百姓=農民ではない?江戸時代の村と百姓の実態~村はどのように運営されていたか?

江戸時代の百姓(農民)と言えば、領主による厳しい監視のもと、重い年貢を課せられ苦労していた…というのが一般的なイメージです。
不自由な生活を強いられていたとされる百姓ですが、どのように村を運営し生活していたのでしょうか?
今回は、江戸時代における村の概況や、百姓による村の運営について解説します。
▼もくじ▼
00:00 江戸時代の村運営と百姓の実態
00:40 江戸時代の村の概況
04:45 百姓=農民ではない
07:02 自治的に運営されていた村
10:30 村独自の法律「村掟」と制裁
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▼主な参考文献▼
田中 圭一『百姓の江戸時代』(ちくま学芸文庫、2022)
amzn.to/3qqPjg4
山﨑 善弘『村役人のお仕事』(東京堂出版、2018)
amzn.to/3OtDsGl
水本 邦彦『村 百姓たちの近世』(岩波新書、2015)
amzn.to/3DK3j7M
渡辺 尚志『百姓の力 江戸時代から見える日本』(角川ソフィア文庫、2015)
amzn.to/45itmyJ
秋山 高志他『図録 農民生活史事典』(柏書房、1991)
amzn.to/44ZRzdt
など他多数
▼主な画像出典元▼
滋賀県立公文書館
archives.pref.shiga.lg.jp/
にしのみやデジタルアーカイブ
archives.nishi.or.jp/index.php
ColBase
colbase.nich.go.jp
山梨デジタルアーカイブ
digi.lib.pref.yamanashi.jp/da/top

Пікірлер: 53

  • @akira4629
    @akira46299 ай бұрын

    百姓は、文字通り「百」+「姓」なので本来「もろもろの生業の者」という意味ですね。 ただし、いわゆる百姓一揆と呼ばれるものの実態は農民 一揆であったように、百姓と農民の使い分けは、必ずしも明確ではなかったようです。

  • @user-kx8eh2xz2u
    @user-kx8eh2xz2u11 ай бұрын

    これが刀狩より前の室町時代になると、隣村同士で土地を巡って弓矢飛ばすわ抜刀するわの血みどろが起こることもあったんだから、ちゃんと時代は移り変わっているのね。

  • @philocafe24
    @philocafe246 ай бұрын

    とても感激してコメントします。 最近のKZreadでは、資料もろくにあたらず、想像などで言い切ってしまう輩が多く、どんなジャンルも学のないものの動画は残念だなあと思っていました。 しかし、このアカウントは、参考文献を提示し、分かることだけを丁寧に動画にしており、とても参考になります。 ぜひこれからも頑張ってください。応援しています。

  • @yamakawakeiki
    @yamakawakeiki7 ай бұрын

    郷土史なんかを読んでいると自分の住んでいる地域の特定郵便局長、教育長や学校長などを輩出している教育者一家、その他町の有力者一族などの祖先が名主として登場してくる。水利権をめぐる争いの記述もありそれが現在に至るあそこの地区とこの地区は仲が悪いとかまでわが町の地方自治に影響を及ぼすことが分かり面白い。

  • @ns982
    @ns982Ай бұрын

    たいへん素晴らしい動画を、ありがとうございました! 毎回きちんとした資料と考証で、江戸の昔を思い起こすに十二分な内容ですね、楽しまさせて頂いております 特に酒人の今昔比較が、とてもわかりやすく関連性を示してくださっていて、この比較は可能であれば毎回入れて欲しいほどです 自分の祖は織田家に断絶させられかけた浅井家らしいのですが、狩られぬよう文字通り必死に逃げ続けてくれたお陰様で、今は居合を楽しんだり出来ております なので戦乱がおさまり、太平の世と謡われた江戸に思いを馳せることが多いんですよね、このチャンネルはそういった思いにまで応えてくださる稀有な価値あるものです! チャンネル登録させて頂きました、これからもご無理なさらず「昔という価値」を色々ご教授ください!

