【ゆっくり解説】 蜀 「天府の国」の栄枯盛衰 【戦国 秦 漢 三国 唐】

劉邦や劉備、諸葛亮が天下を目指した「天府の国」巴蜀・益州・四川と呼ばれたあの辺りの興亡の歴史を語っていきます。
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Пікірлер: 167

  • @gundamTaro1192
    @gundamTaro119210 ай бұрын

    成漢の建国者・李雄が入蜀した時、「こんな峻険な地で王朝を構えたのに滅ぼされた劉禅というのはよっぽど馬鹿だったんだなw」と呆れたというエピソードがあります。 蜀はそれくらい防衛に適した土地で、戦乱時は相対的に人口が多くなる…という。 まあその成漢はすぐに滅びましたがw

  • @user-mh8bf7md5i
    @user-mh8bf7md5i10 ай бұрын

    「隴を得て蜀を望む」という故事成語が生まれるように、ここは古今変わらず重要な地域だったんですね。

  • @user-fo3yr6ql7w
    @user-fo3yr6ql7w10 ай бұрын

    この動画を見て、各地域の人々の特色(日本だと東北人は我慢強く粘り強い等)と輩出した有名人の性格の比較とか面白いんじゃないかと思った。 項羽とかは、激情家で諦めも早い印象だけど楚人の特徴そのものって感じがするし出身·ルーツの影響を色濃く受けてるな~とかの考察も面白い。

  • @user-fr8vy2zj1t
    @user-fr8vy2zj1t10 ай бұрын

    諸葛亮は当時の資料でも 「法律を作り制度を敷き、軍隊を整備し、機械や技術は全て最高を極めた。」 「三国統一後も諸葛亮を賛える民がいた」 「領土内の人々は諸葛亮を敬愛した。怨むものはいなかった」(陳寿の談) 「諸葛亮は役所、宿場、橋梁、道路の修築が好きだった。田畑は開墾され、米倉は満ち溢れ、武器の性能は良くなり、蓄積は豊富になり、早朝の会議は浮わついたものにならなかった。路上には酔っ払いが消えた」(袁氏の談) また、習鑿歯の『襄陽記』では「諸葛亮死後もその治世を民衆が慕い、諸葛亮を祀る廟を建てさせてくれって意見が多くなって特別に国が許可した」という話もあり、諸葛亮の蜀での治世や人々からの凄まじい人気ぶりが伺えますね

  • @user-sd3hm8lj5f

    @user-sd3hm8lj5f

    10 ай бұрын

    諸葛亮はやはり名宰相ですね。政治家として卓越した手腕を発揮した。それで四川の地形を活かしてガッチリ守備を固めて北伐しなけりゃもう少し命脈を保っただろうに…😅

  • @user-dj4bf7oe8t

    @user-dj4bf7oe8t

    10 ай бұрын

    ​@@user-sd3hm8lj5f 北伐がなければ魏の成長と国力の差はさらに大きかった。 人口1の国と人口9の国に同じ時間を与えたら、間違いなく後者の方が強いでしょう。

  • @user-wi6pu3lb9i
    @user-wi6pu3lb9i10 ай бұрын

    蜀漢と麻婆豆腐と担々麺のイメージしかなかったが、それこそ栄えた地帯だったんだなぁ。杜甫の名詩もここで生み出されたと思えば、なるほど産物文芸豊かな国と納得する。古蜀と宋代も楽しみにしてます。

  • @yoshinorihashimoto8960

    @yoshinorihashimoto8960

    10 ай бұрын

    飛行機だと日本から北京と同じ距離だけ北京から内陸に行くんですが、よくもこんな内陸にこんだけの街を作ったなと感動します。緑豊かでぶっちゃけ中国で一番好きな場所かも。

  • @user-kh6ke2es8m

    @user-kh6ke2es8m

    10 ай бұрын

    西暦年間としても唐辛子の伝来は割かし近年という。

  • @user-wp1mq6jf7m
    @user-wp1mq6jf7m10 ай бұрын

    中国史との出会いが高校受験でムシャクシャしたときに逃げた先の市営図書館でした そこで吉川英治の宮本武蔵を読み感動し流れで三國志を読んでまた感動 もうなんかたかが入試でなに悩んでんだろう、勉強しよってなってそれから逃げずに受験に挑むことができました なので、若い頃は劉備玄徳・諸葛亮孔明大好き、魏嫌いな人間でした だから今回の動画はとても嬉しいです ありがとうございます ちなみに、今は国を興す前の朱元璋が大好きです

