判断ミスを犯した教員たち→修学旅行が最悪の思い出に... 「福島県女子師範学校遭難事故 1926年」【地形図で解説】
Ойын-сауық
今回の事件は、修学旅行中に起きた悲しい悲劇です
145名という多くの女子生徒が遭難してしまった珍しい事件ですので
この事件が皆様の安全な登山へのお力になれたら嬉しいです!
ぜひ最後までご覧ください。
このチャンネルでは過去に発生してしまった山岳遭難事故を【地形図】を使用して解説し、事故の再発防止に役立てていただくことを目的としています。
※動画内の事故の関係者を冒涜する・侮辱するといった意図は一切ありません
【使用画像素材】
いらすとや:www.irasutoya.com/
Google Earth:www.google.co.jp/intl/ja/earth/
【使用音源素材】
音読さん:ondoku3.com/ja/
【参考・引用資料】
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%...
「福島県女子師範学校遭難事故」
【新チャンネル】
▼登山安全対策委員会2nd(いらすとや)
/ @map-sangakusounan2
※その他、各コンテンツや記事・ブログ等の情報も参考にしている場合もあります。
#遭難
#登山
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遭難事故は季節問わずテレビで特集してほしい…
こういった犠牲から今の我々は多くの教訓を得ているんだな。
雨具、防寒具、悪天候での続行を決めた教師Aの責任は非常に重い
@Chu2007pae
5 ай бұрын
この当時そこまでの判断が出来る人材は少なかったと思われる。
山を甘く見たらしっぺ返しを食らうことを知るべきですね。雨降りの登山てどこが楽しいのかと思う。
よく言われる事だが「引き返す勇気」も必要。それも大きな学びになる。
約100年前か、、無謀すぎるな
中学の修学旅行で小雨降る中で磐梯山登ったけどハイキング的なノリで登り始めたら上の方はかなり危険な崖があって足を滑らせる生徒もいたり事前に説明がない状態だと事故が起きてもおかしくないなと思った 150人くらいの生徒に先生が10人とガイド2人くらいで統率するのも厳しそうだった 運動部じゃない生徒も含まれているし生徒たちの体力差があるとこの動画のようにバラバラになってしまうんですよね 座り込んで動けない生徒も出てきていたし
@Chu2007pae
5 ай бұрын
師範学校の生徒なので将来教師を目指すものばかり、ある程度体力にも恵まれていたし、高倍率の入試を勝ち抜いた頭脳明晰なものばかりだったのでいたずらにパニックにならず冷静な判断が出来たものである。今の安全基準では生徒20名に引率1人ぐらいつけておかないとだめだろう。
当時の雨具、防寒具は今と違って重かったからね‥ ならそれを持って初心者向け登山で良かったのでは。
例え夏でも山は平地とは別世界。 9月の高地なんて雨が降ればストーブが必要なレベル。
@user-dl3ms1cx6z
6 ай бұрын
年代を考えたら雨具など重量があることを知るべきです‼️
@user-no1kl9lb6h
5 ай бұрын
100年前の雨具なんてね
@user-wm1ot1mb4f
5 ай бұрын
確かに昔の雨具は現代の物と比較をすれば重さはあります(趣味で旧陸軍の雨具を持ってました)が雨具か重いとかは問題にするべきことではないでしょう。 逆に時代を問題にするなら、風邪から肺炎になるなんて事も珍しくなかった時代ですよ。昔の陸軍士官学校ですら、雨天の日は屋外で駆け足をさせなかったなんて話を読んだことがあります。軍隊ですらそんなですから、雨具を持たないなら雨天中止にするべきだったと考えるべきでしょう。
@Chu2007pae
5 ай бұрын
その通りで、悪天候が予想される状態で登山決行の判断を下した教師陣にも問題がある。オレが学生の頃、奈良の葛城山の雪中登山の遠足があった。登山口に到着したら雨、決行するかどうか判断に教師が迷う中、一人の若い教師が強硬に登山に反対、地上では雨だが頂上に達したら雪、体がぬれた状態で低温状態になったら命の危険があると。彼は自分のクラスは登らせないとまで言い切り、結局登山は中止。後で聞いたら彼の叔父さんが大学時代山岳部で昔、山で遭難、命からがら帰ってきたことがある、山を甘く見てはいけない。という事で、そういう事だったのかと納得したものだ。