  • @FM-lk2ex
    @FM-lk2ex6 ай бұрын

    百姓は、もともと中国から来た言葉で、中国語で百姓の意味をぐぐると、庶民と出てきます。 どこから、農民だけを指すように改変されたのか、、、、

  • @user-me1ew7vh2z
    @user-me1ew7vh2z11 ай бұрын

    「百姓」とは百の姓、つまり"様々な職業の庶民"というのが本来の意味 (日本では天皇家以外の人々という意味もある)。 それが何故、主に「農民」を表す言葉になったかは、儒教的精神による「農本主義」の影響があるし、戦後の"左翼史観"の影響が特に大きいと思う。 誰が"百姓=農民"と定義したかは知らないが、こうした間違いは正さなくてはならない、と考える次第です。

  • @user-qu1cw6rt3c

    @user-qu1cw6rt3c

    10 ай бұрын

    まあ、圧倒的に農業に従事する人が多かったからではないですか。ボクの父親の実家が長野県で高原野菜を作っていたのですが、おじさん(父親の兄)はことあるごとに「俺たち百姓は・・・」という言い方をしました。子ども心に「農家って1人の経営者なんだな」と思いました。税金のことにめちゃくちゃ詳しかったからです。サラリーマンだった父はあまり税金の話はしませんでした。

  • @user-kp8sk2jg5y

    @user-kp8sk2jg5y

    10 ай бұрын

    水戸黄門とかドラマの影響もありますね。ご老公様が、お百姓と言う時必ず農民が出てきますから。

  • @user-qu1cw6rt3c

    @user-qu1cw6rt3c

    10 ай бұрын

    @@user-kp8sk2jg5y 江戸時代、90%以上の人が農業に従事していたのだから「百姓=農民」と捉えても、大きな間違いはないです。

  • @user-me1ew7vh2z

    @user-me1ew7vh2z

    10 ай бұрын

    @@user-qu1cw6rt3c  「90%以上が農業に従事....」だって? 何処でそういう間違った知識を覚えたのか知りませんが、それは "平民" とされる人口の割合です (平民=農民、ではありません) 。 "近世日本の人口構造" では、農民人口が多いのは東海地方ですが、それでも人口の76%程で、東北や九州では70%を切っていますし、江戸や大阪など幕府直轄の大都市は含みません(それを含めれば多分、6割程になると思う)。

  • @user-me1ew7vh2z

    @user-me1ew7vh2z

    10 ай бұрын

    @@user-kp8sk2jg5y  「七人の侍」など黒澤映画の影響もあるかもしれませんね。 あの映画は時代考証が充分にされたモノではなく、単にエンタメに振り切った映画だと思います。

  • @user-qu1cw6rt3c
    @user-qu1cw6rt3c10 ай бұрын

    なるほど。「百姓=村民」程度の意味なのですね。少なくとも職業を表す呼称ではないと。

  • @kanzoharuasahi9118
    @kanzoharuasahi91183 ай бұрын

    こんばんは😊 百姓と言っても「村」の自治で協同して運営されていたのですね、一般に「村八分」と言うとネガティブなイメージがありますが、村の掟で違反した場合の罰則規定だったのは意外でした😅もっと沢山江戸時代の事を知りたいですね😁コンテンツありがとです🙏

  • @user-qv3ju1mg9h
    @user-qv3ju1mg9h7 ай бұрын

    田舎に有りそうなルールやね。大分緩くなってると思うけど…(この当時と比べて)自治会とか町内会とかなんか似てる様な気がするわ

  • @sempojp
    @sempojp10 ай бұрын

    尾張の場合は、近畿に近い集村形式ですね・・・農村部に行くと、その名残が良く残っています。ド田舎と、門前町などの商業が栄えた街が近い農村だと構成が異なりますね。尾張だと大きな門前町や、街道の宿場町が、30分くらい歩いて行ける範囲で点在してましたから、買い物は門前町まで行っていたでしょうね。

