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「意識」が時に「行動」を拒否するからこそ、むしろ新しい可能性が生まれる

個人でも集団でも、自由意志があるのかどうか。意識せざるを得ないこの時代に。
#茂木健一郎 #脳の教養チャンネル #自分だけの部屋 第25回

Пікірлер: 40

  • @user-jy9wg1yf3e
    @user-jy9wg1yf3e3 күн бұрын

    自由意志とは「拒否権発動である」という話にとてもインスパイアされました。自分の欲望、劣情にブレーキをかけること、社会の常識に無批判に従わないこと、状況に流されないこと、そこにその人間の主体的選択があり、それを自由意志と呼べるという知見、脳科学と倫理学が結びついているように感じました。

  • @uchiko33
    @uchiko3310 ай бұрын

    お話を拝聴して、もし人間が、本能のようなものに打ち勝てることがあるとすれば、脳科学(先生のお考え)が希望の様に感じました。戦争を止められることは出来ないのかと、諦めずに考えることが大切だと思いました。ありがとうございます。

  • @fs5368
    @fs536810 ай бұрын

    時間をさき、お話し下さり、どうもありがとうございます。私が住んでいる国も、個人の自由意志、世論が、たとえ選挙結果で最多の民意としてあらわれても、民主化により自分たちの利権を失うことなくこれまでの社会構造を維持したい政治的、経済的、社会的権力がつくった憲法などのために潰されていくような状況が続いています。個人の選択、意志が意図的に、また制度的に抹殺されない仕組みをつくり出していくことが、真に必要です。 脳科学は、きっと、人間の本質を明らかにする過程で、平和構築に大きく貢献すると思います。 先生のこのようなお話をたくさん聴かせていただきたいですし、ぜひ英語のチャンネルでもお話しいただければ、と思います。

  • @user-uk6vq7hd8q
    @user-uk6vq7hd8q10 ай бұрын

    野口健さんが言った「勇気ある撤退」を思い出しました。エベレスト登頂は登山家なら誰もが果たしたい夢です。エベレスト登頂には並ならぬ準備と大金を使って挑みますが、野口健さんがエベレスト登山をした時に、悪いコンディションの中、果たしてこのまま登っても大丈夫なのかと自問自答し、最後はこのまま登ったら死んでしまうと考え、登頂を断念しました。その時、どうしても登りたい他のメンバーは登頂途中で亡くなってしまったそうです。 一見、メディアや世論は登頂断念した野口さんを批判しましたが、野口さんは一貫して「勇気ある撤退」を主張しました。私は野口さんの言葉に賛同します。冷静になって考えることが大事で、リスクがある中でやって死んだら意味が無いです。 私も今回のイスラエルによる地上戦は止めなければいけません。ネタニヤフ首相はこの地上戦が何をもたらすのかよく冷静に考えるべきです。

  • @yakaraka678
    @yakaraka67810 ай бұрын

    '結局、頭はシミュレータでしかない 言葉とか論理が、どれだけ意味をなし、効力をもってるのだろうか? はじめからシミュレートされていて、その結果を言葉で拾ってきてるだけなのではないか? つまり、音楽とかも頭の中でシミュレートして、それを意識が把握できる形で拾ってきてるのだ 論理的に考えるってときも、考えながら先に頭の計算が走って、それを言葉にトレースしてるだけな気がする たまに無意識の流れを自己言語が読み間違える その齟齬で辛くなるときがある それが鬱だったりする というか、無意識には世界といか、物語というか、音楽というか、そういうのがはじめからあるのかもしれない すでに将来何したいかは答えがでているように 風の歌を聴け 心の流れを聴け' 前散歩中に似たようなことメモしたなぁと思って発掘しました笑 無意識の真理とどれだけ向き合えるのかも大切なのかもしれない

