本日はとある節目でこの動画を作成しました。いつも見てくれている方々ありがとうございます。ps。大切な人たちへどうもありがとう。感謝を込めて。編集ソフトゆっくりムービーメーカー4画像素材 ワタガシ&日本の汽車
陸自輸送学校に9600型を運用した101建設隊の資料として、9677号のナンバープレートが保存されていると聞いたことがあります。陸自に移籍した理由は「電気や石油がなくても、国内で石炭は採掘できて、いざとなれば燃やせるものがあれば走ることができる。本機自体も信頼性が高い」だったと記憶してます。
30年近く前、東工生でした。 授業で9600型のライブスチームを用いて部品設計、旋盤、鋳造、板金,溶接など一通り教りました。 大石先生の授業も懐かしいです。
ご視聴ありがとうございます!! ここで大先輩と出逢うとは、、私も卒業生であります!大石先生も現在でもお元気になさっていますよ!
僕はビッグボーイ、チャレンジャー、gs-4、T1型、S1、S2、前進型などの巨大機関車好きだけど、日本の小さな機関車たちもいい感じ。
ご視聴ありがとうございます!日本独特のスリムですが力がみなぎる姿が美しいです、、
小さくても凄い力持ちなのが素晴らしい。
粘着力と牽引力の強さ それでいて軽軸重の万能機『キューロク』 子供の頃水戸線で力走していたのを微かに覚えています。 現在配信中の『柔道一直線』第一話にも 電化前の川越線荒川橋梁を渡る『49613』牽引貨物列車のシーンがあります。
水戸線で動いてたんですか…! 水戸線民なので羨ましい限りです…
ご視聴ありがとうございます!本当に地球どこでも走れる(万能機)ですね!日本国内で活躍している様子をぜひこの目で見てみたかったです、、
@@watagasi583 栃木県にある真岡鉄道のキューロク館では、コンプレッサー駆動の9600形が動いているところが楽しめますな
@@watagasi583さん 但し花輪線は9600型でさえ空転が酷いため 空転しにくい9600型ではなく絶対空転しない8620型が投入され、元来旅客用で非力な点を誤魔化す為3重連で使われてました。
@@user-yk7pt7xx2h 花輪線は軌道強化が叶えば非力な8620の3重連からC58の重連に変わっていたでしょうね 8620は絶対に空転しないと言われる一方、シリンダ力が小さいため勾配で空転こそしないが自然停止する問題もありましたから
各地で保存されているからいまでもすぐに見ることができる。D51と並んで蒸気機関車の顔だと思う。
小さいキューロクたち可愛い
D61よりD60の方が影響は大きいかと。 東工大付属凄いですね。SLは技術の結晶。教材としては最高ですからね。
そうですね。9600の後継機D50の軸重軽減版D60の増備が影響大きいですね。 D51改造のD61では粘着性の問題が改善出来なかったようなので。 筑豊本線ではD50、D60、9600が最後まで活躍していました。 東工大は技術系大学の頂点ですから技術の継承は続けて欲しいです。 今はあまり使われない技術でも極めたものはしっかり受け継げる仕組みが必要ですね。
@@user-if5pn1tg3kレシプロ機関でないものの蒸気機関そのものは今でも一線級ですからね。教材としては最高でしょう。
まあ、9600形の最高速度が時速65㎞なのは、当時の主力だった2軸貨車の最高速度がそんなもんだったからですな この辺りは新性能直流電気機関車のEF60形の定格速度がそれほど高くないのと一緒で、2軸貨車の最高速度が時速75㎞だったからという
勾配線区では旅客列車運用にも充てられていた。
熊本でもあの立野越えの為に、9600が豊肥線の旅客列車に使われていたという。
昔は福岡県の石炭貨物を主に牽引してました。筑豊本線、幸袋線、伊田線、糸田線、田川線、添田線、漆生線、宮田線、上山田線、日田英彦山線など・・9600型が多かったですね!当時は直方機関区、後藤寺機関区に9600型が多く配属になってました。昔、ここの2機関区で撮った9600型の写真、家の中を探せばあるとおもいますが・・
貨物や入れ替えのイメージが強い9600形ですが 晩年は臨時の「橋立ビーチ号」で10系や12系の先頭に立っている9600形もいたようです
大正時代の8620、9600はSL最後の時まで全国で活躍してましたね。傑作と言えます。 初めから地方転用を想定していた事、特に9600は大型ボイラ+短足の強みを生かして貨物や入れ替えに 重宝されてました。引き出し力の強さは他のSLでは敵わなかったみたいですね。
国産貨物用蒸機第1号 九州北部地方出身には 懐かしくて嬉しいです。 D50 D60 D51後輩機より 最後まで生き残った事は 老兵9600の最高の勲章か と思う次第であります!
