ある日の夕飯

「ある日の夕飯」
#アサーと孫てぃ
コロナで京都に帰れなくなり、大学にも行けなくなって、与那国にしばらく残る事にした。
何かと問題は山積みである。
今は島でアサーと2人暮らし。
卒業して島を出てから、こんなにも長くじいちゃんと一緒にいるのは久しぶりかもしれない。中学時代を思い出す。
周りの人に支えられながら、お互いに支え合いながら生きている。
といっても、じいちゃんの世話はある。ご飯は毎日作らなきゃだし、病院に連れてかなきゃだし、シーツは頻繁に変えないとだし、パンパースを捨てなきゃいけないし、この前なんかじいちゃんのうんち踏んだ。
でも、じいちゃんいなきゃ毎日まともにご飯作らないだろうなぁ。ゴミの日の朝はうるさいけどさ。いや、いつも方言で起こしてくるんだけどな。なんだかんだ2人でバランス保って暮らしてる。最近は、じいちゃんが太ってるの気にしてたから、2人で夜は白米を食べないことにした。
アサーは色々教えてくれる。昔の話や、与那国語や、島の自然や動物の話、今しか聞けないと思う。生きる文化財。
昔からだけど、私はおじいちゃん子だと思う。自覚はなかったけど、この前クセや仕草が似てると言われた。満更でもない。
やっぱり何か作ってないと気が落ち着かないみたいだ。こんな世間で89歳と22歳が島で2人暮らしって1文だけでも面白いよなぁと思いながら、記憶として、記録として残す。日常が物語なのか、切り取るから物語になるのか。
卒制の不安はあるけど、いつまでも弱音履いてられないし、なんとかしないといけない。ピンチをチャンスに変える。冷静に柔軟に考えて舵をとろう。人間万事塞翁が馬。今だからこそできること、今やるべきこと、映画の本質を求めたいと思う。
昔、父によく「諦めるのを諦めなさい」と言われた。陸上練習が嫌だった時に、長期休みしか会えなかった父がそう言って一緒に走ってくれた。負けず嫌いな私のことを分かってて言った言葉だあれは。ムカついた。でも、私を動かした。
弱虫で負けず嫌いなのは昔から今も変わらないみたいだ。
焦るな。大丈夫だ。見極めろ。言い聞かせながら進む。
はやくみんなに会いたいな…。

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