  • @user-Gifu_no_Zoukinya_san
    @user-Gifu_no_Zoukinya_san10 ай бұрын

    興味深い内容でした。 三国志では魏と蜀の国力差について語られることが多く、蜀の地はあまり豊かでない印象があったのですが、実際は華北に並ぶぐらいの人口を抱えていたんですね。 物産も豊かで天険に守られている、という意味では、まさに天府の国だったと。 しかし、小説等では「諸葛家は絶対に簒奪などいたしません」と言い張っていた諸葛亮が、劉備の廟を"簒奪"してしまったのは、ちょっと皮肉が効いてて面白いですね。

  • @hirosat5269
    @hirosat526910 ай бұрын

    Youは蜀!愛で空が落ちてくる~!You は蜀!俺の胸に落ちてくる~!

  • @user-dk8kk6wl8q

    @user-dk8kk6wl8q

    21 күн бұрын

    ナイスギャグ!!

  • @hanasakimasanao
    @hanasakimasanao10 ай бұрын

    張献忠「勉強になった」

  • @murkymurk8305

    @murkymurk8305

    10 ай бұрын

    先越された 笑 誇張されている説はあるがどうしてもヤツの名がチラつく…

  • @servantofJ

    @servantofJ

    10 ай бұрын

    するな

  • @user-gt6sz1gf5d

    @user-gt6sz1gf5d

    10 ай бұрын

    鳥人間 では、張君テストしてみよっか😊 「問題 蜀を発展させよ。」 張献忠(うぉぉぉぁぉ!!!) 清軍 (俺達も手伝うぜ!おりゃあぁぁぁ!!!) 成績 人口-210万人… 鳥人間 アビゃぁぁぁ…!!せっかく教えたのに!!(爆散)

  • @MUSASI40

    @MUSASI40

    10 ай бұрын

    ​@@user-gt6sz1gf5d張さんあんたが何もしないのが 一番の解決法だよ

  • @O-mega51

    @O-mega51

    10 ай бұрын

    蜀史に張献忠は外せないよね〜

  • @user-kh6sf9hw6u
    @user-kh6sf9hw6u10 ай бұрын

    劉邦が蜀に入る時、ど田舎すぎて、みんな逃げ出したって聞いてたから、未開のジャングル的なイメージあったんだけど、意外と整備されてたんだ。

  • @harukasuzuki3939
    @harukasuzuki393910 ай бұрын

    三国志で蜀というと貧しい地域のイメージが有りますが、かなり豊かなんですね

  • @coldexp7189
    @coldexp718910 ай бұрын

    こういう一地方の歴史を重点的にやる動画も面白いね。

  • @user-ly4fb6vd3z
    @user-ly4fb6vd3z10 ай бұрын

    理由はないけどなぜか蜀大好き

  • @Tnohito
    @Tnohito10 ай бұрын

    現代でも栄えてる大都市なので動画一本じゃ終わりませんね

  • @user-kk5dz7bu3y
    @user-kk5dz7bu3y10 ай бұрын

    ありがとうございます!

  • @c-history

    @c-history

    10 ай бұрын

    いつもご支援いただき、恐悦至極に存じますッ!! 大変励みになりまくりでございます~!!

  • @001lonestar7
    @001lonestar710 ай бұрын

    暖かく(熱い)湿気の多い土地とされます。北から逃げ込んで来た人たちは風土病に悩んだり、食べるものが米中心になって困ったりしなかったのでしょうか。 もうすぐ10万人ですね。

  • @user-oi5dt9tt8d
    @user-oi5dt9tt8d10 ай бұрын

    30年以上前の話だが、成都に行った。武侯祠や都江堰が懐かしい。「蜀犬日に吠ゆ」とは良く言ったもので、滞在中も曇っていた。ただ、玄宗が戦乱から逃れたり劉邦が移転させられたり(”左遷”の単語はこれに由来する)するなど、失礼ながら辺境の地のイメージは当時の方が強かったようだ。今の成都を含んだ四川の有様は、劉備や諸葛亮たちに目にどのように映っているのだろう。

