第五部その他 第1章2節 芸能人の自殺は報道すべきではない、いやすべき

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00:00 OP
00:53 芸能人とは
08:39 報道すべきか
13:14 命は個人の所有物ではない
本日は「芸能人の自殺は報道すべきではない、いや違う」というテーマでお話しします。
芸能人の自殺をメディアが扱うべきか否か、KZreadrが扱うべきか否か、ということをディスカッションしてみたいなと思い、この動画を撮ります。
芸能人というのはどういう存在かということから話をして、その後にすべき派の意見とすべきではない派の意見をざっくりまとめます。
そして最後に、この議論を超えてどういうことを学んでもらいたいのか、知ってもらいたいのかをお話しします。
■芸能人とは
まず、芸能人というのはどういう存在なのか、ということをお話しします。
芸能人は、やはり雇用が不安定な存在です。
お金が飛び交うので、会社員よりもしっかり守られているような感じとか、そういう印象を持つ人もいるかもしれないですね。
会社員よりも立派な上司に囲まれてる、サポートしてくれる人がいる、という風に思う方も多いかもしれないですが、全然そんなことはなくて、中小企業に結構に似ています。
中小企業以下と言ったら失礼かもしれないけど、でも本当にそんな感じでです。
決して雇用が安定しているわけではないし、道徳観や倫理観、法の整備もしっかりされているわけじゃないです。
その一方で多額のお金が飛び交う。子供とか若い子達にもお金が回ったりするので、結構グチャグチャになりがちです。
大きなお金が動くので、人々の欲望をかき立ててトラブルも起きがちという感じです。
あと学びですね。
学びが意外としっかりと機能してないんですよ。
師弟制度がしっかりあるわけじゃないので、正しく育ててもらえていない人たちも結構多いです。
そもそもの学歴がしっかりなかったり、家庭環境が悪い人たちも多いんです。
なのでしっかりしつけられていない子供も多かったりして、そのまま大人になっている人たちも多いので、そういう人たちが集まって、また組織を作ったり、ルールを作ったりするから結構ストレスフルな環境なんです。
東京で僕は精神科医をやるようになって、臨床していく中で芸能人や芸能関係の人を患者さんで診ることになって知るのですが、最初はちょっとミーハーなところもありました。
僕は田舎出身だし「テレビで見た人だ」みたいなものがありましたが、今はそういう感じというよりは「大変だな」というか「不安定なところで働いている人たちだな」という風に思います。
そして僕らと言うとアレかもしれないですが、まあ僕らですよね、みたいに学びがしっかりあるわけでもなく、学問によって助けてもらったという経験も少なく、そして師弟関係というのも弱いところが多いです。
お笑い芸人さんも、やはり今は師弟関係が落語家みたいにあるわけでもないし、その落語家の師弟制度もパワハラがあったり、本当の意味で僕らの医局みたいな師弟関係じゃないですよね。
僕は本当に松崎先生にいつも感謝してるんですが、医局も違うのに本当に感謝しているんですけど、やはり医師の感じ、医師の仲間は師弟関係が何かちょっとあるんです。
渥美先生も先輩ですし、どこか後輩だから助けてやろう、教えてあげよう、みたいな緩やかな輪があります。
それは芸人さんとかにもあるのかもしれないですが、でもアイドルの世界にはあまりなかったり、俳優の世界にもあるけど、ちょっと弱かったり、何か思います。
そういう意味で守られているのがあるんですが、彼らにはないなと思います。
ベースの守ってくれるものも少ないから、すごく不安定になって、やはり死が身近にあること、死やうつが身近にあるというのは否定しがたいなとは思います。
社会的影響力がすごく強いんですよ、彼らは。
社会的影響力が強くて、そして大衆によって消費されているような存在です。
時分の花と書いていますが、若さやそういう時の魅力を存分に引き出して、そこから利益を得ている部分もあるし、自分が利益を得ている部分もあるんだけど、一方で誰かによって消費されている、自分たちの心身を削られているという感じはあります。
結局、メディアって何かというと欲望の体現なんです。
自分は日頃は上手くいかない、鬱憤がある、正しいことができていない、と思うと、ヒーロー映画を見るわけです。
そして、ヒーローが活躍し、悪を倒している姿を見て心が晴れる。
自分が日常で満たされない欲望が映画とかフィクションの世界で満たされる。
そのフィクションを俳優さんが演じることもあれば、KZreadrのようにリアリティー・ショーによってエンタメ化される、コンテンツ化していることもあったりします。
ヒーロー以外もそうです。美人になる、モデルになる、美しいものを着る、美しいものを買う、美味しいものを食べる、大食いをする、不倫をする、不倫ドラマを観る、何でもそうですが、そういうものを体現している。
体現すればするほどコンテンツとして魅力があるし、僕らの欲望のカタストロフィーになります。
普段、日常で抑圧している大衆の欲望をカタストロフィーしていくというところもあります。
だから芸能人は政治批判をするわけです、政治家が悪い、と。
それはなぜかというと、僕ら大衆というのは政治家に対する不満を常に持っているからです。
それを言ってもらうというのがガス抜きにもなったりするということだったりもしますね。
もう一個、そういうことをする時に良い言い訳があるんです。
芸術のためならば許されるという都合のいい言葉です。
それはまあ便利です。
出版社の人が、芸術のためだったら、君は自分の命を削ってでも作品を作るべきだとはあまり言わないです、直接的には言わないけど、大衆が、芸術のためだったら頑張るべきだ、芸術のためだったら女房も捨てるみたいな、芸のためなら女房も捨てるみたいなところもある種肯定する、そういう言説があれば自分たちにとって都合がいいわけです。
大衆にとっても、芸能人を使ってコンテンツを作って売り上げを出す人にとっても都合がいいので、そういう「芸術のためならば」という都合のいい言葉というのは、ある意味普及しているという感じです。
この言葉にやはり若い人たちというのは支配されやすいですよね。
それはよく思います。
美大の人たちとか苦しそうだなと思います。
大人から見ると、それは方便であるということもわかるのですが、そこに支配されすぎちゃう。
斜めから見ることができないということも結構あるなと思います。
芸のためなら死も厭わないみたいな感じで、起きちゃうということですよね。
■報道すべきか
じゃあ芸能人の自殺は報道すべきかすべきでないか、ということをディスカッションしていきましょう。
まず、すべきだと考える人たちの意見としては、まず知る権利です。
僕らは知る権利があるわけですよ。隠蔽されたくない。
反対に「いや、個人情報だろ」というわけです、すべきでないというのは。
知られたくないという権利もあるわけです。
僕らは知る権利がある一方で、知られたくない権利もあるわけだから配慮すべきなんだ。
自殺は家族には知られたくないという人たちもいるわけだし、騒がれたくない。
生きているうちもコンテンツとして消費されたのに、死後も消費されたくないという思いはあるわけです。
と言いつつ「いやいや、お前たちは社会的影響力あるだろう。だから生前に社会的影響力を利用して、自分は旨味を吸ってきた。甘い汁を吸ってきた部分もあるんだから、その社会的影響力を考えれば、それはある種の個人の権利は制約されるべきだろう。例えば、政治家の人たちは制約されてるじゃないか。公人というのは制約されるんだ」ということです。
社会的影響力のある人というのは、個人の権利というのが制約されても仕方がないという社会的な、歴史的な背景もありますから、そうなんじゃないかといいます。
でもすべきじゃないという人から見ると「そうは言っても、じゃあ、社会的影響力というのであれば、自殺のことを報道していくということは、ウェルテル効果を引き起こす」と。
「死を語ることによって自殺者が増えるの知っていますか?」とか「自殺を美的に捉える人たちもいますよ。良いきっかけだと思って自殺する人もいるんだから、知ることによって啓蒙する、啓発していくという良い影響力じゃなくて悪い影響力だってあるんだよ」と言いますよね。
と言いつつ、すべきはの人は学びの機会なんだと言います。
それも含めて学びなんじゃないか、と。
ウェルテル効果があることも全て含めて学びなんじゃないか、と。
社会は色々なことを知っていく必要がある。
知るべきじゃないと抑圧していくのは中世ヨーロッパに戻るんですか、と。
キリスト教が支配していた歴史時代に戻るんですか。僕らは暗黒時代にもう一回戻るんですか?
みたいな言い方をするわけです。
都合の良いことを、芸能人の華やかなとき、華やかなものだけを伝えられて、芸能人が持つ負の側面、弱さの部分、苦しみの部分を知れないというのは逆に良くないんじゃないの、という風な言い方をします。
でも、尊厳の問題があるわけです。
いやいや、嫌な部分を見せたくないでしょう。
それは尊厳に関わるでしょう、ということだったりします。
結局はお前たちは都合の良いこと言ってるけど、メディアの利益を目指してるんじゃないか。
益田だって再生回数稼いで広告費を稼ぎたいだけじゃないか、という風に言いますよね。
だけど「いやいや、公益ですよ。だからお金は稼ぐかもしれないけど、それは次の取材のためでもあるわけだし、次のニュースを報道するためでもあるし、稼ぐ時に稼いでおかないと上手く行かないんですよ、そもそも会社というのは。利益が出る時に出さないといけないわけで。
毎回毎回、確実に利益が保証されているもんじゃないですよね。漁師さんもそうだし何だってそうですよ。仕事というのは稼げる時に稼いどく、そして稼げない時は稼いでいた時の蓄えを使って、その場をしのぐということをするわけですね。常に稼げるわけじゃない。どんな企業も。稼げる時に稼ぐべきだろう。それが結局公益なんだ」という意見になったりします。
こういうディスカッションが色々あるかなと思います。
でも結論を言うと止められないですね。
歴史上、止められたことはないので、キリスト教が強い時は止められてましたけれど、基本的には民主主義の上では止められないので、ガイドラインに沿って知りたいという欲望や、議論をしたい、議論をすべきだというものを、ガス抜きしていくということなんだろうなということに結論としてはなります。
■命は個人の所有物ではない
でもこのディスカッションを経て学ぶべきことは、すべきではないという話ではなく、僕らが本当に真に知るべきことは、命というのは個人の所有物ではないということなんだよね。
結局、人権というのもあるんだけど、命とか自分の生活、自分の命というのは自分のためのものであるという考え方というのは、比較的最近のものなんです。
概要欄続き
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#精神科医 #益田裕介 #オンライン自助会

