【歴史解説】ゆっくり大江戸86~百姓と近世村の成立~【江戸時代】
今回から数回に渡り江戸時代の地方についてを解説したいと思います
第一回目の今回は百姓身分と近世村の成立についてです
※この動画は東方Projectの二次創作であるゆっくりキャラを用いた解説動画です。またキャラ素材【ゆっくり魔理沙改】の改変素材を個人的に作成、使用していますのでご了承下さい
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■zero sen(ゆっくり近代史解説チャンネル)
/ @zerosen1868
Twitterやってます httpd:// tera_sen
Пікірлер: 159
毎回の、額縁飾られてる文言が、隠れたテーマというか、一言で動画を表現というかが、妙なパワーを持ってる。
@user-ov4ew1ti2y
2 жыл бұрын
成る程…百姓は…だね❤️(/▽\)♪
@user-qb4vr6ld3z
2 жыл бұрын
そうそう、あの額縁の文字も楽しみにしてますw主さん、今日も良いセンスだなぁwって思ってます。
村落に隣接する低い山は高い木を刈ってしまって落ちた小枝(燃料用)を取りやすい低い木と、刈って腐らせて肥料に混ぜ込むための草だけにしてしまうことが多かったそうです。「くさやま」と呼称されたりしますが、この動画でいう入会地の一つの形ですね。 ただこの「くさやま」はかなりの広さが必要だったようで吉宗の時代にはまともな木材が取れる山が(特に関東で)人里からはるか遠くなってしまい、深刻な木材不足に陥ります。 植林もすでに行われていましたが焼石に水。歴史ある神社仏閣を立て直したり改装するにも(太い木材が必要)、火事で焼けた江戸を再建するにも紀伊や土佐や九州から木材を仕入れなけなならなくなりました。 この木材不足は農村ですら深刻で、水害の補修をするのに使う木すら壊れた木材から使える部品を持ち寄って…みたいな有様に 江戸後期には「昔の木材でできた治水施設は20年持ったが今のは5年しかもたない」などと書かれたりしています 江戸時代中期までにつくられたものの江戸後期に放棄された新田にはそういう理由で治水が成り立たなくなったものも結構あったようです
@snd00261jp
2 жыл бұрын
今はハゲ山になることもなくなったけどウッドショックと言って輸入材を中心に価格高騰や木材不足が深刻なようですね。昔は輸入材が安いから国産材が淘汰されたとか言われたけど、今は国産材は強度が低いからあまり使われないとか。人手不足で 山を管理しきれてないとか補助金漬けの体質とかもあるようだし、今でも日本の林業は課題を抱えてますね。
収穫後のささやかな楽しみがお祭りであったようで、全国各地に農村発祥の祭りが残っているのは興味深いところです。
背景動画に映る5階くらいある崖の上の家が物凄く気になる…。
毎度思うけど、カブト被った魔理沙可愛いなぁ。
@user-zk1wg6gk7b
2 жыл бұрын
かわいい!
@user-eg7fc9mk9s
2 жыл бұрын
今回は奉行...?
@cyc7779
2 жыл бұрын
でも商人にはならないよね まぁやむ無し
今回のお話は、私は大体知っていた話ですが、非常に良くまとめられていて素晴らしかったです。私は、日本の村落形勢は、実は西ヨーロッパの中世の村の形成や、アメリカの植民地時代における町(タウン)の形成と非常に似た経過をたどったのではないかと考えています。百姓は搾取され、貧窮生活を強いられたと左翼の歴史学者は考えがちですが、これは奴隷制社会と封建制社会の違いを理解しない考えと思います。奴隷制社会は、土地は支配者が所有し、その土地によそから奴隷を連れてきて強制労働させ、支配者の収益を最大化しようとする社会です。しかし、奴隷は当然ながら、働く意欲がありません。なぜなら働くことで得られる収益は全て支配者のものになるから、働くインセンティブがはたらかないからです。社会の生産性は低くとどまったままになり、社会全体は貧しいままです。人口も増えないでしょう。これに対して、中世ヨーロッパや日本の封建社会は、土地は実質的に村のものでした。