【石橋山の戦い】源氏と『治承・寿永の乱』【ゆっくり歴史解説】#3

Ойын-сауық

源頼朝。そして、足利尊氏のご先祖様にして足利家二代目棟梁・足利義兼をはじめとする「源氏」視点で、『治承・寿永の乱』を解説していくシリーズです。
第三回は、頼朝絶体絶命の「石橋山の戦い」。頼朝視点。
山木館襲撃後に行った頼朝の政策、絶体絶命の「石橋山の戦い」を経て、足利義兼との合流に至るまでを解説していきます。
* 足利義兼の合流時期は不明のため、うぷ主の独自解釈となります。ご注意を。
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【参考文献】
呉座勇一「頼朝と義時 武家政権の誕生」
細川重男「頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」」
#ゆっくり解説 #治承・寿永の乱 #源平合戦 #石橋山の戦い #源頼朝 #足利義兼 #大庭景親 #平清盛 #和田義盛 #畠山重忠 #日本史

Пікірлер: 40

  • @user-hu3zj1tv6g
    @user-hu3zj1tv6g5 күн бұрын

    今回も楽しく見させていただきました。 愛嬌のある脳筋キャラこと和田一族もそうですが。 坂東武者は、漫画のヤンキーキャラみたいに竹を割った性格で信じたものは絶対に貫いたり、意外にかわいい一面があったり、北条政子の演説で感動して号泣して朝廷にカチコミ行く。ピュアな一面を持ち合わせた人たちなので、 頼朝いう恩義を感じたら、必ず返してるくれる棟梁はいい組み合わせだと思う。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! 義盛さん、愛すべき脳筋でいいキャラしてますよね! おっしゃるとおり、坂東武者は純朴と言いますか、感動屋と言いますか。可愛い一面もたくさんあるんですよね(舐めたら〇すマインドが色々帳消しにしてしまいますが(苦笑)) で、そんな坂東武者たちのもとで育ち、愛される大将軍になった頼朝。そうなるに至った過程も解説していけたらと思っています。

  • @tadasinakamura
    @tadasinakamura5 күн бұрын

    こうしてみると、頼朝も「高貴な血筋をかついで一発逆転!」っていうその後の武士ムーブにのっかったようにも見えますね。ここまでであんまり明確でなかったこの需要をつかんでものにしたのは天才的だなと思います。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、後世の人から見れば、頼朝は時代の波に上手いこと乗っていると分かるんですが、当時はそんなもの不確かなわけで、それを的確に見極め、その波に乗れるよう策を巡らせた頼朝は本当に天才だと思います。

  • @user-hg6cw6kw5w
    @user-hg6cw6kw5w5 күн бұрын

    私もここで義兼参戦ということにします!!😤ぎゃーーーこのシーン大河で見たい!!✨源氏遺伝子バグの頼朝と義兼、奇跡のタッグ!こうしてみると、旧タイプ「源氏ってる」義経や義仲が消えていったのも分かる気がします。 てか、治承じゅえいの乱の構図って実はこうですよね。通説ではほぼスルーされてますけど、源氏のトップ争奪戦、平氏間のモヤモヤがこの後日本を動かす。今回も核心を突いた考察に目からウロコです✨

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! 私の自説に賛同してくださって嬉しいです!ホント、どんなに遅くてこのあたりだと思うんですよね、今後のこと考えると! 義経も義仲も、大人物であることは間違いないとと思うんですよね。ただ、如何せん政治力が。。。 治承・寿永の乱については今後のために、一度整理しておくために今回の解説を入れてみました。ここを理解しておかないと、頼朝の言動が理解できなくなりますからね。こうしてみると、頼朝という人はつくづく大局が見えていたのだなと感嘆します。

  • @omega-omega884
    @omega-omega8842 күн бұрын

    旧2ちゃんねるの「やる夫が鎌倉幕府の成立を見るそうです」でも足利義兼の合流については石橋山の敗戦直後と推測して大いに物語を盛り上げていたし、 確かにタイミングとしては遅くともここじゃないと以降の歴史の流れにそぐわない感じですよね。今後新しい資料が出てこないかなとかちょっと期待してしまいますね

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    Күн бұрын

    コメントありがとうございます! お察しのとおり、今回の合流のくだりは、やる夫さんのオマージュになります。あのくだり、あまりにも好きで! とはいえ、私も自分で調べてみて、やっぱりこのあたりしかないよなあと改めて思い至りました(このタイミング以降だと、新田と同じ日和見になってしまうし、山木&石橋山は戦上手の義兼が参戦していたにしては戦が拙い) でも、おっしゃるとおり、少なすぎる史料をもとにした想像なので、今後新しい史料が発見されることを切に切に願っております!

