秋田県民歌3番が歌われなくなった意外な理由
成田為三が作曲した美しいメロディを持つ秋田県民歌。今回は、現在は歌われることの無くなった3番の謎について迫ります。その理由には戊辰戦争が深く関わっており、鹿角に住んでいると度々聞く南部藩佐竹藩問題について切り込みを入れていきます。
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鹿角市移住コンシェルジュ 眞鍋雄次の部屋
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戊辰戦争では血で血を洗うすさまじい光景があったはずですが、それを乗り越えて今は冗談で語れることは素晴らしいと思います。 世界を見れば百年千年前の因縁で未だに対立もあります。 戊辰の直後はきっと秋田でも色々な対立や差別、妥協したり我慢したり泣き寝入りしたり・・・を乗り越えてくれた先祖に感謝します。
秋田県人ですが、知らなかった情報で大変勉強になりました。様々な歴史があろうかと思いますが、県民歌として歌うには一方に偏った戦争の経緯、宗教的観点を表現するのはデリケートな部分といったところですね。過去の人類の歴史を見ると主さんのおっしゃる通り、勝てば官軍で勝った方の正義がまかり通る世の中となってしまいますが、それでも弱者や少数者に対して暖かい世の中であって欲しいと願うばかりです。 さて今年は三年ぶりの大曲の花火。1番と2番を会場で楽しく歌いたいと思います。
わかりやすかったです
鹿角は南部藩だったんですね。秋田県民歌の3番、なるほどビミョーですね。
2番の歌詞の地下なる鉱脈無限の宝庫っていう歌詞の意味を中学の時に社会の先生に聞いたところ「昔は鉱山で結構採れてたらしいけど今は無いらしい」って言ってました 少し曖昧ですけど💦
1:11 正しくは、しんえんですね。 戊辰戦争の件についての歌詞なので歴史上の問題になってたんですね
面白い
私は他縣(府)民やけど、歌詞全部暗譜で歌へるが。 カラオケの時はまう、爆音。(大眞面目なんやけどさ)
情報をうまく整理して分かりやすいですが、客観的過ぎて人間味が感じられないのが残念です。ユーの立ち位置はどこやねん?と言いたいぞなもし!
国学について 平田篤胤の国学では 天皇は神の子孫のみならず日本民族全てが神の子孫として居ます そこでは官軍も旧幕府軍もありません
鹿角の人から言わせるときりたんぽは秋田料理でなく南部料理と言っておりました
しつこくてゴメンナサイ、深淵×→信淵〇です
海坂藩
ちゃんと調べてからアップしよう
秋田って正直。 きりたんぽ鍋、秋田美人、 米の美味さ、甲子園での秋田経法の1年中川投手しか知らんのや。 観光客嫌いですか?