『藤原彰子』は日本の歴史上でも重要な人物だった!?

Ойын-сауық

Пікірлер: 64

  • @jsuzu7747
    @jsuzu7747Ай бұрын

    ドラマの彰子は内向的で、父母の言いなりのような大人しい姫君ですが、これから父道長にも真っ向から物申したり、実資から「賢后」と称賛されるような強く賢い女性に成長していく様をどんな風に描かれるのか楽しみです

  • @hero-bg7xy
    @hero-bg7xyАй бұрын

    大河ドラマの主人公になってもおかしくないくらいの素晴らしい女性ですね。 これからドラマ観るのが楽しみになりました!

  • @user-ws1zk9xt1g

    @user-ws1zk9xt1g

    21 күн бұрын

    彰子を主人公にして書かれた小説(「月と日の后」沖方丁)があるので、ぜひこれを原作に、「光る君へ」の続編が作られたら良いな、と思っています。(続編という言い方は失礼かもしれませんが・・・)

  • @hero-bg7xy

    @hero-bg7xy

    20 күн бұрын

    ありがとうございます! 小説読んで見たいです。 いつも動画見ていて、大河ドラマの先が見たい!と感じています。 今まで知らなかった鎌倉時代や平安時代や渋沢栄一の事などいろいろ知れて大河ドラマに感謝です!

  • @user-nn6kx9km9c
    @user-nn6kx9km9cАй бұрын

    彰子様 知れば知るほど素晴らしい方だったのですね。内覧をしていたとは知りませんでした。道長に抵抗して敦康親王を立てるところは、一条天皇への愛情を感じます。

  • @user-yz1ce7tn1t
    @user-yz1ce7tn1tАй бұрын

    彰子も息子達が自分より先に逝ってしまい、辛かったでしょうね。 イメージ的には慈悲深い人です。

  • @user-xh5jm9ji8x
    @user-xh5jm9ji8xАй бұрын

    彰子が内覧になっていたのは知らなかったです。有り難うございます。

  • @cowboy8163
    @cowboy8163Ай бұрын

    これから成長していく彰子を見るのが楽しみになってきました ありがとうございます♪

  • @user-kp9el8wq8m
    @user-kp9el8wq8mАй бұрын

    藤原彰子は87歳ですか、すごい長寿ですね、いろいろな事はあったと思いますが幸せだったのではないでしょうか。理由は長寿の現代でもストレスだらけだったら87歳まで生きるの無理ですしw当時の環境で87歳は幸せだったのかなと思います。

  • @user-iw3yn2nm2i
    @user-iw3yn2nm2iАй бұрын

    内覧を許されていたということは聡明な方だったのですね。

  • @owyd2236
    @owyd2236Ай бұрын

    あの、院政をはじめた白河院にも影響を与えたとは、驚きですね。

  • @cancan5892
    @cancan5892Ай бұрын

    年若い彰子が後宮でさぞ辛い日々を送っただろうと思っていましたが、彼女は母倫子の全面的サポートを受けていたそうです。倫子は自身が出産間近の身でありながら彰子に付き従い、自身の血縁者を中心に女房衆を組織し、彰子サロンの品々からその場の雰囲気までも空間プロジュースし、自身も参内しながら他の女房らからも彰子の様子を逐一報告させる、ここまで完璧にサポートすれば彰子も不安はなかったでしょう。前々から不思議に感じていた敦康親王の養育も、育児経験豊富な倫子の全面的バックアップがあれば怖いものなしで、その上その事実が中関白家の口出しを阻み封じ込めとなるという絶大な効果もあります。敦康親王の養育は、伊周ら中関白家に渡らないようにする道長の意向でもあったそうです。その後彰子に二皇子が生まれ状況は変わりましたが、敦明親王が皇太子を辞退した際には、今度こそ敦康親王を皇太子にと彰子は望んだそうです。しかし道長の思い通り、彼女の次男に皇太子は渡り、彰子は父を非難します。自分の息子より、亡き一条帝の強い思いを叶えたいという彼女の意思が強かったんだろうと思います。息子や孫達よりはるかに長く生きた彼女の心の内は、満足だったのかそれとも父との対立を秘め亡き夫にすまないと後悔する気持ちだったのか知りたくなります。

  • @user-iw3yn2nm2i

    @user-iw3yn2nm2i

    Ай бұрын

    複雑な心境でしたでしょうね。

  • @nomse4522

    @nomse4522

    25 күн бұрын

    @@user-iw3yn2nm2i

  • @user-mr3hk3zb9b

    @user-mr3hk3zb9b

    19 күн бұрын

    @@user-iw3yn2nm2iえ

  • @nk-tm7fo
    @nk-tm7foАй бұрын

    藤原彰子の解説とても楽しみにしていました!ドラマではまだ気弱そうで内向的な女の子ですが、こんなに素晴らしい女性へと成長していくんですね。ドラマではどのように描かれるのか楽しみです。

