函館本線のC62たち~JNR Hudson Type C62 on Hakodate Main Line

Автокөліктер мен көлік құралдары

東海道本線が電化完成し、C62は余剰になり、軸重軽減工事を行ったうえで、7両のC62が宮原、梅小路機関区より小樽築港機関区に転属になりました。
多くの方々はC62ていね、ニセコの活躍はご存じですが、小樽以北の旭川までの函館本線での活躍、小樽~長万部の山線区間での普通列車の仕業があったことを知る方はあまり多くないんじゃないかと考え、ここに焦点を当てて動画を作成しました。
結局私がC62重連が好きなもので、またニセコ・ていねを多く出してしまいました。
何度やっても楽しいんですよね。
それでも、意外な使われ方をしていたんだなということは分かっていただけたと思いますし、2,3,27,30,32,44号機が登場してきますので、お楽しみいただけると思います。
こうやって、C62復活への機運が高まってくれることを強く切望するものです。
#蒸気機関車
#C62
#D51
#C57
#山線
#長万部
#函館
#ニセコ
#すずらん
#たるまえ
#まりも
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Пікірлер: 114

  • @user-kj6rh4nf9v
    @user-kj6rh4nf9v5 ай бұрын

    C62 2が前補機仕業メインだったのは、ファンサービスではなく、1番調子が悪いので運転する側も整備する側も長距離運転をさせたくなかったからになりますが、仮にスワローマークが撤去された状態で北海道に移動していたら間違いなく最初に除籍されていたでしょうね。 逆に本州に早い時期に戻り、程なく除籍されて解体になったC62 42は比較的調子は良かったみたいですので、結果的に勿体無かったですね。 苗穂に眠るC62 3を見るなり、列車に乗るなり、或いは沿線で撮影するなりしなかった事は自業自得ですが、本当に悔しいです。 今回も興味深い動画配信、ありがとうございます。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    特急日本海さん、ご視聴頂きありがとうございます。2号機最後の全般検査後は好調になり、本務機仕業も多くなったと聞きました。1号機はきちんと手を入れて作られているけど、弟だから手抜きだったのでしょうか?

  • @user-ce8qx5hg1t

    @user-ce8qx5hg1t

    4 ай бұрын

    32 42 44号機が好調だったと聞きますね😂稀に2号機も本務機で函館まで行ったようですね。函館線の超重量長大貨物牽引にはD51 D52が大活躍でしたが、さすがに高速運転は難しいので軸重軽量化したC62は使い勝手がよかったのでしょうか?

  • @user-kj6rh4nf9v

    @user-kj6rh4nf9v

    4 ай бұрын

    @@user-ce8qx5hg1t さんへ 函館本線の山線区間の急行列車は当時D51の重連運転で1両につき機関士1人、助手2人の3人、合計6人体制で運転していましたが、急勾配、急曲線の連続での高速運転は機関車の軸焼け多発や揺れ、振動過大による乗務員の疲労困憊などの問題が多数でした。 この区間に自動給炭機装備で高出力、高速運転可能なC62を導入しては?と言う事になりました。 現在苗穂に眠るC62 3はこれを試す為に軸重軽減整備を行い、最初に北海道入りしました。 その後宮原からC62 2、30、42が、梅小路からC62 27、32,44が移動して山線区間のC62重連運転のドラマが幕を明けました。 運転はD51の重連運転時代よりもかなりのゆとりが出来ましたが、軽軸重型は坂道で空転しやすい為に運転はかなりシビアだった模様です。

  • @user-qz1sv1xn8t
    @user-qz1sv1xn8t5 ай бұрын

    C62ニセコは乗車したことがあります。パレオエクスプレスやSL奥利根、梅小路の構内運転しか見たことが無かった私には初めて経験した迫力でした。今でも当時の指定券は保存しています。乗車して十年後、実習先でC62ニセコのボランティアをされていた方が師匠となり、現役当時の雰囲気を聞いて羨ましく思いました。C62を走らせるために人生をかけた人も少なからずいた聞いていますが、現役時代を知らない私には片鱗程度の理解だと思いますがそうしたくなる気持ちは理解できます。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    クモハ51 850さん、ご視聴頂きありがとうございます。私の一番視聴して頂いた数が多いのがC62-3の保存を取り上げた動画で、是非一度ご覧ください。 あの時のぐちゃぐちゃしたことが、その後の復活に水を差した一つの要因ではないのかな?とも思っています。