  • @user-ti2wk9jq8y
    @user-ti2wk9jq8y9 ай бұрын

    諸葛孔明が南蛮を経由したインドの存在を知っていたのだろうか? 玄奘三蔵が西域経由でインド旅行するより距離は近く道中の安全性も高かったはず…

  • @akihikomaeda7080
    @akihikomaeda708010 ай бұрын

    お疲れ様です。今回も素晴らしい動画をありがとうございました。是非とも続編の製作をお願いしますが、張献忠が登場することを考えると気が重いですよね。😣 あと、「蜀犬日に吠ゆ」という言葉がありますが、この地方の気候はどうなのでしょうか?

  • @1000lemans3
    @1000lemans310 ай бұрын

    このチャンネルの戦いのBGMが大好きです。 オリジナルでしょうか? 可能ならスマホでテンション上げるときに使いたいので。

  • @user-ii3xb1lc1l
    @user-ii3xb1lc1l10 ай бұрын

    劉邦や国府軍のように一時的に引き篭り耐え難きを耐えてやがて反攻に打って出る… そんなイメージが強い 険しい山岳地帯と渓谷に阻まれているイメージが有るけど 攻め込まれてアッサリ陥落している

  • @user-mv6yc6gn9n
    @user-mv6yc6gn9n10 ай бұрын

    蜀そのものとは別の観点の話題になってしまうが、各主要都市の、城郭や場所の移り変わりなんかもシリーズ化して貰えると嬉しいです。自分も仕事で中国駐在が長いので、中国各地の古城や当地の博物館等を巡り、その土地・人物の他に、都市の歴史を知ることに興味を持っています。 今回の蜀・成都だと、古代の成都の中心線が、何故北東に傾いていたのか?(明王朝で王城が今の天府広場に築かれてからは、南北方向がびしっと決まった様だが)ということや、唐以前の城郭からかなり変化していったのは何故?等々、当時の事情や人々の生活、歴史の奥深さを痛感します。

  • @user-zp2hk8xf5g
    @user-zp2hk8xf5g10 ай бұрын

    15年ほど前に勤務先の旅行で行ったことがある。 田舎に行けば普通に牛ではなくヤクが飼われていたのにビックリ。 ホテルの従業員は漢人だが、清掃とかはチベット人。 料理は山椒が超絶効いていて、舌が痺れる辛さ。海の魚を食うのが地元ではステータス。 21世紀でも中原のボーダー的雰囲気あり。

  • @user-qs7ig8on7r
    @user-qs7ig8on7r10 ай бұрын

    オモロイ!オモロイ! なかなかに魅力的な回でした。

  • @user-gh5pi9ov7b
    @user-gh5pi9ov7b10 ай бұрын

    あら💡珍しい時間にアップされてますね!

  • @user-ww2yz6mo9h
    @user-ww2yz6mo9h10 ай бұрын

    本格的に発掘調査される前の三星堆遺跡は地元の人たちに諸葛亮が築いた古城だと思われてたみたいで、四川の人々にとって孔明はとても身近な存在だったのでしょうね。 巴蜀の地を戦略的に考えると、長江の上流に位置するので江南勢力にとっては目の上のたんこぶみたいなもので、歴史的に関中の勢力と巴蜀が一体化すると江南勢力は太刀打ちできなくなってる。 戦国時代に秦より先に楚が巴蜀を併呑していれば秦による統一もどうなったかわからないと思うし、諸葛亮の北伐も致し方無い面もあると思う。 巴蜀だけの勢力が長江を下って江南を併呑するって例が無いのが不思議。劉備みたいに失敗した例や逆に江南勢力に併呑された例はあるが。

  • @user-hi8px1oy7v

    @user-hi8px1oy7v

    10 ай бұрын

    蜀で漢中方面から川を下って魏の方面を攻撃する策はしばしば検討されてましたが、行きは良いが帰りの保証がないということで断念してますねぇ。 陸上で永安から進むルートは道が長い上に細長くなって伸び切るから隙が多く、劉備や、陸抗にやられた西晋のようになりがちということで、結構難しい部分はあるようです。

