【井上成美の最期】帝国海軍きっての知性といわれた最後の海軍大将。海軍三羽烏の一人。

こんにちは。『祖国日本』です。
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Пікірлер: 289

  • @ojisanarakan133
    @ojisanarakan133 Жыл бұрын

    政治が嫌いとはいっても、海軍きっての軍政家だったのではないか。 戦後も日米開戦に反対した人物の一人として立ち振る舞えば名声を得ることができたかもしれないが、軍人として自らを律し静かに余生を終えたところに不器用さと潔さを感じる。

  • @kanesadakuzyou
    @kanesadakuzyou Жыл бұрын

    以前、井上元大将の肉声を聞いたことがあります。 その中で、特攻隊で命を落とした若者達に泣いて詫び、最後は声になっていない状態でした。 自他共に認めるリベラリストの井上元大将は軍人としての自分に深い懺悔の思いを持っていたのだと思います。 また、戦後に英語教師をしたのは一人でも多く将来を背負う立派な若者を世に送り出すためであったとも 聞き及んでおります。 戦闘だけが軍人ではない、井上元大将は日本の将来を思って自分の中の正義を貫いた方だと思います。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    いつの時点での「肉声」なのか、大変興味があります。 御教示頂ければ幸甚です。 特攻隊について泣いて詫びるというのは元高級軍人が割によく使った手口で、陸軍でも富永恭次や菅原道大に似た様な話があります。 菅原氏などは陸軍航空草創期からの航空関係者として特攻隊にも個人としては批判的だったとも言われますが、 「生き残って国の為に尽くす」 とかで戦後に永らえ、記者の取材を受けて泣いたのを、高木俊朗あたりからこっぴどく批判されていますね。 前線帰りの士官が旧知の井上成美(当時海軍次官)に 「特攻は作戦の外道だからやめさせろ」 と直訴したものの、井上成美は返事もしなかったのだとか。 その一方で艦艇修理の優先順位変更にはその場ですぐ処置を取ったという。 戦争遂行処置(特攻隊含む)に有能さを示した人ではあっても、戦時中に取り立てて「人材温存」「終戦工作」をやった人ではありません。 戦後になって言われる「先覚者的発言」にしても、発言状況を洗うと、役人として実に慎重に状況や状況を選んでモノしている印象があります。 役人としての失脚が無い程度にTPOを選んでモノしていた発言を戦後に綴り直して 「オレはこう言っていたのだ」 と自己申告しているだけの人、それだけの人です。 だからこそ、いわゆる「井上成美の功績」「井上成美の先見の明」を示す資料は、本人の戦後の作文の「思出の記」以外にほぼ記録がありません。 (「井上成美の終戦工作の具体的実績とは?」と尋ねて、まともな答えが返ってきたことはありません。そもそもナイからです) 特攻が作戦として酷いものだくらいのことは、大西瀧治郎でさえ考えていたことだ。 戦後になって泣いて見せるなら、戦中当時にどんな態度で身を処していたというのだ。 特攻前提の物動に反対もせず、海軍次官として対処していたのは井上成美本人です。 また、よく言われる井上成美の「人材教育」ですが、結局こんなものも本人の戦後のイイワケに過ぎないのでは? 軍人の学校の教育はある意味「専門教育」なのだから、英語含む広い一般教養を備えた人材の重視だのが本当なのだとしたら、戦時下の軍人志望の少年に2年や3年の英語教育を施すより、旧帝大や外語大あたりを出た人材の温存育成でも図った方がよほど日本の将来には有益だったはずのものだ。 「勝てば英語がいる。負ければなおいる」 と言っていた井上成美本人からして、ゲイシャガールの米軍人接待用に英語を教えるのと、塾教師としての収入のネタになっただけ。 「元海軍大将として日本の立場を対外発信する」 「元海軍大将として部下の擁護に一席ぶつ」 なんて役には全く立っていません。 自分の不作為が原因で(つまり身代り同様の状況で)死刑になった部下(教え子の父でもある)の為には何もしていない。 直接の自分の部下の戦犯裁判(しかも元はと言えば井上自身の命令の遅延が原因だから、身代りみたいなものだ)に何の動きも見せぬ者が、特攻隊の戦死者には泣いて見せる? 言われても何の処置も取らなかったのに? 一般大学卒業生らが大量に特攻隊に編入されていたのに? それで戦後に泣いてみせていたなんて言われても、心底を信用できません。 そんな井上成美の教育とやらを褒める人が多いというのが、私には本当に不思議です。

  • @kanesadakuzyou

    @kanesadakuzyou

    11 ай бұрын

    @@user-fo7ig9vh3m 井上成美の肉声は多分1960年頃の物だと思われます。 数年前にネットで探しましたので、削除されていなければまだ検索可能と思われます。 また、特攻については色々な意見があり、それぞれに傾聴すべき内容だと思います。 現代の私達からすれば「なんて愚かな事、狂った事」と思われる作戦とも言えない話かも知れませんが、それが「可怪しい、変だ、間違っている」と判断出来ない国家の指導者を支配し、雁字搦めにして機能不全になるのは、受けた教育に基づく価値観が問題だと思います。 大元が違う所からスタートした当時の方と歴史を既に知っている自分達世代は少しその背景の違いを理解必要かと思います。 当時は陸海軍共に「國體護持」と「一撃講和」に支配されていた事もあったので、指導者の判断も個人差ありますが、現代視点ので合理性を欠いていた事も十分想像に難くないのではないでしょうか? 過去の「海軍大将の額を・・・」の下りですが、井上成美は軍人ではありますが、どちらかというと直接部隊を指揮する軍令系ではなく、政治に近い軍政系の軍人です。 このため、「戦争は政治の延長」という理念の元、戦争にならないためのバランス方策を考えての話ではないでしょうか? 実際、ワシントン軍縮会議に出席した加藤友三郎も最初は艦隊均等を主張していたそうですが、途中から軍縮賛成に方針展開したそうです。 合わせてですが、「芸者に英語を教えて・・・」の下りは料亭「小松」の店主 山本氏からの依頼の話でしょうか? あの話は、山本氏から料亭に来る米国人を相手するに当たり、英語を教えて欲しいと依頼されて、旧知の間柄かつ食事等の生活困窮を援助してくれた事に対する対応と記憶しております。 もちろん、山本氏は井上成美の生活を助ける意味もあるので食事や車料としてのお金は渡していたそうです。 但し、私が調べた限りで、陸軍の冨永恭次は行動には理解に苦しみます。 自ら特攻隊に訓示をし、「自分も最後に行く」と言いながら、敵前逃亡で温泉に浸かっている等論外です。 これを恥じてか、その御長男は勇んで自ら特攻機に乗り、敵に突入したそうです。 その出で立ちは、まるで三国志の英雄武将が出陣するかのような、絵に書いた剛の者であったと言われております。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    11 ай бұрын

    ​​​​@@kanesadakuzyou 御教示感謝。 ネットにあるということなら、井上成美の肉声については、私も探してみます。 ご丁寧なご返答を頂いたので蛇足ながら二三。 当時の価値観といま現在の価値観との乖離は当たり前の話なのであって、特攻にしても、私は今の視点から「ひどい話だねえ」とだけ言う気もなければ、逆に当時の人間同様に「これでこそ日本人だ」と手放しに称える気もありません。 但し、他人に絶対的な死を強要する位置にありながら戦後に手のひらを返すのは非常な偽善だと考えます。 例に挙げた「前線帰りの士官の直言(特攻は作戦の外道だやめさせろ)」は、別に戦後の価値観によるものではない。 当時の軍人の価値判断だ。 これに対して答えもしなかった井上成美が(それこそ戦後の価値観に合わせて)泣いて見せるくらいなら、当時はいかなる手段を取ったというのか。 海軍次官は実務の最高責任者のはずだ。 特攻前提の海軍の人事や物動にいかなる措置を取っていたのか。 戦後に泣いて見せるくらいなら物動なり人事なりで阻止しようとでもしていたのか。 目前に見ていて何もせずスルーしていたのならば、あれは仕方なかったのだとばかりに述べる資格はありますまい。 他人事の如く泣いてわびて見せるより「彼らの犠牲でこれだけの成果があったのだ」くらいの発言がなければ辻褄が合いますまい。 結局戦後での手のひら返し。 そういう話です。 「自分も後に続く」と特攻隊を送り出しておきながら最後に自分は台湾へ逃げた第四航空軍司令官・富永恭次は 「自分の倅も学鷲として散ったのに、それをつかまえて命が惜しいのかと言うか」 とか泣いて怒ってみせたのだそうですが、本質的にこれとどう違うんだ? 特攻作戦を面詰されてもダンマリで処置もナシだった人間が戦後に泣いて見せるというなら、己の責任に言及しないだけで、結局似たような話ではないか。 井上成美氏のオハナシというのは、結局ほとんどこうした「戦後メイキング(の自己申告)」であるところが不愉快だと言っているのだ。 偽善者だと言っているのだ。 オノレの不作為で他人様を死なせた点では、井上成美には「クェゼリン事件」という「前科」もあるのだ。 必ず責任回避のアリバイを作り、主張のTPOを慎重に選ぶ「大過無い」役人渡世を貫いた後で、戦前戦後の価値観の乖離を上手に利用してイイワケと他者批判を繰り返した男。 振る舞いが清水幾太郎あたりに実に酷似した男。 それが井上成美。 そう思っています。 軍政系向きだ軍令系向きでないのだと言う人も多いのですが、お気楽な結果論だと思います。 海軍軍人なんて、そんなもんでもつとまるのか。 娑婆でどんな特技や適性があろうが、兵役に入れば一兵士です。 オレは○○の方が向いているんだが、なんて言うわけにも行かないの一兵士なのだ。 そんな兵士を命令一下で死地に投じる権能さえあるのが指揮に当たる立場の軍人です。 それが「適性は軍令でなく軍政の方だから」??? 指揮下部隊の出さずとも済んだ損害は「適性が軍政だったから」となるのか? お気楽な話だと思います。 軍人の仕事は 「自分の働きで敵を追い払った」 「私が取っておいた措置で敵の侵攻侵圧を阻止した」 と言えてこそナンボです。 政治家や外交官が部隊活動に一々指示を入れるのが仕事で無いのと同程度に、終戦工作やらの活動を誇るなんて、そもそも本業逸脱なのだ。 (予備役として海軍を離れていた鈴木貫太郎や岡田啓介らの活動は、私は一応は評価します) 勝てる役には立たないが負ける役には立つ大将なんて、前線将兵を侮辱するものだとさえ思っています。 百歩譲って「軍政系」としても、軍政方面で井上成美が誇りうる業績とは何ですか? 航空本部長時代にどんな成果がありましたか? 自らの主張(島嶼戦闘重視)の舞台たる内南洋で何をしていましたか? 井上終戦工作とやらの動きとは、高木惣吉に丸投げしたのと米内光政を「叱りつけた」のと、終戦間際に次官職を放り出した(つまり井上成美がいようがいまいが関係ない)こと以外、具体的には何があるのですか? 二・二六事件(と陸軍)をあれ程批判した同じ男が、東條英機暗殺計画まで立てた高木惣吉を腹心としていたというのも、実に下らない。 海軍がやるクーデターなら構わないのか? 結局(一事が万事だが)戦前戦中戦後に至るまで反陸軍無罪しかロジック無いだけの話じゃないか。 所詮それだけの人ではないか。 教育について。 一般教育重視だの英語教育重視だのと讃えられていますが、それこそこんなものは「戦後の価値観」じゃないのか。 一般教養備えた人材が日本の為にそれほど重要だというのなら、戦時下に海軍兵学校を目指してきた青少年に2〜3年間の英語教育や「一般教養」を施すより、高等学校→帝大、専門学校卒あたりの人材を温存すりゃいいだけの話。 兵学校卒業の代用士官として大卒を特攻隊に突っ込む様な事をしなけりゃいいじゃないか。 「軍人養成にダルトンプランは不向き。ある程度は鋳型に嵌める」と永野修身を批判したと言いますが、軍人としての養成を前提として考えていたというのなら、占領による陸海軍解体なんて井上成美にはむしろ予想外だったのではないのか? だとしたら「敗戦と亡国は違う」なんて発言自体、マトが外れてるんじゃないのか? こういう意図で云々なんて話そのものが、(一事が万事で)結局戦後のイイワケなんじゃないのか? 強くそう思っています。 解決できもしない支那事変を解決してみせると称して百一号作戦(重慶無差別爆撃)を遂行した同じ男が、アメリカ相手には勝てっこないと責任放棄で、負けた後には役に立つ英語を教える。 米軍のハルゼーは「お前らはジャップのパイロットの前でハワイアンダンサーが踊るのを見たいのか!」とハッパをかけていたと言いますから、こちら側ではアタマのイイ海軍大将が米軍お遊び御用達とばかりに芸者に英語を教えていたなんて話は、やはり情けない光景です。 その一方で、己の不作為で身代わりの様な刑死者(兵学校での教え子の実父でもある)を出したクェゼリン事件には頬被り。 (裁判の証人にもならず、助命嘆願さえ出さなかった) これまた役人渡世の帰結というべきものだろうと強く思っています。

  • @user-rp7dw1th2l
    @user-rp7dw1th2l Жыл бұрын

    良い動画でした。理性有る軍人がいた事、そして人生を全うされた事に安堵と感銘を受けました。

  • @user-ul3rf1zw7q
    @user-ul3rf1zw7q Жыл бұрын

    ラジカルリベラリストで在られました。若い頃に阿川弘之さんの小説で識り、大変な影響を受けました。

  • @morichan9390
    @morichan9390 Жыл бұрын

    阿川弘之氏の「米内光政」の中で歴代海軍大将の中でも一等大将、二等大将、三等大将があると云っていた 井上大将が一等大将と認めていたのは山本権兵衛、加藤友三郎、米内光政 リベラリストの盟友先輩でもあり真珠湾攻撃を実行した山本五十六元帥でさえ「山本さん無条件じゃないぞ!」とかろうじて条件付の一等大将 大戦末期に高木惣吉少将などに早くから終戦に関する研究を進めさせていた 戦後は横須賀に隠棲し付近の子供達に英語を教え、再婚した夫人に看取られ昭和五十年に没するまで清貧を貫いた。

  • @jlnmon5403

    @jlnmon5403

    Жыл бұрын

    海軍兵学校校長時代 学校に飾られていた 歴代海軍大将達の写真を 全部撤去 理由として 「(名前は挙げてはいないが) この中には国賊と呼ばれても おかしくない人物がいる」 と言ったそうです。

  • @morichan9390

    @morichan9390

    Жыл бұрын

    @@jlnmon5403 ありましたよね 表向きは生徒が出世欲名誉欲に取り憑かれてはならぬと云うことでしたが井上校長の本音としてはまさにおっしゃる通りですね

  • @keijinakamura8058

    @keijinakamura8058

    Жыл бұрын

    海軍大将をランクずけを公言するのは非常識、実戦能力に欠けた秀才のよくある暴言。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​​​@@keijinakamura8058 そもそもこの「一等大将」とやらに実戦の名将が一人も含まれていないのが異様な話なのである。 軍人に求められる素養/実績が国防の貫徹なのは、見識云々以前に当たり前の話だ。 結局、負けた大将(=井上成美)の自己弁明に過ぎないのだ。 負けた後に自国の、それも過去の大将らを評価するくらいなら、なぜ対戦相手の指揮官評はできないのか? それでも軍人か? 元気がいいのは身内だけ、アメリカさんにはモノ申しません、というわけか? 米側のハルゼーは 「訓示は一つ。キルジャップ、キルジャップ、キルモアジャップ!」 と訓示し、 「お前らはハワイのダンサーがジャップの前で踊るのを見たいのか!」 と激を飛ばしていたという。 こういうのは井上的には何等大将になるのだ? そしてまた、こんな連中が占領軍としてやってくるとなったら、 「アメリカさんがやってくるから横須賀の芸者に英語を教える」 とて元海軍大将閣下みずからが英語の授業やって 「(芸者に)払うばかりの士官と違って、ボクは払われたんだぞ」と大喜び。 多数の海軍士官を見送った芸者が米軍人の前で踊るのがそんなに楽しいのか? それでいて、自分の身代りに戦犯となった部下(阿部孝壮)の助命の為にお得意の英語で動いてやるなんてことは一切やりもしない。 (阿部は死刑になった。井上成美の身代りみたいなものだ) なんなんだこの落差は。 こんな大将が自分自身では何等大将のつもりだったんだか。 それはどうでもいいが、こんなもんが大将になるくらいだからこそ日本はああもボロカスに負けたんだとは強く思っている。

  • @user-xw5ti2oh9r

    @user-xw5ti2oh9r

    Ай бұрын

    @@user-fo7ig9vh3m ハルゼーは戦術の名将、井上氏が上げる人物は戦略、軍政における名将。国防の第一義は亡國しないこと。老子も兵は不祥の器といい、孫子も百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なりという意味のことを言っている。実際、戦前の3つの試算でも日米開戦は必敗の結果は出ていた。こういう前提のもとでは、日独伊三国軍事同盟二反対し戦争を極力回避しようとした井上氏が名将となる。

  • @user-ik7mi6un4k
    @user-ik7mi6un4k Жыл бұрын

    時代が時代なら山本五十六以上に評価されてもおかしくない逸材。

  • @Meteor.shower.wand.

