【ゆっくり解説】"史上最悪"の犠牲者数だった墜落事故。その"慰霊登山"で起きた悲しい出来事【2010,2016年 御巣鷹山遭難事故】
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#ゆっくり #遭難 #登山
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山登りを趣味とする者ですが、私にとって御巣鷹の尾根は特別な山です。 事故関係者ではありませんが、8.12連絡会の事務局長さんとご縁があった関係で御巣鷹の尾根に登ったことがあります。「日本航空の社員で登山道整備中に亡くなった方がいる」とは聞いていましたが、そこまでご遺族の信頼厚い方だったとは存じませんでした。 今もなお登山道を整備し続ける日航の皆様には頭が下がります。 その努力の甲斐あって、御巣鷹の尾根の登山道はとても歩きやすく整備されています。 この事故のことを知りたい、事故を真摯に見つめたいという方にはぜひ訪れることをお勧めします。
墜落事故のあった時の黒澤丈夫村長は、海兵出身、重巡「那智」乗り組みから航空畑に転じた方です。 96艦戦を駆って大陸で戦い、さらに精鋭「381空」を率いて零戦、雷電で中部太平洋、フィリピンで戦い抜いたエースパイロットです。 航空への思い入れが深く、捜索、慰霊に全力を尽くされました。
機長が懸命に発した言葉をネットミームでしか知らない世代が増えました。 悪気がないと分かっていても、気安く使われるのは複雑な気持ちになります。
80歳で危険な道を5km歩いてダムまで行けたことに驚嘆してしまいました……助かったのはきっと慰霊に来てくれたお礼をしてくれたのでしょうね
UP主はめちゃめちゃ調べたんだろうな。リアタイで日航機事故報道を見た私も知らない事ばかり。 こういった誠実な姿勢が好きです。
ちょうど先月に慰霊登山に行ってきました。 御巣鷹の尾根の登山道自体はほぼ一本道で地図も配布されておりますので、きめぇ丸さんは慰霊碑を超えた先の山頂から誤って別の山頂への道を先に進んでしまったのでしょうね。山頂には矢印が描かれた案内板がありますが、とても小さいので見落としてしまったのかもしれません。 私は遺族でも関係者でもありませんが、事故を風化させないためにも、犠牲者の方々のご冥福を祈るためにも、慰霊登山をすることには大きな意味があると思います。 登山道はあるものの事故当時の墜落現場は獣道があるかどうかという原生林でしたので、今も道を踏み外すと危険な箇所もあります。登山者のために整備を続けている方々には感謝しかありません。 ちなみに私のスマートフォンは御巣鷹の尾根ではずっと圏外でした。キャリアにもよりますが(私はワイモバイル)慰霊登山をされる方はその点にもご注意ください。
あの日のことは忘れられません。連日沢山のヘリコプターが飛び、墜落場所が分かっても救助が進まず、何やってんだとテレビの前でイライラしたものでした。しかし実際は、道などない急峻な斜面に墜落しており、そこまでたどりつくのも大変危険な場所であったことを後から知りました。慰霊のための登山道を作り、それを守っている方々に頭が下がります。
38年経ってもU字溝は木々達に修復されること無く惨劇を語り続けているんですね。 もうすぐ8月12日が来ますが今年は123便の犠牲者の方々とレン様のご冥福を 合わせてお祈りしようと思いました。うpありがとうございました。
レンの事故も日本航空が登山道を整備しているということも初めて知りました。 「遭難事故から何かを学ぶ」ではなくても知らなかったことを知れるという学びの動画でした、ありがとうございます。
御巣鷹の尾根の名前はその通りです。 事故現場は当時名前のない尾根でしたが、初期の報道で御巣鷹山に墜落と連呼されており御巣鷹山という名前が皆の頭の中にありました。 そして救助や捜査の関係上、事故現場に名前をつける必要があり上野村の村長さんが皆があまり混乱しない御巣鷹の尾根と命名をしました。
慰霊登山は犠牲者達と事故を忘れないためのものなのに そのために死人が出るのは悲しいなホント 犠牲者にとっても
