【ゆっくり解説】ワカタケル大王

Ойын-сауық

ワカタケル大王は稲荷山古墳出土鉄剣の銘文で有名になった人物であり、雄略天皇、倭王武と同一人物だとも考えられています。
ワカタケル大王は雄略天皇と倭の五王の倭王武とも年代が重なる事で注目されています。
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Пікірлер: 13

  • @sakaemysawa
    @sakaemysawa3 ай бұрын

    古墳時代好きAND埼玉民的にとても気になってるネタなんで捗りますわw

  • @user-qo8bp1hh9v
    @user-qo8bp1hh9v3 ай бұрын

    やっぱり考古学的に信用できるブツがあると実在性がグッと高まりますなぁ

  • @user-lm9sy2qq6w
    @user-lm9sy2qq6w3 ай бұрын

    ちなみに当時まだ訓読みは存在しないです。

  • @user-lm9sy2qq6w
    @user-lm9sy2qq6w3 ай бұрын

    支が「ケ」なのは、現在の読み方「シ」の前が「キ」で、さらにその前が「ケ」だからです。

  • @宴は終わったが
    @宴は終わったが3 ай бұрын

    動画ありがとうございます。 この当時の大和朝廷の影響力は東北以外の本州、四国、九州北部といった辺りまでと解釈していいのでしょうか。動画の説明からはそのように読めたのですが。

  • @shou-sho
    @shou-sho3 ай бұрын

    オホヒコが本当にヲワケの祖先だったかは重要でなく(たぶん違うでしょうし)、系譜を作る意識があったことが大事なんですね。 中国には始祖から三代目まで、父から高祖父まで溯って4代、計7代の祖先を祀るという風習があって、それが伝わってきているということ。 劉備が即位したのに祖先の名前がわからないことを裴松之に批判されていますが、5世紀にもなると無理やり作ります(笑) そして地方官すら系譜を作っていたなら、天皇家にも当然その意識はあったでしょう。 つまり天皇家の系譜がこの頃には作られていた可能性が浮上します。

  • @tigerion9275
    @tigerion92753 ай бұрын

    斯鬼は大和の磯城でしょう。

  • @user-zp2hk8xf5g
    @user-zp2hk8xf5g3 ай бұрын

    12:43 >ワカタケル大王の時代には南朝の宋の権威を背景に国内をまとめる必要がなくなってきた 南朝の宋は西暦479年に滅亡。倭王武の朝貢の頃は既に宋はカオス・・・ 宋の権威の方が地に落ちたから・・・

  • @user-yg8cc5ib6k
    @user-yg8cc5ib6k2 ай бұрын

    ワカタケル大王と読まないのでは

  • @user-jf5sx6zj4t
    @user-jf5sx6zj4t3 ай бұрын

    「辛亥年七月中記」この解釈で「中の意味不明」と当時(埼玉県教育委員会だったかな)説明されていたけど 七月と中を分けないで、二十四節気のなかの七月中(処暑に当たる)と素直に解釈すればいいのに れーしch様も七月で切っていたけど、なんか理由があるんでしょうか。 歴史学者は暦の知識がとぼしくて当時は知りませんでしたと、今更言えないなんて事はないよね。

  • @shou-sho

    @shou-sho

    3 ай бұрын

    中国語として見たらちょっとヘンだからじゃないでしょうか?  何日って日付を入れる(たいてい吉日)ことはよくありますが。 「七月中記」は中国語だと「7月の間ずっと記していた」みたいなニュアンスになります。

  • @user-jf5sx6zj4t

    @user-jf5sx6zj4t

    3 ай бұрын

    @@shou-sho さま ご意見ありがとうございます。 この銘文を純粋な漢文と見るか、日本語の影響が入った漢文と見るかは置いといて 「〇月中」は暦法上の用語(日中共通)で特定の日付を表します。   正月中・二月中・・・十二月中の年12日 対応する日付は年ごとに変わり、閏月には「中」なし。 七月中で七月何日と日付を表せるのに、なんでその解釈を採らなかったのか不思議なんです。 暦が日本に入った時期の定説との兼合いなのか、単純に知識が無かった可能性もあるけど 日付表記としては特殊だけど、具注暦や近世の暦でも対応日には記載があるから目にした事はあるはず。 それでも和歌森太郎氏、司馬遼太郎氏の文章読んでたら、暦の基礎知識が無いんだなーと分かった経験がありましたので(具体的な事例は半世紀近く前なので忘れましたが)昔なら有り得ない事も無いのかと。

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