Пікірлер: 119

  • @tearnemakko7473
    @tearnemakko747311 ай бұрын

    芸能人だけではなく、自分だって、ここでいいね!を押してくれる人が多いと嬉しいし、少なかったらしょんぼりします。益田先生からコメントに高評価を付けられたら嬉しいし、無かったらしょんぼりします。いいね!や益田先生からの高評価を期待しているのでいいねが少なかったり、高評価が無いと今日のコメントはまずかったんじゃないかと一喜一憂します。

  • @user-jt3dv3nf8w

    @user-jt3dv3nf8w

    9 ай бұрын

    あなたは存在する事自体に価値があります!わたしもあります!人間は皆生きてるだけで価値があるんです。誰でも生まれてきてくれてありがとうなんです!なかなかそう思えなくて皆さん苦しい気持ちに陥ってると思うけど、私自身生きてる事になんの意味も見出だせずに何十年も😊費やしてきてあれは空白の無駄な時間だとか思い込んでましたが、決してそんな事ないです。どーしよーもない自分も大切な自分なんです!心の闇も光に変わるときが来ます!苦しくても生きましょう!希望持ち続けることです。

  • @Scrophulariaceae
    @Scrophulariaceae10 ай бұрын

    自分の命は自分だけのものではないって聞いたときは驚いてしまいましたが、確かに振り返ってみると、人間関係がある以上自分は自分と関係を持っている人たちの心の中に住んでいるようなものだよなとも思えてきました。

  • @user-ql9ts7zz6h
    @user-ql9ts7zz6h10 ай бұрын

    死は自由。命は自分自身のもの。時代がどうかわろうとも同じ。国のために命をおとさなきゃならないなんて、理解できない。

  • @neko2232
    @neko223210 ай бұрын

    DV家庭でボロボロになった時は 自分に価値なんて見いだせなかったけど 20年の治療を通して出会った人、 支援してくれた人や機関 助言を与えてくれた人 交流した人が増えてきて 有り難いなあ優しい人達もいるもんやと思うようになり、 世の中捨てたもんじゃないなと思うようになりました。 そして私もまた、交流を持った人に影響を与えていると分かりました。 (あなたは影響力あるから、と言われたりしました。) 朗らかに積極的に頑張ってたら、なんか人間関係や物事が不思議と上手く行くと気づいたりしました。 だから○にたいと思わなくなりました。 何か還元したいと思うけど、支援員とかになるのは向いてないので、 とりあえず仕事を頑張ろうかなとと思います。

  • @to-kichi
    @to-kichi10 ай бұрын

    若い時は、辛いと「いついなくなってもいいや」と思っていました。 歳を重ねて今は、「今の自分を作ってくれたのは、良い面も悪い面も自分と関わってくれた人がいるから」と感じています。(成長させてくれたのも、傷つけられたのもという意味です) 芸能人は、一般人とは歳を重ねるスピードが違う気がします。いつもハイスピードの中、何かに追われて生きているように感じます。法整備も普通の企業より整備されていないから、そしてそれを所属している芸能人に説明していないから、自死を選んでしまう方がいる気がします。 資本主義の最たるもののような気がして、背筋が凍る気持ちがしました。詳細まで報道するべきではないと思いますが、困ったことがあったら、法制度やサポート窓口があることを周知して欲しいと思います。

  • @chii8814
    @chii881410 ай бұрын

    社会や他社から満たされていない時に見るとそんなにしなくちゃいけないのかとしっくり来ないかもしれませんね。益田先生の話を聞いていると肩の力が抜けてくる感じで好きです♪

