乗車券 昭和15年制作

Ғылым және технология

昭和15年(1940年)制作

Пікірлер: 416

  • @user-mr2qu2nc5l
    @user-mr2qu2nc5l9 ай бұрын

    オモチャの切符セットなんてあったな。切符とパンチがセットになっていて、切符がなくなると広告紙とかかたっぱしに穴開けてた。凄い貴重なフィルムでした。

  • @TheNews24
    @TheNews243 жыл бұрын

    ナレーションは竹脇昌作、俳優・竹脇無我のお父さんです。ここでも「竹脇調」とよばれた独特の名調子が、モノクロの映像に映えています。

  • @nobutarou192
    @nobutarou192 Жыл бұрын

    働いている人は明治生まれか。親世代は江戸時代生まれ。感慨深いな。

  • @NA6CE146

    @NA6CE146

    Жыл бұрын

    そう考えると映っている方で、御存命の方はいないでしょうね…

  • @Momonga_japane

    @Momonga_japane

    Жыл бұрын

    親が江戸時代に産まれたとか、なんだか凄いですね😳 今の団塊世代が世代交代していけば、いずれ昭和生まれの親もいなくなっていくんですねぇ... ちなみ祖母は昭和2年生まれ。生きていたら8回目の年女を迎える年でした。 この動画の時代だと祖母は10代。 いずれKZreadのコメント欄も50年前のコメントで溢れる時代がくるんですね。

  • @nobutarou192

    @nobutarou192

    Жыл бұрын

    もっと言うと働いている世代の祖父は坂本龍馬とかと同世代やな。

  • @user-et9vj6re3e

    @user-et9vj6re3e

    Жыл бұрын

    働昭和14~15年だったら、働いている若い女性は大正生まれですね。

  • @user-ug8dm2we2u

    @user-ug8dm2we2u

    9 ай бұрын

    大正消されてんなぁ。十年てでかいで

  • @2011yosshi
    @2011yosshi Жыл бұрын

    使用済みの乗車券を回収して、発行駅ごとに分類して集計するなどしていたのか。気の遠くなるような作業だ。そして、計算はどんどん読み上げる数字を皆でそろばんでやっているところなどは壮観だ。 戦争が始まる1年前だが、やはり戦争前の日本は豊かだったんだな。映像の中の人々もだし、こういう映画が作られること自体も。それから、女性の働く姿もたくさん出てくるし、女性もしっかりと活躍していたんだね。戦中と戦後すぐは貧しかったけど、それ以外は良い時代だったのだと思うね。

  • @CasDebrisY
    @CasDebrisY Жыл бұрын

    戦前も今と変わらないような人々の日常が存在していたんだね。乗車券はきちんとリサイクルして再生していたんだね。凄い。

  • @Kappa-Lub

    @Kappa-Lub

    Жыл бұрын

    にほんじんの性根というか基本的な部分は変わってないと思う。

  • @inari-yebisu

    @inari-yebisu

    10 ай бұрын

    紙のリサイクルは江戸時代にはありました。 くず紙を買い取る人がまわってきて、割と質の悪い紙に再生されました

  • @macsy1955
    @macsy19559 ай бұрын

    駅で一枚一枚ハサミを入れてもらっていた切符を使っていた時期が懐かしいですね。窓口で売る人もハサミを入れる人も職人技が光っていました。

  • @flyingmashroom
    @flyingmashroom Жыл бұрын

    少なくとも1980年頃まではこういう切符が使われていた。切符を買う際あのホルダーから切符を取り出し日付印をスタンプする光景をよく覚えています。

  • @Runako_ny

    @Runako_ny

    9 ай бұрын

    バリバリの平成生まれですが、切符を駅員さんに見せて、パンチみたいなので穴開けてもらうのが、小さい頃の謎の憧れで夢でした。(「かっこいい!」って思ってた)

  • @osarasan
    @osarasan Жыл бұрын

    1980年代、子供のころ田舎の駅で厚紙切符を取り出して渡す駅員さんとかまだ居たなぁ…それももう40年前なのか

  • @user-ox7el6ti3u
    @user-ox7el6ti3u9 ай бұрын

    昔の人はきちんと背筋を伸ばして歩いてたのがわかりますね。

  • @asumikana5649
    @asumikana56499 ай бұрын

    昭和10年代で、コンクリートのビルとか自動車とか、結構あったんですね。 あと切符もこの時代からリサイクルされていたなんて、びっくりです。 このシリーズ大好きです。これからも楽しみにしています♪

  • @user-bl3vz7vy8h
    @user-bl3vz7vy8h2 жыл бұрын

    すごい😆⤴️旅客の実態をこんな膨大な作業で把握していたとは❗

  • @hirloh6620
    @hirloh6620 Жыл бұрын

    省鉄(省線)(戦前あった鉄道省)の時代ですね。 (省鉄(JGR)→国鉄(JNR)→JR) 祖父がよく「戦前山手線は焦茶色で6両の電車が6分毎に来る路線だったんだぞ。大正時代から自動ドア採用されていたんだぞ。」とか、「東京駅から東海道線で、朝8時台発の普通姫路行きに乗って旅行に行ったんだぞ。」とか、「電化区間が沼津までだったから、沼津で電車から汽車に乗り換える。乗り換え待ち時間で弁当を買う。それまで東京駅から『沼津食わずでいる。』」等、色々自慢話を聞かされた思い出あり。

