江戸時代の吉原遊女の生活!忙しかった花魁の1日ルーティン
最盛期には、4000人~5000人の遊女が働いていた吉原遊郭。
吉原遊女の1日はどのようなスケジュールだったのでしょうか?
今回は、江戸時代における吉原遊女の1日ルーティンをご紹介します。
▼もくじ▼
00:00 江戸時代の吉原遊女の1日ルーティン
00:48 午前6時~正午(明六ツ~九ツ)
03:00 正午~午後6時(九ツ~暮六ツ)
05:37 午後6時~午前2時(暮六ツ~八ツ)
09:33 遊女の楽しみ
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▼主な参考文献▼
『図説 吉原遊郭のすべて』(双葉社、2022)
amzn.to/3P1fNie
堀江 宏樹(監修)『美人画で辿る江戸・吉原の世界』(宝島社、2016)
amzn.to/3OWzrvR
永井義男『図説 吉原事典』(朝日文庫、2015)
amzn.to/3WQIAYR
『図説 江戸吉原の本』(洋泉社、2012)
amzn.to/3MNlIVq
佐藤 要人(監修)『図説 浮世絵に見る江戸吉原』(河出書房新社、2007)
amzn.to/3MYh7Qn
他多数
▼主な画像出典元▼
ColBase
colbase.nich.go.jp/?locale=ja
早稲田大学図書館古典籍総合データベース
www.wul.waseda.ac.jp/kotensek...
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素敵な音楽と端的な解説、綺麗な資料の映像でまとめて頂きありがとうございます。江戸時代の資料を見ていていつも疑問だった禿についても雰囲気がよくわかり大変勉強になりました。そもそも自分の意志で遊女になった訳ではなく、貧困などの理由により口減らしで物心つく前から遊郭で遊女達と生活し、その生活を肌で覚え遊女になっていく、遊郭しか知らない子供達が沢山いたのですね。年間休日2日、常に性病や疫病の感染リスクが高く、接客によるストレスも多い。イベントだけを楽しみに生活する遊女の切なさが伝わってきました。ありがとうございました。
華やかで切ない人生かも…ですね
廓を抜けると重い罰が待ってる遊女は重労働でも年季明けまでやらなくてはならない 過酷な労働環境ですね
過酷ではあったんでしょうが、公娼だから酷い環境で街娼をしていた夜鷹よりはましだったかもしれませんね…。努力次第では吉原の中で上に上がれるかもしれず、良い客がつけば年季明けに一緒になってくれるかもしれないので、希望もあったと思いたいところです
吉原の花魁の歩き方は外八文字ですが、 京都の遊郭の花魁は、歩き方は内八文字ですね。
ナレーションも映像も最高でした 朝6時 冷たい 木の廊下と畳の匂いの中で 送り出される朝は思うところありですね ただ女性を 遊女と呼ぶのはやだな 今仕事が夜勤専門 にしてますから 休みの日に 思うこは 夜って本当に綺麗だなと思います なんとなく 遊廓のこと想像しながら映像を見てると 感動しました
それだけの長時間労働と飯の少なさだと上を取り仕切ってる人間は余程儲かってたんでしょうね
これはしんどい!(・_・;)もっと休ませてあげて欲しい。 ご飯も少ないし体が保たないでしょうね…禿達にも沢山差し入れしたい🍱🍡🥮 とは言え、やはり遊女達の着物も美しく(前で締める帯も豪華✨)華やかな催事も楽しそうで行ってみたくなりました。彼女達の息抜きにもなっていたなら良かった。
俺はカムロだった?
=アイドル? そもそも芸能界自体、山口組とか渡世業界が仕切ってたみたいだし
こんな生活してたら流行り病は一気に蔓延しちゃいますね。
文化庁の予算削って、このチャンネルの運営費に回してほしい