かなしいなぁ…
B先生有能。
B先生あんま人気ないのかわいそうw
「雨具を持って行くと荷物になるから必要ない」という発想に誰も疑問をもたなかったのが恐ろしい…
@user-dl3ms1cx6z
6 ай бұрын
この時代ではナイロンなど当然ありません❗ 雨具が重量があり、かさばって荷物になることは想像にかたくありません❗ 登山を甘く見たことは否めませんが現在の感覚で語るべきではないと考えます‼️
@user-yt5nz3yg2w
6 ай бұрын
当時の雨具や防寒具って蓑とか笠でしょうし
@user-bt6ve8jf3l
6 ай бұрын
時代が(笑)1926とか、戦前でやっと国民の普通選挙が始まったような時代だから…情報すらないでしょうよ
@xtm_1234
5 ай бұрын
教師の言葉だし、面倒だったのだろう。 当時のカッパなんて想像もつかない。
@DR-hi3pc
5 ай бұрын
時代が違う 理解しようや
やっぱり直前のルート変更はあんまよくないな…
4月9月は神宮球場のナイターでさえ、 ちょっと強い風が吹くと2時間も座ってたら体が固まりそうになる程、寒い時がある 小雨なんか降ったら7月の夜でも凍えそうな日もある。 都会の真ん中でさえ、吹きさらしだとそうなるのに ましてや山で雨具と防寒具無しはありえないと思う
1926年(昭和元年)は第2次世界大戦が始まるより更に前で インターネットどころか携帯電話も無い時代です 今は2024年なので、ほぼ100年前の事故ですね 当然、気象衛星なども無く 気象予報の精度も今とは比べ物にならないほど低いものでした 「風雨やや強し」なんてアバウトな物であっても、それを信じるしかない時代です 確かに事前の準備こそ甘かったものの 「アバウトな気象情報しか得られない」 「登山に慣れた教師やガイドの知識に頼る以外の方法が無い」という時代背景も考えるべきでしょうね
@riesagawa8731
6 ай бұрын
そうですよね。あったのは電報くらい。でもこんな山岳までは無理。それに当時は服の生地も今のように良いものではなかったと察します。
@miekokojima237
6 ай бұрын
でも一人くらい山が危険な事をわかっていたはず。絶対権力を持つ教師の言う事をきくしかなかったのかな?😢?
@user-tq3ky7pi5p
6 ай бұрын
@@miekokojima237 その「山が危険な事を分かっていた人物」が教師やガイドだという事です 「教師の言う事を聞くしか無かったのか?」とおっしゃいますが「はい、教師の言う事を聞くしかありませんでした」という回答になります では、貴方は具体的に インターネットも無い100年前の当時の日本で 「教師に教えて貰う」もしくは「本を読む(当時の一般庶民では本は高価な物で誰でも買えるものではない)」以外で 登山の知識を得る方法を挙げられますか? 携帯電話も無い時代で、山の中で当然誰とも連絡が取れない この場に居るのは、教師(ガイド)と登山素人の生徒だけという状況で 「経験者の教師(ガイド)に頼る」以外の手段を挙げられますか? それとも、教師に頼らず登山素人の生徒だけで勝手に行動した方が良かった、とでも言うつもりですか? 貴方は他にどんな手段があったか、具体的に挙げられますか? 具体的な案も出せないくせに 「どうすれば良いか分からないけど、他に手段があったはず」というのは極めて無責任で頭の悪い発言です
@BALIUS1976
6 ай бұрын
@@miekokojima237 昭和末期くらいでも教師って子供からは絶対的な存在やったで 今とは違って、親が教師にめっちゃ気を遣ってた時代だったし
@miekokojima237
6 ай бұрын
@@BALIUS1976 高3生の遠足をぶっち(勝手に休んだ)した。山登り。 事前の説明なし、集合時間場所だけ知らされた。学年で50人程行かず。 ズサンだと思ったので。35年前。
行きたい感情ではなく冷静な判断してほしい。まさしく引き返す勇気ですね!
