Akira Kurosawa's "High and Low" Japanese Trailer.
この予告篇は昭和52年のリバイバル公開時のもので、最後の字幕での料金800円は特別料金でした。 この当時の一般での大人料金は1300円の時代です。
あと、コメント忘れの補足ですが、予告編最後のリバイバル公開時1977年当時の大人の入場料金は1300円でした。
三船あっての黒澤だと思う。それ以降の二人は作品に恵まれたとは言えないと思う。ぶきっちょ同士がその短所を打ち消しあったことが成功の原因だと思う。
おっしゃる通り😅
賛同していただいてありがとうございます。別に映画に詳しいわけでもないんですけど。
権藤金吾の息子純役の江木俊夫さんは後にアイドルグループの ″フォーリーブス″ のメンバーになるんですね。 2:19―2:24 若かりし常田富士夫さんが麻薬街のヤクザ役には驚きました。日本漫画昔ばなしのナレーターは記憶に有りましたが・・・ 菅井きんさん、後に必殺!シリーズの意地悪姑役に、「婿殿・・・」 靴製造工場の親方?役の初代黄門様役でもある東野英治郎さん 債権者役の白のスーツでサングラスをかけた 二代目黄門様の西村晃さん、 そして凶悪犯人役の山崎努さん 。当然ですが皆さん若かったですね! ところで当時の入館料800円、身代金三千万円は、現在の貨幣価値に換算すると? How much?ですかね??
当時の800円って結構な金額ですね。
小津安二郎は戦争に行ったらしいが、黒澤は行っていないはず。そのコンプレックスが後の映画製作の原動力になったのではないかとひそかに思っている。
最近の上映料金でしょう。 S38年当時の800円は、今の1万円くらいのはずですから。
映画館の料金は44年頃の封切りが700円。55年頃で1400円ということですから、 おそらく昭和41年の上映ではないでしょうか。 昭和52年だとすると、ちょっと安い気がします。
上映開始は昭和38年、ただし背景は昭和29年以前。横浜の桜木町・関内間の山側は、駐留軍の「エリア」(横浜方言)だった。日本人も入っていいんだが、米軍相手の安ダンスホールが並んでいた。伊勢佐木町の映画館、オデオン座はその名残り。どうも休暇中の米兵がMP許可で入れる場所だったらしい。
岡充太郎 上映開始の昭和38年は、次の年が「東京オリンピック」だから、黄金町の麻薬街などありもせず、どぶ河だってもう少しきれいなはず。 しかし「伊勢佐木町のシーン」は現地ロケだと思ったら東宝の撮影所内に造ったとは知りませんでした。何しろ通行人やタクシーの行き交う熱気。街中に満ちあふれる音楽が半端ない臨場感を醸し出しているのだから。
hosino hoshino 昭和39年にここは何度も訪問した。黄金町の麻薬街あるいは売春地帯は存在した。とりわけ、京急ガード下は映画と変わらなかった。大岡川は同じようにあった。医学部は横市医学部のことで、現在でも、市民総合医療センター(浦舟町)。かつて桜木町に住んでたが、あまり変わっていないように思う。『コクリコ坂から』とは、まったく変わり、正面が港未来だけどね。
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この予告篇は昭和52年のリバイバル公開時のもので、最後の字幕での料金800円は特別料金でした。 この当時の一般での大人料金は1300円の時代です。
あと、コメント忘れの補足ですが、予告編最後のリバイバル公開時1977年当時の大人の入場料金は1300円でした。
三船あっての黒澤だと思う。それ以降の二人は作品に恵まれたとは言えないと思う。ぶきっちょ同士がその短所を打ち消しあったことが成功の原因だと思う。
@user-vw3wf1lj1y
3 ай бұрын
おっしゃる通り😅
@gbcjpn
3 ай бұрын
賛同していただいてありがとうございます。別に映画に詳しいわけでもないんですけど。
権藤金吾の息子純役の江木俊夫さんは後にアイドルグループの ″フォーリーブス″ のメンバーになるんですね。 2:19―2:24 若かりし常田富士夫さんが麻薬街のヤクザ役には驚きました。日本漫画昔ばなしのナレーターは記憶に有りましたが・・・ 菅井きんさん、後に必殺!シリーズの意地悪姑役に、「婿殿・・・」 靴製造工場の親方?役の初代黄門様役でもある東野英治郎さん 債権者役の白のスーツでサングラスをかけた 二代目黄門様の西村晃さん、 そして凶悪犯人役の山崎努さん 。当然ですが皆さん若かったですね! ところで当時の入館料800円、身代金三千万円は、現在の貨幣価値に換算すると? How much?ですかね??
当時の800円って結構な金額ですね。
小津安二郎は戦争に行ったらしいが、黒澤は行っていないはず。そのコンプレックスが後の映画製作の原動力になったのではないかとひそかに思っている。
最近の上映料金でしょう。 S38年当時の800円は、今の1万円くらいのはずですから。
映画館の料金は44年頃の封切りが700円。55年頃で1400円ということですから、 おそらく昭和41年の上映ではないでしょうか。 昭和52年だとすると、ちょっと安い気がします。
@user-xh1qg1uf3s
9 жыл бұрын
上映開始は昭和38年、ただし背景は昭和29年以前。横浜の桜木町・関内間の山側は、駐留軍の「エリア」(横浜方言)だった。日本人も入っていいんだが、米軍相手の安ダンスホールが並んでいた。伊勢佐木町の映画館、オデオン座はその名残り。どうも休暇中の米兵がMP許可で入れる場所だったらしい。
@hiroo61
9 жыл бұрын
岡充太郎 上映開始の昭和38年は、次の年が「東京オリンピック」だから、黄金町の麻薬街などありもせず、どぶ河だってもう少しきれいなはず。 しかし「伊勢佐木町のシーン」は現地ロケだと思ったら東宝の撮影所内に造ったとは知りませんでした。何しろ通行人やタクシーの行き交う熱気。街中に満ちあふれる音楽が半端ない臨場感を醸し出しているのだから。
@user-xh1qg1uf3s
9 жыл бұрын
hosino hoshino 昭和39年にここは何度も訪問した。黄金町の麻薬街あるいは売春地帯は存在した。とりわけ、京急ガード下は映画と変わらなかった。大岡川は同じようにあった。医学部は横市医学部のことで、現在でも、市民総合医療センター(浦舟町)。かつて桜木町に住んでたが、あまり変わっていないように思う。『コクリコ坂から』とは、まったく変わり、正面が港未来だけどね。