支配者は、人民を直接支配したのではなく、村と言う自治団体を支配したのです。誤解を恐れずに言えば、支配者は今日の企業所有者に喩えることもできるでしょう。税あるいは年貢も村を通じて徴収されました。こういう場合、当然ながら、村は税を少しでも少なくしようとし、実際の収穫高を過少に見せかけようとするインセンティブがはたらき、実際それは機能します。それは今日でも企業が帳簿を胡麻化して収益を過小に見せかけようとするのと同じです。他方、支配者はそれを見逃すまいとしようとしますが、皮肉にも、村の課税負担が実質的に少ないことにより、村が全体として豊かになり、結果として税収も増えることから、、村の過小収穫の見せかけは、不問にされるようになったのではないかと思われます。こうして左翼の学者の主張に反して、日本では江戸時代を通じて、百姓は絶対的に豊かになっていったと考えられます。これに対して、中国や朝鮮では、近代にいたるまで、日本の中世封建時代のような村落形勢が行われず、日本で言えば、荘園制以前の旧い血縁共同体的な村の形成しか行われなかったようです。土地は名目的にも実質的にも支配者のものであり、百姓は、言わば農業労働者として、支配者の土地で働かされたようです。村が村として支配の対象となることはなく、各個人が直接支配者から支配され、税や年貢の取立を受けたようです。この場合、各個人は収穫をごまかすことは大変難しく、生きていくのに最低限必要な部分を除き、収穫のほとんどを取り上げられてしまい、ひそかに貯めることは難しかったのではないかと思われます。これでは百姓は貧しいままです。清朝末期や朝鮮王朝末期を訪れた西洋人らの両国の百姓の想像を絶する貧しさの報告が多く残されています。もちろん江戸時代末期の日本も当時の欧米人から見れば貧しい生活をしていたことは確かですが、清や朝鮮の農村の貧しさは、その比ではなかったことが報告されています。
@user-kattak
2 жыл бұрын
左翼の歴史学者か・・・。言いたい事はなんとなく判るが正確な表現とは言いがたいですね?それでしたら平泉 澄の農民に関する話はどうなのでしょうか? 勿論江戸時代の百姓がかつてみたいに貧困者ばかりでは無かったのは現在では判明していますし、封建制社会と奴隷制社会のインセンティブは判りますが、土地は実質的に村のものだという主張はいくつか見た古文書の事例を考えると実態を表しているとは思えません。勿論完全な個人所有になってもいませんし、領主の差配が村の思惑より弱かったのも古文書からは伺えましたが、あくまで三者のバランスの上に成り立っていたと思います。 また時代の状況を加味した方が良いのではないでしょうか?。江戸時代の飢饉について調べれば領主の搾取が強く働いた事があった時期の方が長かったと思えます。結果論的に農村を大切にした方が良い結果になるから搾取を弱める様になっていたのですが、時代を通じてあった訳ではありませんし、地域差があったと思います。 また村の過小収穫の話はどこから来たのでしょうか?下手な過小報告をすればお咎めを受けるし当時は厳しいお咎めを受けます。また村の自治権を弱める上、厳しいお咎めを受けるリスクをどう考えたのでしょうか?寧ろ平和の世になっていたため正直な報告をした方がリスクが少なかったと思います。(だから正直な日本人の形成ができてきたと思えます)また、中国や朝鮮では日本の中世封建時代のような村落形勢が行われず土地は名目的にも実質的にも支配者のものであり、村が村として支配の対象となることはなく、各個人が直接支配者から支配され、税や年貢の取立を受けたと言える程権力の支配基盤構造があったといえるでしょうか ?各個人への権力の直接支配は技術的社会構造的に極めて発達していないと難しく当時の東アジアでできていたとはとても思えません。朝鮮朝末期や清朝末期の貧しい人々の報告を例にしていますが、江戸時代の飢饉の時の人々はこれより酷です。現在の歴史研究の成果を考えると時代の変移や各論に注意を払い、史実を正確に捉えて考察を展開する事が弱いと思います。 正直に感想を言いますが中国や朝鮮の下りについてはかつてマルクス主義史観で展開されていたアジア停滞論の焼き直し以外の何ものでもないように思います。
