【BS11】偉人・敗北からの教訓「第49回 シリーズ秀吉③ 九州攻めと島津義久」2024年6月15日放送分見逃し配信

Ойын-сауық

3週連続で送るシリーズ秀吉に敗れた武将たち。第3回は、秀吉の九州攻めに屈した島津義久の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1533年、薩摩国に生まれた義久は24歳で家督を継ぐと、弟・義弘と共に先祖代々の悲願である薩摩・大隅・日向の三州統一を達成。九州全土の平定を目指し、動き出す。そして、北九州の大大名・大友宗麟に勝利し、目標達成まであと一歩と迫る。ところが、そこに豊臣秀吉が立ちはだかる。
秀吉は対立を続ける島津氏と大友氏に停戦を命じるが、義久は耳を貸さず、戦を続ける。すると、秀吉が大軍で九州への侵攻を開始。迎え撃つ義久は当初、善戦したものの、次々と押し寄せる敵になす術を失う。観念した義久は剃髪し、秀吉に降伏、臣従を申し入れた。九州の覇者・義久はなぜ、天下統一を目指し、邁進する秀吉に牙を剥いたのか?そして、善戦むなしく降伏せざるを得なかった理由とは?
秀吉に臣従した後、義久は敗戦をきっかけに台頭した反対勢力を抑えることに尽力し、豊臣政権を支えていく。関ヶ原の戦いでは西軍に与し、弟・義弘が武勇を示し、名を挙げる。そして、戦後、徳川家康を相手に粘り強く交渉をした結果、西軍大名として唯一、所領を安堵され、島津家は幕末まで栄え続ける。もし、秀吉の九州攻めが一年遅れていたら、その後、歴史はどんな展開を見せたのか?
(2024年6月15日放送の期間限定見逃し配信です。)
#BS11 #豊臣秀吉 #島津義久 #島津義弘 #九州攻め #室町時代 #安土桃山時代 #江戸時代 #平安時代 #明治時代 #戦国時代 #歴史 #日本史 #偉人 #伊東潤 #中西悠理
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)
【配信期間】
2024年6月15日~7月8日まで
📌BS11の「歴史」関連動画をチェック!
• 歴史「偉人・敗北からの教訓」ほか
【番組情報】
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週土曜日 よる9時00分~9時55分放送
※4月から放送時間が変更になりました。
番組公式HP:www.bs11.jp/entertainment/iji...
<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
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Пікірлер: 69

  • @ra4cal143
    @ra4cal14311 күн бұрын

    島津もヤバいけど、 秀吉は先見の明がエグいんよなぁ

  • @user-fp8rc6pn6d
    @user-fp8rc6pn6d21 күн бұрын

    かわいすぎる

  • @user-ru2wg3ks2s
    @user-ru2wg3ks2s20 күн бұрын

    薩摩島津家が秀吉・徳川に反して尚、領土を維持できたのは戦が強く、義久の見事な振る舞いだけではなく地政学的な面も大きいと思っています。秀吉も家康もわざわざ九州の南端まで赴き大金を使ってしかも多大な犠牲をはらうかもしれない征伐をしたくはなかったはずです。言い換えれば、京、大阪、江戸から遥かに離れた九州の南端から出てこなければそれで良しと考えたのではないでしょうか?確かに『島津家に暗君なし』の言葉に偽りはありませんが、そういった地政学的な幸運も重なった結果だと思います。