  • @u4ss785

    @u4ss785

    Жыл бұрын

    「沼津食わず」  今も昔も親父ギャグは健在。

  • @Fuldanuki

    @Fuldanuki

    Жыл бұрын

    省線の前は院線と言っていた。

  • @user-pt2ei4zw3e

    @user-pt2ei4zw3e

    Жыл бұрын

    すごい!! とても貴重な話ありがとうございます😊

  • @user-tz5fs6bm2y

    @user-tz5fs6bm2y

    Жыл бұрын

    エエな。ロマンあるな

  • @whiteriot

    @whiteriot

    Жыл бұрын

    それで沼津には桃中軒があるのか

  • @horrormattersawyou
    @horrormattersawyou Жыл бұрын

    10:49-10:50 画面左側の行先掲示、現代の感覚からしても違和感が無い。素晴らしい。

  • @user-ep8hh5zc3u
    @user-ep8hh5zc3u Жыл бұрын

    こんな戦前の貴重な映像が残っていたんだ。統計局には機械式の電動計算機はあるが主流は算盤、ほとんど手作業で印刷から配送、回収、統計までやっていたんだ。感動。

  • @nnorio1251

    @nnorio1251

    9 ай бұрын

    使った後の乗車券まで手計算していたなんてすごい

  • @NT-zf8dx

    @NT-zf8dx

    9 ай бұрын

    在りし日のモンロー計算機ですねえ

  • @user-wm4gh4ws4e
    @user-wm4gh4ws4e Жыл бұрын

    10:37 今はSuicaやPasmoを改札口にてピッとする時代なので、昭和15年頃の駅の事務所にて切符を取り出す場所が懐かしいです🎫🚆。

  • @nightingalesw
    @nightingalesw9 ай бұрын

    かつての国鉄はエリート企業だったんだな。膨大な乗車実績の情報を収集分析して運行計画を作る点では日本一の情報企業だったのかもしれない。

  • @amadeus2321

    @amadeus2321

    9 ай бұрын

    企業なのかな…🤔 日本国有鉄道,の略よね?

  • @user-pg8rt9ru2u

    @user-pg8rt9ru2u

    9 ай бұрын

    この時国鉄ないけどね

  • @えちぜんや

    @えちぜんや

    6 ай бұрын

    ただ殿様組織であったことは間違いなく、今のJRもそういう体質があったり・・・。

  • @user-we3nz4yq2o

    @user-we3nz4yq2o

    2 ай бұрын

    このときは鉄道省よ

  • @kg6156

    @kg6156

    2 ай бұрын

    省線が走っていた。いまのE電

  • @user-iv6mo3jz6e
    @user-iv6mo3jz6e Жыл бұрын

    昔のこのような映像を見ると、あの戦争がなく発展した日本の姿はどんなかっただろうかと想像してしまう🎌

  • @user-vq9zl3xq7d

    @user-vq9zl3xq7d

    Жыл бұрын

    それな

  • @harunazuna8094

    @harunazuna8094

    Жыл бұрын

    今の北朝鮮じゃない? 軍部が政権握ると碌でも無い結果が待ってますね。

  • @user-jk9wg7ry5m

    @user-jk9wg7ry5m

    Жыл бұрын

    戦争があり、完膚なきまでにボロボロになったからこその発展も多くあるのでどう転んだかは神のみぞ知るですね

  • @yazakiyazaki161

    @yazakiyazaki161

    Жыл бұрын

    同じような感じでしょうな

  • @inari-yebisu

    @inari-yebisu

    Жыл бұрын

    戦争が無くても世界情勢には左右されますが、一つ容易に想像出来るとしたら、今の韓国みたいに「貧富の差が激しい世の中」「貧困から抜け出すためには外国で一旗揚げるしかない時代」になっていたことでしょう。(戦前のハワイやブラジル移民もそのような層が多い)

  • @user-vw2jw4zk8t
    @user-vw2jw4zk8t Жыл бұрын

    超アナログ時代のこの映像に映り込んだ人々で、幸運にも戦火を生き延びた内の多くの人は、25年後の新幹線も体験した事を考えると鉄道の進歩は凄まじいものがあると思わざるを得ない…

  • @suzaku1218

    @suzaku1218

    9 ай бұрын

    今から25年前というと…… 北陸新幹線や秋田新幹線が開業した頃でしょうか…… 列車廃止や廃線ばっかで逆に衰退してるなぁ……

  • @3help

    @3help

    Ай бұрын

    @@suzaku1218日本が衰退してるからねぇ 地方はボロボロでも首都圏や近畿圏は新線開業も多いな

  • @user-vu3sz9ev8g
    @user-vu3sz9ev8g Жыл бұрын

    私の幼児の頃は、市バスは車掌さんが乗っていて、その人から母親は切符を買っていた。 電車は切符売り場で硬い切符を買っていた。 でも小学生に上がる頃には、自販機で買うようになり、気が付くと自動改札になってた。大阪の話です。

  • @ikaodori05
    @ikaodori05 Жыл бұрын

    節々に挿入される次に待っている業務の説明書き、きっぷを模した枠になってるのもさることながら それぞれ鋏の形が異なっていて、そういう遊び心になんというか癒されました😄

  • @user-cy7xk6re8n
    @user-cy7xk6re8n Жыл бұрын

    昭和15年、映像にある列車、駅、乗務員、乗客…無事、戦後を迎えられたことを祈りつつ拝見しました。 昭和50年代はまだ硬券がたくさん残っていて、アルバイトした駅では改札さんから毎日麻袋で2~3袋回収した切符が出てました。 自販機も増えてきた時代でしたが、窓口で硬券を買うのは遠出の時でワクワクしながら購入したものです。 券裏に赤鉛筆線が入っているのはその日最初の発売だったと知ってからは、それに当たるとわけもなく嬉しかったな。

  • @kazuhirosakamoto3115

    @kazuhirosakamoto3115

    Жыл бұрын

    元都営地下鉄の駅員です。平成時代ですが硬券は振替輸送用で使用していました。 私が勤務していた頃が、切符にハサミを入れる最後の方でした。

  • @user-cy7xk6re8n

    @user-cy7xk6re8n

    Жыл бұрын

    @@kazuhirosakamoto3115 様、本職の方から返信いただき恐縮、かつ光栄です。 私はホームでの通対業務で、欠員があったときたまに改札の応援をしました。国電区間は軟券で、雨の日は切符が濡れて慣れない者にとって切りにくくたまに破ってしまうこともありました。北海道のローカル駅で、助役さんが入鋏しながら「右下に入鋏が正式」と教えてくださいました。