  • @user-ho3cn2cv4v
    @user-ho3cn2cv4v5 күн бұрын

    石橋山の戦いは、後年多々良浜の戦いで梅松論で直義がなぞられ得て言いましたからね

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    4 күн бұрын

    コメントありがとうございます! 梅松論で、直義が多々良浜の戦いで石橋山の戦いのことを言及していたというエピは、恥ずかしながら今回初めて知りました!ありがとうございます! でも、言われてみれば、石橋山の戦いと多々良浜の戦いって、結果的に圧倒的不利を短期間でひっくり返したってとこは似ていますね。ただ、神風起こして勝った尊氏もだけど、惨敗したのに状況をひっくり返した頼朝も訳が分からない(苦笑)

  • @RM-ih9qj
    @RM-ih9qj5 күн бұрын

    今回も面白かったです! 本当、頼朝は奇跡的に生き残っていますね。梶原景時に見逃されるとことか特に……やっぱそういう運命を持って生まれてきた人なのだろうか。 ここら辺で義兼参陣して忠誠を誓わないとその後の関係性が説明つかないというのに納得です。 源氏VS平氏と勘違いされがちなこの時代を、坂東平氏は平家は嫌いだし、源氏同士でも競争になったことの解説もわかりやすかったです。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! ここで頼朝を討ち取れなかったことは、景親どころか平家にとって致命的でしたよね。そのことを考えると、景時の決断はまさに歴史を動かしたと言っても過言ではない。 義兼は「吾妻鑑」で初登場する直後に合流したと言う説もみましたが、私としてはどんなに遅くてもこのあたりとしか思えないんですよね。そうじゃないと、頼朝の義兼好き好きっぷりは説明できない(笑) 治承・寿永の乱は「源氏VS平氏」という認識だと、このあとの展開が「???」になると思い、一度整理する意味で今回、あの解説を入れてみました。分かりやすかったのならよかったです!

  • @user-yu1zy1jr4z
    @user-yu1zy1jr4z5 күн бұрын

    一般にはあまり知られてないですが、治承・寿永の乱は「源平合戦」とはいえないこと、源氏の棟梁が頼朝と決まっていたわけではなく、勝ち残ったからこそ頼朝が源氏の棟梁になったというのは重要ですよね! 初期の頼朝軍、貴族とはいえ没落していた頼朝、源氏であること以外何もない足利義兼、伊東氏と対立する伊豆の武士、大庭氏に圧迫される三浦氏、下総目代と対立していた千葉氏など「負け組のかき集め」感がすごいんですが、そんな人たちが初の武家政権を作るんだから面白いですよね…

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、一般的には真の源氏の棟梁は最初から頼朝で、頼朝の家系が嫡流!みたいな認識ですが、全然違うんですよね。ここが理解できていないと、武田や木曽がポコポコ決起したかが謎なことに。 そして、これまたおっしゃるとおり、初期の頼朝軍は「負け組のかき集め」なんですよね。で、完全なじり貧状態で、このまま何もしなければ破滅しかないところまで追いやられている。そこからの逆転劇なんですから、ホント劇的ですよね!