  • @kdesignoffice30
    @kdesignoffice3010 ай бұрын

    おはよーございます。茂木先生も自然に揺れますよねー✨勝手ながら仲間意識w(中で議論しだすとブレ防止で揺れだす/私の場合)追加/不思議だなーと思うのはブレ無いよーにしてるのに拡張に向かう気がしており、不可思議感がモノすごいですよね(笑) #なんだコレ

  • @kenmogi
    @kenmogi10 ай бұрын

    イスラエルとガザの情勢とも関係する話です。

  • @yoshikawa5807
    @yoshikawa580710 ай бұрын

    先ほどのコメント、コインランドリーで選択している最中に動画をみて描きました。即席で申し訳ありません。  私は知識で物事を分析しないみたいです。日常の感覚で分析しているようです。日常の生活の意識も今の瞬間の環境から直感的に現れているように思います。このような閃きが感覚からきてますから、これまた大変です。感覚からきてますからそれは自分が守らないといけないので大変です。  例えば自分が少しでも人を裁くことがあったり、評価することがあると、その裁きと評価の矛先が自分自身に向かうのです。それで、「あなたは偽善者だ!」と内なる感覚から現れます。そんな子といわれたら否定するわけにはいかないです。  この正体は何か分かりませんが、自分の意識をメタ認知しますと、理想の内部モデルと自分の今感じた意識との関係から、自分自身の向上心のベクトルは現れているようです。

  • @user-97dO7s95el
    @user-97dO7s95el10 ай бұрын

    おはよう御座います。 先生が、実験で、ボタン🔘を押す🫷とおっしゃっていらしていましたが、何故か、勝手に私の頭の中では、「核のボタン🔘」と書き換えられてしまい、恐ろしかった😅…。

  • @yoshikawa5807
    @yoshikawa580710 ай бұрын

    ボタンを押すか押さないか?の選択肢があります。一人一人にあります。拒否権が確かにあります。既に文脈も設定されてます。人間の脳が勝手に働いてます。その脳は自分が学習で作った脳です。それが自動運転で働いているので、既に文脈は設定されていると言う表現になるのも分かります。  脳が勝手に環境という無限の変化の中でその環境から入って来た情報から、何かの目的(予めある成長の為の機能)に従い自分の脳が意識化していると考えます。脳が意識化したときに、私たちはそれを意識として認識しているわけです。そしてそれを拒否するかどうかと言うところで意識の議論がなされています。  この時に意識化された意識をどのように受け取るかによってその意味が大きく変わるんだと言うことを私は感じてます。この自分の意識を意識として感じたときに、その意識の原因をどこに置いているかによって大きく意味が異なります。   例えば自分が被害を受けて被害者になりますね。自分の被害者意識は結局加害者によって作られたものであると信じ切ってます。だから、自分の怒りのスイッチを押さねばならないのです。そして体でその怒りを表すんです。ほとんどがこのようになっていて、スイッチを押さないと言う選択肢がいかに難しいかと言うことがわかるはずです。戦争も起こらざるを得ないっていうのは、みんな怒りのスイッチを押すからですね。  ところがこれは私自身の経験と端角よって得られたものですが、自分が被害者意識になったその原因を加害者に求めるということ自体が、自分自身の成長にとって何ら意味もないと言うことを知る人は、あるいは自分自身を変えたいとか、自分自身を向上させたいとか、愛の人格者になりたいと思う人々はそのように思っているはずです。しかし、自分自身のその被害者意識がどこから現れているのかわからないんです。だから悩みスイッチを押さないでおきたいのに押してしまう時もあるわけです。  私はここをもう1歩推し進めて考えています。すなわち被害者意識を持たないということは不可能なので、既に自分の脳が作っているのだから仕方がないことなんですね。だから、この被害者意識というものが、自分自身が原因で現れているものと自覚することによって、自分自身の悔い改めの道が開かれます。自分自身がこんなことで、被害者意識になるなんて、幼い証拠であると自覚できるので、自覚しながらボタンを押す人間は、自己破滅状態に陥りざる立場なので、決してそのような事はしなくなるんです。  私の責任なので、私が自分を育てないといけないし、自分の願っている理想を実現しないといけないので、スイッチを押す事はできないと言うことになります。  このような考えを持っている人は、現実の概念の世界で生きることが非常な苦しみとなって現れます。人々からは異常者として見られ、人々からは利用され、人々はその人の足元を見ながら利用し、そして利用できなくなったら手放していくんです。ですから、当然行きにくい息苦しい人生にならざるを得ないんですね。実はこれが私の人生の生き方なのです。とっても辛いです。長文で申し訳ありません。  更に自分の理想を果たす為のベクトルが立ち上がるようです。それに従って出力する事で、学習して成長の喜び、理想実現の喜びがあって。それが私の責任と自由がある。自分だけの理想を実現可能にする道がありそうです。

