Келесі
- 7:21
- 36 М.
- 6:18
- 172 М.
- 00:58
- 14 МЛН
- 4 күн бұрын
- 00:12
- 58 МЛН
- Ай бұрын
- 00:59
- 16 МЛН
- 4 күн бұрын
- 01:00
- 81 МЛН
- 16 күн бұрын
- 29:33
- 13 М.
- 6:42
- 59 М.
- 20:02
- 37 М.
- 9:44
- 25 М.
- 6:54
- 5 М.
- 9:43
- 12 М.
- 7:52
- 96 М.
- 7:09
- 1,9 М.
- 7:10
- 18 М.
- 00:58
- 14 МЛН
- 4 күн бұрын
Пікірлер: 24
貴重な動画をありがとうございます。私は四国のDF50は見たことがなく、中学生だった昭和50年頃に紀勢本線で同じスルツァーのDF50 0番台を見ているのですが、エンジン音の記憶が全くないのでこの動画で改めてエンジン音を聴くことができました。他のエンジンと違ってアイドリングと力行時の音の差があまり感じられない独特の音ですね。接近するとかすかにモーター音も聞こえるのが電気式らしく感じました。6:20あたり、大歩危のトラス橋脇の通路で撮影している撮り鉄の姿が写っていますが、今なら接近しすぎで通報されるでしょうね。1984年あたりから祖母が買った一体型ビデオカメラを借りて撮影しましたが、私も列車通過後に周囲の景色を入れる貴殿のような撮影をしていて懐かしく感じました。画像云々というより貴重な動画を拝見できた喜びの方が大きいです。改めてお礼申し上げます。
当時私は小学生、DF50の現役時代を知らずスルザーサウンドを初めて聴かせていただきました。 のんびりとしたポンポンサウンドから力強さは感じられませんが、のんびりと鉄路を駆けていく様は微笑ましいですね。 非力でSLにさえ劣るといわれた電気式DLですが、その機構は現代にも受け継がれ、その功績は偉大です。
@BlueSky-op3sl
Жыл бұрын
コメントありがとうございます。 確かに非力というネガティブなイメージで語られることが多いように感じますが、 高々1000馬力少々の日本で最初の本線用量産機が亜幹線レベルであれば特急か貨物まで こなせたのは逆にすごいことだと思います。 仰る通りその功績は大きいと考えます。
海岸寺や三縄ー祖谷口の鉄橋、大歩危ー小歩危の鉄橋と、思い出深いお立ち台での光景を思い出させていただきました。無理に無理、無理を重ねてカムコーダー購入していただいてありがとうございます! なかでも吾桑駅での通過中のタブレット授受、たしか当時、土讃線ではこの駅でしかみられなかった光景だと思います。貴重な光景、涙ちょちょんぎれそうです(^^)
@BlueSky-op3sl
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 このカムコーダーのセットは当時の初任給の2倍位したと記憶しております。 バイトしまくり、友人からお金を借りまくり、文字通りチキンラーメンの生活をしておりました。 通過列車のタブレット授受が吾桑駅のみとは知りませんでした。 ご教授ありがとうございました。
ひょっとしてビデオカメラはショルダータイプでしたか? 間近に見るDF50と貨車の貴重な映像!
