人は生まれつき算数ができる?赤ちゃんビビらす実験とは【数の発明1】#46
今回のテーマは『数の発明』。「人間は数を本能的に持っているのか?それとも文化的に習得するのか?」という疑問に取り組んだケイレブ・エヴェレットに迫ります。そう、『ピダハン』回のエヴェレットの息子ですね。
【目次】
0:00 人間は数を本能で理解するのか?文化で理解するのか?
2:22 「数」は抽象的な概念。色と同じ。
6:05 数はどうやって発明された?根本的すぎて考えたことがない疑問
10:01 数を持たない人はどう暮らしてる?赤ちゃんビビらす実験
16:56 人間は3まで分かるが、4はムズい
18:19 「ヤンキーくん」のキャラ設定に見る認知科学
21:06 各国の表現を並べて分かる、4のヤバさ
26:18 まとめと次回予告。4以上をどうやって獲得したのか
【参考文献のリンク】
〇『数の発明――私たちは数をつくり、数につくられた』
amzn.to/2VRiRUp
今回の種本。ピダハン語研究で知られるダニエル・L・エヴェレットの息子による著作。数の発明にフォーカスする。
〇『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』
amzn.to/3yI9bKH
『数の発明』の著者ケイレブ・エヴェレットの父による、アマゾンの少数民族ピダハンのフィールドワーク記。キリスト教を布教しにいこうとしたら価値観揺さぶられすぎて結果的に神を信じられなくなり、妻とも離婚する羽目になった。
〇『人体-失敗の進化史』
amzn.to/2UeKaYD
耳の話はここから引いた。それ以外にも「出産は二足歩行と相容れないのでヤバい」みたいな話が出てきて楽しい。
〇『新明解語源辞典』
amzn.to/2VPvy24
日本語の数量表現の語源はここから。
〇『兄ふんじゃった!』
amzn.to/3AIm4VK
ヤンキーくんが登場するマンガ。深読みオジサンはどうぞ。
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【水野太貴プロフィール】
名古屋大学文学部卒。専門は言語学。
某大手出版社で編集者として勤務。言語学の知識が本業に活きてるかと思いきや、そうでもない。
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#数の発明 #ゆる言語学ラジオ_数の発明
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【訂正】 22:46 fouth→fourth 【参考文献のリンク】 〇『数の発明――私たちは数をつくり、数につくられた』 amzn.to/2VRiRUp 今回の種本。ピダハン語研究で知られるダニエル・L・エヴェレットの息子による著作。数の発明にフォーカスする。 〇『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』 amzn.to/3yI9bKH 『数の発明』の著者ケイレブ・エヴェレットの父による、アマゾンの少数民族ピダハンのフィールドワーク記。キリスト教を布教しにいこうとしたら価値観揺さぶられすぎて結果的に神を信じられなくなり、妻とも離婚する羽目になった。 〇『人体-失敗の進化史』 amzn.to/2UeKaYD 耳の話はここから引いた。それ以外にも「出産は二足歩行と相容れないのでヤバい」みたいな話が出てきて楽しい。 〇『兄ふんじゃった!』 amzn.to/3AIm4VK ヤンキーくんが登場するマンガ。深読みオジサンはどうぞ。
保育士です。2歳ぐらいまでのこども達はよく「1.2.3.いっぱい」と言います…納得❗️
@user-nv4rw1kx8s
2 жыл бұрын
カービーのアニメでもワドルデュー隊長がそう数えてたな
@oozorahaomaenomono
2 жыл бұрын
ワドルドゥ定期
@NE-fy9cj
2 жыл бұрын
錦鯉の漫才でもまさのりさんがそう数えててこの動画見てから高度なボケだなと思ったw
@user-xq8fl6no2d
Жыл бұрын
かわいい 錦鯉が可愛いわけじゃない
そういえば日本語でも2人なら対談、3人なら鼎談と単語だけで人数が特定できるのに4人以上なら会談とか座談みたいなざっくりした人数表現しかできないなぁと見てて思いました
ニカラグア手話は70-80年代に聾の児童をひとつの学校に集めたら学校内で独自の手話が自然発生し、 それが独立した言語として体系をなしている「世界で最も新しく誕生した自然言語」ですね。 これだけで動画一本作れる激アツテーマでは。
@smily01188
