技術では、NAでパワーを出すには高回転こそが要因でしかない。 音も最高だしね。
ライオンハート。
荒法師! かっこいいですね!
セナやプロストよりも人間臭くて好きだったなあ〜
こうして見ると、マンセルも日本GPの鈴鹿ではセナプロみたいな何かしらのドラマを生み出してるよねw
レッド5(゚∀゚ 三 ゚∀゚)キター
マンセルの速い走りが最も好きだった。アグレッシブで一か八か的な勝負師で彼より速い人は居ないと勝手に思っている。事故で死なないでいてくれてよかったばい。
マンセル見たさに、鈴鹿には何度も通ったな~。特に91年の鈴鹿、ウィリアムズのピット前でずっと待ってたら、何故かマンちゃんの天敵で大嫌いなセナに遭遇してしまい、嫌いなのに思わず握手を求めてしまった私。Canonの帽子を被ってるにも関わらず、すんなり笑顔で握手をしてくれたセナ。良い人でしたわ。なんでやねん。
ナイジェルドライブ最高
マンセルといえばレッド5ですが、セナの件で多くの人が喪失感に打ちひしがれている中で帰ってきてくれたときのレッド2も忘れられません
勝てないマンセルを応援するのが楽しかったなぁ
荒法師や走るアドレナリンも好きだけど「UFOに乗った原始人」が一番好き。
鈴鹿に縁がなかったよね
@user-sj5fi4jz6o
2 жыл бұрын
まあ最後は完走したし、表彰台こそないけど4位入賞ははたしました。実はアラン・プロストも鈴鹿での優勝はありません。
何が凄いかは自分を信じ奥さんも旦那を信じ世界チャンピオンになった事が素晴らしいね
勝手に家売ったら誰でも怒るわなw それで離婚しなかったんだから奥さんの理解があったんだな
赤のナンバー
リアルなカペタw
ちなみにマンセルがF3で接触した相手はあのエディ・ジョーダン