「迷列車で行こう#15」2年で用済み!?湘南色の旧型客車と連結?EF61電気機関車のお話「迷列車コレクション♯15」

Автокөліктер мен көлік құралдары

次回の動画もお楽しみに!
画像素材 ワタガシ「投稿者」 Wikipedia 裏辺研究所様 フォト蔵 様 
音源 ニコニココモンズ 様 甘茶の音楽工房 様 
「権利名と引用元リンクは動画中画像上部に明記させていただいております」

Пікірлер: 33

  • @user-sd4sg3hp4o
    @user-sd4sg3hp4o2 ай бұрын

    きゃああ~!かっこいい!非貫通で前照灯が真ん中一か所というのが時代を感じて萌える!

  • @京成3050
    @京成30502 ай бұрын

    最後の 「ブタのようなライト」だったので個人的にお気に入りでした。平和4年までお疲れ様でした。EF61-4 へ

  • @watagasi583

    @watagasi583

    2 ай бұрын

    ご視聴ありがとうございます!残念です。私も広島で前に拝見した時は少し色褪せていて寂しそうでしたが、今では形すらありません

  • @hirohiro2983
    @hirohiro29832 ай бұрын

    茶釜の幻あさかぜが一番輝いた時?

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f2 ай бұрын

    急行牽引ラストの頃急行阿蘇を牽引していました。なんかEF58型よりも格が上のようでした。

  • @user-vd7pj9is1b
    @user-vd7pj9is1b2 ай бұрын

    碓氷峠越えEF63の双頭連結器がない代わりにアダプターとしての役目を果たした。

  • @bakayarou4545
    @bakayarou45452 ай бұрын

    湘南色の旧國って何だか斬新な感じがするよ、それに似合ってるし

  • @419shokupan
    @419shokupan2 ай бұрын

    サムネのブタ鼻シールドビームに下枠交差搭載の姿が広島所属の機関車らしくてステキ

  • @SleeperExpressJNR
    @SleeperExpressJNR2 ай бұрын

    元々EF61は旅客用としてはショートリリーフみたいなカマだった。東海道本線が全線電化、電化区間は西進し山陽本線もどんどん電化区間が伸びるが電気車が足りない。然し程なく東海道新幹線が開業すれば、東海道在来線の優等列車利用客は新幹線に転移するだろうからその時点でねん出された車輛を回せば良い。然しそれまでの間、折角電化したのに蒸機の煤煙から解放されないのは辛い。車輛冷房が極一部の特急用などにしかなかった当時、せめて急行旅客列車だけでも無煙化したい。そこで登場したのがEF61でいずれは貨物用に改造することを前提としていた。その際はSGを降ろしバーニア制御装置等を乗せる予定だった(東海道・山陽筋の貨物列車は最大1,200tだったが旅客列車は最大でも600tなので旅客列車用ならバーニア制御なしでも対応可とされた)。 一時期はブルトレ牽引にも抜擢されたがEF60-500に代わられた。あくまで推測だが… EF61(及びEF601~14)のクイル式は保守が面倒、結局EF6015~以降は吊掛け式に戻ったこと、ブルトレ牽引ならSGは不要な事などからEF60に白羽の矢が立ったのでは?若しもEF61が選任されていたら高速域での力不足は言われなかったのでは? (若しもEF61-500が登場していたら?案外吊掛け駆動になっていたかも?) 嘗ては夜行急行などもエスコートして東京駅にも顔を出していたが43-10の頃から?浜松以東に顔を出さなくなって関東の[鉄]諸兄諸姉には馴染みの薄いカマになってしまったが、本州西端の片田舎の当時のガキ鉄(今ではオジン)には馴染みのカマだった。 それでも50-3までは関西~九州の夜行客車急行の一部を受け持ち、瀬野八も補機なしで登るなど旅客機としても、また一部の貨物列車も受け持っていた。それ以降も1980/昭和55年からは夏の海水浴臨時快速を受け持ち、快速(普通列車扱い)ながらなんと14系座席車12連の先頭に立って瀬野八補機なしで登ったりまた荷37レの広島~下関間では重連(と言っても回送の都合で次位機は無動)運用もあったりしたが…59-2で命運尽き、EF58より先に戦線離脱してしまった。 10系寝台車・座席車・近代改造のスハ43・オハ35系そして荷物車郵便車を連ねた10数両の長距離急行や荷レ、カモレに頑張るEF61の雄姿は若き日の鉄道原風景として今もはっきり記憶に残っている。模型鉄の先輩からは[そんなものに大金払わなくても]と言われたがそれでも天賞堂の16番EF61買って大切に持ってる位EF61は大好きなカマだ(^^)/、