    @Meteor.shower.wand.

    Жыл бұрын

    戦史研究家の中では山本閣下、今村閣下、樋口閣下に並ぶ名将に遇されてますね

  • @weirdohsrodd

    @weirdohsrodd

    Жыл бұрын

    井上は、山本が近衛と会って、1年や2年は存分に戦えます、という発言を聞き、なんで戦争は出来ませんと言わなかったのかと、激怒していますね。

  • @user-ys6ko2ds9h

    @user-ys6ko2ds9h

    Жыл бұрын

    海軍の中でも、その実力と限界を知っていた名将。 戦後清貧を貫き、牟田口の ような言い訳もせず、 山本五十六よりも賢い人だったと思う。

  • @weirdohsrodd

    @weirdohsrodd

    Жыл бұрын

    @@user-ys6ko2ds9h 様 牟田口の場合はイギリスが絶賛してた事もありますね。

  • @user-yp8tx5ch5r

    @user-yp8tx5ch5r

    Жыл бұрын

    ​@@weirdohsrodd そりゃ英国側からすりゃ敵の愚将は自軍を勝利に導く福の神ですからね😂

  • @user-cq1mx2xp8u
    @user-cq1mx2xp8u Жыл бұрын

    井上大将って海軍兵学校の校長だった時期に英語教育や普通学教育に力を入れていて、そのお陰で教え子の中には戦後に大学で学び直そうとして受験勉強する時に助かった、と感謝されたんですよね?教え子の将来に役立ちそうな教育方針を打ち出せる姿勢は今の日本の教育現場にも必要なのではないでしょうか?

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    「教え子の将来に役立ちそうな教育方針を」云々には俺も同感なのだが、そうすると井上成美自身はどの様な「戦後」を思い描いていたのかは検証されるべきだろう。 「兵学校教育の成果は20年後」と鈴木貫太郎と話していたという話は有名だ。 一方で、井上成美自身は永野修身の導入した「ダルトンプラン(自啓自発)」を、 「軍人の育成にはそぐわない」 「軍人養成なのだからある程度は鋳型に嵌める必要はある」 と強く批判している。 (これ自体はその通りだろう) そうすると、井上成美自身の「養成すべき形態」としての兵学校教育とは、 ・ある程度軍人としての鋳型に嵌めた ・英語その他の一般教養を備えた そういう「軍人のタマゴ」だったということになる。 軍人(将校)養成の為の教育と、一般社会のリーダー養成が別物なのは、井上自身が「ダルトンプラン批判」で明らかにしているものなのだ。 だとしたら、戦後に大学で学びなおす為に役に立ったなんて、そもそもおかしな話ではないか。 軍人養成の道場がそれほど汎用的に役に立つというのなら、なにも海軍兵学校は必要あるまい。 米国同様私立の将校養成学校を多数増設して将校の身分を与えれば、国家的にも有益ということになる。 機関学校まで一系化したのだから、いっそ陸士と提携すればなお有意義だったろう。 二十年後に成果が出る云々と言っていた以上、海軍の存続は疑わなかったのか? だとしたら戦後の陸海軍解体なぞ全く井上にも予想外だったということになるのか? (ならば「敗戦と亡国は違う」どころの話ではないのだ) それともある程度の規模での海軍存続は想定していたのか? (だとしたら大ハズレで、そもそも一般の大学での再履修に役立つなんぞ本意でもなかろう。軍人としての鋳型に嵌めたんたから) 教え子の将来に役立ちそうな教育方針を打ち出せとは素晴らしいお話で、それ自体は心底同感なのだが、井上成美自身はどんな戦後の光景を見込んでいたのだ? 思いっきり見込みはハズレたんじゃないのか? 「専門家たる下士官兵を人間的魅力と見識で統御するべし」 というのが最大公約数的な井上成美の教育方針らしいとは見受けるのだが、本人が一番そういう人格から遠そうに見えるのはどういうわけだ?

  • @nkvd2967

    @nkvd2967

    2 ай бұрын

    校長時代には陸軍士官学校の学生との文通を禁じたエピソードもあったそうです。 陸軍が嫌いだからといっても偏狭過ぎる感じもしますね。

  • @user-fn5fe7ve7g
    @user-fn5fe7ve7g Жыл бұрын

    教育者・研究者としては井上と反りが合わない人間からも高く評価されていた(伏見宮が典型例) その反面で実戦に関しては井上に好意的な人物でもあまり評価しないケースもあり 切り口によって評価が非常に難しい人物…という印象はありますね 実戦では部下からあまり慕われていなかったという証言がある一方 兵学校の校長としては生徒から慕われていたとの話もあり そうした多面性がこの人の個性(あるいは魅力であり毒気)なのかも知れません 自身も校長職を気に入っていたようなので やはり教育・研究畑に最も適性があった人なのかも知れませんね

  • @thelaughingman5052

    @thelaughingman5052

    Жыл бұрын

    練習戦艦時代の比叡艦長を務めていた時期が海軍軍人時代最も充実した時間だったと本人が晩年懐古してる話がありますよね 海兵の校長時代には戦後を見据えて一般教養を重視した教育方針とか、軍人よりも教育者としての側面が強い人ですよね

  • @user-fn5fe7ve7g

    @user-fn5fe7ve7g

    Жыл бұрын

    @@thelaughingman5052 さん 足に軽い障害を抱えていた兵学校受験者に対して 人格・頭脳など身体能力以外は非常に優れていたことを考慮して 「入学後に怪我をしてしまったと思えば良い」と語り 「技術士官としてなら将来の道もあるだろう」と考えて入学を許可したという逸話にも 教育者としての高い見識や エンジニアリング重視≒理論派らしさが良く現れている気がします

  • @user-bw8fx2tc5u

    @user-bw8fx2tc5u

    Жыл бұрын

    生出寿さんの著作「海軍兵学校よもやま物語」のなかで74期生徒から見た校長時代の話と戦後の談話について少しですが、触れています。 また、生出寿さんによる井上成美氏についての著作もあります。

  • @jlnmon5403

    @jlnmon5403

    Жыл бұрын

    伏見宮は 自分とは考えの合わない人物 反対行動をするが、軍人として 筋の通った人物とは認めていた との事です。 その為か、海軍省の役職から 降ろされても予備役編入になる どころか、見込みのある男だからいいポストにと戦艦比叡の艦長に任命されたなんて話しを 聞いた事があります。

  • @user-fn5fe7ve7g

    @user-fn5fe7ve7g

    Жыл бұрын

    @@jlnmon5403 さん 伏見宮は井上を「あれは学者だ」と評していたという文言をどこかで見た記憶があります 伏見宮としては明晰な頭脳や強い信念という面を高く評価する一方 伏見宮の感覚ないし基準においては 現場の軍人としては何かしら物足りないように見えた部分もあった…ということなのかも知れませんね

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke Жыл бұрын

    英語塾の写真を見るたびに思うのはほんとにきれいな筆記体だよね 戦前のエリートだから、どんな教え方してたんだろうね

  • @user-nv9qk4jh7n

    @user-nv9qk4jh7n

    Жыл бұрын

    ビジネス英会話出張授業もやってるMr.井上… 進駐軍関連の利用客対応で 旧帝国海軍横須賀鎮守府御用達の 料亭小松からの要請で 従業員や旧海軍レスの芸者さん連中に 実用的接待英会話レッスンやってますね。 報酬は形ばかりの寸志と 小松での食事で(笑)

  • @user-xk8wo1ry9k

    @user-xk8wo1ry9k

    Жыл бұрын

    9:04 確かに

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@user-nv9qk4jh7n ​「どこの世界に外国語のひとつも喋れん海軍士官がいるか」 「勝てば英語が要る。負ければなお要る」 と御見識溢れる様な事を言ってはいたが、負けて英語が要る場面が 「負けた海軍大将が占領軍のゲイシャ遊びのサポートをする」 という形で実現したわけだ。 井上成美にとっては、英語が役に立つ場面とはその様なものだ。 こんな事をしているくらいなら、その得意の英語とやらを活かしてやれることなんか他に無いのか? 戦犯訴追を受けた元部下の弁護に英文で直訴状を作るくらいのことは、やろうとも思わなかったのか? 井上成美の元部下の阿部孝壮は、第四艦隊司令部(井上成美司令長官)の命令遅延で独断で捕虜を処刑した為、戦後の裁判で死刑にされた。 第四艦隊からの命令があれば井上の方がただでは済まなかったから、要するに身代りだ。 こういう人への動きは無しか。 芸者に英語を教えても「ミスター・プレジデント」に「状況陳述」を英文で提出する様なことはやりもせんのか? 今村や安達は我が身を張ったぞ。 海軍大将の井上成美はやらんのか? やらないのだ。 それが井上成美だ。 所詮は小役人なのだ。 彼の言う「戦後に役に立つ英語」とやらの実景は、つまりこんなもんなのだ。 旧海軍人によれば 「芸者は士官のガールフレンド。ただしカネのかかるガールフレンド」 だったそうで、戦死した士官の芸者へとツケは同期の連中が皆で払ってしまうのが習わしだった。 内地で最後に話した女が芸者でそのまま戦死した士官なんぞ、なんぼでもおるだろう。 「馴染みの士官が戦死した。アメリカ憎い」 と地図のマキンの位置に毎日爪を立てる類の芸者の話なんぞたんとある。 それが負けたらアメリカ相手の商売だ。 商売は仕方ないにせよ、そのサポートなんて軍属みたいな仕事を「元・海軍大将」閣下がやるわけだ。 「負ければ英語が役に立つ」と言っていた大将閣下が。 戦後も法廷で戦う部下のサポートをするでもなしに、な。 この処世が、井上成美である。 この感覚が、井上成美である。 旧海軍人から嫌われたのも当然だろうと思う。 追 しかし、ゲイシャガールプレーの英語指導が「ビジネス英語」ねぇ(笑) モノは言い様だわ(笑)

  • @mr.chin-chyan
    @mr.chin-chyan Жыл бұрын

    井上さんは俺が尊敬する軍人の一人。 戦略戦術よりも、教育及び軍政での仕事の方が向いていた方だと思う。 また人柄ゆえに部下に慕われ、戦後の困窮時代に何人もの元部下や将兵が援助しようと訪れたけど殆どを断っていた。 風邪をこじらせて入院した際、病床で「急がなければ、若い者がどんどん死んでいってしまう…」と叫んだ逸話がある。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    人柄ゆえに部下に好かれた、なんてとんでもない話。 訪ねて来る人なぞほとんどいなかった。 同期の草鹿任一あたりとはえらい違いだ。 「ウチにはもう女中を雇う余裕はないから」 と言いわたして女中を解雇したら、この女中が貧窮を見兼ねてこっそり持ち込んでいた味噌醤油その他が断たれ、いっそう窮乏し、実娘が亡くなった後には、 「養う余裕がないから」 と孫を家から出している。 給料以上の物資を女中に持ち込んで支えてもらっていたわけだが、女中ひとり来なくなったら貧窮するほど人が来なかったわけだ。 割に近くに住んでいた同期の草鹿任一は 「口だけ達者」 と井上成美を嫌っており、しまいにはクラス会にも顔を出さなくなったそうだが、彼の家には「長官」「校長」と元部下や元教え子が訪れ、持出しが結構大変だった由。 その草鹿は、同期だから仕方ないと、井上を支援している。 例の英語教室などもそう。 村の子供や横須賀芸者に英語を教えるくらいなら、なんでそのお得意の英語を活かして仲間や元部下の救済活動くらいやらんのと、強く思う。 「勝っても負けても戦後に英語が要る」 とは、井上にとってその程度の話なのか? 英語ができないばかりに陳述書がとんでもない内容になった(weがIになって罪を全部被せられたなど)為に処刑されたなんて話はたくさんある。 井上自身の部下の阿部孝壮などは(井上成美の身代り同様の経緯で)死刑とされた。 お得意の英語で弁明書を出してやるくらいのことはやらんのか。 考えもせんのか。 三羽ガラスだか終戦コンビだかで一味同心のハズの米内光政の葬儀には、出ても来なかった。 参列者からは「やっぱりね」「あの人は」との声が多かったという。 生活が安定してきたら、実の孫を引き取るよりも、自分は再婚する様な人物なのだ。 あまりに往訪者が少ない為に、この再婚話も随分長く知らない人が多かったと言われる。 人気があるばかりが能でもあるまいが、やったこと、いったことを一つ一つ見るごとに、人望なんぞサラサラない人だったんだろうなあと、強くそう思わされる人物である。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    5 ай бұрын

    風邪をこじらせてそんなことを叫ぶ様な人間が、なんで 「大将になったから次官はやっとれん」 と放り出す様な無責任な行動とれるんだ?(笑) 大将の権と威で終戦に向かわせてこそホンモノだろう。 クダラぬ芝居をやる男だとあらためてそう思った。

  • @user-oo8ko6gf8m

    @user-oo8ko6gf8m

    Ай бұрын

    @@user-fo7ig9vh3m 井上は中将進級(1939年(昭和14年)11月15日)から5年を経過して、現役で海軍次官の要職にあった。太平洋戦争中は、中将に進級して5年半経過しても現役にある者は大将に親任される慣例であった。これを反映して、1944年(昭和19年)の暮れごろに、米内が大将親任の話を井上に持ちかけた。この時井上は「大将にすると言うのは次官をやめろということですね」と米内に念押しし、「和平か玉砕か、国家が運命の岐路に立たされている時、何故、己の片腕とも頼むものを切ろうとするのか」と暗に米内に訴えた。井上は、1945年(昭和20年)1月20日付で「大将進級に就き意見」と題して毛筆で一文を書き、米内に、正式に自分の大将親任反対の意志を表明した。次いで、2月3日には「当分海軍大将に進級中止の件追加」と題した一文を米内に提出した。井上の回想によると、3月半ば、海軍大臣官邸で米内と井上が二人だけになった時、米内が「4月1日付で、塚原二四三中将と井上を大将にする」と告げた。井上は「『戦敗れて大将あり』ですか。今、大将を二人つくらないと海軍が戦をやっていくのに困るわけでなし、この戦局なのに、大将なんかできたら国民は何と思いますか。その上私は人格、技能、戦功、どれ一つとって考えても、自ら大将なんていう器ではないと考えてます。米内大将もやはり月並みの男だなと笑われないように、篤とお考えになったらよいでしょう」と返答した。2、3日して、米内から井上に「塚原も君も今度は大将見合わせだ」という言葉があり、井上は、自分の進言を米内が聞き入れてくれたことに謝意を述べた。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Ай бұрын

