【歴史解説】ゆっくり大江戸87~暦と百姓のお仕事~【江戸時代】
前回からお送りしている江戸時代の地方について
第二回目の今回は暦と百姓のお仕事についてです
※この動画は東方Projectの二次創作であるゆっくりキャラを用いた解説動画です。またキャラ素材【ゆっくり魔理沙改】の改変素材を個人的に作成、使用していますのでご了承下さい
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■zero sen(ゆっくり近代史解説チャンネル)
/ @zerosen1868
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Пікірлер: 79
このチャンネルの本編前、前口上って感じでいいなぁ この情緒は業者には無理だな
何年か前にばあさんが、「今年は閏四月があって冷夏になりそうだから田植え遅くする」って言ってて旧暦気にしてやってんだーって思ってたらほんとにプチ冷夏だった。
@user-ik3ec5xg3b
2 жыл бұрын
婆さんいつ生まれだと 曾祖母は両方明治だったわ 何気に近いのかも
晩御飯を食べながら視ました。 今日は回鍋肉と枝豆と味噌汁でしたが、回鍋肉のピーマンも枝豆も味噌汁のタマネギも、もちろん白米も、農家のみなさんの汗の結晶なんだと思うと、こんなに美味しい食事をいただけるというのは有難いことなんだと改めて実感しました。
@deltacs4934
3 жыл бұрын
水を差すようで悪いけどそのお味噌多分アメリカかカナダが農薬散布飛行機ばら撒いて作った大規模農業製のやつ…うまいけどね
@Cubtaro-PAWAPURO
3 жыл бұрын
@@deltacs4934 なんですと! でもまぁ、アメリカの大規模農園の人にも感謝ですな!
こうした百姓の創意工夫が現在、我々の美味しいお米に繋がっていると思うと本当にありがたいですね。ウチは農家からお米を買ってますが新米は本当においしいです。
戦がほぼ完全に無くなり、武具を作っていた鍛冶屋が農具をつくるようになり、気候も一時的に温暖になるという最高の条件が整ったからこそ、元禄まで食糧生産が安定していったという事ですね。天下泰平の恩恵は正にこれだったと言えます
@user-ik3ec5xg3b
3 жыл бұрын
鍛冶屋は刃物中心で鋳物屋とはかなり別系統なんだよね
当時千歯こきとか唐箕はほんと便利だったんだろうな。
@Laurel-2.5clubs
2 жыл бұрын
ワシの家、昔倉庫にあったよ。 植える時にはきちんと真っ直ぐに植えれるように数メートルの棒を三角形に組んでる器具とかもあったよ。
小学校の社会の授業で千歯扱きや唐箕など脱穀セット一式を見学した記憶があります。学校で…先生どこから持ってきたの…と思いました。脱穀した籾はゴザに敷いてザリザリやってた記憶もありますがうろ覚えです。とてつもなく手間がかかる作業だと思っていました。 とにかく先生がとても張り切って熱弁していたことが印象的でした。私の祖母も(戦時期経験者)お茶碗のご飯を一粒でも残すと「お百姓さんが苦労して一粒一粒~」と説教されましたけど同じぐらいの熱意ですかね。
@user-cd2ot1ib9y
3 жыл бұрын
農家出身の人間ですが、現代でも唐箕とかは納屋にあったりするんですよね、、、。(当時のものかはわからないですが)
エジプトの様な、農業主体の文化では種まきや収穫のタイミングが重要となるので、太陽暦が好まれる。 イスラム世界の様な、商業主体の文化では契約期限や納期が重要となるので、太陰暦が好まれる。
ちょっと気付いたけどなんか現在のプロ野球選手とちょっと似たカンジのサイクルぐらいになってるんですね(正月→目標立て、3月→オープン戦・準備期間、4月→本格スタート、夏→シーズンの重要期、秋→首位争い・優勝決定戦、冬→オフシーズン)
おつです。 二十四節気はまさに農業従事者のための命名法ですよね。だから穀雨や芒種辺りはわかりやすいんだけど 農閑期の冬(小雪から大寒)がすごい適当w
うp、ご苦労さまです。 近い親戚が農家なのでイロイロ考えさせられる動画でした。 最後のコメント21:10はとても良かったと思います。(礼)
仕事の関係で北陸で15年近く生活しましたが、24節気がいかに農業と深く関わっているのかその時初めて知る事が出来ました。 大切にしていきたいですね。お米や作物は感謝してありがたく頂きます。
最近のカレンダーには24節季の項目がなくて不便です。今は専業農家は減少していますが、家庭菜園をやる方は結構いるので、カレンダーに24節季を復活させて欲しいです。
勉強になりました。 ありがとうございます。
地方シリーズに長州・佐賀・熊本を取り上げて下さい 破産寸前の潘を表高以上の石高にした実積があるので
