明治神宮、皇居周辺を巡ってきました実はこのアルバムには続きがあります。機会があればまた別の時に・・・・音源はこちらをお借りしました 潮風 by ISAo 様dova-s.jp/bgm/play1958.html 夕凪 by KK 様dova-s.jp/bgm/play389.html
切ない。。。ホントに切ないねえ。 時の流れは笑顔や悲しみと同時に切なさを 運ぶ。
この御家族のお孫さんとか捜したくなりますね ものすごく無粋なんですけどね… 「今、どうしているんだろうなぁ…その後を知りたいなぁ」で終わらせた方がロマンあるのかも知れないですけどね。 でも、ほんと切なくなりますね。好きです。
戦後の混乱でアルバムが散逸してしまっただけで、本人や家族、親類縁者の方がこの動画を見て連絡をくださるみたいな奇跡のような物語を期待してしまいますね
この場所に確かにこの家族の歴史があったのです。写真の皆様がどんな人生だったのか・・・どうか、無事でそれぞれの人生を全うされたことをお祈りいたします。この写真のご縁ある方から奇跡の連絡があるといいですね。静かなピアノのBGMもぴったりで涙を誘います。 ありがとうございました。
動画を見てると、自分がタイムトラベルしてるかの様に感じてしまいました。写真からその場所を探して行って、見つかるとか不思議であり、素敵ですね。感動しました。写真と同じ建物が残っていることを思うと、故郷、国、家族とは大事な思い出と思ってしまいます。日本🇯🇵はこれからも永遠で現存してほしいと強く思いました。素晴らしい動画、本当にありがとうございました♪
やっぱり人間はひとつの時代にしか生きられないんですね。
戦前の写真が今の技術によってカラー化し陰影をつけるだけで、昨日の事のように拝見出来るのは素晴らしいです!あらためて人の心が浮かぶ思いです。
胸が熱くなりました。 カラーに起こす事で、現在進行形のように、 生々しく、写っている方々が今でもそこにいて、 元気に生活しているんじゃないのかないのかァ、 と思わせてくれる構成、さらに癒やしのBGM が、胸を熱くしたんです。 私は、1950年代の生まれで、 当時の写真が残っていますが、もちろん白黒です。 カラーに起こしたくなりました。
よく調べられましたね! 何のゆかりも無い他人ですが 胸がじーんとします お疲れさまでした
懐かしい時代のアルバム 時間は止まりだけど思い出す 雰囲気どこか素晴らしい景色 ありがとうございます
人生は、光陰矢の如し、まったくその通りですね。
「人生は重き荷を背おいて遠き道を行くがごとし」、とも家康さんは、言っている。
苦労があっても家族の皆さんが無事に戦禍を乗り越えられたことをお祈りしてしまいました。アルバムは混乱のなかで取りこぼたれただけでありますように このシリーズは毎回、普通の暮らしの大切さを考えさせて下さいます。ありがとうございます。
初めまして。 モノクロ写真をカラーにすると遠い昔の人々が一気に近所にいる人のように感じてしまうのが不思議です。 また、写真の主はもとより、隅に偶然映っている人々もこの写真の後にどのような人生を歩んだのか想像すると胸がいっぱいになります。これからも楽しみにしております。ありがとうございます。
名前も知らない誰かの人生…切なくなるけど素敵な動画ですね。 いつもいつも感慨深く視聴してます。 小田急TIMEさんの声も心地よいですね。
お疲れ様でした! 古き良き日本の写真ありがとうございます😭 写真の人物は昔は確かに存在していましたね。日本はまだ戦争中の写真を見るのは初めてです。 その写真の人物は今どうなったのか? 確かめようが無いけど、、、 今、分かったことは、この写真を見て、人の思いやりが伝わった
写真の皆さん、どうかご無事でありますように。
この写真に写っている人たちも令和の時代に多くの人が閲覧することになろうとは夢にも思わなかったでしょうね。80年あまり前にアルバムの人たちが確かにその場所に立っていたと思うと何とも不思議な気持ちになります。
恐らく学徒出陣で… 私の亡父も同じ年代だったと思います。
古い写真の場所から現在の場所を探しだす凄いですね😃やはり亡きお父上様が色んな所を写真ビデオにおさめておられた影響も多分にあられるでしょうね😃これからも楽しみにしてます😀ご苦労様😄
場所を探し出す事が出来るなんて本当に凄いことですね。お疲れ様です。 古い写真の中のランカンや、芝生の感じや、木々が綺麗に整えられていたり、銅像等がまだ新しく見えますね。時がたち、無かった木が大きくなったり、手すりが出来てたりと様子が少しずつ違って見えるのを楽しく拝見しています。 きっと草木も現代に命を受け継いでいるだろう所に想像を巡らせています。 そして写真の方々は現代に命を繋いで子孫も聡明であろうと想像してしまいます。
アルバムの主さんは私の親父と同世代・・・戦争を挟んで世の中も家族もさまざまの事があったのでしょう。胸がググッと締め付けられるような気持ちになりました。いつもありがとう!