  • @toppinpararinopuu
    @toppinpararinopuu10 ай бұрын

    命が自分のものではないか… とはいえ、誰かが助けてくれるわけでもないしな…

  • @user-pu8yr5hw9z
    @user-pu8yr5hw9z10 ай бұрын

    一番はテレビを見ない事だと思います。情報を仕入れるのは自分から取得する事を心がける。私はそれでだいぶメンタルが落ち着きました。ただ流れてるものを見るだけなのは引きずられやすい人には向いてない。そして前提として、芸能人と我々一般人は全く違う世界で生きてると認識する。スポンサーがいないと成り立たない業界なのだから整形や自分を売る事もあると考える方が自然です。だとすると芸能人は病みやすい、そして最悪の事態にもなりやすい。報道がある無しに関わらず、人が死ぬのは悲しいと思う、けれど冷静に考える事も必要だと思います。

  • @ammy3rs
    @ammy3rs10 ай бұрын

    なんでこの前「社会の仕組みを根底から覆すから死ぬな!」という話題でそこまで傷ついたのかな、と考えていたんですけども 生命は自分だけのものじゃなくて産まれ落ちた以上責任はある、というのはわかります、自死によって周りに大きな影響を与えがち、というのも理解できる でも、「生命はみんなのものだよ!」とか言いながら周りが死にそうな人を追い詰めるときには「お前の自己責任だよ!障害者なんて迷惑だから勝手に死ね!」と言う人が多いんですよね つまり、みんなのものであるからこそみんなで守っていかなくてはいけないという責任が発生するはずなのに、なぜか責任を放棄しつつ我々障害者側には責任を押し付けてくるという構図 健常者というだけで果たせるはずの責任から逃れて好き放題言える、という部分がおかしいなーと感じてしまう 自分に対して死ねだのお前に価値は無いだの言ってくる人たちに気を遣う理由がよくわからないのです そして、病状が悪化したりそもそも人との繋がりが希薄な方(先生のいうところのASD特性を持った方々)としては全員が敵に見えたりなんだりでなかなか受け入れられないんだなーと思うのです 芸能人の方々だってそうですよね 自分のことなんも知らんくせに好き放題言ってる奴らの気持ちと自分の尊厳を秤にかけたとき、どちらが重くあるべきかというのは一目瞭然だと思います 死にたい側にだけ責任を押し付けて解決することは何もないんじゃないでしょうか? 働こうとしたら「障害者は迷惑」、じゃあ国のお世話になろうと決めた人たちは「生産性もないやつを生かすな」と責められ、じゃあみなさんの望みどおり死にますとなったら「生命はみんなのものだ!」と始まる 理不尽すぎませんか? 死ぬなというなら、生命の所有権を広げるのであれば、自分たちもこの社会に産まれた責任を背負う必要があります 社会を変えるだとかそんな大袈裟なことは夢物語でしかないし現実みもないし、そんなに強く望まない ただ、障害者側だけじゃなくすべての人が自分にある責任を考えるべきでは?と思います

  • @user-qv7cw1im4r
    @user-qv7cw1im4r10 ай бұрын

    私は障害者のカフェや障害者のストレッチが出来る場所、子供食堂、障害児放課後児童クラブを作りたいです。社会に貢献したいです。経験を還元したいです。勉強を頑張ります。実現できる様に動きます。

  • @my-wp2fr
    @my-wp2fr10 ай бұрын

    めちゃくちゃ分かりやすくて神回ですね。 益田先生のチャンネル、今までの動画の積み重ねのうえで作られた神回みたいなのがくる時がありますよね…神回集みたいなのほしい…

  • @aokiiro3021
    @aokiiro302111 ай бұрын

    先日のりゅうちぇるの件、、 三浦春馬くん、、、 未だに引きずってます…… 辛いです 動画楽しみにしてます

  • @moufuohisama
    @moufuohisama11 ай бұрын

    なんだかな 命についてKZreadで人気のお坊さんよりしっくりくることを言ってくれる ありがとうございます、先生

  • @user-ml1yd2rn1z
    @user-ml1yd2rn1z10 ай бұрын

    ああ、やっぱりどんなに有名人であっても、人間だったんだなぁ〜心があったんだなぁ〜って何故か…気の毒になりますよね…😢

  • @chie7334
    @chie733411 ай бұрын

    今回の議論からはそれますが、中学時代に好きだったバンドのメンバーに大人になってから(彼らも解散して一般人になってから)会いに行ったことを思い出しました。事務所やスポンサーなどの意向に翻弄されて長く活動できなかったそうです…。一方で私も、リーダーに理想の父親像を重ねたり、ボーカルを理想化して「思っていた人と違う」となったりと、投影や転移のようなことをしていましたね。芸能人であれ誰であれ、相手のありのままを見るって難しいな、と感じています。

  • @user-mj3dp5zk8v
    @user-mj3dp5zk8v11 ай бұрын

    「他者にお世話になったから自殺はしてはいけない、還元する為に生きないといけない」過去の恩に縛られて身動きが取れないみたいな窮屈さを感じる。

  • @user-jx3xq2ne5x

    @user-jx3xq2ne5x

    10 ай бұрын

    山田玲司が誰のために戦うのかって内容で漫画を分類してた 世界を守るみたいな社会全体のためだったり彼女を守るみたいな一個人のためだったり 日常を生きているだけで戦わないみたいな分類 そこで自分の欲求のためだけに戦う主人公を考えて見る その主人公は共感能力が低くサイコパス的な人間だと思われる 自制心が高ければ機械みたいな人間だし 自制心が低ければ犯罪者にしかならない したがって自制心が低くて共感能力が低いタイプは社会的に許されない 大部分の人間は他人の感情も自分の感情も無視して目的のためだけに行動するような 強い人間になれないし、なったとしても虚しいだけだと思う

  • @user-ml1yd2rn1z

    @user-ml1yd2rn1z

    10 ай бұрын

    それさえ、考えつかなくなるっていうか…余裕失くなって、突発的に殺っちゃうんですよ~自死。失敗(未遂)になってしまったからコメント出来るんですが😂

  • @user-tx7rx9nt4j
    @user-tx7rx9nt4j11 ай бұрын

    コメント欄の視聴者の意見ともきっちり向かい合ってくれて嬉しい

  • @user-tu7vc7ff9d
    @user-tu7vc7ff9d10 ай бұрын

    益田先生、いつもありがとうございます。 きっと、自死した芸能人の方々も、自分の命が自分だけのものではないと解ってたと思うんです。 だけど、精神的に病んでしまうとどうしても波があって、頑張ったあとの落ち込みが激しかったり、そんな時には、物理的には群れの中にいると解っていても、精神的には孤独感にさいなまれる。 群れの中だからこそ、孤独を強く感じてしまうのでしょうね。 少しづつ、みんなが意識を変えていければなと思います。(そういう私自身もです。)