9600型の汽笛は基本的には甲高い3室型だけど北海道と熊本(豊肥本線)では5室型に換装されてましたね。
設計者、開発者。喜んでいる
SL撮影の最後は後藤寺線の9600でした。
自衛隊に移籍(?)したのもいましたね。
ご視聴ありがとうございます!確かにおります!現在では廃止されましたが101建設隊という旧工兵隊から引き継いだ機関で活躍していました!
ドン亀
但しD61での置き換え計画はD51の捻出が出来ず頓挫 漸く電化などでD51の大量捻出が可能になったら三河島事故で種車D51の致命的な欠陥が露呈、その結果「D61より9600や8620」と敬遠された為D61はたった6両しか改造されてません。
D61の改造中止は三河島事故の1年前に昭和36年度よりスタートした新五か年計画で軌道強化が必要になる転用は中止 つまり軸重を軽減しても横圧が大きいので軌道強化が必要で意味がないとされたからです 三河島事故もダイヤ上の問題や信号やポイント故障で安全側線に入っての脱線は頻繁に起こっているのに 大きな事故が発生するまで現状を放置していた上層部や停止指示を出さなかった運転指令への不信感がかかれ D51を原因とする論調は当時の書物で見つけることができませんでした
@@user-lw9wu1qu1e さん そりゃあD51云々は書けないですよ。 新幹線最大の功労者を傷つけるのですから。 ちなみに島秀雄は三河島事故後十河総裁共々国鉄をクビになり、新幹線開業式典にも呼ばれないと言う十河総裁以上のいじめを受けた挙句自分が作った鉄道友の会からも除名された結果、糸川英夫技師は不憫に思って名誉職的に宇宙開発機構に引き取ってます。 もっとD51の欠陥放置は島秀雄以上にその後燃焼室取り付けなどの抜本策取らなかった細川の責任ですけどね。
キューロクじいさんの武勇伝は今も語り継がれる
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陸自輸送学校に9600型を運用した101建設隊の資料として、9677号のナンバープレートが保存されていると聞いたことがあります。陸自に移籍した理由は「電気や石油がなくても、国内で石炭は採掘できて、いざとなれば燃やせるものがあれば走ることができる。本機自体も信頼性が高い」だったと記憶してます。
30年近く前、東工生でした。 授業で9600型のライブスチームを用いて部品設計、旋盤、鋳造、板金,溶接など一通り教りました。 大石先生の授業も懐かしいです。
@watagasi583
4 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます!! ここで大先輩と出逢うとは、、私も卒業生であります!大石先生も現在でもお元気になさっていますよ!
僕はビッグボーイ、チャレンジャー、gs-4、T1型、S1、S2、前進型などの巨大機関車好きだけど、日本の小さな機関車たちもいい感じ。
@watagasi583
4 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます!日本独特のスリムですが力がみなぎる姿が美しいです、、
@user-ig4qh4dj5z
4 ай бұрын
小さくても凄い力持ちなのが素晴らしい。
粘着力と牽引力の強さ それでいて軽軸重の万能機『キューロク』 子供の頃水戸線で力走していたのを微かに覚えています。 現在配信中の『柔道一直線』第一話にも 電化前の川越線荒川橋梁を渡る『49613』牽引貨物列車のシーンがあります。
@kt_Mito_Line_smartphone
4 ай бұрын
水戸線で動いてたんですか…! 水戸線民なので羨ましい限りです…
@watagasi583
4 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます!本当に地球どこでも走れる(万能機)ですね!日本国内で活躍している様子をぜひこの目で見てみたかったです、、
@user-bk1sp2gc8q
4 ай бұрын
@@watagasi583 栃木県にある真岡鉄道のキューロク館では、コンプレッサー駆動の9600形が動いているところが楽しめますな
@user-yk7pt7xx2h
4 ай бұрын
@@watagasi583さん 但し花輪線は9600型でさえ空転が酷いため 空転しにくい9600型ではなく絶対空転しない8620型が投入され、元来旅客用で非力な点を誤魔化す為3重連で使われてました。
@user-lw9wu1qu1e
4 ай бұрын
@@user-yk7pt7xx2h 花輪線は軌道強化が叶えば非力な8620の3重連からC58の重連に変わっていたでしょうね 8620は絶対に空転しないと言われる一方、シリンダ力が小さいため勾配で空転こそしないが自然停止する問題もありましたから