  • @user-mw9yf5yi9z

    @user-mw9yf5yi9z

    20 күн бұрын

    後は琉球との交易担っていた事も関係ありそうだよね

  • @junji1967
    @junji196718 күн бұрын

    この番組最高デス🎉

  • @user-gs9ui3ic5f
    @user-gs9ui3ic5f21 күн бұрын

    義久の秀吉に降伏する過程は知らなかったので、面白かったです

  • @user-eg5hg5pq8c
    @user-eg5hg5pq8c20 күн бұрын

    秀吉がまとめだすと、四国は長曾我部、九州は島津、奥州は伊達、関東は北条 と 周りも地域でまとまりだすのが何とも面白い。

  • @user-ex5bd3up7q

    @user-ex5bd3up7q

    20 күн бұрын

    天下そのものが統一される運命だったのかも知れない。 最も先んじていたのが秀吉だったわけで。

  • @evilflower765
    @evilflower76518 күн бұрын

    ある意味では、島津義久は日本の歴史をつなげて来た重要な人物の一人だったのでしょうね。島津家が滅びて居たら、明治維新は起きなかったかも知れませんから。

  • @HIDEHIDE-ol8so
    @HIDEHIDE-ol8so21 күн бұрын

    島津勢は大奮闘しましたが、正直驚異的な秀吉軍団の陸、海による侵攻に度肝を抜かれたのではないでしょうか。 もし関ケ原の戦い時、総大将の秀吉、秀長が三成の立場であった場合、島津勢への接し方は全く違った様に感じてなりません。

  • @user-lh5lv3wh9b
    @user-lh5lv3wh9b4 күн бұрын

    中西さん 「日曜日の朝」も楽しみに しております。

  • @user-ub7tt4gl8y
    @user-ub7tt4gl8y20 күн бұрын

    義久が体調度々崩しがちだから義弘が現場見る名代として期待された反面、急拡大の勢いに身を任せすぎてお家の体制を見直す時間が無かったし大日本帝国の如き意見の不一致が… 二重体制に加えて降伏後は義弘が実質独立大名化した待遇を受ける上に、更に忠恒も加わって三殿体制になっていくから更に命令と派閥が混雑していく… 「国衆の秋月氏の要請に応じただけなら惣無事令違反じゃないだろう」という楽観もあったけどそれをある意味崩したのが粘りに粘り切った紹運の凄さでもあり

  • @user-th8bi9ib8s

    @user-th8bi9ib8s

    20 күн бұрын

    難しいことはわかりませんが勝過ぎるといけませんね。先の大戦もわが国はそうでした、、、

  • @user-ub7tt4gl8y

    @user-ub7tt4gl8y

    20 күн бұрын

    ​@@user-th8bi9ib8s 島津家の政策決定構造もかなり旧弊的で「宿老達が薩摩まで集まって定例会議」→「霧島神社等で籤引きして『神意』を問う」→籤の決定を受けて義久が宿老らの決定にYESかNOか下すというお飾り状態から脱却しようと義久は籤引きを介して密かに自身の意志を入れようと抵抗してたり、現場の義弘も家久ら戦線拡大派の意向と本国の非戦派の意見の板挟みで、自信を失って各地の神社で籤引き引いて陣替えを繰り返して現場を混乱させる等勇ましいイメージに反して繊細すぎる話もあったり 島津は薩摩兵最強だのそういうことばかり語られるけど、ある意味明治以降の日本の体質を作り上げた源流とも言える→責任者が分担されて実質不在で下が無軌道に暴れまわって兵の命使い捨て・小手先の策で大勝する武勇伝はあるけど「戦略」の前に完敗

  • @ajjmka
    @ajjmka16 күн бұрын

    戦国時代以外にも、お願いします。 個人的には、第二次世界大戦を、、。

  • @user-dg5kx3gd5p
    @user-dg5kx3gd5p20 күн бұрын

    3:06 新名一仁さんによれば 当時の半島や大陸で鬼という言葉は日本とは意味合いが別で、 向こうの意味では鬼=幽霊らしいです。 またその頃の文書にも鬼島津と書かれたものはなく、後世に出てきたら言葉らしいですね。 また義久って面白い人物だなと思ったのが家臣達の案に反対するときや、戦の事を決める時には籤を使って決めてたけど、その籤を何回もやり直したり、別の籤では〇〇って出てると言ったりして、やり直してるんですよね。 そんなのありかよって思う事でもそれに家臣は大きく反対しない事だったり、義久が大坂から帰国した際には大勢の家臣が迎えに来してるところをみると義久は家臣達に思われてるんだなと思いましたね😂

  • @user-yn4go1uv7o

    @user-yn4go1uv7o

    19 күн бұрын

    私は中国語が話せるので補足をさせて頂くと 鬼=恐ろしい・悪魔という意味もあります 第二次世界大戦後に満州に取り残された日本人孤児達が現地中国人から 日本鬼子「リーベンくわいず」と蔑まれました