    @@user-oo8ko6gf8m で? そもそも大将になったら次官をやめなきゃならないなんて規定はありはしないのだ。 現実にも、井上成美の2代前の海軍次官・沢口頼雄は大将次官だった。 戦争で総花式に進級が早くなっていた当時、少将の戦艦艦長や大尉中尉の砲台長は珍しくも無かったが、 「少将になったのに艦長なんぞやっとれん」 と言った人なぞ皆無だ。 まして「終戦工作」とやらを本当に手掛けていたのであれば(現実には井上成美自身はナニも動いてはいないのだが)、大将に進級してナンの害があると言うのだ? 昭和二十年の5月なんて、本当に終戦工作に動いていた岡田啓介あたりは随分苦労しとるぞ。 にも関わらず「和平か玉砕かで国が運目の岐路にある時に」井上成美はなんで大将の権と威とで呼応しないんだ? 答えは簡単で、元々何もしていないから、そして国難においても職を放り出す様な無責任な男だったから、これだけである。 本人言う通りの功も器も無い口先だけの役立たずを、米内光政が切ったのだ。 因みに、大将たるの特権を活かして井上成美は軍事参議官のイスには終戦まで座っている。 そう、国が運命の岐路にある時に、な。

  • @user-ux5ws8vm3t
    @user-ux5ws8vm3t Жыл бұрын

    井上提督の動画、ずっと待っていました。 この人の信念の強さは米内光政、山本五十六をも上回っていたのではないでしょうか? 元上司が井上校長在任中の兵学校生徒でした。 敗戦で卒業できず戦後別の分野に転向しましたが、あらゆる面でしっかりした人で、兵学校教育が戦後日本にも活かされているのを体現されていた方でした。 残念なのは横須賀長井の井上成美記念館が東日本大震災の影響で閉館してしまったこと。 戦後を過ごした空間を、拝見したかった。 再開して欲しい。

  • @user-yy5eq9cm4c
    @user-yy5eq9cm4c Жыл бұрын

    なお、我が闘争の日本語版には、日本を批判している部分は省略されていた、しかし井上さんは、全文記述されている原語版を読んで、ドイツの本心を知っていたとか。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    11 ай бұрын

    原文読んで「ドイツの本心を知っていた」割には、日独防共協定には強く賛成していましたよね、井上成美は。 陸軍主導の三国同盟に猛反対していた事歴は喧伝されても、その胚芽たる日独防共協定には積極的に賛成していた事実が触れられない今の状況というのは、ちょうど「我が闘争」の対日侮蔑論の箇所が省略されていたのとそっくり同じ様なものです。 大衆ウケしない事実は伏せる、という点で。 皆が褒めるから自分も同感する、 自分の目で調べアタマで考えることはしない、 ‥‥というバカが多いのは当時も今も変わらないということなんでしょう。

  • @COSF101
    @COSF101 Жыл бұрын

    あの狂気じみた軍部の中に、よく井上成美のような人物が軍政部門の第一線で活躍できたことは、日本にとって奇跡なのかもしれない。井上の戦争国防論は今日でも通用するもので、防衛大学校の校長室に唯一写真が掲げられている旧軍の大将であるとともに、防衛大学校の基本理念と教育方針は井上の考えと海軍兵学校校長在任中の井上の教育理念そのものである。

  • @keijinakamura8058

    @keijinakamura8058

    Жыл бұрын

    大学校の校長室に唯一写真が掲げられているとは初耳。2回の軍事作戦で失敗された方を理想化するとは考えられません。国家に彼より寄与した人物は多数いる筈です。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@keijinakamura8058 多分、槇智雄と間違えてるのだろう。 井上成美なんぞを褒める人間にはこういう半可通化が多い。 日米戦に反対/抵抗したから見識だというのなら、米内や井上なんぞより、百武源吾なんかの方が当時よほど実効的でもあり、有名でもあった。 海軍大学で対米協調を唱え、部内で「恐米論者」とまで言われていた百武は、練習艦隊長官として米国を訪れた際には「日米平和の使者」として大歓迎を受けている。 米国でさえ知られていたわけだ。 そんなこんなで永野修身の後任としての軍令部総長を棒に振っている。 小役人渡世が上手く慎重に語る相手を見ている井上成美とは違い、 「何がナンでも対米戦不可」 と言っていた人だから、軍令部総長に着任していたら「真珠湾奇襲」など許可されなかったのは確かである。 百武の賛同者の新見政一は、やはり対米協調論者で、日独防共協定にも反対した。 この為に井上成美(賛成派)とは犬猿だったという。 大戦中には香港攻略で武名を上げた。 こうした人々は、米内山本井上マンセーの阿川弘之ストーリーには都合が悪いから、出てこない。 そんな「小説」を読んで、実際には何をしたわけでもない男の戦後の後出しジャンケン的なイイワケを見ただけで 「井上成美すげー」 「よくこんな立派な人がいたねえ」 と感心する半可通が多いのが現在。 つくづく異常な世相だと思う。

  • @user-sp9ne7fd3q
    @user-sp9ne7fd3q Жыл бұрын

    井上は「対米戦争となっても軍令部が考えている様な艦隊決戦など起こらんよ」と語っていた。 日米戦争は太平洋の島と島を巡る攻防戦になるだろうと考えていた(実際その通りになった)当然この様な考えだったので海軍上層部の受けは悪かった。 航空兵力に関しても上記の考えから、攻撃の槍としてだけでなく、基地航空兵力の充実が重要だとしていた(これもまたその通りだった) 珊瑚海海戦で空母祥鳳を失うと言う不手際を批判されたが、これは何も井上の責任ではない。ポートモレスビー攻略作戦自体が稚拙だった。 結局、太平洋戦争は井上の知略を活かせぬまま推移し終戦を迎えた。

  • @weirdohsrodd

    @weirdohsrodd

    Жыл бұрын

    ただ井上のその新軍備計画論は当時の日本の工業力から見て思うように航空兵力ができない事と基地の整備等も含め一年やそこらではダメなのは事は本人自身も知るところではあった。 一方海軍内では、防空戦闘機護衛が100機つけば戦艦部隊はより威力を発揮できるとした考えも評価をえていた。また井上は中攻による東洋艦隊撃滅を高く評価していてたが、敵艦には護衛機が一機もなかった事を忘れている。 また井上は山本が近衛にあった時、対米戦は出来ませんと言わなかった事にそうとうハラを立てていた。

  • @user-ov8mz7oc4s

    @user-ov8mz7oc4s

    Жыл бұрын

    @@weirdohsrodd私も阿川弘之さんの井上成美を読みました

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@user-ov8mz7oc4s あれは都合のよいことしか書かれていませんから。 ・百号作戦(無差別爆撃) ・三国同盟反対の真意(なお、日独防共協定には大賛成。別にドイツ嫌いでもないのだ) ・クェゼリン事件(不作為と部下を見殺し) ・治安維持法賛成にも関わらず戦後のリベラル自称 等々等、都合の悪い話は全く書かれていません。 「終戦工作」とやらの具体的内容も、ね。 たかが新書ですが、研究者の著作として 「海軍の終戦工作」(纐纈厚) でもお読みになることをお勧めします。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​​@@weirdohsrodd 島嶼の取り合いと言ったって、敵方の島嶼を奪おうとすれば制空権の確保が前提となるわけで、だとしたら空母機動部隊はどうしたって必要になる。 (双方相手の間合いの中で島嶼からの航空機で制空権を確保しようとすれば、い号作戦以降の様な消耗戦となる) 空母機動部隊は遠距離からの展開が早いから、空母の護衛なり前衛守備なりで、結局それなりの規模の艦隊は必要となってしまう。 サイパン島の攻防なぞ典型例だろう。 島嶼戦メインだから陸上航空隊を強化すればいいというのなら、 そもそもサイパンは陥落しなかった。 (実際にはマリアナ沖海戦で一方的にやられて機動部隊が引き下がったので、米軍は上がってきた) 太平洋の島嶼はそれ自体は孤立した点だから、機動部隊なしに敵の上陸をはね返すのなら、 ・隣接した島嶼からの遠隔航空支援 ・孤点そのものの強化 のどちらかを前提に、ひっきりなしに哨戒を行わなければなるまい。 現予算や要員だけ考えても、実的な話とはとても思えない。 現実においても、第四艦隊(井上成美司令官)はなにもしていない。 できもしない作文だけ書いてみせて 「こうすりゃよかったんだ」 と言い張るのは、小役人のやることである。 さればこそ、井上成美は小役人である。 付け加えれば「ポートモレスビー攻略作戦は井上成美の責任ではない」も何も、数次にわたりポートモレスビー攻略(とガダルカナル設営)を主張して空母2隻をあの方面に引っ張ってこさせたのは井上成美である。 (「戦史叢書」でも読むがよい) 高松宮はその日記の中で、当時の第四艦隊を 「口だけは強い司令部」 と酷評している。

  • @keijinakamura8058

    @keijinakamura8058

    Жыл бұрын

    事実米軍の島嶼攻略には上陸前に数隻の正式空母で島嶼群の基地航空隊を第1次攻撃で壊滅し上陸を援護しながら日本海軍空母の襲撃に備えました。日本が放棄した海軍軍縮会議で米海軍は1944までに20隻の正式空母を計画実現、これが短視眼的な真珠湾攻撃となりました。開戦後日本は天城一隻の空母しか用意できませんでした。自重すべきでした。

  • @user-ul6he8my1l
    @user-ul6he8my1l Жыл бұрын

    三国同盟絶対反対、航空母艦中心の艦隊編成など昭和海軍軍人官僚では最高クラスの方だと思います。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    日独防共協定大賛成、 一時は空母無用論者(島嶼戦装備に資源をさけと称していた)、 ↑ これらも忘れぬ様にな。

  • @user-of5uj4rg3g

    @user-of5uj4rg3g

    10 ай бұрын

    ​@@user-fo7ig9vh3m「、」

  • @naoyukiclipper
    @naoyukiclipper Жыл бұрын

    いい歳だけど自分の知らない立派なかたの存在を知りました。。感謝

  • @Meteor.shower.wand.

    @Meteor.shower.wand.

    Жыл бұрын

    これから知っても遅くはありませんよ! 「知らないままで居ること」より有意義ですから。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@Meteor.shower.wand. 井上成美の「終戦工作」なんぞ、戦後に都合よく綴り合せたものだということも知っておきましょうね。 三国同盟反対にしても、別に対米戦回避の為でなく 「英国とドイツを両天秤にかける」 「陸軍主導が不可」 というだけの話。 本人直筆のメモが防研に残っています。 纐纈厚氏の「海軍の終戦工作」くらいはせめて読んで下さいな。

  • @user-xq7ls4pq3b
    @user-xq7ls4pq3b Жыл бұрын

    ヒットラーの「我が闘争」を原著で読んでいたらしいね。

  • @user-jy4fc2pm3m

    @user-jy4fc2pm3m

    Жыл бұрын

    ドイツ語だったから、日本人の悪口がいっぱい書かれてあったそうです。ヒトラーには、所詮自分以外のもので大切なものが何もないのが丸見えですね。

  • @user-te2ot4tl8e

    @user-te2ot4tl8e

    Жыл бұрын

    連戦連勝のドイツ勝馬に乗ろうとした国民&右翼&陸軍&海軍艦隊派がいかに無思想で強欲だったってこ。 今の中国やロシアと同盟を結ぶようなものだもの。

  • @weirdohsrodd

    @weirdohsrodd

    Жыл бұрын

    それは凄いですね。当時日本語訳も相当出ていましたからね。 実のところヒトラーに興味が有ったんでしょうかね?!

  • @user-pg2tb8hi5r

    @user-pg2tb8hi5r

    Жыл бұрын

    ​@@weirdohsrodd当時日本で販売されていた日本語訳のマインカンプでは、総統が日本などのアジア人を劣等な有色人種と表現していたので、出版社側で好ましくない表現として削除していました。 ドイツ駐在の駐在武官からならほとんど検閲なしで入手できたから、井上提督はマインカンプのドイツ版を手に入れることができた。

  • @user-jy4fc2pm3m

    @user-jy4fc2pm3m

    Жыл бұрын

    @@weirdohsrodd あったというのが私の意見です。ドイツと同盟するという事はヒトラーの性格という物を分析しないと、いけないと考えたからだと思いますね。

  • @yoshinoriishikawa8301
    @yoshinoriishikawa83017 ай бұрын

    入社試験の面接の時に「最も尊敬する人は?」の問いに対し、「井上成美海軍大将であります。」と答えました。😆

  • @yxxtxx3958
    @yxxtxx3958 Жыл бұрын

    日本の英語教育にも大きな影響を与えた人ですね。敵国語として英語を嫌悪する風潮の中、「世界を股にかける海軍軍人が英語を話せないでどうする!」と言ったのは有名ですね。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    日本の英語教育に「大きな」影響を与えたとは初耳だ。 どういう「大きな」影響があったのか、是非ご教示願いたい。 兵学校内部でさえ「井上校長のあのやり方ではモノにならぬ」として和文英訳主体で進めた文官教授は何人もいる。 また校長としても、前任の草鹿任一にせよ後任の栗田健男にせよ、英語教育は残しているのだから、別に井上成美の手柄とするにも当たらない。 こんなことまで持ち上げなけりゃネタがないほど「大将としての事績には乏しい人」ということなのだろう。

  • @user-jo5ki3pl8f

    @user-jo5ki3pl8f

    9 ай бұрын

    この人学者肌だからなぁ 教育者としての適性が1番あったのは間違いない 軍事的合理性を欠如し精神論重視の日本の組織体制や風土の中にいた異物だったからこそここまで評価されてる部分はあると思う

  • @weirdohsrodd
    @weirdohsrodd Жыл бұрын

    昭和天皇にとって和平への切り札であったと自ら推薦していた人物が東条英機と井上成美であった、、、

  • @user-jy4fc2pm3m

    @user-jy4fc2pm3m

    Жыл бұрын

    課長時代、軍令部に海軍省から権限を委譲させる計画がありましたが、伏見宮総長がこれを推進するに、とある危険性を説いて、自分は不同意だと言ったとか。伏見宮が折れて、彼を別のポストへ飛ばして、後任者に賛成させたそうですが、この後、伏見宮自身が人事の事で井上に諮問することもあったとか。

  • @user-fn5fe7ve7g

    @user-fn5fe7ve7g

    Жыл бұрын

    井上と東條 一見正反対にも見えるこの2人 似ているところも無くはないのも興味深いところ ・文系と理系で分けるならどちらも理系型 ・航空畑経験者 東條は戦陣訓やら憲兵政治のイメージが強いが 科学技術に対する関心は意外とあり それと関連するかは不明ながら 弟(中島飛行機)と息子(三菱)が航空技術者になり 自身も初代航空総監 息子の輝雄はYS-11の最終的な設計取りまとめに功績をあげるなど 日本の航空史に(ビッグネームではないが)名を残す技術者になっている …何だか主役の井上を差し置いて東條ばかり語ってしもたw 個人的に東條は自分の親父と気質が若干似てるので 息子さんは気苦労がなかったかちょっと気になるもんで(笑)