遺族の方が慰霊登山したら慰霊碑前でハイカーの一団が酒盛りやっていたなんて話もあって、今ならSNSで晒され大荒れだった事でしょうね。慰霊の場であり単なるハイキングコースじゃないんですが、こうした事故はまさに悲劇…。
テレビではみたことがありましたが、ここまで詳しく説明されていなかったので、すごくありがたいです。いつもわかりやすい動画をありがとうございます。 行きでは通らなかった道をひたすら進むなんてすごいですね!健脚な方だったのですね。無事と聞いてホッとしました。
第三者だけど、忘れもしない高校の夏休み、例年通り祖母に会いに家族で帰省中、晩飯食いに寄ったラーメン屋で第一報をTVで見た。翌日は一日中TVのワイドショーにかじり付いて救出作業を見守った。 このせいで、以後15年位飛行機乗れなかったな。 同乗していた坂本九さんは帰らぬ人となり、乗る予定だった明石家さんまは予定変更で乗らなかった。GPSの無い時代、場所特定に手間取り発見が翌朝となり、墜落直後生きていた人々も亡くなっていったそうだ。結局救出されたのは4人。 夏休みが、お盆が来る度思い出す、合掌。
去年の夏頃慰霊登山に行ってきました。自分は事故当時まだ産まれていませんし関係者でもありませんが、尾根に登った瞬間や慰霊碑の名簿を見た時なんとも言えない気持ちになりました。犠牲者の方々と社員の方のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族や日本航空の社員さん達だけでなく、事故後にうまれた世代の自分たちもこの事故が風化しないよう語り継いでいかなければならないと思いました。 当日私はペットボトル1本で4時頃に登ったのですが、普段山登りなどしたことは無くまだ若い自分でも結構キツかったのを覚えています。道としては一本道で素人でも分かりやすかったのですが、この動画を見てあくまで山道であり、遭難や滑落の危険性があると思い知らされました。もっと安全性などを事前に調べなければいけないと反省させられました。
御巣鷹山の話は、登山ではないけど聞いてみたいなぁと思っていたので、取り上げてくださってよかったです。私たちの年代には忘れられない事件です。時期を選べば一般の人でも登れるとこの動画で知って、いつか行ってみたいと思いました。今回はきめぇ丸が助かってよかったです。
ご遺族限定の慰霊登山があることや、日本航空が慰霊碑などを維持管理してることを初めて知りました。とても勉強になりました、ありがとうございます!
この事故に関してはどうしても会社(日本航空)側のことが色々と言われてしまう面があるが、 登山道の整備などをやっていることは初めて知った。日航なりに今でも対応はしっかりしているのですね。 後世に残すためにもこの事故は絶対に風化させてはいけないし、二度とこのような事故が起こらないことを切に願うばかりです。
地形を変え、何十年と経った今も分かるような痕跡を残すほどの大事故があった事は本当に恐ろしいし悲しい。 今回の遭難のお話は、普段の教訓めいたものとは少し違いましたね。 当時80代だった男性が難所も超えて無事生還できた事への驚き、 不運な滑落事故によって亡くなられた多くの人に慕われた職員さんへの哀悼の気持ちが勝り、何とも言えない気持ちになる内容でした。 もうすぐお盆ですね。 海山に出かける時は、楽しい気分だけでなく教訓と亡き方々への祈りの気持ちも持って行きたいです。
今回も分かりやすかったです!次も楽しみにしています!
日航機墜落事故の時は赤ん坊。恥ずかしながら成人してから偶然知り、かなりの衝撃を受けました。特に殴り書きで残した遺書... その割に冒頭の御巣鷹山の豆知識の部分は知らず存じぬでした。 いつもたくさんの知識をありがとうございます。不確定な部分は必ずその旨説明があり、なるべく忠実に解説してくださる姿勢が大好きです。
迷って5km登ってしまうきめぇ丸が健脚すぎるw
墜落現場は山深い場所になってしまったが、油圧喪失状態で被害拡大を抑える為に山に向かった機長を思えば仕方の無い事ですね、長い時を経て日航の社員の方が亡くなったのは悲しい事です。
@asellusmoon
Жыл бұрын
機長が意図して山に向かったのではなく完全にコントロール不能で結果的に山に向かってしまったのです。
@showtime..