映像に使用していた「花心殿」って建物は福島県にある温泉宿にある物ですね。 その温泉宿は実にゆっくり出来る宿だった記憶があります。 コ○ナが落ち着いたらまた行きたいなぁ
明治になって欧州に合わせる為に暦をひと月近くずらした時に24節気も2マスずらせば、クッソ寒い最中の意味不明な『正月=新春』って言う馬鹿なテレビCMは見る事は無かったんだろうなぁと思います。
そろそろ、利根川を捻じ曲げた江戸の立役者 伊奈一族について動画作ってほしいなあ。。。なんて思ったり 今は亡き関宿町民より
平成初期だけど古い農家の庭先に毎年時期になると千歯こきやトウミが置いてあって「あれが学校でやったやつか」と。 道が土手の上だったから、農機具を上部からというレアな角度で堪能してた。
「いただきます」に込められた意味の重さよ
日本が日清日露大東亜と戦争を行えたのも徴兵した多数の農家の男の足腰が強く体格以上に体力があったからだしなぁ・・・
動画でも農家の背景を知るだけで、普段食べているご飯に感謝の気持ちが沸き、そして美味しくなるものです。 また次の動画も楽しみにしています。
農家の確保は戦国時代からどこの領主も知恵を絞っていたそうで、そう考えると島原の乱のように住民根絶やしも辞さず、というのは、為政者の側からしてよくよくの決断だったと言えるな。
決められてるから休むんじゃなくて自分で考えて休憩入れながら働く方がストレスは無さそうね
額縁にある「胡麻の油」とは「西域物語」に出てくる「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」という言葉で、百姓を「胡麻」に例え、年貢はいくらでも厳しくできると考えられていた。 15:11に魔理沙が「ほんの昭和まで....」と言っていたが、KZread動画で「映像に残る茨城県の戦後史~産業編~」(1988年(昭和64年)制作)で、江戸時代から殆ど変わらない農業風景が映し出されている。この頃は戦後GHQによる「農地改革」で「小作農」が「自作農」となり当時「地主にから借りていた土地」が「自分の土地」として農業が出来る様になっていたが、一部機械化はされているものの、農作業自体は相変わらず江戸時代の「日常」であった。農家の住宅も茅葺屋根で土間もあり、竈(かまど。「へっつい」とも)で煮炊きし、勿論「米俵」もあった。 板橋区の国の重要無形民俗文化財「田遊び」も収穫が終わった後に行われる祭りであったが、その当時は幕府より「質素倹約」が奨励され、落語や歌舞伎同様に盛大な秋祭りが許されていなかった。そこで、みんなが寝静まる夜にひっそりと隠れるようにして祭りが行われる所が多かったという。
このチャンネルの引き出しの多さには感心します。 武将ばかり扱われても「人殺しが仕事の血生臭い人間」と言う印象は拭えません。 まあ、百姓もキレたら人殺しするけど団子みたいに首取りする武将と比べたら僅かなものですから。
今でも彼岸が区切りだと思っている。 とは云っても、夏場はお盆を境にこの前後で台風が通過した後は、やはり早朝や夜半は涼しくなってるのは今も昔も変わらない、ただ昼間は秋分までは暑い、兎に角クソ暑くてガリガリ君が欠かせない。 ところで、古い集合住宅(マンション)だと、壁の蓄熱による配管(上水)の吐水温度で季節の移り変わりを感じる事が多々有る。 何故か今年は例年より吐水温度が低い、おそらく巣籠もりが原因だとは思っているが、昨年よりも低いので季節が進んだと勝手に理解してる。
幼少期から手伝わされました。子供も大きな働き手、部活なんて悠長なことは言ってられなかった。親が暗くなるまで田んぼや畑に要る時日暮れまでに手伝いから帰宅し、風呂炊きやご飯炊きをし漬物を切りお茶を作っていましたよ。この内容の通りの生活でした。子供心にも泣きたかった。
最後の問いは秀逸なまとめだった。人が人らしい暮らしと考えると今よりも自然に即した人らしい暮らしに思う。
ゴマの油ほどに絞られていた訳では、無い様ですね。
農家も収穫やどのくらい食料にするか計算が必要で、そのために寺子屋に行っていたとか。寺子屋などもお願いいたします。
年末年始は本屋に新しい暦が売られていますね。無料で貰えるものは情報が薄いのでちゃんとお金を出して買う、と。 祖父母が信仰が深かったので毎年買って、毎日その日の暦を読んでいました。
お、使用画像が地元…… 今の農家(※ブランド作物を作り契約もそこそこある中の上クラス)の一例ですが 春夏は動画よりも若干軽いくらいで、繁栄時は日が沈む夕方まで作業してすぐ寝て1時に起きてしこみ作業なんてものも珍しくないらしいです。 一方冬はやることがないので10時間寝たり旅行に行ったりするそうな。 羨ましいけど、僕個人は体がそんなに強くないのでやりたいかどうかは難しいところ。
民謡や盆踊りは農民のお陰かな
江戸のために作り田舎は正月にこっそり白米食べる文化は泣ける