  • @vientoamg
    @vientoamg4 ай бұрын

    素敵な映像ありがとうございます、SL現役当時、機関車大好き少年でしたが、電化された函館本線沿線に住んでいたので来るのはED,DDキハが関の山。それでもごくたまーにSLが単機で通るのでそれ目当てに駅まで足を運んだものです。岩見沢や小樽築港に行けば煙もくもくの蒸気軍団を見れたのに、小学低学年だった自分の行動力の狭さが悔やまれます。そもそも室蘭本線が運炭列車王国だったことも知る由はありませんでした。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    4 ай бұрын

    ご視聴いただきありがとうございます。 そうなんですよね。電化区間でもたまに蒸機が走っていたのが逆に新鮮に思えちゃいました。

  • @kutakichi
    @kutakichi5 ай бұрын

    山線現役当時のC62を記憶しているのは、今となっては貴重な体験なのだなぁとしみじみ感じます。 ただあの頃はSLが日常の光景として当たり前に走り回っていて、写真に残すとかいう発想も特に無かったので、手元にある写真は補助灯で三つ目になってるのが面白くて撮った44号機だけ。2号機3号機も普通に見ていたのに。 当時はまだ子供だったせいか、キハ82系の特急がやたら格好よく見えて、そちらばかり見ていたものでした。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    くたきち さん、ご視聴頂きありがとうございます。貧乏旅が多かったのですが、北海道の蒸気が無くなること昭和49年にキハ82に初めて乗りました。すごい時短ができるので驚きました。 昨年釧路にC11を見に行くのに、羽田から飛行機で初めて行ったらあっけなく着いてしまい拍子抜けし、丸二日かけて行った釧路って何だったんだと勝手に思った次第です。

  • @user-fs3lp3ox4w
    @user-fs3lp3ox4w5 ай бұрын

    小樽築港区の豆炭貴重ですね、そこだけ昭和46年で時が止まっている気がします。C62何度でも取り上げて下さい。有り難く拝聴させて頂きます。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    シロクニさん、ご視聴頂きありがとうございます。 ありがとございます!何度でもC62はやります。

  • @user-tb6if5cg4j
    @user-tb6if5cg4j5 ай бұрын

    北海道へ行った C62は見た目では わからないところも 改造しており たとえば 炭水車から給水ホ―スの位置をずらしたり 先端の車軸の発熱を押さえる為 飛行機に使うような耐熱オイルを持ってきたがそれでも収まらないので 国鉄は当時2番目に硬い金属を入れたりと メンテナンスする側にすれば かなり苦労させられたカマです

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    高橋道夫さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。 面白い秘話を聞かせて頂きありがとうございました。

  • @user-et9ny3ni9b
    @user-et9ny3ni9b5 ай бұрын

    📘辻仁成(作家・映画監督)も、東京で生まれて福岡(✏️小学校・筑肥線←現在廃線)、帯広(✏️中学)、函館(✏️高校・柔道部と🚢青函連絡船と👮刑務所←芥川賞作品のモデル)で育った…。🚇️SLに何度も乗っていた筈(←九州から北海道まで大移動した、すごい少年時代!)。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    秀記さん、ご視聴頂きありがとうございます。辻仁成は中山美穂、南果歩を妻に羨ましいですね。

  • @user-ni8nf7fy9l
    @user-ni8nf7fy9l5 ай бұрын

    本州から北海道へ遣って着たC62雪国用の重装備に改造去れ山線を 力強く走る姿はカッコいいですね✨ この山線も新幹線の延伸で消えて失くなると思うと寂しいですね😢 もう北の大地をC62が爆煙を出して走る姿は幻😢

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    塚越さん、ご視聴頂きありがとうございます。 でも苗穂~旭川でも良いんじゃないかな?深川まででも。 転車台が無いから片道だけになっちゃいますが。

  • @mkep82da
    @mkep82da5 ай бұрын

    貴重な写真アップありがとうございます。 蒸気機関車を動態で残すのもだんだん難しくなってましたね。 JR九州のハチロクも今年3月まで運行終わらせるのは適当な運転区間が無いからで、豊肥本線でフレームを痛めた苦い経験から峠を避けるとなると走らせる場所無いですからね。 引退後は人吉駅構内で保存される話もありますのでそれはそれで良かったかなと思いますね。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    Mr. Yattsunさん、ご視聴頂きありがとうございます。JR九州三月までですか。一度きりだったので、最後は行かないと。 解体よりはずっとましですが、野ざらし展示だけは勘弁してもらいところです。