@user-mv8lc5up2y
2 жыл бұрын
@@user-kattak 拙い拙見を読んでいただいて有難うございました。地域差があったとのご指摘はその通りだと思います、ただ私が言いたかったことは、細部の差異に拘泥せず俯瞰的な視点に立てば、歴史的に封建制が成立し、その下での村落自治の経験があるかどうかが、後に、ある社会が民主主義化するかどうかに決定的に影響したと言えるのではないかということです。1970年代ごろまでは、先進国と言えば、西欧諸国と米国とアジアでは日本だけでした。故に、なぜアジアで日本だけが先進国となれたのかについて世界的に関心があり、当時の有力な見方として、西ヨーロッパと日本の昔に非常に良く似た封建制が成立していた共通性が着目されたりしていました。しかしその後の韓国、台湾、シンガポール、中国等アジア諸国の発展により、そうした物の見方は低調になってしまいました。アジア諸国の民主化状況・人権状況には問題が多々ありましたが、先進諸国は、民主化すれば豊かになり、人権状況も改善するとする一方で(そのような考え方から、米国はしばしば、後進独裁国家の民主化を名目にいわゆる人道的武力介入を行いました。米国の対イラク戦争など)、その逆も真である(つまり、豊かになれば民主化し、人権状況も改善する)とする物の見方が支配的で、このダブルスタンダードから中国の酷い状況は大目に見られ続け、制裁を受けることもなく、そのお陰もあって中国は大発展することができました。しかし、ここ数年の中国その他の国の状況は、このような考え方が正しくないことを明らかにしつつあり、欧米の中国への見方は厳しくなりつつあります。なぜ先進国のそうした見方は正しくなかったのでしょうか。そこで私は、改めて、封建制(特に村落自治の実態)の経験が、社会の民主主義化に与えた影響にもっと着目すべきではないかと考えている次第です。いずれにせよ、ご指摘ありがとうございました。
画質がやばすぎるwゆっくりも景色も綺麗~ 百姓の話大好き!ガンダムとかでもそうなんだけど、メインキャラの話より一般市民の話の方が興味ある。 自分と同じ立ち位置の人達だからなのかな~?
昭和時代はマルクス主義的な農村観がまかり通っていたけど、そこから抜け出した見方が広まっていくのは良いことです。
@user-cj8kl6dd4q
2 жыл бұрын
惣村は階級闘争に挑戦した民衆自治のお手本みたいな説がまかり通ってたな。
@user-ub7tt4gl8y
2 жыл бұрын
士農工商は「国中のすべての人々」という老若男女に近い儒学の言葉なんですよね
@douga9996
2 жыл бұрын
日本でも奴隷制から封建制、資本主義と人類史的必然性に基づいて社会が変遷してきたことに目を背け、都合の良いつまみ食いで稚拙な「日本優秀論」に基づく反共的退廃毒素を振り撒いているのには笑えさえする。
秀吉「キレた百姓ほど怖いものはないぞ…」
キターーー‼︎‼︎ お百姓さんの話一番気になってました! にしても、掛け軸の文言がエグいwww
動画の中心の内容とは違うんだけれど、このチャンネルの霊夢・魔理沙の時候の挨拶とか導入、丁寧で好き
あまり注目されていないんだけど、外国には徴税請負人という制度があって、これが近代化を阻む大きな要因になったりすることがある(たとえば南アジアのザミンダール制)。日本では村請制のおかげでこの徴税請負人が育たなかった。このことが日本の近代にとって好条件になったと思う。
@00kumakuma
2 жыл бұрын
本百姓のみ租税を払う、一般に裕福
武将ばかり取り上げる歴史チャンネルと比べてこちらは民衆や百姓まで幅広く取り上げるので勉強になります。 武将は人殺しが仕事ですからある意味物騒な人々ですが、百姓は余程押さえ付けられなければそのようなことには及ばないのと開国前の日本は農業が主産業なので欠かせないものです。 開国後は日本は工業国になって行きますがそれはその後の話です。
@user-zu6cs3mb9d
2 жыл бұрын
農民も水利権をかけた石合戦(雪合戦の玉を石で行うため当然死傷者がでるし試合中の喧嘩でも死傷者がでてた)とか面子のために他の村と抗争も辞さない(豊臣の刀狩や徳川による銃刀法整備以前は装備が充実していたため当然死傷者がでる)とかけっこう物騒な話が山盛りだった思うんですよ。だからこそ徳川幕府は農民の一揆をめちゃくちゃ警戒してたわけで。