  • @kazuhirosakamoto3115

    @kazuhirosakamoto3115

    Жыл бұрын

    ​@@user-cy7xk6re8n さんへ。 私が勤務していた頃もかなり薄いものでした。 そういえば右下に入鋏をしていましたね。切符を受け取った時の向きによりますが。 お客さんの中には角へ入鋏すると喜ぶ方が多かったですね。

  • @user-cy7xk6re8n

    @user-cy7xk6re8n

    Жыл бұрын

    @@kazuhirosakamoto3115 様、渡し~受け取りの動作が面倒なのか、「持たせ切り」を求めるお客様がいて(切符を手放さない)、そうすると短い辺を切ることに。

  • @kazuhirosakamoto3115

    @kazuhirosakamoto3115

    Жыл бұрын

    @@user-cy7xk6re8n さんへ。 ありましたね。でも小さいお子さんのは必ず受け取ってから入鋏してました。事故が怖いので。 ラッチの位置や向きの変化に対応すべく、両手で鋏を入れられるように訓練しましたよ。左右の手で切れる人は、ほとんどいませんでした。

  • @heat_iceman
    @heat_iceman9 ай бұрын

    機械が今より発達していないですがその分人間が機械以上に効率的に無駄なく動けるように適応しているのがいいですよね。 まさに仕事をしているというかみんな職人さんですよね😊

  • @user-zc3zk7nv5l
    @user-zc3zk7nv5l9 ай бұрын

    懐かしいなー まさにこの当時出勤時はこういう感じの雰囲気でした。 今じゃ通勤にはモバイルSuicaで事足りるし何とも便利になった!

  • @user-qn5hp2fn4x

    @user-qn5hp2fn4x

    9 ай бұрын

    あんたいくつや…?

  • @panda-ck7pb
    @panda-ck7pb Жыл бұрын

    凄い貴重な映像ですね、ありがとうございます。戦前の様子が良くわかります。急に近く感じました

  • @user-mr2nm8cp2h
    @user-mr2nm8cp2h9 ай бұрын

    13:04 この時代でも1分単位で到着時刻を管理してたことに驚き

  • @permanentlyban

    @permanentlyban

    2 ай бұрын

    オークションに出てる国鉄時代の運転士の運行表を見る限り15秒単位で管理されてますね、 ちなみに、鉄道開業後30年は遅延が頻繁に起きてたようですが1900年から厳しくなったらしいです、国鉄最後の15年間の平均遅延時間は3分だったらしいです。

  • @Haruki_TM_Kumo
    @Haruki_TM_Kumo Жыл бұрын

    ズラリと並ぶ券箱からサッと引き出され、スッとダッチングに通される切符 80年近く前の映像ですが、窓口の様子は今と変わらないんですね

  • @acidspicer

    @acidspicer

    Жыл бұрын

    自分が住んでいた地域では、国鉄からJRになってもしばらくは同じ窓口や改札の様子でしたね。 そこから10年程して自動発券システムが導入され、現在では無人駅になり、自動券売機のみになり… 時代の移り変わりとはいえ、寂しい気持ちになりますね。

  • @user-jx7qd4oe2q
    @user-jx7qd4oe2q Жыл бұрын

    昭和30年代の会社などで働いている方の映像などは、見た事あるが、戦前のこのような映像は、初めて見ました。ありがとうございます。

  • @user-id1yu7vm4p
    @user-id1yu7vm4p Жыл бұрын

    10:50の発車標だけど、発光式になってるんだな。 ここまで先進的なのは初めて見た。

  • @MedakaNoBoo
    @MedakaNoBoo9 ай бұрын

    券売場の雰囲気がどこか懐かしい

  • @kawakenda4
    @kawakenda4 Жыл бұрын

    UP主がどうやってこれら大量の貴重映像を集めたのか気になる。 記録状態もとても素晴らしいし、是非是非資料として後世に残して欲しい。

  • @celica4945

    @celica4945

    Жыл бұрын

    >>かわけん さん 初めまして、おそらくだけど、ご実家とか整理していてフィルムが見つかり、それをAD化するだけなら現在のハード・ソフト環境ならPCに詳しくなくてもUPは容易だけど(当方の動画みたいに)、ここまで映像・音声共にキレイってことは相当保管状態が良かったか、 UP主さん自身、相当な修復技術を研究されてるか、その筋の職人さんと見受けました。

  • @user-ni2zv3pc2v

    @user-ni2zv3pc2v

    9 ай бұрын

    こういう映像って意外とVHSやDVDとかになってたりする もしくはNHKでやってて録画したとか

  • @user-ni2zv3pc2v

    @user-ni2zv3pc2v

    9 ай бұрын

    @@celica4945 修復されてるやつをアップしてるだけじゃないかな

  • @ojsjm39678

    @ojsjm39678

    6 ай бұрын

    ニコニコからの転載だよ(笑)

  • @klaatubaradanikuto7195
    @klaatubaradanikuto7195 Жыл бұрын

    昭和15年。大戦が始まって1年目の頃なんだけど。この映像は本当に昭和15年なのか? 昭和25年の間違いじゃないの?、と思い調べてみたけど 間違いなく、1940年、昭和15年の制作でした。自画自賛するつもりは無いが、戦争で疲弊する前の日本は、当時でこれだけのレベルだったのか。 各種の統計を取ってるシーンに、昔のレジみたいだけど「計算機」?、「集計機」?の様な物があるけど? この頃にはもうあったんだ。スゲー。 現代の自分達は、知らなかったとはいえ「昔」を「遅れてた時代」と思い過ぎだな。