  • @evergreen9627
    @evergreen96275 ай бұрын

    自分が初めて生で見たSLが倶知安で見た復活C62でした。調べていくうちにこんなすごい列車が自宅の近くを爆走していたと知って「落ちて」しまいました。 日本のSL時代の幕を引く永遠のスーパースター。自宅の書棚にある原元さんの「ニセコ」写真集は宝物です。 そう遠くない未来、山線廃止のさよなら列車はC62に牽いてもらいたいなぁ…と勝手に妄想しています。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    evergreenさん、昭和の終わり、平成に復活した3号機はまだ、急行ニセコ時代の姿と鉄道環境が残っていました。今後もし復活したとして、まったく別の形の列車になるでしょうね。それでも今よりずっといいですが。

  • @evergreen9627

    @evergreen9627

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab もう旧型客車も無いですしね…復活運行終了からの年数って現役最後の休車から復活までの年数の倍なんですねぇ。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    JR西の35系の客車はだめなんでしょうか?ちょっとデカいなと思いますが、他の客車よりは良いですね。

  • @evergreen9627

    @evergreen9627

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab 相手はC62ですから、多少デカくても大丈夫でしょう。あとは色…スハ43系の青色。ラッピングで何とかなりますか😁

  • @seijirofto.de2a838
    @seijirofto.de2a8385 ай бұрын

    函館本線の山千区間は、勾配と曲率のキツいカーブに冬季は吹雪との戦いだから、それで急行列車の定時運行は正に「蒸気甲組の誇り」ですね。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    seijiro@FTO.DE2Aさん、ニセコの乗務員さん、月に2回ぐらいと聞いたことがありました。なぜかニセコって長万部の乗務員なんですよね。

  • @832buuchan
    @832buuchan5 ай бұрын

    いつも楽しい動画をありがとうございます。函館本線のC62はいつ見ても良いですね。C62ニセコ号、いつまでも有ると思い込んでいた30年前の私に「すぐ無くなるかも知れないから今行っとけ!」とケツを蹴飛ばしたい気分です。 今の保存蒸機で次に危ないのはどこでしょうね?株主の顔を伺うならJR東日本か西日本だったりして。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    832buuchanさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。 C62ニセコあぶないあぶないといわれていましたが、そうなればJR北がなんとかしてくれるだろうと全然心配していませんでした。 やはり次は釧路のC11かなと。

  • @832buuchan

    @832buuchan

    5 ай бұрын

    確かに。来年さえ危ない可能性がありますね。撮影は寒くて無理なので乗りに行く事を考えます。

  • @yingfu55814
    @yingfu558145 ай бұрын

    動画今回も楽しく拝見しました。 重連の力強いすがたも良いですが、単機で飛ばしていくのもC62らしくて素晴らしいです‼️

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    渋谷さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。 視聴者様がコメント頂きましたが、複線区間が単機だと似合いますね。

  • @user-hd1ff2gajoff
    @user-hd1ff2gajoff5 ай бұрын

    改めてこの動画を見返してみるとC62は素晴らしい蒸気機関車だったことが伺えます。 現在残っている5両は、3号機を除き、鉄道博物館に保存されていますね。 環境に良い場所で保存されるのは嬉しいですが、やはり本線を爆走している姿を見られないのは残念です。😢

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    萩野さん、ご視聴頂きありがとうございます。 どちらも日立で、汽車会社のC62って無いんですよ。それがちょっと残念。 さて3号機には火が入るのでしょうか?新幹線札幌延伸のタイミングのサプライズを期待しているのですが。

  • @Omoide_hozon_Railway
    @Omoide_hozon_Railway5 ай бұрын

    なるほど…ヨンサントオの改正でC62の旭川入りがなくなったんですね。 滝川でSL眺めていた昭和43年生まれの私が、現役時代のC62にあまりなじみがなかった理由が判りました。 圧倒的にD51や9600の記憶しかなかったので。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    おもいで保存鉄道さん、ご視聴頂きありがとうございます。 電化のおかげですね。そういえば、滝川にはテンダー側面もびっしりトラの9600がいて写真撮ったことがありました。

  • @exp.m.k.2300
    @exp.m.k.23005 ай бұрын

    C62 2号機はつばめマークがついていましたが絶不調の黒ナンバーだったためか北海道に送られて、さらに整備の都合上前補機の運用が多かったが、それが人気に火が付いて現在は梅小路で動態保存されて何と幸せなんだろうと思ってしまいます。脱線後どうなったか心配なところ...

