余部鉄橋 列車転落事故 検証ドキュメンタリー
Автокөліктер мен көлік құралдары
1986年(昭和61年)12月28日13時25分頃、山陰本線 香住駅より浜坂駅へ回送中であったお座敷列車「みやび」が、橋梁中央部を通過中に日本海からの最大風速約 33 m/s の突風にあおられ、「みやび」転落。死者6名を出した大惨事の検証ドキュメンタリー
☆途中で画像が乱れるシーンがあります。ご了承ください
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Пікірлер: 258
みやびは今現存していたら鉄道マニアから大人気だったでしょう... こんな事故は鉄道好きとして二度と起こってほしくない事故です。 亡くなられた方々にご冥福をお祈り申し上げます。
@user-qm7zx1bl5m
7 ай бұрын
内装の映像はかなり貴重だったな。
@user-lv1ui3sz9t
7 ай бұрын
ジョイフルトレインブームが終わったら即解体されたと思う
@asokai2346
3 ай бұрын
@@user-lv1ui3sz9t 改造された14系客車は当時10年落ちぐらいの新車だったぞ。
@namamugi_
3 ай бұрын
@@asokai2346 と言ってもお座敷仕様じゃ波動輸送にも使えんし50系客室も10年で廃車されたやつもいるくらいだしな 宮原の肥やしにするよりは解体されると思う
事故当時大学生で、年末に起きたとんでもない大事故で、大騒ぎになったことは覚えている。こういう動画は貴重ですね。
いくら頭上に鉄橋が有るとは言え列車が落ちてくるとは考えもしなかっただろうね。 ご冥福をお祈りします
突風を甘く見てはいけない…
@speedbird019
7 ай бұрын
まさにその通りの事案です
@user-hy8df7ed2u
7 ай бұрын
その通りです
@user-yl2et6fv1d
7 ай бұрын
だから湖西線は強風の時良く運転見合わせるのか
@user-zt6ch5pb5p
7 ай бұрын
あなたのおっしゃる通り風を甘く見てはいけません、まさにその通りです。
@user-sp2uf7wt5l
7 ай бұрын
羽越本線の特急いなほ14号が2005年に 突風に巻き込まれて脱線した事故の後に JR東は自前の技術でドップラーレーダーを開発し、 雲の状態から分析するようになったのは大きな貢献です。
餘部鉄橋に行けばわかりますが、波音が山側からします。それほど山間部が険しく入り組んでいます。風も地上と橋の上で向きが違うこともあり、輪行したときに改めて特殊な地形を知ることとなりました。 新しい橋に架け代えられた現在でも、地上にひっそりと慰霊碑が鎮座しています。 心よりご冥福をお祈り致します。
余部鉄橋の事故、記憶に残ってます。民家が鉄橋に近いですね。一度、余部鉄橋を見に行ったことがあります。
貴重なテレビを……ありがとうございます
国鉄ジョイフルトレイン史上最高傑作と言われた「みやび」がこんな数奇な運命をたどるとは 事故がなければ「サロンカーなにわ」とともに現在も活躍していたであろう
@user-nf8ih7le8v
7 ай бұрын
それはないかと思われます。老朽化や維持面から見て多分2023年までは走れないかと
@user-ri9xk6pq1e
3 ай бұрын
精々、走っても2010年代迄ですよね?
@komakoma_pokupoku
3 ай бұрын
@@user-nf8ih7le8v 大サロは走ってるけど、みやびとは待遇が違うのかな。
この事故や、羽越線の事故などからも分かるように、鉄道にとって突風はほんとに甘く見てはいけない。
@user-plmbbc
4 ай бұрын
余部と余目
@user-ml9ne7ps9g
3 ай бұрын
そう、冬の羽越線でもありましたね。
@user-ml9ne7ps9g
3 ай бұрын
@@user-plmbbc様。 山形は余目ですもんね。私も前から似てるなーと思ってました。
@user-ml9ne7ps9g
3 ай бұрын
@@user-plmbbc様 そうでしたね。冬の羽越線でも起きましたね。山形の余目。余部と似てますよね。 親が国鉄で機関士をしていて羽越線でも運転してました。そういうのもあり鉄道がすきです。以前何も知らずに余部鉄道のレールをお土産に買い、去年余部鉄道を再び見に行きました。こんな悲劇があったのですね。心が痛みます。
事故当時はニュースで見たくらいしか覚えていませんが、車に乗るようになってから、餘部にはこれまで15回以上行きました。今は当時の姿はほとんどなくなってしまいましたが、決して忘れてはならない事故ですから、行くたびに慰霊碑に手を合わせています。
この事故、落ちた客車内の車掌一人は死亡したが社内販売員三名は重傷ながら生存したんだよな。。。あの高さからなら直接落ちたら即死だろうから、客車がクッションの役割を果たしたのか?