アルバムシリーズ、好きです。いつも自分が生まれる前に生きてこられた方々の姿に胸がジーンときてしまいます。
仕事で何気なく訪れてる所ばかりです、人の数だけ歴史がありますね、素敵な動画をありがとうございます。
名も知らぬ方のアルバムですが、 遠い昭和の平穏だった時代の残滓を感じさせます。激動の時代を生き抜いておられる事を願っております。
最初の橋の欄干の写真、一目見て、明治神宮でわ?と感じて、ビンゴでした!! 若い頃、よく原宿で遊んでいたので😅💦
子供の頃から白黒映像が大好きでした。アルバムの中は平和で写真を撮るとき楽しげにポーズ を取っているのが様になっていますよね。持ち主の方やご家族はどの様な人生を歩まれたのか 思わずにはいられません。 カラー化する事に寄って木々や 人物像がハッキリするのも 素敵ですね。続きを楽しみに しております。チャンネル登録 しました🎉
場所探しは、見る方もワクワクします。毎回、楽しませてもらってます。
いつも楽しみにしています。 私は生まれてもいない時代ですが、とても懐かしい気持ちになります。 仕事が介護士なのもあるのかもしれませんが、利用者様や祖父母の元気だった頃の時代を感じさせてもらえるので本当に嬉しく思います。 これからも楽しみにしています!
素晴らしい捜索力。優秀な刑事さんになれそう。✌😃
記念写真って時を経ると記録写真になるからすごいよね。
名言!!!
戦争さえなければと思います、年齢から恐らく出征したかと思われます 無事に帰還できておられることをお祈り申し上げます
すばらしい写真の数々ありがとうございます。都市部は大きく様変わりしますが、神社であれば、木々の成長はあれど100年程度では大きく変わらないですもんね。
続き気になるなぁ。ぜひお願いします
11:10~に掲載されている海辺の写真ですが、北茨城の五浦海岸だと思います。だとすれば、この左奥には六角堂が見えていたはず。
音楽もいいですね
計18年ほど竹橋辺りに勤めていましたが、周辺を散策したことがあまりありませんでした。いいところが沢山あるのですね。 写真の方は神戸で育って、東京に旅行でしょうか??人ごとなのに懐かしさがわいてきます。
なんだかどうにも泣けてしまいました 素敵なものをありがとうございます 在りし日の遠い昔のどなたかと同じ陽だまり今立ちぬ
橋の欄干の形をたよりに その場所を探し当てるのは 神業ですね。探すのにどのくらいの時間がかかるのでしょうか?いつもながら 感心して見ました。それから、古いアルバムは売っているものなんですね。知らなかったです。
ワニ皮のアルバムとか贅沢
続きが気になります。
良く調べて頂けました。有難うございます。
早稲田の角帽っぽいですね。校章の「大」の字がそれっぽいような。
鰐皮の表紙にびっくり、それだけの良家のアルバムが出てくるのは勃興があったのでしょうか? 浜辺の写真場所判る人いるかなあ。
1941年生まれだったらまだ80歳代でご健在かもしれませんね。
モノクロームのカラー化に否定的な方もおられますが、そういうのは芸術表現と記録、記念を混同してると思います。 実際の世界には色が有るのですから。 色の無い方が不自然です。
モノクロ写真だと遠い世界のように思えますが、カラー化によって今の我々と変わらない世界を生きていたんだとリアルな気持ちを持つことができます。
なんかナイトスクープで感動的な企画になりそう
人に歴史あり…ですね。またこう言うアルバムでも孫の世代になると不要になるのか、業者に売却されたりオークションに出されたりしております。色々と考えさせられる物ではありますね。
カラー化の技術ってすごいな。
ありがとうございます!