  • @user-tx5ge2nw7t
    @user-tx5ge2nw7t5 күн бұрын

    スパルタ兵の300なら大庭軍を帰り討ちにしていたかも知れない

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! スパルタクス!あの人たちの強さはチートですからね!さすがの坂東武士も勝てない?いや、どうなんだろう?一度戦わせてみたいですよね。

  • @user-zz9dr2ib5p
    @user-zz9dr2ib5p5 күн бұрын

    氏は一緒でもライバル意識バリバリなのよね。関東の平氏からすれば清盛の一族だけが出世していくのを苦々しく思っていただろう。これは源氏も同様で同じ源氏だからと言っても仲間意識はない。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、同族だからこそライバル意識が燃え滾っちゃうんですよね。源氏がよくその引き合いに出されますが、平氏もなかなか……

  • @user-gi1qb6vt8t
    @user-gi1qb6vt8t5 күн бұрын

    足利氏は後に朝敵扱いされ、残された史料も少なめですが、そんな中でこのときの義兼の心理をここまで掘り下げた著作物はこの動画が初めてです。 結果、足利氏は「ご門葉」扱い。一方で、新田の伯父御はこのときグズグズしていたせいで鎌倉時代を通して冷遇された(^^;) 義兼は、あれだけ伯父御に世話になったのに、何故「いっしょに行こう」と誘ったり、弁護してあげたりしなかったのか…(したのかもしれないが、頼朝には効果がなかったのか!?)

  • @memejiro7147

    @memejiro7147

    5 күн бұрын

    それな 新田一族は足利氏の一門 くらいに言われちゃって、義兼さん それで構わないわけ? 何かなぁ😅 やっぱり源氏? まぁ、事情よく分かってないワイの 勝手な疑問やけど

  • @user-gi1qb6vt8t

    @user-gi1qb6vt8t

    5 күн бұрын

    @@memejiro7147 さん なんか、義重伯父御の娘が義平兄貴の奥さんで、鎌倉を制圧した頼朝が横恋慕して言い寄ったら見事にふられたのを恨みに思って、新田を冷遇した…、なんて話もありますよね…(^^;) 知らんけどwww

  • @memejiro7147

    @memejiro7147

    5 күн бұрын

    @@user-gi1qb6vt8t さま あ〰️なるほど、恋多き頼朝さんらしき話ですねーw あり得るかも🦆 歴史はいろんな事情が絡み合って進むもので、一次資料に無いとか 学問上認められてないとか言ったって、人間のドラマですからね、個人の気持ちが分かれ道になったりするかも(男の嫉妬は歴史を創る😅?) 面白い話 ありがとうございます♪ あ、という事は うぷ主様 このネタ本編で使う予定だったかな? 申し訳ございません〜🙇

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! ホント、足利氏の史料って少ないんですよね。朝敵扱いのすえに大量に破棄されたんでしょうが、とても残念。。。 伯父上については、次回解説するつもりですが……私個人としては、義兼も、義重の実子である山名義範も義重の弁明に相当尽力したと思っています。ただ……まあ、次回もお付き合いいただけますと幸いです!

  • @user-gi1qb6vt8t

    @user-gi1qb6vt8t

    5 күн бұрын

    @@yukkuribanbii さん 次回も、スゴくたのしみ((o(^-^)o))

  • @user-tx5ge2nw7t
    @user-tx5ge2nw7t6 күн бұрын

    ーコメです、石橋山の合戦か初代将軍は必ず一度痛い目に 合っている足利尊氏は建武の乱で徳川家康は三方ヶ原で

  • @user-gi1qb6vt8t

    @user-gi1qb6vt8t

    5 күн бұрын

    家康は、負け惜しみかもしれませんが、「買ってばかりいるのはどこか良くない」「勝ちすぎるのは良くない」と言ってますよね。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、初代将軍は必ず一度は死ぬ思いしてしますよね(尊氏や家康は一度どころじゃないですが) 天下を取る人はやはり、こういう死地をかいくぐれる人でなければ駄目ということなんですかね(苦笑)