話は聞いた事あったけど実際の写真と目撃者の話は貴重、ありがとうございます🙇♂️
乗客が乗っていたらと思うとゾッとします…
@user-xz7qb6ur4d
3 ай бұрын
逆に乗客が乗ってれば落ちなかったという説があるのが何とも…
こんな足元に民家があるのは どう考えても怖い
地元兵庫北部住民です。あの日あの時の風はただ事ではありませんでした。雨がホントに真横に降ってました。テレビのニュース速報でまず「兵庫県山陰本線余部鉄橋で」まで出たときに、「列車が落ちたな‼️」と瞬時にわかりました…
@user-plmbbc
4 ай бұрын
日本海からの風は冬はなんとも言えないヤバさですね
貴重な映像ありがとうございます。
昨年、餘部駅を訪ねました。 現在のコンクリート橋の壮大さ、駅から下るエレベーターから映る絶景、海や川の穏やかさ。 観光で多くの方がいらっしゃいました。 海そばの家屋は、みな同じ向きに建っていることから風の強さがあることを物語っているように思いました。 訪ねるにあたり、事故のことも知ったのですがこのような検証番組で、より事故の恐ろしさを感じました。どうか二度とこのような事故が起きませんように。
なんというかインタビューに答える人の喋り方が皆さん知的に感じるなぁ…
@m21y37
3 ай бұрын
この番組の語り口は知的で素晴らしいですよねー。 マスコミを筆頭に日本文化の劣化を感じる今日この頃です。
@spindly_wound
2 ай бұрын
マジで昔の人達に今の日本を見せたらどんな反応をするか
@user-ku1dm8jj2u
2 ай бұрын
やべえやべえ、マジ、可愛い、ボキャブラリーがこのくらいしかない人、現代にはたくさんいるっしょ? リアル、カサンドラ・クロス 事故でお亡くなりになった方々のご冥福を祈りつつ。
もうこういう悲惨な事故は起き無いといいですね...
@user-fz9xw7ws1w
7 ай бұрын
しかし残念だけど、この約5年後に信楽高原鉄道で列車の正面衝突の事故が起こり、乗客に犠牲者が出てしまいさらに約16年後に尼崎の福知山線で脱線事故が起こり乗客に多数の犠牲者が出てしまう 大惨事も起きているので悲惨な事故は悲しいけど起きてしまいますね。ただどれも関西エリアなので当時の大阪の国鉄支社やJR西は全く反省をしてないですね。
@Yukkuri_Aona.s
7 ай бұрын
あーそういえばそんなことあったっぽいですね ※2010年生まれなので聞いたことだけあります...w まぁ悲惨な事故起きないと願います
@user-fz9xw7ws1w
7 ай бұрын
@@Yukkuri_Aona.s 事故の事をリアルで知らないんですね。大変失礼しました。
@asokai2346
7 ай бұрын
実は国鉄時代の西の事故は本当に少なくて、国鉄時代は東の事故がべらぼうに多いんですよ。房総西線・篠ノ井駅・根岸線、どれも東が起因する事故でした。
@yamasan0827
7 ай бұрын
@@user-fz9xw7ws1wみやびの事故は強風に起因する天災だから信楽や福知山の人災と比べるのはおかしいだろ 強風に起因する事故で比較するなら福知山と同じ年に起きたいなほ脱線の方だろ
国鉄最後の大事故でした。その後も羽越線での転覆事故もおきてます。
@user-ny6ju1jh3i
7 ай бұрын
その時はいなほだったっけか
@user-wn2jq2db7d
7 ай бұрын
とっくにJRに民営化されてるときですね
@user-fp2qx5le4g
7 ай бұрын
延岡でも485系が風でひっくり返ったし、地下鉄東西線でも起きてるな。
@user-ni4bb1yl6h
7 ай бұрын
風の息づかいを感じていれば防げた(断言)
@user-dx9gp5md3e
7 ай бұрын
@@user-fp2qx5le4g東西線の場合は鉄橋の脱線転覆事故ですね