ありがとうございます! 探訪経費として大切に使わせていただきます
この頃の学生以下の年齢の人は現存している可能性があるね
古くて良き時代へのタイムスリップ 写真は人物があるといいね。
最後の二重橋の光景、彼の見た光景と同じものなんだと思うと深く心に感じるものがありました。この動画を見た後、ずっと心に残っており、先日家族でこの場所に行ってきました。
こんにちは、学生服と、背広は昭和の初期も令和の現在もデザインは同じですね。
昔は良かったなどと軽々しく口にしてはいけないけれどこれらの写真から素敵な時間を過ごされていたのだろうとノスタルジックな気分に浸るのは決して悪いことではないと思う今日この頃です。
早稲田の角帽🎓️かな。
戦前で写真館が撮った以外のスナップが撮れる家庭なんて相当な上級国民だったと思う。
昔のアルバムは家族の歴史も写しているんですね。現在の デジタルカメラではどうなんでしょ?
この海岸もしかして今は工場に埋め立てられた大阪堺は浜寺海水浴場ちゃうかな? なんか見覚えあるんやけどな~ でも神戸出身やったら須磨かもしれませんね。
あと10年もしたら外苑並木道で撮った写真がどこなのかわからなくなってしまうのかも。
二重橋前は記念写真の定番スポットですね、私も「中学校の修学旅行」と両親が上京してきた時「はとバス」の記念写真で撮りました。
人に歴史あり
リアルワカメちゃんカット初めて見ました
11:13 ここって神奈川県の藤沢江の島だったり!
10:30 防諜の観点から、IJNの水兵帽ペンネントが搭乗艦艇名だったものが「大日本帝国海軍」に統一されたのが昭和16年(1941年)6月1日ですので、それ以降の撮影ですね。 自分のアルバムも(毒親が捨てていなければ)こうやって謎のアルバムとしてどこかに出回っているのかな…国鉄から列車事故の見舞い品として貰った、かなり立派な物でしたが。
国鉄からの列車事故の見舞い品…としてアルバムを貰ったんですか?(当然写真は後から入れるんでしょうけど)
@@user-vu1mm8wk3s はい、そうです
@@noranyan2000 すみません。個人的な興味でお尋ねしたいのですが、ご家族、或いは貴方が列車の事故に遭ってお詫びの品として国鉄から貰ったということでしょうか? もし差し支えなければいつごろの話なのかお聞かせください。
@@user-vu1mm8wk3s 自分が乗客のひとりでした。事故発生は1979年(昭和54年)6月2日4時31分、日本国有鉄道篠ノ井線篠ノ井駅で、突放された貨物列車が本線に入って、修学旅行専用列車と正面衝突しました。
@@noranyan2000 衝突した時の車内はやはり結構な衝撃が来たのでしょうか?