  • @atsukorichards1675
    @atsukorichards16752 ай бұрын

    滋賀県の資料が続いて嬉しいです。

  • @user-hk3dp8nw1z
    @user-hk3dp8nw1z11 ай бұрын

    お!江戸見聞録が更新してる!!ラッキー

  • @user-zv5kw9ko5b
    @user-zv5kw9ko5b11 ай бұрын

    百姓の本当の意味をはじめて知ることが出来て非常に興味深かったです。村八分など現代でも残る言葉はありますし、江戸町民や武士などは日本人のごく一部でしょうから、こうした村社会の互いに監視しあい空気を読むことを重要視する気質や、地元民以外には冷淡な感じは現代の日本にも引き継がれているような感じがします。欧米人の変に気安い個人主義的な気質と違って日本人は連帯責任とか和を乱すことを嫌う気質があるから、皆が残業していると帰りにくい空気とかあったりするんですよね…。

  • @user-qu1cw6rt3c

    @user-qu1cw6rt3c

    10 ай бұрын

    >皆が残業していると帰りにくい空気とかあったりするんですよね…。 本当の村社会だったら「残業もみんなで手分けしてやって、みんなで早く帰ろう」となりそうですけどね。

  • @666fgd9

    @666fgd9

    10 ай бұрын

    村、地域によって性質や知能程度はかなり差があったんじゃないの むしろおおらかな部分が取り除かれたまである

  • @user-zu6tc9mb7s
    @user-zu6tc9mb7s6 ай бұрын

    どうしても世代的に農民というと「おしん」の貧困で食べるのが精一杯…そんなイメージがありました。

  • @fivepointedstar196
    @fivepointedstar19611 ай бұрын

    百姓は庄屋、本百姓、隷属農民、水呑百姓とあった。 本百姓の下に隷属農民と水呑百姓。 自分では土地を所有せずに他人から借りて農作業する小作人。 本百姓の次男。三男などがなっていた。 隷属農民と水呑百姓は検地帳に登録されておらず 、 寄合 村の会議にも参加できなかった 。

  • @user-jj2zr5mc3f
    @user-jj2zr5mc3f10 ай бұрын

    そうそう、判る人がいたら教えてください。  例え、非人間の水飲み百姓であっても、力が強かったり、産物等の増産技術に長けていたりしたら、養子縁組等で本百姓になれたりもするんでしょうか? 実は、家のご先祖様の一大繁盛記に似た話があってちょっと気になっています。

  • @norikosato7823

    @norikosato7823

    10 ай бұрын

    水飲み百姓のすべてが貧民だったというのは間違いでしょうね。本百姓になれたかどうかは私はわかりませんが、農業以外で蓄財した人はいたと思うし。

  • @user-kp8sk2jg5y

    @user-kp8sk2jg5y

    10 ай бұрын

    本百姓になれたかどうかはわからないが、水呑百姓が博徒になったのは聞いたことがある。江戸時代の中期から後期にかけて、農村地帯は荒み、博徒が徒党を組んで縄張りにしていた。

  • @namwons33

    @namwons33

    10 ай бұрын

    一種のシンデレラストーリーとして水呑み百姓が本百姓になった話が全国的に有りますが、そのほとんどが庶民の妄想であったと思われます。

  • @user-jl1sz6rj5s

    @user-jl1sz6rj5s

    10 ай бұрын

    江戸時代、田畑の売買、分割相続は禁じられていました。故に庄屋のように比較的豊かな本百姓でも長男が跡を継げば下の兄弟は養子に出されました。逆に下層の農民は出生力が低かったので養子を受け入れていた。つまり、農民間では養子縁組により下層への階層移動が通常。あと、本百姓と水呑み百姓の違いは、土地を持ち年貢を納めるのが本百姓で土地を持たず年貢を納めないのが水呑み百姓。動画にもあるように大工や商人、職人も水呑み百姓。故に豪商も水呑み百姓なので本百姓が豊かとは限らない。また、元は貧農であっても勝海舟の祖父のようにお金があれば旗本株を買って武士になることもできた。

