【報ステ】コロナ禍で大ヒット 人新世の『資本論』斎藤幸平さんに聞く“脱成長”の真意
コロナ禍の去年に出版され、異例の大ヒットとなっている「人新世の『資本論』」は、賛否双方の声が上がりました。その著者である大阪市立大学・斎藤幸平准教授に、報道ステーション 大越健介キャスターがインタビューを行いました。
大越キャスター:「なぜこれだけ人々に支持されたと思いますか」
斎藤准教授:「やっぱり危機の瞬間には、これまで当たり前としていた価値観が大きく揺らぐからだと思うんですね。今回のようなコロナ禍がやってきて、人々の収入は下がったり、場合によっては仕事も失って、家も失って、もっと人々の健康とか、経済の安定とか、命みたいなものに重きを置いた社会があってしかるべきなのに、何でないんだろうというふうに、多くの人たちが気が付くわけですよね」
「人新世の『資本論』」では、資本主義の下では、利益追求ばかりが優先され、一握りの富裕層だけが豊かになっていく。その在り方を問いながら、社会が“進むべき道”を訴えています。それは、未曽有のパンデミックがもたらした、新たな“気づき”でもあります。
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同じようなことを大学生の時に考えたが、「電子コンテンツのように資源の浪費が少ない消費が駆動するような経済成長であれば、環境負荷の少ない成長が可能だ」と結論付けた。
一人一人の脱成長が積み重なることが重要だと思います。
行き過ぎた資本主義だということは完全に同意するが、安全保障の観点が欠落している。
29歳です。手取り20万満たないお給料で「自分は貧しい」と感じることはありますが、ここ数年の生活を振り返ると、自分が心から幸せと感じる瞬間はお金を使って得たものを少ないです(保護猫に癒される瞬間や、丁寧にいれたコーヒーがおいしい、旦那とおもしろおかしく話しているときとか)。資本主義の中(職場)にいると不幸に感じるので、つまりそういうことなんやな、と思っています。程よく資本主義と距離をとりながら、本質的な自分の幸せに向き合おう、それが今わたしがかんがえていることです。悩むだけでなく、本を読んだりして無知にならないように頑張ります。
資本主義と共産主義は交互にやってくる、と昔教わったなぁ。
キャスターの質問の切り口や立ち居振る舞いがすげぇ良い
今あるパイは十分すでにあるんじゃないか 生活が苦しいのは物が無いからじゃなくて一部の人々が多く取りすぎているのではないか
脱成長30年やったのが、今の日本ですよ!
言ってることはそうだけど、圧倒的に政治の力に依存する
よくテレビでも氷河が溶け出す画像がありますよね。あれは春に氷が溶け出すところをピックアップした画像をいかにも地球温暖化してるように見せかけていたらしいですよ。それを本気にしてるんでしょうか。
マルクス主義と言わず、斎藤主義でいいと思う。
本当にマルクスの資本論の現代解釈ですね。これを実現するには、人々の道徳や倫理のベースが必要になります。
15年前に亡くなった父が最後まで研究していたのがマルクスでした。
齋藤先生の仰る市民が管理する「共有財産=コモン」社会が実現するために、一度やり直してみてもよいですよね。
斎藤幸平さんに同感です。斎藤さんのコモンを社会主義のことだと思ってる人も多い。いろんな人と対談して斎藤さんのコンセプトが政治家を含む多くの人に理解され広がっていってほしいとおもってる。「脱成長」というのも誤解をまねきそう、「成熟社会」とかのほうが理解されやすそう。
通貨は要らないって言ってて凄いね。
I agree
トップ数パーセントの富裕層が豊かになってるって言うけど、それは単に経済的に豊かになってるだけで物質的にさらに豊かになってるわけではない。もしそれを貧しい人々に再分配すれば消費が拡大してより環境負荷が加速すると思うのですが、どうなんでしょうか?
動画を見て個人的にふと思ったのだが、斎藤先生の仰っている理論って「民主社会主義」の仕組みと似ているんだよね。民主社会主義は例として、①1人1人の個性や人格が社会にどう寄与されていくか、②市民が教育、インフラ、医療福祉等の政策に参加してどう営んでいくか、という感じだった。
脱成長論の最大の弱点は自国だけ脱成長戦略を取れば成長志向の世界から置き去りにされること。そして脱成長論普及のボトルネックは、問題の本質が脱「大量消費」であるのに脱「成長」と命名したことで成長志向の企業や個人からの抵抗を受けやすくなること。つまり脱成長ではなく脱大量消費としその実現がいかに企業や個人の成長や豊かさにつながるかを論ずるべき。具体的には、食料廃棄に課税や違法にするとか、産業廃棄物がでない再利用可能な素材で造る3Dプリンター建築にするとかですね。