Жыл бұрын
@@asellusmoon 私的には副操縦士からの「海にいきますか?(海上不時着)」を断っての山行きを決めたあたり機長がそのような判断を下したものかと…答えはありませんが。
@asellusmoon
Жыл бұрын
@@showtime.. 機体は完全に油圧を失ってコントロール不能でしたが、クルーは最後までそれを知らずに必死にコントロールしようとしていました。 それが故の発言であり機長が向かおうとしていたのは羽田空港で、山に向かったのは意図したものではありません。 ちなみに海上への不時着は成功の可能性はほぼありませんから、そもそも選択はしなかったと思います。 水上への不時着が上手くいくのは映画の中だけで、ハドソン川のような波が無い川でさえ奇跡と言われるくらいです。
@kitukikano
Жыл бұрын
娘3人を亡くした家族に宗教の勧誘きた話は胸糞悪くてなかったな。奥さん精神的にダメージが深くて旦那さん必死にささえて、賠償金いっぱい貰ったんでしょ?な誹謗中傷もあって、昔も今も変わんないな人間って思ったり。パイロットのご家族への誹謗中傷も酷かったそうで・・・。必死に落ちないように最後まで諦めず戦っていたというのに。
ここのチャンネルは過去の話題性が高い遭難だけでなく、未然に防げたケースや今からに向けた動画もあるからありがたいわ ま、まぁ山は登らないんだけど…😂
母から聞いた話ですが、 事故当日埼玉と群馬の県境付近で飛行機を目撃し、 信じられないくらい低い高度で飛んで行ったのを見ていたそうです。
もうすぐ慰霊の日。慰霊登山される方々へ向けて、と言う言葉に感銘を受けました。 これからも、わかりやすく為になる動画を見せてください。 きめぇ丸さん、80歳代なのにすごいです。
こちらに行くには何本もトンネルを抜ける必要があります。おそらく墜落事故後に国なりが整備したのだと思いますが、事故発生当時相当山深い場所だったのだろうと思いました。
呑気に歌番組見てたらニュースになり御巣鷹山の事故 あの時の衝撃は忘れません。 いつかは行って見たいです
遺族に尽力してくれた人が慰霊登山の準備中に亡くなるとは……ご冥福をお祈りします。 ありがとうございました。 きめぇ丸はなんでそんな迷い方をしたか謎だな……。
今でも「123便御巣鷹の尾根墜落事故」ではなくて「123便御巣鷹山墜落事故」と番組等で紹介されてます。本来なら現場位置誤認が判った時点で直ぐ訂正して呼称変更するべきだったんでしょうけど… ロクに調べもせずノリだけで押し寄せる野次馬連中を現場から遠ざける効果はあるのかな?
きめぇ丸元気過ぎるやろ…
ネガティブなコメントになるかもしれませんが、関係者以外の慰霊登山や入山はしないほうがいいと思います、亡くなられた方達は静かに休まれたいと思います、また何かをもらってしまい、自分自身にケガや災いが起こりかねません、実際別の場所ですが自分がそうでした、行かれる方はくれぐれも気をつけてください。
毎年慰霊登山に行ってるけど遭難された方がいるとは…! 2019から行けてなかったんで久々にご挨拶に行きます。
ハイパーおじいちゃんすぎるwww 何事もなくてよかったよかった!
