小林秀雄の何がどう凄いのか【発展編】

00:00 近代批評の確立者
01:54 科学<宗教
03:39 精神と表現
05:29 歴史哲学<実存主義
12:30 戦争責任問題と社会化した「私」(難しかったらスキップしてね)
20:10 小林秀雄の現実観/世界観(ここから面白いよ、たぶん)
28:09 翻訳文化について
※今回は実験的にBGMをなくしています
【純文学に関する動画リスト】
• 【純文学】近現代の精神史
【参考文献:新品で入手できます】
小林秀雄『批評家失格―新編初期論考集―』
amzn.to/3IjrewZ
小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』
amzn.to/3SKfLLW
小林秀雄『作家の顔』
amzn.to/3T92gH4
小林秀雄『ドストエフスキイの生活』
amzn.to/4ai7LJ2
小林秀雄『モオツァルト・無常という事』
amzn.to/3OY86IS
小林秀雄『ゴッホの手紙』
amzn.to/4amOlTp
小林秀雄 岡潔『人間の建設』
amzn.to/3V05ZrA
小林秀雄ほか『直観を磨くもの 小林秀雄対話集』
amzn.to/3UP0NHf
小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』
amzn.to/3TKWE68
【参考文献:品切れ状態】
本多秋五『物語戦後文学史』(岩波現代文庫)
amzn.to/43qpQT0
※動画内で使用しているものとは異なります。上中下、どの巻に該当箇所が載っているのか判らないのでからないので注意。
三浦雅士『青春の終焉』
amzn.to/3OXNuQO
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Пікірлер: 19

  • @user-sx9rh6ny8l
    @user-sx9rh6ny8l4 ай бұрын

    うp主の何が良いってちゃんと自分のキャパシティを理解して「ここから先は語れる、ここから先は難しい」って線引きをはっきり動画内で宣言してるとこだよなぁ。 本当に誠実だと思うし、見る側もそれを受け取った上で聞く姿勢も取れるので本当に誠実。

  • @read-

    @read-

    4 ай бұрын

    ありがとうございます。本居宣長(国学)を勉強していくとしたら10年後、50代からかな、と漠然と考えております。

  • @fukashigi-
    @fukashigi-4 ай бұрын

    投稿お疲れ様です。今回はBGM無しで、情報が耳にスッと入って残る気がしました。これはこれですごく良いです! そして今回は特に繰り返し見たくなる濃い内容でした。 「命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。」 めちゃくちゃ力強い文章ですね 小林の背景事情の説明、そしてこの引用文と「観ずる」という動詞の補足の一連の流れ、本当にゾワゾワするほど興奮しました。 感想はもっと書けるのですが、今回は特に長くなりすぎるのでここまでにしときます。笑 素晴らしい動画をいつもありがとうございます♪

  • @read-

    @read-

    4 ай бұрын

    御視聴並びに丁寧なコメント、誠にありがとうございます。見え過ぎる目の他、外的偶然から内的必然のくだりなどは、例えば安吾が「教祖の文学」で取り上げて批判しています。いま読み返すと随分と的外れだと判りますが、私は安吾が好きなので小林秀雄に関しては随分と目を曇らされました。 BGMに関しては「なくしてくれ」という声が根強いんですよね。今回は長尺かつ煩雑な内容になってしまったので、試しになくしてみました。数字的には好調なので、遠からずアンケートを採って、どうするか決めようと思っています。

  • @AsteroidDusts
    @AsteroidDusts4 ай бұрын

    25:44 後期ハイデガーも芸術論で同様のことを言っているのを思い出しました。 ハイデガーはヘルダーリンの詩や絵画を度々引用して本質(存在)や世界について説明していました。 その際自分は、小説を引用すればもっと分かりやすく表現出来るのになぜしないのだろうか?と不思議でままならなかったのですが、今回の散文芸術の説明で納得することが出来ました。 小説ではハイデガーが求めていたような客観的な説明が不可能だということが分かってたんでしょうね。

  • @snooop7825
    @snooop78254 ай бұрын

    待っていました。 お疲れ様です。 ただいま小林秀雄を読み返しております。 とても参考になります。

  • @user-sx9rh6ny8l
    @user-sx9rh6ny8l3 ай бұрын

    そういえば評論繋がりでクラシック音楽の方面だと圧倒的に日本では吉田秀和がその代表的な権威として語られているのですが、考えてみれば吉田も活躍した年代的に小林秀雄と同時期だったことを思い出し (小林の方が10歳ほど年上)、吉田を再読するときにこの動画を見てから視界の隅で小林の陰を勝手ながら感じるようになりました。