  • @Kotchan66

    @Kotchan66

    10 ай бұрын

    @@user-hi8px1oy7vさま 曹真の子・曹爽もこれで失敗し声望落として司馬懿にやられた。

  • @user-cj6ts3pq3u
    @user-cj6ts3pq3u10 ай бұрын

    近代でも日中戦争で蒋介石が逃げ込み、中華人民共和国でも四川を軍事拠点とした経緯がありますね(沿岸や満州は米ソに近すぎる

  • @mithrilfan
    @mithrilfan10 ай бұрын

    三国時代だと劉備があまりに有名だが、劉璋の親父で蜀入りした劉焉も結構な辣腕で乱れまくっていた蜀を平定してその後は天下を狙ってたという話がある。(寿命で中原に出るには至らなかったが)

  • @user-dv1zu9mg4y

    @user-dv1zu9mg4y

    10 ай бұрын

    でも蜀って劉邦以後に天下を取った勢力は存在しなかった

  • @karihakozaki
    @karihakozaki10 ай бұрын

    前漢や三国志の時代だけ見ると単なる片田舎と思っていたのですが、想像以上に発展していた都市だったんですね そう考えると、三国志の蜀漢が実質益州1つだけで構成されていたのも納得ですね 後編は、あの人とあの国がハッスルして文化破壊しそう(白目)

  • @user-hi8px1oy7v

    @user-hi8px1oy7v

    8 ай бұрын

    蜀は益州のみと言われつつも、西晋時代は梁州・益州・寧州と3つに分割されたくらいですし。やはり結構広大ですよね。 涼州南部迄版図に入れてたわけですし。

  • @user-us9jg7ej4m
    @user-us9jg7ej4m10 ай бұрын

    三星堆遺跡!超好き!オルドスもやって欲しい❤

  • @Kotchan66
    @Kotchan6610 ай бұрын

    19:49 蜀漢後主劉禅の孫・劉玄もその中にいた。

  • @user-kr7nm3gh2l
    @user-kr7nm3gh2l10 ай бұрын

    Thanks!

  • @c-history

    @c-history

    10 ай бұрын

    ありがたや……ありがたや…… いつも大変励みになっております!!!

  • @user-ie9jn5cr8s
    @user-ie9jn5cr8s10 ай бұрын

    劉璋「やっと出番が来たな!」

  • @user-zi3rj1ur9x
    @user-zi3rj1ur9x10 ай бұрын

    蜀。場所が四川、四川の料理は辛そう。 蜀漢の武官と文官さん達は3食激辛というイメージが。孔明さんも毎日唐辛子食べてそう。

  • @user-Gifu_no_Zoukinya_san

    @user-Gifu_no_Zoukinya_san

    10 ай бұрын

    唐辛子はメキシコ原産で、欧州で調味料として広まったのは17世紀以降とされていますね。 中国に広まったのは清代のようです。

  • @user-ho7kh6vd2t
    @user-ho7kh6vd2t10 ай бұрын

    山岳地帯にある巨大古代湖の水が引いた地形だけあって肥沃さと資源と防御がつよつよ。山々(西側)を背に東へ下るので打って出やすい。まさに覇道のスタートにふさわしいと思います。奈良盆地近江盆地が超巨大化したような地形。 地勢の通りに歴史が刻まれるなんてまさにロマンですね

  • @user-vw6dc7wi2c
    @user-vw6dc7wi2c10 ай бұрын

    面白かったです…海のリハク

  • @mukutinausagi
    @mukutinausagi10 ай бұрын

    西域の話が出てきたので、ちょっと動画と関係ない話をしてしまいますが、 今日から開催されている、東京富士美術館の大シルクロード展にいってきました。 鳥人間陛下の動画を見ていることもあって、より貴重な展示物達を楽しく鑑賞できました。 いつも動画投稿ありがとうございます。