ラジオのように聞いて、もう一度映像と共に楽しませていただいてます(^^) 白土三平さんのカムイ伝とかサスケ読んでからもう一度観るとまた楽しい! 飯ウマ動画ありがとうございます😊
サイクルが太陽の運行/季節ではないけど、現代の日本企業でも、種蒔き/企画立案から、収穫/資金回収を経て年貢/納税って感じで働いてますよね。
いつも楽しく視聴させております。 終盤の言葉がこころに響きました(^-^; 今回もありがとうございました。
年貢を済ませた百姓ほど気楽なものはないなんて言葉があったし、冬の間出稼ぎに行く人は甲斐性無しの出稼ぎ者と見下されたというくらいで、収穫が安定し無茶な課税がされなくなった安定期の農家はそこそこ豊かなものだったんでしょうね。
機械化しても原理的には江戸時代とほぼ同じ理屈で動いてるんだから江戸の技術はすごい
ホリエモンが言うところの、太陽の運行に全てを支配された生活というやつだな。 でも太陽の運行から脱却した現代でも労働は辛いものだから、人間は労働の苦しみからは一生逃れられんな。
@user-zj1qv1yc2u
3 жыл бұрын
苦労の形が変わるだけ、この世にパラダイスはないですね
@user-ko3sj1gz9m
3 жыл бұрын
旧約聖書にある「失楽園」の話しですな🎵(笑)
農業に専念できるって環境は、平和があっての物だから今でも考えさせられる。 現在は高価だけど機械を使う事で、作業は比較にならないほど楽になっている反面 収穫等どうしても人の手で行わないといけない部分もあり、これ以上削ることはできないでしょう。 (画像認識システムとAIの連動、フリーアーム等でも行けそうな気もするけど…) 収穫の楽しみは今も昔も変わらないでしょうね。 自分が精魂育てた野菜が実るのは嬉しいし、それを食べてくれた人が 美味しいと言ってくれる言葉ほどやる気に繋がることはないです。(建前) 本音はちゃんと美味しく育ったものが売れて、みんなハッピーってことですけど。 より手間のかからない方法で美味しいものが作れるかを 大半の農家の方は試行錯誤し続けていくでしょう。
『天地明察』の漫画版で暦の奥深さを知った
田舎住みです。 子供の頃は専業・兼業含めてまわりはほぼ農家だったんですが 今でははぼ委託となり自分でやってるとこは2軒のみとなりました。 時代ですね~
現代でも24節気を理解してると、そろそろ寒の入りだからダウンの確認とか、体調管理とか天気とか便利に使える。
この忙しさ!「兵農分離」なんて織田家みたいな成長し過ぎた大大名家が「仕方なく」やったことですね。専業武士なんて堅気にはできない。
19:55 これ実はカール・マルクスが理想としていた社会ですよ。彼によれば資本主義社会によってそうした人間らしく生きるのではなく、資本家によって資本家の都合によって働くために本来の働くことの意義が失われたということですから。
時代錯誤の手作業メインの米作りやってるので、何か我が家の話をしているような気分でした。 しかし昔の人はもっと働いてたんだろうなぁ。すーぐダラけちゃうから先人に合わす顔がありません(/-\*)
実家がド田舎農家の者です。 なんかありがとうございますw 唐箕は幼少期の実家にありましたww
お百姓さん国の宝。
うぷ主が青森県民である事が分かる良動画。
江戸時代に農業用水路を整備したのも大きいと思う。 うちの地元には、それを計画して施工した家老の神社がありますよ。
宮崎安貞って、どんな人だろう? 伊能忠敬くらいドラマチックな人だったりするかな
兵役よりきつい農作業ヤバい
農機具は確かにありましたねぇ 小さい30年前頃は試しで家でしたよ。 おやじが邪魔だからって唐箕は数年前に壊して捨てたな…親父はせっかちだから…
五木・竹田の子守唄に代表される子守り奉公は出産を終えたばかりの女性まで労働力に使ったことを示しているように思います 歌詞がまさにそうなんですよ
種籾の発芽促進には 40~50度の湯が使われるよ
何時もお勉強させて頂いております、感謝感謝ですが、バックにドンドン ドンドンと太鼓の音が耳に響きまして字幕だけでは解らないので声を聴こうとすると頭が痛くなり切ないので見せて頂きたいのですが途中で断念しました。残念無念で候。
千歯こき、って日本の発明だったんか…
なんか信長の野望で、余った年貢米売りさばいて茶器なんか買ってたのが申し訳なくなってくるなw
江戸時代の百姓は自然とともに生きていますね. 現代の都市で働くサラリーマンはどれだけ自然と調和して生きられるか.
あれ、バクがいなくなってるΣ(゚Д゚)
お米1粒に7人の神あり
節気のズレは、大陸関係無くて太陽暦と約半月ズレてる太陰暦だからじゃね?そっちで見たら、大体事象は合ってるぞ。
……(サクナヒメでやったやつ……!)
字がもう少し大きいと読みやすいです。特に農業全書の説明ぐらい小さくなるとかなり厳しいです。
ああ、いいな
食が安定しての経済。今の日本はどうだろうと思う。