2 жыл бұрын
これ結構前にテレビ(確か世界丸見えとか)でやってましたね。前に雑談回で話してた「言語の起源」に絡めた水野さんの見解聞いてみたいですね。
@oxcastletony3629
2 жыл бұрын
「それ、聞いちゃいます? 話せば長くなるんですけど」となるかと思ったんですが、知らない分野のようでしたね。
@maiya7112
2 жыл бұрын
それはやっぱり、言語は本能ということを示唆しているんでしょうか。
「野生状態の人間が生涯で出産できる子供の数は3人が限界だと言われており、それ以上の数を認識する必要がなかったのかもしれない(尚、他の生物は多産多死か嗅覚や聴覚でカバーする)」というのが、生物学ガチ勢だった妻の立てた仮説です。
個人的に、「拝」の右側に違和感を感じていましたが、 それは3までしか本能的に数えられないからかなとも思ったり
@absant2913
2 жыл бұрын
わかります!3本よりさらに一本多いという覚え方しかできませんでしたw
@user-hq9gv3ke7d
2 жыл бұрын
同じく、 「 華 」 の下部分が何本なのかいつも迷います
@user-nr8iw6yt9p
2 жыл бұрын
龍の右下も2画なのか3画なのか迷います
22:00 ローマ数字で4はIVですが、 時計の文字盤で使われる場合だけIIIIというのが使われています 理由として、14世紀のフランス王シャルルV世が、自分の称号であるVからIを引くのは自らの治世がすぐに終わるようで縁起が悪い、と時計職人に指示をしたのが始まりだそうです しかしそれが未だに採用され続けている理由は別にあって、枕元に置いた腕時計や、目覚まし時計を上下逆さまに見た時にIV(4)とVI(6)がわからなくなることを防げる為、今でもその形式が使われているらしいですね
1000(ゼロ3つ)までは認識楽だけど10000とかになると途端に難しく感じるのこれか
@hayakawa_mint
2 жыл бұрын
ナルホド、だから3桁毎にカンマを打つのか。
@user-nj2qz4ly6t
2 жыл бұрын
@@hayakawa_mint 天才
@user-zg4wf7ll7z
2 жыл бұрын
日本のナンバープレート4桁がXX-XXで区切られているのも、4桁は判読が難しくなるかららしいですね。
@ip7391
2 жыл бұрын
すげえ
@Emushi0000
2 жыл бұрын
少し昔までは、日本は4桁ごと単位が変わる際にカンマをうっていたようです。(万、億、兆) 3桁ずつカンマを置くようになったのは、外国語の単位が3桁ずつで変化することに由来するものみたいです。英語だとカンマより一番左側が1桁から3桁のうちどれか(one かtenかhundred)と、カンマが何個あるのか(thousandかmillionかtrillion)を見れば楽に理解できる仕組みになっていますね。 例えば、25,600,000は25million-600thousandと簡単に読めますよね。
人がLogの感覚で認知する話は聞いたことある。ライオンが1匹から2匹になると威脅の変化を感じるが、100匹から101匹になったとしても威脅の変化が前者よりは増えない。 だから倍数(Log、対数)の感覚で認知する…
@hayakawa_mint
2 жыл бұрын
そもそも人の感覚器官(視覚・聴覚等)の感度が対数なので、認知も対数なのは自然では?
@block1948
2 жыл бұрын
幼稚園の時、私は100まで数えられるようになり、「じゃあ」と、続けて199まで数え、その次は1000だと勘違いしてました。 200という概念がなかった。そしてそれを教わった時、1000まで数えるという道のりの長さに絶望した。
@ozzy1790
2 жыл бұрын
ウェーバー・フェヒナーの法則ですね。
@user-nm3xp9uy5k
2 жыл бұрын
照明の明るさの感知、音量の聞こえ方もそうだと教わったことがあります。
@hiron5375
2 жыл бұрын
たしかに、視覚や聴覚みたいな数値的に認識できない感覚は対数感覚だって知識はあったけど、概念的に数としてはっきりするはずの数量についての感覚も線形ではないのかもしれないですね。興味深い。
左 ← ここ → 右 前 ← ここ → 後 上 ← ここ →下 過去 ← ここ → 未来 って感じで3は本能的に認識できるのではないか
@user-nm3xp9uy5k
2 жыл бұрын
それは凄い発見かも!
@a7s75d4
2 жыл бұрын
「ここ」を認識できること自体が「ゼロの発明」みたいに画期的な気もします!