  • @yamabic1103
    @yamabic110320 күн бұрын

    信長の野望天翔記1534だと赤の島津と緑の島津はちょっと違うよとポケモンみたいに配置されてる確か山内上杉と朝上杉も赤と緑とポケモン1みたいに分裂してたな

  • @user-yn4xn3cp6b
    @user-yn4xn3cp6b20 күн бұрын

    今回の教訓の「新時代に対応していくには旧体制を刷新する」は、ビジネスはもとより家庭や子育てにおいても有益な考えだと思いました。 つまり、過去の経験からだけでは将来の変化に対応できないからです。 また、アナザーヒストリーには、毎回歴史の面白さがありためになりました。

  • @jk2240
    @jk2240Күн бұрын

    関ヶ原で徳川に負けた 島津 毛利が後の 幕末薩摩長州で借りを返す 歴史は皮肉なものだ。 実に面白い。

  • @user-jv6zc6xn8p
    @user-jv6zc6xn8p21 күн бұрын

    2026年大河ドラマでは、九州攻めは、盛り上がるだろう。

  • @cancan5892
    @cancan589220 күн бұрын

    勅諚をもってしても秀吉の停戦命令に従わなかった島津氏は、軍の強さ鉄砲装備の高さ義弘というカリスマの存在等で、大いに秀吉を刺激していただろう。秀吉にとっては、九州の強大な勢力をまず抑えておくことが急務であり、東の脅威北条を滅ぼし家康を配下に入れた次のターゲットとなった。そんな状況下、最終的には剃髪し黒染めの衣で秀吉にひれ伏した義久の心中は、惨めさよりも所領特に三州を守るという目的に向けての捨て身の覚悟だったと推察する。大名としてはなかなかできない、意地やこだわり体裁を繕わない見事な行動だと感じる。秀吉もだからこそ、敬意を払い所領を奪わず島津氏の強大な軍を取り込む策を取ったのだろう。東の北条氏とは正反対の生き方を選択した島津氏は、2つの典型的な戦国大名のタイプであり、豊臣大名となってもなお島津家を維持しその当主として君臨し、関ヶ原の戦い後も西軍で唯一所領を安堵されている。北条氏のように、自身の思いと政治を貫くため戦うか、全面的には満足でなくともお家存続を優先するかの選択でもある。一時的には敗北であっても改易されず存続することにより、幕末の混乱期に追随を許さぬ薩摩藩としての抜群の存在感と優秀な人材を輩出した土壌が、この義久の時代に既にあるように感じられた。九州は京からは遠いが、だからこその知恵や戦略を模索しているようにも思う。

  • @user-rc2wy2lk5q

    @user-rc2wy2lk5q

    20 күн бұрын

    北条を滅ぼすのは九州を平定した後やぞ?。恥かくだけだから直した方がいいです

  • @cancan5892

    @cancan5892

    20 күн бұрын

    そうですね。時系列が逆になりましたが、順番は違っても、秀吉の戦略は同じですよね。訂正ありがとうございます。

  • @kamenriderlove
    @kamenriderlove20 күн бұрын

    37:49 これが後(幕末)に倒幕の力を与えてしまうきっかけなってしまう。

  • @user-fe2xc1gv7e
    @user-fe2xc1gv7e20 күн бұрын

    島津や長宗我部、北条、伊達にしても出る杭は打たれるって事かな。

  • @user-hs4gf9fn4q
    @user-hs4gf9fn4q18 күн бұрын

    当時二度に渡る大戦での敗戦を喫しても当時勝者たる最高権力者に400年以来の代々の領土に指一本触れさせなかった

  • @user-jw4hk7ep9v
    @user-jw4hk7ep9v21 күн бұрын

    前線と本部の分割は判断の速さや機動性は良いですが、両者が乖離した時は問題ですね。ましてや兄弟ですから。 ボトムアップ策を取りながらも最後の降伏判断は自分で決めたことにリーダーシップを感じました。