  • @SleeperExpressJNR

    @SleeperExpressJNR

    2 ай бұрын

    付記:EF601~14がEF61200とEF61に形式変更されたのはともにクイル式だったからでは?EF60は15~129、501~514いずれも吊掛け式、EF61は全てクイル式って分けることが出来たから。ただ、EF61-200単機での補機業務には支障が無かったが、重連での補機業務だと補機の力が強過ぎて却って拙かった為EF601~14からEF61201~214への改造は結局8両で打ち切り。EF611~18からEF61101~118への改造は白紙撤回。1200t級列車を単機で押せるEF67登場まで結局EF59が残存することになってしまった。

  • @user-ci9fk2ud3i
    @user-ci9fk2ud3i2 ай бұрын

    一時期浜松まで荷物列車 引っ張って1本だけ往復してたよね懐かしいですね名古屋でも昼頃に見れたのでよく撮りに行きました

  • @watagasi583

    @watagasi583

    2 ай бұрын

    ご視聴ありがとうございます!運用数が少ない中比較的安定して目にすることができる運用だったんでしょうかね。現在は荷物列車の衰退も著しいものがあります。

  • @user-lt5ee8ht2r

    @user-lt5ee8ht2r

    2 ай бұрын

    上りの荷38レ、下りの荷31レですな

  • @user-qj8ww6ko3b
    @user-qj8ww6ko3b2 ай бұрын

    昔の写真では宇野線で客車列車の牽引をしていた、その後'80年代岡山に50系客車が配備される際に牽引輸送していたこともあった。 もし、EF61の定格速度を高くしてAREBを搭載し駆動方式をリンク式に変えていればかなりの活躍をしたかも。

  • @user-sg2ms9qz5q
    @user-sg2ms9qz5q2 ай бұрын

    EF61 200番台はEF60 1~14号機からの改造車ながら、重連仕業時に推進運転中の貨車が浮き上がってしまうなどの事故が懸念されたことから、実際に改造されたのは欠番となった202・205・208・212・213・214号機を除く8機に留まり、かつJR貨物に引き継がれたのは203号機以外の7機でした。 1000トン以下の貨物列車は単機推進、それ以上の貨物列車は重連推進とする方針でしたが上述の問題に伴い、1000トン以下の列車のみが推進仕業対象とされ、結局1000トン以上の貨物列車は引き続きEF59重連総括が担うこととなりました。そのEF59も1982年のEF60 4・5次車改造機であるEF67 0番台3機によって代替され、1987年の国鉄分割民営化ではJR貨物に引き継がれ、1990年登場のEF65 131~135号機を改造対象としたEF67 100番台によってEF61 200番台は完全置き換えされ、1991年度に形式消滅しました。このことにより、JR貨物で初めて引退した機関車となりました。 なおEF61 200番台改造時に1エンド側に、10000系高速貨車連結対応に備え、連結時に隙間を無くした密着自動連結器及び後にデッキ設置と貫通ドア設置(両エンド)及び、走行解放機能装置も追設改造されました。この改造メニューはEF67 0番台にも踏襲されています。ただEF67 0番台の場合、貫通ドアは1エンド側のみとされ、2エンド側は従来通り非貫通のままでした。 2002年3月改正にて走行解放仕業が消滅し、EF67 0番台も走行解放機能装置が撤去され、運用もEF67 100番台と共通仕業となりました。なお、EF67 100番台は0番台と異なり、デッキや貫通ドア設置及び10000系高速貨車連結対応並びに走行解放機能装置が省略されての改造メニューとなりました。また本務機仕業も考慮された仕様でしたが、2022年3月引退まで1度も本務機仕業に充当されることは叶わずでした。 EF67 0番台は最後まで残存した1号機が2014年5月まで運用入りしていました。蛇足ながらEF67 0番台は2エンド側先頭で運転する場合かつ時速65キロ以上での走行時に限り、中間台車は力行に用いず回生ブレーキ専用となる回路構成で、これは下り列車は単機返却回送が基本となるためでした。また2エンド側先頭での65キロ以上走行時は加速不可能な設計です。

