【ゆっくり解説】牛丼の歴史(江戸時代~昭和時代)
#ゆっくり解説 #雑学 #牛丼
牛丼の歴史を丼の出現から解説しています。
よく考えたら、今は無い田舎の祖父の家では、家長の祖父の茶碗でも小さ目で、祖母やその子供たちの茶碗は更にとても小さくて、不思議に思っていました。もう潰してしまって痕跡もないですが、当時の食事風景を資料として写真撮っておけばよかったと思う次第です。(ケータイもデジカメもなかったけどね!)
脳内の記録を画像に出力したい。
【参考文献】
「牛丼の戦前史」近代食文化研究会
#ゆっくり解説 #雑学 #牛丼
牛丼の歴史を丼の出現から解説しています。
よく考えたら、今は無い田舎の祖父の家では、家長の祖父の茶碗でも小さ目で、祖母やその子供たちの茶碗は更にとても小さくて、不思議に思っていました。もう潰してしまって痕跡もないですが、当時の食事風景を資料として写真撮っておけばよかったと思う次第です。(ケータイもデジカメもなかったけどね!)
脳内の記録を画像に出力したい。
【参考文献】
「牛丼の戦前史」近代食文化研究会
Пікірлер: 53
ご飯をよそう時に必ず2回以上、しゃもじでお茶碗によそうように、と幼少期から母親に厳しく言われていたけど、こういう昔の風習や言い伝えを聞くのがとても好きです。
このチャンネルを何回か見ているけど、料理の歴史を調べるよりも料理に関連するマンガを探す方が手間がかかりそう。
@rekimajo-sabukarugurume
9 ай бұрын
ぜひマンガも読んでみてください。
安価な牛スジを圧力鍋で煮込んで柔らかくして牛丼にするのが好きだったんですが、BSE以降和牛並みの価格になってしまいとんだ高級品と化していまいましたね。チェーン店の牛丼もアメリカから安価な部位を輸入したのが始まりだったのに、これまた大きく値上がり…。
@rekimajo-sabukarugurume
11 ай бұрын
お肉の価値の変動は食文化を変えますね。
@user-bn2iz6qh8d
11 ай бұрын
先代正蔵師匠が毎年暮れに作って振る舞っていましたね❗🤗
@nuruosan4398
2 ай бұрын
BSEの時、吉野家のチェーン店は代用の肉に切り替えたけど築地の本店(というか操業1号店)だけは従来の肉で提供し続けてたような気がした
牛丼に限らず日本のB級グルメ文化ってほとんどが明治以降に誕生&確立したんだなと改めて😮
牛丼史を語るのに吉野家は欠かせないよな ただ、モツ煮からの牛丼とすき焼きからの牛丼は別の系統だと思う もつの牛丼が先かもしれんが、すき焼き系に駆逐されたあと 吉野家系に進化したってのが実態 一般家庭ではモツは扱いにくいし、すき焼きはご馳走だが 普及してたから、丼飯が普及したあとなら飯にかける発想は 自然だった
@nuruosan4398
2 ай бұрын
下拵えの後の片づけが大変なんですよね、モツ
愉快で勉強になるので、楽しみにしています。本編とは直接関係ないのですが、湯呑でお茶を飲み、お茶碗でごはんを食べる、というのは、なんだか面白いですね。
@rekimajo-sabukarugurume
Ай бұрын
嬉しいです!ありがとうございます!
冒頭のケンジとシロさんの話でホッコリ
新知識満載でびっくり。オベンキョウしてますね。今後も期待しちゃいます‼️ 。
昔、秋葉原のラジオデパートへの帰りは牛丼だった。
吉野家公式HPによると、吉野家の創業は1899年、開店当初からバラ肉を使用した牛丼を提供していたようです。 あと、創業者は「松田栄吉」で、動画で紹介していた人は二代目ですね 紛らわしいけど、株式会社吉野家の初代社長です
今日も有益で楽しい動画UPありがとうございます😉👍️🎶🍀
@rekimajo-sabukarugurume
11 ай бұрын
励みになります!
待ってました!✨編集UPお疲れ様です
@rekimajo-sabukarugurume
11 ай бұрын
嬉しいです。励みなります!