凄い!どうして雨具を用意せずに山に入れるんだろう? 3月から9月まで、渓流釣りに行くのでさえ、絶対持って行く。 不思議…。
@DR-hi3pc
5 ай бұрын
時代が違う 現在みたいなビニール製じゃねーぞ 藁や布綿でできたやつだぞ アシリパみたいな格好だぞ 嵩張るだろ 理解しようや
@Chu2007pae
5 ай бұрын
当時、アウトドアに関する知識が世間一般に知られていなかった時代。山の上に行ったら地平より温度が下がることさえ知られていなかったと思われる。
登山始まる前のどこまでも楽観的なA氏に 思わず笑ってしまった
犠牲者が4人で済んだのは凄いですね…今なら100人は死んでそう
@Chu2007pae
5 ай бұрын
師範学校生徒という事で将来教師になる予定の生徒たちばかり。冷静な判断をする頭脳があったためだよ。
山の中で雨に打たれ...昔の方々の精神力は尋常ではない証しにもまりますね 雨具はいらないのですか?...先生の威厳も半端ない
愚かな教員たちのせいで…かわいそう。 身内の方たちも辛かっただろうな。
準備云々以前に人数が多すぎましたね。
師範生ってことは将来先生になるために勉強してた子達なのか…。こんな悲しい反面教師あるだろうか。
@Chu2007pae
5 ай бұрын
そういう選ばれたエリート達だったのでパニックにもならずこれだけの少ない犠牲で済んだものだろう。
雨具を用意していない、しかし当日は雨となり遭難。 これは結果論じやない、未熟なだけ。 しかも中止か決行かの判断がキレイに分かれたというのも、どうかと思う。 呆れるのは最後は、生徒の判断に従うとは、なんのための引率者なのだろうか。
修学旅行で登山?まあヨシとして、あまりの人数の多さに対しての先導者の知識の薄さと不備に 初めから心配させられます。高湯温泉から五色沼 車で行っても難儀なルートです 大昔の女子学生は良く頑張りましたね。
100年くらい前の話だし今より雨具や防寒着は重いし、娯楽が少ない中での登山は楽しみなものだったはずだから無理やりにでも行って雨具や防寒着も持たせなかったんだろうな。それにしても教師Aの責任は重い
学生時代、小雨だったけど登山を中止にしてくれた先生方に感謝しかないな
先人の経験や失敗が今に繋がっていることがよくわかりますね
今生き残っている者の命が優先とは理屈では分かっていても 亡くなってるとはいえ大切な人を置いて行くと云うのは辛く悲しかったでしょうね
@user-dj1cc9py4y
5 ай бұрын
教師 A は、脳天気で甘ちゃんだね。
約100年前の悲劇。 しかし、修学旅行で登山とは、当時は今みたいに新幹線や飛行機で京都や東京に行くってもんじゃなかったんだなあ。
100年前の出来事とはいえ、教師達が登山に無知でルートの選択も愚かだし、案内人とも 連絡や事前の情報収集不足が目立っているな。 生徒達を鍛える目的で あえて中級者ルートを 選んでたのかもしれませんな。 雨具や防寒具があれば、、、
雨でも登山を決行するのは 現在でも同じですね。 やめようという勇気ある発言できるリーダーはいない なぜなら日本人は同調圧力に弱いのが伝統だから
この時代の雨具は蓑ですね。 江戸時代の人が着ているあれです。 中止にすべきでしたが、この時代の山登りは金持ちの道楽と言われていたものなので あまり詳しい人がいなかったのでしょう。
@Chu2007pae
5 ай бұрын
ゴム製の雨がっぱが存在していたよ。ただし、結構な重さがある。
昭和元年(1926年)に起きた遭難、生き残った方も、それを背負っての人生だったのでしょう。合掌
そもそも、修学旅行が登山ってのがおかしい。
@FROM0104H
6 ай бұрын
中学生の宿泊研修が登山でした。現在35さいです。 どこの山か忘れちゃったけど、 たしか6月頃、目的地は山頂ではなく途中の開けた場所で、 お昼を食べて下山。 幸い天気はずっと良く気温も適温だったけど、 一学年5クラスの生徒が自由度高く登っていました。 登山道も整備されていたけど、あの皆の自由さは 今思うとゾッとします。
@ryom1721
6 ай бұрын