百姓のことをやるのであれば避けて通れない水利権の争いの事をリクエストしたいです。
江戸時代の百姓制度、村について、ここまできちんと解説してくれる動画を私は知りません。次回も楽しみにしてます。
武士と違い明確な家系図のない百姓の家というのはどこまで先祖を遡れるのだろうな。 ウチは先祖代々百姓だが天保年間までしか遡れなかった。寺にあったと思われる人別帳が火事で焼けてそれ以上は分からないとのことだった。
@user-ik3ec5xg3b
2 жыл бұрын
天保まで遡れるだけでもすごい 家はとある事情で1500年代まで遡れたが、それ以前は不明だ
@shiramin
2 жыл бұрын
話は逸れるかもしれませんが、一世代をおおよそ20年として江戸の始まりを約300年前(14世代)とすると、ご先祖様の数は16,000人超です。親族との婚姻もあったりするので実際はそんなに多くはないと思いますが 正確に辿れなくてもだいたいどこかと血は繋がっています。
長く続く文化の良い所と悪い所は同じ効果の表裏ですねえ。珍しい百姓・村の話の続きも楽しみにしています。
いつも丁寧な時効の挨拶をありがとうございます。 このシリーズがずっと続くと嬉しいのでぜひいろいろやって欲しいです。
内容と関係ないけど、背景の動画は栃木県日光市鬼怒川温泉ですね。カメラの設置場所はおそらく鬼怒川温泉ホテルの北棟ですね。懐かしい風景です。
町民文化についての資料はたくさんあっても農村部の資料が探してもほとんどみつけられなかったので超ありがたい
お百姓さんの話はご先祖さまのお話ダイレクトだからやっぱり気になる。
安定して、面白いです!
17:32頃から述べられている土地の村公有制ですが、土地がほぼ村の共有財産となっていた村は調査された全体の1/3ほどで 信州のそういう村の1つで2人の旗本の共同の歳入地になっていたものの2人の年貢率に僅かに違いがあり(1%ちょい) 村は年貢率の低い旗本にいい田んぼをあてがい、悪い田んぼや水害事故などの多い田んぼを高い方に回して少しでも年貢を軽くするなどしていたようです。これなんか田んぼが持ち回りじゃないと無理な話ですよね
動画ありがとうございます。 学術的なスタンスというか当時の歴史を社会構造の一つとして社会科学的に分析する手法と察しました。本来の歴史学に忠実という意味でこのスタンスに敬意を表したいと思っております。
検知は秀吉が農家の出であったからこそできたのかと直感的に思った。検知に使った枡を京枡に統一したのも大切ですね
主さん、応援してるよ〜!
背景の細長い建物気になる
@mugwortdumpling2680
2 жыл бұрын
この縦に細長い建物は栃木県日光市鬼怒川温泉の「くら田」というお蕎麦屋さんです。 でも鬼怒川温泉全体が衰退しているので、今はもう廃業しているかも。 因みにこの背景動画の撮影地点は鬼怒川温泉ホテルの北棟の最上階付近だと思います。
大名の藩で新しく出きた新田藩の解説をリクエストします 一番大きいのは伊勢津潘です
有難うございます!有難うございます! 私は庶民の風俗・生活により興味があるのでとても楽しめました 可能なら、縄文から江戸くらいまでの庶民がどのような生活をしていたのか全て知りたいくらいです 今後も楽しみにしています!
オープニングの暑中見舞い的な気遣いが嬉しいなww
幕藩体制が安定すると、地方(じかた)に住む者が百姓身分とされ、町地(まちじ)に住む者が町人身分とされていたと聴いております。
実際裁判沙汰なんかだと個人の事でも村全体で訴えて、村対村の訴訟になってるのよね 江戸時代でも、隣村の〇〇に柴盗まれた、って話が訴訟中に両方の村武力衝突になった。なんて資料があったと思う
暑い日は…冷やし味噌肉うどん!
夏はトマト、ナス、ピーマン、ニガウリ、麦茶ですよ。これで夏バテ対策バッチリ!
teraちゃん、今回の大江戸はためになったよ、これから先の「ゆっくり大江戸」の行き先がある程度垣間見えた気がするよ。 「ゆっくり日の本」行けるんじゃない?