うちの息子は1〜20まで言葉で順番に数えられるのですが、目の前に並ぶ個数やサイコロの目の数を聞くと1,2,3は即答なのですが、4以降は「ろく」「なな」「はち」などあてずっぽうに答えます。なんとなく4の壁があるのだなぁと感じていました。
『妻を帽子と間違えた男』というノンフィクションの中で発達障害で算数もろくにできないのに落としたマッチ棒の数を一瞬で把握して勝つそれを因数分解した数の組み合わせで表現した人が出てきて作者がそれを「数を見る」と表現していました。数は見ることができないものというよりも私たちに数を見る能力がないのではないでしょうか。
臥薪嘗胆のもとになった漢文で「三戦三北」って表現が出てくるんですけど、これは「3度戦って3度敗れる」という意味ではなく「何度も戦って何度も敗れる」という訳し方をするらしく、これは三をたくさんという意味でとらえてるんじゃないかなーと思いました
@user-fo2nv4wg3k
2 жыл бұрын
これ!高校のときにそう習いました。 三には何度もという意味もあるよと。
@moganosakana
2 жыл бұрын
再三とかですね
@menachite5073
2 жыл бұрын
「烽火三月に連なり」
@user-kx7yg3sc7q
2 жыл бұрын
一日三秋もね。
テレビゲームが好きなんですが、ゲームの開発者が複数人で協力するゲームを開発するためにデータを集めてたら、どうも多くの人は、味方が3人までならどこにいて何をやっているのか把握出来るけどそれが4人になると一気に全部わからなくなるという結果が出たという話を思いだしました
@user-jd7ms8il8d
2 жыл бұрын
だからスマブラの4人対戦はあんなにエキサイティングなんですね
@user-or3fg1ei6r
2 жыл бұрын
この前ボンバーマン3人でやったらクソつまらなかったのはそれのせいかもw
@udonno-ura1015
2 жыл бұрын
8人対決はもはやカオスの領域だったのだな…
@user-nm3xp9uy5k
2 жыл бұрын
東西南北・前後左右までは慣れれば大丈夫かも。ただ、自分を入れて4人までの認知が限界だと思う。
@22sota45
2 жыл бұрын
ワールドトリガーのチームも4人チームは少ないのはオペレーターの負担が大きいから…
「赤ちゃんビビらす実験」の語感がいい
尿道ゆるいラジオでも僕は聴き続けます!!
@user-hc3mz7ox7q
2 жыл бұрын
1:52 尿道ゆるいというか、うれしょん する感じなのかな?
@user-eg5gn2ji7z
2 жыл бұрын
どんなラジオだ…。 尿道を先にするから変になるのだ。 本来ならば、ゆるい尿道ラジオだろ。 …ヤバwwww ゆるい尿道ラジオっていう名のラジオの視聴率ってめちゃくちゃ高くなりそうで困る…
漢字でも数の表現として、1は「単」「独」、2は「対」「双」、3は「鼎」がありますが、4以降は寡聞にして存じません。 また、勝手な妄想ですが、それぞれ1,2,3を表す漢字の種類は1が最も多く3が少なかったりしそうです。
出典どこだか忘れたが、人類が獣を追い回していた時代から「3」という数字が深く関わっていたと聞いたことがある。 基本狙うのは体格の小さい子どもだが、その親(雄親、雌親)に襲われないよう狩りをしていたため、標的+親2頭の計3頭の動きはしっかり認識できるようになった。しかし4頭以上は「群れ」の可能性が高く、親以外の成獣に襲われるリスクが高くなるから相手にしなかった。 うろ覚えだが、「3」と「4」の認識の違いはここから生じているかも。
@user-fc1xm9zh5f
2 жыл бұрын
なるほど つまり3以下は区別する利点があったが、4以上は特になかったということですかね
@chachachachamy
2 жыл бұрын
@@user-fc1xm9zh5f 4頭だろうと5頭だろうと10頭だろうと、自分が死ぬ可能性が高いから狙わないと線引きしていたのかもしれませんね。まさに「1,2,3,たくさん」の感覚ですね。
今回も面白かった〜 次回待ってます🥰
漢数字とローマ数字の下りで そういえばアラビア数字を描く時の位取りのカンマも3桁づつだよなと思いました もちろん印欧語の桁の上がり方が10^3ごとにだから何でしょうが 人間の認知としても3桁づつで区切ったほうがわかりやすいというのも根本にはあるかもしれないですね
【新語・流行語】(私選・加除歓迎) 0:11 エヴェレット 1:52 失禁しかけました 13:31 赤ちゃんビビらす実験 18:19 あの、全く関係ないんですけど 18:45 やべ「いぬまるだしっ」が干渉してくる 19:05 「兄ふんじゃった!だ」「兄ふんじゃった!!!」 21:00 深読みオジサン 21:35 「4は?」「スゲェ!」 21:44 「ホントだ!」「説明してあげて」 25:23 今ちょっと僕上の空だったんですけど 25:27 ポケットモンスターピダハン 27:48 もう次が気になってしょうがない
ポーランド語を学んでいた者です。 ポーランド語でものを数えるときは 1+単数形 2.3.4+複数形 5以上+生格(イメージ的にはいっぱい)と 4までが別扱いになります。 3までルールとちょっと外れていて、おっ!となりました。 ポーランド語はロシア語と似ているのでロシア語系はもしかしたら4で区切りをつけているかもしれないですね。
気になってピダハンの本読みました😊 いつも通な話にクスッとしながら聞いてます。 個人的にはカタルシス英語が好きです。 インテリ慣用句ゲームも、お二人の嬉しがりのキャラクターが垣間見れて 面白かったです。
おみやげか何かでお菓子を買う場合、1ホールのケーキではなく4つのショートケーキセットの方が、たくさん買ってきたように見えてウケがいいからそうしなさいと、昔ばあちゃんが言ってたのを思い出しました。 根拠のないおばあちゃんの知恵袋ではなくちゃんと人間の本能に基づいた知恵だったんですね。
@block1948
2 жыл бұрын
4は縁起が悪いので、3か5にしなさいともいわれました。
@at5605
2 жыл бұрын
@@block1948 4が死を連想させて縁起悪いという突拍子もない論はどこで生じたんでしょうね。
新シリーズ楽しみすぎる。
1,2,3の特別感!面白い! コメント欄も見させていただいてますが、みなさんの考察なども面白いですねー!