落ちた14系客車に潰されたカニ工場のおばちゃんが亡くなったんだよね。 国鉄は乗客がいなくて死者は0と言っていた。ニュースステーションで久米さんが怒ってた。
@konekodawan
7 ай бұрын
車両側は、回送中だったから乗客の死者はいなかったけど、車掌1人が犠牲になっている。
@user-eg1ii3fd6m
7 ай бұрын
丁度その日は、上野から夜行列車で秋田に出て、日本海沿いを南下する、冬休みの鉄道旅をしてました。秋田から新潟にかけての海沿いはかなりの吹雪で、新潟の手前で一旦雪は止みましたが、飛来物が架線に引っ掛かり、しばらく列車が停車したのを憶えてます。そしてその夜は、新潟県出雲崎の旅館でそのニュースステーションを見てました。日中にそんな大事故が起きていたとは知らず、驚きました。
余部鉄橋列車転落事故で強風下の運行マニュアルが明確化され、羽越本線特急列車横転事故で厳格された。 強風による運休や遅延を批判する人が居るが、多くの犠牲の上に今の安全が成り立っていることを忘れてはならない。 「巨人の肩の上に乗る」 これは今の我々が凄いから様々な科学技術が発展しているのではなく、先人たちの知恵と努力によるものだと言う意味の言葉である。
@HK-wu7tr
3 ай бұрын
@@A_01x 大変申し訳ありません。 間違えてしまいました
事故時は小学生で鉄道ファンでした。 当時はジョイフルトレインが好きで、みやびが一度も見ること無く壊れたのがショックでしたが、 今となっては犠牲になられた方の事を考えると胸が痛みます。 心よりご冥福をお祈りいたします。
事故の1年前に餘部鉄橋で出雲を撮るために現地のユースホステルに泊まり、真夜中に撮影したのを思い出します。まさかあんな大事故が起こるとは信じられませんでした。
この事故があった時、私はまだ小学6年生でした。日航ジャンボ機墜落事故があった一年後に起きた事故でしたね。
偶然乗客が撮ってた三陸鉄道の事故もありましたね
これを機に、餘部鉄橋には車両が隠れる高さの頑丈な鉄骨の柵が設けられ、万一横転しても転落しないような措置が施されました。そして東海道線の根府川鉄橋にも同様の柵が設けられました。ただ、撮り鉄にとっては撮る列車が柵で隠れてしまい、乗り鉄にとっては車窓が阻害され、正直、邪魔な構造物になったとの意見もありました。安全上必要な措置なので、もちろん身勝手な意見ではあるのですが、車窓・景観と安全は、なかなか両立しないものです。
去年のGWに観光列車に乗ってここにいった 今安全に観光できるのは、このような惨劇があってその事故を反省し改善したからなんですね
13:19 あっ、倒れた!誰も乗ってない空の客車でもこんな強すぎる風だとあっという間に倒れちゃうんだ。もしお客さんがたくさん乗っていたのだったらもっと大変だったのかも。
@shigoroku-448
7 ай бұрын
むしろ重いので無事だったかもしれませんね…
@user-gi8wb5uq6o
7 ай бұрын
お客さんが乗っていたら転落は無いな
@user-dx9gp5md3e
7 ай бұрын
@@shigoroku-448無事だと言い切れませんよ地下鉄東西線の鉄橋で脱線した時に多くの人が怪我したりしました
@GO-ts1nu
7 ай бұрын
力士で満席になってれば倒れなかったかもしれない
あまるべ鉄橋の悲劇の本質を分かってる人はあまりいない。実は落下した下に水産加工場があった。そこで雇われていた女性はほとんどは近所の小学校の生徒のお母さんだった。小学生の母親が亡くなった。これは大変な悲劇だった。
@user-ts6pn7gc6x
2 ай бұрын
確かカニの身抜き工場だったんですよね。思い出すとたまらない気持ちになります…。
@user-gv5ql7tk3i
2 ай бұрын
はあ?そんなの有名だろ。何が実はだ。
@hnwsn
2 ай бұрын
どっちかというと…コメ主が仰ってることが本質として知られてる気がしますが… いずれにしても、この後2005とか、場所状況は違えど同じ悲劇が起こるというのは…