@BlueSky-op3sl
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 仰る通り、当時のビデオカメラはバカでかいカメラ本体を肩に担ぎ、同じく大きなVHSカセットデッキを肩から吊り下げて撮影するスタイルでした。 さらに重いアンプもバッテリー充電のため携行しなくてはならず、クルマがないと撮影行きは困難でした。 知人に40系パブリカと110サニーを借りることができたのは幸いでした。
高校時代、詫間-丸亀を列車通学していました。DF50 旧客は本当に懐かしい思い出です。丸亀からの帰りは、伊予西条行 127レをよく利用していました。このサウンドと映像、本当によく残していただきました。ありかとうございます。
@BlueSky-op3sl
9 ай бұрын
ご視聴ならびにコメントありがとうございます。 私もDF50牽引の旧客に何度か乗車しましたが、独特な煤煙と油の匂いが妙に旅情をかきたてておりました。 毎日乗車しておられたとはなんとも羨ましい限りです。 昭和56年に客車牽引から引退の直前、前位にDE10をつけた練習運転を撮影しましたが、それが正に127レでした。
@akinobuhayashi565
9 ай бұрын
お返しいただきまして、ありかとうございました。昭和56年に関東の大学へ進学したので、その後の変遷を体験しておらず、空白の時代になっています。127レは、宇高連絡船で航送されてきた荷物車2両を、DF50の次位に連結しており、翌日伊予西条から高松行124レとなって折り返していました。そうですか、DE10が旧客を牽引した過渡期があるんですね!帰省した時に見る客車は、もう50系客車に変わってしまい、寂しい思いをしました。それにしても、127レをご存知ということで、感激しました。
@BlueSky-op3sl
8 ай бұрын
127レと124レの荷物車運用は存じませんでした。 ご教示いただきましてありがとうございました。
、DF50の動いてる姿は初めて見ました。シュシュポポみたいな音で走ってたんですね。勉強になりました。
@BlueSky-op3sl
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 平坦線をノンビリ走るのと峠道で本気を出すのではエンジン音のピッチが違ってました。 それがまた魅力でもありました。
当時、浪人中で、駅から離れた所(と言っても最寄の善通寺駅まで徒歩30分)に住んでおり、鉄道に乗るのは受験の時だけでしたので、何度も見た記憶がないのですが、ディーゼル車なのに蒸気機関車のようなテンポの音がしたのは覚えています。それが「スルザーサウンド」だったのでしょう。 なお職業柄、スルザーと言えば蒸留塔の充填物がまず、思い浮かびます。
@BlueSky-op3sl
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 ディーゼル機関車で蒸機に似たリズムはDF50だけではないでしょうか。 ただ蒸気機関車は勾配になると速度低下と共にドラフト音のピッチが遅くなるのに対してDF50は速度が遅くても力行時はエンジン音のピッチが上がり、その点では正反対でした。 蒸留塔の充填物検索すると本当にスルザーってでてますね。 しかもスペルまで同じでちょっと感動しました。
私は四国のDF50の音は聞いたことありませんでした。九州のDF50はマン型なので音が全く違います。
貨物列車の牽引だけなので、DF50の再末期ですね。
@BlueSky-op3sl
Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 私がビデオカメラを購入できたのは客車牽引がなくなって1年以上してからでした。 旧客や50系を映像で記録できてたらよかったのですが・・・
@user-qv2vc4wp5k
Жыл бұрын
四国にDF50を最後に撮りに行ったとき、土讃本線関係の客車の牽引機がDE10に代わっていたのを高松駅で見ました。幸運だったのは土讃本線最後のDF50牽引の旅客列車を多度津で撮れた事でした。貨物列車の牽引だけになったときには地元でもなかった事もあり、DF50のサヨナラ運転にも行けませんでした。 DE10牽引の客車列車は池田高校のある阿波池田でバルブ撮影する予定でしたが、中村線の終点まで行きキックターンで阿波池田に行く予定だったのですが、中村線の信号故障で乗っていた急行は窪川で運転打ち切り。この列車には阿波池田で接続する徳島本線の急行に乗り代える団体旅行があったあったので、窪川で中村線の信号復旧で本来ならば私の乗っていたいた急行の折り返しに乗る予定だった団体旅行の人たちの待ち合わせで、大幅な遅延運転。急行型気動車の持てる性能を感じられましたが、阿波池田では接続の急行が待っていましたが、DE10牽引の旅客列車は撮れませんでした。
@BlueSky-op3sl
Жыл бұрын
中村線は四国最果ての路線ですからそこで足止めになったらどうしようもありませんが、今となればそれも懐かしい思い出ですね。 当時阿波池田には土讃本線以外に徳島本線の客車列車も1日2往復発着していたように記憶しております。 早朝に徳島に向けて4両程度で発車した列車は途中で増結して徳島到着時に11両編成だったのを実見しています。
@user-qv2vc4wp5k
Жыл бұрын
DF50引退の後も、客車列車は残りましたから。 蒸気機関車を撮影出来た世代の人は毛嫌いしたDD51牽引した客車列車、今のコンテナだけではない貨物列車の写真、動画。私は写真のみ。
DF50ディーゼル機関車は、どれだけ非力かと言うと、5両編成の客車を引っ張る場合は、115系電車で5両の付随車を引っ張るようなもの。
@uhitachi2877
11 ай бұрын
コメントありがとうございます。 確かに出力だけ比較するとそんな感じでしょうか。