  • @user-qx6gr8on4v
    @user-qx6gr8on4v11 ай бұрын

    戦後の身の処し方には本当に頭が下がる…😔 これが真の侍だと思う…😔

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    11 ай бұрын

    当事者としての位置にありながらロクな貢献もせず、あまつさえ戦後には ・他者への批判や罵倒 ・他人事じみた批評とイイワケ ・自分に都合の悪いことには頬っかむり ・部下は踏み台 こんな身の処し方に「頭が下がる」というなら、それこそ牟田口廉也でも褒め称えてりゃいいじゃないか。 やっていることは本質的に同じなのだから。 それにしてもこんなのが「真の侍」ねぇ‥‥(苦笑)

  • @user-jo5ki3pl8f

    @user-jo5ki3pl8f

    9 ай бұрын

    そもそも日独伊三国同盟を反対してる時点で当時の日本国内情勢だと命狙われてるからな 相当な覚悟あってのこと

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    7 ай бұрын

    ​@@user-jo5ki3pl8f 命の危険? 「三羽烏」とやらの当時、 陸軍でさえ石原莞爾や辰巳栄一、 大蔵省の石渡荘太郎、 外務省の有田八郎、 内大臣の湯浅倉平(←陛下の信任は極めて厚かった)、 海軍部内でさえ伏見宮、小沢治三郎、宇垣纏ら、 反対側なんぞなんぼでもいたのだが、 「殺される〜遺書だ〜」 と大げさに騒いだのは井上成美くらいである。 (山本五十六は「密かに」遺書を書いていたのだとか)

  • @user-gz6ys8rb6z
    @user-gz6ys8rb6z Жыл бұрын

    13年間年金貰えないなんて想像したくもないな…

  • @discovery-defender
    @discovery-defender Жыл бұрын

    井上成美元海軍大将は、上役に米内、山本という人達が存在したからこそ活躍ができたということなのでしょう。

  • @user-hg4yw8lz1d
    @user-hg4yw8lz1d Жыл бұрын

    すごい人物ですね

  • @user-ww9un3mj5w
    @user-ww9un3mj5w Жыл бұрын

    昔wikiを流し読みしてる内に井上成美のページにたどり着き、編集の手厚さ(米内光政も同)に驚いたところから興味を持ち始めました。 この時代の政治がいわば「戦争時代の暗部」といっしょくたにされて振り返りが一般的にならないのが残念です。岡田啓介元首相など、味のある人材は一杯いるはずなんですけどね… 長井の記念館、一度でもいいから訪れてみたかったです。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    振り返りが一般的にならないからこそ具体的には何の実績もない井上成美あたりが持ち上げられているわけです。 既に三十年以上前に史家(纐纈厚氏や池田清氏ら。後者は元海軍)による 「海軍の所謂『終戦工作』とは、戦後の海軍善玉論のアリバイ作りに過ぎぬ」 との説まで発表されていますが、知られていない様です。 おっしゃるところの岡田啓介にしても、井上成美とは違ってちらほらと記録類に顔を出す割に、戦後にダンマリを決め込んでいる(この点も井上成美とは正反対)あたりに、逆に不審を感じます。 高木惣吉あたりの主導で「東條英機暗殺計画」まで立てられていたとも言われるが、岡田啓介自身はどこまで知っていたのか、ないし噛み込んでいたのか。 東條内閣打倒に成功していたら、岡田啓介あたりはどの程度の位置に着くはずだったのか、それとも知らなかったのか。 陸軍内閣を海軍が打倒した以上、受け皿に陸軍軍人が座らせるのは考えにくい。 後々の事を考えれば、岡田に何の話もなかったとは考えにくい。 もちろん岡田氏は戦後に沈黙を保っています。 (何もしなかった者ほど後出しジャンケンで色々語る。井上成美などもその類) もっと検証されて良い時代なのだ。 そう思います。

  • @user-qg8fi4jl6k
    @user-qg8fi4jl6k10 ай бұрын

    私が20代の頃の古い上司の中に海兵出身の方がおられ、先輩方から海兵について再々、事ある事に聞きました。彼らは74期~~~76期の出身で、戦後は京都大・広島大へ進学されました。加えて広島地元の幼年学校在籍中に終戦、陸士豫科60期の方もおられ直接にお話しを聞く機会を得ました。まして昭和16年前の軍幹部・官費教育機関(師範学校・逓信講習所・気象関係~~)F 難関教育機関だと話されていました。この中で海兵・幼年学校はまず、身体検査(性病検査も)、学力検査・面接(将校適正)に加え今では差別・人権と言われますが素行調査・その他~と関門がった。現在の旧帝大(第一期も)は学力試験だけだとも言われていた。井上大将の件は、名前について説明?がありました。人間的にも立派だとも聞きました。このサイトを見てびっくりしました。

  • @user-uf1nd2rm1z
    @user-uf1nd2rm1z2 ай бұрын

    井上大将のような生き方って、やっぱり根底に東北出身の匂いが感じられて、時代は違えど、共感できるんですよね、、 後世を生きる我々にとっては、数多ある情報のおかげで、自由に意見を述べることができます(ただし的外れで独善的なのもありますが、、)が、あの当時の雰囲気の中でも芯のある主張をされてたことに感服してます。 自分の人生で目指すべき人ですね

  • @user-sj4fi7lg2k
    @user-sj4fi7lg2k Жыл бұрын

    どう考えて対中戦争も続いているのに米英に宣戦布告したのか今でも理解できない。

  • @norimaki0517

    @norimaki0517

    Жыл бұрын

    アヘン戦争で勝った白人には中国は利権の塊だったのです。それで日本が日中戦争始めたから、白人達は経済制裁を日本にしたのです。石油を止められたので。ならアメリカと戦争しろと、日本国民が煽ったのですよ。。弱腰の陸軍は起きて、最後まで戦う気が無かった海軍、山本五十六に真珠湾攻撃をした。。日本は全世界から経済制裁させられたからです。開戦しないとエネルギーと資源が輸入出来なくなったから。

  • @weirdohsrodd

    @weirdohsrodd

    Жыл бұрын

    日中戦争は昭和13年の武漢三鎮陥落で終了しています。大本営の報告書から明らかです。その後直ぐ汪兆銘による南京政府が出来ています。 日本軍は留まりましたが戦争ではなく、賊軍化した中国傭兵への警察行動を執っていただけです。 蒋介石は山奥に逃げたっきりでしたね。

  • @nisekorider

    @nisekorider

    2 ай бұрын

    ハル・ノートを突き付けられたからじゃないですか❓

  • @user-ss3fc1ip5p
    @user-ss3fc1ip5p Жыл бұрын

    仙台一高出身

  • @morita0807
    @morita0807 Жыл бұрын

    井上成美が海軍兵学校の校長を務めた頃に海兵を出られた方が、出身大学の教授でした。何事にも筋を通す先生でした。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    池田清氏ですか? 戦後、政治学の老学生として英国に留学して入寮生活を行った際、英語人学生から 「しきたりが多くて英国人にさえわかりにくいここの生活を日本人たるお前が楽々とこなしているのはなぜだ?」 と真顔で尋ねられてから初めて、海軍兵学校で叩き込まれて身についた英国流の生活躾を実感した、という体験談が印象に残っています。 「陸軍が憎まれながらお膳立てすると、海軍はご馳走だけは召し上がる」 「知識人的なズルさは確かにあった」 「陸軍が強力犯なら海軍は知能犯」 等々、著作の「海軍と日本」ではかなり手厳しく旧海軍を批判しておられましたね。 「海軍善玉論」に強い疑問を持つ様になったのはこの辺りからです。

  • @beershinchan

    @beershinchan

    6 ай бұрын

    @@user-fo7ig9vh3m 石原莞爾によれば、陸軍が強盗なら、海軍は巾着切りだ。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    6 ай бұрын

    ​@@beershinchan 「陸軍が憎まれながらお膳立てすると、海軍サンはご馳走だけは召し上がりますな」 とイヤミを言ったのは武藤章だったっけ? 言い得て妙である。

  • @ng3495
    @ng3495 Жыл бұрын

    日独伊三国同盟に反対していた理由は3人でそれぞれ違うと思う。 日独伊三国同盟を有効に働かせるために、 日本の北進(ソ連攻め)、 南西進(資源確保とイギリスの補給路を断つためインド洋への進出) の、2つの戦略のどちらかを日本が選択する可能性が高まる。 これに反対するそれぞれの理由は、 米内氏はソ連が大事だったから。 山本氏は自分の博打の真珠湾攻撃を始めとしたアメリカ海軍と華々しく戦うことができなくなるから。(南西進の場合、インド洋への進出、イギリスの補給路を断つための通商破壊戦やじっとアメリカ海軍をトラック諸島で待ち構えて防ぐ防御作戦では自分のやりたい華々しい戦ができない。) 井上氏は、単純な国力比較から負けるという判断をしたことと、陸軍の悪い面に引っ張られる現状より、一度負けておとなしい日本になったほうが良いの"かもしれない"という考え。 上記から3氏はそれぞれ反対した。 同じ反対でも見てる絵は3人とも異なる。

  • @keijinakamura7514

    @keijinakamura7514

    2 ай бұрын

    もう一つの理由は強力に復活したドイツから南方委託統治領の返還をもとめられていました。

  • @riderlong1622
    @riderlong162210 ай бұрын

    重慶での無差別爆撃くらいは触れるべきかと。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    3 ай бұрын

    「損害あっても効果僅少の見込み」 として周囲が反対するのを 「事変を終わらせてみせる」 と押し切り、陸軍以上の規模で「百一号作戦」(重慶無差別爆撃)を実施せしめたのが当時艦隊参謀だった井上成美。 結局は周囲の懸念通り、各国領事館からの批判を利用した蒋介石の逆宣伝に使われただけで「事変を終わらせる」どころではなかった。 損害のみ多く効も功も無い状態で作戦は終了となった。 並の人間なら見込み違いを恥じるのだろうが、主導した作戦がそんな結果に終わった途端、事変を終わらせる云々には口をつぐんで 「蒋介石相手でもこの通り。だから対米戦なんて不可能だぁ」 と華麗なる論点外しを行い、 「だから対米戦は無理だと言ってオレが反対したのに南部仏印進駐して対米戦招いた首脳部はケシカラン」 と、戦後に至るまで怒ってみせているのが井上成美。 こういうのをポジショントークと言うのだろう。 言われた「首脳部」側からしてみれば、 「終わらせてみせると称して大損害出した者が、自分の不手際をダンマリして、ナニを偉そに言っておるか」 というものだったろう。 (実際、嶋田繁太郎などは井上成美をそう評価していた) この井上成美は、後の第四艦隊司令官時代、特に珊瑚海海戦に際しても、 「ヘマにはダンマリ、論点外し」 「悪いのはオレじゃないとてご見識」 的な態度をシッカリ示している。 クェゼリン事件では、第四艦隊司令官・井上成美の不作為の結果、部下が死刑になっている。 (身代わりみたいなものだ) 結局、万事が小役人処世なのだ。 オノレの責任をバックレるのが上手い者ほど上に行く、という程度には、帝国海軍も官僚社会となっていたということだろう。 『その人が何者であるかは、本人が触れて回っている事実より、そいつが隠そうとしていることにこそ現れる』 と言うのは、つくづく真実だと思う。

  • @user-nr3lo7um9w
    @user-nr3lo7um9w Жыл бұрын

    辻正信は小銃で敵の飛行機を撃墜した男、牟田口は中国戦線で血だらけになりながら転げまくりながら鉄砲を撃ちつずけた男。こういう人達が栄達したのがまずかったのかな。

  • @user-qq6qy8li5c
    @user-qq6qy8li5c Жыл бұрын

    井上成美大将は戦後に述べた航空や潜水艦の件で先進的に見られてますが、実際の戦地での現場の評価が低かったで人でもありますね。@ThePacificWaronMapsJPNさんの珊瑚海海戦の動画で初めて知りました。再評価が必要な時期なのかもしれません

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    11 ай бұрын

    潜水艦の件 ↑ 井上成美は軍務局長時代に、海軍機雷学校(後に対潜学校)の開設に反対している。 この件を推進していた新見政一と仲が悪かったからだとも言われるが、この為に「劣勢海軍」には多いに有益なはずの機雷戦術は、日本では発達しなかった。 (日露戦争当時とはエラい違いである) しかのみならず、本校開設の遅延による要員不足から、開戦後には泊地周辺からしまいには本土沿岸まで敵潜水艦の跳梁や航空機による機雷投下に悩まされたものの、聴音測士の絶対数からして足りず、陸上聴音施設や磁気機雷対策、対潜機雷の開発も進まなかった為に、内航船の航路さえ寸断される有様だった。 井上成美の「先進的」なオハナシなんぞ、「戦後に述べた」話なのであって、戦前において先見の明をそれほど持ち合わせていたわけでもなかった。 省利省益、陸軍相手に予算をガメてくる理論武装程度の話なのだ。 「海軍の航空化」 「島嶼戦闘重視」 なんぞも、航空本部長・第四艦隊司令官なるそれぞれ適任というべき部署にいても、結局何もしてはいない。 「終戦工作」なども多分に戦後の後出しジャンケンであり、自分自身で何かをやったわけではない。 一事が万事「戦後の後出しジャンケン」なのである。  大いに実態を「再評価」されるべき人物だと思う。

  • @hatamototaikutuotoko8688
    @hatamototaikutuotoko8688 Жыл бұрын

    戦時中、艦隊司令を外され、米内さんに召し出されるまで、井上さんは、海軍兵学校の校長に就任するんですが、当時は、「鬼畜米英」って標語が出る時代。兵学校でも「英語学習は敵国語なのだから廃止すべき」との意見があったそうですが、「敵国の言葉が分からずに戦ができるか!」と頑として受け入れなかった。その心は、「日本の敗戦を見越して、戦後、英米と渡り合える人材が必ず必要に成る。そのためには、英語教育は必須だ」 というお考えがあったそうですね。 戦後は、公職に就かず、ご近所からの依頼で、英語塾を開かれたと記憶していますが、井上さんが、黒板に書いた英文字が、綺麗で、人柄をよく表していると思います。

  • @user-nv9qk4jh7n

    @user-nv9qk4jh7n

    Жыл бұрын

    井上君! 海軍兵学校の教育の成果は20年後に現れるんだよ。 いいかい?20年後だよ。井上君! by鈴木貫太郎

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@user-nv9qk4jh7n で? その20年後にどんな成果が出たのだと?

  • @user-nv9qk4jh7n

    @user-nv9qk4jh7n

    Жыл бұрын

    @@user-fo7ig9vh3m 井上成美校長時代からの20年後… 世は第一次東京五輪と 東海道新幹線の開通… 高度経済成長期の中堅主戦力世代が 井上校長時代の海兵71〜73期に当たるワケですけど… ちょうどアラフォー世代で。 もちろん井上成美自身も存命中で 日本の復興中真っ只中を見届けてますから。 当時の海兵出身者も 企業経営者として功成り遂げた人々が 井上成美の暮らし向きを物心両面から支えたりもしているのです!

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@user-nv9qk4jh7n ​​ そういうのよく言われるんだがね、その海兵71〜73期の「具体的な」有効者って、誰なの? そう、井上成美なればこそこの人はこの成果を上げた、という人。 具体的に。 陸士海兵なんて戦前の超エリートだったのだ。 今の東大卒同様、普通にしてたって、そりゃ活躍するだろう。 陸軍士官学校卒業生にしても、 「軍学校で学んだことを骨幹として」 活躍された方々は高原友生さんら始めたんといるだろう。 だからこそ聞いているのだ。 20年後に成果が出る出る言うなら、海軍兵学校卒ならではの活躍した人を具体的に挙げて見せてくれと。 母体の海軍を潰しておいて、そんなことを自慢げに言っているのもおかしいのじゃないのか?