@colon0311
2 ай бұрын
鐡道橋から強風で落ちたという事は知られているがその被害者のメインはどんな人だったかというはほとんど知られていなかった。最近になってその当時小学生が母親を亡くしたときのことを語った。
@okuda-R
2 ай бұрын
一般人ならそうだったんだ、鉄オタなら知ってて当然の知識
当時リアルタイムでニュースを見ていた者です。 下の蟹の加工場だったかな、働いていた女性の方々の多くが亡くなったんですよね。 悲惨な事故でした
橋の強度の設計に問題なし(狭義)。 橋は横風にも耐えられた。 まさか風が列車を倒すとは! 風を列車に当てていたとは! (広義の)設計者の胆力が求められた。運行管理者もだけと。 経験の少ない境界環境への警戒心が要ると感じ入った。
荒天時に趣味でヨットに乗るとき気をつけることは、真横から波を受けないように真横から風を受けないようにセールの角度や大きさを絞って風を逃がして走行していた。橋桁の造り方にも同じ影響があるのかなと思いました。
昔はここに限らず、幅の狭い橋が多くて怖かったですね 今でこそ、立派でしっかりした橋が多くなりましたが
模型で検証してるけど今では全部パソコンでできるようになってるの普通にすごい
元地元民です。 あの日は確かに風が強かったのを今でもよく覚えています。その風の中から救急車のサイレン音がいくつも聞こえて「何か起きたようだ」とすぐに分かりましたが、まさか列車が鉄橋から落ちるなんて予想もしていませんでした。 時間とともに風化しているこの件ですが、忘れてはいけない大事故であることは変わりないです。そしてもし現在のは余部鉄橋に来る機会があるのなら、慰霊碑があるので手を合わせてあげてください。
確かに回送で乗客が乗ってなかったから犠牲者が少なかったですが、ただ当時鉄橋下にあったカニ加工会社に落下ししまいそこの社員が犠牲になってしまった事が当時の国鉄に対して憤りや怒り覚えましたね。国鉄は殺人を犯したと思いましたね。
東海道線静岡地区は海からの風と遠州空っ風の影響で運転見合わせは良くあります 警戒風速を厳しくしてるのでしょうね。今はステンレスで車体も軽いですし
冬の日本海は怖い
「風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ」の事故ですね…と思ったらこれではなかったのね。
@peoplex9038
7 ай бұрын
それは多分2005年の羽越本線脱線事故です!
旧鉄橋解体前に実際の現場に行ったことがある。 凄い場所だった。 風を遮る物がない地形の高い位置に鉄橋があって、真下は建物が広がっている。 あれは怖いよ。
dd51は重たくて浮かなかったのね
@user-gi8wb5uq6o
7 ай бұрын
めちゃくちゃ重いから
@user-dx9gp5md3e
7 ай бұрын
D D51重量は客車より重いです
@user-eg1ii3fd6m
7 ай бұрын
3.11の大津波で被害に遭った常磐線の貨物列車も、軽いコンテナ貨車は横転してコンテナが取っ散らかってましたが、重たい機関車のED75は横転せずにそのまま立ち往生してましたね。
@user-ig4qh4dj5z
2 ай бұрын
ed75は見た目は小さくてもとても力強く、重たかった機関車だからね。
この区間も今は閑散とした路線で JRの営業指数もあまり良くない 存続の危機も囁かれている。
アナウンサー餘部きょうりょう普通に入ってますが、今では撮れない絵ですね
この事故の一週間前に鉄道マニアの友人が列車型車両の最後だから言われ余部鉄橋を渡り、事故のニュースを見て慄然としましたよ。
このニュースが報道されたのを今でも鮮明に記憶してます 何年後の架替え時にはじめて餘部に行きましたが、まず手を合わせました 写真動画撮影より、弔い(供養)が優先でしょ
斜め下からの風が吹いてたら揚力で軽く車両を持ち上げる様になって、横風で落ちる感じじゃないでしょうか?