  • @user-xt4fg8ln4z
    @user-xt4fg8ln4z5 күн бұрын

    まだ自分の未来がどうなるか全く分からない時に国衛を襲撃して平家に立ち向かう行為は非常に勇気がありますね。ここまで思い切った行動を取れる人はなかなかいないです。個人的に平家の統治は割と良かったとは思います。ただ、それはあくまでも都の朝廷や平家一門から見た場合で、地方では都から来た権利者が一方的に搾取する無法地帯。平家の統治方法は完全に貴族の立場からの統治だったから武士から反感を食らったんでしょうか。(そもそも清盛さんは都産まれの都育ちだから地方とかあんまり知らないんですが)今回の動画ですが、脳内で鎌倉殿のシーンが完全再現されました。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、常人にはとても真似できませんよね。ただ、頼朝は恐ろしく頭のいい人なので、一度決起してしまったら天下を取るまで勝ち続けなければならないからと、策を練ったのだと想像します。 平家の統治方法ですが、私も結構よかったと思っています。でも……おっしゃるとおり、京生まれ京育ちの清盛には見えないものがあったことは否めず。もし一度でも坂東の地を訪れていたら、聡明な清盛さんのこと。多くを学び、何かが変わっていたかも? 鎌倉殿、和田殿にいたっては肖像とドラマそっくりですよね。最初見た時は、よくぞここまで似せたものだとびっくりしました(笑)

  • @user-lc4dw8vy9z
    @user-lc4dw8vy9z5 күн бұрын

    頼朝は、検非違使をやったことがない、衛門府に勤めたことがない(門番をやったことがない)、わずか数え年13歳で蔵人、(平治の乱のどさくさの臨時除目だが)右兵衛権佐(尉ではない)だったので、母親の実家の後押しもあり、他の源氏とは歩いているコースがまるで違った、公卿になれるのはほぼ確実で、坂東武者たちとの比較ではもちろんのこと、他の源氏とも身分が隔絶してたのは事実。とはいえ、一時期は源義仲に迫られるなど、もちろん実力で源氏の棟梁の座を勝ち取る必要はあったのだけどね。ただ、今までの坂東武者たちの「神輿」とも明らかに違ったんだよ。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、頼朝の任官コースは他の源氏とはまるで違いますし、この経歴が京との繋がりや朝廷への工作に大いに役立ったと思います。ただ、平治の乱後、頼朝は官位をはく奪され、無位無官の罪人として伊豆に流されているので(後で復位しますが)決起当初は官位よりは、「かつて坂東を従えた義朝の子」であることのほうが、坂東武者たちに響いたのではないかと、個人的には思ってます。

  • @user-wt5nb2sj9w
    @user-wt5nb2sj9w5 күн бұрын

    今回も面白い〜

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! 今回も楽しんでいただけたのなら幸いです!またお付き合いくださいませ!

  • @user-kl6fv1ss1g
    @user-kl6fv1ss1g5 күн бұрын

    なぜ関東平氏が平家に逆らったかという長い間の疑問がとけました。 もう一つの疑問は、源氏の長者になれる可能性が高かった佐竹氏はなぜ平家と仲が良かったのでしょうか。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! 佐竹氏についてですが、後日解説しようと思っておりますので、よろしかったらその回お付き合いいただけますと幸いです!

  • @user-lc4dw8vy9z
    @user-lc4dw8vy9z5 күн бұрын

    そもそも良文流は桓武平氏かどうか怪しいので、本当は血筋がハッキリしている、伊勢平氏と同族であることがハッキリしている、常陸の大掾氏が平家についてどう言っているか、平家が大掾氏のことをどう扱ったかを見てもいいんだが、当時の大掾氏は常陸大掾に任官、世襲してたかどうか疑わしく、そもそもそんなに力がなかった様子(良文流の方がよほど繁栄していた)。頼朝が源義光流の佐竹氏を牽制するために大掾氏にテコ入れしたとすら言える。それも嫡流の多気氏ではなく庶流の吉田氏(馬場氏)に(これも頼朝得意の手口)。伊勢平氏、平家を含む平国香流の一門に常陸介、常陸大掾への任官者が多いのは事実と言ってよいと思いますが。

  • @yukkuribanbii

    @yukkuribanbii

    5 күн бұрын

    コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、良文流が桓武平氏か怪しいですが、本人たちがそう自称しており、そのことで平家に対して悪感情を抱いているということで、今回のような解説としました。 常陸の大掾氏についてですが、お恥ずかしながらそこまでは不勉強で考察に組み込めませんでした。申し訳ありません。

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