  • @user-nv9qk4jh7n

    @user-nv9qk4jh7n

    Жыл бұрын

    @@user-fo7ig9vh3m イチイチ論争するつもりはありませんので 他の井上成美関連の動画でも 当時の海兵出身者関連の証言があるので そっちでもご覧下さい。

  • @user-by6kk1ps2q
    @user-by6kk1ps2q Жыл бұрын

    でも井上さんは珊瑚海の残念な人って扱いが強いですよね。 特にヨークタウンの追撃をしなかった(出来なかった)のがね。 でも政治が苦手なのは意外でした。

  • @user-pg2tb8hi5r

    @user-pg2tb8hi5r

    Жыл бұрын

    艦隊司令部が戦場から遠く離れたラバウルにあり、いちいち現場の第5航空戦隊の原少将からの報告を受けてから命令していては、1分1秒を争う空母決戦では致命的。

  • @ぼんとんおちゃ

    @ぼんとんおちゃ

    Жыл бұрын

    井上は、追撃命令を出そうとしましたが、5航戦を指揮していた高木と原が、それより先に「われ北上す」と打電してきたので、「追撃をやめ北上せよ」と返しました。 本土では、5航戦の打電は受信されず、第4艦隊司令部の返信は届いたので、井上がボソクソに言われた…のが実相だと書かれていた記憶があります。

  • @breezecaller

    @breezecaller

    Жыл бұрын

    この人の場合の「政治が苦手」というのは、「軍人が政治介入するべきではない」の言い換えではないかと思いますね。あとはそれをやって政治をひっかき回す軍人が現に現れていることへの嫌悪感や危機感。 なので、単純な「苦手」とはだいぶ様相がかけ離れている感があります。(実際、軍政家としては非常に優秀な部類。) 逆に戦闘は、‥実績は本人が「戦下手」と述べた通りじゃないかと思いますね。 (まぁ、井上自身に与えられていた戦力がだいぶしょっぱい、こと珊瑚海海戦ではほとんど借り物の戦力で戦ってた面も少なからずあるとは思いますが‥。)

  • @user-nv9qk4jh7n

    @user-nv9qk4jh7n

    Жыл бұрын

    世界初の空母機動部隊vs空母機動部隊の戦闘を 現場戦場海域から離れた陸上司令部から指揮督戦させられること自体が 井上提督に対する無茶振りでしょ(笑)

  • @1sunsea384

    @1sunsea384

    Жыл бұрын

    その井上提督を戦下手と嘲笑した人達が、ミッドウェーでリカバリー不能な負けいくさをしてしまった。 海軍内には、戦争を出たとこ勝負の職人芸的な巧稚で捉える風潮があったようです。

  • @joemax6916
    @joemax6916 Жыл бұрын

    井上はワシントン海軍軍縮条約での全権だった海軍大将加藤友三郎を尊敬していました。 井上の非戦論には加藤が言った「国防は軍人の専有物にあらず」に強い影響を受けていると思います。 井上は加藤友三郎を一等大将とたたえる反面、及川古志郎と永野修身と嶋田繁太郎の三人を三等大将だと評しましたね。井上らしさが出ています。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ことさらケチをつける気もないが、加藤友三郎ってそんなにエライのか? 大正当時から「ワンマン海相」と言われ、部内での評判はすこぶる悪かった。 「トモの野郎、同期の俺を一々邪魔扱いしやがって」 と憤慨しつつ予備役に追いやられた将官の話が「自伝的日本海軍始末記」で披露されている。 著者の高木惣吉自身が艦隊派であり、加藤友三郎については 「イエスマンばかり周囲に集めれば周りが見えないのは当たり前」 とかなり手厳しいことを書いている。 そもそも「八八艦隊」を推し進めていたのはワンマン海相の加藤友三郎だった。 これが国民生活を圧迫すること甚だしく、全部揃えば国家予算の半分近くが海軍に取られることになるというから、元々無理な話なのだ。 その意味で五五三比率の受け入れは当然なのであり、英断と言えるものか疑問でさえある。 そんなご無理な計画をワンマンで推して海軍予算をガメていたことが追及されてもいいくらいだろう。 (実際、国会でそんな声もあった。高木惣吉の政党嫌いはこれが原因らしい) 大規模な艦隊を前提で人員を増加さすれば、それを縮小して反発が出るのも当たり前だ。 (ワシントンの時には東郷平八郎が「訓練に比率も制限もなし」と鶴の一声で収めたから、老害どころではない) 先が見えていない印象なのは、燃料問題についても然り。 当時の日本で最もアブラを必要とするのは海軍であり、第一次大戦の推移からも原油の時代が来るのはわかりきった話のはずだが、外務省の山座円次郎あたりに比べ、加藤友三郎大臣の海軍の動きは鈍い。 北樺太を確保したにも関わらず、シベリア政権に進呈した為、ソ連成立後にオハ油田を取られるという失態もおかしている。 一等大将といっても、海軍予算獲得以外に何か後世への功績あるのか?

  • @user-lq6eo5zl8g
    @user-lq6eo5zl8g Жыл бұрын

    ミスター井上

  • @user-wb2jg3is9b
    @user-wb2jg3is9b10 ай бұрын

    井上大将は政治が嫌いといっても、 軍政とか海軍省で活躍できる人ですね。 艦隊戦は苦手なようですが、 よく最後まで要職に残れましたね。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    7 ай бұрын

    最後まで残れたのは伏見宮のヒキがあったから。 元々閑院宮を参謀総長に据えた陸軍に対抗する為に伏見宮を軍令部に持ってきた経緯があり、伏見宮(真面目な人だったと言われる)としては海軍権益の拡大強化(具体的には予算の獲得)につながる動きならこれを応援する立ち位置にあった。 経済基盤が脆弱な国の限られた軍事予算を陸軍と取り合うのだから、軍縮や権益削減につながる話は組織論理として受け入れ難かったのだ。 省部権益の互譲なんぞという内輪もめで楯突いたところで、アンチ陸軍(良くも悪しくも井上成美には結局これしか内容は無い)の理論武装が出来る人材井上成美はその限りで伏見宮には貴重だった。 そういう話。 そうやって残った海軍上層部連中のうち、戦後に生き残った者ら(井上成美なんぞフト文字でコレだが)が、 「あの人が張り切るんで海軍がああなっちまったンダ」 と、伏見宮に責をまとめておっかぶせたに過ぎぬ。 (名高い「海軍反省会」が濫觴だとも言われる) 死んだ大西瀧治郎に特攻隊の責をマトメておっかぶせたのと同じやり口だ。 二・二六事件の折の動きを見てもあんまり共感する気にはならぬ伏見宮だが、使い倒された皇族という面ではお気の毒には思う。 その分、都合が悪いことには口をつぐみ、他者のせいにして手のひらを返す「いかにも秀才能吏」的な海軍上層部(井上成美はフト文字で含む)の処世とは、実にいやらしいものだと思っている。

  • @howardrick3781
    @howardrick3781 Жыл бұрын

    学者肌の方だったとか…戦後の生き様がこの方を全て物語ってると思う

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    11 ай бұрын

    ・他者への批判や罵倒 ・他人事じみた批評とイイワケ ・自分に都合の悪いことには頬っかむり ・部下は踏み台 戦前戦後と一貫してこれが井上成美氏の生き様なわけだ。 学者で言うなら清水幾太郎あたりがそっくりだと思う。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    5 ай бұрын

    @@user-me4br4ri2x いくさはしないに越したことはあるまいが、それでも戦になったら国防を貫徹するのが軍人の本分だ。 「この人の采配で敵を食い止めた」 「この人の案出した体制で勝てた」 と言えてこそなんぼなのが軍人の値打ちだ。 政府がヤレと言ったら理非はどうあれ国防を貫徹するのが軍人の本務だ。 ならばその方面でどんな実績があるのか。 問われるべきはまずここだろう。 勝つ役には立たないが負ける役には立つ軍人なんぞ、軍人の名にも値するまい。 兵頭二十八氏の著作やサイトを見ると、あらゆる与件を考慮してなお現在の日本の国防をいかにすべきかが説かれている。 中には随分奇矯に見えるものもある。 しかしそれでも、相手あっての国防で「○○だから仕方無い」として思考を放棄していては全てザルになってしまうという考えは強く感得されるのである。 有能なる職業軍人だったハズの井上成美にはこの点で「具体的に」どんな実績があるのだ? そう考えながら読む限り、井上成美関連のどんな書物でも結局井上成美批判となる。 因みに兵頭氏は帝国海軍を指して 「最悪の利権省庁」(陸軍に対抗して予算とる為の動きが強い) と呼んでいる。 最初に読んだときはひどい言い様だと思ったが、ロクに国防方策も考案実現できなかった井上成美なんぞ見ると同感せざるを得ない。 第二に。 当時の日本人としてそれぞれの位置で、それぞれあの大戦争に向かい合わなければならなかったのだ。 利己的かつ便宜的に戦時利得に便乗したのでなければ、戦前・戦中・戦後の落差には誠実な人間ほど苦しんだはずのものだ。 戦前戦後の言動にブレが少ない者、乃至その間に深刻な自己否定が介在する者、これが信頼し得る人間性なのだ。 戦前でのオノレの言動に口をぬぐって戦後世相にウケの良い話を並べるなんぞ、実に唾棄すべき所業だろう。 戦前あれだけやらかした辻政信は 「平和憲法の理念に共感した」 とて出馬当選した。 支持者はいたのだろう。 しかし、あれが戦前のオノレの所業を全てさらけ出して戦後に生きた人物と言えるのか。 世間一般の称賛と本人の人間性なんぞ、なんの関係もないものだ。 で、井上成美はどうなんだ? 他人の批判は鋭いが、 ・日独防共協定賛成 ・政党敵視論と治安維持法賛成(それでも戦後には自称リベラル(!)) ・百一号作戦 ・クェゼリン事件 についてオノレから何か語ったのか? 共感を求める気もないし、人の好悪をどうこう言う趣味も私にはありませんが、敢えて「悪い面も見ておきたい」との言に貴兄の誠実さを感じました。 何を読んでも 「井上成美、結局具体的に何をやったんだ」 「戦前この時イノウエがどう言っていたのかこれじゃ分からんじやないか」 「戦後にこれについてどう言ってるんだ本人は」 と思う私ですが、 「都合の悪い事は書いていない」 阿川氏系列の井上成美伝と別のもので敢えて挙げるなら、 『愚将 井上成美』(岡文正) ↑坊主が憎けりゃ今朝も木魚も、みたいなところがあって私でさえ余り好きではないですが、View Pointとしては同意できるもの。 『日本海軍の終戦工作』(中公新書) 『海軍と日本』(中公新書/著者は海兵卒) 『海軍善玉論の嘘』(光人社/著者は元海自) 『自伝的日本海軍始末記』 ↑ 高木惣吉はバリバリの艦隊派、かつ戦前には「開戦已む無し論者」。これについて触れずに良識派云々と語る阿川氏は歴史に対し不誠実だと思う。 がおすすめといえばおすすめです。 更に云えば、戦史叢書の海軍中国航空作戦やウェーキ島ガダルカナル島のあたり。 また他の海軍人の手記伝記等。 『海軍砲術学校長グアムに死す』 『角田覚治』(PHP文庫だったか?) には、クェゼリン事件について触れられています。 ご参考まで。

  • @nattousenbei
    @nattousenbei Жыл бұрын

    有能だったけど実際の戦闘は下手だった・・・・

  • @jimmy-qu7tj
    @jimmy-qu7tj11 ай бұрын

    自分からすると海軍三羽烏は井上成美、木村昌福、髙木惣吉ですけどね。 この人の英語を学びたかったと思う。海軍兵学校に英語授業を継続させたエピはなしなんですね。

  • @tomsug8317
    @tomsug8317 Жыл бұрын

    統合軍令本部総長 「真田くん、報告は書面でよこせ、わたしは君が嫌いだ」 真田忠道少将 「わかりました井上さん、わたしもあなたが嫌いです」 の、くだりが好き。

  • @user-qb2go5sw3x

    @user-qb2go5sw3x

    Жыл бұрын

    なぜ栗林なのに真田…?

  • @shinichi9821

    @shinichi9821

    7 ай бұрын

    佐藤大輔御大ですね。ここでお目にかかるとは。 氏の作品は結構読みましたが記憶が曖昧。 「侵攻作戦パシフィックストーム」で合ってましたかね。

  • @tomsug8317

    @tomsug8317

    7 ай бұрын

    レッドサンの方です。

  • @user-uk7yx6ji9u
    @user-uk7yx6ji9u3 ай бұрын

    海軍兵学校37期の井上成美 が大将に昇進したのは 海軍兵学校36期の塚原二四三 と同じですが、何故彼が最後の海軍大将とされているのかの説明が有りません。  同時に昇進した場合、先任者が 塚原二四三 の為、井上成美 は後任者となり、最後の海軍大将となります。  因みに、同期の場合はハンモックナンバーで序列が決まります。

  • @user-yw9qn5ue1c
    @user-yw9qn5ue1c11 ай бұрын

    30年以上前に中井貴一さん主演でやった「海の夕映え 最後の海軍大将 井上成美」というドラマで初めて知った人です。 まぁ最初は名前の読み方が分からなくて「なるみ」って読んじゃいましたけど…(「群青の空を越えて」ってPCゲームの台詞でもやはり「いのうえなるみ」って呼ばれちゃってましたね。台本にルビ振っといてあげないと、一般人には読めませんって)

  • @user-je8bt3pr3g
    @user-je8bt3pr3g Жыл бұрын

    阿川弘之の「井上成美」は有名ですが、生出寿の「反戦大将井上成美」もいいですよ。生出氏が「次官のときどうして日独防共協定に反対しなかったのか」と鋭い質問をしています。また、前田哲男「戦略爆撃の思想」では、井上成美が参謀長として、重慶空爆作戦を積極的に指導したことが書かれており、どうも日本海軍は、日中戦争で、航空主兵戦術の実験をしていたのではないかと思われます。このあたりは井上に対して厳しい評価がなされそうです。

  • @weirdohsrodd

    @weirdohsrodd

    Жыл бұрын

    そう思います。やはり阿川あたりの賛美の影響は大きいです。確かに積極的に和平にむけて何かをしたというと疑問ですね。

  • @ぼんとんおちゃ

    @ぼんとんおちゃ

    Жыл бұрын

    生出さんの著作は面白いんですが、ちょっと極端なところがありますよね。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@weirdohsrodd 井上成美を称賛する者に ​​​「井上成美の終戦工作って、具体的になにをしたんだ」 と尋ねて、具体的な答えを聞けた試しがない。 (小説ではなく)研究者の著作でも、管見の限り、答えは見つからない。 (逆に、名前がチラホラするが具体的な内容がよく分からず不審なのが岡田啓介) 井上成美は日独防共協定には賛成していたから、ナチスと結ぶことを嫌悪していたわけではない。 「英国は(第一次大戦の経験から)信用できない」 「英独は結局不戦だろうから両天秤かけて漁夫の利を狙う」 「同盟強化は陸軍の影響が強くなるから反対」 との井上成美自筆のメモが防研に残されている由。 (纐纈厚「日本海軍の終戦工作」)

  • @user-oh1gw1xq1d
    @user-oh1gw1xq1d Жыл бұрын

    米内が海軍大臣の時に井上に辞めたいと言って、ダメですと返されるのを何日もやっていたエピソードすき

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    そのくせ自分は大将イヤだとダダこねて次官をやめたんだよな。 中将に上がった時には 「これで陸軍と議論ができる」 と大喜びしたそうだが、大将になったら 「責任重いのマッピラゴメン」 と次官職ごと投げ出す。 井上成美の「終戦工作」とは、その程度のものです。 所詮は戦後の作文なのだ。

  • @user-oh1gw1xq1d

    @user-oh1gw1xq1d

    Жыл бұрын

    @@user-fo7ig9vh3m どうした?何か恨みでもある?