昭和の鉄道ニュースの代名詞『国鉄御自慢』
@onanihs201
7 ай бұрын
そのフレーズを聞くとはつかりがっかり事故ばっかりを思い出す
@user-dx9gp5md3e
7 ай бұрын
@@onanihs201ディーゼル特急時代のフレーズ
@user-eg1ii3fd6m
7 ай бұрын
80系遭難電車も忘れないでねw
@asokai2346
3 ай бұрын
ご自慢と言うが、国鉄の車両は昭和時代日本在来鉄道線の中で最弱だったそうな。私鉄電車の方が性能が高いそうだよ。新幹線以外は私鉄の方が性能上
九さんが亡くなって1年後の転落事故は覚えています 確か事故登場時のDD51は展示保存されています 当時の国鉄はダイヤは過密中で緊急停車するとペナルィーとその他を喰らいます 本当は止まれば事故起きないはず 一機のみ風速が壊れていて 知らずにそのまま渡り風にやられ転落 もし 客がそのまま乗って居たら重さで墜ちないか、 もしかしたら転落していたかも
@user-ig4qh4dj5z
2 ай бұрын
そのdd51がいる博物館は津山学びの鉄道館にいる。
エンジンを床下に積んだ気動車や、自重が重たい旧型客車の転落はなかった。 軽量客車の屋根上に、冷房室外機を載せた「重心が高くなった床下に駆動装置のない客車」に原因はなかったか?
@speedbird019
7 ай бұрын
なるほど、その視点もあるかもしれません
@tydeentetuota5514
7 ай бұрын
軽量客車でもナ級ではなくオ級とス級。 旧型客車でも同じ状況なら落ちていたかもね。
@user-vv4jw4kd4x
7 ай бұрын
当時でも回送ではなくお客さん乗せていれば転落しなかったのでは?と言われていましたね。
@user-eg1ii3fd6m
7 ай бұрын
昔、毎日根岸線の10号車に乗って車で通学してましたが、カーブに制限一杯かやや上回る速度で突っ込んだ時に、床下がモーターなどの機器類で重く、非冷房で屋根上の軽いクモハ103では殆ど横方向の衝撃は感じず、屋根上に重いクーラーが乗っていて、モーター無しで床下の軽いATCクハ103では、ドカン!とかなり大きな横方向の衝撃を度々感じたのを憶えています。やはり、重心の高い車両は横方向の力には不利です。
176名の団体乗客が乗ってたら、 逆に重さで落ちなかったのかな
6:40〜 BGM、非常に怖い😰
@ed76-81
7 ай бұрын
このbgm、 事故を軽々しくしているような感じで個人的にはこういう演出はやめてほしいです。
@user-tm7pj1dt2f
7 ай бұрын
よっぽど緊張感を与えたいのだな
@tuna2623
6 ай бұрын
@@ed76-8135年前にタイムスリップしてクレーム言ってきなよw
鉄橋の風速計が壊れていた?これに気がついたのは事故後ですよね?😭
国鉄の分割民営化であたふたしていた時でした 心の動揺がこの事故を引き起こしたように感じました
道の駅あまるべに当時の事故の記事や、おそらく近隣に住んでいた方々でしょうか、写真や当時のことを残した記録のファイルが置いてありました。決して忘れてはいけない事故です。しかしこの動画は初めて見ました。とても貴重だと思います。
この事故の約1年半前には日本航空123便の墜落事故があったんですよねぇ。余部鉄橋の事故を(ニュースで)見て、4人の生存者はどう思ったでしょうかねぇ。
@playboy4649japan
7 ай бұрын
能登線の脱線死亡事故も1985年。
@user-jn9ut5go6u
7 ай бұрын
@@playboy4649japan現在は廃線。
ただこれ、本当は風だけが理由かどうかは疑わしいて話もあるようです。事故の何日か前、列車が通るたびにガーンと大きな音がしていたようだ。で、ありゃいつか列車が落ちるな、と言っていたら落ちたそうな。偶然かもしれないですが、台車が残ってる理由も不明ですしね
@kouhaku-tuukawa-channel
5 ай бұрын
その話が事実だったとすると、複合要因による事故になりますね…… さらに責任が追求されたかもですな…
実際、事故は起きてませんが東海道の根府川橋梁も風関係?で側面にネット着いたって話ですよね?