80代で遭難状態で山を5キロも歩いたのすごすぎ… この人は守られたんだね 奥さんもいるんだしよかった 一方でご遺族の信頼を得るほどの好人物が亡くなったのは悲劇としか言えんね 他人の責任ばかり追求する時代になったけど、誰も悪くない悲しい出来事なんていくらでも起きてる 脳挫滅なあ…
2:55 悲劇の事故現場の名前に神様の住む場所の名称をつけるわけにはいかなかったのではないでしょうか🤔
上野村の当時の村長 黒澤丈夫さんは太平洋戦争当時、戦闘機乗りだったという方でした。50年にわたり上野村の村長をつとめられたとか
クルマの運転もそうだけど 80代で体力的には問題無くても 判断力や認知機能に問題出てくるのかもね
きめぇ丸は助かって良かったけどレンさん…
飛行機墜落の場所が天の国を意味する『タカマガハラ』なのが因果を感じる話ですね…
同じ登山道でも、様々な事が起こるのだと改めて思わされました。天候や体調やその人の年齢や、性格や責任感など、状況次第で起こることは多種多様に思いました。そんな中で登山をしているのだと、肝に銘じて登山をしていきたいと思います。
犠牲者にご冥福をお祈りします。
貴重な案件のお話をありがとうございました。 御巣鷹山の件で思い出しましたが、私はこの時期になると 「御巣鷹に散った天使」というネット上に掲載されてますお話に目を通します。実話を元にしたフィクション作品で、123便に搭乗していた客室乗務員さんとそのご家族、そして新たに生まれた次の世代の物語です。事故の経緯もそれに関わる方々の奮闘も丁寧に記してある名作です。もし機会がありましたら・・・
高天原という日本神話の神がおわす場所と同じ言葉にネガティブなイメージをつけたくなかったのもあるかもなー
墜落翌日には御巣鷹山と報道してたと記憶しています。「正確には高天原」と聞いたのは、事故後何年も経ってからです。
@user-be4jp6bk4q
11 ай бұрын
御巣鷹の尾根 が正式名称かと思います。事故当日の夜は、火災が見えたのが群馬県側か長野県側の御座山かで情報が輻輳していた記憶があります
@sss3737sss
10 ай бұрын
@@user-be4jp6bk4q 動画見ました??後付で「御巣鷹の尾根」ってなったと説明してますよね。 事故の時に「御巣鷹の尾根」は存在しなかったから、当時は正式にはって事で書いたんでしょう。
待ってました!
こんにちは。墜落事故があったのは私が大学生の時でした。夕方7時になるちょっと前、テレビの民放チャンネルで、終わった番組と始まる番組の間のコマーシャルが流れている最中に第一報がテロップで流れてきたのを覚えてます。お盆前の日没後で窓の外は暗くなってましたね。7時からニュースで盛んに流れ出して、確か7時20分頃、米軍の偵察機が旅客機が墜落したと思われる長野県辺りの山中(報道当時。次の日から群馬県側に変更)で火の手が上がっているのを確認して引き返してきたと、それが現場からの最初の情報だったの覚えてます。 それにしても、登山道の整備中に亡くなられたとは、なんとも痛ましいお話ですね。 険しい山の登山道を整備される方々のたゆまない尽力に、唯唯頭が下がります。 1番目の男性、長男に助けを求めた後、その場から動かなかったらもっと早くに発見できたかな。道中、トラックが通りかかって良かったですね。
こんな事あったんか
御巣鷹山の事故で、藤岡市の学校の体育館が、臨時の安置所になったそうです。後に住民から陳情が来て、全面的に建て替えたと聞きました。
近々パートナーが慰霊登山行く予定があり気になっていたので話が聞けて良かったです! 整備された道を行くだけだしガイドさんもいるので大丈夫と思いますが万が一がないように気をつけたいですね 御巣鷹山の航空事故で亡くなった方々、れんさんのご冥福をお祈り申し上げます