  • @user-iv6mo3jz6e

    @user-iv6mo3jz6e

    Жыл бұрын

    戦争の始まる一年前ですね

  • @ytake2048

    @ytake2048

    Жыл бұрын

    機械式計算機ですかね。 軍艦などには弾道計算のための計算機が搭載されていたのは知っていましたが、軍事機密だと思っていたので民用で使われていたのは初めて知りました。 電子計算機はこの数年後に暗号解読や科学技術計算などのためにイギリスが初めて作りました。 現在のコンピューターの始祖とも言うべき、いわゆるプログラム内蔵型コンピューターが登場するのは1949年になってからです。

  • @klaatubaradanikuto7195

    @klaatubaradanikuto7195

    Жыл бұрын

    @@user-iv6mo3jz6e 「第二次世界大戦は、1939年(昭和14年)から1945年(昭和20年)までの6年余りにわたって続いたイギリス、フランス、ソ連、アメリカ、中華民国などの連合国陣営と日本、ドイツ、イタリアなどの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営との間で戦われた戦争」by Wiki、とあるんですけど? 私が言う大戦とはこの事です。

  • @user-iv6mo3jz6e

    @user-iv6mo3jz6e

    Жыл бұрын

    @@klaatubaradanikuto7195 日本の立場だと大東亜戦争の一年前ですね

  • @klaatubaradanikuto7195

    @klaatubaradanikuto7195

    Жыл бұрын

    @@ytake2048  ノイマン型ですね。プログラム内蔵方式の報告書にチューリング等、他の関係者の名が無かったから、ノイマン一人の名が残った奴ですよね。プログラム内蔵方式の理論はアラン・チューリングの方が早かったのに。

  • @yusuke7108
    @yusuke71082 жыл бұрын

    戦前の映像だけど今と変わらないこともある。 12:05あたりに映ってる制限解除の標識とか。

  • @user-id9ql7pm4q
    @user-id9ql7pm4q Жыл бұрын

    つい80年代位までは、毎日送られてくる日報を確認してダイヤを捌いていました。東京圏でさえ集中的に運行管理はされていませんでしたし、列車無線さえ完全艤装されていませんでした。現在は東京圏と周辺は計算機のオバケのような装置とデジタル無線で総合管理されていて乗車券の販売と共にスゴイ進化ですね。

  • @u2usokendo949

    @u2usokendo949

    Жыл бұрын

    今の巨大分散システムやそれをまとめるコンピュータアルゴリズムは、先人の創意工夫に基づいて組まれています。 そしてそのシステムの創意工夫は今でも続いてるでしょう。

  • @rmjtajpdjwj

    @rmjtajpdjwj

    9 ай бұрын

    計算機のオバケwたしかにそうだわ

  • @MACHAGORO999
    @MACHAGORO999 Жыл бұрын

    乗車券がこうやって印刷されていた時期があったというのをはじめて知りました。今は券売機で刷られますが、本当に貴重な映像ありがとうございます。 何重にもチェックするのが、かなり細かくて大変だったんですね。 ちなみにこの年は王貞治さんや板東英二が生まれた年であるというのも…

  • @user-kc2in8mk2r
    @user-kc2in8mk2r Жыл бұрын

    10数年前の某JRでの経験ですが、マルス券や券売機券が主流となった現代でも「審査」という部署がちゃんとあって、大量の乗車券を麻袋に入れて決まった列車で託送してました。ここにあるように駅での仕分けはせず、全ての券種ごちゃ混ぜで発送してましたから、流石に全部「審査」してたわけではないでしょうが。 今でも上信電鉄などでは硬券が主力。鉄道創業からのシステムがいまだに現役でいるのも、このシステムが完成度の高いことを物語っているのでしょう。

  • @inari-yebisu

    @inari-yebisu

    Жыл бұрын

    磁気券なら自動読み取り機があったのかもしれません。 袋ごとに着駅は分かっているので、発駅と運賃の整合性を調べたのかも。(サンプル調査だとは思います)

  • @user-rr4fu2pp8d
    @user-rr4fu2pp8d Жыл бұрын

    大裁ちする機械の音が現代音楽のパーカッションみたいで好き

  • @kachidoki0922

    @kachidoki0922

    Жыл бұрын

    ビートを刻んでる

  • @sawayaka_sawaday

    @sawayaka_sawaday

    9 ай бұрын

    ろっくゆー!

  • @wakuyasu
    @wakuyasu9 ай бұрын

    令和のいま、この工程を全てやるとそうなるのかなと考えてみました。間違えなく無理かな。切符のために、こんなに大勢の人が雇用され、それぞれ細かな役割があり、生活が成り立っていたんでしょうね。脱帽です。

  • @user-pf6dr2pd5g
    @user-pf6dr2pd5g Жыл бұрын

    自動改札機の技術も凄いけど、昔のマンパワーはもっと凄かったんだなって思った

  • @user-tn4or2jq3z

    @user-tn4or2jq3z

    9 ай бұрын

    労働人数が爆発的に増えた時代だからできた。もちろん労働基準や安全管理をおざなりにしての高度経済発展

  • @user-dg4rv4ui9d
    @user-dg4rv4ui9d7 ай бұрын

    硬券懐かしいなぁ、今は記念キップでしかお目にかかれんな。

  • @ishiguro0717
    @ishiguro07172 жыл бұрын

    駅の売上額と使用済切符の突き合せ審査ヤベェ!

