沖縄県議選まで1か月 玉城県政2期目の中間評価の位置づけも

沖縄県では1か月後の6月16日に県議会議員選挙が予定されている。玉城デニー県政の中間評価とも位置づけられ、今後の県政運営に大きく影響する。
沖縄県議会議員選挙は投開票日まで残り1か月。県内には13の選挙区があり、議員定数は48だが、今月開催された立候補予定者説明会に出席したのは72陣営。熱戦が予想されている。
2024年5月16日(木)

Пікірлер: 9

  • @user-fp3hy5bx7l
    @user-fp3hy5bx7l2 ай бұрын

    親中の玉城知事は全く支持出来ません!

  • @user-to2vc4bf3f
    @user-to2vc4bf3f3 ай бұрын

    自民党には絶対に投票しない

  • @user-or5fu6uq9t
    @user-or5fu6uq9t2 ай бұрын

    沖縄の日本復帰が最大の争点となった1968年11月10日の第1回行政主席通常選挙(沖縄初の主席選挙)は「沖縄の日本復帰」を主張した屋良朝苗氏と「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張した西銘順治氏による事実上の一騎打ちとなった。 西銘氏は「いま沖縄が日本に復帰したら昔のように芋と裸足の生活になる」「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張して沖縄の日本復帰を主張していた屋良氏を痛烈に批判していた。 その当時、沖縄の有権者のほとんどが日本復帰を望んでいたなら沖縄の日本復帰を主張していた屋良氏がダブルスコアどころかトリプルスコアで大勝していたはずである。 ところが選挙の結果を見ると屋良氏が獲得した票数は23万7000票余りで、当時の沖縄の有権者数の46%にすぎず半数にも満たなかった。 一方、「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張して屋良氏を痛烈に批判した西銘氏は20万6000票余りを獲得した。 屋良氏と西銘氏の得票率を見ると54対46で、この結果が証明しているように、当時の沖縄は日本復帰に反対する人たちが相当数いたことが分かる。 だから本土の右派系論者たちが言っている「沖縄の人たちはみんな日本復帰を望んでいた」というのは事実と異なる。 「沖縄の日本復帰」を主張した屋良氏は共産党と社会党を中心とする革新勢力が応援していたが、その屋良氏を痛烈に批判して「沖縄の日本復帰は時期尚早」と主張した西銘氏を全力で応援したのは自民党だったというのは実に皮肉なものである。 @沖縄県那覇市首里 沖縄近現代史研究家

  • @user-to2vc4bf3f
    @user-to2vc4bf3f3 ай бұрын

    玉城与党過半数維持が良い!

  • @9upauto943
    @9upauto9433 ай бұрын

    はい交代

  • @user-to2vc4bf3f
    @user-to2vc4bf3f3 ай бұрын

    玉城知事頑張れ!

  • @user-yn7bn9in9x
    @user-yn7bn9in9x3 ай бұрын

    元民主党のタレント議員の マタンキデニーが知事とか😂

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