各地で保存されているからいまでもすぐに見ることができる。D51と並んで蒸気機関車の顔だと思う。
小さいキューロクたち可愛い
D61よりD60の方が影響は大きいかと。 東工大付属凄いですね。SLは技術の結晶。教材としては最高ですからね。
@user-if5pn1tg3k
4 ай бұрын
そうですね。9600の後継機D50の軸重軽減版D60の増備が影響大きいですね。 D51改造のD61では粘着性の問題が改善出来なかったようなので。 筑豊本線ではD50、D60、9600が最後まで活躍していました。 東工大は技術系大学の頂点ですから技術の継承は続けて欲しいです。 今はあまり使われない技術でも極めたものはしっかり受け継げる仕組みが必要ですね。
@ShunRailwayCh
4 ай бұрын
@@user-if5pn1tg3kレシプロ機関でないものの蒸気機関そのものは今でも一線級ですからね。教材としては最高でしょう。
まあ、9600形の最高速度が時速65㎞なのは、当時の主力だった2軸貨車の最高速度がそんなもんだったからですな この辺りは新性能直流電気機関車のEF60形の定格速度がそれほど高くないのと一緒で、2軸貨車の最高速度が時速75㎞だったからという
勾配線区では旅客列車運用にも充てられていた。
@user-bw7dv8jj7v
4 ай бұрын
熊本でもあの立野越えの為に、9600が豊肥線の旅客列車に使われていたという。
昔は福岡県の石炭貨物を主に牽引してました。筑豊本線、幸袋線、伊田線、糸田線、田川線、添田線、漆生線、宮田線、上山田線、日田英彦山線など・・9600型が多かったですね!当時は直方機関区、後藤寺機関区に9600型が多く配属になってました。昔、ここの2機関区で撮った9600型の写真、家の中を探せばあるとおもいますが・・
貨物や入れ替えのイメージが強い9600形ですが 晩年は臨時の「橋立ビーチ号」で10系や12系の先頭に立っている9600形もいたようです
大正時代の8620、9600はSL最後の時まで全国で活躍してましたね。傑作と言えます。 初めから地方転用を想定していた事、特に9600は大型ボイラ+短足の強みを生かして貨物や入れ替えに 重宝されてました。引き出し力の強さは他のSLでは敵わなかったみたいですね。
国産貨物用蒸機第1号 九州北部地方出身には 懐かしくて嬉しいです。 D50 D60 D51後輩機より 最後まで生き残った事は 老兵9600の最高の勲章か と思う次第であります!
9600型の汽笛は基本的には甲高い3室型だけど北海道と熊本(豊肥本線)では5室型に換装されてましたね。
設計者、開発者。喜んでいる
SL撮影の最後は後藤寺線の9600でした。
自衛隊に移籍(?)したのもいましたね。
@watagasi583
4 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます!確かにおります!現在では廃止されましたが101建設隊という旧工兵隊から引き継いだ機関で活躍していました!
ドン亀
但しD61での置き換え計画はD51の捻出が出来ず頓挫 漸く電化などでD51の大量捻出が可能になったら三河島事故で種車D51の致命的な欠陥が露呈、その結果「D61より9600や8620」と敬遠された為D61はたった6両しか改造されてません。
@user-lw9wu1qu1e
4 ай бұрын
D61の改造中止は三河島事故の1年前に昭和36年度よりスタートした新五か年計画で軌道強化が必要になる転用は中止 つまり軸重を軽減しても横圧が大きいので軌道強化が必要で意味がないとされたからです 三河島事故もダイヤ上の問題や信号やポイント故障で安全側線に入っての脱線は頻繁に起こっているのに 大きな事故が発生するまで現状を放置していた上層部や停止指示を出さなかった運転指令への不信感がかかれ D51を原因とする論調は当時の書物で見つけることができませんでした
@user-yk7pt7xx2h
4 ай бұрын
@@user-lw9wu1qu1e さん そりゃあD51云々は書けないですよ。 新幹線最大の功労者を傷つけるのですから。 ちなみに島秀雄は三河島事故後十河総裁共々国鉄をクビになり、新幹線開業式典にも呼ばれないと言う十河総裁以上のいじめを受けた挙句自分が作った鉄道友の会からも除名された結果、糸川英夫技師は不憫に思って名誉職的に宇宙開発機構に引き取ってます。 もっとD51の欠陥放置は島秀雄以上にその後燃焼室取り付けなどの抜本策取らなかった細川の責任ですけどね。
キューロクじいさんの武勇伝は今も語り継がれる