  • @hanakaze-xn5vs
    @hanakaze-xn5vs11 ай бұрын

    一歩先ゆく考え方の提唱ですね。眠くて頭働かないですが、サムネかっちょいい✨️

  • @konbanha0001
    @konbanha000110 ай бұрын

    就職移行訓練中です。命は個人のものではないというお言葉、しっかり覚えておきたいと思いました。 今までの就職先ではたくさん嫌な思いをして死にたいと何度も感じましたが、次の所属先は私の命を大切にし人権をしっかり考えててくれるところだと良いなと願います。そしたら私も、この命は会社に尽くすためにもあると頑張れる気がします。

  • @user-ev2ei2tj4d
    @user-ev2ei2tj4d10 ай бұрын

    一見輝かしくてキラキラしてるように見えるけど人気商売ってイメージありきだから常にニコニコしとかなきゃだし、些細な出来事ひとつで周囲からの目も変わってしまって一気に手のひら返させて転落して、見放されてしまうことも多いから、常に本当の自分を抑えて求められてるイメージ像を演じて、刹那的な職業だなと、相当メンタル強くないとやってけいないな、すごいなと思います。 キャバクラみたいな水商売の方たちも似てますよね…一見華やかに見えるけどみんな日々のストレスと闘って働いていて(どの職業でもストレスはありますが)本当にすごい、、 一見輝かしいけど、その分ストレスを抱えやすくて闇が深い…😢

  • @Arielumielu
    @Arielumielu10 ай бұрын

    どんな亡くなり方であれ、どんな職業であれ、死者を静かに悼む気持ち、心安らかに手を合わせる気持ちは自分が人として生きている限り大切にしたいものだなと思います。 ただただ同じ人として、安らかに眠ってほしいです。 それを踏まえた上で、聴く側としても、 その方について何かを語るのであれば、専門家の方には変な言い訳をせずにプロとして真摯に言葉を尽くしてほしいです。 亡くなった方は何も語ることは出来ないですし、結局「真実」はその当事者にしか分からないですから。 そして、いつも思うのは、益田先生の「使命感」には本当に頭が下がりますし、大変貴重な学びや気づきを沢山与えて頂き、 生きる上で励みになります。 どれだけ自分が分かっていないのか、どれだけ分かったようなつもりで日々を過ごしているのか、これでもかと言うくらい教えて頂けるので。 誰かにとっての理想郷は結局は巡り巡ってデストピアを創るのと同じことですね。 本当にいつも有り難う御座います。

  • @hasunohana2010
    @hasunohana201010 ай бұрын

    芸能人の方達もとても華やかに見えますが芸能人という肩書き?を取ったら私達と同じ人間で悩みもあって毎日を生きているんだと思いました。 益田先生、今日も動画を撮って下さりありがとうございます。

  • @user-eg5mx2vt2c
    @user-eg5mx2vt2c10 ай бұрын

    命はつなかっている 広い意味で ほんとにそう思います。

  • @jojojojodog
    @jojojojodog11 ай бұрын

    発達障害なので親や兄妹、友達関わった全ての人に嫌われて嫌な思いをして鬱になったので誰かに恩を感じて生きてゆくという考えは共感できなくてただ生きている、最低限人の迷惑にならない為に死なないというのが私の考えです。

  • @user-jj8hs3jb8b
    @user-jj8hs3jb8b11 ай бұрын

    益田先生、最近は難しい話題に挑まれてて凄いと思います。 “影響される状況の人は(それが特定の事象であっても)何を見聞きしても影響され易い” と思うから、個々人が自分自身の“今”の状況・状態と安定した環境でいかに向き合えてるかどうかがポイントだと思います 個人的には、有名人(政治家芸能人含めて)の自殺・死亡って(うん十年前ならいざ知らず)、それが自死であっても(TVメディア的な)ニュースバリューは高くないと思う。事件ならちょっと様相が違ってくると思いますが 有名人の一挙手一投足果ては逝去でも国民全員が何かを感じて…て、そういうの発展途上の国の発想だと思ってます それこそ、ネットのニュースなんかでサラッと流して(勿論“記録として残す”のは大前提です)程度で良いんじゃないかなって思ってます

  • @chi_kamaboko
    @chi_kamaboko11 ай бұрын

    何も知らない他者のことを許すとか許さないとか、本当にしょうもないよなと思ってしまいますね。 また、自分の欲望を他者の行動によって満たそうとするのも非常に気持ち悪いなと思いますね。芸能人で止まればまだいいですが、人のコンテンツ化みたいなことは日常の至る所で起こっていると思います。非常に愛がなく自分本位な行動だなと思い、悲しくなります。 命を燃やすのはその本人たちなのに、周りがそれを求めすぎるのはどうなのかと毎度思っています。。 やっぱり、生きるために稼ぐ必要がある世の中っていうのが人間を気持ち悪くしているような気もしますね。。 社会の中で生かされているので、自分の命は自分だけのものではないし、他人の命も他人だけのものでなく自分のものでもあるわけですから、もっと他人を思いやれるような世の中になったらいいなと思います。現代社会、冷たすぎます。

  • @hkar1122
    @hkar112210 ай бұрын

    死んじゃダメだ、や自殺防止という聞き慣れたような言葉の背景に、1人の人間の社会的影響の大きさがあることを説明されていて非常に有意義だと思います。 仕事柄、あの一件以来の類似事案の増加を感じます。先生も患者さんへの影響を感じられているかと思います。人身事故の増加は肌で感じますし、無視をできない問題だと思います。私自身もファンだったのであの一件が引き金で病気になり、その裏の発達障害が分かり、先生の動画に出会いました。 自らが最悪のメンタルでした選択は、自分の子供や後輩などの大切な人が同じ状況となったときに同じ道を選択することになる。 私の父親が鬱になった時に、私のことを思って生き延びてくれたから、先日その言葉を教えてくれました。 父があの時自死していたら、間違いなく私は.. 自由なんてことは言わなくても分かってる。ただ、このことを理解するだけでいい。。気付いて貰いたい。。 一緒に頑張りましょうと、私は言いたいです😢

  • @nati2063
    @nati206310 ай бұрын

    精神が一番しんどかった時期に三浦さん竹内さんが亡くなったニュースを見てすごく羨ましかったと同時に、 自分よりも作品だったりお金を稼げていたり恵まれた環境下にいたはずなのに自殺を選んだことにふざけるなと怒りの感情が湧いたのを覚えています。今自殺していないのは、この人たちよりも価値のない自分の命が自殺を選んでもその選択は無駄だと思ったからです。

  • @user-pi5tj1mo2h
    @user-pi5tj1mo2h10 ай бұрын

    芸能人の訃報が流れると「数日前までSNSを更新してたのに」とか「今年の目標で〜って言ってたのに」という意見を見かけるけど、絶対にこの日にシねるって確証は無いから、シねなかった時の為に表向きは普通に振る舞うものだろうし、匂わせをする人の方が稀なんじゃないかと思う。