  • @tsubossie

    @tsubossie

    2 жыл бұрын

    買わずに持ち帰る者は必ず0人以上いるから、売上額≧切符の合計になるはず。

  • @user-gk2so6gi1n

    @user-gk2so6gi1n

    Жыл бұрын

    実際適当にやってそう

  • @user-qz2dq8xj9e

    @user-qz2dq8xj9e

    Жыл бұрын

    新幹線不正乗車の案件が解決した事実があります

  • @bo-sukesan

    @bo-sukesan

    Жыл бұрын

    記念に持って帰れんて事か‥ きっぷ鉄には辛い

  • @sayonara_shinkeisei

    @sayonara_shinkeisei

    Жыл бұрын

    @@bo-sukesan 普通に買って使わんで持って帰ればええやんけ

  • @user-pz7ul2zy1y
    @user-pz7ul2zy1y Жыл бұрын

    この時からわずか5年後、日本が焼け野原になるなんて、誰一人思ってないんだろうな。 平和が一番だ。

  • @user-yz1gl8ug6b

    @user-yz1gl8ug6b

    Жыл бұрын

    正確には9年かな

  • @olo1156
    @olo11569 ай бұрын

    3:11〜3:37このシーンとても音楽的なリズムで裁断されるんです。感動

  • @user-yo1pp2dt8o
    @user-yo1pp2dt8o5 ай бұрын

    精密な機械やなぁ……リサイクルもしてたなんて凄い技術やなぁ。

  • @user-oo9st4nh8k
    @user-oo9st4nh8k3 жыл бұрын

    80歳の親が一歳のときの映像❔はじめて見ます‼️

  • @user-kn6rn2rl8u
    @user-kn6rn2rl8u9 ай бұрын

    3:22 当時としては前衛的なビートを刻むBGMだなぁと感心してたら紙切る音でワロタ

  • @user-wc5co3qi8c
    @user-wc5co3qi8c9 ай бұрын

    この動画内に出てきた人たち 今は夜空に輝くお星様になったのです⭐️

  • @user-br1yz8wf9y
    @user-br1yz8wf9y Жыл бұрын

    子供の頃は自動発券機なんてなかったから、窓口でこうだったなあ。

  • @user-tg1hq4ko5d
    @user-tg1hq4ko5d Жыл бұрын

    これに映ってる人たちが今の自動改札機やICカードを見たらどんな顔をするだろうか?

  • @wachich
    @wachich2 ай бұрын

    乗車券印刷工場で乗車券の原型を作ってる時の音好き。

  • @HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun

    @HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun

    2 ай бұрын

    歌いたくなる♬♪

  • @shiGeru4213
    @shiGeru42139 ай бұрын

    7:36 すげぇな、手先が器用だ

  • @hai3216
    @hai3216 Жыл бұрын

    (2022年8月31日投稿) 米国との開戦が、1941年(昭和16年)12月8日でしたから、開戦の前の年の作品、ということになるのでしょうか。街行く人の姿も、開戦前の姿ということになるのでしょう(街行く人の格好も(服装も)、開戦後では、変わったんでしょうね。)。(終戦は、1945年(昭和20年)8月15日でしたね。) 映画に映っている人達の中にも、赤紙を受け取られて、出征されて行かれた方も、おられたのでしょうか。 街の映像も開戦前の映像ですね。 この時代は、まだ、貨物輸送の主力は、鉄路であったのでしょうね。

  • @user-ql4gj9ey8r

    @user-ql4gj9ey8r

    9 ай бұрын

    大陸だともう戦争してましたからね、赤紙で言えばもうこの頃からでしょう。しかし戦争しているとは思えない暮らしぶりだなと思います。

  • @pioxxx20
    @pioxxx209 ай бұрын

    すべてアナログで人力に頼っていたんだと考えると雇用も現代よりたくさんあったんだろうな… 感慨深くなってしまう…

  • @Fujitani

    @Fujitani

    5 ай бұрын

    今のSuicaで「ピピッ」で終わる音の裏にはこういった苦労と沢山の人手を掛けていた歴史が積み重なっているんですね。先人たちの苦労に感謝です。

  • @okojyo44
    @okojyo44 Жыл бұрын

    昭和40年代中頃位迄は硬券が殆どだと思ったけど。其れと改札係の駅員さんが暇だと暇つぶしに改札鋏をクルクル回したりカチカチ音を立ててのを思い出しますね、

  • @inari-yebisu

    @inari-yebisu

    Жыл бұрын

    JRが自動改札導入に踏み切ったきっかけのひとつが、改札口の駅員さんの労働条件の悪さだったと聞きます。

  • @user-yz8is6qd3d
    @user-yz8is6qd3d9 ай бұрын

    凄い😊貴重な資料ですね😊良き動画を拝見できました✨ありがとうございます

  • @user-zz7ly7oh3i
    @user-zz7ly7oh3i Жыл бұрын

    券紙をただひたすら横の台に移すだけの作業 5分と耐えられる気がしない

  • @user-bk6rs2js4d
    @user-bk6rs2js4d Жыл бұрын

    この当時、既に日本の鉄道運行管理は、世界レベルに達していたのですね 当時の機械工業レベルも考えると、此れは大変高等な技術です

  • @xapaga1
    @xapaga1 Жыл бұрын

    3:03 「先ず板紙にJGR 鐵道省の組み合はせ字模樣が刷り込まれます。」とあり、この時代はJapanese Government Railways =直訳「日本國政府鐵道」、通常日本語「鐵道省」だったことが分かる。戦後にはJNR = Japanese National Railways =「日本国有鉄道」、通称「国鉄」と成った。国鉄スワローズという野球の球団を有していた。国鉄民営化後はJR (Japan Railways) グループである。

  • @wagahaisairin
    @wagahaisairin9 ай бұрын

    まさか80年後になって自分たちが見たこともない機械で見られてるなんて思いもしないだろうね

  • @Nobo-ri5yl
    @Nobo-ri5yl9 ай бұрын

    国鉄~私鉄~駅の窓口~子供一枚硬券キップ購入しました。懐かしいですね~

  • @00yorkshire36
    @00yorkshire36 Жыл бұрын

    昭和15年か もうここに映ってる人の 大半はこの世にいないんだな

  • @bustersdqn1107

    @bustersdqn1107

    Жыл бұрын

    昭和15年は1940年。 写っている人は成人(18歳以上)していると考えたら、現在最低でも100歳です。 もしもこの映像を「懐かしい」といえる人がいたら、長寿と言えますね。

  • @tomonaka6611

    @tomonaka6611

    Жыл бұрын

    この時幼児とかだと今80歳代だね。この映像に映る成人でも、まもなく戦争で死んだ人もいるんだろうな・・

  • @Su----

    @Su----

    Жыл бұрын

    列車内で検札を受けているおばあちゃんは、たぶん江戸時代生まれ!