@N--jv3go
7 ай бұрын
そうです、根府川は撮影の名所でしたがこれで撮影は不可になるが、撮り鉄のマナーの悪さに悩まされていた沿線ミカン農家は大喜びでした。
余部鉄橋列車転落事故の貴重な映像をありがとうございました。この事故の原因は国鉄の行き過ぎた合理化によるずさんな列車運行管理によって起きた人災事故です。私もこの事故から1年4カ月後の昭和63年1988年5月1日に余部鉄橋を初訪問してこの事故で犠牲になられた6名の方と登場してから僅か8ヶ月半の短い生涯を閉じてしまったお座敷客車みやびの冥福を祈ってきました。もし、自分がこの現場にいたら危険をかえりみず鉄橋の中央付近まで行って列車を後退させて事故を未然に防いだ事でしょう。2023年12月28日で余部鉄橋列車転落事故から37年になります。鉄道ファンの1人として心からご冥福をお祈りさせていただきます。とにかく風を甘く見てはいけない事を教えてくれた事故でした。以上、
まず製品化されないであろう唯一の14系ですね。
@N--jv3go
7 ай бұрын
製品化されなかったJTのモデル、14系PCみやび&58系DCアルカディア(この事故も乗客の犠牲者を出していない)
@hehohotransport
6 ай бұрын
有志が改造したモデルは幾らでもありますが、正規品は流石に無いですね…
こんな事故、いつかは起きるだろうなと思ってたわ。海に面してて防風壁などが無い吹き晒し状態だし、鉄橋の下に民家やら工場があったら、二次被害招く恐れあったろうしな。まぁ上の鉄橋からまさか列車が落ちてくるなんて思わないだろうが。
@user-eg1ii3fd6m
7 ай бұрын
今は強風時の規制が厳しくなりましたが、余部と比べたら圧倒的に列車本数の多い、東海道線の根府川橋梁は、よく何十年も無事故で過ごして来たなと思います。
もしも標準軌だっとしても、この強風ではやっぱり転落してたかなぁ。
このDD51は重いから助かったんだよね...逆に乗客が乗ってたら重さがかさんで落ちなかったかもしれないし、落ちたかもしれない。 どちらにせよ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
今の鉄道の安全、快適さはこれら事故の上に成り立つ。余部鉄橋の上を走るなんて。ジェットコースターみたいだな。
この事故はよく憶えている。 年末の寒い時期でストーブにあたりながら、テレビを観ていた。 当時は朝昼とワイドショーが多く、センセーショナルに報道されていた。 忙しく働いていたであろう被害者を思うと、やるせない思いだった。
もしかしたら、ふれあいSUN-INやほのぼのSUN-INも落ちてたかもしれない。
廃止された高砂工場の銘板をつけたお座敷列車みやび
過去の様々な教訓、研究、実績を経て現在において安全性が高まっているんだなと感じさせる検証映像でした。 23:30 横風の実験のやつは大変わかりやすいですね。
事故の事ははっきり覚えている。パートのおばちゃん達可哀想だった。本当ならこの日は「仕事納め」だったのに。
6:23 今やこの賑わいの駅舎も無人駅か。
回送中でよかった。
何も知らず以前にレールを土産に買って、去年も鉄橋あたりに行きました。こんな悲劇があったのですね。親が国鉄で機関士だったこともあり鉄道好きとしても心が痛みます。
事故から11ヶ月後お座敷「あすか」が誕生した。あの時「みやび」はなぜ鳥取に回送させなかったのだろか?その頃は智頭急行がまだ建設中だった、開業したのは8年後の1994年12月だった
この時牽引していたDD51は、現在津山まなびの鉄道館に保存中という…
子供の頃は中国の列車事故を見てこんなの日本じゃありえねえなって思ってけど、福知山線とか余部とか案外日本も杜撰なんだなって思うよね もう起こってほしくは無い
こんな大事故があったなんて、知らなかったです。
これ運輸司令室からすれば余部橋梁上で列車の表示が消えて、しかも風速計が基準値オーバーしてるんやからゾッとするよな
17:08 下の方がカバーを外した途端すぐ倒れた。
電車が回送中だったのがせめてもの幸い
余部鉄橋があるなんて信じられへん!正気の沙汰ちゃう😮
飛行機の前縁スラットみたい
自分も40年前、余部鉄橋を列車の、デッキから覗きましたが怖すぎ😱 ましてや当時乗ってたのが夜行列車だったので真っ暗闇の場所、強風吹いたら怖いと思いましたね。
当時寝台特急「出雲」(東京~出雲市・浜田間)は伯備線を迂回していたのだろか?