魔理沙と同じく一度は慰霊登山に伺おうと思いました。
当時の上野村の村長さん、もと海軍航空隊の隊長さんだったのだよな…
遺族の方々の慰霊登山は、本当に大変だと思います。事故だけでもいたましく、傷の癒える日は、生きている限り来ないと思います。昨年の、あの日の前に、事故(?)で亡くなられた犠牲者の方々は皆さんようやく上がれたようです。やっと、です。高齢となり、慰霊のための登山が、できなくなってしまったとしてももうあの山にはいないので大丈夫です。
墜落の際、ご遺体の安置所の1つに「藤岡高校」がありました。 教員(校長)だった父も安置の手伝いで何日も眠れなかったです。 メディアでも「名もなき山」の命名にかなり翻弄されていました。 改めて合掌。
脳挫「滅」か… どれ程の衝撃だったのだろう
凄い方向音痴だからわかる。わかるよ😅
御巣鷹山は携帯電話の電波は入りません。今年初めて電波中継車が来て昇魂の碑の場所で通話ができる様になっただけです。期間限定なので普段通り上野ダムを過ぎると携帯電話の電波は入らないので安易に御巣鷹山には行かない方が良いです。
2010年の件。そもそも14時に登り始める時点でツッコみどころなのですが、迷った時点で警察に電話せず家族に電話してあたり、素人が登ったんだなって感じます。ただ、その割に(しかも80代で)健脚だったようなので、何かしら運動して鍛えていた人だったんでしょうか。それゆえに、油断してしまったのかもしれないですね(単純に無知だったというのもあったでしょうが...)。 道迷いに関しては、登山道がいくら整備されてようとしょせんは山の中なので、獣道や林業用の道、単純に木や草がなくなってるなどで登山道っぽくなってる場所っていくらでもあるので、両側を人工の柵でガッチガチに囲ってない限りは迷う事は十分考えられますね。 2016年の件は、もう気の毒としか。。。(脳”挫滅”ってエグい...)
@user-oh5gz4ub2o
7 ай бұрын
基本的に登山家でない素人の遺族がいくための道だから、手すりに階段、標識に休憩のためのベンチ等、遊歩道くらいには整備されてるよ。
仰天ニュースを見ていてると、当時はまだ山の名前が〜と説明があり、視聴しました。思ったとおり、山の命名の経緯について、知ることができました。墜落現場についても仰天ニュースにない情報も知ることができました。安定の調査力がありがたいです。事故の犠牲者のご冥福をお祈りします。
御巣鷹山慰霊に関する遭難事故ご遺族様の高齢化が進む中で今後あり方を一考させられる動画です。
その他 事故当初マスコミの遭難。 1985年8月18日 自衛官1名 30M滑落重症。 16日捜索隊員1名 落石重症。 9月1日1名 落石死亡事故。
2016年の事故を初めて知りました。映画「沈まぬ太陽」を思い出します。 18:11 相馬裕さん(59)と言う方らしい。 映画の主人公「恩地元」のでモデルなのでしょうか。
@amaguricocoa
Жыл бұрын
恩地元のモデルは、小倉寛太郎という方らしいです。Wikipediaがあります。
@MrKomakichi
Жыл бұрын
恩地元のモデルは、小倉寛太郎さんという方らしいです。 小倉さんは日本航空の労働組合の委員長を務めましたが、激しい組合活動を行ったために海外にトバされました。 123便の事故が起こった後は、社内改革のために就任した新会長の秘書のようなポジションにつきましたが、改革はうまくいかず、その後は再び海外勤務となりました(恩地とは違い、被災者相談室に配属されたことはなかったみたいです)。 小説のモデルになるくらいですから仕方ないことかもしれませんが、個性が強い人で、なかなか評価の分かれる人物だったようですよ。
@user-rp3pb4gx6g