『兄ふんじゃった!』の話が出た時点で、反射的に高評価。
数の概念は直感的には整数10までは理解できると思ってました(指が10本なので)。 first、second、thirdの下りは1、2、3、沢山を聞いたときに最初に思いました! 追記 昔、バイトでレジをやってるときに4~6千円までのお札のお釣りは、3・3、3・2、2・2に分けて見せると目の前で数えなくてもスムーズに進むってのを習いました。これも、パッと見では3までが限界ってのを示唆してる気がしますね。
ニカラグア手話は言語の発生としてアツいから是非取り上げてください! 音声言語を持たない手話話者は別の言語体系を頭の中に持ってというのもおふたりに取り上げてもらうと楽しそうです。
まってました!
最初の色のくだりの部分でクオリアについて思いをはせてました
定番の絵本「11ぴきのねことあほうどり」を思い出しました。 >(あほうどりが兄弟の数を数える時)「3ばと 3ばと 3ばと 2わのきょうだいでして」 というセリフがあり、あほうどりは3つまでしか数えられないということでした。小さい子どもの感覚を知っていたんですね。
ゆる言語学ラジオからゆる尿道ラジオ、そしてゆる文化論学ラジオへどんどん変化していて、とても楽しい動画でした。 次回へのヒキもとても強く、一日も早い次動画の公開を待ち望んでおります。
16:08 「少数を疎に並べたもの」と「多数を密に並べたもの」だと、多い方を選んでいるのか、密な方を選んでいるのかわからない疑惑。
@vittoriotabasco
2 жыл бұрын
私も「疎らな5個 vs 密な3個」も試したかどうかが気になってしまいました。
店に行って何人か聞かれたとき、3人くらいなら即答できるけど、それより多いと人数を数えないとわからないことってありますよね
この番組で数の数の話が出てくるとダースを毎回思い出します。4が生まれた後かとは思いますが、単位として沢山って意味から来ているような気がする。ダースも含めたグールーピンクする単位のお話しも聞いてみたいです。
これはまたおもしろいテーマですね。
dozen, duodecim, ダース(12, 12くらいの量)という数のセット概念がありますね。これは明らかに税や管理といった経済に紐づいて発展した。転じて、あいまいな数量感を表すときにも使われるようになった。
ようやく最新回に追いついた……と思ったら水野さんに髭が無いので、ここから生配信回近辺に撮り溜めした動画が随時配信されるんだろうなぁ。 本編の内容に関して言えば、人数を数える時は「ひとり」「ふたり」「さんにん」……なので、人は3が本能的に認識できる上限であり、2までは確実に認識できるんだろうなぁ……と思いました。
新聞配達をしていた時に、必要な数の新聞を数える時も3ずつ数えていましたね。 2、4、6、8で数えていた時に引き継ぎのおじさんが、3ずつ数えるのが早い、人間は3なら見てすぐにわかるからと教えてくれました。
ピダハンなら朝三暮四も「どっちでもいいわ」って一蹴しそう
@zoom-zoom2944
2 жыл бұрын
逆に3から4になった瞬間「めっちゃ多い!」とかいってと大騒ぎするかも
@user-wx9fz8cj8r
2 жыл бұрын
考え直すと、故事の中で猿は3と4の違いが分かってることにちょっと驚きますね
@zoom-zoom2944
2 жыл бұрын
猿は目先にとらわれる頭の悪い存在として描かれている…だが、猿は文化的習得なくして4を理解している… ぬおっ!