スゴイ( ^^) _U~~
帝国大学生ですかね
まあ、裕福な家庭の人達、と言っているので、そうでしょうね。昔は、いい家庭のせがれでなければ、大学へは行けなかったと思います。
もしや学徒出陣・・・・。
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切ない。。。ホントに切ないねえ。 時の流れは笑顔や悲しみと同時に切なさを 運ぶ。
この御家族のお孫さんとか捜したくなりますね ものすごく無粋なんですけどね… 「今、どうしているんだろうなぁ…その後を知りたいなぁ」で終わらせた方がロマンあるのかも知れないですけどね。 でも、ほんと切なくなりますね。好きです。
戦後の混乱でアルバムが散逸してしまっただけで、本人や家族、親類縁者の方がこの動画を見て連絡をくださるみたいな奇跡のような物語を期待してしまいますね
この場所に確かにこの家族の歴史があったのです。写真の皆様がどんな人生だったのか・・・どうか、無事でそれぞれの人生を全うされたことをお祈りいたします。この写真のご縁ある方から奇跡の連絡があるといいですね。静かなピアノのBGMもぴったりで涙を誘います。 ありがとうございました。
動画を見てると、自分がタイムトラベルしてるかの様に感じてしまいました。写真からその場所を探して行って、見つかるとか不思議であり、素敵ですね。感動しました。写真と同じ建物が残っていることを思うと、故郷、国、家族とは大事な思い出と思ってしまいます。日本🇯🇵はこれからも永遠で現存してほしいと強く思いました。素晴らしい動画、本当にありがとうございました♪
やっぱり人間はひとつの時代にしか生きられないんですね。
戦前の写真が今の技術によってカラー化し陰影をつけるだけで、昨日の事のように拝見出来るのは素晴らしいです!あらためて人の心が浮かぶ思いです。
胸が熱くなりました。 カラーに起こす事で、現在進行形のように、 生々しく、写っている方々が今でもそこにいて、 元気に生活しているんじゃないのかないのかァ、 と思わせてくれる構成、さらに癒やしのBGM が、胸を熱くしたんです。 私は、1950年代の生まれで、 当時の写真が残っていますが、もちろん白黒です。 カラーに起こしたくなりました。
よく調べられましたね! 何のゆかりも無い他人ですが 胸がじーんとします お疲れさまでした
懐かしい時代のアルバム 時間は止まりだけど思い出す 雰囲気どこか素晴らしい景色 ありがとうございます
人生は、光陰矢の如し、まったくその通りですね。
@user-qn1js2dn1g
Жыл бұрын
「人生は重き荷を背おいて遠き道を行くがごとし」、とも家康さんは、言っている。
苦労があっても家族の皆さんが無事に戦禍を乗り越えられたことをお祈りしてしまいました。アルバムは混乱のなかで取りこぼたれただけでありますように このシリーズは毎回、普通の暮らしの大切さを考えさせて下さいます。ありがとうございます。
初めまして。 モノクロ写真をカラーにすると遠い昔の人々が一気に近所にいる人のように感じてしまうのが不思議です。 また、写真の主はもとより、隅に偶然映っている人々もこの写真の後にどのような人生を歩んだのか想像すると胸がいっぱいになります。これからも楽しみにしております。ありがとうございます。
名前も知らない誰かの人生…切なくなるけど素敵な動画ですね。 いつもいつも感慨深く視聴してます。 小田急TIMEさんの声も心地よいですね。
お疲れ様でした! 古き良き日本の写真ありがとうございます😭 写真の人物は昔は確かに存在していましたね。日本はまだ戦争中の写真を見るのは初めてです。 その写真の人物は今どうなったのか? 確かめようが無いけど、、、 今、分かったことは、この写真を見て、人の思いやりが伝わった
写真の皆さん、どうかご無事でありますように。
この写真に写っている人たちも令和の時代に多くの人が閲覧することになろうとは夢にも思わなかったでしょうね。80年あまり前にアルバムの人たちが確かにその場所に立っていたと思うと何とも不思議な気持ちになります。
恐らく学徒出陣で… 私の亡父も同じ年代だったと思います。
古い写真の場所から現在の場所を探しだす凄いですね😃やはり亡きお父上様が色んな所を写真ビデオにおさめておられた影響も多分にあられるでしょうね😃これからも楽しみにしてます😀ご苦労様😄
場所を探し出す事が出来るなんて本当に凄いことですね。お疲れ様です。 古い写真の中のランカンや、芝生の感じや、木々が綺麗に整えられていたり、銅像等がまだ新しく見えますね。時がたち、無かった木が大きくなったり、手すりが出来てたりと様子が少しずつ違って見えるのを楽しく拝見しています。 きっと草木も現代に命を受け継いでいるだろう所に想像を巡らせています。 そして写真の方々は現代に命を繋いで子孫も聡明であろうと想像してしまいます。
アルバムの主さんは私の親父と同世代・・・戦争を挟んで世の中も家族もさまざまの事があったのでしょう。胸がググッと締め付けられるような気持ちになりました。いつもありがとう!