  • @renngekisouhei8303
    @renngekisouhei830310 ай бұрын

    まってた

  • @NY-cz5to
    @NY-cz5to10 ай бұрын

    三国志の中でも最弱の国の初代皇帝と宰相を物語の主人公に押し上げた陳寿をはじめとする蜀の旧臣の凄さよ

  • @heiho_ita
    @heiho_ita10 ай бұрын

    蜀の地って豊かだったんだな🤔 四川料理だけじゃないんだな

  • @qoamb410
    @qoamb41010 ай бұрын

    「これ大事なり、倉卒にすべからず。此大事也、不可倉卒。」(蜀書 先主伝)なんて話しがあった事を思い出しました。劉備が蜀の地に入った際に、当時の主だった劉璋は歓迎し、宴の席を設けて歓待したが、劉璋の凡庸さにへきえきしていた蜀の人々は、劉備に劉璋を討って欲しいと言ったとされるエピソードの様ですね。劉備は蜀の人々の人心を掴むまでは、早計な事はしないと言い、実際に行わなかった様ですね。ちょっとお人好しな面はあるものの、諸葛亮とのコンビはバランス的に良かったのかと、感じますね。巴蜀の地の歴史が分かり、面白かったです。

  • @user-hi8px1oy7v
    @user-hi8px1oy7v10 ай бұрын

    蜀がどういう土地か、googleマップの起伏が見えるバージョンで見ると分かりやすい。ぐるっと山岳に囲まれてドーンと真ん中に大きな平地がある。 隔絶してこもりやすく、内部は豊かなだけに、あれを見ると天下が乱れるたびにここに独立国が出来る理由がよくわかる。 三国志で呉と蜀が同盟結んだ際、蜀は使者と共に馬200頭(+その他絹などの名産品)を送ったという。 山岳地だし、北西の方の武都は良い馬を産む場所だったと華陽国志にもありますし、馬の名産地でもあったのかな? 諸葛亮の廟は没後すぐに民間で作りたいとあちこちで声が上がったものの許可が下りず、末年になってようやく許可が出たという事なので、廟が後付けになってしまったのでしょうねぇ。

  • @user-sd3hm8lj5f
    @user-sd3hm8lj5f10 ай бұрын

    動画で触れてたように春秋時代に成都に蜀王国、重慶に巴子王国があったのでこの地域が巴蜀と呼ばれる、と三国志解説本で読みました。益州の名は漢の武帝時代に制定されたのは知らなかった😲 やはり鳥人間さんの動画は刺激的な発見、好奇心をそそるなあ😆 四川特集の後半動画もまだ知らないエピソードの宝庫であることを期待していますぞ!個人的に五代十国時代の前蜀、後蜀を掘り下げて貰いたいです😌

  • @user-mg4fu5wq2o
    @user-mg4fu5wq2o10 ай бұрын

    続きが来たら某殺殺殺の人が出そう…。そして遂に念願の王号を手に入れたぞ!

  • @user-lc1in8em3o
    @user-lc1in8em3o2 ай бұрын

    張献忠『よっしゃ❗いよいよワイの出番やな』

  • @user-jx6kl1jh7t
    @user-jx6kl1jh7t10 ай бұрын

    張献忠「人口が六分の一とか三国時代はマジでひくわ…」

  • @user-sd7wl4zg4z
    @user-sd7wl4zg4z10 ай бұрын

    蜀の地はいつも曇り空で、「蜀の犬は太陽が出ると怪しんで吠えかける」なんて言葉もあったな。

  • @bwjbb475
    @bwjbb47510 ай бұрын

    おはようございます。レモンドリズルケーキいいなあ。私ケーキ好きなんで朝からよだれが。でも今は医者から甘いもの禁止されてるんで食べられない。グスン。 今日は四川といか益州というか蜀特集ですか。こういう1地区を特集するのも面白いですね。ホウホウ、別部族の名前だったのねえ。巴蜀。 謎とロマンに包まれてるならフィクションやり放題だなあwwまあ武帝は武帝だから仕方ないねwwで、待ってましたの諸葛亮颯爽登場。劉備が嫉妬してそうww 桓温来たら仕方ない。残念~!w宋代の後も是非やってほしいなあ。覚悟はできています!(何故覚悟?ww)。

  • @user-iy6sh7wh1w
    @user-iy6sh7wh1w10 ай бұрын

    巴蜀の地を語ってここまで劉邦や蜀漢をあっさり流すあたり、地理志といえどこの動画らしいというかなんというか 公孫述の来キュウ暗殺は本当に光武帝にとっての誤算だったんだろうなあ、と思わせるエピソードで。 いつか、光武帝の部下たちで動画作ってほしいですね。

