No video
「不発弾に刻まれた記憶〜調布に墜ちたB29〜」第112回 多摩探検隊
「不発弾に刻まれた記憶~調布に墜ちたB29~」 第112回 多摩探検隊 (2013年8月放送)
2008年5月18日。東京都調布市で一発の不発弾が処理されました。この不発弾は1945年、調布市で日本の戦闘機「飛燕(ひえん)」の体当たりを受け墜落したB29から落下したものです。今回の多摩探検隊は、目撃者の証言や当時の資料を元に、不発弾に刻まれた記憶に迫ります。
<協力>
アメリカ国立公文書館 調布市総合防災安全課 調布市戦時記録保存会
調布市郷土博物館 豊島区立郷土資料館 毎日新聞社 武蔵野市役所 陸上自衛隊
岩崎 清吾 菊池 俊吉 工藤 洋三 小林 耕一 島田 慶甫 土方 清
<制作補>
江口 拓 梶 彩夏 関 彩花 幸田 遥平 笹沼 麻奈美
<語り> 照井 将人
<監修> 松野 良一
<制作プロデューサー> 大谷 観
<ディレクター> 新家 裕樹
<制作・著作> 中央大学FLP松野良一ゼミ
#不発弾 #戦争 #飛燕 #B29 #撃墜 #体当たり #調布 #三式戦
Пікірлер: 22
このように真実を掘り下げて伝える番組は本当に少なくなった。当時を知る人たちも高齢化や鬼籍になられて取材もできなくなり、貴重なアーカイブとして保存、閲覧できるようにして欲しい。 また、各地で撃墜された米軍機の搭乗員を地元の人や関係者が敵でありながら慰霊、追悼していることにも頭が下がります。
すごい取材力だな。右でも左でもなく真実に迫ってる。
日本の戦闘機乗り達の勇敢さ、その凄さを改めて知った。 尚更に生きて生還したとは奇跡だ。
飛燕パイロット素晴らしい
落下したB29の翼の直撃を受け亡くなった8人の家族が一番痛ましく感じた。
すばらしい記録です。遅ればせながら、ありがとうございます。
B29搭乗員も日本爆撃で400機の墜落3000人以上の戦死者を出していますからね。手も足も出なかったイメージが植え込まれていたが。墜落機で一家八人の死者を出したのは悲劇ですね。お父さんとお子さんのことを考えるとぞっとしました。
素晴らしい完成度。勉強になりました。
大変に貴重な映像をありがとうございます。 当時、国分寺町に住んでいたので、北多摩地区が戦火に見舞われたことは知っていましたが、この映像のようなことは全国各地であったことと思います。 小平町の友人は、農家のせがれでしたが、畑にナスを取りに行って、戻ろうとしたところ、前方から、いきなりグラマン艦載機に機銃掃射を受けたそうです。 持っていたナスを放り出して、地面に伏せると、再びグラマンが戻ってきたので、ふと、見上げると、グラマンのパイロットが笑っているのが見えるほど近づいてきたそうです。 本当に殺す気持ちがあれば、戻って来た時に機銃掃射したはずですが、そのまま飛び去って行ったそうです。 戦後、その話になったとき、「あれは、子供と判って、面白半分に機銃を打ってきたんだ、くやしくて、笑っていたパイロットの顔が忘れられないよ。」と言っていました。 身近の戦時体験をされら方々がどんどん亡くなって、貴重な体験談も消えてゆく時期に、このような貴重な映像資料をありがとうございます。
調布辺りは近くで、国道脇の掩体壕や中島飛行機研究所(ICU)の建物は見て知っていましたが、この記録は知りませんでした。国立、小金井、府中、調布の一帯は旧陸軍の広大な軍用地だったなんて今では想像も及ばないですね。高度5000mの落下傘降下で三軒茶屋まで流されたのも興味深いです。
大変貴重な取材ありがとうございました。私は狛江市小足立(現西野川4丁目)に住んでおりましたが、幼少(1967頃)時は、国領B29墜落付近は遊び場で野川、ミツミ電機工場、JUKIなど, 悲しい戦争跡は感じていませんでした。幸せな日本、世界を子供たちに残しましょう。
素晴らしい動画でした。ありがとうございました。
すごい分かりやすい番組ですね
大変興味深い映像でした。 私は生まれも育ちも調布です。30年以上住んでいますが、学校で教えてくれるわけでも無いのでほとんど知らない事ばかりでした。 後世に伝えるためにも調布のたづくりなどに映像も含めて展示室を作って欲しいと思いました。
版権クレジットもあり、内容も良く素晴らしいですね。
真実に迫るいい内容でした。それにしてもB-29位の大きな飛行機になると、機銃では落とせないらしく、体当りを敢行したと聞いていましたが本当だったんですね。何と勇敢な、この飛燕のパイロットは助かって良かった。
狛江市在住です。私の通っていた狛江第一小学校からも不発弾が1970年頃見つかりました。近くにあった東京航空計器という戦闘機の計器を作っていた工場と間違えて落としたらしいです。
よく取材されましたね。調布市内在住ですが、当時は中島飛行機武蔵野工場への爆撃が失敗したB29が、狛江の軍需産業(東京航空精機とかジューキなど)工場にダメ元で落としたのではないかともいわれました。
B 29にも体当たりするのか
当時京王線沿線に住んでいたからよく覚えてますよ。 徐行しているとはいえ、撤去するまでしばらくの間列車の運転を継続し、爆弾の真横を通るときは緊張していました。
陸軍飛行第244戦隊ですね。
@gargoyle-13
Ай бұрын
祖父の弟が所属して戦死した部隊です。