アルバムシリーズ、好きです。いつも自分が生まれる前に生きてこられた方々の姿に胸がジーンときてしまいます。
仕事で何気なく訪れてる所ばかりです、人の数だけ歴史がありますね、素敵な動画をありがとうございます。
名も知らぬ方のアルバムですが、 遠い昭和の平穏だった時代の残滓を感じさせます。激動の時代を生き抜いておられる事を願っております。
最初の橋の欄干の写真、一目見て、明治神宮でわ?と感じて、ビンゴでした!! 若い頃、よく原宿で遊んでいたので😅💦
子供の頃から白黒映像が大好きでした。アルバムの中は平和で写真を撮るとき楽しげにポーズ を取っているのが様になっていますよね。持ち主の方やご家族はどの様な人生を歩まれたのか 思わずにはいられません。 カラー化する事に寄って木々や 人物像がハッキリするのも 素敵ですね。続きを楽しみに しております。チャンネル登録 しました🎉
場所探しは、見る方もワクワクします。毎回、楽しませてもらってます。
いつも楽しみにしています。 私は生まれてもいない時代ですが、とても懐かしい気持ちになります。 仕事が介護士なのもあるのかもしれませんが、利用者様や祖父母の元気だった頃の時代を感じさせてもらえるので本当に嬉しく思います。 これからも楽しみにしています!
素晴らしい捜索力。優秀な刑事さんになれそう。✌😃
記念写真って時を経ると記録写真になるからすごいよね。
@user-yz2pt1jw2m
Жыл бұрын
名言!!!
戦争さえなければと思います、年齢から恐らく出征したかと思われます 無事に帰還できておられることをお祈り申し上げます
すばらしい写真の数々ありがとうございます。都市部は大きく様変わりしますが、神社であれば、木々の成長はあれど100年程度では大きく変わらないですもんね。
続き気になるなぁ。ぜひお願いします
11:10~に掲載されている海辺の写真ですが、北茨城の五浦海岸だと思います。だとすれば、この左奥には六角堂が見えていたはず。
音楽もいいですね
計18年ほど竹橋辺りに勤めていましたが、周辺を散策したことがあまりありませんでした。いいところが沢山あるのですね。 写真の方は神戸で育って、東京に旅行でしょうか??人ごとなのに懐かしさがわいてきます。
なんだかどうにも泣けてしまいました 素敵なものをありがとうございます 在りし日の遠い昔のどなたかと同じ陽だまり今立ちぬ
橋の欄干の形をたよりに その場所を探し当てるのは 神業ですね。探すのにどのくらいの時間がかかるのでしょうか?いつもながら 感心して見ました。それから、古いアルバムは売っているものなんですね。知らなかったです。
ワニ皮のアルバムとか贅沢
続きが気になります。
良く調べて頂けました。有難うございます。
早稲田の角帽っぽいですね。校章の「大」の字がそれっぽいような。
鰐皮の表紙にびっくり、それだけの良家のアルバムが出てくるのは勃興があったのでしょうか? 浜辺の写真場所判る人いるかなあ。
1941年生まれだったらまだ80歳代でご健在かもしれませんね。
モノクロームのカラー化に否定的な方もおられますが、そういうのは芸術表現と記録、記念を混同してると思います。 実際の世界には色が有るのですから。 色の無い方が不自然です。
@user-oj4ek8sp8b
Жыл бұрын
モノクロ写真だと遠い世界のように思えますが、カラー化によって今の我々と変わらない世界を生きていたんだとリアルな気持ちを持つことができます。
なんかナイトスクープで感動的な企画になりそう
人に歴史あり…ですね。またこう言うアルバムでも孫の世代になると不要になるのか、業者に売却されたりオークションに出されたりしております。色々と考えさせられる物ではありますね。
カラー化の技術ってすごいな。
ありがとうございます!