@Emushi0000
2 жыл бұрын
四を四として理解しているというより、むしろ多い数としてしか理解出来ないのかなと思います。 朝にどんぐり3つだと数えられるから少ないと文句を言うが、先に4つあげると突然数えられない圧倒的な数に喜ぶんじゃ無いですかね。 朝三暮四の逸話も結局のところは人間が考えたわけですから、数に関する人間の理解力を反映していると思います。
数の話は面白いですね、次回が楽しみです。 ちなみに、以前、四には亖という漢字があったと聞いたことがあります。
高頻度更新たすかる
冒頭のシモ言語学ラジオ好き
昔どこかで断片的に少しだけ聞いたか読んだかしたことのある話でしたが、体系的なお話を聞けたのは初めてです。非常に興味深い内容で勉強になりました。そこである考えが浮かびました。人間にとって、1から3までの概念は生得的だが、4以上の概念は、文化によるもので後天的に獲得するものだということですが、それは数に限らないことなのではないかということです。つまり、概念には、どの言語にも共通して存在する基礎的な概念(どの言語にもそれを表す言葉が通常存在する)がある一方、人が属する文化によってはじめて与えられる概念(その言語にしか存在しない言葉が創造される)があるのではないかということです。 世界の言語の中で、高等教育をその国の言語で行える国は少数にすぎず、開発途上国では、高等教育は英語が中心で、その他はフランス語、ドイツ語、ロシア語などに限られます。欧米の言語以外でその国の言語で高等教育ができているのは日本語ぐらいしかないと思います(中国語も明治以降の日本漢字の輸入によって可能になったのではないかと思います)。私はその理由として、江戸時代後半から始まり明治時代以降も行われた欧米語の大量の翻訳のために新たに創造された漢字語が大きな役割を果たしているのではないかと思うのです。そもそも日本語が漢字使用言語でなければ、恐らく翻訳は不可能だったと思われます。そして、日本における漢字の使用の在り方もこれに貢献したように思います。すなわち、韓国やベトナムと異なり、日本では多くの漢字には音読みだけでなく訓読みも作られました。訓読みは、その性格は大和言葉への翻訳だと思います。漢字に訓読みを作ったことにより、日本では漢字二つ以上を組み合わせて新たな概念を表す造語を作ることが可能になりました。訓読みがあることにより、漢字が組み合わされて新たに作られた造語の概念が理解ができたからです(もちろん最初は朧げながらだったのでしょうが、やがて時間が経つにつれて、数字の4の理解のように、日本語の語彙として定着しました)。そして中国の遺産である膨大な漢字が使用可能であったことにより、日本語は、ほぼ無限の造語力を手に入れたのです。これが日本で高等教育を可能している土台ではないかと思われます。もし平安時代に日本でカナが発明されたとき、漢字を捨てていたとしたら、幕末明治において、日本語への翻訳はほぼ不可能であり、他の開発途上国と同様、日本の高等教育も英語、フランス語、ドイツ語で行われることになったのではないでしょうか。そして日本は今日でも他の開発途上国と同様の存在に止まっていた可能性があるように思います。
4以上がパッと見じゃ分かりづらいっていうの遊戯王カードで似たような感覚がありますw 遊戯王のルールではモンスターのレベルは4が重要な位置付けにあるのでそこまではパッと見でも分かるのですが、5や6以上になると一旦数えないと星が多くて数を認識できない事が新カードを見た時に多々あります
コンテストや競技会なんかで表彰されるのも3位迄っていうのが結構ありますよね。 1位が表彰されるのはわかるとして、2位と3位が特別視される理由が不明瞭なのに、何故かあまり疑問に思ったこと無いんですよ。 3迄が自然に理解できるのって、3点を結ぶと初めて平面(三角形)ができて、4点になると立体(三角錐)が出来るなんてのも関係あったりするんでしょうか。 案外人間が空間を処理する時も三角形の平面を連ねた形状を計測しているのかも……なんて感じの妄想が出来て個人的に楽しい回でした。
この動画見て4のヤバさを保育士の妻に語って聞かせたら、「親指だけたたむ動作が難しいから4を理解するのも難しいんじゃない?」って言われて目からコンタクト落ちた。
8:30 水野「ホイなんだけど声調が違うんですって」 堀元「ホイホイホイホイ」
そうですね。私も若いころは虚数(二乗して負になる数)は「実在」しない数だと思っていたのですが、そもそも数はすべて抽象的な概念なので、実在しているわけではないと言えます。そう考えると、虚数というのも数の持つ性質(計算ができることと、その規則)にもとづいて拡張した概念なので、数として自然に受け入れられるようになりました。
ジョジョ6部、ミューミューが使うスタンド『ジェイル・ハウス・ロック』を思い出しました笑
@neon1683
2 жыл бұрын
同志がいて嬉しい
元麻雀プロですが、昔は相手3人との点差を暗算・暗記しなくてはならず、空想電光板でやってました。 相手が3人までは何とかできるみたいです。
16:56 幼稚園児の頃に小学校受験を経験したんですが、「小豆や賽の目を素早く数える」ような課題がありました。 受験塾で教わったやり方は、1〜4くらいはすぐに分かるとして、それ以上の大きい数に関しては、5なら「2・2・1」、7なら「2・2・3」のように、2ごとに数えていく方法でした。 園児が数えるためには本能的な何かを使うんだと思うので、この話と近いですね。
人間が3までは本能的に理解出来るのは納得感ありました。 ただ、人間は指が5本あるのに(ピダハン達が)4や5を認識しづらいのは不思議だと思いました。5までなら数えられそうなものなのに。
GUIのデザインにおいても同時に提示された人が選べる選択肢の限界に関する知見があったりします。こういった話を伺うと如何に知識や学問に敷居を設けることの弊害を感じますね
3まではいけるの話で漫画は漫画でもジョジョのジェイル・ハウス・ロック(4つ以上の物事を覚える事が出来なくなるスタンド)を思い出しました。 というかジョジョの中のこの話は最後、解決する方法は『水溜りに映る風景を一つのものとして把握する』っていうものだし、何か恣意性とかに関する深い示唆を与えてるような気がしてシリーズを通して特に好きな回です。
11:30 ここの例えすごいわかりやすい
@official_dog
2 жыл бұрын
すごくわかりやすい
心理学で短期記憶は7±2チャンクって習ったし肌感覚でも納得してたから、今回の話は不思議だったけど 調べたら2000年以降の研究で4±1説も出ているみたいで、まだまだ自分の知らない世界はあるんだなって楽しくなった!