Жыл бұрын
恩地(小倉)はただのアカでクズですよ。別に何の実績もなし。組合幹部だった当時、人事担当役員の奥さんが癌で亡くなったとき、大喜びで「よっしゃ!!奴は気落ちしているぞ。今が攻め時だ」と叫んで、周りの仲間をドン引きさせたのは有名な話だったらしい。原作の山崎さんはそれを聞いて、青くなり「どうしよう。そんな人間じゃ主人公に出来ないわ」と言ったとか。結局、主人公にしたんだけど。 そんなこんなで、人望はまるで無し。そりゃそうだ、本当に小説のとおりの人物なら出世した仲間が呼び戻しますわな。 結局、誰も助け船を出さずに国外を転々としたのが、この人物がどんな人物かを如実に表している。 事故にも何のかかわりもありません。大体、事故自体日航に何の落ち度もなく、只の被害者な訳で、「空の安全」も何もないですし。 あと、正義の味方の社長に取り立てられた正義の戦士というような描かれ方だけど、実際を知る人に言わせると、件の社長は、そんな甘い人物ではなく、壊し屋としての恩地(小倉)の能力をかっただけで、単なる社内政治の駒の一つ、結局いいように使われた挙句、捨てられただけとのこと。
@user-be4jp6bk4q
Жыл бұрын
@@MrKomakichi 現在の赤坂社長は整備畑出身ですが、1987年 4月入社 2009年 4月 安全推進本部部長(兼)ご被災者相談部長 2014年 4月 執行役員 整備本部長、株式会社JALエンジニアリング代表取締役社長 と5年間大変だったと思われるポジションにいました。 今年は酷暑ですが、登山の方はもちろん現場で働いておられる方皆さんどうぞご無事で。
南相木ダム行った事あるけどよくたどり着いたな あの周辺民家もないし携帯はdocomo以外は圏外 通りかかった人がいたのは奇跡だ
昭和50年代の夏、友人3人で南相木村から御巣鷹山の山頂を目指して登ったよ。地図とコンパスを頼りに。 当時道なき道を鎌や鋸持参で道を切り開きながら登った(這っていった)。 天気だけが良かったが、もう二度と行くかと云う気持ちだ。
御巣鷹の尾根で521人目の死者が出ていたとは。
御巣鷹山かぁ、事故から2年後ぐらいに毎年学校行事で慰霊登山が追加されて登ってたな。同級生と早く登って早く下るなんて競争めいた事してた記憶ある。昇魂之碑を久々に見たけどびっくりするぐらい木が生えてるのね、当時は草しかなかったのに。昔の記憶だけど碑から折り返しじゃない道があってそこからぐるっと回れる道があったと思う。まあ旧道というか最初期の道の頃の話ですが。
慰霊碑を登山しなくてもいい場所に移すのはダメなのか? 墜落した現場にこだわるのも大事だけど ご遺族の方の高齢化や管理や維持のことも考えると必要だと思う
@blue239
Жыл бұрын
慰霊碑は御巣鷹の尾根の麓にもあります。 登らなくても慰霊ができるしそこで毎年鎮魂祭が行われています。 ですので会いたい方がいたか、なにかの理由で登ったのでは無いかなと思います。
しかし通報後に動き回るのどうにかならないのかねぇ。わざと迷惑かけてるようにしか見えない🤔
レンの装備は?
梅雨が明けて、届くニュースは遭難事故や滑落事故、水難事故の事ばかりで・・・主のネタが増えてばかりですね。
航空会社が整備を管轄するのは事故があったことでしょうがないかもしれないけど、それに社員が駆り出されてるのはどうかと思うわ 金をかけてそれなりの人を使うべきじゃないんか その社員たちが山のプロとは思えんが
MAPを見て驚きました ご遺体が確認された場所ずつ碑があり 尾根全体が慰霊地となっており この事故の凄まじさを感じました
慰霊も大切だけど、まずは自分の安全を第一に考えて行動しないとな 犠牲者も浮かばれまい😢
あの墜落事故のころは、写真週刊誌華やかなりしころで...
