【石垣島】ある日の散歩

石垣島に住む祖父とドライブがでら戦時中過ごした場所を巡った。
大浜の津波大石や崎原御嶽、子供の時の祖父は戦時中ここで過ごしていたらしい。
崎原御嶽の中に当時は大きなガジュマルの木があった。
そこで「ウサギ兵隊」は毎日上官のために玄米をついていたらしい。ウサギ兵隊は目がウサギに似ていることから子供達からそう呼ばれていた。彼は本土からやってきた人だったらしく誰も名前を知らない。戦争が悪化して第二避難所、第三避難所と祖父たちは場所を移したので、それ以来ウサギ兵隊の消息は何もわからなくなってしまった。祖父は今も「名前さえわかれば...」と口にする。
祖父たちは避難所を移る時は持てるだけの荷物を抱え、下の兄弟たちをおんぶしながら、夜の22時頃に長い道のりを艦砲射撃に怯えながら裸足で歩いた。
自分より下の弟妹達はマラリアで亡くなり、その手で海岸に埋めたという。
今日は祖父の記憶を辿り、避難所を探したが見つからなかった。
石垣の大浜の人で「ウサギ兵隊」や当時の避難所を知っている方はいますか。

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