牛ホルモン丼…食べてみたいな😋
大正時代のころを少し調べたことがありますが、軍隊のレシピが機能的でおいしそうでびっくり。でも現代とイメージが違うものも多々あり味の想像がつかないものもありました。あれらは消えてしまったのか、それとも姿や名前を変えて今にいたるのか気になっています
うぽつです!いつも楽しみにしてます!
@rekimajo-sabukarugurume
11 ай бұрын
励みになります!
日本もアメリカみたいな革文化だったら食肉が安く流通してたんだろか(エタ・ヒニンも居なかったろうし)
@nuruosan4398
2 ай бұрын
皮なめし職人は欧米でも被差別対象でしたよ。 村や町などの人家の近くに工房や家を建てることが許されず住む場所が決められており、結婚も同業者同士でしかできませんでした。
牛丼の知名度向上に大きく貢献した漫画「キン肉マン」 作者のゆでたまごには吉野家から専用のドンブリが送られ、これをもっていけば生涯無料と約束して貰えたにもかかわらず、実際に持って行ってもタダ飯食わしてもらえなかったという
@rekimajo-sabukarugurume
2 ай бұрын
え、悲しい!
@user-cz6qt8yv3j
2 ай бұрын
そして喧嘩別れになりすき家の広告塔になったのはまた別のお話に繋がるんやね
母は一膳飯、一杯茶など気にしてたなぁ 朝に肉を食わない魚を食わないとかね ガキのオレには???だったけどね お盆が近づくと海に入るなとか水辺に近づくなとか まあ何かあるんだろーね
まさかホルモンだったとは!びっくりです!
生姜あるのがいいんだよなあ ❤
吉野家の牛丼は、紅ショウガと相性が良すぎて、いつも大量に入れてしまう。 あの現象は、一体、何なのだろうか...。🤔
本題に入るまでに1分半は草
冒頭はキン肉マンだと思っていた(笑)牛丼キャラなので。😂
仏さまではあるまいし、一膳飯とは情けなやっていう歌がありましたね。
3、40年くらい前、上野駅構内で夜の夜中、帰りに食べる牛丼が好きでした。 牛の味はすれども、どこの部位をどう味付けしたものか、、 不思議とクセになる味でした。 今でもアレを食べられる所はあるのかなあ??
@rekimajo-sabukarugurume
11 ай бұрын
どこの部位なのか気になりますね。
@user-bn2iz6qh8d
11 ай бұрын
馬肉入りでしょ?😅😅
三種のチーズ牛丼の温玉乗せって普通に美味そうだよな
魔理沙と霊夢は歴史的B級グルメの書籍を出版するべきやわ🎉😂
親子丼やカツ丼の歴史も機会があればお願いしますm(_ _)m
@rekimajo-sabukarugurume
9 ай бұрын
リクエストありがとうございます!
>江戸時代には一人が毎日5合の米を食べた。 今と違い、副食が少ない事が背景。経済成長で現金収入が増えると、主食消費量が減少。そして副食、外食、果物、嗜好品の摂取が増える世界的傾向。1960年代の日本でも既に、コメ離れという言葉が聞こえていた。1962年には118キロだった一人当たりの年間消費量。去年の統計では約50キロに減少。
@rekimajo-sabukarugurume
11 ай бұрын
補足ありがとうございます。
確か? 牛丼屋の吉野家って一度倒産してんだよな?😅
吉野家は俺の一流レストラン❤
初代竹中組組長も子分達に「必ずおかわりシロー‼️」とキツク言い付けていたそうな❗😅
足痺れてるな!
@rekimajo-sabukarugurume
8 ай бұрын
耳に残りますね。キャッチ-、大事。
本来は定食でご飯おかわりのない店は風習に反しているのだな。
>屋台に(野良)犬が寄ってくる。 タイでは、今でも見かける光景。家のない動物に食べ物を与えるのは功徳の一種という考え(仏教)。それにより、野良犬野良猫にエサをやるのが一般的。
@rekimajo-sabukarugurume
11 ай бұрын
補足ありがとうございます。