1:56 この日にち付近が「山の日」に決定したのは偶然なのでしょうか。
@karinmiyo76
Жыл бұрын
海の日があるので是非山の日も!という声やその他の理由です。 祝日のない6月という案もありましたが、お盆間近にすれば連休も取りやすいという事で8月中旬に相成りました。そしてこの事故があったからこそ前日の11日に山の日が制定されました。
ああもう悲しすぎる……素晴らしい人すぎて山の神様に呼ばれてしまったのだろうか……
cmがおおいぞ😮
きめえ丸は何しに行ったのだろうか… とても慰霊のためとは思えない「身軽」感を感じる。 レンの事故について調べてみたが、作業計画の未作成やヘルメットなどの保護具を装着していなかった事などが指摘されている。 斜面で作業する準備ができていないのに「作業には特に注意をしていた。」とは理解ができない。
@mochitaro770
Жыл бұрын
きめえ丸はご遺族ではないが、親しい友人など親交のあった方が亡くなったのかもしれないし、お墓参りに行くような感覚だったのかもしれませんね。 我が家も車でしか行かないような山の中に墓があるけど、それを「登山」とは考えたこともない。
@user-oh5gz4ub2o
7 ай бұрын
山のなかで、マスコミが遺族による慰霊登山と報道されるけど、遊歩道くらいには整備されてる。
部外者は必要以上に冒涜しちゃいかんって教訓、でも御巣鷹って文化人類学とかじゃジャンボが必然的に呼び寄せられそうな地形や気流って講義の最後にチョコって言及されたのが引っかかってますわ
事故当時、墜落場所の確認まで多大な時間が掛かりました。 当時でもトランスポンダーを搭載していたはずで、なぜ墜落場所が広範囲に推測され確認出来なかったのかが疑問です。 登山者の下山ミスとJAL職員の滑落事故のことは知りませんでした。報道されたのでしょうか。 御巣鷹の尾根は物見遊山で行く所ではありませんが、観光登山の多いのは問題かと思います。
@user-rp3pb4gx6g
Жыл бұрын
当然、位置は早々に特定できたよ。トランスポンダじゃなくてTACANだけど。でもこの手の観測機器はピンポイントで位置を特定できるものじゃないんだよ。この動画でもあるように、たった5キロを歩くのに丸一日かかるような場所。1キロ位置がずれただけで隣の山に登ってしまう。山に入ったことがある人ならわかるけど、藪の中に数メートル分け入っただけで方向感覚など簡単に失ってしまう。だから当時、事故現場上空にヘリをホバリングさせて平地から方角を確認するなどして位置を特定しようとしたが、計測するたびに違う結果が出て、結局明るくなるまで正確な位置は確認できなかった。 結局、当初TACANで計測した位置がほぼ正確だったらしいが。 動画でも触れられているが墜落現場が実際とは違う「御巣鷹の尾根」とされたのが何よりの証拠よ。要は救助に向かった人たちも実際に自分がどこに向かっているかさえ正確には判らなかったのよ。結局、現場の正確な特定も出来ない状態で「御巣鷹山」という間違った地名が流れ、最終的にその間違った地名が正式名称となった訳。
@ogikubo15
Жыл бұрын
1985年って今からは想像できないくらいアナログの時代ですからね。航法もINS頼み。地上もGPSがあるわけではない。水平距離で5キロ10キロのズレは普通にあるなかで、どの尾根かを特定するのは困難でしたね。翌朝空撮映像を見ても結局どの地点なのかはわからず、黒澤村長ら地元の人が植生を見て「杉が○年目ぐらいだからあの尾根だ。」と判定したくらい。 現代でも夜間の遭難救援は基本的にできませんから、当時はなおさら困難でしたでしょうね。
123便にミサイルブチ込んで撃墜した自衛隊には怒りがわき上がる
この日航機墜落の影響で、全国的なオタクフェスが中止になっちゃったんだよな…。
インプ?
KZreadの力で倫理観がまともになりそうですね。テレビの煽り報道やTikTokの堕落化環境では、日航事故の向き合い方がよろしくないですからね。
ここて遺族か、関係者のみ想い持って登るとこ思た。物見遊山も多いんかな?きめいまる爺🤒
ヤツパリ山は油断禁物ですね。 JAL123救助された12歳の少女のすがたは、衝撃的でしたネ! 不可解な事故の印象が拭いきれませんネ! それでは失礼致します。😂😂😂😂😂
もしこの動画を当事者が見たら、自身や身内の事を「きめぇ丸」なんて呼ばれている事になる。動画の面白さ優先にそういう所の配慮が出来ないのは少しおかしいと思う。
@user-hisasan-0228
11 ай бұрын
正論です。 が、許してあげて下さい。 ☘️
いっつもこう言う遭難の話聞いてて思うんだけど 遭難したら登らない下らないの前に動かないじゃね? その場所が落石や雪崩等の危険が無い限り 雨風を多少でも凌げそうなら