村の年貢徴収、加賀藩の十村制とかも解説してくださるとうれしいです。
作業BGMとしてよく聴いておりませう
百姓一揆の際に鍬や鋤といった農機具を掲げるのは武器にするためではなく、自分達は本百姓なのだという旗印だったと言います。自らの身分に誇りを持っていたし、だからこその一揆なんだとか。近代的な権利意識とは似て非なるものですが、一方的に搾取されるばかりではなかったあたりが明らかになると面白いです。
@fivepointedstar196
2 жыл бұрын
仙台藩は、経済政策の一つとして買米制にして農民が年貢を納めたあとの余剰米を買い上げた。 寛文8年(1668)に藩は「百姓条目」で農民が米を食べるのを禁じた。 農民も米のほかに換金作物があまりなかったので、年貢以外の貢租を納めるため米を換金した。 農村には食料にする為の米はわずかしか残らなかった。 藩に買い上げられた米は、江戸へ運ばれた後、転売され藩財政になった。 江戸の庶民が普段仙台藩で作られた米を食べている時に、仙台藩の農民の主食は、麦・粟・稗・大根・大根の葉などをいれた「かて飯」だった。 仙台の農民が米食えなくても江戸の人々が食べてくれたらいいわけだからな。
@user-cd2ot1ib9y
2 жыл бұрын
一揆って農民による反乱というよりはデモに近かったのかな?
私は夏でもホットコーヒーを飲み、鍋焼きうどんを食べる派です!!
村や百姓は日本の文化伝統の根幹だと思う 街よりずっと興味あるのでこういう動画助かります
子供のころ田舎に引っ越してきた頃、同級生はほぼ農家か畜産業だったのですが 今は兼業農家が2軒のみになってしまいました 時代とはいえ変わってしまうもんですね~
いつも楽しく江戸を学ばせていただいています。 一つ質問なんですが、どの動画にもバックに綺麗な風景が映されていますが、これは毎回主さんがロケに行かれてるんですか?
@terasen
2 жыл бұрын
コメントありがとうございます。お恥ずかしながらその通りです。背景は諸事情により動画でいきたいと思いできる限り撮影をしているしだいです
@Cubtaro-PAWAPURO
2 жыл бұрын
@@terasen お忙しい中、返信をありがとうございます。 解説動画をUPされている方にとっては、背景の動きの有無は死活問題ですからね……。 実は私、主さんの解説同様、毎回用意されている背景も大好きなんです。 もちろんどれも私の訪れたことのない場所なのですが、どこか懐かしいような、切ないような、ちょっぴりノスタルジックな気分になれるんです(笑) どうしていつもこんな美しい背景ばかりを見付けて撮影できるのかと、毎回驚かされています。 今後も江戸解説と共に、美しい背景を楽しみにしております。
外向きの性格だと何が起こるか 飛行機がビルに突っ込む それはそれとして村の成り立ちというのは歴史があったんだなぁ
暑い中、辛いもののあとに甘いアイスを食べるのは最高!
そうそう。自然公園なんかの植栽見て豊かな自然語ってる人よく見かけるけど そんなの真の田舎者じゃないんだよね さらに山間部でも二次林や造成林なんか思いっきり箱庭 原生林じゃないと自然とは呼ばない
背景は鬼怒川温泉のくろがね橋付近かな
@mugwortdumpling2680
2 жыл бұрын
ほぼ間違いないでしょう。アングルから推定するに、鬼怒川温泉ホテルの北棟の最上階付近から鬼怒川とくろがね橋を撮影したように思われます。
勉強になりましたm(._.)m
昔は小さな集落を『◯落』って言ってたけど、いわゆる”言葉狩り”で使ってはいけない単語になってますよね😞 でも今でも地元の年寄りは普通に言うてますけどね😅
入会地の一部が現在も残っている財産区という特別地方公共団体の原型よね。
村と言うと、豪農が居る所で酒味噌醤油の発酵工場になったパターンをやって欲しい 太平洋側だと鰹節工場とか 村より、部落と呼んでない?