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    exp. m.k.さん、ご視聴頂きありがとうございます。1号機は念入りに作られていて、最初はストーカもなくC59のテンダーを付けていたらしいのですが、2号機は二人目なので手を抜いたからそのような評価になったのでしょうか?2号機つばめ、はとの牽引はありますが、多くは無かったですね。

  • @user-qv2vc4wp5k
    @user-qv2vc4wp5k5 ай бұрын

    藤城線が出来るまでのこの区間は下り列車にはきつい上り坂区間があり、D52の補機が着いたのだと思います。仁山駅にはスイッチバックがあり、重量多い貨物列車はここのスイッチバックを使い加速を付けたとの事です。『蒸気機関車』に仁山のスイッチバックから発車するD52牽引の貨物列車の写真が出ています。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    栄田正剛さん、ご視聴頂きありがとうございます。D52の函館本線の動画で触れたことがありますが、私は見に行かなかったので、仁山越えがどの程度のものなのか知らないんです。まりも、ていねのD52の補機の姿見たかったです。

  • @user-dt4vi4pn5c
    @user-dt4vi4pn5c5 ай бұрын

    お疲れ様です。 やはりシロクニは、蒸気の中でも…別格な存在ですね。 あの大きな罐が重連で走るのは、言葉が出ませんでした。 僕は、ニセコを1度しか見ていませんから、あまり大きな事は、言えませんですけど…現役のシロクニを見た事を誇りを持ちます。 今回の動画配信は、急行運用ばかりではないシロクニを観て楽しかったです。 次回は、何処を取り上げるのかな? 楽しみにしています。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    河野さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。 鬼気迫るというか、C62重連は呉線でも常磐線でも不定期であったのですが、山線のは凄みがありすぎです。長く残れたのは荷物・郵便車のおかげだったのを知ったのはそれほど昔の事では無かったです。2号機人気にあやかって、国鉄が残していたと思ってました。 やはり、単機だとC59が一番好きかな?

  • @京成3200
    @京成32005 ай бұрын

    5:13 このC62-3と 補機が、連結していたら さらに大迫力ですね

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    営団5951 さん、ご視聴頂きありがとうございます。 これは大沼近辺の札幌行のニセコ3号なのですが、勾配改良の藤代線ができるまでは、後ろにD52の補機が付いていました。私はそれは見たことがありません。

  • @abbtk14
    @abbtk145 ай бұрын

    大きなC62が普通列車や通勤列車を引いている姿は末期感が出ていますね…。少なからぬ保存機でも同様ですが、手間をかけられなくなるとボイラー上の目立つ銅配管や運転室の計器類の銅配管が乱雑になってしまうのが残念。それでも北海道仕様のC62は精悍の一言で、梅小路で2号機と初対面したときの感動が蘇ります。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    abbtk14 さん、ご視聴頂きありがとうございます。そうですね。貨物列車を牽引しなかっただけ良かったです。岩徳線ではあったようですが。 そうなると、貨物を牽引しなかったC60とC59ってすごいなぁと思います。 ところで、わたしは梅小路の2号機の整然とした銅パイプの配管より、とうじのごちゃごちゃ感のほうが好きです。パイプも若干太かったと思います。

  • @だからすみませんって言ってるじゃないか

    @だからすみませんって言ってるじゃないか

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-LabC60は奥中山で貨物を牽きましたよ🥺 C59も本務機じゃありませんが山陽線で貨物のケツ押しを…😳

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    奥中山のC60ですが、私の頭の中では荷物車だけだったと思うのですが。 C59は後部補機やっていましたが、これも客レだと思っていたのですが。

  • @だからすみませんって言ってるじゃないか

    @だからすみませんって言ってるじゃないか

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab 「東北本線奥中山-なめくじ会の鉄道写真館」というページに本務機C60の北たから号 「糸 崎 24 時 間 1962」というページに貨物補機C59の写真がありますヨ😳