  • @KABA0115
    @KABA011510 ай бұрын

    言っている内容そのものは理解できるのだけど、そう考えた上で、芸能人の自殺の報道に対して自分はどう考えて、どうした方がいいという立ち位置は示していません。つまり、テーマに対して、いろいろ言って、その答えを出さずに放置したという形で終わってしまっています。 考え続けてもらうことが本当の目的であったのならばそれでいいのだけど、ならばそれをどこかで伝えなければならなかったと思います。 もし、命が個人のものなのかそうではないのか、ということがテーマであったならば、自殺の報道の問題ではなく、自殺そのものの持つ影響にした方がよかったように思います。

  • @user-xs5ky3zw6h
    @user-xs5ky3zw6h10 ай бұрын

    自分の命は、個人の所有物ではなくて社会や、群れ全体のもの。 自分の知識も、自分だけの物ではなくて、社会から育ててもらったものであるのでいつか還元しないといけない。という益田ドクターの言葉は目から鱗で、希死念慮が和らいだ気がします。 私も50近くなって、自分のことばかりでなく社会に還元できることは微力ながら還元していかなければと思えました。ありがとうごさいます。

  • @neco1244
    @neco124411 ай бұрын

    お笑いさんの自死を聞くと、ずっと明るくいなきゃいけないっていう気持ちで日常に安心がなかったのかなって思います。辛いって言えない不器用さみたいな。 ただ、作品が残ってる、映像で笑顔が残ってる、っていうのが羨ましい。残しておけば良かったって思う。

  • @user-ip2su4fo9k
    @user-ip2su4fo9k10 ай бұрын

    命が個人だけのものではないと私も思います。 私のいとこは自死し、私の叔父は20年近く月命日に墓参りをしています。 私はそれを見続けたので、希死念慮の際は頓服で抑えています。 叔父と同じ思いを親兄弟配偶者友人にさせる訳にはいかないと強く決めています。

  • @user-hj5tu2do1h
    @user-hj5tu2do1h11 ай бұрын

    命は個人の所有物では無いと知識として理解をしますが、どうしても解せません。もし、共有の財産であるならば生前に思いを聴くことができなかったこと、後悔の念だけが残り未来に進めません。

  • @user-dm7jw5st7r
    @user-dm7jw5st7r10 ай бұрын

    個人の命が社会のものであるという視点と理屈を具体的に知る機会にはなったけれど現実離れしていて綺麗事に感じるのが素直な感想です。(批判ではないです) 現実は人はご都合主義だという事実に基づいて理論を展開して貰った方がまだ受け入れやすいと思うのでその方向性から解説して貰いたいです。

  • @user-Jasmine-Clover
    @user-Jasmine-Clover10 ай бұрын

    死にたくなるほどのメッセージが込められていると思います。 読み取る気持ちを大事にしたい。 残された子は、ずっとずっと親の影を追うから。

  • @popokari
    @popokari10 ай бұрын

    いや、芸能人は旨味を吸ってるのではなく尊厳を切り売りしてるんだと思いますよ。公人をどんな意味で用いているのか謎ですが公益のために働くと職務宣誓しているのは公務員であって芸能人は公務員ではないです。メディアに出て働いてるただの人です。一般人の知る権利なんて満たす必要ないです。益田先生はご家族の年齢や職業のこと根掘り葉掘り報道されたら嫌じゃないですか?私も嫌です。芸能人も嫌だと思います。こういうゴシップネタにされるのも、嫌と言えずに耐えてるだけです。

  • @Kokorokosotaisetunare0503
    @Kokorokosotaisetunare050310 ай бұрын

    とても、考えさせられる動画でした。 私は芸能人の自殺について、報道して部外者が議論することはナンセンスだと思っています。 しかし、知ることにより、命の大切さを改めて学んだり、※自分の命が自分だけのものではないんだ、と考えることができる、、といった意見は(特に※)少し驚きと違和感を覚えました。確かに自分の命は自分だけのものではないかもしれない、、すごく考えさせられます。 まだ私には納得はできませんが、芸能人の自殺報道が、生きてる人、自殺を考えている人、様々な状況で生活している人達に少しでもプラスになればいいなと思いました。

  • @dgyzgy1694
    @dgyzgy169410 ай бұрын

    限定された(公共電波、報道期間)メディアから一方的にニュースを受け取る時代からメディアを選択できる時代に変わってきたので報道があっても知らない場合があります。テレビを視聴しないので。気になるものはネットニュースなどで見ますが、芸能人の自死については事実として知るだけでそれ以上追いかけなくてもいいかな、というのが個人の感想です。色々なことを言いたい、それに乗じて発言したいという人は見たいものだけを追い求める傾向にあり、批判したい人は批判的なコンテンツ、そうでない人は別のコンテンツを探していく、というのは現実起こっていることかなと思って見ています。プロとして『芸能人』という活動をしてきた人であれば今後新たなサービスを供給できなくなるという点において告知した方がいいと思ってます。あまり知りたくないニュースはさらっとスルーするのがまあ精神的には楽ですね。

  • @tyama7978
    @tyama797810 ай бұрын

    なるほど、命は共同体で共有ですか。勉強になります。

  • @user-mo6if4bq6o
    @user-mo6if4bq6o10 ай бұрын

    『私たちは、生かされている。』ということを思い出した回でした。

  • @turtle4234
    @turtle42342 ай бұрын

    命が「自分だけのものでない」という考えに驚きました。私自身は「親が悲しむから自死はしない」とは思っていましたが、自分のものだが親のために自由にしていない、というかんがえです。しかし一方そのような考えが、特攻隊のように国に命を捧げるという思考回路に繋がりそうで少々怖いです。とはいえ、私の考え方だと、私は現状働けてないし、医療費を考えたら私は赤字だし、そのことから自分に価値がないとなり、世の中の子供やお年寄りが生きる価値が無くなるので問題のある考え方なのでしょうね。命の価値について考えを深めたいと思いました。 #メンタルヘルス大全 #視聴マラソン

  • @TakezoTM
    @TakezoTM10 ай бұрын

    最近の報道の特徴は、死亡とだけ伝えて死因までは言及しないものの、終わりに「いのちの電話」番号が載っているというw あれは極めて形式的な感じしかせず、免罪符のような後ろめたさを感じますw

  • @nottrdsllkg55
    @nottrdsllkg5510 ай бұрын

    家にまで押しよせてカメラで撮影するのは異常だと思います。絵が欲しいのは金が欲しいからそれだけですよね、絵がなくても報道自体はできるわけですから

  • @user-lo3kl4wt1z
    @user-lo3kl4wt1z10 ай бұрын

    すごくいい事いってる!