@user-og5bh1bz8g
2 жыл бұрын
部落だと差別的な意味も含まれていて 不快な思いをする人達もいるし 村の方が言葉として分かりやすいからでしょ
@user-gx4ef6nv5w
2 жыл бұрын
新潟下越は集落より部落という呼び方が普通でした
村単位で年貢や稲作を取り仕切ってた訳だからそこには取り仕切っていた人がいるわけで、そういう人は当時としては高い農業に対する知識と人望があったんでしょうねぇ…。
村八分って田舎の町村では死活問題に直結する掟だけど、逆に都市部に住むって事は「自発的に村八分になる」だと思うんだよな。 都市の生活様式は「必要以上の人間関係を断つ」事が基本なんだから、場合によっては村八分以上に人間関係を希薄にするよね。
田舎の畑が小さくあちこちに分散している理由がはじめてわかりました あと結婚や出産への圧が半端ない理由も… 周りの人と意見が違うのを極端に恐れるのも村の閉鎖性の弊害なのですね 勉強になりました_(..)_
戸籍と職種がセットで登録されて、それに基づいて士農工商に分けられてた訳ではないのか。
百姓は差別用語なんだよね、おかしな話だけど
太閤検地で懐具合を丸裸にされちまった以後と以前では政治的パワーは全然違う。
板橋区の重要無形文化財である「田遊び」はその村の結束力を垣間見るお祭りですねw。 何れ、所謂「部落」も解説することになるだろうけど、ここら辺は結構シビアな部分があるから解説するのも難しいんじゃ......。
本百姓と水吞み百姓の比率を知りたい あと、水呑み百姓の生活 自虐史観見直しの風潮なのか、最近は農民は虐げられた存在じゃないって言う解説動画観るけど 例に出されるのが比較的裕福な本百姓や藩ばっかで疑問に残るんだよな
@user-zx9zt4qt3n
2 жыл бұрын
本百姓と小作人で比べたほうがいいけどね。水呑み百姓は本業がある比べる物じゃないかな
@user-kattak
2 жыл бұрын
水呑み百姓が単に貧民ではないことを 故人 網野善彦氏などの研究に史料的裏付けをもって判っています。 水呑みとされる人が農業以外の本業を持っていたり、副業でかなり稼ぎを得ている事例を出しています。 寧ろ水呑みとされた人々については中世以来の職人(しきにん と読む)の制度や班田法のあり方などを絡めて考えてみる必要はあるのではないでしょうか?
@user-kattak
2 жыл бұрын
@@user-zx9zt4qt3n 小作人を単純に貧民と考えるのは不適切だと思います。小作ができる余力があるからしているとか、仲介者だったりするケースがあるなど様々な事例が江戸時代にはあるからです。(正確にはGHQの農地改革以前はですが)また小作人は不利な条件で働かせられていたとかは一般的であったかは疑問が多く、個々の事例で考える必要があると思います。
世界的に見ても温暖で病原菌が発生しやすい地域ほど免疫行動から排他的なコミュニティが生き残る傾向が高い事や、また社会保障は一定の均一性や閉鎖性が無いと仲間意識が生まれにくい為に成立しにくい事なんかは人類学や政治学で言われてるみたいですね
いまって百姓という言葉使わないよね。一種の放送禁止用語だね。農家のお年寄りの一部は自分らのことを百姓というよ。プライドを持ってね。
@hironb8c970
2 жыл бұрын
百姓ってなるべく使わない方がいい感じの言葉だと思ってたから、隣に住む80代くらいのおばあちゃんが「うちの父親は百姓だったから」的な事言ってて、普通に使っていい言葉だったのかとちょっとびっくりしたの思い出した
@user-jn3qg7vi6v
4 ай бұрын
父親は畑仕事を(百姓してくる)って言ってるし。なんか地に足がついて、生活感を感じる(百姓)って言葉好きだな。
昭和30年代の話ですが、約110年前に産まれた爺ちゃんは、大工と畑と田んぼと木樵してたらしい で、収入は米が売れた年一回でおふくろは買い物に行ってもつけで買ってきて秋にドスンと払ってたらしい 昔の人はそんな生活してたんやと思うわ 惣村で何でも終わらしてたんやろね
教科書でも士農工商が身分では無く職業分類と解釈されているのは西洋の身分制度とはかけ離れている為でしょう。江戸時代に石徹白騒動と言う事件があり当時の社会の歪がが極端に現れてます。同時期に郡上一揆も起こっておりその対比が面白いです。
昭和61年に死んだじいちゃん(享年81歳)の80歳記念の手形に「また百姓がしたい」と書いてあったのを思い出した。