  • @douga9996

    @douga9996

    Жыл бұрын

    @@tomonaka6611 天皇制政府によって犬死にさせられました。

  • @user-jv2zl5yz3o

    @user-jv2zl5yz3o

    9 ай бұрын

    @@Su----5年後の総理大臣も慶応生まれ。

  • @jp.claris
    @jp.claris Жыл бұрын

    硬券から磁気式の切符に切り替わった時は、券売機から出てくる切符にすごいなぁっと思いました。 そして職員による改札から、自動改札に変わった時も、あの大行列が無くなり、一瞬で不正を見抜く駅員さんの尊敬の姿も見れなくなった。 さらに東京で2001年頃にSUICAが導入されるとのことで、その駅に行った事も思い出です。 その時に作ったSUICAのカードを一回デポジットで返してしまったのが悔やまれます。その2年後位後に作った物は未だに使っています。

  • @NT-zf8dx

    @NT-zf8dx

    9 ай бұрын

    たぶんですけど、20年使ってたら中のチップがぶっ壊れて結局交換せざるを得なくなると思います。

  • @user-ln7gv2bx8v

    @user-ln7gv2bx8v

    9 ай бұрын

    ​@@NT-zf8dxウチのSuicaは20年近く使ってますが、まだまだ現役ですよ!

  • @ddvj

    @ddvj

    5 ай бұрын

    Suicaのペンギンが横向いてるイラストのやつですかね

  • @youtosaito1926
    @youtosaito1926 Жыл бұрын

    13:15新聞読んでて検札する時に新聞閉じて上の網棚のから切符を取り出す風景は現在でも変わりなく見れそうですね!

  • @GoruoOkutae
    @GoruoOkutae2 жыл бұрын

    ここに写ってるみんながもうこの世に居ない…感慨深い

  • @waza-waza

    @waza-waza

    Жыл бұрын

    そうなの?

  • @sunami808

    @sunami808

    Жыл бұрын

    @@waza-waza 様 赤ん坊でも80過ぎですよ。大人の方はほぼこの世には居ませんよ。この時代の老人は幕末生まれ

  • @waza-waza

    @waza-waza

    Жыл бұрын

    @@sunami808 みんな=全員かと思っていたのですが、必ずしもそうではないらしい🙇‍♂️

  • @gaikaomiru

    @gaikaomiru

    Жыл бұрын

    うちのオヤジ97はこの頃15歳だ(笑)

  • @PS5NORMAL

    @PS5NORMAL

    Жыл бұрын

    @@gaikaomiru すげえ!オヤジ元気でいてくれよ!

  • @akibon777
    @akibon7779 ай бұрын

    阪急沿線に住んでいましたが、1970年代前半の高校生の時には、紙の切符・定期券でした 大学生の時は、自動改札が普及し始め 会社員になり、東京に行くと手動改札だったのに驚きました

  • @akibon777

    @akibon777

    9 ай бұрын

    1970年後半でも、国鉄の駅には、何百種類もの切符がストックされ、結構ローカルな駅でも駅員さんはサッと切符を選んでくれ、大したものだなぁと感心しました

  • @toko5418
    @toko5418 Жыл бұрын

    はぁ〜 アナログ時代と言うか…人力時代って、全員が職人なのですね 凄い… 今、全部人力アナログでやったら交通インフラは麻痺して止まると思う…

  • @Mrs.Sentinel4126
    @Mrs.Sentinel41269 ай бұрын

    10:00〜 そうそうこれこれ。昔の窓口の風景といえばこれでしたねー。着駅ごとに切符が並べられていて「◯◯まで」と伝えて取り出して、10:09のダッチングマシンで日付するところもめちゃくちゃ懐かしい。

  • @beckyshigh
    @beckyshigh Жыл бұрын

    11:21 え!?当時のフィルム時代の映像の上に、更に映像をスポットライト演出で合成させるって、 メチャクチャ凄い! もう、当時から映像の合成技術ってあったのか!

  • @NT-zf8dx

    @NT-zf8dx

    9 ай бұрын

    現像した撮影フィルムに光を通して別のフィルムに当てて感光させて複製してたんだと思うので、その光を遮ったり重ねたりして編集してたんでしょうね。

  • @beckyshigh

    @beckyshigh

    9 ай бұрын

    @@NT-zf8dx へぇ~!フィルムの加工には、そんな特性を活かした編集技術があったんですね~! そうなると、時間も人手もコストも、相当掛かっていたのでしょうね~! 今では、クロマキー透過合成などの編集どころか、個人のズブの素人が、1人パソコンで編集ソフトを使って、テンプレを選んでクリック1つ1秒も掛かりませんからね。 この当時から見ると、相当に劇的な進化を遂げましたね!