@mizutansan594
Жыл бұрын
それは「そこにある個数」ではなく「意味のある文字/音の内容を覚えられる数」じゃないかなあって。「7個の丸の数を数えずに覚えられる、把握できる」って「見たまま覚える=直観像記憶」という別の能力かも。チンパンジーはこれが得意みたい。
3という数は安定を意味するって聞いたことあるな。 天・地・人、現在・過去・未来、陸・海・空、数の占いでも1はリーダー、2は補佐、3は安定の意味があったような。そもそも1〜9までが3の倍数だし。「3人いれば社会」の言葉も。 本能的感覚的に、3つで一まとまりになってるんでしょうかね。それ以上はなんか多い、と。
うぽつです。 RGBは確かに「赤」みたいなくくりに比べれば多少具体的かもしれませんが、それでも256^3しか識別できていないし、条件によって人が認識する色は変わるはずです。 色は心理物理量なので見る人によっても変わります。 また、人間が3色型色覚なだけであって動物には5原色とか認識できるのもいるようです。 表示するモニターや設定が異なれば発せられる可視光線の波長も異なるでしょう。 それを同じとみなすのは色空間によって抽象化されていると言えるのではないでしょうか? 自分が考えていることをうまく伝わるように言語化するのって難しいですね。
RGBの話から始まる話題の綱引きがどちらもめちゃくちゃ強くて笑っちゃいました ボキャブラリーがムキムキですね!
5:00 RGBは256の数で表されてるけど、例えば220と221の間の色だって存在する だから例えば(100,120,150)というふうに“ピンポイント”で指定したとしても、それは厳密にはピンポイントではない
@minami_alinko
2 жыл бұрын
「220と221の間の色」は物理的に存在しますが、24bit色は人間の色識別能力よりもはるかに細かいので、堀元さんが「ピンポイント」という言葉を使うのは特にツッコむようなところではないような。
@sin-YA
2 жыл бұрын
@@minami_alinko なるほど 確かにそうですね!
@nbtk193
2 жыл бұрын
水野さん:色の形容や単語の選択には恣意性があり、同じモノをみんなが同じ単語で表すわけじゃない ↑ミスターホリモト:RBG数を指定でいえばズレない(キリッ ↑ピダハン:RBG何それ?イビピーオじゃないから分からない。
5:23 Rを128段階に切り分けていることは恣意性がありますよね
@user-fc1xm9zh5f
2 жыл бұрын
コンピューターで扱うために2の累乗にしているし、2の累乗の中でも人間が区別できるギリギリを狙って128にしている(って感じだった気がする)
@francescogatti3002
2 жыл бұрын
そして分けたところで、見る環境によって異なってしまうという不規則性もありますね。
サイコロが一列に3つまでしか点がない(⚀⚁⚂⚃⚄⚅)のも、人間の数の認知と関係あるのかもしれませんね。
最小の合成数が4なので4以上は一つのものとしてみるのは難しい?とか 巨大数では一番小さいクラスであるクラス0に属する数は0~6で、人間がぱっと見で理解できる数は6までとされているがそこにも境界はあるのか?など 色々と深読みしてしまう面白いテーマで聞いていてとても楽しかったです。
「目の光を受容する細胞は3種類あって云々」の話ですが 赤色を受容する細胞だけ、血液型のように何種類かの型があって 人によって受容できる赤の波長が微妙に違うようです。 また、まれに4種の光受容細胞を持つ人もいると聞いたことがあります。 女性に多いそうで、他の人より細かな色の違いが分かるらしい。
@nara3178
2 жыл бұрын
最近観たTVで、錐体細胞が2種類の人が男性に多いのは、狩猟をする時に獲物を正しく認識しやすいという利点があり、女性がたまに4種類の錐体細胞持つひとがいるのは、熟した果実を見分け易いということがあるそうです。 へぇーと思いました。
@user-hm9qc2rs1e
2 жыл бұрын
@@nara3178 浅学で恐縮なんですが、「女性がたまに4種類の錯体細胞を持つこと」と「熟した果実を見分け易いこと」の間にはどんな因果関係があるんですか?
@pcm298
2 жыл бұрын
@@user-hm9qc2rs1e 4原色は紫外線も見えるから紫外線の反射率が違うのかも
@user-hm9qc2rs1e
2 жыл бұрын
@@pcm298 ? 紫外線を見ることができる人がいるということ? そんな話あり得るの?