  • @user-bt6wp6dr5n
    @user-bt6wp6dr5n4 ай бұрын

    いつもありがとうございます。 小林秀雄後半動画、堪能致しました笑 主様の今までの動画作品を見て感じた実感は、私は小林にも感じていました。 まさに「強いられた現実を全身全霊で生き、その結果を宿命(必然)として受け入れる、ないし引き受ける」という哲学ですね。 私は批評は自己証明というより、自分という他者を知りたい・理解したいが為に行う営為だと思っています。 そして主様の評には、それを感じます。 上記の哲学を踏まえ、自らを語ることと作品を語ることにより、自らを知ろうとしている。 謙遜されるかもしれませんが、私にとって、その点をもって主様は信頼できる批評家です。 長くなってしまい、申し訳ありません。 これからも勉強させて頂きます。 ありがとうございました。

  • @read-

    @read-

    4 ай бұрын

    こちらこそ毎度の御視聴並びに丁寧なコメント、誠にありがとうございます。励みになります。「己の夢(現実/世界)を懐疑的に語る」というのは成る程、あまり良い言い換えが浮かびませんでしたが、批評を通じて己という他者を知ると意訳するのが最適かも知れませんね。 40にしてようやく少しは小林秀雄が読めるようになってきたんだな、と感慨深いです。精進いたします。

  • @user-uj3vo1dw1z
    @user-uj3vo1dw1z4 ай бұрын

    待ってました!

  • @烏有
    @烏有4 ай бұрын

    字幕が背景の色と同化して見えなくなる(白の字幕で背景が白い場合等)のが もったいない気がする。

  • @lemon5923
    @lemon59234 ай бұрын

    今はじっと座ってスマホをみてるから小林秀雄が指摘するよりもっと速く荒唐無稽な情報が流れているのかな それに疲れ果てて、昔の人が飽き飽きとしていた自然を眺めて癒されたい…けど無意識にスマホに手が伸びてしまっている謎

  • @masumi1045
    @masumi10454 ай бұрын

    苦労して外部を内部に入れてきた人は決してそのことを否定することはないだろうし、他人がそれを否定することもできまい。子どもの死を自らの内に入れた母親を否定することはできない。ああしていたら、こうしていたらと止めどなき否定の渦に巻き込まれることを止め、子どもの死を受け入れた母親に何も言うことはない。隙間なくその死を受け入れた母親に子どもが蘇生し(生き返るがごとく現れ)、その母親を助けることも信ずることができる。  しかし、どうしても外部のものを内部に入れられなかった者、そのような存在は通常認められていない節が世間にはあり、少なくともここで紹介された小林秀雄氏はそのような存在を否定的に捉えているが、これの比喩として食あたりを使うことができるならば、食あたりを克服しようにも慣れることなく、つまり症状が軽くなることなく、その都度初めてのように食あたりを起こすとしたら、小林秀雄氏の倫理、格率は成り立たない。  つまり、何でも一定の条件下ということだろう。一定の条件では氏の倫理に反対はできないし、食あたりを起こす食物を変えてくれという者の外部の否定にも反対できない。でも、前者は後者を包括できないが、後者は後者でありかつ前者であることができる。もちろん、生きている現在から見れば、前者は圧倒的に有効な思想であり、倫理だ。そして通有性のある思想、倫理でもある。つまり世間に受け入れられる。それにひきかえ、後者は不在の夢にすぎない。しかし、夢が有効でないということにもならないのが、少なくとも、ことごとく食あたりを起こす者には当てはまるだろう。ただ、食あたりを起こした者は、変化した外部が――もちろん夢想にすぎないが――前者にとっても食あたりを起こさないものかどうかが問われ、それが夢想の質を保証するというだけである。

  • @read-

    @read-

    4 ай бұрын

    子供の死なんて、食あたりどころの騒ぎじゃないでしょう。そういった受け容れがたい偶然を必然とできるかどうかは一定の条件下ではなく、人によると小林秀雄は言っているのです。 不平家には分からないだろうが、と断りつつね。 宗教的な考えだとも言っているので、批判したけりゃ、シンプルに「そんな考え、宗教だ」で済む話です。

  • @masumi1045

    @masumi1045

    4 ай бұрын

    反論され、違いが分かってよかった。小林秀雄氏はうまく読めてなかったが、うまく読めていないなりのイメージがやはりそうだったのかとはっきりさせられ、よかった。

  • @chimieal3757
    @chimieal37574 ай бұрын

    小林秀雄の何がすごいって、本人が死んだらあっという間に本屋から本が消えたところですね。びっくりしました。誰も買わなくなったんですね。

  • @pop_hops

    @pop_hops

    Ай бұрын

    "小林秀雄"は大量消費社会の媒体として使われてたってことです。

  • @user-wn4yz6ey3j

    @user-wn4yz6ey3j

    Ай бұрын

    そうですか? 最近も文庫化したり解説本が出たりしてますよ。

  • @tsukinotaiko
    @tsukinotaiko4 ай бұрын

    色々なヒントになりますね。 但し、引用などの展開をもっとゆっくり、ゆったり、示しては如何でしょうか。 小林秀雄が凄いのではなくて、余りにも世間大衆が体たらくなのです。 小林秀雄は、2020年にまだ元気だったらワクチンを打ったでしょうか? SNSの文化趨勢をどう観たでしょうか? 「学問」「観る」という実態が、體に根差すということだと思うのです。

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