  • @toriri-service
    @toriri-service2 ай бұрын

    蒸気機関車がD50での経験を踏まえてD51の完成度の高さに繋がったように EF60・EF61の経験がEF65に繋がったわけですね。 しかし 電機の駆動方式は『クイル式』や『リンク式』といったバネ上装架が一時使われるものの 結果『吊り掛け式』に回帰する事の繰り返しですね。

  • @jw1today110
    @jw1today1102 ай бұрын

    EF61からブルトレ牽引の座を奪った EF60も僅か2年でEF65に奪われます…😢

  • @watagasi583

    @watagasi583

    2 ай бұрын

    ご視聴ありがとうございます!形式的に考えるとEF60は500番代も0番代も形を現在でも留めて保存されておりますし、なんなら2021年ごろまで1灯前照灯の原型のEF60 19が現役だったと考えると、、、EF61は悲惨です。

  • @jw1today110

    @jw1today110

    2 ай бұрын

    @@watagasi583 月見草の様に誰にも知られることなく 引退しました…… 私の過去フィルム記録探してもロクイチ ほとんど無いんですよね……

  • @user-xt8kx7xg4y

    @user-xt8kx7xg4y

    2 ай бұрын

    もし改良増備車としてMT52吊掛駆動のEF61-500が誕生していたら、少なくとも20系の最高速度が引き上げられるヨンサントオまでブルトレ牽引に使われたかもしれない。

  • @jw1today110

    @jw1today110

    2 ай бұрын

    @@user-xt8kx7xg4y 特急色のEF61 500番代、20系牽引は めちゃカッコイイでしょうね!

  • @jw1today110

    @jw1today110

    2 ай бұрын

    @@user-je7ix4hh4o あっ、そう言えばあった様な……💦 マイクロさん夢がありますね!

  • @user-do8wk3mx9k
    @user-do8wk3mx9k2 ай бұрын

    上越線に行かせてEF16補機を解消する計画もあった

  • @user-bk1sp2gc8q
    @user-bk1sp2gc8q2 ай бұрын

    まあ、EF61の場合は足回りがクイル式で整備性が悪く、SGの搭載で蒸機用の水タンクの容量で粘着力に変動が出るなど、運用面においてはかなり面倒な機関車でもあった 荷物列車の牽引にはその後EF62が充当されるも、こちらも高速向けではないので結局EF58が担当することとなった

  • @watagasi583

    @watagasi583

    2 ай бұрын

    ご視聴ありがとうございます!結果論ですがEF58がトータルで見るとかなりの傑作機であったことがわかります。性能とか云々を抜きにしても

  • @user-jz8lp4kc9r

    @user-jz8lp4kc9r

    2 ай бұрын

    老朽ゴハチを代替したのがEF62ですね!EF62を最後に荷レは消滅ですが。

  • @user-ug7gp4vc7f
    @user-ug7gp4vc7f2 ай бұрын

    セノハチでは、パワーが、中途半端で客車列車、荷物列車、軽量貨物列車しか、使えなかった。

  • @zatooooooooooo
    @zatooooooooooo2 ай бұрын

    うぽつ 最近同じ動画あげ直したり消したりしてるのは何故?