  • @kazagosisingo
    @kazagosisingo20 күн бұрын

    島津4兄弟よく把握できた。まさに目から鱗。伊藤さんのローカル統治まで知識の豊富さに脱帽。関口宏ところの女子も可愛いだけでなくよく学習している

  • @user-mw9yf5yi9z
    @user-mw9yf5yi9z20 күн бұрын

    義久って秀吉 家康と敵対した(関ヶ原は連絡ミスかなんかで伏見入れなかったんだっけ)けど三州ほぼ守り切った外交手腕すごいよね

  • @yamabic1103
    @yamabic110320 күн бұрын

    小西加藤鍋島島津大友小早川九州の大名くせもの揃いになった

  • @Kappa-Lub
    @Kappa-Lub20 күн бұрын

    冒頭の勢力図で北九州市が支配されてるようになってるが島津の領土になってない

  • @user-nn7pl4go9b
    @user-nn7pl4go9b17 күн бұрын

    ここで島津家を存続させたからこそ、関ヶ原の合戦後も存続し明治維新も成し遂げられたのかもしれませんね。

  • @hogohogehage
    @hogohogehage20 күн бұрын

    バーサーカー軍の大陸ヒャッハーは胸が躍る

  • @user-kl2kz7su3w
    @user-kl2kz7su3w20 күн бұрын

    秀吉を百姓上がりと 軽んじたのが島津の最大の敗因です。 名門とプライドが 高かったために 秀吉の力を見誤つた。

  • @user-gi4vt3hg1g

    @user-gi4vt3hg1g

    19 күн бұрын

    基礎と発想のバランスが大事ってことなのか?!

  • @matukawatositane
    @matukawatositane20 күн бұрын

    Live感で伸長した面もあるから家内統制が第一目標になって行きますね

  • @user-th8bi9ib8s
    @user-th8bi9ib8s20 күн бұрын

    諸行は無常なんですね。

  • @user-th8bi9ib8s

    @user-th8bi9ib8s

    20 күн бұрын

    南九州は栄養豊かな美味しいものがたくさんあるのですね。 だから優秀な人を輩出する。黒豚が食べたくなった。白くまも。。。

  • @yasunesasashima367
    @yasunesasashima36720 күн бұрын

    大隈…

  • @annegii3623
    @annegii362320 күн бұрын

    秀吉が関白になった時点で薩摩滞在経験もある関係の深い近衛前久とやり取り、工作しておかなかったのかな。

  • @user-th8bi9ib8s

    @user-th8bi9ib8s

    20 күн бұрын

    近衛前久も隅に置けない大人物ですよね。公家でありながら日本中を。。。

  • @user-tk3dt6zn3t

    @user-tk3dt6zn3t

    20 күн бұрын

    関ヶ原のときも近衛家のコネ使って本領安堵勝ち取ってましたね

  • @user-eg6hf1lj5d
    @user-eg6hf1lj5d20 күн бұрын

    朝鮮は土地があっても石高がなぁ・・・。内政してる間に中国軍が来たり、反乱起こしたりで平定は無理やったと思う。九州や中国地方や四国の大名もちょっかい出すよね。

  • @user-yv7sw3vi7k
    @user-yv7sw3vi7k17 күн бұрын

    伊東先生は家康の生まれ変わりだと思うしそうであって欲しい

  • @yamabic1103
    @yamabic110320 күн бұрын

    だから天翔記赤の島津と緑の島津いたのか

  • @mop09drg
    @mop09drg14 күн бұрын

    伊東先生、なかなか大胆なアナザーストーリーを展開したな~。韓国の市民団体とかが騒いだりしないと良いけど...w

  • @user-kl2kz7su3w
    @user-kl2kz7su3w20 күн бұрын

    伊東は 頼朝の監視役を 務めた 伊東佑親の末裔で 同じ 人吉藩主 相良氏と近親です 🎉⭐️

  • @yamabic1103
    @yamabic110320 күн бұрын

    なぜ宇喜多秀家よりまともなのに大老でなれなかったのか義久義弘

  • @user-yv6gm8eo3m

    @user-yv6gm8eo3m

    19 күн бұрын

    侵略されて降伏してるからね。家中も別れてるしつゆほども無いだろうね。

  • @user-dr6fy8fi9p
    @user-dr6fy8fi9p15 күн бұрын

    秀吉と島津の戦いは、最初から出来レース 秀吉は、キリシタンの大友家など復活させる気は全く無いし、キリシタンにかぶれてる黒田、細川、小西を九州へ追放したいので、清正、小早川と並ぶキリシタンの監視役が必要 島津を適当に懲らしめて、キリシタン監視網を作るのが、最大の戦略目的だった

  • @matukawatositane

    @matukawatositane

    2 күн бұрын

    というのはどこの史料からの発言なんですか?