  • @user-xu8rd6bt7w
    @user-xu8rd6bt7w11 ай бұрын

    だめだ 性格がいい加減な僕からしたら 何一つ守れそうにない

  • @user-kp8sk2jg5y
    @user-kp8sk2jg5y10 ай бұрын

    江戸時代の村同士の争いはすさまじい。境界線や水路、入会地をめぐって喧嘩になり、多くは役人が仲裁に入るのだが、いったん始まると死者がたくさん出る惨事になることもあった。

  • @sieru62mari
    @sieru62mari11 ай бұрын

    昔の方々もきちんとルールを作って暮らしていたのだと、よく判りました。 ルールを守らなかった者への罰が「ご飯食べさせない(-_-メ)」なの、辛いですね…。

  • @nainet920
    @nainet920Ай бұрын

    村八分って今では「仲間外れ」くらいの意味だけど、助け合わなければ生きていけない当時では、追放に準ずる重い罰だったのだな。

  • @hogohogehage
    @hogohogehage2 ай бұрын

    末端まで行政にかかわっていたのだと思います 無関心ではいられませんね

  • @U2RINJIN
    @U2RINJIN10 ай бұрын

    「その土地で生きていく」という共通の目的があったんで、色んな百姓の人達で自治体を形成しながらも村としてまとまってたんですかね。 それが今の時代と大きく違うところかな。 都会ならまだしも、今は田舎でも職住分離してたりするんで、日本全体で気質に合わない暮らし方をしてる傾向にあるように思いますね。 真に地方再生を目指すなら「村」の都会化、あるいは新しい「共通の目的」を持った「村」の創造が必要になりますね。

  • @mimarisu
    @mimarisu7 ай бұрын

    平和な時代に見えるけど、平和すぎて軍隊に行くこともできなかったから 次男三男にとっては結構億劫な世界だったろうなって思える。

  • @WearstFaker
    @WearstFaker10 ай бұрын

    江戸時代の村について、現代の人に認識の差があるのは、主に「 藩 」というものが理解できていないことと、「 明治維新 」の影響が大きいから。 「 藩 」について、藩が納める住民に関しては、自由に税金、税率を決めていいので、一揆が起こるギリギリまで高額の税をかける藩があって、また独自の決まり、まぁ法律みたいなもので、村人を縛り付けたから。 それを理由に「 江戸時代は厳しかった! 」っていう感想を持つ人もいるが、それは本当にごく一部の藩だけで、ほとんどの藩は、農民の一揆が怖くて、そんなことはできなかった。 ちなみに、幕府領(天領)であれば、税金は名目は収入の3割で、実質3割以下の税金だった。だから基本的に農村は緩いところで、比較的余裕があったのが実際だ。 次に「 明治維新 」明治維新は基本的に江戸時代や江戸幕府が悪かった。とする主張を展開する。そのため江戸時代の幕府の悪いところを捏造して公表した。 よく言われているのが、村人をグループにして裏切り者を密告させあったり、米を食べずに雑穀を食べろ、としたり。だれか個人が悪事を働いたら連帯責任だ。とするような決まりは、江戸幕府は決めていない。 それらはすべて、藩が勝手に決めたことなのだが、明治政府はそれを江戸幕府の責任にして、「 明治政府はそういうことをしない正義の政府 」として宣伝した。 そのため「 江戸時代は苦しかったのに明治維新でよくなった。」と主張する人が増えて、現代人もソレを信じてしまっている人が一定数いるので、認識の差が生まれる。