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    コンテナ特急は荷物車の分類に入れてやってください。

  • @user-xf9yc5em7k
    @user-xf9yc5em7k4 ай бұрын

    5:53  30号はシールドビームの副灯を付けられた姿になってからの廃車だったと思います その重装備の30号を写真で見た事がありました

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    4 ай бұрын

    まつかぜ82さん、ご視聴頂きありがとうございました。そうだったんですね。お知らせいただきありがとうございます。

  • @user-gk3je4ng2c
    @user-gk3je4ng2c5 ай бұрын

    札幌旭川間では夜行の大雪だったか利尻だったか(多分大雪)をニセコなどの間合い運用で牽引してた時期があります。その後電化されてELとDLの牽引になりましたが。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    松崎さん、ご視聴頂きありがとうございます。 大雪は夜行で写真が揃わずに紹介できませんでした。

  • @7toms786
    @7toms7865 ай бұрын

    違うバージョンも『好き❤』です👍

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    7 Tom,s7さん、ご視聴頂きありがとうございます。 すみません、違うバージョンとは?なんでしょう。

  • @7toms786

    @7toms786

    5 ай бұрын

    済ません (汗💦) 言葉が足りませんでした🙏 もし他のストックが有れば、 紹介して欲しい❤です👍

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    ゆっくり研究所はサステイナビリティをモットーとしており、かつての「蒸気機関車」誌のようにならないためにも、ストックの出し惜しみしています。 視聴者様からも借りることが出来ているので、ご安心ご期待ください。

  • @7toms786

    @7toms786

    5 ай бұрын

    了解しました👍 その『路線や時代背景』で、活躍&衰退&次世代機に交代(泣💦)が、有りますょネ❓ その時々の着眼点👀❢❢で、 配信内容が変わりマス👍 各パートでの『シリーズ化❓』も期待❤してマス👍❤

  • @homarejumo2134
    @homarejumo21345 ай бұрын

    山線のC62運用は必ずしも重連ではなく「大雪」の閑散期は単機運用もありましたね。 一方繁忙期の「まりも」は荷物車等込みで16両だったので、重連でも重かったでしょうね。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    Homare Jumo213さん、ご視聴頂きありがとうございます。C62の大雪は見たことがありません。C58の東のほうはあるのですが。いつも写真お借りする御大も無いそうです。夜行列車って今から考えれば録音したり、夜景撮ったりできたのに惜しい事をしました。

  • @homarejumo2134

    @homarejumo2134

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab 単行けん引していたころは函館~札幌か旭川までの時代ですし、前述した通り閑散期の設定なので、記録が少ないのでしょうね。私が見た写真もかなり地味な印象でした。

  • @kw6644
    @kw66445 ай бұрын

    旭川時代は知らないので興味深かったです。4:24の写真は正に現役時代らしく好きです。北海道C62は銅パイプ空気作用管が目立ちました。北海道では空気作用管の間に隙間がありギターの弦と言われてましたね。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    k wさん、ご視聴頂きありがとうございます。パイプですが、模型をみると2号機はかなりクローズアップされているので、やはりチャームポイントだったんだなと納得しています。梅小路のは控えめでパイプも若干細い気がします。

  • @user-bk1sp2gc8q
    @user-bk1sp2gc8q5 ай бұрын

    国産最大のハドソンは北の大地が終焉となりましたが、京への上洛を果たして現在に至るわけですな 3号機は静態といえど、定期的に動かして動態への望みをつないでいるみたいですが ただ、やるとなるとかなり面倒なことになりそうです 客車はいざとなればキハ143あたりでなんとかできるかもしれませんし

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。 もう30年待ちくたびれましたし、魔理沙も足腰立たなくなってくるでしょうから、時間との勝負になっちゃいました。

  • @user-lp4vp8cf2y
    @user-lp4vp8cf2y5 ай бұрын

    現役時代を知らぬ私、復活運転の3号機を小沢Sカーブで撮影した時、あまりの迫力に唖然… またあの余韻に浸りたいと思いながらも世の中蒸機には厳しい時代なのかな… 私鉄は頑張っているのにJRはやる気を失っているのでしょうか…