  • @user-ri4iw6il6m
    @user-ri4iw6il6m20 күн бұрын

    秋篠宮のカコ様の お嫁入り先⁉️って もしかしてここのお家😮😮😮 スーパーすごーいお家😅😅😅

  • @quatroyellow8809

    @quatroyellow8809

    20 күн бұрын

    話題になってるのはこの家ではなく、分家の方やな。

  • @user-ri4iw6il6m

    @user-ri4iw6il6m

    20 күн бұрын

    ​@@quatroyellow8809様 ありがとう(^^)ございます😊

  • @user-kz3su8wg3f
    @user-kz3su8wg3f21 күн бұрын

    島津に暗君なしということばは有名ですが、今の日本政治屋どもとは真逆ですね😭

  • @etsuotakahashi4559
    @etsuotakahashi455920 күн бұрын

    島津義久は自国防衛戦に異常に優れた気質を持つ闘将です。しかし支えきれないことも 理解できる。その場合潔く白旗をあげ我慢強い対処をする。そして相手武将の気質によ り幸運度が変わる。 義久と秀吉は一目惚れの関係。相手が全面的に言うことを聞けば許してしまう。 反抗すれば厳しく処断される。義久気質は戦略脳を有する武将と気質が合う。 義久と秀吉・家康 伊達政宗と秀吉・家康 信勝と秀吉・家康 徳川慶喜と久光・容堂・利通・小五郎・象二郎 皆同じ気質の気質関係で臣従すれば許される。慶喜の場合は維新の中核人物は臣従して いるので慶喜を許す方向で、戦略脳に欠る西郷だけが討伐主張。東北諸藩も抗戦の意志 もないのに、西郷が戦に引きずり込む。やらないでよい東北戦争だった。 同じ気質の長岡藩の河井継之助だけは失敗する。中立などありえないのに頭だけで考え た理屈で突っ走り悲惨な状況となった。気質関係から臣従しておれば上手くいったのに。 義久は秀吉、家康と二度まで気質で助かっている。 本当かどうか分からないが政宗は白装束で義久は剃髪黒装束とよく似た行動をする。 一目惚れ関係は、一瞬にして恋に落ちるが結婚しても相手の言うことを聞き続けなくて はならないので大変だ。無視すると破綻が待っている。 結婚相手を選ぶ時は最初の直感に従うと良い。人間は気質の合う者同士が寄り合うもの です。 あの会社の社員はタイプがよく似ているといわれるのは会社と社員の気質が合うように 自然に採用されているからで、社内の人間関係は自然に和やかになります。

  • @user-mf4st1nd5k
    @user-mf4st1nd5k20 күн бұрын

    伊東さんは、伊東氏の末裔ですか?

  • @user-yq1ln3qt4f
    @user-yq1ln3qt4f20 күн бұрын

    九州統一に時間かけすぎやでー 我が県の雄、宇喜多直家を見習って謀略を駆使すべきやったと思う😢

  • @hiroyukishibata1971
    @hiroyukishibata197112 күн бұрын

    タラレバ、そんな視点で過去を振り返り、将来の成功の参考にする。何の役にも立たない。根拠のある分析、歴史的な社会背景と構造も分析しない。外野席で、早朝野球を終えた人が、プロ野球を解説するようなレベル。文学、講談の類ですね。歴史小説、史実軽視、で人生訓話をすることに、意義があるとは思えない。司馬遼太郎の小説を読んで、歴史を語るレベルでしょう。

  • @user-kl2kz7su3w
    @user-kl2kz7su3w20 күн бұрын

    島津は 九州の武家から 嫌われていた 荒くれ武家ゆえに 秀吉が 許してくれた お陰で 滅亡せずに 済んだ。 今のロシア 中国の 戦の歴史と同じである。 😣😡👎

  • @user-jt1bs2of2r
    @user-jt1bs2of2r19 күн бұрын

    5分22秒の画面に沖田畷の戦闘の挿絵が映るが、どう見ても日本の兵装に見えない。 勘ぐれば、半島兵にも見えてくる。 此の様な番組ではあやふやな表現は厳に慎む必要が あるかと。 況(いわん)や半島兵と見紛(みまが)う「絵」作り、差し込むに、卑しい意図を感ずるは、一人私のみか!

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