  • @clai47tere1sar
    @clai47tere1sarАй бұрын

    彰子が実子ではない敦康親王を推したのは、自分の子にはきちんと成人してから即位してほしかったから、順番を後回しにしたかった、という説を見たことがあります。 でもそういう計算高い理由じゃなくて、一条天皇の遺志を誰よりも大事にしたから、だと思いたいです。

  • @user-ws1zk9xt1g
    @user-ws1zk9xt1g21 күн бұрын

    当時の平安貴族の晩年の健康状態を見ると、おそらく美食が祟って糖尿病の合併症に苦しみ短命に終わった方が多かったように思われますが、彰子はよほど節制して生活していたのか、そのような病に苦しむこともなく、87歳の天寿をまっとうしたのは、まさに驚異的です。どんな食事だったのか記録が残っているなら、見てみたいです。

  • @momo4540984
    @momo4540984Ай бұрын

    国母であり慈母でもある。後の皇族の政治体制にも関わる重要人物。

  • @EverydayTamagoSand
    @EverydayTamagoSandАй бұрын

    家の立場的にライバルというべき藤原定子の遺児を育て上げ、 譲位にあたっては父に意見し… 真の強い素敵な女性だよ

  • @user-lw6gn7uu8r
    @user-lw6gn7uu8rАй бұрын

    摂関政治を終わらせたと言われる後三条天皇や白河天皇にも一目置かれる彰子ちゃんってやっぱり凄いですね!! 父と対立したり、弟を支えたりと彰子ちゃんって凄い「一家の長女」て感じがして好き😊 今度は彰子ちゃんに比べ、あまり注目されない姸子ちゃん、威子ちゃん、嬉子ちゃんの解説もお願いします🤲 あと明子ちゃんとの子ども達も

  • @giantszero6962
    @giantszero6962Ай бұрын

    彰子が公文書の内覧をしていた前例があったため白河上皇はそれができて院政につながった。 なるほど、その流れは重要だね。

  • @user-bp5nx6lb4t
    @user-bp5nx6lb4tАй бұрын

    解説ありがとうございます彰子が内覧となり院政に影響を与えたというのは初めて知りました。 出家の身で若い天皇を後見したのは後に将軍の母として政治に関わった北条政子にも似てると思います。

  • @user-kd4ol7oe4g
    @user-kd4ol7oe4gАй бұрын

    前例て利用されるんね。前例が無い!て慎重になるのも歴史長い文化ですね!良くも悪くもてとこですね😁

  • @user-ke9ci1gn4m
    @user-ke9ci1gn4mАй бұрын

    ドラマ鑑賞の深度が深まる解説、いつも有り難うございます🙏🏼 ところで、本作の主人公・紫式部の没年は不明らしいですね。 道長十数年前〜道長の没後二年ほど後までと推測されている様子です(主人公だから長めにやるのでしょうが)。 だとすると、本作は今日の話のどこまで描くのでしょうか? 道長没までだと少し尻切れトンボに終わる気もしますし、源氏物語は主人公・光源氏の死後まで物語は続いているのでそれに倣うのもありそうですし。 武士道さんの解説のお陰で、妄想が広がります。感謝🙏🏼😊

  • @user-sc4zq8rn4j

    @user-sc4zq8rn4j

    18 күн бұрын

    ドラマをずっと見ていてまひろさん(紫式部)は私が漠然と思っていた紫式部のイメージとかなり違ってずいぶんご苦労をなさって人生を歩まれたのだなということです❗幼くして母と死に別れ父はなかなか官職に就けず家庭的にも経済的にも苦労の多かった女性だったんだな!という印象を受けました。但し紫式部のことはほとんどわかっていないそうなので今までの経緯は脚本家の創作なのでしょうがそれでも千年前に書かれた源氏物語の作者紫式部という人物像を千年の時を超えていまに至り少しでも知ることは興味をかき立てられます😂これからのドラマを楽しみにしております。

  • @user-lb9ui9mr7n
    @user-lb9ui9mr7nАй бұрын

    一条天皇・定子・敦康親王・彰子 この4人の関係がグッと来るし、彰子が道長に言われるままでなく貴族社会に君臨するほどの影響力を持つ強い女性になるのもかっこいい 光る君へはどうしても道長を憧れの光キャラにしたいみたいだからその縛りの中で彼女をどう描いていくのか気になる

  • @rinnmm2523
    @rinnmm2523Ай бұрын

    彰子だったから定子の息子を養育したのでしょうね これが逆なら定子は彰子の息子を養育したでしょうか? 多分自分の息子を天皇にしたくて彰子の子供を仏門に追いやったと思います 後ろに伊周らが控えていたのを考えると、敵の子供を育てたと考え辛いです