村八分とか、田舎の集落の古い因習が話題になることがありますが、この動画を見たら納得。村にいる全員が一蓮托生の運命共同体。 現代なら仕事をサボっても本人に返ってくることになりますが、この時代は誰かが仕事をサボったら村全体が被害を被ることになる。そりゃあ共同体意識も強くなりますわ。
ふと気になったんですが、もう一つ日本の代表的な第一次産業従事者として「漁民」がいますが、この人たちの社会的な位置づけって何だったのでしょう? 大抵は半農半漁だったと思いますが、専業漁業者だったら納税義務は免除でしょうか? ついでで良いので、できれば教えて下さい。 本当に暑い日が続きますが、お体ご自愛ください。では。
@user-kattak
2 жыл бұрын
百姓です、このことについては網野善彦氏などの研究により水呑み百姓として区分される事例が多い事が判明しています(たとえそれが百両の収入を得ていようと、数十隻の商船を管理している人物であっても)納税については村の網元の統制下にあって網元へ漁を納めそこから領主へ納める事例、海に領主権を持っている家に漁の権利を支払う事例などがあり多様です。なお専業漁業者であったしか思えない家でも明治の戸籍台帳では農業と記載されている事例があります。
@mutukinana2134
2 жыл бұрын
@@user-kattak 返信ありがとうございます。勉強になりました。(^^)y
今も昔も無理に統治すると怖い仕返しがされる
@user-eg7fc9mk9s
2 жыл бұрын
浅井長政の前の領主は農民に○されたらしいですw
1:54 薩摩藩は人口の25%武士だったけどね()
大体説明としていいと思いますが、基本的な事が押さえていないと思います。 それは行政に村と実態の村は別であるとことです。わかりやすく言うと 村Aが実際の集落としてあると、行政上はA村B村C村として存在している事が普通である事です。 この行政上のA村B村C村に地理的区分がなくそれぞれの百姓がそれぞれの思惑でその村株に所属しているのであり、ウチはA村所属お隣はB村所属、向こう三軒先はウチと同じA村所属という状況で、しかもB村とC村では領主が違う事例もよくあります。そして実態の村Aの規模に制限がないです。つまり田舎の集落でなく大きな都市であっても、村とされている事です(尤も村自体は群れるが語源で人が集まった所であり規模を制約してはいない)。このような村の場合、環濠を巡らせ門を構え、村の自治を行っているのが普通であり江戸時代(それ以前の中世でもよくあるのですが)にそれなりに見られた村です(ただし地域差はあり、新田開発の村ではまた異なった様相はあります)。ただし研究者の方でもそのことを知っていないまたは理解できていない方が多いと見受けられます。
戦国時代は農業技術も進歩したというけど、総生産につながらなかったんですね~ 戦乱の中で磨かれた技術が平和になってから効いてくるのカナ?
@user-rw2jt7yx4p
2 жыл бұрын
戦乱が無くなると水利争いを解決して広域の灌漑が可能になるのが大きいと思う
@user-kattak
2 жыл бұрын
多分、ウp主の引用した元が誤りです。戦国時代から総生産量は上昇しています。ただその実態が調べることができないでいるだけです。
1コメ初めてだ!
やはり未だに貧農史観が主流なのかなぁ?
自分の実家の先祖が田舎のお寺だったので、機会があれば(観光地ではない)寺社や僧侶・神職の話も取り上げて欲しいです。
なんだかカムイ伝を連想してしまった
本当に非常用の隠し田や隠し沢は、あったのですか?
@user-kattak
2 жыл бұрын
中世の事例では領主と契約で隠田にする契約書や隠田であるのに課税をした不法を訴えた訴状は存在します
@Funyasan
2 жыл бұрын
@@user-kattak (^.^)(-.-)(__)
今回の解説で思いついたけど、百姓以外にも江戸時代の天皇や公家の解説は今までやったかな?やっていなかったらやって欲しい。
@user-eg7fc9mk9s
2 жыл бұрын
一部伝わる話では、ある時鮭を食べていた天皇が、その鮭の切り身を夜酒の肴にする為に半分残してたりしたとか。
てなワケで農民が多かったんだけど 家の先祖は武士だったんだ という奴大杉 戦国時代に足軽ぐらいはやっていたかもしれないけど 明治以降の 先祖ロンダリング が酷い
@shiramin
2 жыл бұрын
先祖ロンダリングっておもしろいですね(笑 家系図屋さんなるものがあって、最終的にサービスも込めて武士のルーツになる 江戸初期まで遡れば先祖は2万人近くいるのだからなんとでも言えるんですよね
@tillc8092
2 жыл бұрын
