江戸時代の吉原遊郭の構造!郭内や妓楼はどんな間取りだった?
「日に千両が舞い落ちる場所」と称されるほど繁栄した吉原ですが、郭内はどのような造りになっていたのでしょうか?
今回は、吉原遊郭の構造についてご紹介します。
▼もくじ▼
00:00 吉原遊郭の構造
00:42 元吉原から新吉原へ
02:31 吉原へのルート
05:20 吉原遊郭の構造
09:55 妓楼の構造
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▼主な参考文献▼
『図説 吉原遊郭のすべて』(双葉社、2022)
amzn.to/3P1fNie
堀江 宏樹(監修)『美人画で辿る江戸・吉原の世界』(宝島社、2016)
amzn.to/3OWzrvR
永井義男『図説 吉原事典』(朝日文庫、2015)
amzn.to/3WQIAYR
『図説 江戸吉原の本』(洋泉社、2012)
amzn.to/3MNlIVq
佐藤 要人(監修)『図説 浮世絵に見る江戸吉原』(河出書房新社、2007)
amzn.to/3MYh7Qn
他多数
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この動画は素晴らしいですね、浮世絵を使ってヴィジュアル的にここまで吉原を描き切った例はほかにないでしょう
吉原には行ったことがありませんが今回google map を見ながら動画を拝見しました. 見返り柳・五十間道・吉原大門跡など一応目印がありますね
すげ~、ガイドブックまであったのか。今の夜の街とあんまり変わらない雰囲気だったのかな。江戸に転生したら、一度は行ってみたいね。
情報の質が高い、言葉も的確
勉強になります。 他の歴史系の追随を許さないほど情報の質が高い。 主さんは歴史の研究者かなにかですか?
旧ヨシワラは葦の原っぱで、浅草に移転して「吉原」と文字を変えました。同じ様に札幌市のすすき野です。旧ヨシワラは葦の表記をした方が判りやすいのでは。お歯黒ドブは、吉原の堀が流水が悪く、ブヨ(蚊の幼虫)を繁殖させない為でもありました。
勉強になります
素晴らしい動画です\(^o^)/浮世絵での当時の人々の生活や風習 風俗 息遣いが見えるようで、大変良かった\(^o^)/ ありがとうございます\(^o^)/
東京芸術大学で開催中の「大吉原展」の予習のため、拝見させていただきました。ものすごく勉強になり、おかげで理解が深まり展覧会を二倍楽しめました!ほかの動画も内容は素晴らしく、チャンネル登録させていただきました!
蔦屋重三郎がシティヘブンの生みの親か
こんな騒がしそうな場所で遊んでいたのかぁ…今でいうハプニングが起こるバーみたいな感じなのかな
とても広くて遊女でなくても働く(場所を覚える)のが大変そうですね。 もし自分が行くなら、船で川辺を見ながら遊びに行きたいと思いました。 8:20の3人の頭が斬新過ぎて1番びっくりΣ(´∀`;) べっ甲の簪をここまで使ってるのも凄いけど、鳥はどこから…?剥製…??
仲の町にズラッと並んでる桜は植木。イベントごとに運ばれる。スポンサーは大旦那(金持ち)
こんばんは😊 大人のディズニーランドですね🎉
江戸時代は全てがアナログだから犯罪も少なかったんだろうな。