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。 まだあの頃は、機関士さんも現役で、鉄道情景もあまり変化なく(小沢は大分かわってました)すんなりいったかもしれませんが、今走らせることはかなり無理があるのでしょうか。ニセコには転車台ありますから、苗穂~ニセコ? 苗穂~深川片道ぐらいの観光列車だと可能性ありそうですね。

  • @user-df3fg3jj1u
    @user-df3fg3jj1u5 ай бұрын

    5:54 当時、この場所の橋に落書きが... (走れC622、続けC623)

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。船見橋。お手軽さでは最高ですよね。小樽の人は毎日C62重連見られて羨ましかったです。

  • @user-wb3wg3we8w
    @user-wb3wg3we8w5 ай бұрын

    函館本線の旭川↔札幌間で、C62は普通列車の仕業は有ったのに、急行の仕業が無かったのは何故なのでしょうね。🙄 旭川↔札幌間の平坦区間なら直線も多いし、東海道・山陽本線時代のように優等列車を牽引して、豪快にぶっ飛ばせたのに、などと妄想してしまいました。😂

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    あいうえお さん、ご視聴頂きありがとうございます。 もともとC55,C57で十分なところですし、C62は山線に取っておいて、あくまで間合い運用で事足りるところにあてがっていたと推測します。次回以降にこのことはもっと明らかにしていきますね。

  • @user-wb3wg3we8w

    @user-wb3wg3we8w

    5 ай бұрын

    ​@@Yukkuri-Lab様、 返信ありがとうございます。 なるほど~、やっぱりそうなのですね。🙄 編成が長いまりも辺りなら、小樽↔旭川間の電化完成までC62が滝川まで牽引しても良さそうかな、などと妄想してしまいました。😅 ですが、配置区が小樽築港という時点で、「C62の主戦場は山線」ということなのでしょうね。🤔 はつかり用の白線入りではないブルーのマシ35、見て、乗って、食べてみたかったなぁ。😌 次回以降も楽しみです。💓

  • @user-gk3je4ng2c

    @user-gk3je4ng2c

    5 ай бұрын

    急行も牽引してましたよ。

  • @bakayarou4545
    @bakayarou45455 ай бұрын

    梅小路の2号機が事故おこしてしまった時は驚いたよ、やはりあれはヒューマンエラーだったのかなぁ〜

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。 いいえ、あれはC622の策略の一つです。ショート動画でそれを暴いていますのでご覧くださいね。

  • @bakayarou4545

    @bakayarou4545

    5 ай бұрын

    もしかしてwwww

  • @user-do8wk3mx9k
    @user-do8wk3mx9k5 ай бұрын

    一昨年復活した旭川のMR430バスは、最初の数年はC62の煤を浴びていたわけだ。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    春葛さん、ご視聴頂きありがとうございます。 MR430、6輪バス!凄いのがあったんですね。知りませんでした。

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o5 ай бұрын

    C622号機と3号機は、東海道本線の名門梅小路機関区と宮原機関区の配置だった。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    大坂さん、2号は宮原で、3号が梅小路なんですよね。

  • @user-bf6lc9hb6o

    @user-bf6lc9hb6o

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab さん、C622号機は、名門梅小路機関区に帰ってきて、京都鉄道博物館に動態展示保存機として、構内運転中。 一方、C623号機は、小樽築港機関区から北海道鉄道記念館に保存された後、苗穂工場で動態復元されたが、資金難で運転終了。再び苗穂工場で長い眠りに付いてしまった。😥😭⤵️

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    JR東に譲ってくれれば良かったのにとつくづく思います。

  • @user-bf6lc9hb6o

    @user-bf6lc9hb6o

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab さん、JR東日本に買い取ってもらいましょう。 大宮総合車両センターで動態復元して、配置は尾久運輸センターで。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    素晴らしい!

  • @toriri-service
    @toriri-service5 ай бұрын

    動画と直接関係ないけど 東武がこんな事やるみたいです。 蒸機も 環境を考える時代。 kzread.info/dash/bejne/mKtpucOGYb2ulso.htmlsi=eD2oI-tbOB9e9KFz

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    煙は拘らないですが、c11というところが。

  • @7coloreddrops
    @7coloreddrops5 ай бұрын

    乗り越えなきゃならない法規制があんのね。 ただ整備すりゃいいってもんじゃないのか。残念だな。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    7coloreddrops さん、ご視聴頂きありがとうございます。 そうなんですよ。それを乗り越えて国鉄の蒸気になれるから、私鉄の蒸気より人気があるのかなとも思っています。