  • @user-zb4mt3gq9w

    @user-zb4mt3gq9w

    27 күн бұрын

    もしかすると、伊周の長女の結婚相手が頼宗ではなく頼通になっていたかもしれない。  そして、伊周の娘は頼通の間にガンガン子供作って(史実子供が多い)、一人ぐらいは、帝の皇子を産んでいたかもしれない。  ifで、想像するといろんな可能性が出てくる。

  • @zeroforwardslips9458
    @zeroforwardslips9458Ай бұрын

    婚姻関係を見るとかなり血縁が濃いと思いますが、ハプスブルク家の様な問題は起こらないかったのが不思議です。

  • @user-wg8qw1yw5e

    @user-wg8qw1yw5e

    Ай бұрын

    若き天皇が次々と崩御しているのは血の濃さの影響かも❓

  • @user-iw3yn2nm2i

    @user-iw3yn2nm2i

    Ай бұрын

    病気はあったと思います。ハプスブルク家があって日本の王室だけ無い等あり得ないので。

  • @user-lb9ot1nt9d

    @user-lb9ot1nt9d

    Ай бұрын

    後冷泉天皇の場合、父も母も后妃たちも自分も祖母も 道長の直系💦 子供がいなかったのは血が濃すぎたせいもありそうです

  • @user-zb4mt3gq9w

    @user-zb4mt3gq9w

    26 күн бұрын

    白河天皇の母親は、藤原公季の子孫(叔母の夫の養女になった。叔母の夫は道長の四男能信)で少し遠い血筋なので、近親婚から逃れられた。

  • @user-iw3yn2nm2i

    @user-iw3yn2nm2i

    24 күн бұрын

    @@user-lb9ot1nt9d 京女に東男と昔から言われていて自分から遠く離れた人と結婚するのが良いという事ですがこの頃の王族は真逆の事をやってますね。権力に巻き込まれお気の毒です。

  • @grify051
    @grify051Ай бұрын

    彰子が内覧になったってことは会議に参加してるってことなの? 関白は会議に参加できないけど内覧は会議に参加できるってこのチャンネルで聞いたから疑問に思った

  • @taka586
    @taka58625 күн бұрын

    一帝二后は、定子が一条天皇との愛欲に溺れ、中宮の務めを果たしていなかったので、その仕事をする人物が必要だったのもあったそうです。宮中祭祀で中宮の受け持つ仕事を定子がやって来なかったので、災害が頻発したと解釈され、定子の評価はかなり低かったと、読んだ本にはありました。天皇には愛されたが、中宮としては失格と周りには思われていたとの事。何より、出家した身で男性との関係を続けて出産迄したのは、性に寛容だった平安時代においても破廉恥な行為と判断されたそうですね。ただ、あの時代の書物はフィクションを含んでいて、史実のみ(真実のみ)ではないとの事なので、大河ドラマ同様エンタメとして受け取る必要があるようです。ドラマとは違い、天皇の寵愛も受けていて、天皇は定子に気を使いながら、その目を盗むように会いに行っていたらしいので、全く愛されなかったとコメントしていた人もいましたが、どうもそれは個人的願望を書いただけのようです。(どのチャンネルか忘れましたが。FBだったかも!?)当時は、姫は政争の道具でもあり、彰子も苦労したように思いますね。

  • @user-xm6kb4pz2p
    @user-xm6kb4pz2pАй бұрын

    😮こんにちは😊

  • @kyogoin2411
    @kyogoin241123 күн бұрын

    (^^♪いや~驚いた!院政の先駆けをしていたとは! 大河ドラマでは阿保ポイ感じなのに・・・・これからの展開が楽しみです。

  • @user-xh5jm9ji8x
    @user-xh5jm9ji8xАй бұрын

    お疲れ様です。クラファンしたかったのですが、auじゃないんで諦めました。

  • @dindon1969
    @dindon1969Ай бұрын

    女性の彰子を前例もなく内覧にしたのは 父親の道長しか考えられないですよね? 彰子が要求すれば成れたとは思えないので。 ドラマでそこをどう描きますか。 まさか70年後に院政の前例に利用されるとは。

  • @Akio_Sugano
    @Akio_SuganoАй бұрын

    白河天皇の話題が出ましたが、今後院政の時代になって、後白河法皇が権力を握り、平清盛の世になると考えるとワクワクしますね!