  • @user-yakisoban
    @user-yakisoban10 ай бұрын

    もうちょっとで10万人だああ

  • @user-hi8px1oy7v
    @user-hi8px1oy7v10 ай бұрын

    三国時代で蜀の住人が少ない理由ですが、単純に戦乱や疫病だけが理由でも無い部分があります。 曹操が漢中を下した時、その住人を北方に移住させているし、張郃が巴東・巴西を一時的に制圧した時、その住人を漢中方面に移動させてるんですよね。 だから巴と漢中の住民が北方に移住させられたのも大きな理由かと考えます。 南中は戸籍管理が難しかったでしょうし、住人が多い上に戸籍が管理されている場所となると、蜀方面くらいしかなかったのかもしれません。

  • @user-pf1ii4mg1q
    @user-pf1ii4mg1q10 ай бұрын

    今から古蜀の動画メチャクチャ楽しみなんですが?

  • @intelljp
    @intelljp10 ай бұрын

    秦の蜀に対する措置 前316年に秦に征服された後、蜀侯国として封建され存置します。秦からは、お目付け役の相国として陳庄が派遣されますが、前311年に陳庄が蜀侯を殺害、翌前310年に甘茂により陳庄は誅殺されます。 蜀侯が絶えた後、前301年、昭襄王は、公子惲を蜀に派遣し、「3年間は帰ってくるな」と厳命しました。が、公子惲はその年の内に反乱を起こし、司馬錯により鎮圧されました。これによって蜀侯国は廃止され、蜀郡として郡県制が施行されます。

  • @user-gd2vf6el5v
    @user-gd2vf6el5v10 ай бұрын

    劉備が奇しくも劉邦が拠点とした蜀から漢王朝再興を目指したのは興味深いですね。 そんな蜀(四川省)の人口を激減させた明末清初の異常さも……

  • @user-kr4yo3kf1t
    @user-kr4yo3kf1t10 ай бұрын

    似たワードが出るたびにダイゴやら一瞬著名人達の顔出てきて草

  • @user-pc3yi6kq9i
    @user-pc3yi6kq9i10 ай бұрын

    後編、明末・・・ あっ()

  • @user-fb3oq9jq3d
    @user-fb3oq9jq3d10 ай бұрын

    国民党も重慶まで引っ込んだな。

  • @yuka-youtube
    @yuka-youtube3 ай бұрын

    簒奪など許せない! 我が君は蜀帝です。 🐻

  • @user-ul1cl8ju8t
    @user-ul1cl8ju8t10 ай бұрын

    ヤバいことしか知らない屠蜀について解説してくれるの楽しみ

  • @user-kf9hy5fr9s
    @user-kf9hy5fr9s10 ай бұрын

    四川って国土地理院の中国標高図を見ても、明らかに山脈に囲まれた盆地なんだよね。蜀漢が魏の侵略を防御できなかったのが悔やまれるくらい守りやすい土地

  • @user-lw5sd7lb4u
    @user-lw5sd7lb4u10 ай бұрын

    公孫述「巴蜀の地に、成家を樹立した私だが…ある時こんな夢を見た… 『八ム子系は、12年の天命が有る』と、私は妻にこう言った」 公孫述「12年とは、短すぎる」 妻「朝に道を聞けば、夕に死んでも良い。 12年も有れば、十分ではありませんか」 公孫述「妻の言葉に後押しされたのもあって、遂に皇帝となり蜀郡を司隷校尉として国家の体裁を整えた。 そして、漢の皇帝と雌雄を決する戦いが始まった」 … 呉漢「天下統一へ向けて巴蜀を攻略していた我が軍だったが、敵は卑怯な手段で来歙・岑彭両将軍を刺殺した。 俺は怒りに震え、公孫述の一族と延岑を残党もろとも皆殺しにして、更に成都まで焼き払った。 その事で、俺は陛下からきつく叱責されたのだが…」 … 延岑「最後まで戦い続けた儂、漢軍に追い詰められた成家の皇帝に述べた言葉は今も残っているようだ。 『男児死中に生を求むべし』 我が身は敗れたと雖も、名言は不滅と言う事だな」