30年前もあった 富士山の御殿場ルートで5号目から6号目まで登って降りてきただけだけど その年以降は修学旅行の登山は聞かなくなったからそこら辺が境い目の年なのかも
@Chu2007pae
5 ай бұрын
おかしくはない。その当時は普通だった。(ただし、修学旅行を行う学校そのものが少なかった時代)今でも修学旅行をスキー旅行で行う学校もある。
この年の13年前に「木曽駒ヶ岳遭難事件」が起きてたんだよな?文部省は全国の学校に伝達等はしなかったのか? 3:09 件の遭難事件の時と同じ流れ…
😨😨😨😨😱
あの、余計なことかもしれませんが生徒は女子師範の生徒なので「生徒の一人」が男の子のアニメで描かれてるのにはビックリしました。
12:21 ダメや(/ _ ; ) 涙が出てくる>_
100年前のことだから装備の常識的なものも広まっていなかったのではないのかね… 気の毒だったけど、全員が、じゃなかったのはさいわい…
今は少ないけど、昔は子供の数多かったんです。山はいけませんよね。
生徒にお願いされたら、行かせてやりたくなるよなあ。 自分が同じ立場だったら、より安全な道に変更して、安全対策した気になって強行しようとするかもしれない。
100年前の遭難事件かぁ
将来教師になることを考えていた頭脳明晰な生徒たちだからいたずらにパニックにもならず冷静な判断で行動でき最小限の犠牲で済んだのだろうな。
約100年前なんですね 今ならとりあえず入れておこうっ雨具や防寒具を持っていくだろうけど 低体温症なんてまだ知られてないだろうしね
この動画の題名の写真は全てイメージの写真なのかな。 てっきりその本人たちかと他の動画も見て思っていたけど。
@ryom1721
6 ай бұрын
そりゃそうよ どう見ても100年前の写真じゃない
すでに魂を失ったご遺体にこだわってはいけない。遺体はいつでも回収できる。
初手死亡フラグで草
吾妻小富士と東小富の入力ミス
修学旅行で登山ってつまらなすぎて気持ちが絶望的
@user-yk3ig2gl1o
6 ай бұрын
まあ。。。100年前ですからね。。。
@toriaezunoakanto
6 ай бұрын
そら登山に好きでは無い人はそうやろね。ただこの吾妻小富士や一切経山は感動する人も多い神秘的な美しい山
@Chu2007pae
5 ай бұрын
この当時はテーマパークなんかないし、登山と言うのは非日常のことで、子供にとっては楽しみな行事だったはず。
師範学校って先生の学校〜
@Chu2007pae
5 ай бұрын
当時のエリートですね。頭脳優秀な生徒たちだったのでいたずらにパニックにならずこれだけの犠牲で済んだのだよ。
時代が違うって事を理解できねーヤツら多いな よく理解しようや
修学旅行で山登りする?旅行だろ。
まず雨具、防寒具の準備では☔️❓🏔️問題は低体温症の対策
@overtime6053
5 ай бұрын
大雑把な天気予報の情報すら電話で聞いてるしテレビもない時代に低体温症という言葉自体なかったと思うわ 昭和元年で1銭硬貨が普通に使われてて大卒初任給で90円の時代 情報は人づてか本かラジオ 山の基礎知識なんてあったかどうか
@Chu2007pae
5 ай бұрын
低体温症など最近になって問題にされてきたもの。その当時は知っているものは皆無だろう。
雨ふるというのに雨具無しで何が楽しいのか。。 生徒さんもわからん事言うなぁ。 雨天時の楽しいプランを考えて置くべき。 修学旅行なんだもの。 当たり前の事じゃないの?
@llchk541
6 ай бұрын
生徒が教師Aに雨具はいらないのか?と聞いていらないと言った教師が愚か過ぎるたけ。子供がわからん事言うのは当たり前で、それを冷静な判断でこの場合中止するのが大人の判断で、生徒が行きたいと行ったからって続行したのが間違いでしょう。
@Chu2007pae
5 ай бұрын
山の危険性がほとんど知られていなかった時代の話だよ。
生徒はともかく、教師を含めた大人達は誰一人として携帯を持っていなかったのですか?
@akiiro148
4 ай бұрын
1926年の事故なのでね……
最近、古い事故の記事が多いね。今の装備だとあまり参考にならないのでは?