南牧村山岳集落 空撮

4K撮影 by Mavic2 Pro BGM by 甘茶の音楽工房

Пікірлер: 4

  • @isamu4994
    @isamu49942 жыл бұрын

    南牧村は群馬県と長野県の県境にある。 戦国時代には武田信玄が信州から上州を攻略するための軍事的に重要な街道が通る地域だった。そして武田勝頼が織田信長に滅ぼされたとき、当時16歳だった勝頼の嫡男の信勝が土屋山城守高久に伴われて落ち延びた村。武田信勝は、武田家と同じく新羅三郎義光を祖とする南牧村の羽沢城主市川四郎兵衛貞吉に匿われた。信勝は49才で没し南牧村大日方笹ノ平に埋葬された。その後、武田家の嫡流は市川の分家という立場で生き延びた。 なお、大正3年の大正天皇祖奥井式典に際し信玄公に従三位を贈位することになった。位記宣明を受け取る信玄公の正統の子孫を決めるにあたり、市川家伝承の古文書、墓等が山梨県によって詳細に調査されたが正統と断定されるまでには至らなかった。 また、武田家の金山衆も多く移り住んだため、見事な石垣が今でも至るところに見られる。 江戸時代には軍事的重要拠点として徳川家の直轄地となり(入り鉄砲出女等)監視の関所が南牧村砥沢に置かれた。中山道の碓氷関所とは異なり厳しいお取調べが少なかった為、女性や善光寺参りの参拝者達に利用され砥沢宿は賑わった。この街道は上州姫街道と呼ばれた。 人の往来も多く、天領で税も安く、質の良い砥石が産出され、かつ蒟蒻や葱も名産であったため非常に裕福な村であった。 明治になると近隣に富岡製糸場が作られたため養蚕業で栄えた。また林業でも大いに栄えた。

  • @TakikichiA

    @TakikichiA

    2 жыл бұрын

    詳しいコメントありがとうございます。南牧村散策していて市川家というお墓結構多かった気がします。武田の末裔だったんですかね。ドローン飛ばさせてもらったお宅も市川さんでした。稲作も困難な地形なのに立派な民家、石積、資料館に残る民俗芸能のお面、普通の山村とはちょっと違う集落の博物館のような光景にいつも惹かれています。

  • @user-fx5ut5tv8s
    @user-fx5ut5tv8s3 жыл бұрын

    高年齢率日本一ですか、南牧村も消えて忘れられていくのでしょう。 私の知ってる群馬の村も高齢のお爺ちゃんお婆ちゃんだけの村です。 寂しいですね。 今度、裏妙義でドローンを飛ばそうと思います。

  • @TakikichiA

    @TakikichiA

    3 жыл бұрын

    私は滝巡りで群馬県全自治体廻りましたが此処は山も滝も集落もみんな素晴らしく惹かれてしまいました。観光資源としてのポテンシャルはあると思うのでうまくアピール出来ればきっと将来脱高齢化実現してくれると思います。