  • @toriri-service
    @toriri-service5 ай бұрын

    C62にD51の補機なんて無敵状態ですね。 後補機ではなく 重連だと動輪径や動輪数の違いに その動輪の動く様子を見ながら比較出来て面白そう。 私は 残念ながら 走行しているC62は見た事がありませんが 動かないまでも 有火状態のものなら 94年の大宮工場のイベントで 2号機を見た事があり 離れていても 熱さが伝わって来た事 蒸気タービンの発電機の回転音が どことなく近未来的に聞こえた事 そして何よりも そのサイズと汽笛の音の大きさに圧倒されました。(毎時00分に 隣に停めた787系と共に 汽笛(警笛)を吹鳴していた。) 後に 品川駅で 同じ2号機の『999』も見ましたが 無火状態で「やはり 蒸機 は火が入っていないと。」と思いました。 (この程度の書き込みで すみません🙇)

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    とりりサービスさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。 大宮に来た時に軸焼け起こしたときですか?あれ?もう一回やったんでしだっけ? その時動いたのでしょうか?品川に来た時は動かないと言われたし、ホームに入るのに入場料が必要で行きませんでした。でも汽笛は鳴らしていたので、火は入っていたのでは?

  • @toriri-service

    @toriri-service

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab さん 大宮の時は 火は入れてたけど 動かしはしませんでした。 試運転線のような ちゃんとした軌道ではなく 工場内の(併用軌道的な)コンクリート路面とレール面が面一の軌道に787系と並んで置かれていたので。 品川駅の時は 無火だったと思います。 あの蒸気タービン発電機の音もしていませんでしたし この動画を観ても 煙や蒸気は出ていません。 ただ 9時9分に 汽笛を鳴らしていたというから どうだったのかなぁ? 考えると眠れなくなっちゃう。 kzread.info/dash/bejne/f5WuyrGLhJu5mdo.htmlsi=stBvzcQAjKXF3QQ2 尚 イベントそのものは 大した事無いもので アニメファンには物足りなかったように思いました。 まぁ私は 2号機に再会出来た事と ホーム向かいの番線に 休憩用に留め置かれた 185系の車内で お弁当を食べられたから それで良かったけど。 大宮のイベントは その後も何回かありましたが 2号機が呼ばれたのはこの時(新旧つばめが出会うとき)だけでした。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    関東にやってきて軸受けを損傷して休み休み梅小路に戻っていったのを覚えてます。

  • @toriri-service

    @toriri-service

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab さん ご存知のように それ以降 2号機の長距離遠征的な貸し出しは行なわれなくなりました。 JR東日本も 2度にわたってそのような目に遭わせちゃったから「また 貸してください。」とは言えないでしょうね。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    そういえば、2,3号機ともに関東には無縁の機関車でした。

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o5 ай бұрын

    C622号機が北海道に渡ったのは、昭和31年11月下旬。 東海道本線全線電化開業によって、余剰になったが、北海道の旅客列車活性化策として同僚のC623号機などと一緒に小樽築港機関区に配置転換された。 昼行急行まりもやていね、夜行急行すずらんを函館ー長万部間などで牽引していた。 函館本線山線のハイライトの急行ニセコが誕生したのは、ていねの名称変更である。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    大坂さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。 まりもがていねになり、ヨンサントウで減車しニセコになったのですね。

  • @user-bf6lc9hb6o

    @user-bf6lc9hb6o

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab さん、本当にそれです。 食堂車が無くなり、郵便荷物車とグリーン車1両の10両編成が基本となったのが急行ニセコです。

  • @user-xn4iz2fl1s
    @user-xn4iz2fl1s5 ай бұрын

    蒸気現役時代を知らないので、北海道のC62は急行ていね/ニセコ、つまり函館~札幌間の写真・映像ばかりでしたが、札幌~旭川間でも走っていたんですね。 むしろ現在の函館本線は札幌~旭川間の優等列車がドル箱のように思いますが、そこではかつてC55やC57が主役でC62は普通列車担当という逆転?現象が起こっていたと。函館~札幌間にしても札幌~旭川間にしても本来のハドソンの得意分野とは離れた運用で酷使されながら、今日まで生き永らえている2号機と3号機はやはり・・・伝説の機関車というイメージがますます強くなっていきます。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。 やはりご存じなかったんですね。電化もヨンサントウ(のちょっと前)だったので、山線の方に注目集まってきましたから。C62は山線以南、札幌以北はパシフィックの縄張りだったんですね。C62は末期は五稜郭で惰眠を貪っているように思われますが、その前はかなり酷使されていたんですね。