  • @user-sl8fs5fp1k
    @user-sl8fs5fp1k10 ай бұрын

    某殺殺殺はまたのお楽しみ()

  • @user-uz8xc1vv5x
    @user-uz8xc1vv5x10 ай бұрын

    張献忠「俺の出番まだ?」

  • @murkymurk8305

    @murkymurk8305

    10 ай бұрын

    みんな大好き闇中華史…

  • @user-wb3qi2ew6l
    @user-wb3qi2ew6l10 ай бұрын

    諸葛亮の存在は巴蜀の奇跡だよな。荊州失陥→夷陵の戦いでガタガタになった蜀漢を立て直し、内政を充実させ、国論を統一して魏打倒へ官民ともに立ち上がらせた。諸葛亮死後の蜀漢は、おまけ あっ、おかげさまで王位に就けました。楚王や周王に並びましたね

  • @user-Kirei_Kotomine
    @user-Kirei_Kotomine10 ай бұрын

    夏よりも前とされるシーマオ遺跡についても取り上げてほしい

  • @y--sizuki
    @y--sizuki9 ай бұрын

    リヒョウと、二郎がなぜ繋がるんだろう……スミマセン、知識不足なんで分からない……💦

  • @user-pq6fw3vx1m
    @user-pq6fw3vx1m10 ай бұрын

    何らかのきっかけで統一王朝が崩壊した時は誰かしら独立勢力を築くイメージが

  • @KGG03226
    @KGG0322610 ай бұрын

    宋は問屋が卸さない(´・ω・`)チゲェ

  • @---nt5tf
    @---nt5tf10 ай бұрын

    「私気になります」は、草っwww

  • @chip1259
    @chip125910 ай бұрын

    忠義忠節臣下の鑑される諸葛亮が死後に君主より偉くなるとこがチグハグで面白いね😂 諸葛亮もあの世でさぞ居心地悪いんじゃないかな😂

  • @mototakakageyamanouti3638
    @mototakakageyamanouti363810 ай бұрын

    本編で流れているbgmはなんという曲ですか?

  • @Myname12345

    @Myname12345

    10 ай бұрын

    月明かりの灯台って曲

  • @mototakakageyamanouti3638

    @mototakakageyamanouti3638

    10 ай бұрын

    @@Myname12345 あざす!

  • @user-qo8bp1hh9v
    @user-qo8bp1hh9v10 ай бұрын

    劉備「余の廟が!余の廟が~っ!」 関聖帝君「まぁまぁ、廟のひとつやふたつ忠臣に譲ってやってもよいではありませんか、義兄上」

  • @user-rs5fe8og7g
    @user-rs5fe8og7g10 ай бұрын

    0:33 とりたそ〜

  • @shibushibu6265
    @shibushibu626510 ай бұрын

    パンダ🐼は出てこないのですか??

  • @user-ch6rg1bt3v
    @user-ch6rg1bt3v10 ай бұрын

    おおー中身こうなってたんか、蜀と言えば三星堆遺跡やな😊鄧艾が転げ落ちて進んだという剣岳の見学

  • @user-st2zo6mq8k
    @user-st2zo6mq8k9 ай бұрын

    四川李白?

  • @user-lw7jm2wj1k
    @user-lw7jm2wj1k10 ай бұрын

    遥かな後代になりますが蔣介石が重慶に居を構えたのは この時代を見習ったのでしょうか?

  • @user-pi4ot1pz2y
    @user-pi4ot1pz2y10 ай бұрын

    現在は成都が2600万人と大繁盛してるんですよね

  • @user-jn3sc6zx1u
    @user-jn3sc6zx1u10 ай бұрын

    私が王朝開く時は「しん」にはしないでおこう。 「ふーん」 好き(笑)