  • @user-eh3ps7yo9v
    @user-eh3ps7yo9v10 ай бұрын

    そうだ、座禅をしよう。

  • @akari7220
    @akari722010 ай бұрын

    先生、こんばんは。貴重なお話ありがとうございます。自由意志と拒否権、行動しないことによって可能性が広がること、意識は無意識と一体のダイナミクスで生まれていることなど、とても興味深く見させていただきました。なによりも今このお話を聞けるのはとても有意義なことであり、私たちはできる限り知恵を出し合い、そして意思を伝え続けなければならないのだと思いました。

  • @user-js4de3cx9y
    @user-js4de3cx9y10 ай бұрын

    ネタニヤフ首相にこのお言葉を届けたいですね。是非拒否権を発動して頂きたいです。現実には無理かもしれないけれど直前でもビートーは可能ですね。政治生命より首相自身のメタ認知を信じて頂きたいです。

  • @ppp6147
    @ppp614710 ай бұрын

    愛とはなんなのでしょうか。

  • @user-is7ou4od4p
    @user-is7ou4od4p9 ай бұрын

    茂木健一郎さんがんばってください!!!😂😊

  • @user-ur2is7cl3x
    @user-ur2is7cl3x10 ай бұрын

    ネタニヤフが無意識と無意識の相互作用によって拒否権のメタ認知が生まれますように🙏

  • @unibaasu
    @unibaasu10 ай бұрын

    拒否する為のメタ認知だけを考えた場合、行動しようとする意思決定の材料となったパラメーターの逆数の様なものが拒否するか否かの判断材料になっている気がします。 そのパラメーターがある閾値を超えた時に、無意識ではなくメタ認知する意識として表れ、更にある閾値を超えた時に拒否する意志として表れるのではないでしょうか。 現実に応用する難しさは、脳科学に限らず様々な基礎研究の抱える問題だと思います。意志があっても行動できるか?行動しても結果が出るか?そのメカニズムは決して脳の働きだけで決まるものではないと思います。 ただ、幅広いものの見方を身に付ける事で、凝り固まった意志の強さを希釈する事は、現段階でもできる事だとは思います。

  • @TeikaAkiura
    @TeikaAkiura10 ай бұрын

    興味深いです。 詩的な直感ですので、科学的厳密性は無いことをご寛恕願いたいのですが、意識の介在仮説は下降するstepped leaderと上昇するstreamerの相互作用としての「落雷」のプロセスに近しいものを感じました。どちらの放電も物理法則に依って粛々と実行されますが、二つが衝突した途端、雷として観測される。可視化された雷は「稲妻」という含蓄ある別の言葉を産出し、また「かみなり」は威厳に満ちた「鳴る神」となる。無意識同士の衝突による火花が、意識として発光する……何が言いたいのか自分でも不分明で申し訳ありませんが、意識は原理ではなく現象、電荷をめぐる電位と電界の作用ではなく、明瞭な「雷光」であり「雷鳴」なのではないかというのが、今回の話を伺いまして私の抱いた拙劣な感想です。発言の自由をお許しください。 神が雷の譬喩を有し、また ソクラテスのδαίμων然り、十戒やそのほかの預言者との関わり方の記述然り、諸々の著名な神秘家の証言然り、『内的体験』然り、それら諸々を総合し純粋理性的に鑑みましても、信仰の根源とは超越からの否定であり、楔を打ち込まれることではないかと結論付けざるを得ません。その強力な稲妻に打たれる感覚、滅私されてゆくかのような圧倒的な力を根拠にしてはじめて、経路依存的な啓示の持つ物語への盲信も可能になるのではないでしょうか。「ある世界観への帰依」という以前に、自動化された思考・行動の流体を「傲慢」として断ちつつ、新たな流れへと移行させる、あるいはもっと極端には、たえず押し流されゆく思考や行動に、逐一Epochéを附す機能としての「悔い改め」を、信仰者としてあらためて考えてまいりたいです。