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@user-oh1gw1xq1d 別に。 事実を書いただけだ。

  • @user-oh1gw1xq1d

    @user-oh1gw1xq1d

    Жыл бұрын

    あそうなんだ、なんか怒ってるように見えたからなにかあったのかなと心配になってしまったわ

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@user-oh1gw1xq1d ​​ 事実を書いただけで「怒っているように」見えるってのも大した話だ。 「軽蔑しているように」見えたんならニア正答だったんだがな(笑)

  • @skekhtehuacso6769
    @skekhtehuacso6769 Жыл бұрын

    井上さんは、珊瑚海海戦のとき、どうして空母や軍艦に乗って現場へ行かずに陸上で指揮したのでしょうか? そこが知りたいです!

  • @hirokazusadamori521

    @hirokazusadamori521

    Жыл бұрын

    井上中将が指揮していた第4艦隊は軽巡洋艦が数隻、旧式の駆逐艦、戦闘には不向きな特務艦ばかりの極めて弱小な艦隊でした。旗艦の巡洋艦「鹿島」にしてからがもともと練習艦であり、第4艦隊単独で珊瑚海海戦におけるポートモレスビー攻略は不可能であり、連合艦隊に増援を要請しました。いわば戦力はほとんど借りものであったと言えます。また、基地航空隊も一時指揮下に入ったため、広大に展開した艦隊や基地航空隊を一括指揮するには陸で指揮をとった方がよかったのかもしれません。(正確にはもともとの根拠地であったトラックから、珊瑚海に近いラバウルまで旗艦「鹿島」を前進させ、そこで指揮をとっています)また井上中将は空母機動部隊よりも基地航空隊の方が重要であるとの考えを持っていました。

  • @skekhtehuacso6769

    @skekhtehuacso6769

    Жыл бұрын

    @@hirokazusadamori521 さん、詳細な解説ありがとうございます。もっと勉強しなければいけないと痛感いたしました。

  • @keijinakamura8058

    @keijinakamura8058

    Жыл бұрын

    @@hirokazusadamori521 しかし肝心の空母は最新鋭の正式空母の瑞鶴と翔鶴でした。

  • @keijinakamura7514

    @keijinakamura7514

    2 ай бұрын

    @@skekhtehuacso6769 しかし空母は最新鋭の瑞鶴と翔鶴でした。 結果論ですが基地航空隊は大規模のラバウル以外、成功例は皆無でした。海軍機が200機以上いたトラック基地も簡単に全滅。基地航空隊に撤退を要請した孤島が多くありました。爆撃と占領を避けるために。機動力のある米空母群は無敵でした。

  • @The123456789SAKE
    @The123456789SAKE5 ай бұрын

    終戦工作に加担した件をもっと書いて欲しい。

  • @keishimomma258
    @keishimomma258 Жыл бұрын

    歴史に仮定は許されへんて言われるが、もしかもっと早うに陸海軍が統合されとれば、井上が大いに腕の振るえる場面があったんやなかろうかと妄想してまうな。 井上次官の「陸海相争ってこそ進歩がある」の言は、彼が次官に補せられた時には既に戦争の大局が決した後のことで、最早和平にしか活路を見出せんかったからやと思うことにしてる。

  • @user-fn5fe7ve7g

    @user-fn5fe7ve7g

    Жыл бұрын

    井上は感情が昂ると 陸軍を『動物』呼ばわりしたという証言もあり (井上の考え方からすると陸軍はあまりにも非合理的に映ったということなのでしょう) 仮に陸海軍統合が本格的に検討された場合 海軍側の反対派の第一人者はおそらく井上になったのではないか?という気はします

  • @breezecaller

    @breezecaller

    Жыл бұрын

    ​@@user-fn5fe7ve7g井上成美の伝記等を読むと、どうも井上は、陸軍の、 ・政治介入 ・下剋上的な雰囲気 ・国際感覚の欠如 これらを激しく嫌っていた雰囲気がみられるんですよね。 確かに前二者は軍隊としてあるべきではないし、また、海軍自体が「ある程度以上の国際感覚が必要な(世界の大国が海で接する以上当然とも)、巨大な理系集団」という性質があり、井上はその典型ともいえる人物ですから、どうしても反りが合わなかったんでしょう。 逆に言うなら、陸軍が「政治介入をせず、上意下達が徹底しており勝手に暴走するようなことがなく、国際感覚がある」組織だったなら、井上はそこまで陸軍に悪感情は持たなかったと思いますね。 ま、陸軍がそういう組織だったらそもそも日本は戦争やってないんじゃね?って気はしますけど。

  • @user-ls8fm7pg9m
    @user-ls8fm7pg9m Жыл бұрын

    ラディカルリベラリズム なんて立派な軍人なんだ

  • @user-bl1ig3or2g
    @user-bl1ig3or2g Жыл бұрын

    閉鎖されている井上記念館の1日も早い復活を!

  • @keijinakamura7514
    @keijinakamura751411 ай бұрын

    貴重な動画には感謝です。戦前では帝国海軍きっての知性であった井上成美大将は軍務, 海上勤務がすくないのにハンモック番号で瑞鶴, 翔鶴の第四艦隊を掌握してウエーキ島攻略と珊瑚海海戦の失敗を繰り返し後者のせいで、致命的なミッドウエイ敗戦を誘引し、陸海軍を疲弊させたガダルカナル作戦を提案した、このガ島をめぐる戦いで空軍だけでも貴重な空軍を喪失。海軍人事の重大な失敗例でした。彼は軍令部に置くべき方でした。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    11 ай бұрын

    強く同感。 詳細不明な「井上終戦工作」とやらを称える人は多い一方で、戦前に「航空優先」「島嶼戦重視」を唱えていた井上成美がポートモレスビーやガダルカナルへの派兵(どちらも補給軽視で重い結果を招いた)の決を下した事実に触れる人はほぼいないのが、俺には本当に不思議でもあり不審でもある。 井上には、百一号作戦やウェーキ島という「ご実績」もあるのだが、イイワケと他人への批判には饒舌な本人が、これらにナンの「総括」もせずダンマリなのも、実に見苦しいと思っている。 趣旨同感なのだが、出来もしないことを人にはフる井上成美を軍令部に置くのも不適任では。 クェゼリン事件の如き自己保身・見殺し事案が更に発生したのでは。 結果論で言うのなら、海軍省の制度局や、各種術科学校(航海学校あたりか)の校長あたりが適任だったのではないか。 リデル・ハートの様な評論家渡世ができたならば、井上本人にとっても最も幸せだったのではないかと思う。

  • @yushiinaba3686

    @yushiinaba3686

    3 ай бұрын

    「ガ島をめぐる戦いで空軍だけでも8000機のとパイロットを喪失」とのことですが、大日本帝国に空軍があって、その空軍がガ島で8000機とパイロットを費消したとは聞いたことがありませんでした。史実でしたら、是非詳しく知りたいです。

  • @keijinakamura7514

    @keijinakamura7514

    2 ай бұрын

    @@yushiinaba3686 間違いの引用の引用で失礼しました。が島戦のみで海軍機の損害は683機 (日本側記録)、搭乗員は2300名 (米軍記録). ラバウル海軍基地航空隊は2,935機の損失、この方面での第Ⅰと第2航空艦隊の損失は入っていません。陸軍機は後期に進出しておりますが詳細は不明です。なお井上茂美長官の第4艦隊のガ島進出は独断でした。海軍軍令部が参謀本部に作戦中止を設営隊上陸の当日に要請しておりました。想像できない事実です。残念。 なおご空軍機の損失数は指摘にしたがい本文では削除しました。

  • @tomoyaokano1081
    @tomoyaokano10818 ай бұрын

    もっと有名になって欲しい軍人だ長井で晩年を過ごし横須賀の海を眺めていただろうと思える海兵さんを思うと胸が熱くなる。海軍が解体されていたのだから。無念であったろう長井から眺めたであろう観音崎や浦賀の海

  • @user-vf8vs9ke7m
    @user-vf8vs9ke7m Жыл бұрын

    秋山兄弟もいます。日本人は皆さん優秀です。藤原。

  • @user-ne1ix4rc1m
    @user-ne1ix4rc1m Жыл бұрын

    戦時中でも海軍での英語教育を継続したのは井上兵学校長。 終戦後の公職追放後は、英会話教室や翻訳で生活をしている。

  • @user-fn5fe7ve7g

    @user-fn5fe7ve7g

    Жыл бұрын

    兵学校の英語の授業では日本語の使用を禁ずる方針を打ち出し 生徒はおろか英語の教師ですら 「教えるのに困るんだけど…」と困惑させてしまう徹底ぶりに 良くも悪くも「らしさ」が現れている人ですね

  • @user-jy4fc2pm3m

    @user-jy4fc2pm3m

    Жыл бұрын

    海軍が英語を敵性語として、廃止しようとした時、敵の事を知るためには英語は必要であると説いたと言われますよね。この頃の軍人の中で東北出身者が多いことにも私はびっくりしています。

  • @kazumasaotu6016

    @kazumasaotu6016

    Жыл бұрын

    井上氏の出自は、仙台の旧幕臣の第11男ということで、 東条英機大将などと違い、試しに兵学校を受けたら上位合格したので海軍に入ったということかもしれませんね。 得意科目は語学、数学、理科、楽器演奏、工作。 不得意科目は、人づきあいで妥協することww 「我が闘争」をドイツ語原書で読んでおり、日本人蔑視のところを日本語訳で隠したのを知っていたそうです。 井上氏には、非常に理系的頑固を感じますが、 フランス語、イタリア語も学んでおり、外国の知識情報は、現地の言葉で学ぶべきということだと思います。 戦時中の兵学校で、英英辞典の使用やリスニングの重視などを考えており、 現代日本の英語教育よりも さすがに実践的ですね。

  • @hirokazusadamori521

    @hirokazusadamori521

    Жыл бұрын

    「日本は英米と戦争してるんだよ。勝てば英語がいる。負ければなお英語がいる」 「一体どこの国に自国語一つしかしゃべれない海軍将校がいるか。そんな人間は海軍士官として役に立つことはできない」 「好むと好まざるとにかかわらず、英語が世界共通の公用語であることは紛れのない事実であり、事実はこれを事実として認めなければならない」 「英語を勉強するのが嫌だから、優秀な人材が陸軍に流れてしまうというなら流れて構わない。外国語一つ真剣にマスターする気の無い人間は帝国海軍の方でこれを必要としない」 「たとえ多数決であろうとも、私が兵学校校長である限り、英語教育の廃止は絶対にこれを行わせない」

  • @user-nv9qk4jh7n

    @user-nv9qk4jh7n

    Жыл бұрын

    しかもMr.井上の英語塾は出張授業まで要請されて… 出張授業の場所は旧帝国海軍横須賀鎮守府御用達の 海軍待合料亭小松。 そこで従業員や旧海軍レスの芸者といった人々に 実践的実用的接待英会話をコーチした! もちろん進駐軍関連の利用客が多かったことからの必要性があったから。 ギャラは小松での食事&形ばかりの寸志だった模様。

  • @rw9806
    @rw9806 Жыл бұрын

    海外武官として派遣された将官たちは開戦反対派でしたね!

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    そうか? 永野修身→アメリカ 島田繁太郎→イタリア 末次信正→イギリス 伏見宮→ドイツ これらの人らも「開戦反対派」だったのか?

  • @asaichban9842

    @asaichban9842

    10 ай бұрын

    軍令部総長の永野は米国駐在(ハーバード留学)、海軍大臣の嶋田はイタリア駐在 でしたよ もう一人の三長官の連合艦隊長官の山本は 米国駐在・・・・ 海軍トップはみんな海外武官経験者 しかし結果は

  • @keijinakamura7514

    @keijinakamura7514

    2 ай бұрын

    海外留学は現在でも有用、世界観がかわります。

  • @r_garage_channel
    @r_garage_channel Жыл бұрын

    海軍内の良識派ではあるが、珊瑚海海戦の消極的な判断からみると、軍事戦略、戦術に長けているとは言えない人物。山本五十六の子分的な位置づけも強い。

  • @user-uf1nd2rm1z

    @user-uf1nd2rm1z

    Жыл бұрын

    軍政の人、学者肌の人ですよね。 4F長官のときは色々大変でしたが、世界初の空母戦を何とか戦ったなぁ、っていう印象です。 やはり日本軍の人事がしっかりしていれば、とつくづく思います。 (多分人事局は大将親補を見据えて、艦隊司令長官職などやらせたのかな、?)

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​​​@@user-uf1nd2rm1z ​​ 大将親補の為ではなく、前々から井上本人が主張していた 「新軍備計画/島嶼の航空要塞化」 を任せるのに最適な地域が内南洋だったから。 もちろん、 航空主兵論→デモ何ニモシマセン航空本部長 と同じく、口だけ八丁の井上成美は何もやっていない。 それだけの話。 (マキンやタラワを含め、内南洋の防備が強化されるのは、昭和も18年以降である。簡易築城しか出来なかった) 井上成美本人は 「左遷させられた」 「色々困難が多かった」 としか言っていない。 井上成美がやったことは、ウェーキ島の敗退(結局南雲に助けてもらった)、珊瑚海海戦の消極的な指揮判断と、ガダルカナル島への設営隊派遣。 あとは料亭と慰安所のトラック誘致。 やらなかった判断によりクェゼリン事件が起こり、部下が身代り同様の死刑とされている。😢

  • @skyupend
    @skyupend2 ай бұрын

    三国同盟を結んだ理由は幾つか挙げられると思うが、ただし対ソ問題だけでなく、満州を巡る国際情勢が最大の理由であろう。というのも満州を国家として承認したのはドイツやイタリアだったため、逆に満州を承認しない国は当時の日本の敵になるわけだから、いくら井上成美が優秀でも英米との対立は避けられなかったであろう。つまり歴史の流れには抗えなかった。国際同盟から脱退した瞬間から日本は常任理事国としての権益を自ら放棄してしまった。今の国連のようにプロレスの場と化しても常任理事国たちが旨味を知って絶対に放棄しない様子を見ると考え方のベクトルが全く違う。

  • @sa-oq7ci
    @sa-oq7ci10 ай бұрын

    井上は珊瑚海海戦の時の司令官であり戦い自体は痛み分けになったが戦いの過程で空母に対する急降下爆撃の危険性に気づきそれへの対策を熱心に具申したが海軍は井上の意見を軽視し体制を変えないままミッドウェー海戦に臨み急降下爆撃によって空母4隻を失うという大敗を喫した。その後も太平洋戦争のキモは艦隊決戦ではなく島の奪い合いになるから大型戦艦ではなく輸送船を護送する小型駆逐艦を増強するべきと言い続けるのだが海軍はその方針を取らず海戦自体は互角に戦うのに島嶼への補給体制が追いつかず結果として戦線は日本本土に向かって縮小を続けた。補給体制が何とか形になったのは終戦間際だった。井上の意見を海軍が容れていれば太平洋戦争はもう少し面白くなったと思う。