@time3276
Жыл бұрын
ありがとうございます! 探訪経費として大切に使わせていただきます
この頃の学生以下の年齢の人は現存している可能性があるね
古くて良き時代へのタイムスリップ 写真は人物があるといいね。
最後の二重橋の光景、彼の見た光景と同じものなんだと思うと深く心に感じるものがありました。この動画を見た後、ずっと心に残っており、先日家族でこの場所に行ってきました。
こんにちは、学生服と、背広は昭和の初期も令和の現在もデザインは同じですね。
昔は良かったなどと軽々しく口にしてはいけないけれどこれらの写真から素敵な時間を過ごされていたのだろうとノスタルジックな気分に浸るのは決して悪いことではないと思う今日この頃です。
早稲田の角帽🎓️かな。
戦前で写真館が撮った以外のスナップが撮れる家庭なんて相当な上級国民だったと思う。
昔のアルバムは家族の歴史も写しているんですね。現在の デジタルカメラではどうなんでしょ?
この海岸もしかして今は工場に埋め立てられた大阪堺は浜寺海水浴場ちゃうかな? なんか見覚えあるんやけどな~ でも神戸出身やったら須磨かもしれませんね。
あと10年もしたら外苑並木道で撮った写真がどこなのかわからなくなってしまうのかも。
二重橋前は記念写真の定番スポットですね、私も「中学校の修学旅行」と両親が上京してきた時「はとバス」の記念写真で撮りました。
人に歴史あり
リアルワカメちゃんカット初めて見ました
11:13 ここって神奈川県の藤沢江の島だったり!
10:30 防諜の観点から、IJNの水兵帽ペンネントが搭乗艦艇名だったものが「大日本帝国海軍」に統一されたのが昭和16年(1941年)6月1日ですので、それ以降の撮影ですね。 自分のアルバムも(毒親が捨てていなければ)こうやって謎のアルバムとしてどこかに出回っているのかな…国鉄から列車事故の見舞い品として貰った、かなり立派な物でしたが。
@user-vu1mm8wk3s
Жыл бұрын
国鉄からの列車事故の見舞い品…としてアルバムを貰ったんですか?(当然写真は後から入れるんでしょうけど)
@noranyan2000
Жыл бұрын
@@user-vu1mm8wk3s はい、そうです
@user-vu1mm8wk3s
Жыл бұрын
@@noranyan2000 すみません。個人的な興味でお尋ねしたいのですが、ご家族、或いは貴方が列車の事故に遭ってお詫びの品として国鉄から貰ったということでしょうか? もし差し支えなければいつごろの話なのかお聞かせください。
@noranyan2000
Жыл бұрын
@@user-vu1mm8wk3s 自分が乗客のひとりでした。事故発生は1979年(昭和54年)6月2日4時31分、日本国有鉄道篠ノ井線篠ノ井駅で、突放された貨物列車が本線に入って、修学旅行専用列車と正面衝突しました。
@user-vu1mm8wk3s
Жыл бұрын
@@noranyan2000 衝突した時の車内はやはり結構な衝撃が来たのでしょうか?
スゴイ( ^^) _U~~
帝国大学生ですかね
@user-qn1js2dn1g
Жыл бұрын
まあ、裕福な家庭の人達、と言っているので、そうでしょうね。昔は、いい家庭のせがれでなければ、大学へは行けなかったと思います。
もしや学徒出陣・・・・。