2:25 ノーヘル…
低気圧による突風は上昇気流を伴うので、物が浮き上がりやすくなるから、風速だけでは計り知れないね。 雨の日に傘が持っていかれそうになるのもその原理。
冬季になればモンスーンで強風が吹き付けるのは当たり前。 しかし開業後何十年経過しても観測施設が整っていない時期でも『事故』は発生していない。 民営化を控えて風紀が最悪だった時期。 突発的な事故なのか人為的な何かなのか。全ては闇の中。
@GyusujiOisi
7 ай бұрын
人為的に列車を脱線、ましてや転覆・転落させるのはかなり難しいと思いますよ
まだ記憶に新しい非常に残念でたまりません風速25メートルをあまく見た大きな事故にもかかわらずJRの社員は呑気に蟹料理を食べていた普通じゃあ考えられない行動
@speedbird019
7 ай бұрын
ありましたね。そんな報道が
@user-fz9xw7ws1w
7 ай бұрын
当時はまだJRではなく国鉄ですよ。
@user-fz9xw7ws1w
7 ай бұрын
当時の国鉄は呑気に蟹料理食っていた、だとしたら車両が落下したとこにカニ加工会社があったので国鉄は社員を殺した事になるのでふざけるなと言いたいですね。
こんな大事故が起きてたなんて 知らなかった。
餘部駅 去年と一昨年の夏に行った。 地元だけど、一昨年までこの事を知らなかった。 しかも 普通電車だと思っていたら、お座敷列車「みやび」ですか!?
しかしこの事故はエグかったですね。ん?なんか衝撃と音が?後ろを見たら!機関車の運転士のお気持ち察するとゾっとします。以降、業務に服せたのかな〜?
回送だったのが幸いやな
模型だと分かりやすいね。これビル風の原理じゃない?山が高いほど谷への風の流れが強くなるよ。 目の前の岬によって風巻いてるから竜巻も海上で多く発生しそうな地形だ。この地区の竜巻発生件数はどうなってるのかな? 横風+瞬間的な下からの風も十分に考えられる。
これ、リアルタイムで見たわ…😩
余部鉄橋事故と信楽高原鐵道列車衝突事故を混同してしまう
サムネの「列車が浮いた」を見て磁気浮上リニアの動画かと思った
津軽海峡線、京葉線(南船橋・西船橋~東京間)、瀬戸大橋線は建設中だったが開業後は教訓を活かされたのだろか?
この事故があった時、私は小学生でした。今でも鮮明に覚えている。
国鉄末期の事故ですから、保守点検もろくにしてなかったのかもしれませんね。 風速計が稼働してないなんて杜撰すぎる・・・。
@paserik320
7 ай бұрын
かにこうばって何?
@user-yr9yn3ep4q
6 ай бұрын
蟹工場です。
@paserik320
6 ай бұрын
@@user-yr9yn3ep4q いや、どういうものなのかわからない
0:33 この作りが昭和っぽい
0:24 ここの橋の造りにギョッとしてしまった。怖すぎる