  • @user-jt3dv3nf8w
    @user-jt3dv3nf8w9 ай бұрын

    人が評価してくれると嬉しいですよね。誰も認めてくれなかったらガッカリしますよね。その気持ちは凄くよくわかります。人間は皆社会的動物だから、群れを作ってないと生きていけないです。私自身、なんか誰も自分の気持ちを分かってくれないとか認めてくれないとか思う事よくあるから、評価してくれる人が一人でもいればなと寂しい気持ちです。寄って来てくれる人はいるけど、私がギバーだからかなーなんて虚しい思いになります。益田裕介先生が友だちいないとか嘆く気持ちわかります。

  • @user-uq8ui1uj2m
    @user-uq8ui1uj2m10 ай бұрын

    前向きに生きていれるときは、先生の今回のお話心にスムーズ入ってくると思います。気持ちが狭くなってるときは、自分は、社会に還元出来てるのかな?と思ってしまいます。 身近でも自殺した人のはなしは、聞いてきました。ずっと覚えてしまってますから、衝撃は、強いですね。 25:30

  • @NT-cn1ij
    @NT-cn1ij10 ай бұрын

    自分の命は自分だけのものではない。 これは分からなくはないんですが、具体的には「誰までが」自分の命に関わるのでしょうか? そこの所、どこかで話して欲しいと思います。 と言うのも、 家族、友人、仕事関係、その他助けてくれた(くれている)人…その辺までは分かります。 でも、顔も知らない関わったこともない人はどうなんでしょう? 「人間は群れ(社会)で生きる動物だから」と言っても、その社会の範囲とは? 地方税払ってる自治体も、私の命に関わる? 金銭的な繋がりがあるという意味では、日本そのものまで広がる? さすがに、ロシアのプーチンですら私の命に関わってるとは思えない。 (関わってたとしたら、万が一私が死にたくなった時に「プーチンのためにも生きなければ」ということになる。あんな奴のために自分の命の自由を奪われる) 屁理屈こねてると言われそうですが、発達障害の私にはその辺りが不明です。 家族や会社では、本当に分からなくて質問しても、無視されたり悪い印象を持たれてしまいますが… その道のプロの益田先生なら、答えてくれますか? 以下、脱線ですが… 答えるのが不快ならば、なぜそう思うのか、いつか教えて下さい。 そして、どんな質問をしてはいけないのか、あるいはどういう質問の仕方ならOKなのか、解説をお聞きしたいです。 長文失礼いたしました。

  • @manorinko
    @manorinko10 ай бұрын

    有名人の自殺は、どちらかというと報道すべきではないなぁと思う。知ったところでどうなるものでない。

  • @kento1381
    @kento138110 ай бұрын

    芸能界はとても華やかなイメージがあるけど、それは本当に画面越しの本人しか見てなかったからかもしれない。けど、大半の人が折り合いをつけながら引退の選択肢も含めて人生は続けられているから、個人の問題であるようにも思う。でも、制度に問題があるなら変えていかないといけないのだろうな。

  • @year8034
    @year803410 ай бұрын

    思うようにいかない鬱や病によって自分が損なわれ続けると、どうしても自分の命、という風に思わざるを得なかったりします。辛くなってしまうので、しばらくこの話題の動画をみるのは控えようと思いました。

  • @altonokibunn
    @altonokibunn10 ай бұрын

    芸能人だと影響力が大きいので自○の報道は仕方ないにしても詳しい方法は控えて欲しい。 竹内結子さんや三浦春馬さんの時は悲しくて調子を崩しました。それでその頃流れていた陰謀論にハマってしまった。だからって何もしてないけれど馬鹿なことを信じてしまった。 私はなるべく情報を遮断して精神安定を計っているのですが、それでも偶然にニュースを聞いたり見たりする。そういう意味ではそれは必然だと思って受け止めてそのことについて考える機会だと思うしかないと思う。

  • @maskedliver6637
    @maskedliver663710 ай бұрын

    益田先生が言うように一つの命が個人の所有物でなく集団の共有すべき価値というのなら、そもそも命を脅かす自死に至らしめた周りの環境に問題がありその環境を作ってしまった関係者に責任があると思います。 自殺が無責任だとか個人の甘えだとかいう意見も完全に否定できることになりますよね。 ただ今はそういった関係する人々が集まる場というのがなくなりつつありそういう環境を作ってしまった社会が自殺問題の責任を取らされているという見方もあるのかも知れませんね。 今は無責任に人を傷つけ病気に至らしめ最悪死に追い込む可能性のある関係者が責任から簡単に遠ざかることができ責任の追求や償う義務から容易に逃げやすい環境社会になっていると思います。 大きな問題の一つですね。

  • @user-os7oe5tu6b
    @user-os7oe5tu6b10 ай бұрын

    りゅうちぇるの自殺を受けて自殺未遂をしました。 今まで芸能人は遠い存在でしたが、りゅうちぇるは昔チェキを撮ったりお喋りしたりと直接的関わりがあった芸能人だったので、気分が落ちてた自分にはダイレクトに当たって死に誘われました。

  • @inukoro-falk
    @inukoro-falk10 ай бұрын

    編集や脚本という赤の他人がテレビとして印象良い画面にしてるだけで、それがわかっているから映るために辛いことや悲しいことを表に出さないのがうまくなるから演技も上手いんだろうな。

  • @user-dj1np3js1n
    @user-dj1np3js1n10 ай бұрын

    稼げる時に稼いで、稼げない時にしのげるようにする。同意します。

  • @user-in5rl2rv1f
    @user-in5rl2rv1f10 ай бұрын

    私は誰の役にも立っていない気がする。誰かを傷付けてはいる。 利用はされている気がする。きっと便利だから。 最近はずっとこんな感覚です。

  • @moonsum9709
    @moonsum97097 ай бұрын

    私の親戚では自殺者が多く、自殺の方法も真似をする人が多く、報道しない方が良いです。 自殺する人は覚悟を決めているので前日まで普通に話していてもわからないです。

  • @user-ot4qw5qy6e
    @user-ot4qw5qy6e10 ай бұрын

    『この生命誰のもの』という芝居(映画も)があったことを思い出しました。

  • @tomok453
    @tomok45310 ай бұрын

    命は個人の所有物ではないということ、本当にそうだなと思いました。 それが複雑な人間社会だから適用されるのではなく、原初から続く動物の集団における原則からしてもそうなんですね。 個々の命が集団や社会の所有物として成立している以上、自身の命、もとい与えられた生命活動をぞんざいに扱うことは避けたい。そして他者の命についても同様になりますね。 あなたの子どもの命だからあなたの自由に扱っていいわけではない、あなたの部下の命だからあなたの自由に扱っていいわけではない。あらゆる関係性の中で発動するこれらのような原理原則の観念が、全ての方面に行き渡って届いてほしいと思いました。

  • @user-rf3kc3qu1x
    @user-rf3kc3qu1x9 ай бұрын

    「命の大切さ」って何なんだろう。このまま人類が継続して生き続けたら、だから何なんだ。 牛でも豚でも鶏でも、さらには魚や蟹など何でも殺して食べてるじゃない。なぜ人間の命だけが大事なのか。誰が決めたのか。罪のない子供が事故や事件で死ぬのは本当に可哀想だと思う。命の大切さを感じる。しかし延命治療までして命って大事なのか。