@nara3178
2 жыл бұрын
@@user-hm9qc2rs1e たしか、赤を感知する細胞はX染色体上にあって、片方のx染色体がいわゆる色覚異常のキャリアだと、赤の見え方の幅がひろがるらしいです。 4種類だからよくわかるというわけじゃなくて(ごめんなさい間違いでした)、2種類しか働かないと、果実などの色を見つけ難かったのでは?というような話でした。(太古の狩猟採集時代に生き残り易かった説)
コインを任意の枚数、机の上にだした時、3枚までは一発で認識できるけど、4枚以上は1と3で4枚とか2と3で5枚などと認識していることにハタチ頃気が付いて感動したことを思い出した。
ヤンキーくんに漱石の三つ目の本として三四郎を読ませて脳をバグらせたい
わくわくどきどきが止まりません。知人にもこの動画をお勧めしておきます!
4:24 〜 色のお話、ぜひ別の動画でやって欲しいです! クオリア?的な部分も解説して欲しいです。
もし5まで本能で分かる生物だったらオリンピックとかも5位までメダルがあったのかもしれないなと思いました
いつも楽しく拝見してます! (他の方も仰ってるかも知れませんが、) 『明日、明後日、明明後日』より先は『4日後、5日後、、、』となるのも同じかも知れないと思いました!
髭剃り前の動画もこれから混ざって出てきそう!紀元前、紀元後みたいに分けられるかな。
@sion3697
2 жыл бұрын
ひげン前、ひげン後
23:05 1,2,3だけが特別の反例としては、アメリカやヨーロッパで使われる画線方があると思いました。4までが縦の棒で、5から斜めの線が入ります。
次回がめちゃくちゃ気になる……
5:35 ここで理系と文系がお互いに譲らないの好き過ぎるw
1.5倍の話と I II III IV の話は一つにできますね。2→3 までは1.5倍だけど、3→4 以上は1.5倍以下になってしまう。 比率で認識してるんだなあ。
「ビビらす実験」と聞いて不安になったけど、「釘付けにする」という意味で安心した。
1=私、2=あなた、3以上=みんな or 常に(常識)、みたいな感じで複雑な人間関係や計画的な数量を扱う必要がない社会なら数の表現体系が発達しないとはならないでしょうか?
KZreadにあったピダハンのドキュメンタリーで見ましたが、4つ以上の釣り針が並んだときに数を聞かれて、ピダハンのおじさんの顔がなんとなく怪訝そうな表情になっていたのが印象にありましたが、そう考えるとなんとなく納得してまいました。 single, double, triple Primary, secondary, tertiary なんかも、それ以降は語彙として存在するけど、あまり見かけないのは本能的に使いづらいからでしょうかね。 他の語彙だと、 対談 :二人で話すこと 鼎談:3人で話すこと 4人以上は会談でひとくくり? 中国とかだともっと語彙があるのか気になる。 キリスト教のトリニティ、trinity 三位一体も、4つ以上は認識しずらいから、もし4位一体な理論を元にする宗教だったらここまで広がらなかったかも、とか考えてしまいます。
やばいこの動画マジで面白い 見る前はちょっと長い動画なんかなぁと思ったのに、一瞬で見終わってた(笑)
数学者の岡清さんは、数学というのは人間が納得できるものを数という言語で表現しているだけだという趣旨のことをおっしゃっていましたね。方程式も一種の言語。一般的に理解するためには何語かの言語に翻訳する必要がありますが。
指は5本あるので5までは認識できるのかなあと思っていましたが、それも一旦「物の数」を抽象化して「指の数」と対応させるという高度な思考が必要だということですね。 ”抽象化を恐れないでください”ですね!
