楊儀|諸葛亮が恐れた末路!魏延と相性最悪な問題児【三国志】
諸葛亮の補佐として数々の戦場に同行した軍師。
第五次北伐では諸葛亮の死後、謀反を起こした魏延を倒します。
しかし、諸葛亮の後継者に任命されたのは楊儀ではなく蔣琬・・・
最終的になぜ楊儀は自ら身を滅ぼしてしまったのでしょうか?
優れた才能があったものの没落してしまった問題児、楊儀の一生を見ていきましょう!
#三国志 #諸葛亮 #劉備
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Пікірлер: 42
「内は楊儀、外は魏延か…諸葛亮も大変やな」 って、孫権にも同情されるほどだから、よっぽどの事だったんだろうね。
一癖も二癖ある人材を何人も使いこなしていた劉備はさすがだなって思いました。
将に将たり、魏延も楊儀も使いこなしていた劉備は神。
@user-qe4vx9jq9e
2 ай бұрын
劉備が生きている頃は、二人の影響力はまだそれほど大きくないから、例え仲悪くとも問題はなかった。
@toyo156
2 ай бұрын
なんだかんだで、凡人レベルの劉備は凄いんだよね
組織にたまにいる人だね😢 才能はあるが、人格で失脚する人
楊修・許攸の蜀バージョンぽいなww にしても、おじさんになっても魏延が怖くて泣いちゃうのはかわいいなw にしても、踏みつけて知恵が足りない、ってのはひどすぎ。
@HOPE-ch8rk
3 ай бұрын
劣化法正とも言えますな。
劉備配下は、癖強い者が、多い。
@user-vs2tn9ch1l
2 ай бұрын
非主流派ですから……
趙の刎頸の交わりはそうそうおきないから美談になるんよなってお話
横山三国志では、楊儀は泥酔しながら「俺が魏に走ったら、魏は俺を重用してくれるだろう」と召使いの耳に入って、召使いは恐れて費禕に報告したんだったな
まさに私
魏延の塑像の風貌、なんとなく三国志スリーキングダムの魏延役と似てますね
惜しい
こんな男に外交を託さなねばならないほど人材不足だったのね。
第四次北伐の際、孔明から設計図を渡されてて、僅か数日で木牛流馬を数百台作り、馬が通れない様な狭く険しい山道をスイスイ進み、兵糧を無事届けた事は、余り有名ではないのかなw
孫権の情報源は間違いなく孔明本人(兄経由で)だから孔明的には「自分がいるうちは自分が使いこなす、自分の没後は信頼のおけるやつらに命じて始末する」だったんだろうか 楊儀も魏延も誰かの下に着いて働く点では有能だが、上になる器ではない 普通なら上司の劉巴と衝突して左遷させられた時点で出世街道終わりだけど、こういう人格の人間でも才能を惜しんで重用する諸葛亮の懐の深さよ(自分が亡くなった時に劉禅に孔明くたばって良かったやんw簒奪もう心配しなくて良いじゃんって笑う李邈も使う)
石田三成と武断派みたいですねぇ
まぁ、見事な蜀漢の人材の無さを物語るエピソードですね。 偏狭な性格でどうやって外交するんでしょうか? 魏や呉なら完全に左遷や処刑レベルです。 悪く言えば黄コクといいレベル。現代でいえばどっかの静岡県知事といい勝負です。
最後のコメントを蒋琬に言わせてる辺りが深いw どちらも性格には難があったとはいえ蜀には無くてはならなかった能力者だった魏延と楊儀 諸葛亮は二人の不仲を憂いたが 蒋琬はそのどちらも失う状態で国政を担うことになったのだから もっと頭の痛い話だったろう 諸葛亮は自分から率先して激務に身を投じて早くに亡くなったが 蒋琬は頼る者がいなくて激務に身を投じざるを得なくて早くに亡くなったのかもしれない 結果的に蜀は国を任せられる人材を多数失うことに
@Unchiku-say
3 ай бұрын
諸葛亮も蔣琬も、結局は周りに人が居る居ないに 関わらず、自らが進んでやった事には違いない のですから、あまり大差は無いかと。 それに蔣琬を指名したのも諸葛亮ですから、 そうしたら楊儀がどういった反応を示すか くらい諸葛亮だって想像が付くでしょうし。
魏延と楊儀の仲が悪くなかったら未来は変わってたかも💦
@save325
3 ай бұрын
でも、こんな人がトップだったらどーなってたか
@user-ee8wb3nd9p
3 ай бұрын
@@save325 アウトだな
@Unchiku-say
3 ай бұрын
2人の仲が悪いというより、楊儀の器量が 狭い事の方が問題の様に感じています。
@user-ee8wb3nd9p
3 ай бұрын
@@Unchiku-say そうやな
楊儀も最後は失脚して自害しましたが、ただでさえ人材不足の蜀にとっては大きな損失です。 楊儀と魏延を上手く和解させることが最良だったのですが、それを実行できる人物がいない。
日本史でパッと浮かんだのは石田三成かな 世界史には疎いが東西問わず文武の対立はどこでも大なり小なり見られたことなんだろう
通りすがりです 既出かもしれませんが 費禕は深掘りすると 結構ゲスで面白いですよ
@Unchiku-say
3 ай бұрын
まぁ魏延と結託する様な話をしておいて、 それを楊儀に伝えましたからね。 魏延に対しては「表向きだけ」だったの かもしれませんが、魏延からすれば 裏切られた感しかないでしょうね。
@user-ve9ii9uc1g
3 ай бұрын
@@Unchiku-say 費禕は結構汚い事やってます 自身の発言力を高めるために、姜維に謀反の疑いを向けさせたのは 費禕の口添えによるものです。 蜀がそもそも 荊州派閥 西蜀派閥 その他武闘派 に分かれ 劉備というカリスマと、諸葛亮という求心力を失ったうえ 弱小国家にも関わらず内部分裂していたため 瓦解するのは時間の問題でした。
@iitoom8825
3 ай бұрын
費禕は益州系士大夫なので 楊儀だけでなく蒋琬や董允をも消去しようとしたらしいですが…
@novhero
3 ай бұрын
今回の費禕は爆弾処理したようなもんだと思う。
俺だ、、。
後方支援、事務処理の能力は蜀でも随一だったと思う。重要な補給戦も任されてただろうし、蜀軍の生命線とも呼べるほど重要な存在。でも前線で戦う魏延てそう言う補給の重要性を軽んじてるんだろうな。命懸けで敵と戦う自分達の方が、後方で安全な場所から補給だけやってる人間たちよりもはるかに尊い。と言うふうに蔑んでいるんだろうと思う。
細かい話ですが楊儀らは自国のことは「漢」と呼んでいた筈なので「蜀」と呼ばせるのはリアルさに欠けるかなと思います。
人が変わった?声が違う
しかし、立場の違いがある場合、問題とするべき人格も違うはず。それが分からない人間が人事権や或いは人を見定める地位に立っているのだとしたら、その決定や行いは楊儀のそれと同等のものといえるだろう。まっとうな人間がこうした歴史から学び問題とするべきことは人格や雰囲気ではなく、実際の影響とするべきだ。 馬鹿と鋏は使いようとはよく言ったものだ。