  • @wadacamera
    @wadacamera10 ай бұрын

    芸術って但し書きがあると何でもアリになりがちですね

  • @chiekosan8767
    @chiekosan876710 ай бұрын

    芸術のためなら、と、女性芸能人のヌード写真を撮って、そこにモラハラやセクハラも当然存在して、直前に出版差し止めになった写真家を思い出しました。差し止めにしなかったら、その女優さんはもしかしたら、死を選んでいたかもしれません。その写真家は今も大御所扱いでしょうが、今の時代では過去の人かと思います。

  • @user-ji2hz2nd5p
    @user-ji2hz2nd5p10 ай бұрын

    「テレビで見た人だ」がいつものテンションすぎてミーハーに見えない😂

  • @user-sr8qu7rp1x
    @user-sr8qu7rp1x10 ай бұрын

    著名人の自殺が報道されない場合というのをどう想定すればいいでしょうか。 死去だけ伝えて死因は伏せるというやり方は、全ての訃報に適用するなら可能かもしれませんが、 そうでなければ結局憶測を呼び自殺を報道したのと変わらないかなお悪くなってしまうであろうことを考えると、 死去自体を伏せつつただただ「消える」、そして時間が過ぎて忘れられるのを待つという選択になるかと思います。 このディスカッションが成り立っているなら、もう一方の立場として命は個人の所有物であり、 「消える」自由があることを主張する立場があることを認めることになりませんか。 もしかするとこれは単に「現実的ではない」として退けられるだけの考えかもしれませんが、 私はこの考えに引かれるのを止められずにいます。

  • @user-er9qc7pb6v
    @user-er9qc7pb6v10 ай бұрын

    どんな理由・事情があるにせよ、「自殺しよう」という決断の前に「生きててよかった」と思える道標もある事を知って頂きたいです。 「生きててよかった」が自他共に肯定感をもたらす事もあると思います。 命は自分のものと独占していたら、自分のSOSが他人(友人等も含む周りの人)が気づきにくいのでは? 知る権利が嫌なら信用できる人にだけ知っておいてもらうとか、中間をつくるのも悪くないと思って社会に出てます。社会そのものが白黒だけではなく、グレーの濃淡があるからストレスも溜まりやすいのでしょう。生きにくさの中で少しでも幸せを感じられるイメトレ必須です。

  • @user-nj7uj5kn6z
    @user-nj7uj5kn6z10 ай бұрын

    毎日見てます、寄付したいです、

  • @user-pj1ms9br3m
    @user-pj1ms9br3m10 ай бұрын

    自死に限らず、著名人は亡くなると年齢と死因を公表されることが多くて(大変だな)と思っていました。 亡くなった事は公表されなければ都合が悪いでしょうけれど、死因は自死も含めて発表してもしなくてもどちらでもいいような気がします。詮索されるくらいなら公表した方がいい、と考える人も少なくない気もします。 命は誰の物か...そもそも皆自分の意思で生まれてきたわけではないのですから...死も自分の意思とは関係なく訪れるものなのではないでしょうか?(考慮されてもいい死があるとするなら安楽死でしょうか)

  • @bitwithfriend
    @bitwithfriend11 ай бұрын

    益田先生は都会育ちだと思ってた💦 精神科医の先生も首都圏で働く人がやっぱり多いのかな🤔 そのあたりも聞いてみたいな!

  • @ellechann
    @ellechann10 ай бұрын

    責任があって権利がある。。。

  • @bewear2025
    @bewear202510 ай бұрын

    「命は個人の所有物ではない」というお話は興味深いです。昔は、思想や宗教とかで「自分の命」を学び考えることが出来ました。今は、「自分さえよければいい」と思い、生きている人が多いです。 私が大人達がだらしなく努力をしなくなったので、子ども達が夢をみれないなくなったのが今の日本だと思います。 私もぼっちのアラフォーですが、自分ができる事はしっかり取り組みたいです。

  • @Lizardon0501
    @Lizardon050110 ай бұрын

    ♪芸のためなら女房も泣かす♪です😂

  • @user-ob8qi9nk7x
    @user-ob8qi9nk7x10 ай бұрын

    有名な方の死は、皆何故?って思うから…報道はそれなりにして欲しいのです。○○ガンとかで亡くなったとかはきっと偉大な方なら、皆心に刻まれ愛が悲しいって(涙)します。

  • @user-uc8du2nt1e
    @user-uc8du2nt1e11 ай бұрын

    ちょっと違うかもしれませんが、何かしらの経験をした人が自分と同じ過ちはしてほしくないからという思いがキッカケで体験を発信していったりっていうのと近い感じを受けました。 ただ、乗り越えたコトが前提にあるような気がするので、絶望している人が何をキッカケに立ち直ったりできるのか…?とは思いました。 去年、精神障害ではない従兄が自◯しましたが、状況をみると最後は自らだったかもだけど違うから。。。 でも、先生のおっしゃりたいことは何となくですが分かります。もし勘違いしてたらごめんなさい。

  • @uri_54221
    @uri_5422110 ай бұрын

    私に言われたくないと思いますが 長く芸能界にいる俳優さん達は 成長するための大切な時間を取ることが出来ず 一般的知識が乏しいとか学が無い方が多い というイメージが強いです 高学歴の方もいらっしゃいますが 道徳心や倫理観がいまいちというか... 失礼ですみません 友人の何人かが芸能の仕事につきましたが 上記内容を理由に芸能界を去りました まだ残っている友人もいますが何となく 苦労しているのかな?と、心配になってしまうので テレビみるのを数年前にやめました 自殺報道ですが 益田Dr.のような専門知識を持った方が適切に扱うのは 良い事だと思います 不適切な報道方法がはびこったり この世を去ってもなおSNSなどで誹謗中傷が続いたりする事がなくなると良いですね

  • @user-cc8pq5pg7g
    @user-cc8pq5pg7g10 ай бұрын

    芸能人は、多岐にわたって人々と関わっているので、報道はされるべきなんだろうなとは思います。 自殺した芸能人の家族の方が、その人の交流関係を全て把握していて対処出来れば、話は別ですが。 ジャニーズ問題が、自殺ではないですが、近いのかな。 被害にあった人も被害なのか被害じゃないのかも判断が難しいですし……報道はされるべきですね。 私は公人ではないので、マスコミを使ったりする予定は、今後も考えてないです。 私の情報は口コミだけで伝達される情報に限りたいなと思ってます。 私の主な活動場所がインターネットなのが難しいところです。 インターネットは、マスコミと口コミの両方の要素を持ってしまっている。 要するにグレーゾーンなんですよね。 インターネット経由で知り合った人達に対して、今後は、どこまで個人の情報を開示するのかは、一旦、家族と相談してみようと思ってます(その後に病院ですね)。 皆(政治家や芸能人を含む)と私とで、属性が異なるので個人情報に関する扱いは、難しいですね。 現状では、皆と私とでは、考え方や発想が逆になると伝える事が多いです(誤解を与えたくないです)。 まあ、私に取っては、ターニングポイントですね。