  • @user-my8bz1pd2t
    @user-my8bz1pd2t9 ай бұрын

    高校の通学はSLでした。切符も分厚い。父親が製紙会社の現場で仕事してたので釜からの湯気、匂い、暖かさ。遊びに行った時の思い出します。平和がいいです。二度目の東京五輪、に会えた。 戦争が無いように頑張ってみようと思った。 人生100年時代です。1956年私が生まれた100年前は日米友好通商条約の年、100年後は 月旅行がはじめてるか。 時間は生きてます。

  • @user-tp8tx5uk6t
    @user-tp8tx5uk6t Жыл бұрын

    コメント何もありましたが、親世代が江戸時代生まれで働く子世代が明治生まれって考えるとこの時代で電車が走ってる事が凄いですよね。

  • @user-tc5xw7kp5n
    @user-tc5xw7kp5n2 жыл бұрын

    再利用されるという不正を防止するためという理由が一番だったのでしょうが、この時代にもうリサイクルの意識があったことがすごいと思います。 それにしても、一枚ずつ刷っていたとは、想像もしませんでした。大きな紙に何枚か刷って、切るのかと思ってました。

  • @tsubossie

    @tsubossie

    2 жыл бұрын

    ❌大きな紙→印刷→裁断 ⭕大きな紙→裁断→印刷

  • @hioki5303

    @hioki5303

    2 жыл бұрын

    リサイクルというか、単に貧しくてもったいない、と皆が思ってしまう時代だったと思う。 いいか悪いかは別にして、今は豊かになって費用削減の要求はあれど紙などいくらでも、且つ安く買えるから節約しようという意識が働かないのだと思う。 とはいえ、不要なところに資材を使わない、使えるならまた使う、という意識はいつでも大事かと。

  • @tobuttihegochin

    @tobuttihegochin

    Жыл бұрын

    鉄道関係無いですが、リサイクル自体は江戸時代にはやってたそうですよ。

  • @ef58-61tetu

    @ef58-61tetu

    Жыл бұрын

    この映像だと、裁断してから券面印刷してるけど、昭和40年代になると、東京印刷所では券面印刷してから裁断するという、いわゆる集中印刷券が登場してますね

  • @dodesyo1
    @dodesyo1 Жыл бұрын

    戦前の日本は先進国だな。硬券である理由がよくわかる。乗車券は貨幣と同じ価値 機械式電動計算機も導入されていたJGR統計局。ジェットエンジンで除雪をした時代。

  • @user-uj7zd2xp3y
    @user-uj7zd2xp3y Жыл бұрын

    この映像に映っている方々が現在どのような暮らしをなさっているのかとても興味深い。

  • @kazenoklonoa8236

    @kazenoklonoa8236

    Жыл бұрын

    映っている人の中に子供が見当たらなかったのでほぼ全員死んでるでしょ。 昭和元年生まれで96歳ですので、当時二十歳前後の人が辛うじて生きているかどうかですかね。

  • @user-cu5rn9hh4y

    @user-cu5rn9hh4y

    9 ай бұрын

    12:40 この場面に子供はいますので、この方ならもしかしてご存命かもしれませんね。 平均寿命的には厳しいですが。出演した事覚えてたら色々聞きたいですね。

  • @user-uz6pj1xk1f
    @user-uz6pj1xk1f Жыл бұрын

    現代の社会の風景は映像や写真に残るからいいやと思ってたけどこうやって見てみると映像だけじゃわからないことがいっぱいですね 実感がない

  • @user-ov9xh9ll8q
    @user-ov9xh9ll8q2 ай бұрын

    こういう動画は本当貴重ですなあ

  • @user-zs3wc5yt4y
    @user-zs3wc5yt4y8 ай бұрын

    懐かしいですね。当時は切符を買うだけでも一苦労でした。

  • @user-bk6rs2js4d
    @user-bk6rs2js4d Жыл бұрын

    東海道新幹線が開業しても、まだ座席指定管理は記録台帳と鉄道電話の併用かつ手書き作成だったのですよね 窓口は大混雑でパンクしても、列車はガラ空きのまま発車 しかも人間の手書きですから、誤発行も頻発 此れを解消するため、自動管理システムのマルスが開発され、様々な改良を重ねて現在に至ります

  • @u4ss785
    @u4ss785 Жыл бұрын

    幼い頃路線バス乗り場で硬券を買った記憶がある。 子供は小さくたくさん並んでいるものを欲しがるが、 例に漏れず私も親に全部集めたいと言って困らせた。 ほどなくして硬券はなくなり、今の整理券方式に。 全面に「ワンマン」の札が出ていたが、ワンマン= 怖い人のイメージだったので、どんな怖い運転手が いるのか気になって親に尋ねたなぁ。

  • @user-bk8ml1db9n

    @user-bk8ml1db9n

    Жыл бұрын

    2年程前に盛岡駅前のバスターミナルで県北バスの切符を買ったら硬券が出てきて驚きました

  • @user-uc8oe6gi5p
    @user-uc8oe6gi5p4 жыл бұрын

    これ大阪鉄道局管内で制作したのか?と思った。 ちょうど逆塗りになった流電が映っている

  • @user-le8fi9ze2l
    @user-le8fi9ze2l11 ай бұрын

    素晴らしいよく残してアップして頂きました。 切符の意味ってもう無くなるのは間違いない。さみしいけど。 切符を切ってもらうの嬉しかったな。

  • @user-gb6bz2gj7z
    @user-gb6bz2gj7z Жыл бұрын

    4:15麻雀上手そう

  • @user-uu8wr4sf4r
    @user-uu8wr4sf4r3 ай бұрын

    当時、鉄道省(のちに国鉄)の使用済みの乗車券が再生紙に…当時からリサイクル♻️されていた事実には驚きました‼️ 貴重な動画をありがとうございます。

  • @oka-p
    @oka-p Жыл бұрын

    まだまだ工業化が未発達だった時代だからしかたないけど、一つの作業に1人ついてたなんてね〜。

  • @longrun575
    @longrun5759 ай бұрын

    作る側としては新しい駅ができるたび「また?忙しいのに勘弁してよ~」ってなるだろうな。

  • @user-bx9ki2cq1x
    @user-bx9ki2cq1x12 күн бұрын

    東北地方の駅では1990年頃まで10:06からみたいに手動で切符を売っていたと親父から聞きました。大学進学で首都圏に出てきた時は自動改札を見てすごい驚いたと聞きました。