  • @user-fl2zv7qg7r

    @user-fl2zv7qg7r

    10 ай бұрын

    いつも凄いなとおもいます。

  • @mmmm-zo1kk
    @mmmm-zo1kk10 ай бұрын

    かなり類似した捉え方ですが、自由意志は、行動を止めるところというよりも、意思決定しない(もしくは留保する)ところに生まれるオプションの生成に見出せるのではないかと考えています。ここに「意識」の役割を位置付けるのは、意識のcounterfactual なsimulationという側面とも合致して面白いと思いました。そこにToMも介在しそうです。

  • @user-qn6go9df2o
    @user-qn6go9df2o10 ай бұрын

    意識の階層は海水面のように海面上の意識の層と、海面下の無意識の層に分かれているのだと思います。但し、海面は潮の満ち引きのように上がったり下がったりしているのだと。従って、満潮の時には多くの意識が無意識下に隠れ、干潮の時には多くの意識が意識上に現れて来るのかも。 それから、今回のテーマである意識における拒否権の発動は、行動決定シナプスのようなものがあって、その出力として現れるのだと思います。但しそこには過去の教訓や学習に基づく記憶が重要な影響を及ぼし、個体の生き残り戦略の結果として淘汰されたルールの発露だと思います。

  • @dannyelzorro
    @dannyelzorro10 ай бұрын

    Free will is a veto process🌟パカラッ🐎パカラッ🐎

  • @dannyelzorro

    @dannyelzorro

    10 ай бұрын

    Free won't🐾

  • @dannyelzorro

    @dannyelzorro

    10 ай бұрын

    智(働く)🐾情(動く)🐾意(拒む)🐾

  • @user-fl2zv7qg7r
    @user-fl2zv7qg7r9 ай бұрын

    三島由紀夫の魂、あと数年で、ちがうステージにいくとおもうな。彼のために追悼できるのは、彼と重なるひとだとおもうな。三島には魂になったいまでさえ、考え意志があるのかも。

  • @user-ve9nw1uk5m
    @user-ve9nw1uk5m10 ай бұрын

    責任とは何なのだ?って難しい、ならばが必要なのか、ふーむ、そして...何と罪や悪の世界を見るストーリーか...、そのストーリーはストーリーって何なのだ?が大事か...。私の中で責任はアート的になった、それが来ようが私のアート。そんな現実が必要としたらコストが見えたんだよな、プレイヤーや行動も考えものです、ここに時間が存在する証拠が出て欲しいのかな。契約を空想する根性が有れば...。

  • @Mrjyosuke
    @Mrjyosuke10 ай бұрын

    感情は意識?無意識? AI、人工意識は自由意志は持つんですか? 脳とクオリア的に無意識はどう定義されるんですか? あとマッハの原理などは、それ自体はニューロンなどで構成されたものでなければいけないと規定してませんが?