  • @mooncat7068
    @mooncat706810 ай бұрын

    報道すべきか、すべきじゃないか、は分かりませんが、報道のしかたは配慮する必要があると思います。 そして、普通に知りたいです。 テレビで知った人であっても、知人。ファンになったら友達や家族のように思うし、心配もします。知りあいが亡くなったら知りたい。 著名人て見る側からはもう、知り合いです。日々たくさん助けられてます。 自分の命は自分のものではないと考えると、粗末にできないですね。 個人のものではなく皆のもの、「水」と同じように共同で所有しているものなのかな。海みたいなものかな。 その考えは、すぐには腹に落ちないけど、少しホッとする。

  • @user-zb1mk7st1v
    @user-zb1mk7st1v21 күн бұрын

    自殺報道は必要です。 私は自殺した芸能人を報道で知ると生き生きとします。私の活力を奪わないでほしい

  • @tool-zk7cl
    @tool-zk7cl10 ай бұрын

    命(知識や財産)を共有しようね、って事は賛成なんですが、益田先生も仰る通り「ビジネスは稼げる時に稼がないといけない」ように特に起業していなくても「生きる限りお金がかかる」私達が縛られているグラデーション(格差)に対しては“他人は他人、私は私”と割り切ろうね、誰かの行動も私の行動も巡り巡って繋がって色んなものが成り立っているから不安/不満があるのは自分の問題だよ、と言う事なのでしょうか?

  • @user-jp8xn4zp2c
    @user-jp8xn4zp2c10 ай бұрын

    一人で生まれ一人で生き一人で死ぬ。 これはどんな生き物でも不可能だと思います。

  • @Hime519
    @Hime51910 ай бұрын

    質問です。社会とほとんど繋がっていない人達(引きこもりとか)、人とも会ったり交流したりをほとんどしないの命は?その人が居なくなってもほとんど影響は無い人達の命は大事?それでも彼らの物ではない?

  • @sun18442
    @sun1844210 ай бұрын

    芸能人は縛りが強いべきなのでしょうか?歴史的にはそうだったとのことですが、益田先生のご意見はいかがでしょう?

  • @_newby_geek7219
    @_newby_geek72196 ай бұрын

    ぶっちゃけ、【知る権利】以上に【知らなくて良い権利】を侵害している方が問題かな、技術的に可能なんだから。 例えば、屠殺についてなら、直結の加害者だというのに、既に【知らなくて良い権利】が基本にあるわけで。 今はそういう世情だし、それが根本的な解決じゃないかな? また、「命は個人のものか」について思うこととしては、「思想もまた所詮は1つの道具」かなと。 救われるなら、「道徳的な正しさ」でも「倫理的な正しさ」でも「信仰的な正しさ」でも構わない。 外野の人間としては、そんな風に思います。

  • @user-oi7qz6xx7x
    @user-oi7qz6xx7x10 ай бұрын

    曽根崎心中効果のがすき

  • @user-coquelicot777
    @user-coquelicot77710 ай бұрын

    「欲望のカタストロフィー」は、もしかすると「欲望のカタルシス」の言い間違えかも?

  • @sun18442
    @sun1844210 ай бұрын

    非我。命は、我のものであって、我のもののみ非ず。

  • @bishi.4637
    @bishi.463710 ай бұрын

    実際、りゅうちぇるのときは、ぐらついたけど。でも、どうしてこの結果に至ったのかの理由は、知りたかった。

  • @user-di3kl7bo3o
    @user-di3kl7bo3o10 ай бұрын

    精神科医なのに、面白い😅

  • @hanamatsuri124
    @hanamatsuri12411 ай бұрын

    最近は死因を公表しないケースもありますね。まだお若いと自死と憶測されますね…

  • @momimomi2465
    @momimomi246511 ай бұрын

    全ては、良し悪し👌知らんけど❗️ どちらかに偏れば、生きやすい。生き辛さ。 バランスとれる人とれない人。 知らんけどの中にも、否定、肯定があります。 長文ごめんなさい。それと感謝です‼️

  • @Hiedano_Are
    @Hiedano_Are10 ай бұрын

    芸能人を志すんなら古今亭志ん生の落語聴いて芸事の厳しさ難しさ面白さをしってから 始めればいいのに 中村仲蔵の話は芸事の難しさがテーマだったりする 神田伯山の中村仲蔵を聴いたら解釈を間違っていて間抜けだったどうでもいいけど 芸事には型が必須で この型を習得すると次は型と飽きのジレンマとの戦いが始まる 世阿弥の「初心忘れべからず」は型と飽きのジレンマの対処法のことを言ってるんだと 勝手に思ってる 昭和30年代くらいまでは師弟関係が存在してそこでタレント育成をしていたが この師弟関係がなくなり その代わりを大学教育に落とし込まなければいけないのに日本はこの作業に失敗してタレントを養成出来なくなった アメリカや韓国のシステムをパクってくればいいだけなのに人材がいないのかな

  • @user-lf2bq2cf6y
    @user-lf2bq2cf6y10 ай бұрын

    「みんなの税金で」税金でないような。 国のお金で、ならしっくりきます。 税の勉強をしてほしいです。

  • @yukam3440
    @yukam344010 ай бұрын

    よく「あなたの大切な命を〜」と言われるけれども、人(他人)と関わる時点で、あなた「だけ」のものではないんだよね。

  • @user-kv6uo1wo7r
    @user-kv6uo1wo7r10 ай бұрын

    命は自分のものではない。それは分かりますが、うつが悪化して気力がなくなってくると、生きてる価値があるのかな?と考え、私が死んでも誰も悲しまないし、いい歳だしもう死のうかなと最近考えています。先が見えません。

  • @user-vk9tn3nu1r

    @user-vk9tn3nu1r

    10 ай бұрын

    生きてくださいね、いっしょに私も。

  • @user-oi7qz6xx7x
    @user-oi7qz6xx7x10 ай бұрын

    推しの子って益田先生が元ネタなんか?笑

  • @kazuto4609
    @kazuto460910 ай бұрын

    不安や脅迫、圧迫感で自死を希望してしまうのは残念です。

  • @user-oi7qz6xx7x
    @user-oi7qz6xx7x10 ай бұрын

    女房を質に入れても?

  • @user-tj9io8sf7p
    @user-tj9io8sf7p11 ай бұрын

    医師だから医学的な話でしょう。 脳🧠を核医学診断を織り交ぜての科学的な観点から説明してほしい。

  • @Mio-San_
    @Mio-San_10 ай бұрын

    何世紀経とうと、命は神のものですよ。 主よ、命の価値と生きる意味を与え我々を救ってくれた事に感謝の祈りを捧げます。

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