いつも楽しく拝見させていただいてます!言語とITというお二人のバックグラウンドの境界領域の話としてグーグルが発表したゼロショット翻訳の話をして欲しいです
人間の他にも数えの実験はありまして、カラスやイルカなんぞでも実験されていて面白い
自分趣味でマジックやってるんですけど、一度かんたんなマジック(何かが消える)を赤ちゃんに見つけたとき、かなり長く見つめてくれました
ゆる言語ラジオのコメント欄は、凄く丁寧な口調で、長文が多い気がする すげーなー
ホンマ、毎回おもろいなあ
数の認識ができるのは人以外にカラスなどの鳥類が存在します。(蜂などの昆虫も認識できる説もあります) カラスは4までの数を認識できます。 その実験として狩人を使ったものがあります。 狩人が2人来て1人だけ帰って、もう1人がかくれている場合、2-1=1でまだ1人の狩人が残っていることがわかるので巣から出てこないようです。 これを3-2、4-3と増やしても同じように巣に篭ったままだったそうです。 しかし、5人来て4人帰ったときカラスの数認識の限界を超え、憐れカラスは巣からとびたってしまいました。 他にも巣から卵が盗まれる時も5-1は気付きませんでしたが、4-1はそれに気付き怒るようです。 カラスにも劣る数認識しか持たない人間が、どのように4を得てカラスに並び、5を得てカラスを超えたのか次回のゆる言語学ラジオがとても楽しみです。
@fugetsubeats
2 жыл бұрын
逆に人間はなまじ『数字』や『数える』という行為を会得してしまったから、それに頼ってしまい認識がカラスより劣ってしまって、 もしかしたら、もっと多くの数を『数える』ことなく認識できる他の動物とかいるかもしれませんね。
1+1=2の証明のことを思い出しながら動画を見始めたら、全く違う内容だった。 0の発見か発明かは0の概念や表現、演算のどのことを論ずるかによって変わりそう。
今井先生ゲスト会から復習しに来ました。2人の距離感が付き合いたてのカップルかのようなドギマギ感がまだ残ってる気がしてとてもよい(そこじゃない)。
@HANEKAWAhaorenoyome
2 жыл бұрын
自分も復習しに来ました 今井先生の新刊がKindleになるのを待ってる状況ですw
19:04 漫画繋がりで、ジョジョの奇妙な冒険第6部にはジェイル・ハウス・ロックというスタンドが登場し、その能力を受けた者は「3つの事柄しか新たに記憶できない」状態にされます。 文化的に4以上を識別出来る者を、生得的に持っている認識レベルまで落とす、と言えるのかも?
鳥も3個までしか数を認識できない、みたいな話を聞いたことがあります 巣の卵の数が4個以下になると騒ぎ出すけど、6個が5個になっても気づけない、というような 共通のものを感じてなんだか不思議な気持ちになりました
@fugetsubeats
2 жыл бұрын
人間に限らず、すべての動物に当てはまることなのか気になりますね。 人間にも難しいのに鳥には難しそうですね。と、とっさに思ってしまいましたが、、 もしくはむしろ逆で、動物は数字や『数える』ということに頼ることができないから、4つ以上を容易に認識する動物とかいるのかも、と妄想が止まりません笑
次の回・・・・気になりすぎる。夜しか眠れない!
兄ふんじゃった懐かしすぎるwwwなんかたまごっちみたいな背後霊いたよなwww
漢字で、 そもそも漢字の中に4本の横棒が並ぶことは結構稀ですよね。 耕の、偏ってなんか変だなって、 忘れるなぁって、思ってた理由がわかる。
初めてみたんですが、四千頭身 都築とミキ 亜生が対談してるのかと思いました。笑 めちゃくちゃ話面白かったです!
いつも刺さりポイントがあって、楽しく観させて頂いてます。NHKスペシャルか何かで「時間とは何か」っていうのをやっていた時に「「時間」を表す言葉を持たない部族がいる」っていうのを言っていたと思うんですが、そのとき紹介してた部族がたぶんピダハンだったのかなぁと思います。「時間の言葉がない」=「時間の概念がない」ということなのか?この部族に時間の説明は可能なのか?というようなことをうっすら思ったりしたんですが、最近は「時間の概念」の「概念」の方が、「そういえば私はいつ概念という言葉の意味を理解したんだろう」なんて考えてしまいます。なんとなくですが「概念」という言葉の存在を先に覚えて、「ああ、こういうのを概念ていうのか」って意味の理解の方が後からついてきたんじゃないか、ってなことを思ったりしてます。
10個ずつものを袋詰めする作業してた時、5の集まりを2つ作って10を数えてたんですけど、 5を作るときは2と3の組み合わせか1と4の組み合わせで認識してたつもりだったので 4まではぱっと見でわかると自負してたのですが これ見て実は4は2と2の組み合わせで認識してただけだったのかもと思いました。
@user-fp1vb9xs2d
2 жыл бұрын
三角形も四角形も「一つ」として認識できるので、4は数として認識していたのではなくて四角形が一つとして数えていた可能性がありますよ。図がないと伝わりづらいかもしれないですけど、、、
@user-mu6xg3kg8j
2 жыл бұрын
@@user-fp1vb9xs2d なるほど、もののある場所を無意識で頂点ととらえてたかもってことですね!テーブルの上に広げて数えてたのでありえそうです。
@francescogatti3002
2 жыл бұрын
これを考えると12進数、ダースってのが使いやすいって思ったりもします。3.3.3.3って数えたら12になるけど、どうやっても2.3.2.3って数えて10を作るのは高度そう。銀行員は昔、お札を2.3.2.3で数えていたらしいと聞いたので、ついそれを思い出しました。
@user-mu6xg3kg8j
2 жыл бұрын
@@francescogatti3002 2,3,2,3,は手がもたついちゃいそうですね>< 10ってあんまり使い勝手いい数字じゃないですよね~
一人称(わ)、二人称(か)、三人称(よ)も同じ発想ですね。 広告が「腓( )返り」漢字の読み、さすが!と思ったら健康系だった(笑)