@@shiramin 先祖に1人でも帰農した武士がいれば武士の末裔、2万人のうち一番偉そうな人だけ拾えばいいですもんねw
ここの動画の主さんが語ってますけど最近では秀吉の刀狩=武装解除ではなかったようです。 kzread.info/dash/bejne/dp-MurB6g9DZg9o.html
百姓というのは今でいう一般人という意味で職業は必ずしも農業ではないようだ
BGMでけえ
亡くなった父親の話によると、江戸時代の我が集落は60戸で形成されたいたと言われており、その中で本百姓は5戸だったと言っていた。この辺では本百姓を「いっちょ前」と呼んでいたそうな。我が家もその中の一軒で、庄屋が我が家を訪れた時に便所に入り、小判5両を便壺に落としたという逸話が残っているよ。戦前までは刀が4振りあって、父親はその一振りを改造して鉈がわりに使っていたとも言っていた。 因みにその他の刀は戦後進駐軍に没収されたんだってよ。 江戸時代は米の穫れ高は一反歩当たり穫れても3俵だったそうな。現在は9~10俵は穫れるがね。
ここのコメ欄農民の自己紹介が多すぎるよね
卓球の石川選手が農協から米100俵貰ったらしいけどコレって江戸川で言えば何石なんだろう。
@user-bx4ny1tf1r
2 жыл бұрын
確か40石
百姓といえば一揆、しかし一揆≠武装蜂起なんよな その観点から刀狩りは本当に効果があったのかを動画にしてほしい
@user-pw5lb3dt2v
2 жыл бұрын
刀狩りで没収された武具の内訳を見ると(出典は失念)ホントに"刀ばっかり"集めてるんですよね。 たぶん主目的が武装解除ではなくて武士身分の固定化にあったものと思われます。 武装解除が主目的なら槍より刀のほうが多くなるのは不自然ですから。
@fep2901
2 жыл бұрын
私の親戚の田舎である長崎県の諫早市では、武装蜂起がなく幕府の代官所や奉行所への直訴のみを闘争の手段として用いた 諫早一揆というものがあったそうです。 佐賀35万石を改易の一歩手前まで追い詰め、最終的に首謀者は磔になりましたが一揆勢は戦略目的を達成したのだとか。
@tillc8092
2 жыл бұрын
@@user-pw5lb3dt2v 真の武装解除はマッカーサーからなんて言われますもんね
昔の悪い名残を未だに引きずっている地域もあります。 令和の世ですら、隣の田植えが終わっていないと出すのは口だけというタチの悪さ。
@shiramin
2 жыл бұрын
現代でも農家の方は働いているんですよ?
@user-uz2pj1dr4k
2 жыл бұрын
@@shiramin 誰が今の農家さんについてコメントしましたか? 今は個人で税金を納めるから隣の家の田植えが終わっていようと無かろうと口出し無用。 それなのに村の意識だけが残って田植えが終わってない、あの家の田んぼはと陰口を叩く。 と言う事例の話です。
農村育ちです。 隣近所は親戚のようなもの。
z
俺の廻りには先祖様は武家と云う輩が5割位居る。 オレは「水呑百姓の末裔」と云ってるが定かではない。😎 因みに地元では珍しい日蓮宗。 母方の実家には日本刀とか在ったとお袋が言ってるがどっかから流れて来た事も否定できないなぁ。(^_^)/
現代の日本人の8割 「自分は武士の子孫」
@shiramin
2 жыл бұрын
江戸の百姓の先祖のルーツは武家などなので間違いではない 安心してほしい、君の先祖も武士だ
サムライ日本ではなく百姓ジャパンが正しい農民それも小作人が人口の70%以上、侍は0.7%、後は商人、大工、エタ、非人等
変わらない!今の私でも、村落の中の、一家の存続は、守られねば、ご先祖さまに、申し訳ない!跡継ぎいなくとも!せめて、お墓を、綺麗にし、お盆を迎え、守ること!!! 私の、一命より、貴重です。 これが、日本国の、民意かな?でもね。甥たちが、お墓だけでも、守って、くれそうなのが、嬉しい!
水戸黄門と吉宗のほうが百姓いじめていたという。
ヤルタ秘密協定を掴んでおきながら混乱を恐れ満州国の国民に伝えなかった日本軍部の責任 中立条約など当時の政府も当てにしていなかった
民主主義の原点 話し合いで物事を決める 多数決では無いのです 欠点を直しつつ前進を続けるって最高なのです 今の政治は何でもかんでも多数決 欠点は放置し責任も放棄しているのが現代 憲法違反の法律調べたこと有りますか
@user-rw2jt7yx4p
2 жыл бұрын
西洋近代式政権の言う民主主義は領民に自然権を政府に差し出させる為の言い訳でしかないから… 多数が特定の団体を支配する規定としてこれだけ穴だらけでふざけたものもない