  • @akizuii

    @akizuii

    9 ай бұрын

    ただ珊瑚海の海戦についてはそれは井上の飛行機を護衛する任務でメリ軍の艦隊を壊滅できるチャンスを見送ってしまった、海戦の後もMOの作戦計画を止めてニューギニア湾の攻略やめた、実にいい指揮官とは言えません。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    8 ай бұрын

    軍令部からの 「ブインまたはキエタに中間基地を設営した上で進出せよ」 との指示をないがしろにして遠隔地のガダルカナルに基地を設営し、あの惨戦を招くキッカケを作為したのは第四艦隊・井上成美だ。 ブイン・キエタについては「調査の結果、設営不適」との第四艦隊側からの回答が為されたというが、ガダルカナルの戦いが酣となってからはとにかく設営されているのだから、単なる不作為である。 これが「補給重視の井上成美」の現実である。 珊瑚海海戦の拙劣な指揮を言われることは多いが、仮にあの海戦に優勢勝ちしてポートモレスビー海上攻略に成功したとしても、第四艦隊としてそもそも維持可能だったのか? (後に補給難から惨憺たる有様になったのがニューギニ戦線) 井上成美がこの点を具申したとも聞かぬ。 日米ては国力・生産力が違うというのは井上成美本人の御見識だったハズだが、実際の戦争であれだけ四方八方にイケイケドンドンをやらかしたオノレの戦略眼についても、井上成美は戦後にさえ何も語ってはいない。 重慶無差別爆撃にせよ「新軍備計画」にせよ内南洋守備にせよ、海軍の見せ場を作り、ヤバくなると陸軍に丸投げし、文句と批判は大いに言う、という小役人じみた手癖が非常に強い人物である。

  • @user-pg2tb8hi5r

    @user-pg2tb8hi5r

    4 ай бұрын

    本人は現場でなく、後方の安全なラバウルに司令部を置いてましたから、一刻を争う航空母艦の戦いに時間のロスは致命的になることを考慮すると、的確な措置とは言えないと思う。 第5航空戦隊司令の原少将も通信を使っていちいちラバウルに報告やらして、命令されていては柔軟な指揮なんて無理。

  • @deshioyabin8852
    @deshioyabin885210 ай бұрын

    井上さんの晩年の横須賀市長井の住まいの跡地を訪問したことがあります。でも、どこにあったのかよくわかりませんでした。その一方で、小泉進次郎のポスターは道中何百枚も見ました。すごく悲しくなりました。絶対ないことでしょうが、進次郎が井上さんの喧伝をすることができるようならば、少しは認めてやりましょう。

  • @thejohnnycakes9886
    @thejohnnycakes9886 Жыл бұрын

    井上は、没年86歳。

  • @masafumi4570
    @masafumi4570 Жыл бұрын

    井上成美と不仲だったのが南雲忠一であり、井上に対し「貴様を殺すことは簡単なことだ」と暴言を吐いたのは有名な話ですよ!

  • @AtsushiMizobe

    @AtsushiMizobe

    Жыл бұрын

    そしたら井上は、南雲に「これを見よ‼️😠😡👹👺」と机の引き出しから「遺書 死後開封」と書かれた書状を突き付けた。その迫力に南雲は一言も発する事が出来なかった。という続きがあります。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@AtsushiMizobe それ、宮野澄さんの創作だから(笑)

  • @AtsushiMizobe

    @AtsushiMizobe

    Жыл бұрын

    @@user-fo7ig9vh3m 確かに遺書を突きつけたというのはフィクションだったようですね😅もっとも、井上の伝記やそれを参考のひとつとしたウィキペディアの記事などによると、遺書を机の中に入れていたのは事実だったようで、その本文には「どこにも借金はなし。娘(のシズコさん)は高女(高等女学校、現在の中学校➕高校2年生)だけは卒業させ、出来れば海軍士官に嫁がせしめたり」と書いてあったとあります。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​​​​@@AtsushiMizobe​ 遺書見せてタンカを切る様な景気のいいことができる人じゃありませんよ、良くも悪しくも。 珊瑚海海戦での不手際に立腹した搭乗員らが、慰労会の席で 「乾杯!」 と次々に井上成美に酒をぶっかけたが、本人は黙って何も言えなかったという証言もあります。 副官が叱りつけて追い払ったが、以後井上成美本人は 「酔っ払いの席には、私は出ない」 となったのだとか。 南雲が井上にカランだのは伏見宮家の園遊会の席で、南雲自身結構酔っ払っていたと言われますから、役所の机の中に遺書があろうがなかろうがカンケーない話。 現実のこの園遊会の折にも、遺書を叩きつけるどころか、酔っ払いの南雲から黙って遠ざかったのだとか。 酔っ払いの暴言にビビって遺書(内容は本人しか知らぬ)は書くが、部下から酒をぶっかけられても何も言えないなんて、イジメラレッコの愚痴みたいで、むしろ井上成美大将閣下のキズになる話ではないかと(笑) むしろ「遺書を突きつけて南雲を黙らせた」なんて作り話をなんでワザワザ作るのかと、私なぞはそう思います。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@AtsushiMizobe 井上が不仲だったのは南雲だけじゃないやな。 南雲と同期の新見政一あたりとも犬猿の仲だった。 軍務局長時代の井上成美は、この新見氏の提案になる海軍機雷学校の設立案を、四の五のと理屈をつけて却下している。 (対潜要員の養成はこの為に停滞した) 戦後の後出しジャンケンの井上成美とは異なり、新見中将は日独防共協定にも 「これ以上米英と距離を置くのは不可」 として反対(井上成美は防共協定賛成派)した程の対米協調論者であったが、井上成美とは犬猿の仲だったばかりに、阿川弘之系統(宮野澄を含む)の海軍ストーリーには全く出ては来ない。 「井上成美エラい」 「こんなに理性的な人がいたのか」 ‥‥なんか言っている連中の論拠なんぞ、所詮小説、所詮この程度のものなのである。

  • @user-jq6kg9pi3n
    @user-jq6kg9pi3n11 ай бұрын

    とても勉強になりました!日本だけではなく、日本のせいで今、反日の方々のことも教えていただきたいです!

  • @imagine7363
    @imagine7363 Жыл бұрын

    radical liberalistだったと。すごいですね。

  • @user-fp9wk6vo7h
    @user-fp9wk6vo7h Жыл бұрын

    三国同盟が全ての元凶でしょう。しかし敗戦後腹を切らなかったのは不思議なことです。

  • @user-xk8wo1ry9k
    @user-xk8wo1ry9k Жыл бұрын

    難し過ぎて何を言っていいかわかりません。 わかったのは陸軍があまりにも直感/直情過ぎる この一言に尽きる

  • @Hiroshi-iv4gu
    @Hiroshi-iv4gu2 ай бұрын

    米内は海軍次官として海兵校長から無理矢理引っ張った井上を、大将に進級させ次官としてのクビを切った。井上があまりにも終戦に急進的で、それを嫌った米内がこんな人事をしたのか不明だが、この真相が知りたい。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    2 ай бұрын

    そもそも大将だから次官ができないなんてことはない。 現に井上成美の2代前の沢本頼雄は大将次官である。 開戦後には総花式に進級が早まったから、少将の戦艦艦長(本来は大佐)や大尉砲台長(本来少尉配置)なんてものもそう珍しくはなかった。 大将になったから次官を辞めなきゃならないなんてことは全くない。 大将としての一層の責任を感じて頑張ります、という責任概念とは全く無縁の井上成美が大将進級を口実に責任を回避しただけの話、というのが真相に過ぎぬ。 さればこそ、祭り上げ大将の軍事参議官の椅子には井上成美は終戦まで座っている。 米内にとってはむしろ想定外だったろう。 「いなくなって苦労しとるぞ」 と井上に語りかけたとのエピソードも残っている。 戦争の最中、戦局が煮詰まってきた時期に次官を辞めるのがそんなにエラいのなら、なんで開戦直前の第四艦隊司令官は辞任しなかったのか。 元々「辞めます」を常習していた男なのだ。 真に日米開戦反対論者だったのなら、戦前の省部規定改定やら末期の海軍次官より、対米正面の司令官職を辞めるのが本筋だろう。 何しろ海兵クラスヘッドはクビにはならぬとばかりに 「納得いかないことには同意できません。辞めます」 で散々周囲を振り回した(だけの男)のが井上成美なのだ。 同期トップで司令官になったのは受けるが、事態の推移次第で責任出そうな位置に座るのはお断り。 こんな小役人じみた官僚処世を戦後のポジショントークで誤魔化しているに過ぎまい。

  • @user-ec2sf1vt8y
    @user-ec2sf1vt8y11 ай бұрын

    日本人、ヒトラーに馬鹿にされてたんだね。 総統閣下シリーズを観に行きます。😅

  • @user-pg2tb8hi5r

    @user-pg2tb8hi5r

    4 ай бұрын

    我が闘争が書かれたのはミュンヘン一揆に失敗して服役していた時1924年です。 第一次世界大戦で日本とドイツ帝国は敵国だったこと、ヴェルサイユ条約に日本も参加してドイツの植民地だったところをちゃっかり手に入れてることを考慮すると、ヒトラー総統が日本人を嫌っていたのは当たり前に思います。(ドイツ帝国時代のドイツでは黄禍論など黄色人種を見下す風潮があったし、ヒトラー総統の産まれたオーストリアハンガリー帝国もしかり)

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Ай бұрын

    ​@@user-pg2tb8hi5r 同感。 ドイツ自体が相当むき出しの差別意識の所有者の多い国で、北清事変の鎮圧出兵でも 「捕虜を取るなかれ」(全部○せ) なる総指揮官命令が発せられていた。 亡国のカイゼルの亡命を受け入れたのは中立国のオランダだが、 「あの強烈な黄禍論者たるカイゼルを受け入れることで日本が蘭領印度を保障占領するのではないか」 との危惧はオランダ内外で非常に強かった。 (シベリア出兵で手を取られた日本はそれどころではなかったが) 大戦直後のドイツに留学した斎藤茂吉の書いたものを読むと、経済崩壊したドイツでの随分楽しげな思い出と共に、上から下まで割にキツい反日意識をむき出しにされた様で、個人的に親しげなドイツ人の話などはあまり出てこない。 むしろ「日本人」と題した新聞の風刺画でチンタオ要塞に群がる野良猫として描かれたことに憤慨したりしている。 大戦中のドイツの風刺画では「武勇の君主」と題して軍刀を腰につないだ小男(というより小人)の似顔がイタリア王だというものがあった。 独墺との同盟を裏切って連合国側についたイタリアを当てこすったものだが、ここまでバカにしていても状況変化で必要となれば結ぶというのもまた「複雑怪奇」な国際政治の世界なればこそなんだろう。 三国同盟後にはドイツ側は「名誉アーリアン」なる言い草を持ち出してツジツマ合わせを行っている。 ありがたがるにも及ぶまい。 なお、そんなドイツの真意とやらを知っていた(ハズの)井上成美は、 「英独は結局不戦」 「ならばドイツに接近して英国と両天秤にせよ。英国は信用できぬ」 として、日独防共協定には賛成している。 防共協定にさえ反対した「親英派」百武源吾や新見政一とは生涯犬猿だった。

  • @user-pd1xr6sq3q
    @user-pd1xr6sq3q Жыл бұрын

    日本は負けちゃった。

  • @user-lm6lu8ob1t
    @user-lm6lu8ob1t11 ай бұрын

    最後の恩給が復活する前後の話、NHKを解体出来たら、共済年金の解体を並行する話にしなければならないな‼️

  • @keijinakamura8058
    @keijinakamura8058 Жыл бұрын

    井上提督は帝国海軍の知性とされ英米の実力を評価できる逸材、海兵、海大一番卒業の秀才、しかし海軍人事の失敗で実戦にだされウエイキ島上陸戦,珊瑚海海戦で失敗、海兵校長に左遷。秀才は実戦に役立たずで軍令部に置くべき人物といわれております。性格は狭量で陸軍嫌いは有名、戦後は苦手の英語を三浦半島の自宅で教えられておりました。

  • @user-ue8us3zr4h
    @user-ue8us3zr4h Жыл бұрын

    戦下手で現場より赤煉瓦の人、それでも海軍で最も楽しかったのは戦艦比叡艦長のときらしい。 語録の一つに「人間を神様にしてはいけません、神様には反論できませんからね」というのがある… 兵学校長時、教育期間の短縮を迫られた時に敢然と反論(内容割愛)し英語教育に力を入れた。 退役後は黙して語らず、海自(呼んだ方もどうかと)練習艦隊の壮行会で講話を垂れた嶋田繁太郎のことを恥知らずにも程がると激怒したとか。 人物像は阿川弘之の井上成美を読むと参考になる。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    11 ай бұрын

    海自の壮行会に元大将が出席して挨拶するのがそんなにケシカランというのなら、 「優秀な海軍軍人が自決するのは国家の損失だ」 と言っていたのは何なのだ? 軍人としての責任感から自決するのは「国の人材損失」だが、生き残って何かするのは壮行会の挨拶でもイカンのか? つまり、人材として生き残っても逼塞しておれ、ということか? なんの意味があるのだ? 嶋田繁太郎なんぞ庇う気もせんし、自決を無批判に称える気も無い。 それでも井上成美のこの言い草は、 「戦前戦中に何もしなかった男による自決しないイイワケ」 にしか聞こえないのである。 阿川弘之の著作では触れられてもいないが、第四艦隊司令官時代の井上成美の身代わりの様な形で、阿部孝壮は戦後に刑死している。 己の不作為で人材を刑死させたのはどういうことになるのだ? そんな第四艦隊司令官時代に珊瑚海海戦ではヘタな采配で負けを取ったにも関わらず当時の司令部の親睦会「三五会」とやらには顔を出した井上成美の写真も残っている。 よくまあツラを出せたものだと思う。 恥知らずにも程があるというものではないのか? 嶋田とオレサマ井上成美は別モンなんだということか? ハンモックトップの歪んだ道義というべきもんだろう。

  • @user-dt2vd7ee4k
    @user-dt2vd7ee4k Жыл бұрын

    昭和海軍は腰砕けでした、ガ島近海の海戦で勝利しながらその後に追撃せず米軍のガ島への補給を許しました、乾坤一擲のレイテでは反転しました。米国から勲章をもらえる人達です勝てる訳がありません

  • @user-xi2hl8ph7k

    @user-xi2hl8ph7k

    Жыл бұрын

    実際レイテに侵入できたとしてもすでに輸送物資、武器、弾薬、戦車、装甲車の部分は陸揚げを終了してたので米軍輸送船団撃滅は空になった船を沈めるだけの結果になったよ

  • @user-dt2vd7ee4k

    @user-dt2vd7ee4k

    Жыл бұрын

    ​@@user-xi2hl8ph7k大和の主砲以下で米軍上陸地域を艦砲射撃すれば軍需品の山を木っ端微塵に出来ます。米軍後方部隊にも被害が出てマッカーサー戦死も有り得ました

  • @user-nr3lo7um9w

    @user-nr3lo7um9w

    Жыл бұрын

    @@user-dt2vd7ee4k なるほど。そうか。やっぱりレイテ突入すべきだったか。

  • @user-dt2vd7ee4k

    @user-dt2vd7ee4k

    Жыл бұрын

    @@user-nr3lo7um9w 突入せんでいいですよ、昼寝しときましょう年寄りの冷水になります。

  • @keijinakamura8058

    @keijinakamura8058

    Жыл бұрын

    @@user-xi2hl8ph7k 上陸用輸送船はまだ満杯でした。重巡にはあのマッカーサーが乗艦してました。栗田提督の資質が問題でした。

  • @antiJJ
    @antiJJ Жыл бұрын

    清廉で頭の良い人なのは事実だけど、業績自体はほとんどない人。

  • @user-jy4fc2pm3m

    @user-jy4fc2pm3m

    Жыл бұрын

    海軍の軍人としては、ウェーク島攻略戦での躓きや珊瑚海海戦での失敗しかありません。どっちかというと、司令長官というより、海軍省の役職に就くのが一番いい人でしょうね。後は兵学校長の2年余りしかないですね。

  • @user-sk5mu3ti4m

    @user-sk5mu3ti4m

    Жыл бұрын

    重慶爆撃を指揮した奴だし、下手したら戦犯で絞首刑にされても文句いえない。

  • @user-jy4fc2pm3m

    @user-jy4fc2pm3m

    Жыл бұрын

    @@user-sk5mu3ti4m 護衛に造られた戦闘機がゼロ戦でしたっけ?