  • @user-xo2xf6eh6g
    @user-xo2xf6eh6g Жыл бұрын

    12:00〜の列車は、東京午前5時30分発大阪午後6時48分着の第27列車(普通列車)ですね。昭和15年1月の時刻表より。

  • @user-rz1pl3qm5u
    @user-rz1pl3qm5u Жыл бұрын

    ソフト帽のリボンに切符差し込むの、やってたわ、懐かしい。

  • @user-gp5bp2pn2i
    @user-gp5bp2pn2i9 ай бұрын

    現代人から見るとすべて手作業で非効率の極みに見える。非常に興味深い。

  • @user-zo8pn4tm6o
    @user-zo8pn4tm6o9 ай бұрын

    株屋に丁稚で入社した池波正太郎少年が月給もらい友達連れて銀座の資生堂で昼飯食べてた時代。みんなニコニコ楽しそう。皆すぐこの後焼け野原になるとは思いもしてない。戦争したらいけない事がよーくわかる。

  • @user-sj1qm3sj6h
    @user-sj1qm3sj6h Жыл бұрын

    僕の子供時代もこういう切符でした。どこどこ行きでしたね。 それが、金額表示になり、今はカード式

  • @user-nh5rs6co3x
    @user-nh5rs6co3x9 ай бұрын

    55年前、小学生の頃に「時刻表」が家にあった。なので切符の「ルール」などはかなり知っていた。高校生になり旅をするのに、「一筆書き」で乗車券を買うと安上がり・・。なのでメモ紙に書いて売り場へ。兄ちゃんが手書きの切符を作り、算盤で距離を求め、料金を言われた。わしとのが一致した時の喜びは。。、

  • @m9pugya
    @m9pugya Жыл бұрын

    7:02このリズムサンプリングして曲にしたい

  • @user-et4rd2dd5c
    @user-et4rd2dd5c2 жыл бұрын

    戦前の車掌言い方丁寧ですね

  • @nobusan_m

    @nobusan_m

    Жыл бұрын

    2等車だからだと思います。今の普通車である3等車では女性の一人旅は危険と言われていたそうです。大正生まれの父は、昔は船も汽車も2等以上でないと人間扱いされないと言っていました。

  • @user-bx9ki2cq1x

    @user-bx9ki2cq1x

    6 күн бұрын

    ​@@nobusan_m当時の長距離普通列車の三等車は現在でいうところの夜行バスみたいなかんじだったのですね😊

  • @2exeexe
    @2exeexe Жыл бұрын

    この僅か5年後に日本が敗戦で 鉄道も含めて壊滅するとは思わなかっただろうな

  • @PS5NORMAL

    @PS5NORMAL

    Жыл бұрын

    それは現代の俺たちにも言えるんやで…

  • @374barracuda
    @374barracuda9 ай бұрын

    太平洋戦争に突入する一年前ですね。大日本帝国は明治大正昭和初期で、ものすごい西欧化をしましたね。 切符の製造も大変でしたね。全てのパターンを用意しなきゃならなかったんだから。必要だからとはいえ、大変なご尽力でしたでしょう。

  • @makitakenaka3307
    @makitakenaka3307 Жыл бұрын

    看板や箱といったものに書かれてる文字は基本的に手書きだったはず。 どれも達筆でめっちゃカッコいい✨ 現在では使われない複雑で難しい漢字も重厚感があって素晴らしい👍 パソコンとかは現状維持でいいけど、手で書く時はこの難しい漢字で学んだ方がいいと思う。

  • @hh6029
    @hh60299 ай бұрын

    仕事のその殆どが人海戦術によって行われたことが良く分かります。昔からJRは赤字体質だったんですね。今は金額ベースですが昔は駅名ベース切符の発行してたんですね。

  • @yuusasa4283
    @yuusasa42832 ай бұрын

    動画中の硬券のデザインのテロップ 枠の鋏痕の形が全部違うのがオシャレ

  • @sanniichikei
    @sanniichikei Жыл бұрын

    お気づきだろうか、タイトルの右下の切り欠きが場面ごとに変わっていることに。

  • @youtosaito1926

    @youtosaito1926

    Жыл бұрын

    本当だ!全然気づかなかったwww

  • @user-lf4lx8br6c

    @user-lf4lx8br6c

    9 ай бұрын

    細かい遊び心ですよね。おしゃれ。

  • @inari-yebisu
    @inari-yebisu3 жыл бұрын

    当時は、東京-品川といった省線電車も窓口に並んで切符を買っていたのでしょうか。 今や、新幹線の指定席でもスマホで予約決済して、ICカードで改札を通過出来る時代。 当時、いや、私たちが子供の頃もそんな時代は想像出来なかった。

  • @user-hl3rx6wm4b

    @user-hl3rx6wm4b

    3 жыл бұрын

    当時はみんな窓口で購入していたようです。省線区間などの駅は近距離きっぷ売り場と長距離きっぷ売り場を分けていたようです。自動券売機はありませんでした。 今では想像できませんが「文字が読めない人」も一定数いたので、「どこそこ駅まで1枚」と口伝するほうが楽な人もいました。そのため、自動券売機の普及で駅の運賃表の駅名や数字が読めなくなって非常に困った人たちもいたそうです。

  • @KO-te7bo

    @KO-te7bo

    3 жыл бұрын

    @@user-hl3rx6wm4b 確か30年以上前はどこもかしこも帰省シーズンになると大行列でしたね。不便でした。

  • @sunami808

    @sunami808

    Жыл бұрын

    @@user-hl3rx6wm4b 様 どこぞの上海虹橋で地下鉄の乗り換えで大荷物持った田舎人民は有人窓口殺到。自販機で自分の前のバーさんは低額紙幣は使えませんと書いてあるのにシワだらけの札を捻じ込んでいるバーさんが居た。あーリアル文盲なんだと思った。仕方ないから切符買ってやった。

  • @y.kichijoji3508

    @y.kichijoji3508

    Жыл бұрын

    @@user-hl3rx6wm4b みどりの窓口じゃなきゃ困る人々は一定数いるようで 対話式券売機に文句をつける人がいます

  • @wahanui6098
    @wahanui60989 ай бұрын

    本当に便利な時代になったなあ

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