慶太がお空に帰る前に「最後の写真を撮りたい」 母に抱っこされた14歳 400枚の思い出遺して

14歳の少年が4月、この世を去りました。チューブで栄養を摂取するなどの“医療的ケア”を長く続けていました。新型コロナの影響で院内での面会ができないなかで、何とか最後の家族写真を残そうと、様々な人たちが協力しました。
◆4歳での食中毒で… 「命の危機」何度も乗り越え
北九州市の石崎慶太さん。2023年4月、腎不全のため、14歳の若さでこの世を去りました。
母親の石崎綾さん「すごい活発な子で、妹思いで」
石崎家の長男・慶太さんはゲームやアニメが大好きで、妹思いの優しいお兄ちゃんでした。しかし、4歳のころに食中毒になったことをきっかけに、口から栄養を取れなくなり入院生活を余儀なくされます。
石崎綾さん「口からご飯を食べられなくなって、鼻からチューブを入れていたんですけど、切り替えを1週間に1回しなきゃいけなくて」
帯状疱疹や肺炎などの様々な症状で度々状態が悪化しながらも、家族や医療スタッフに支えられ、命の危機を何度も乗り越えてきました。
◆新型コロナで面会すらままならなく
ところが、2023年3月――。
石崎綾さん「『治療方法がないから、もう慶ちゃん家に連れて帰ってもいいよ』と言われて。『今回も乗り越えられるかな』と思ったんですけど、ダメで……」
残された時間で、慶太さんと何ができるのか。実は、この3年間は新型コロナの影響で面会すらままなりませんでした。
石崎綾さん「状態がかなり悪かったんで、最後に写真を撮りたかった。生きている間に形として残したくて」
◆『抱っこして、写真を撮りたい』母の一言
石崎さんが、病院のスタッフを通じて撮影を依頼したのが、北九州市を拠点に活動するボランティア団体「muikku」です。障害がある人や家族の写真を撮影する団体で、スタッフはみんな障害がある子供がいます。設立からの3年間で、これまで44家族を要望にあわせて撮影してきました。代表の上原藍さんは、事前に石崎さんからお願いされた「ある一言」が印象的だった、と話します。
muikku 上原藍さん「『どんな写真が撮りたい?』と聞いたら、『抱っこして撮りたいです』とおっしゃられて。お母さんの思いがぎゅっとつまった、一文ですよね。叶えることができれば、少しはお母さんと慶ちゃんの気持ちに寄り添えるのかな、と」
◆体調の急激な悪化…「何とか早く撮影を」
撮影会は当初、慶太さんの誕生日の6月に予定されていました。しかし4月に入り、慶太さんの体調が急激に悪化します。当時は新型コロナの分類が5類に引き下げられる前で、患者の家族などが病棟に入ることが制限されていました。
撮影会を前倒ししようと奔走したのが、慶太さんとともに約10年間過ごしてきた病院のスタッフでした。
国立病院機構小倉医療センター 病棟保育士 柴田優子さん「もうすぐお空に帰って行く子供がいて、そういう時に(撮影を)受け入れてくれた先生だったり、スタッフだったりの決断が、スムーズにいったきっかけなのかなと思います。それだけみんなに愛されていた」
医療スタッフたちの尽力によって、主治医から撮影会の許可が下ります。
◆「抱っこした瞬間、片目だけ開いて私の方を見た」
当日は、撮影スタッフたちの声かけもあり、和やかな雰囲気で進んでいったといいます。
石崎さんは、久しぶりに慶太さんに触れることができました。長年、一緒に過ごしてきた病院のスタッフたちも、慶太さんを笑顔で囲みます。人工呼吸器を外して慶太さんを抱っこする願いも叶いました。
石崎綾さん「それまで目を閉じていたんですけど、抱っこした瞬間に片目だけ開いたんですよ。私の方を見てて、めっちゃうれしくて。なかなか目をもう開けてくれなかったから」
muikku 上原藍さん「『慶ちゃん、わかっているんだね』と周りのみんなが…。『やっぱりママが一番いいよね。抱っこされてよかったね』って、すごくあたたかい時間がその時に流れていて」
◆「懸命に生きた証」400枚
3時間で撮影された写真は約400枚。慶太さんが息を引き取ったのは、この撮影会からわずか4日後のことでした。
石崎綾さん「保育士さんとmuikkuさんには、感謝しています。その場の雰囲気を和ませてくれるというか。けっこう厳しい状態での撮影だったんですけど、写真に残せてよかったです。『慶太が頑張った証になったな』と思います」
様々な人たちの協力によって実現した撮影会。「慶太さんが懸命に生きた証」は、人々の胸に生き続けます。

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