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f5 ай бұрын

    魔理沙さん、霊夢さんこんばんは!梅小路のC62型2号機を本当に全般検査を受けさせて、本線走行させないとダメにになりそうです。本当は東海道本線の京都から米原まで走行させて米原からは、C57型1号機人数バトンタッチさせて、SL北びわこ号として運行すればC57型にも負担はならず、C62型にもかつての路線なので一番いいのでは?勿論牽引される客車が蒸気機関車よりも問題ではありますが。たしかJR西日本には12系客車も少し残っているはずですし、山口線用の新型旧型客車を含めて利用すればなんとかなりそうな気がします。要はJR西日本のやる気と、SLファンなどに呼びかけてクラウドファンディングでも募集すればなんとかなりそうな気がします。ダラダラ長文ですみませんでした。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    もりわききくおさん、ご視聴頂きありがとうございます。 C622もそうですが、魔理沙も焦っています。魔理沙も足腰立たなくなってからC62が復活してもKZreadで見るしかなくなってしまいます。 毎月、経費をある程度なら支払っても良いから走らせてほしいです。

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o5 ай бұрын

    さらには、急行まりもやていね、ニセコの間合いで普通列車を牽引していた。 函館本線函館ー長万部間が多かった。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    大坂さん、今度明らかにしますが間合い運用は、函館~大沼、長万部~小樽ですね。

  • @user-bf6lc9hb6o

    @user-bf6lc9hb6o

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab さん、噴火湾沿いの運用でしたか。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    ニセコ3号が夕方箱館に着いて、翌日の2時ごろニセコ1号で戻る長い時間、すずらんを往復させていたんです。それをDD51に取られて、代わりに朝の大沼からの函館の通勤列車(大沼までは回送)になり、最後の最後でそれもDD51に取られて、最後の3か月ぐらいは五稜郭で惰眠を貪るしかなかったというわけですね。

  • @user-bf6lc9hb6o

    @user-bf6lc9hb6o

    5 ай бұрын

    @@Yukkuri-Lab さん、噴火湾沿いの大沼まで走って行って、函館に戻り、ニセコを待つ運用だったんだ。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    そうなんです。無駄ですよね。

  • @user-qj4vd1tk7o
    @user-qj4vd1tk7o5 ай бұрын

    都市部の問題児の高校生が少し田舎の高校に転校し同級生達に優秀扱いされるタイプ。 しかし先生達は転校の経緯を全く説明しない。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    Kさん、ご視聴頂きありがとうございます。 そうなんですよ。2号機はかなりごねたんですよ。以前の動画でその辺のことを照会していますが、結局B20と友達になれて小樽にもなじんだんですよ。

  • @user-mb2dl9tg8d
    @user-mb2dl9tg8d5 ай бұрын

    せっかくのツバメマークなのに、銅配管がよれてしまっているのが.... ところで魔理沙に質問! 本州から北海道への機関車送り込みは連絡船を使っていたのですが、普通に船に入れていたのでしょうか? C62はカマだけで88t、可動桟橋は大丈夫だったのでしょうか? 貨車の出し入れは控え車を6両ほど繋げて、牽引機の重さを可動桟橋にかけないようにしていたので。

  • @Yukkuri-Lab

    @Yukkuri-Lab

    5 ай бұрын

    いあさん、ご視聴頂きありがとうございます。 配管のあのよじれは現役機時代ので、梅小路は綺麗にしていますね。当時の北海道の機関車で銅パイプを磨いているのは検査明けを別にしてほとんどなかったはずで、2号機はその点光った存在でした。 連絡船ですが、動画のは石狩丸で貨物専用の連絡船です。C62が旅客船で運ばなかったろうと思い貨物用の連絡船の写真にしたのですが、重量は問題ないのではないでしょうか。 C59が糸崎から四国に据置ボイラー用で渡ったことがありましたが、宇高連絡船を使ったはずで、C59は137トンあり、小さな宇高連絡船でも運べています。C62は145トンです。

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