  • @user-qw4xc7gt8m
    @user-qw4xc7gt8m10 ай бұрын

    三国時代から四川料理といえば辛かったんかなぁ

  • @nisegilgamesh
    @nisegilgamesh10 ай бұрын

    四川と聞くと泡菜と茶を浮かべます。

  • @tillc8092
    @tillc809210 ай бұрын

    だからみなとみらいの四川料理店は「天府城」なんだな

  • @user-dk4nh6yr6y
    @user-dk4nh6yr6y10 ай бұрын

    巴蜀は天府の国と称されるほどの豊かな土地で、なおかつ守りも高いので、中央で何か戦乱などがあった際に人々が逃げ込む避難先みたいな感じになっていますね。(でも、その地から出て攻勢に出るのには向いていなさそう。成功例が劉邦くらいしか思いつかない…。)そういえば、日中戦争時も蒋介石率いる国民政府は重慶に逃げていましたが、重慶って巴蜀(四川)にあった土地だったんですね。知りませんでした…。だから、当時の日本軍は重慶に逃げられてしまった蒋介石の国民政府を攻めきれなかったのか…。(最終的に日本がアメリカに負けて大陸から引き揚げたため、助かったが、よく考えたら、巴蜀に籠り切ってろくな攻勢には出れていなかった気がする。やはり巴蜀の地は守りには適しているが、攻めには適していないのか…。)

  • @hase0615
    @hase061510 ай бұрын

    蜀は動乱の時代になると注目されるイメージがあります。 日本だと九州地方のような。 あくまで個人的なイメージですけれど。 ついでに勝手なリクエストですが、地方だと荊州、都市だと鄴を希望しております。 できればで結構ですので、よろしくお願いします。

  • @user-np2qk4mu1p
    @user-np2qk4mu1p10 ай бұрын

    「蜀」と「益州」と「四川」呼び方によってどう違うのか⁉️

  • @Anthony-hh3dl
    @Anthony-hh3dl6 ай бұрын

    蜀為西境,古號益州,路有錦江之險,地連劍閣之雄,回還二百八程,縱橫三萬餘里,雞鳴犬吠相聞,市井延綿不斷,田肥地茂,歲無水旱之憂,國富民豐,時有管弦之樂,所產之物,阜如山積,天下莫可及也!

  • @takashi-aoki
    @takashi-aoki10 ай бұрын

    身毒ってサンスクリット語で大河(インダス川)を意味するシンドゥから来てるそうな

  • @hwainkim6101
    @hwainkim610110 ай бұрын

    蜀の桟道を見る度に色々と想像して怖くなってしまう

  • @su-masu-ma5178
    @su-masu-ma517810 ай бұрын

    廟すら部下の諸葛亮をヨイショしちゃう劉備玄徳、何だからしい感凄い。(笑)

  • @user-rf4xi1jt5v
    @user-rf4xi1jt5v10 ай бұрын

    なんかのレポートで300年位前は四川料理は辛くなかったって書いてあったけど 何があって今の辛い料理になったのかちょっと気になりました

  • @ff-ff-ff-ff
    @ff-ff-ff-ff10 ай бұрын

    毎回、昭襄王が少女王に聞こえてしまうww

  • @user-ld8mz1bf4w
    @user-ld8mz1bf4w10 ай бұрын

    麻婆豆腐食べたい。

  • @user-mp2tz9rr7g
    @user-mp2tz9rr7g10 ай бұрын

    立地条件は良いのに政権は長続きしない場所

  • @Legendary_mapo_tofu
    @Legendary_mapo_tofu10 ай бұрын

    蜀の食(人)まで遠いなあ 劉焉が悪だくみ出来そうな程度には、豊かな場所だったんですね

  • @user-gm3mp3br8e
    @user-gm3mp3br8e10 ай бұрын

    蜀ってジョウト御三家のメガニウム並みに育てにくい土地だよな 島流しに使われたくらいだし

  • @t-direct7
    @t-direct710 ай бұрын

    続きがあるとしても、明末清初の屠蜀があるので、大筋の展開が……orz

  • @fumi5399
    @fumi539910 ай бұрын

    この後大虐殺されたんだよね…

  • @user-vh4br7yg5q
    @user-vh4br7yg5q10 ай бұрын

    どれだけの庶民が権力争いで犠牲になったのかよく分かる

  • @O-mega51
    @O-mega5110 ай бұрын

    南詔国もいずれやってくださいな🎉

  • @TaroG2
    @TaroG210 ай бұрын

    屠蜀のイメージが強すぎて…。😢

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