  • @watagasi583

    @watagasi583

    2 ай бұрын

    ご視聴ありがとうございます!、最近は安定しましたが、BGMはフリー素材を使用しているのですが何故か著作権表示がされており色々と再投稿し直したりしておりました。最近は安定してるのでご安心ください

  • @user-yk7pt7xx2h
    @user-yk7pt7xx2h2 ай бұрын

    実はEF61を持ってしても性能的に高速重量旅客列車には対応不能。 EF60ー500のみがズームカーの機関車版的な性能故牽引力と高速性能のバランスが取れていたが、こっちは日本の電気技術が全くダメダメ(島秀雄が電車中心にしたのは欧米研修で自分の設計能力と日本の工業技術水準ではマトモな大型機関車は設計さえ不可能であると思い知らされた事もある)だった為電気品の故障が多く、後継のEF65は高速重量旅客列車牽引機としては失格も良いところ、結局ホンモノの高速重量旅客列車牽引機は設計思想を180度変更(スモールエンジンポリシー→ラージエンジンポリシー)したEF66まで待つしか無かったんですよね。 ちなみにクイル式はバネ下重量面ではカルダン駆動やWN駆動より更に優れていて、適切な整備技術とキチンとしたギア製造技術さえあれば簡単に使いこなせる(西ドイツにはクイル式電車まであった)のだが、グータラで物臭、論理的思考能力皆無な国民性故に整備も製造もインドネシア以下(ブッフリ式さえ日本はまるで使いこなせなかった)の日本ではそもそも大成しない方式で、スイスや西ドイツが日本レベルのなんちゃって先進国でも使いこなせる様に開発したリンク式さえ使いこなせない有様。

  • @user-qj8ww6ko3b

    @user-qj8ww6ko3b

    2 ай бұрын

    そもそも列車の本数や機関車一台あたりの走行距離は日本の方が長いんですよ、また日本は湿度が高いというのもあるので、そのためクイル式やリンク式だと駆動部分がやられる可能性が諸外国よりも高い、だからEF66の中空軸可とう式を採用したのであって、そんな状況でもリンク式は使いこなせていたから立派だと思いますが。 日本で吊りかけ式の機関車が多くなったのは、歯車技術の向上でリンク式を使う必要性が薄くなったのもある。 それだけでなく、カルダン方式やリンク式や吊りかけ式の多用は整備にかかる時間の短縮というのもあると思います。 それと蒸気機関車時代の話ですが、海外では運転士をチーム化して固定化していたの不具合に対応しやすく、実は運転士の経験に頼っていたというのもあったのと、海外での故障の状況は日本よりも悪かったというのもあります。 これはのちの無煙化時代もそうだったのではと思う、そう考えるとイギリスでの日本製車両の採用というのもわかる。

  • @user-qj8ww6ko3b

    @user-qj8ww6ko3b

    2 ай бұрын

    あとEF60-500は低速での加速性は良かったが、高速性能が駄目で弱め界磁で故障が結構あったんだとか。 実際に機関士も高速運転時はひやひやものだった模様、後にEF62の荷物列車転用でも似たようなことがおきている、まあどちらも短期間だったから大事にはならなかったようだが。 スペックを見れば少しはわかるだろうに。 結局、前述のようなことがあったのでEF65-500になった。

  • @user-xt8kx7xg4y

    @user-xt8kx7xg4y

    2 ай бұрын

    @@user-qj8ww6ko3b 元々EF60はEF15やEH10の後継であるが故に設計上の定格速度が低く、当時の客車の最高速度95km/hは一応出るが性能限界に近かった。 結局高速域多用に起因するトラブル対策で弱め界磁最終段は使用禁止とされて、進段できないようノッチ板に針金が巻かれたとのこと。

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