  • @user-ti1gj2xg2u

    @user-ti1gj2xg2u

    11 күн бұрын

    平清盛自身が白川天皇(白川院)の御落胤と言われてます だから、異例の大出世して武士政権の途を開いた 彰子は源義家が参戦した前九年の役や白川天皇の代まで生きるのは凄いですね 大河「炎立つ」の源義家(佐藤浩市)や大河「平清盛」の白川院(伊東四朗) にも通じていきますよね

  • @user-xm1vs6zt3u
    @user-xm1vs6zt3u18 күн бұрын

    かなり、若い頃から嫁ぎ若くして出産していた割に長生きしていて良かった政治に、利用されて、かなり無理をさせられていたのに、長生きできて、良かった❤😊

  • @user-rq6uo3se8e
    @user-rq6uo3se8eАй бұрын

    (「光る君へ」の中で)彰子のサロンの女房の中にしれっと長澤まさみが混じっていても違和感が無いw

  • @sakujansaku8713

    @sakujansaku8713

    Ай бұрын

    なぜ?長澤まさみ?

  • @user-fs4pk5mu3c

    @user-fs4pk5mu3c

    Ай бұрын

    ​@@sakujansaku8713たぶん競馬の広告?見上愛さん、佐々木蔵之介さん、長澤まさみさんの3人で、すでに長澤まさみさん以外はドラマに出ている

  • @sakujansaku8713

    @sakujansaku8713

    Ай бұрын

    @@user-fs4pk5mu3c あっそうですね😅みなさん出てますね。だからかー。納得

  • @user-ru9rp8hv4g
    @user-ru9rp8hv4g22 күн бұрын

    今は不細工で全く光らない女子だが、今の無茶ぶりな下駄履かせが将来の栄光につながる。若い彰子が、一条帝に恋してそれか、叶って母になったとしたいのだろうが。 私は違うと思う。単に女体と して、関係を持ったに違いない。ただ弱っちい一条帝の種でも畑彰子は頑強。子供がポンポンと二人生まれたが、これで打ち止め。弱っちい一条帝の種であっても畑彰子は頑丈。一条帝にその気があればもっと生まれていたに違いない。体調不良なのかは?だがとにかくお渡りは無くなったと思われる。

  • @user-ru9rp8hv4g
    @user-ru9rp8hv4g22 күн бұрын

    還俗が一般かしてないから。 時代が下れば、院になればやりたい放題。彰子のひまご、白河天皇はその代表。

  • @妙子-h1r
    @妙子-h1r12 күн бұрын

    😅

  • @user-ru9rp8hv4g
    @user-ru9rp8hv4g22 күн бұрын

    後日彰子の立場が愛されようが、愛されなかろうが、彰子が土御門邸に帰って行った時  即座に定子親子を内裏にお召、絶対に離さないとバリ判り。この執着は彰子には感じない。だから女体として据え膳彰子をいただいたんだと思う。畑彰子は頑強、弱っちい一条天皇の種でもポンポンと二人生まれた。がこれで打ち止め。体調不良かそこら辺はわからないが定子ほどの愛されなかったのは本当だと思うな。

  • @user-hp6zv9br9x
    @user-hp6zv9br9xАй бұрын

    ま藤原も村上もいつまでつきまとってんのって話養子に出した人間だろ

  • @user-hp6zv9br9x

    @user-hp6zv9br9x

    Ай бұрын

    おまえら武蔵捨てたのだ

  • @YUMI4930
    @YUMI4930Ай бұрын

    彰子の子供である後一条と後朱雀も道長の道具でかわいそうだったと思います。後一条に至っての妻は母の妹でかなり年上の叔母のみ。結局脱・嫌道長が後三条天皇から始まります。女性は政治に口出しをしてはいけないのに一条の母の詮子と彰子も口出しをしていたので賢后というのは言いすぎかなと思います。

  • @rinnmm2523

    @rinnmm2523

    Ай бұрын

    天皇家に権力を取り戻す事に心を砕き、基盤を作った人です。貴族の間を取り持ち、政治バランスを取る為に生涯を費やしました その為以後の天皇や院がその手腕を元に政治を行うようになって、白河法王は彰子の政治を参考にしたとされています。 あと、倫子は43歳で娘を産んでいて歳の離れたおばではなかったはずです 女性が政治に口出し無用との事ですが、定子も色々口を出していますし、多かれ少なかれ生家繁栄の為の結婚である以上、何らかの形で生家が有利になるように様々な后は誘導していたと思われます

  • @user-zb4mt3gq9w

    @user-zb4mt3gq9w

    19 күн бұрын

    古代から皇后は、政治に関与出来ました。(中国程ではないが)、持統天皇が即位出来たのは、彼女が皇女であるだけでなく、夫の生前中から共同統治者だったからです。  皇后の権限をよく知っていた藤原氏は、皇族でない光明子を皇后にして、一気に朝廷の権力を握った。 彰子の方は、中宮として政治発言をしていて、公私は別けている。  詮子の方は私も口出しすぎかなと思う。彼女は、口を出すために女院になったのだろうけど、後の女院達が口を出す先例になってしまった。

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