  • @Kazeko09
    @Kazeko0911 ай бұрын

    本当の日本の歴史を学べば学ぶほど、農村部での生活は実際のところどうだったのかという疑問が湧いてきていましたが、現代における農村の理解は結構間違っていることがわかりました。テレビの時代劇の影響もあると思いますが、テレビで放送するものはニュースに限らず印象操作があるのではないかと思いました。日本は実は昔から民主主義的な部分があったのに、戦後初めて民主主義になったと思っている人がたい多数ではないかと思います。もっと多くの日本人に本当のことを知り、日本に誇りを持って欲しいです。

  • @user-jj2zr5mc3f

    @user-jj2zr5mc3f

    10 ай бұрын

    動画内も語っているけど、 水飲み百姓や隷属農民に関しては、人間として扱われませんでした。 そう言った人た達も全て平等に人として扱われるようになったのは、戦後の民主主義からです。

  • @user-qu1cw6rt3c

    @user-qu1cw6rt3c

    10 ай бұрын

    戦後の民主主義もどうなのかなと思う部分はあります。たとえば、何億円も税金を払う人も全然払わない人も同じ1票だということ。大正14年(1925)3月に普通選挙法が制定されてそうなったわけですが、それ以前は納税している人にだけ選挙権があるというのが、普通の考え方だったわけでしょ。それにも一理あると思う。納税していない人の政治的関心が高いとは思えないもの。

  • @user-kp8sk2jg5y

    @user-kp8sk2jg5y

    10 ай бұрын

    大正から昭和のはじめごろまでは比較的自由で、銀ブラなんて言葉も流行り、若者文化がつくられたりしました。

  • @mugakuninn
    @mugakuninn10 ай бұрын

    「日本万歳」 村を言うなら「若衆宿」?についても教えて欲しい・・・です。

  • @user-ct1ut2th5g
    @user-ct1ut2th5g11 ай бұрын

    😂まったく 現代社会 但し 農家から の 年貢は 税金に かわり 昔は 農から が ほとんど 今は 国民から 税を 取るが

  • @user-ct1ut2th5g

    @user-ct1ut2th5g

    11 ай бұрын

    今も 昔も 汗だく に なり しんどい仕事で 労金が 安い いつまでも 変わらない 社会構造だ😢😢

  • @user-sx3sk4uq5k
    @user-sx3sk4uq5k10 ай бұрын

    昔からこうして決まりを作り村人全員が守り破れば相応の制裁。これが村人全員が暮らす為の決まりだった。三国人や貧困外国人が日本に来て好き勝手やっても警察頼りになるのは当たり前だよな。日本に外国人は要らないし日本人の暮らしが壊される。

  • @09umeo
    @09umeo10 ай бұрын

    日本の村社会今も同様、逆らえば村八分、真分からずお上に盲目に従う国民

  • @666fgd9

    @666fgd9

    10 ай бұрын

    「日本はこうあるべき」「これが日本人」という強迫観念にも似た思い込み、自己紹介かよw

  • @09umeo

    @09umeo

    10 ай бұрын

    真逆の事を言いましたが@@666fgd9

  • @32ayashi

    @32ayashi

    10 ай бұрын

    @@09umeo コメントの趣旨を理解できない読解力の無さ。

  • @WearstFaker

    @WearstFaker

    10 ай бұрын

    全然違う。江戸時代の人は、お上に盲目的に従ったりしない。 かなり抗議したり税金の減免を申し出たりする。 役人が、農民の申し出で折れることなんて日常茶飯事。役人が強引に物事を決めると、農民が武力によって訴えることになる。

  • @jijihahalolo2564
    @jijihahalolo256411 ай бұрын

    時代小説作家、特に吉川英治が江戸時代を虚構創作してしまいました。韓国ドラマを笑えません。

  • @namwons33

    @namwons33

    10 ай бұрын

    吉川英治先生は推しも押されもしないフィクション作家で、江戸時代だけじゃなく平家物語などの他の時代や三国志などの日本以外の国の話で評価されてますが? 江戸時代の話なんて、有名どころでは宮本武蔵くらいでは無かったでしょうか?

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