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@user-sk5mu3ti4m ​​​ク ェゼリン事件、もある。 前線で捕えた捕虜についての処置を度々上級司令部(第四艦隊)に照会したが全く回答なく、結局出張中の大本営参謀と協議の上「捕虜処刑」としたら、戦後に現地指揮官が死刑となったもの。 後送にせよ処刑にせよそもそも第四艦隊司令部が指示すべき話だろうが、何らかの指示を出していたら井上成美の戦後はあり得なかったろう。 死刑さえもあり得た。 蛇足ながら、この死刑とされた現地指揮官(阿部孝壮)の長男は、兵学校での井上成美の教え子なのだが、井上は他の教え子に 「気の毒なことをしたとお伝え下さい」 と伝言を頼んだのみ。 いい気なものだと思う。

  • @user-um8ox4ug3c
    @user-um8ox4ug3cАй бұрын

    どこまでが本当か

  • @mokunosuke1930
    @mokunosuke1930 Жыл бұрын

    まっとうな意見が通らなかったのはなぜでしょうか?でも、井上少将が実戦に弱かったのはなぜでしょうか。

  • @keijinakamura8058

    @keijinakamura8058

    Жыл бұрын

    秀才は実戦に役立たずが太平洋戦争で数多くみられました。

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    丸投げの井上成美、と言っていいくらい、理屈は達者だが自分では何もできない人。 「○○に指示しておいた。成果があったらおれの成果/失敗すれぱ現場のせい」 こういう志向の極めて強い人。 保身上手な小役人、秀才タイプによくあるタイプだ。 ウェーキ島でも珊瑚海でも、上手くいったら第四艦隊の手柄だったハズだが、上手く行かなければノータッチ。 こんな保身根性で実戦はさばけなかったというだけのこと。 実戦に限らずナンでもその流儀。 生産力格差や島嶼防備の重要性を説いては見ても、航空本部長や第四艦隊司令官等の「じゃあやってみな」的な部署につくと丸投げ以外に何もしないし出来ない人。 「終戦工作」にしても同じ。 具体的に何をやったというのか。 高木惣吉ニ指示シマシタ、米内大将ニ意見シマシタ、それ以外に何をやったというのか。 戦後の後出しジャンケンだけではないのか。 井上ネタの殆どは戦後の本人の自己申告(「思い出の記」等)なのはもっと強調されて然るべきだろう。 同じ海軍次官にしても、三国同盟反対云々の折の山本五十六次官の動きは西園寺や陸軍側の資料にも結構散見されるのだが、終戦時の海軍次官・井上成美の名前なんぞほぼ海軍部内の資料にしか出てこない。 (岡田や米内の名なら多くある) それなりに重い海軍次官の位置におりながら、結局大したことはしていない、それだけの話ではないか。 しかも最後には投げ出している。 この人がいなくても結局カンケーなかったというだけの話ではないか。 万事丸投げ、責任は取らないが手柄は取る、そういうタイプの人間。 知れば知るほどそんな印象が強くなる人物ではある。

  • @user-uf1nd2rm1z

    @user-uf1nd2rm1z

    Жыл бұрын

    頭いい人って結構現場苦手な人多いですよね。今の社会でもいっぱいいますね。 偏見じみた回答されている方は置いておいて、人間という人種は、万能にならないようによくできてると思いますね笑

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    ​@@user-uf1nd2rm1z 左様。 ​万能どころか何の実績もないのに「先見の明」を後出しジャンケンで誇示して見せて戦後にイイワケしているのが井上成美。 そういうコスっからいやつは、確かに、現代でも社会にいっぱいいる。 (戦後)「ドイツ嫌いで対米戦につながるので三国同盟反対しました」←(現実)「陸軍主導であり、英独両天秤ができなくなるから反対」との井上成美直筆のメモが残っている(さればこそ外務省主導の日独防共協定には大賛成していた) (戦後)「新軍備計画を立案しました」←(現実)結局予算ブンドリの作文、島嶼警備を陸軍でなく海軍にやらせる為に予算よこせとの作文で、元々作文なればこそ現実に自分で内南洋守備の責任者(第四艦隊司令官)となると何もやっていない。 (戦後)「終戦工作に挺身しました」←(現実)高木惣吉に「研究を命じた」のと、米内にヤレヤレ言った以外、何ら実績なし。 (仮に終戦工作を「手柄」と言うなら、米内と高木の手柄だろう)。 何も実績ないから本人の作文でさえ何ヲヤッタノカの具体的実績なんぞ書かれてはいないし、周囲からの実績証言もない。おまけに途中で次官を辞めている。 (本当に不思議なのだが、井上成美の終戦工作とやらを称える者に具体的実績を尋ねて、まともに答えが返ってきたことがない) (戦後)「生涯リベラリストだった」←軍部大臣現役武官制を強く支持し、治安維持法を支持し、議会や政党を敵視していた(これは証言も大量に残っている)。 こんな者がナンでリベラリストなのか(笑) かくも後出しジャンケンと実績とが乖離するのが井上成美。 半ちくなプライドばかり高い秀才タイプのイイワケという感じ。 実に見苦しい。 二・二六事件を批判して見せた井上成美が腹心として重用していた高木惣吉は、東條英機暗殺計画まで立てた「艦隊派」である。 二・二六事件をあれだけ非難したお方が、海軍がやるクーデターなら黙認か? 東條暗殺計画立てるなら末次信正マンセーの「艦隊派」でも腹心か? 結局後出しジャンケンだからロジックは滅茶苦茶。 これが井上成美。 プリンシプルにうるさいも何もあったもんじゃないのだが、屁理屈並べて他人を言いくるめるのが得意な者はどこの社会にもいる。 (そして大概実務はできない。すぐイイワケに奔るからな) 実戦は役人のデスクワークと違って結果が明確に出るから、井上得意の 丸投げ→メイキング後出しジャンケン が効かなかったというだけのこと。 対米戦不可、対英離隔不可というなら、百武源吾や新見政一あたりの方がよほどまともに主張していた。 百武なぞこの為に軍令部総長のイスまで棒に振っている。 井上成美と対立した新見政一は、その「海軍機雷学校」構想を軍務局長井上成美に潰された。 「海軍反省会」の議長まで努めた良識派だが、井上成美と対立したばっかりに、阿川系統の井上成美ストーリーには新見の名は出ても来ない。 元々その程度の「小説」なのだ。 百武にせよ新見にせよ、戦後に都合よくイイワケ重ねて「実績」作って同期のあらかたから嫌われた井上成美とは大違いだろう。 「神様は批判できないから神格化は不可」とか言っていた井上成美の称賛者に、 「なんだか分からんが終戦工作やったそうだからエラいんだろ」 てな者がムヤミに多いのも、 「言ってることとやってたことが一致しない」 という点で、ある意味井上成美らしいとは思う。

  • @jinhanchang
    @jinhanchang2 ай бұрын

    常識人ほど蔑ろにされる国って悲しいな

  • @themuraoka
    @themuraoka3 ай бұрын

    珊瑚海で 下手打ったオッサンね、、、

  • @user-eq2se8qb4i
    @user-eq2se8qb4i Жыл бұрын

    成績悪いヤツを見下す高慢なエリートで参謀には良いが司令官には向いてない

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    Жыл бұрын

    全く同感。 人事評価だけは高いが人望と実績の無い役人タイプの者が、言い訳兼用自慢話をオンパレードでフいているという印象。 宮澤喜一が一番似ていると思う。

  • @tomoyaokano1081
    @tomoyaokano108110 ай бұрын

    背後の海軍大将で軍政畑の海兵さん軍務局長を務めた軍令畑でカミソリぶりを発揮して欲しかった。回天の特攻を止められた一人だつたと思う米内が止めるべきだつた軍令として最低最悪なのが特攻だ戦闘機で特攻もきついが回天はあの潜水艦で何ができたのかと思う。統帥権を持っていた裕仁も認めていたのだろう。痴呆顔した裕仁

  • @user-fo7ig9vh3m

    @user-fo7ig9vh3m

    8 ай бұрын

    特攻を止められたハズだ、どころか、前線帰りの士官から「特攻は作戦の外道だからやめさせろ」との直訴を受けた井上成美(当時海軍次官)は返事もしなかったと、井上成美ナンデモマンセーの阿川弘之の伝記にさえ記されている。 事実でもある。 物動の決済は全て次官の手元を通るのだから、特攻作戦を停止する強い意志が本当にあったのなら、特攻前提の資材配備を裁可しなけりゃ済んだ話だ。 そんな動きは全く見せなかった。 漫然と同胞の生命損失を前提とした作戦の物動にサインし続けていた責は、全く消えもしないのだ。 「井上成美なら特攻を止められたハズだ」なんて、トンだ買いかぶりだろう。 百一号作戦にせよウェーキ島にせよ珊瑚海海戦にせよ、実戦ではことごとく下手を打っているのが井上成美だ。 触れられることが少ないが、ガダルカナル島への飛行場設営を推進したのは当時の第四艦隊、つまり井上成美だ。 大本営からは 「ラバウルから遠隔に過ぎるので、ブインまたはキエタに中間基地を設けた上で可」 との指示が出ていたのを「不可能」として無視して設営した。 為に後にガダル争奪戦となった折には滞空時間の短さから苦戦と消耗を強いられた。 同じ第四艦隊司令官の頃には、部下の見殺し事案も発生している。 (クェゼリン事件) こんなのが「軍令畑でカミソリぶりを発揮」?? とんでもない話だろうよ。 井上成美の「カミソリぶり」なんぞ、結局すべて自己保身の方向にしか向いていないのだ。

  • @user-fo7ig9vh3m
    @user-fo7ig9vh3m Жыл бұрын

    例えば日露戦争終了後に 「人口5倍、予算5倍、海軍力は2倍半。国力これだけ違うんだから勝てっこないと思いまして、ワタシ終戦工作やってたんですわ。なんつってもワタシはリベラリストなんで」 なんぞとカミングアウトする軍人がいたらどうなっていたか。 「さっすが〜、そりゃ国力違うもんな。先見の明あるわ」 なんぞと言われたと思うか? 実際にも、そんな阿呆な軍人はいなかった。 軍人の本務は戦争に勝つこと、和平の決は政治家の仕事だとの認識は強固だったからな。 逆に、勝つ事には何ら貢献出来なかった者が 「国力が違うんだからハナッから勝てません」 「だから早負けする様に動いたんです〜」 とワザワザありもせぬ事績の作文までして(所謂「終戦工作」での井上成美の具体的な事績は何もない。戦後の本人自己申告のみなのだ)誇るのだから、軍人としては無能というべきなのだ。 当時も今も国民が軍人に期待するのはお国の勝利だ。 生産力に大差があろうが、ベトナムはアメリカに勝った。 そのアメリカも、独立戦争では世界の工場英国を追い払った。 どちらも昭和日本の無能な軍人・井上成美より優秀だったということだ。 大した動きもしていない(しかも大将昇任と同時に放り出している)「終戦工作」とやらを作文までして誇るなんぞ、勝った大将を三等呼ばわりする様な、軍人として倒錯した価値観からしか出てこない言動なのだ。 そんなもんを褒めるヤカラは、(日露戦争で)勝った海軍はスゴイが(太平洋戦争で)負けたのもエライ、というダブルスタンダードに気づかぬ阿呆だろう。 「じゃあ、井上成美の終戦工作って、具体的に何やったんですか?」 と尋ねてまともに答えられる人というのも見たことがない。 なんだか分からんが終戦工作したんならエライんだろうと、こんな価値観の倒錯した大将を称えている者が多いうちは、押し付け憲法の改正なんて絶対に無理だろうと思っている。

  • @user-ft6sw2cf5g
    @user-ft6sw2cf5gАй бұрын

    軍人を現代用語で表現するのはいまいちピンとこない。リベラリストの軍人? 軍人はみんな軍国主義者ではないかしら?

  • @user-nv9qk4jh7n
    @user-nv9qk4jh7n Жыл бұрын

    剃刀井上提督 警視正室井慎次… どっちもギバちゃんが演ったキャラとしては 性格的共通点が多いかな(笑) だけど柳葉敏郎の井上成美軍務局長は やたらめったら怒鳴ってばっかり(笑) 「ありゃ行きますな(笑)」 「行くね!(笑)」 役所広司の山本五十六次官との 海軍大臣米内光政柄本明が 親独イカレポンチどものテロリストに狙われてるのに 鯨飲&芸者遊びに行って真っ直ぐ帰宅しないだろうかなと 二人のやり取りにニヤける(笑)

  • @user-jy4fc2pm3m

    @user-jy4fc2pm3m

    Жыл бұрын

    昔、中井貴一が演じていましたね。

  • @user-nv9qk4jh7n

    @user-nv9qk4jh7n

    Жыл бұрын

    そこはやっぱり男と女だもんねぇ〜 佐世保から横須賀まで鎮守府長官米内光政を追ってきた 海軍レスのネエチャンをどーすりゃエエモノかと 横須賀鎮守府スタッフ一同が困惑する中… お手上げと静観の体で しんみりと諦めに似た肯定を示す井上鎮守府参謀長の物言い(笑) 剃刀井上でも男の人情味がフツーにあったりする 226事件目前の横須賀鎮守府の一コマ(笑)

  • @user-nv9qk4jh7n

    @user-nv9qk4jh7n

    Жыл бұрын

    ​@@user-jy4fc2pm3m さん 中井貴一は海軍モノが多いですね。 映画連合艦隊のパイロット小田切中尉 フジテレビ戦艦大和の大卒短現任用の吉岡少尉 現代でも亡国のイージスで 北朝鮮工作員の役柄とか…

  • @user-gp9un5ds6y

    @user-gp9un5ds6y

    Жыл бұрын

    いいお話ですね! ちなみに出典はどちらからでしょうか。

  • @user-jq5fx2me9e
    @user-jq5fx2me9e Жыл бұрын

    学業優秀な人材は軍人なんぞに、なるものではない。 おお迷惑だと 経済人かテロリスにでも、成ればいいのです。

  • @Japan.the.end.
    @Japan.the.end. Жыл бұрын

    三羽ガラスが政府から離れたのが悲劇の始まりだったかな

  • @user-ml1xi8br5l
    @user-ml1xi8br5l11 ай бұрын

    知性もへちまもあるもの か国体護持のためにもあと1年開戦をおくらせるように工作すればよかったんだ なにもしない無作為の悪だ

  • @philosophydoubtfuljournalcom
    @philosophydoubtfuljournalcom Жыл бұрын

    国家という共同体に対する信念が必要なものなのかどうかは歴史だけが判断をすることができるだろうが、世界が統一されようとどうだろうと、各個々人を世界的に優越的な立場に押し上げる可能性は、生まれ育った国の国力にかかっていると言えるだろう。しかし日本ではそれが反転しているのやもしれぬ。

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