  • @user-ws3zk3pw9j
    @user-ws3zk3pw9j10 ай бұрын

    今からでも止めたほうがいい。

  • @thomasaqinas2000
    @thomasaqinas200010 ай бұрын

    主観意識が無意識層を抑制していることによって成立する状態ということになりますか?茂木健一郎先生の動画で「意識は抑制作用」であると言われていますが。  ところで無意識とされている状態の作用を眺めると、このようなことが言えないでしょうか?例として自転車運転をあげます。乗り方を覚える時には、乗ろうと意識して、なかなか乗れませんが、練習をしていくうちに乗れるようになり、乗れれば意識せず無意識で運転するようになります。  乗れる状態になれば、意識は無意識の作用で顕在化する状態を抑制せず、実行させます。この在り方は、全ての学習に共通すると言えないでしょうか?言語学習、特に意識的に始める外国語学習などでも、徐々に無意識化され、修得したその言語で何かを対象にするようになります。数学にして計算の習熟から解法の練習で、意識することなく解を求めることができるようになります。  練習・学習・体験・経験といった状態の積み重ねが無意識層に情報処理の仕方を記憶させ、それが出力制御として以後は現れる。この時、外界の状況に応じて顕在化させるべき出力の作用と、そうでない出力作用とを選択し、そうでない作用を抑止するのが意識である、ということになるでしょうか?  フロイトの精神分析による治療が必要であるような潜在意識のトラウマなどは、意識の抑制が効かず、発現すべきでない状況に顕在化する記憶の出力だということになるのではないでしょうか。  こう考えてくると、LLMなどの深層機械学習AIの作用は、プロンプトを与え制御している意識作用を使用者が役割を担い、無意識的な作用の顕在化をAIが為しているという状態になっていると思います。  学習した事柄の情報処理、制御出力は、学習量が多く各種デバイスや作動ロボットの性能が高いほど、人間を凌ぐ状態になっています。しかし、それは上で見たように、言うなれば無意識の作用で為されている状態であるということになります。当然ですが・・。  結局、幸福感という感情を発現するのは主観意識にあり、これは意味や価値を現実に与え目的を持ったプロンプトを、無意識的な作用に与えるものということになります。それは「生命」の作用であるという、単純な視点に戻ります。この生命が、無意識の学習、情報処理の能力レベルを高めてきた過程が、生命進化過程であり、そのレベルがAIという拡張機能まで来た、というのが現在であるといえると思います。  ネット上の動画には、沢山の動物行動があります。最近、蛇に巻かれている同種のヤモリを助ける他のヤモリの動画がありました。もしかするとそれは雌雄のつがいなのかもしれません。そうした状況では無意識に動物は行動するでしょう。こうした多くの動画は、大英帝国博物館時代の状況を一般に与えている気がします。ダーウィンが多くを観察できた様に、一般の者が広く世界を観察できる。ここから意識の進化過程も見えてくる気がします。  現状では、主観意識は生命の能動性それ自体であり、無意識層で情報処理され学習された記憶情報から出力制御の作用をあたえる者、こうした定義ができそうです。この学習領域が動物の進化過程の程度で、高知能な作用になり、AIの使用にまで至った、と言えると思います。 (戦争などで、あれだけ残虐にかつ大量に人間を殺せるということは、人間の意識が無意識層で可能化された能力を、抑制制御できていないということになると思います。)

  • @kiirogumi2352
    @kiirogumi2352Ай бұрын

    「何かをする」という事も、しないことを拒否したことにはならないんですか?

  • @user-we6vr3tw4d
    @user-we6vr3tw4d2 ай бұрын

    他の国に 意識を 向けない チャンネルは~変えれば 思考は~替わる 意識の、チャンネル が 画像 に 現れる 世界は そのように 操られている 何も ない思考 空の 空🈳😭👽🪐🙏🙈🙉🙊🌹

  • @Miti-Konaka
    @Miti-Konaka10 ай бұрын

    料理研究家かな・・。

  • @user-vg6tx7zv6l
    @user-vg6tx7zv6l10 ай бұрын

    ふに

  • @user-vn5ht2uq3g
    @user-vn5ht2uq3g10 ай бұрын

    だれやねんおまえ

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